星虹堂通信

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平たく言やぁ、意地ってやつだ〜前田啓介『おかしゅうて、やがてかなしき 映画監督・岡本喜八と戦中派の肖像』

 2024年は映画監督・岡本喜八(1924〜2005)の生誕100周年。

 ということで、年始に出版された前田啓介『おかしゅうて、やがて悲しき 映画監督・岡本喜八と戦中派の肖像』を読んだ。著者は1981年生まれの読売新聞記者だが、映画記者ではなく、文化部で近代史を担当しているという。すでに『辻正信の真実 失踪60年—伝説の作戦参謀の謎を追う』や『昭和の参謀』などの著作がある。

 

 これは岡本喜八の「評伝」ではない。なので、映画製作の話を期待して読むと肩透かしを食うだろう。本書のテーマは岡本喜八という個人を通して、「1924年生まれの戦中派の心情を探る」というもの。しかし、監督の作家性に興味のあるファンや、『独立紅蓮隊』シリーズに『日本のいちばん長い日』、『肉弾』などに感銘を受けたファン、さらに戦時中の日本に関心のある近代史マニアには、非常に興味深い一冊であることは間違いない。なんせ岡本監督学生時代の日記などという貴重資料が発掘され、そこには東京で青春を謳歌する喜八青年の姿や、黒澤明のデビュー作『姿三四郎』や小津安二郎『戸田家の兄妹』を観た感想などが記されているのだ。

 

 数多くの戦争映画を撮った岡本喜八だが、じつは実際の戦場に立った経験はない。強烈な戦争体験としてくり返し語ったのは、1944年に召集され陸軍工兵学校に入学した後、豊橋陸軍予備士官学校へと転属となった時のこと。1945年4月30日、学校に到着した彼らに米軍機が一発の爆弾を落としていった。喜八はこれを「生存者三人」の大惨事だったと書き、この時の経験が、生と死を紙一重で分ける戦争の現実として深く刻み込まれたとくり返し語るのだが、著者はまずこれを事実か否か、執拗に確認する。

 豊橋の空襲といえば6月19日の空襲が有名だが、この4月30日の事件はほとんど知られていない(豊橋出身で当時小学生の母に訊ねたが聞いたこともない、との返事)。この事件、本当に岡本喜八が記すような大惨事だったのか、同窓生の中には疑問を抱く者もいるという。はたして実際の被害規模は? 監督は証言を「盛った」のか?

 この疑問を皮切りに、喜八映画の「戦争観」に切り込んでゆく過程はなかなかにスリリング。そんな著者なので、『日本のいちばん長い日』で描かれる、8月15日未明の児玉飛行基地から日本のポツダム宣言受諾を知らされぬまま、神風特攻隊の青年たちが飛び立ってゆく場面の「史実」や、『激動の昭和史・沖縄決戦』に向けられた、「日本軍による沖縄人差別が希薄」という批判を無視しない。

 戦争映画における史実とその脚色例をチェックすると同時に、戦争体験を引きずった「戦中派」キャラクターへの監督の思い入れも読み解いてゆく。『江分利満氏の優雅な生活』の江分利満、『にっぽん三銃士』の黒田忠吾、『近頃なぜかチャールストン』の陸軍大臣……。一方、こうした<戦中派の感慨>をノイズととらえる人もいて、『江分利満氏の優雅な生活』よりも『ニッポン無責任時代』を採ると語る村上春樹や、『ダイナマイトどんどん』の失敗はクライマックスにおける「戦中派の心情吐露」だとする小林信彦らの意見も紹介され、なぜ監督がそう描かざるを得なかったかを理解する一助となる。

 岡本喜八が1970年代後半、徴兵忌避者に関するリサーチをかけていたことは知らなかった。これは『近頃なぜかチャールストン』の一場面へと結実するのだが、戦中派が「徴兵忌避者」をどう見ていたかの分析から、戦争を否定しつつ仲間を見捨てることは許さない岡本映画の「心意気」に迫るのも鋭い。『どぶ鼠作戦』のラスト、主人公たちが“逃亡した”と受け取る人がいて弱った、と監督が語っていたのを思い出す。その辺りの岡本映画の独特の温もりは、実際の戦場を経験していないからなのかもしれない。

 

 本書では『にっぽん三銃士』の原作者である五木寛之にまで取材しており、五木は「喜劇は非人間的な撮り方をしないとできない。人間を人間として尊重しすぎたら、喜劇は撮れないと思います。(略)それがやっぱり、岡本さんは人間的にできなかった」と語っている。その喜劇作家としての致命的弱点が、逆に今も岡本ファンを生み出し続けているのだ、と結論づけられる部分は出色で、同じ喜八ファンとして深くうなずかされた。

 ちなみに私、五木寛之がよく講演などで「生かされる命」と語るのを「誰が生かしてんだよ!」といささか気色悪く感じていたのだが、その発言の裏には12歳の終戦時に朝鮮の平壌から開城まで徒歩で脱出し、2年かけて日本に引き揚げたという過酷な体験から来ていると知った。1932年生まれの五木は世代的には戦後派だが、岡本喜八と同じく「死んだ者と生き残った者の運命の相違」についての屈託を共有していたのだ。

『にっぽん三銃士』二部作を改めて見返してみようかと思う。