星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

佐藤哲也『イラハイ』読書会に参加して思い出したこと

 先日、知り合いがオンラインでやっている読書会で、8月に亡くなった佐藤哲也のデビュー作『イラハイ』(1993)を課題本にするというので、参加してみました。

 

 普段は思想書をメインとする読書会なので、常連のみなさんがサトテツ作品をどう受け止めるのか、愛読者としてはやや心配だったのですが、作中でひんぱんに展開するソ、ソ、ソクラテスプラトンか的思弁ギャグよりも、「架空の歴史書叙事詩のパロディ」というスタイルに注目する人が多かったのが、「へぇ」と思いましたね。ここぞとばかりに『熱帯』(2004)や『サラミス』(2005)の宣伝をしてもよかったのだけど、突然マニアがえんえんと語り出すわけにもいかず、ぐっと抑えながらみなさんの意見を楽しく拝聴しておりました。

 また、『イラハイ』の冒頭は「その昔、とあるところにひとつの家に住むふたりの男があった。」で始まり、結末は「双子の兄弟は(中略)、ひとつの家を建ててふたりで暮らしたと伝えられる。」と終わる、円環構造になっているのですが、この構造の中に、キャラクターやギャグや文体の遊びが精緻に配置されている点が、非常に音楽的に感じた、という意見があり、これは蒙を啓かれた思いがしました。

 佐藤哲也作品は『沢蟹まけると意志の力』(1993)や『トポス』(2020)でもリフレイン(くり返し)ギャグを効果的に使用したし、『下りの船』(2009)や『シンドローム』(2015)などの後期作品になると、同じ長さの文章を一行ごとにえんえん並べたり、リズム重視の文章をページいっぱいに展開したりという技法を多用しているのですが、一種の音楽的演出として持ち込んだ、独特の技法だったのかもしれません。そもそもネタ元であるギリシャ古典は吟遊詩人が語ったものですからね。

 また、ユーモアたっぷりなのに、キャラクターに萌え要素を抱かせないのがサトテツ作品のクールなところですが、音楽的な計算のもとにキャラが配置されているところに秘密がありそうです。

 

 かくいう私は『イラハイ』を刊行当時に読んでいます。日本ファンタジーノベル大賞の受賞作は第一回から欠かさずに読む習慣があったからですが、もっとも衝撃の大きかった作品をひとつ挙げるとするとコレですね。

 構想の巨大さ、小説の完成度以上に、「文学でモンティ・パイソンをやっている人が現れた!」という喜びが勝りました。ユーモアを得意とする作家は、その出自というか源流が作品からにじみ出ることが多く、例えば小林信彦筒井康隆は、マルクス兄弟や珍道中シリーズなど、終戦直後に公開されたハリウッド製の喜劇映画から強く影響を受けていたし、横田順彌古典落語の教養と杉浦茂谷岡ヤスジなど戦後ナンセンス漫画の味を感じさせ、とり・みきが80年代に描いていたギャグ漫画は、ZAZトリオのパロディ映画に通じるものがありました。

 その中で、佐藤哲也の源流はあきらかにモンティ・パイソンで、『イラハイ』を『ホーリー・グレイル』(1976)や『ライフ・オブ・ブライアン』(1979)に例えるなら、次作『沢蟹まけると意志の力』は『人生狂騒曲』(1983)にあたるでしょうか。サトテツファンはこの発展にいっそう喜んだものだけど、これが『熱帯』になると、扱う思弁はより雄大に、登場するギャグはより脱力的になり、それでいて『イーリアス』のパロディという、とてつもない作風を確立され、どこまで鑑賞できているか自信がなくなったものです。

 フラン・オブライエンやデヴィッド・ロッジ、トマス・ピンチョンらの潮流を受け継ぎながら、さらにスマートかつ俯瞰的な作品を紡ぎ出す、唯一無比の作家として畏敬の念を抱いていました。

 

 10年あまり前、初めて佐藤哲也さんにお目にかかった際に、よくあれだけ独特な小説を今の出版界で発表できますね、と訊いたところ、

「いや、私の長篇で(出版社から)頼まれて書いたものはありませんよ

 と言われ、改めて孤高な存在であることを知ると同時に、どれだけの困難の中であのレベルの作品を描き続けているのか、慄然としたものです。

 10月に行われた佐藤哲也さんの追悼ミサは、なんと私が結婚式を挙げた教会で行われるという、不思議な縁を感じさせました。参列者には、夫人の佐藤亜紀さんから『下りの船』が手渡されたのですが、これはSFのスタイルを借りて描かれる、移民たちのエピソード集であり、まさに後期の代表作といえる架空の歴史小説。ロシア・ウクライナ紛争やイスラエルのガザ攻撃が現在進行中に今、間違いなく理不尽な暴力に満ちた「現代」を照射した文学として読めることでしょう。

 そういえば、怠惰なことに佐藤哲也さんから強くお薦めされたトーマス・ベルンハルトを未だに読んでないことも思い出しました。来年こそは読みましょう。でもこれは哲也さんの薦め方にも問題があったと思うのです。

「私はベルンハルトを読んで5年小説が書けなくなりましたよ!」

 と言われて読書欲が高じるものでしょうか?