星虹堂通信

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『ゴジラ-1.0』合評会

 

 司会者 「えー、このつどいも前回から4年ぶり4度目となりました。山崎貴監督『ゴジラ-1.0』が公開されましたが、みなさん正直なところ、いかがでしたか? ネタバレ全開で参りましょう」

 ゴジラファンA 「いやぁ、『シン・ゴジラ』が画期的なゴジラ映画だっただけに、はたして次回作はどうなるのかと心配だったけど、<1954年以前>の世界にゴジラを出現させるとは、まったくコロンブスの卵。これを思いついただけでも大したものです」

 ゴジラファンB 「『シン・ゴジラ』では完全に意思疎通が不能な怪物だったゴジラ、こちらではまさに<悪意の猛獣>というイメージになって重量感も十分、人を襲う描写にかなりのインパクトがありました。大満足!」

 ゴジラファンC 「そ、そうかなぁ? ゴジラというのは『核』を背負った人類全体の脅威であるべきなのに、あれじゃ『特攻隊として死に損ねた男』のトラウマを象徴する存在に成り下がっていたんじゃないかしら。あれだけスペクタクルなゴジラ上陸が描けたのに、ゴジラの存在感がもう一つ薄いのは、ゴジラ像が個人的な記憶に閉じ込められているからだと思ったけど」

 反政府主義者 「銀座で大暴れしたゴジラが次は国会か皇居を踏み潰してくれるものと期待したのに、いつのまにか帰っちゃったらしいのは拍子抜けだったぞ」

 測量士 「おそらく、ゴジラが吐いた熱戦の先に国会があったものと思われます」

 新堂靖明 「私がラゴス島で出会ったゴジラザウルスは米軍を蹴散らしてくれたんだが、その点、敷島クンは不運でしたね。でも、おかげでゴジラを救世主と思いこむ、というとんでもない勘違いをせずにすんだのだから、そこは幸運とも言える」

 脚本家志望者 「それはシンプルにヒネりが足りないというべきでは……。寄る辺なき復員兵のところに、一気に女子供が転がり込んでくる強引な展開も、後半の<泣かせ>に使う手が見え見えでシラけました」

 警察官 「あのヒロインは登場時になんで追いかけられていたんですか? てっきり子供をダシに使った女スリかペテン師だろうと目を光らせていたのだけど、特にそんなキャラ付けもありませんでした」

 SF映画マニア 「いいんだよ、細かいことは。前回も言ったけど、大型特撮映画における人間ドラマとは『家族の再生』と『自己犠牲』、これで決まり! 舞台設定が斬新な分、ドラマ作りや人物配置が様式的なのは、山崎監督のバランス感覚を強く感じました。それに、今回のVFXは彼の到達点でしょう」

 特撮マニア 「確かにそうですね。上陸したゴジラの足元を描く粘っこい描写はもちろん、海上戦闘時の海や水の質感表現、日本のデジタルVFXもここまで来たか、と嬉しくなりました」

 スピルバーグファン 「突然、『ジョーズ』へのオマージュと思われる展開が始まったのには泣けました」

 ノーランファン 「クライマックスで突然、『ダンケルク』へのオマージュみたいな展開になったのは笑いました」

 バラン 「それにしても、民間が考案した作戦があまりにうまくいきすぎじゃないですか? やはり怪獣たるもの、私のように爆雷作戦も特殊火薬作戦も、まずは一度はねのけてみせる強かさがほしいですね」

 バルゴン 「そうそう。作戦が実行され、失敗し、怪獣もまた学習する、それに対しどうするか、そういう知恵比べ的な展開がないのはちょっと食い足りない」

 理科教師 「1947年にはまだ自衛隊すらないんだもの、あまり無茶言いなさんな。そんな時代の日本人がどうゴジラを退治するか、という点で頭をひねったのを評価してあげなきゃ。しかも、安易にSF超兵器に頼るのではなくて、フロンガスと浮袋を使った水圧+減圧の理屈でゴジラをやっつけるアイディアも面白いじゃないの。今度授業で使わせてもらおう」

 ミリタリーマニア 「メーサー砲のような超兵器が出ない代わりに、幻の戦闘機である『震電』が飛び回るクライマックスもアツいです。でも、整備班が登場するわりに、あまりマニアックなメカ描写はなかったですね。」

 アニメファン 「庵野監督は昔から<ミッション遂行>のドラマとそのメカニズムに執着する人で、樋口監督は<大状況>の描写に深くこだわる人。『シン・ゴジラ』のヤシオリ作戦は二人の個性が噛み合って、霞ヶ関の独立愚連隊チーム結成から無人在来線爆弾まで、短い時間で印象強く見せていましたよね。でも、山崎監督は、『永遠の0』の宮部教官といい、『STAND BY MEドラえもん』ののび太といい、『アルキメデスの大戦』の戦艦大和といい、名誉回復のドラマを盛り上げたい演出家なんでしょう。今回は主人公の悔恨がいかに解消されるかが焦点です。そこにノレないとしんどい」

 興行関係者 「オタク的なディティールよりも、エモーショナルな『物語』の方が観客に届きやすいのは間違いないと思いますよ。でも、今はベタな<泣かせ>よりもまず、作り手の<熱>がなくっちゃね」

 映画音楽家 「とはいえ、『シン・ゴジラ』での伊福部昭音楽の使用は、ずいぶんマニアの自己満足臭を感じたけど、こちらで『ゴジラの恐怖』が鳴り響いた瞬間は、かなりハマって聞こえたなぁ」

 惑星ピスタチオファン 「佐々木蔵之介の濃厚すぎる演技はもう少しでパワーマイムが始まってしまうのではないかとハラハラしました」

 政治不信の男 「政治家も進駐軍もいっさい出てこない、というのは『シン・ゴジラ』と同じことはしない決意の表れかな。それはそれでいいんだけど、その結果、元軍人たちの<敗戦ショック>をゴジラ撃退によって慰撫する物語のようにも見えてしまい、指導者の命令で始まる戦争の問題点が、巨大災害であるゴジラ出現とごっちゃにすることでごまかされた気持ち悪さはあったなぁ」

 ジャーナリスト 「命を賭して家族や国民を守る、という行為が侵略戦争ゴジラ襲来でいっしょくたにできるのか、という問題ですね。『人命を軽視してはいけない』とタテマエを語りつつ、彼らは死地に向かわざるを得ない矛盾。そこにテーマを置くなら、橘整備班長の<転向>がしっかり描かれるべきだとは思いました。それがラストの意外性要素でしかないというのは……」

 A級戦犯 「ウム、巣鴨プリズンに捕まっている者たちに恩赦をかけてくれれば、クライマックスではもっと人材が集まったし、皇軍兵士の名誉回復にもつながったはずなのにねぇ。じつに惜しいヨ」

 映画史家 「初代『ゴジラ』は水爆実験、『84’ゴジラ』は米ソの核状況、『シン・ゴジラ』は東日本大震災、とゴジラ映画はそれぞれの時代の<危機>を反映してきたわけだけど、『ゴジラ-1.0』はコロナ禍を通過した上でのゴジラ映画ですよね。その結果導き出されたのが『国難に対しては政治は頼りにならないから、民間でがんばろう!』というのでは、『シン・ゴジラ』以上に楽天的な印象があります」

 自民党代議士 「いや、『自助を基本とし、共助・公助が補う安心の社会づくり』の反映だと思えば納得できるのではないかね?」

 体操選手 「あれだけの目に遭いつつ五体満足なヒロインのタフネスぶりには賞賛を惜しみません」

 マタンゴ人間 「ラスト、ヒロインが包帯を解いたらじつはすでに……という展開にしてほしかったです」

 未見の女 「あのー、結局この映画は面白いんですか、つまらないんですか。観た方がいいの?」

 小美人 「ゴジララドンも『俺たちの知ったことか、勝手にしやがれ』と言っています」

 映画ファン 「これでゴジラ映画の次回作がまた一段とハードルが上がったことは間違いないですね。円熟期を迎えた山崎監督にはそろそろオリジナル企画の特撮映画を期待したいところです」

 

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