星虹堂通信

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白の絶筆〜『鮎川哲也探偵小説選』で『白の恐怖』と『白樺荘事件』を一気読み!


鮎川哲也探偵小説選』(論創社

 かつては旺盛に執筆していた作家が、晩年パッタリと作品を発表しなくなり、進行中の長篇小説のタイトルだけがファンの間で囁かれるも、ついに作家の訃報によって完成の夢は断たれてしまう……という話はそう珍しいものではない。

 有名なところでは、大長編となるはずだった『叶えられた祈り』の断章だけ残して世を去ったトルーマン・カポーティ安部公房も自身の集大成と語る『飛ぶ男』をついに完成できなかったし、小松左京も晩年の大作『虚無回廊』を20年も中断したまま、再開することなく亡くなっている。
 そして、本格ミステリの巨匠・鮎川哲也(1919~2002)にも、長く語り継がれる未完の遺作が存在した。『白樺荘事件』と題されたその作品は、東京創元社の書き下ろしシリーズ『鮎川哲也と13の謎』(1988~1989)の一冊として刊行が予告されながら、ついに出版に至らなかった。80年代に鮎川ファンとなった私は、初めてリアルタイムで読める長編と期待し、刊行を心待ちにしていた記憶がある。
 鮎川哲也が亡くなって15年、絶筆『白樺荘事件』が、このたび論創社より刊行された鮎川哲也探偵小説選』に収録された。しかも、原型となる長編『白の恐怖』(1959)といっしょに。『白の恐怖』は一度も文庫化されることなく絶版となった作品で、ファンの間では「幻の長編」と呼ばれていた。じつは私も未読のままだ。それがワンセットでまとめて読める日が来ようとは。編者・日下三蔵氏の努力に感謝したい。

 さて、鮎川哲也のミステリといえば、有名な名探偵キャラクターが二人、存在する。
 一人は、鬼貫警部。アリバイ崩しを中心とした作品に多く登場する。名前はいかめしいが、ココアとクラシックを愛する人あたりのいい中年男性であり、時刻表をチェックしながら全国をマメに歩き回る足の探偵だ。
 もう一人は、星影龍三。不可能犯罪を扱った作品に数多く登場する。普段は丸ビルにオフィスを構える貿易商だが、事件のデータだけ与えられれば、たちまち解決してしまう頭の探偵。コールマン髭を生やしパイプを手放さないキザな紳士である。


「コールマン髭」と言えばこの人、ロナルド・コールマン

『白の恐怖』は星影ものに分類される。ある大富豪の遺言に従って、山荘に集められる遺産相続人たち。大富豪の未亡人が彼らに相続の手続きを行うが、激しい吹雪によって一行は山荘から出られなくなってしまう。すると、遺産相続人が一人また一人と殺されてゆく……という、王道の「吹雪の山荘」パターン。
 古書業界でえらい高値がついていたが、入手できないこともなかった『白の恐怖』を私が購入しなかったのは、値段のせいもあるが、間羊太郎の『ミステリ百科事典』でうっかりネタバレを読んでしまったからだ。いずれ忘れるかと思ったが、あまりにも単純な構造なので、このトシまで忘れませんでした。が、一読してまぁ、これなら犯人を知らずに読んでも真相はだいたい見当つくよな、と思ってしまった。設定がシンプルで古めかしい上、300枚という短めの長編の中に6人も人が殺されるので、全体にシノプシスめいている。『りら荘事件』のような、それぞれの殺人の背景に綿密なロジックが織り込まれるという妙味がなく、犯人の隠し方も、同じ星影ものの中篇『薔薇荘殺人事件』の方がずっとあざやかだ。
 星影龍三もラストの説明役にちらっと顔を見せるだけ。なんと事件が報じられた後に「週刊誌で読んで気になった」とわざわざ警察に問い合わせてきたという設定で、口を開くのもたったの一度。あとの説明はすべて警視庁の田所警部に代行させてしまっているという始末だ。
 鮎川哲也は「名探偵」というキャラクターに深い人間描写や過剰なキャラ立てを行わず、あくまで説明役として効果的に登場させることが多い。そこが文学性よりも論理性を優先する鮎川ミステリの粋なところだが、いくらなんでもこれは物足りない。

 解説によれば、鮎川哲也が『白の恐怖』を絶版にしてしまったのは、桃源社の編集者から講談社のような大出版社には力作を渡すのに、うちが小さいから手を抜きましたね」と嫌味を言われたのが原因だという。確かに『黒いトランク』、『りら荘事件』、『憎悪の化石』を発表し、同時期に『黒い白鳥』を雑誌連載中という、戦後推理小説史に輝く傑作を連打していた時期の鮎川だけに、『白の恐怖』が大きく見劣りしたのは正直な感想だと思う。が、担当編集が作家本人にかける言葉としては、きつい。

 鮎川哲也30年越しの課題であった『白の恐怖』のバージョンアップ。それが『白樺荘事件』である。
 さっそく目を通してみれば、これは「三番館シリーズ」初の長篇小説として書かれていることがわかる。
 三番館シリーズとは、鮎川哲也の後期作品に登場する第3の名探偵「三番館のバーテン」が活躍する短篇連作だ。私立探偵の「わたし」が、依頼主の肥った「弁護士」から相談を受け調査を開始するが、まったく真相がつかめない。そこで西銀座のバー・三番館へ出向き、「バーテン」に話を聞いてもらうや、たちどころに謎を解いてくれる、というのが基本パターンで、6冊の短篇集が編まれている。
 いつも金欠で事務所の維持にも難儀している私立探偵が、なぜ西銀座の会員制バーなんぞに飲みに行けるのか? などと思うのはこちらが名無しの探偵と同じく冴えない中年男に成り果てたからで、子供のころは何の違和感もなく楽しんでいた。80年代まではそれが普通だったのかもしれない。
 三番館シリーズ最初の一冊である『太鼓叩きはなぜ笑う』の創元推理文庫版解説には、白峰良介「『白樺荘事件』は三番館シリーズとして書き進められていたらしい」と書いていたが、その情報は正しかったのだ。


「三番館シリーズ」全6冊(創元推理文庫版)

『白の恐怖』と『白樺荘事件』を読み比べると、まず冒頭のディティールがはるかにふくれあがっている。私立探偵の「わたし」が、肥った「弁護士」から「アラスカで成功した大金持ちが、遺産を親類に分配する遺言状を遺したので、その相続者を探し出し、相続承認の手続きを行ってくれ」と依頼を受ける。あとは、「わたし」が相続人たちを訪問する描写が繰り返される。これは、被害者であり容疑者でもある登場人物を事件前に印象付けるには良い手で、『朱の絶筆』でも同じように容疑者となる人々を描く第一部が存在した。しかし、うまく書きわけないと退屈になる恐れがある。『白樺荘事件』では、「わたし」北は北海道幌紋別、西は愛媛の大洲まで相続人を探して旅をするのだが、その土地の描写が、鬼貫警部もののトラベルミステリーを思い出す飄逸な鮎川節でじつに楽しく、現れる相続人たちも、芸術家がいればアル中もおり、「遺産などいらない」と言い出す者もいたりでバラエティに富んでいる。
 ところでなぜしがない私立探偵が「吹雪の山荘」まで彼らに同行し、連続殺人に巻き込まれるのかと思えば、不安を感じた相続人の一人からボディガードを頼まれるからなのだった。しかもその相続人はミステリマニアで、「遺産相続候補者が殺されてゆく」プロットのミステリを次々に挙げて行くのだが、そこで並ぶ作品はフィリップ・マクドナルドJ・J・コニントンスタニスラス・アンドレ=ステーマンという通好みな名前ばかり。鮎川哲也がステーマンの『マネキン人形殺人事件』を高く評価していることを思い出し、そのマニアックなお遊びを微笑ましく感じると同時に、「集められた遺産相続人が吹雪に閉ざされた山荘で次々殺される」という、あまりにもクラシックな設定に批評的な視点を与える作者の意図を探りたくもなる。

 さて、「わたし」の遺産相続人訪問の旅が一段落つき、第二部になって舞台はようやく軽井沢の白樺荘へと移る。なんと例の「弁護士」までこの場に集まっているとは嬉しい展開。親類とはいえ互いの顔はほとんど知らない相続人たちが集まり、アラスカ帰りの未亡人とその執事役の女性も登場する。そこへ相続人の一人が血まみれになって転がり込み、屋敷に向かう途中で襲われた、とだけ言い残して息絶える。すると犯人はこの中に?
 筆はここで切れている。
 長い人物紹介の部分が終わり、ようやく殺人事件が始まったか、と思ったところで中断とはなんとも殺生な。短篇『鎌倉ミステリーツアー』では解決篇直前で病床に倒れた推理作家の原稿を、三番館のバーテンが読んで結末を推理するという展開だったが、一人目が殺されただけじゃこの後はまるでわからない。
 ただ、登場人物の配置を見ると、どうやら『白の恐怖』とは犯人の隠し方を変えているようだ。もしかすると真犯人も変更しているのだろうか? それとも新しいトリックが? すでに第一部の中に仕掛けを誘導する伏線が仕組まれているのでは……などと夢想はどこまでも広がってゆく。

 ひとつ気になるのは、探偵役の「バーテン」がいつ登場する設定だったのだろう、という点だ。
 いかに探偵と弁護士が山荘に出張したからと言って、バーテンさんまで雪の軽井沢に現れ「名探偵 皆を集めて 『さて』と言い」というわけにも行くまい。やはり『白の恐怖』同様、連続殺人が進んで、容疑者と思われる人物が死亡し一段落、帰京した「わたし」が立ち寄った三番館で、バーテンに白樺荘での体験を告げるや、意外な真相が浮かび上がる……という展開だったのではないか。
 しかし、これは「三番館シリーズ」初の長篇。解決までいつものパターンでは、いささか曲がない。なにかファンサービスになるような試みを施すつもりだったのではないだろうか?

 それは例えば、「バー・三番館の設定があきらかになる」というような。

 もしかすると、「バー・三番館は、丸ビルにオフィスを構える貿易商が、引退後に始めた店だった」などという秘密が……。

 色白の細面で芸術家肌の紳士である星影龍三と、髪が薄く、達磨大師そっくりな体型である三番館のバーテンではまったく容姿が重ならないではないように思う。が、しかし、歳月の流れとは人の容貌を恐ろしく変化させるものである。ショーン・コネリーだってジェームズ・ボンド時代とカツラを外して以降の出演作では大きな隔たりがあるではないか。それに、星影とバーテンには「髭の剃り跡が青々とした」という共通の描写もある。そしてバーテンの「プロなのになぜかカクテルを作るのが下手」という特徴も、そもそも素人が道楽で始めた商売だから、と考えれば解決する。
 星影龍三が最後に登場した長篇は1979年の『朱の絶筆』だが、この時、星影は舞台となる山荘に電話をかけるだけで謎を解いてしまい、最後まで姿を見せない。三番館シリーズ第1作『春の驟雨』が発表されたのは1972年だから、星影はすでに往年の名探偵イメージとはかけ離れた容貌となったのを見られるのを嫌い、現場に出動することを避けたのではなかろうか。もっとも、『朱の絶筆』は1974年に原型となった中篇が書かれており、そこでは星影はいつも通りの姿を見せている。作者はある時点でこの一人二役を思いつき、長篇版で書き改めた、とは考えられないだろうか。

 天才型で傲岸不遜、キザで嫌味な星影龍三が、いつしか体型とともに性格まで円熟し、しかしその推理力だけはさらに研ぎ澄まされた姿こそ、三番館のバーテンであった……。こんな魅力的な裏設定をあきらかにすることで、長く続いた三番館シリーズにオチをつける構想を持っていたとしたら、作者はなぜそれを書き続ける意欲を失ってしまったのか?
『白樺荘事件』は平成3年が舞台となっており、つまり1991年には鋭意執筆中だったと考えられる。ちなみに、三番館シリーズ最後の短篇『モーツァルトの子守唄』の発表も1991年だ。しかしその数年前、鮎川哲也と同世代にあたる、有名推理作家の某長篇が、結末でそれまで別個に活躍させてきた二人の名探偵キャラクターが、じつは同一人物だったと暴露する、同じようなアイディアをすでに書いてしまっていることに気づいたのではないだろうか? その仕掛けを先取りされた失望感が、執筆を継続する意欲を失わせる原因だったとしたら……。

 と、『白樺荘事件』の続きを思いやるうちに、妄想はとめどめもなくふくらんでしまった。偉大な本格推理作家に対し、いささか卑小な勘繰りだったかもしれない。鮎川哲也には『白樺荘事件』のほかにも、短篇『竜王氏の不吉な旅』や『金貨の首飾りをした女』を長篇化する構想もあったと聞く。1998年出版の『鮎川哲也読本』では、芦辺拓二階堂黎人のインタヴューに対し「もう鬼貫物は書けません。書くなら星影物ですね」と発言してもいる。
 だが、実際は『白樺荘事件』を中断したまま、鮎川は雑誌「本格推理」編集長、そして「鮎川哲也賞」選考委員として、新人の発掘や旧作の復刻などの業務に集中するようになる。鮎川哲也がなぜ創作の筆を置いたのか、それは読者に残された最後の「謎」として、それぞれが推理を働かせてみるべきものなのかもしれない。

 さて、原稿も書き終えたことだし、ここは私立探偵の「わたし」にならってギムレットを一杯ひっかけたい気分。いや、事件解決前のバイオレットフィズにしておくべきか……。