星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

映画『ムーン・ウォーカーズ』に足りなかったモノ

映画『ムーン・ウォーカーズ』予告編

「『ムーン・ウォーカーズ』? ああ、マイケル・ジャクソンが巨大ロボや宇宙船に変身する、ケッタイなSF映画だっけ?」
 なんてトシがばれるボケではじめてみました。みなさんおひさしぶりですがいかがお過ごしでしょうか。
 いろいろ書きたいネタがたまっていますが、予告編を見た時から気になっていた、アントワーヌ・バルド=ジャケ監督の『ムーン・ウォーカーズ』を観て来たので、その感想をば。

アポロ11号は月に行ってない! あの着陸映像は、スタンリー・キューブリック監督による捏造映像だった!」
 という、有名な陰謀論をネタにしたこのコメディ、ポスターのタイトルロゴは『時計じかけのオレンジ』だし、宇宙飛行士のヘルメットをあしらったデザインは『フルメタル・ジャケット』を彷彿とさせる凝ったもの。まさにキューブリックファンには見逃せない作品であり、実際、ヒューマントラストシネマ渋谷のロビーには、『2001年宇宙の旅』に関する著作を持つ文芸評論家T氏の姿も見えたほどです。

キューブリックを意識したと思しきポスター

 ちなみに、「アポロ月面着陸映像=キューブリック捏造説」が広く知られるようになったのは、2002年にフランスのテレビ局が『Opération Lune』というエイプリル・フール用の偽ドキュメンタリーを放送してから。なんとキューブリック夫人であるクリスチアーヌや、その弟であるプロデューサーのヤン・ハーランまでもが証言者として登場する豪華版、非常に芸の細かいジョーク番組だったわけですが、世の中にはこの手の「真顔のユーモア」が通じない人がいるもので、「エイプリル・フール用の冗談番組というのは、真意を隠蔽するための建前である!」などと裏目読みする人が後を絶ちません。キューブリックの『シャイニング』をネタに展開する陰謀論(という名のタワ言)を集めたドキュメンタリー『ROOM237』でも、この説を元に独自の妄想を展開する人が登場しました。
 日本では、ビートたけしの番組で紹介された『Opération Lune』、当時の動画がYou Tubeに上がっているので興味のある方はどうぞ。この動画ではカットされているけど、VTR終了後にこの番組が「エイプリル・フール用」であることはいちおう伝えていた、と記憶します。



アポロ月面着陸映像は本物か?捏造にキューブリックも関与

(1)https://www.youtube.com/watch?v=IlNlsP_4UFM

(2)https://www.youtube.com/watch?v=VIctaJO3TtY


 さて『ムーン・ウォーカーズ』ですが、ミシェル・ゴンドリーを擁する制作会社「パルチザン」の製作で、フランス・ベルギー合作のインディペンデント映画。これが長篇第一作のアントワーヌ監督はフランス人、脚本は『ハウエルズ家のちょっとおかしなお葬式』を書いたイギリス人のディーン・クレイグですね。

 お話は、ベトナム帰りのCIA諜報員キッドマン(ロン・パールマン)が、上司から「アポロ11号の月面着陸が失敗した時の保険として、キューブリックに偽の着陸映像を撮らせろ」という命令を受けるところから始まります。この上司はでかい葉巻をくわえて仰角アングルでとらえられ、あきらかに『博士の異常な愛情』のタージドソン将軍をイメージした造形になっているのがまずオカしい。
 さて一方、ロンドンでは売れないバンドのマネージャーで借金まみれのジョニー(ルパート・グリント)が、芸能エージェントをやってる従兄を訪問、金策の相談をするも冷たくあしらわれているところ。この芸能エージェントの内装がどう見ても『時計じかけのオレンジ』をイメージした近未来モダンなのも、映画ファンの口元をほころばせます。
 が、そこへ足を踏み入れたキッドマン、ジョニーをオフィスの代表と勘違いし、スタンリー・キューブリックへの面会を求めてしまう。渡りに船とばかりに、ジョニーはルームメイトの俳優で麻薬中毒者でもあるレオン(ロバート・シーハン)を偽者のキューブリックに仕立てて、予算をまんまとだまし取る。が、それは借金取りのマフィアたちに奪われてしまった。だまされたと知ったキッドマンはたちまちジョニーたちの所在を突き止め、返す刃でマフィアたちをぶちのめして金を奪い返す。そしてなんとしてもアポロの月着陸予定日までに映像を作れとジョニーに迫る……。

 アポロ11号の月面着陸陰謀説をネタにした映画としては、ピーター・ハイアムズ監督『カプリコン1』がありましたね。こちらは、NASAが火星への有人飛行を行うが、生命維持装置に致命的な欠陥があることが判明、計画の失敗が国に知れたら予算を打ち切られてしまうので、三人の宇宙飛行士を打ち上げ直前にこっそり隔離、八百長のスタジオ映像で火星着陸を演出する。が、宇宙船が故障で地球に戻れなくなったため、「ってことは、俺たち消されちまうじゃん!」と生命の危機を感じた三人の飛行士が隔離施設から脱走する政治サスペンス劇でした。
 また、『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』もありました。こちらでは、アポロ11号は月へ行ったものの、じつはそこでサイバトロン星の宇宙船と接触しており、放映された着陸映像は世間を欺むくためのものだった。その後、アメリカの宇宙開発計画が縮小したのは、あの日から宇宙人との交渉が始まっていたからだ……、という大胆な陰謀論が展開しました。

『ムーン・ウォーカーズ』は、これら陰謀論サスペンスがあまり注目してこなかった、肝心の「捏造映像」の裏側に着目した点は評価したいところです。その上、若者文化の発信地として盛り上がっていた1969年当時の「スウィンギング・ロンドン」再現は非常に楽しく、そこのロンドンっ子と堅物アメリカ人がコンビを組んで、途方もないミッションに挑むことになる、というバディ・ムービー風な展開も悪くない。
 が、これらの秀逸なアイディアの種子が後半で豊潤な果実を結んでくれるのかというと、残念ながら、そうはならない。後半はキューブリックともアポロ計画とも無関係に進みます。

 捏造映像の製作を請け負うことになるのは、レナータス(トム・オーデナールト)というアンダーグラウンドの映画監督ですが、彼のアトリエはドラッグがあふれたヒッピーたちのたまり場となっており、あきらかにアンディ・ウォーホルの「ファクトリー」をイメージした作り。レナータスは巨漢のゲイで、撮っている作品といえば裸のデブたちがトランポリンの上でボヨンボヨン飛び跳ねているのをスローモーションでえんえん見せるだけというシロモノ。こんな自称前衛芸術家にリアルな月面着陸場面が撮れますかね? いや、ラリラリのヒッピーたちが協力して偽の月面映像製作という目標に突き進むのなら、面白い展開がありえそう。だがこの映画、その辺のメイキング的要素にはまったく重きを置いてくれないのでした。非常に残念。レナータス監督が執着していた「跳ねる」というモチーフを、いかに月面で「跳ねる」宇宙飛行士の描写へと結びつけたかの芸術的達成にもポイントを置いてほしかった。
 しかもクライマックスで展開するのは武装したCIA部隊と、地元マフィアたちの悪趣味な銃撃戦なのですよ。な、なんだこれは(岡本太郎の顔で)。この話はタカ派のおカタいCIA局員が、不承不承つきあったヒッピーたちの学園祭じみた映像制作に巻き込まれ、ついには自ら宇宙飛行士を演じてスタジオの月面に星条旗をぶっ刺し、その姿がどういうわけか全世界で中継されてしまう、そんなイカれたコメディではなかったのか。なにが悲しゅうてマシュー・ヴォーンの出来損ないみたいな銃撃戦を見せられねばならんとですか〜?
 パンフレットのプロダクションノートによると、監督はコーエン兄弟の『ビッグ・リボウスキ』やガイ・リッチーの『スナッチ』が念頭にあり、あのスタイリッシュな演出を真似したかったみたいなんですね。しかし、ここで真に参考にすべきはルビッチの『ニノチカ』やワイルダーの『ワン・ツー・スリー』といった、「異文化衝突コメディ」だったと思うなぁ。

 べつに諷刺喜劇としての古典的完成度を求めたいわけではないのです。新しい感覚で攻めてくれてまったくかまわない。でも、キッドマンを演じるロン・パールマンは、『ヘルボーイ』以上に地獄からの使者じみたCIA局員なんですが、ベトナム戦争で経験した悪夢がフラッシュバックしては苦しめられているという設定なんですね。アポロ計画と表裏一体の存在であるベトナム戦争への目配せはわかりますが、戦地の犠牲者たちをゾンビめいた悪夢キャラとして登場させておきながら、ファッション以上の意味を持たせないのは、少々無神経に感じるところ。
 薬物に屈しないように鍛えられている、と豪語するキッドマンが特別にカクテルされたドラッグでトリップする場面があるのですが、ここで展開するサイケデリックな幻想は、一瞬だけ『2001年』と思わせるのだけど、どうやらロジャー・コーマン監督『白昼の幻想』のトリップ場面のパロディとなっているようです。うーん、ここも『博士の異常な愛情』の脚本家テリー・サザーンが書いた、『イージー・ライダー』のトリップシーンをさらってくれれば、キューブリック関連のネタで押せたのに惜しいなぁ。

 そう、テリー・サザーン! 彼の脚色だったらこのドラッグ&ゲイカルチャーにまみれたコメディがどう料理されたか、想像の翼を広げずにはいられませんでした。
 キューブリック監督の『博士の異常な愛情』、デニス・ホッパー監督の『イージー・ライダー』、イヴリン・ウォー原作『ラブド・ワン』、ナンセンス大作『マジック・クリスチャン』、ジェーン・フォンダ主演の『バーバレラ』などなどの脚本家であり、エロティック・コメディ『キャンディ』の原作者として映画ファンに名高いテリー・サザーンですが、「小説家」としての側面については、今月の「新潮」(2015年12月号)に掲載された川本直の評論「テリー・サザーンのヒップな世界にようこそ」に詳述されています。

Terry Southern(1924〜1995)

 私も小説家としてのサザーンについては、早川で出版されていた『怪船マジック・クリスチャン号』と、角川文庫の『キャンディ』しか読んでおらず、いかにも「戯作者」の印象しか抱いておりませんでした。川本氏の評論を読んで、彼の活動の根幹には文学への思いがあったことを知り、さっそく10年ほど前に出た短編集『レッド・ダート・マリファナ』を入手、目を通しました。やはり冒頭の一篇『ヒップすぎるぜ』が図抜けて面白い。ジャズファンの白人学生と黒人ジャズメン夫妻との刹那な友情と別離を描いた小品ですが、簡潔にして深く、どこか不条理劇的な味も残します。彼の映画脚本の代表作は、哄笑の底に現実とは距離を置いた者の視点、先が見えすぎた道化師の孤独がにじみ出ていることにも気づかされました。

 アメリカ人CIAとロンドンっ子の出会いを描く『ムーン・ウォーカーズ』のラストにも、ちょっぴり皮肉を効かせたオチが用意されてはいるのですが、やはりサザーンの諸作を思い返すと、未だし、未だし。なんとも皮相的な段階と思わざるをえないものでした。60年代の文化を素材に、「スタイリッシュ」な雰囲気はそこそこうまく抽出できたかもしれないけども、そこから現代を見返す「ヒップ」な視点が欠けている。そういう笑いこそ、ベトナム戦争の時代と同じく、政治の裏に血と暴力が存在することをはっきり匂わせる現代に求められていると思うのですが。