星虹堂通信

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“意地悪ばあさん”の素顔〜『パトリシア・ハイスミスに恋して』

 エヴァ・ヴィティヤ監督『パトリシア・ハイスミスに恋して』を観た。

 25年以上も前に亡くなった作家の評伝が、ドキュメンタリーとして成立するのかと思いきや、意外に映像資料が豊富に残されていたことに驚いた。そして未発表(近年、書籍化された)の日記の記述の朗読と、3人の“恋人”たちや親類たちによる回想インタビューを織り交ぜながら、展開してゆく。

 

 パトリシア・ハイスミス(1921~1995)が同性愛者であることは『キャロル』(1952)の翻訳出版と映画化が公開されたことで日本でも有名になったが、その家庭環境と母親との複雑な関係については全然知らなかったので、親類たちが語る証言は新鮮だった。若い頃のハイスミスには結婚歴や男性との交際歴があるが、母親の期待に応えようとしてのことらしい。

 恋人の一人が「トム・リプリー(『太陽がいっぱい』の主人公)は彼女の分身」と語っていたが、キャリアの後期になるほどリプリーシリーズの執筆が増えてゆくのは、あれが一種の私小説であり、鬱屈がたまるほどに理想化された自分を描きたくなったからなのだな、と腑に落ちた。

 

 1960年代に入り、母親と絶縁したハイスミスアメリカを離れ、ロンドン、フランス、スイスと彷徨しながら恋を重ね、書き続ける。主人公の「よるべなさ」や「奇妙な妄執」への切り取り方が絶妙なハイスミス作品もまた故郷喪失の文学といえるのかもしれない。そして、「サスペンス作家」というジャンル小説の書き手としか評価されないことへの苛立ちも。

 その昔、女友達に『ふくろうの叫び』を貸したところ、

「“覗き”を趣味にする男が相手の女性にバレる、そしたら女性が優しく部屋に招き入れてくれるなんて展開、オッさんの妄想でしょ! と思ったけど作者が女性なのが信じられなかった」

 と感想を述べられたことがあったが、女性に限らず読者の生理的嫌悪にあえて突っ込んでゆくハイスミスの感覚は、こうした日々の苛立ちの中で練り上げられていったのだろう。

 

 作家としては『太陽がいっぱい』(1955)、『ふくろうの叫び』(1962)、『殺人者の烙印』(1965)、『プードルの身代金』(1972)あたりがピークで、その後の作品は長大化し、かつてのような引き締まった印象が失われてゆくのだが、映画の中でも、アルコールへの依存と相次ぐ恋愛の破綻で精神の荒廃が進んでいった様子が語られており、切なくなる。

 スイスに建てた「要塞のような家」に籠もった80年代後半以降、私的ノートには有色人種やユダヤ人への差別的な罵倒が書き連ねてあったというのは悲しい。が、そうした鬱屈をSNS(当時なかったけど)で吐き出すのではなく、晩年の作品集『世界の終わりの物語』(1987)に収められているような、悪意に満ちた諷刺短編の数々に結実させたのは、作家としてアッパレと言えなくもない。

 

 それでも、晩年期の長編では『孤独の街角』(1986)は全盛期の代表作に肉薄する傑作だったと思うし、遺作となった『スモールgの夜』(1994)も、私は好きだ。これは『キャロル』以来の明確なゲイ小説で、ゲイが集まる居酒屋の常連客の人間模様が綴られる、いたって静謐な作品だ。『キャロル』は当時、ゲイ小説としては初のハッピーエンドを描いた作品として注目されたそうだが、『スモールgの夜』もまたハッピーエンドである。そのラストから浮かび上がる奇妙な“ほのぼの”感は『キャロル』以上に感慨深いものがあった。

『キャロル』から『スモールgの夜』へと成熟していった作家として、改めてハイスミス作品を読み直したい気もする。