
「午前十時の映画祭」で再上映されたスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』(1968)と『時計じかけのオレンジ』(1971)を、池袋グランドシネマのBESTIAシアターで観賞できた。
私の耳がこうした極上音響と相性悪いのか、高音や重低音が響くたびに左の鼓膜がビリビリ震えるのに参ったが、ひさびさに大画面で再見し、ファンタスティックな映像の芸に酔った。
『2001年宇宙の旅』は、月に基地ができる時代の宇宙計画を予想し、莫大な予算をかけてセットを築き、綿密な科学交渉で描きながら、人間の「先」にある姿を描こうとした作品で、『時計じかけのオレンジ』は低予算、ロケ撮影、同時録音の即物的なリアリズムで未来の不良少年を戯画的に描きながら、人間の変わらぬ「業」を描いた作品である。アプローチは真逆でも、両者には「人間」を洞察する眼差しがあり、その洞察から飛翔した想像力は、50年以上経っても色褪せない。
そこで思い出したのが、「SFマガジン」1961年12月号に掲載された座談会「映画/SFはSF/映画に何を期待できるか」だ。
出席者は円谷英二(特技監督)、本多猪四郎(監督)、安部公房(作家)、佐野洋(作家)、相島敏夫(科学評論家)、福島正美(編集長・司会)の6人。
なぜか安部公房全集にも収録されていないこの座談会、今読み返すと、『2001年〜』以前のSF映画環境がうかがえてなかなか面白い。安部の発言を中心に抜粋してみよう。
ちなみに1961年後半の安部公房は連続ラジオドラマ『お化けが街にやって来た』を終了し、長編『砂の女』と映画脚本『おとし穴』を執筆中という作家としての絶頂期にさしかかりつつあった。本多猪四郎と円谷英二はこの年の7月に『モスラ』を公開し、円谷は戦争映画『世界大戦争』を、本多はアクション映画『真紅の男』を手がけている。佐野洋は作家デビューして3年目だが、すでに短編集を3冊、長編は10冊以上も上梓している恐るべき新人だった。
司会の福島正美による「日本のSF映画はどうしたらいっそうの脱皮ができるのか?」という問いかけから座談会スタート。その上で、円谷英二が手がけた『世界大戦争』とネヴィル・シュート原作のアメリカ映画『渚にて』(1959)の影響関係を訊ねたり(円谷は原作も映画も見てないが、本多によると森岩雄と田中友幸が原作の抜粋が出た時点で研究を始めていたそう)、相島敏夫がジョン・ウィンダム原作のイギリス映画『光る眼』(1960)やディズニー映画『うっかり博士の大発明 フラバァ』(1961)は面白い、あれは突飛な発想に科学の裏付けがなされているから実感が出ているのではないか、と指摘したりする。円谷英二が「われわれだって『ゴジラ』や『美女と液体人間』で科学を無視していることはない」と絵空事に終わらないための苦労について語るが、そこへ、安部が口を挟む。
安部 ぼくはちょっと反対意見なんですよ。ぼくはだいたい医学をやっているものだから、『液体人間』はまぁないだろうと思うんです。でもぼくはああいうへんなものは好きなんです。あの映画がちょっと弱かったのは、ぼくの感じではちょっと遠慮しすぎているからだと思うんですよ。その点で、はじめからどうせウソの話だと……極端な例をあげるとね、『ガリバー旅行記』は読んでおもしろい。だけど馬の国があるなんてそんなばかげたことはない。でもそんなことをいっていたら、あの話のおもしろさがなくなるんですよ。もちろん馬の国はない。小人国もない。ないけれどもおもしろいわけですよね。そこへ割り切ってしまうことがSFのFのほうね。だからぼくは『液体人間』をよけい見たんですけど、あれは人間が液体になることがあり得るかどうか、ということにちょっと遠慮があってね、なにか思い切ったでたらめができなかったという気がするんだ。
円谷 それは真実ですよ。
安部 人間が液体になるかどうかはどうでもいいんですよ。むしろ液体というもののいろいろな性質がありますね、複雑な。それを、そこだけうんと科学的にすればいいんじゃないか。もう一つ、液体になった人間の悲しみね、へんないい方ですけれども、あれをそっちから逆にとったらぼくは人に訴えるんじゃないかと思うんです。映画では、液体人間の方がとても悪くなっちゃっているんですよ。考えてみれば人間なんてみんな液体みたいなところがあるでしょう(笑)。そういう部分を生かして人間の液体性の悲しみを訴えていったら、相当切実なテーマを持った—もちろん戦争反対というテーマじゃないけど、なにか変わったものができるんじゃないか。
ここでの安部の主張は『美女と液体人間』公開時に書いた映画時評「ストーリーという罠」と同一で、ようやく制作者に持論を届けることができた、ということになる。
さらに福島正美が『渚にて』や『世界大戦争』のような警世的なもの、『美女と液体人間』のようなスリラーもの、科学的なロマンチックな夢を託したファンタジー、こういうSF映画がどんどん作られることがまず重要だ、と言うと安部はこう主張する。
安部 ぼくはね、ひねくれた言い方をすると、『渚にて』よりは『ゴジラ』とかああいうものの方が好きなんですよ。やっぱりほら、ああいう映画のおもしろさね。これはまぁ、もちろん見せものですよね。だからそれはそれまでのものという限界はもちろんありますけどもね、でも『フランケンシュタイン』とか『透明人間』ていうものがありましたね。あの当時は『透明人間』なら透明っていう映画の技術が見せ場で、原作以上に普及してますが、原作を読んでみると『透明人間』は非常にいい作品なんです。映画でも透明人間の苦しみがかなり出ていましたけれども、原作はそれ以上にそこがよく書けていました。『フランケンシュタイン』はみにくい男の悩みを書いてあるんですよ、小説は。つまりあまりにも自分がみにくいためにだれからも愛されない。原作はあの当時は怪奇趣味の見せものとして、グロテスクなところを見せたんでしょうけれども、あれで悲しみを描くと芸術の世界になっていく。だから『渚にて』が悪いっていうんじゃなくて、そういうところにいきなり行くんじゃないルート、『ゴジラ』でもなんでもいい、ああいうスペクタクルを通じて、未知を描くっていうか、ああいう面白さを通じて何かが出てくるというルートもぼくはあると思うんです。
円谷 それはあると思いますね。
安部 それをぼくはいちばん期待したいですね。

ここで安部が期待した「ルート」を、東宝はその後、発見できただろうか。小松左京原作の『日本沈没』(1973)、『さよならジュピター』(1983)に活路を見出しかけたことはあったが、50年以上かけて、『シン・ゴジラ』(2016)と『ゴジラ−1.0』(2023)でようやくゴジラ映画の枠を拡大して見せたことを思うと、その可能性の開拓は未だ充分とはいえないように思える。
さらに話題が進み、相島が「しかしSFは翻訳ものが多いんですけど、日本の作家はもう少し出てこんですかねぇ」と問題提起、安部が「これはどうも……(笑)」と頭をかいた上で、「SFは日本では今までマーケットがなさすぎた。この辺でそういう習慣というのか、それをぶち破る必要がある」と言い出す。マンガやアニメ含めSF的設定の作品であふれ返る21世紀では信じられない言葉だが、当時(1961年・昭和36年)は「SFマガジン」が創刊してやっと2年、まだまだ「SF(サイエンス・フィクション)」という言葉の浸透度は低かった。日本人作家による長編SF小説さえ、せいぜい1959年に安部公房の『第四間氷期』が一作あるのみ、「戦後初の日本作家によるSF長編」と目される今日泊亜蘭『光の塔』の出版はこの座談会の翌年(1962年)なのだ。
佐野 (注・アメリカでは)文学市場とエンターテインメント市場が分かれているでしょう。日本では分かれてないんですよ。そして、エンターテインメントも、文学市場に近づいたものを要求される点がある……。
安部 それはかえっていいんじゃないですか、結果としては。たとえばホフマンなんて、あれは今では大文学者だろうけれども、書いている雑誌はあの当時の婦人雑誌だそうですよ。ぼくはSFでも、たとえばそれがスペクタクル映画であっても、空想科学ものであっても、何であってもね、作家がそれに全力をぶち当てるっていう場所が、ほんとうにそれに賭けるっていう場所がないとだめだと思う。でないと遊びになってしまう。特に空想科学ものは、お膳立てだけつくればいいんだっていうような雰囲気じゃ、やっぱり出てこないと思うんですよ、いいものは。作家がそれに賭けるっていう場所がないとね。これは娯楽小説で—これは高級な芸術だっていう区別があまりあると、ぼくはやっぱりSFも育たないって気がするな。
佐野 ただくっつきすぎてくると、娯楽小説として心魂を傾けて書くものとそうじゃなくて文学的になったものと、そういう点で少し違ってくるんじゃないですか。
安部 ぼくはそうじゃないと思うんです。日本は高級文学っていうとかならず私小説みたいなのが出てくるんだ。ぼくはそれは認めない。実際は本来区別がないものだと思うんです。
円谷 映画の場合もいえますね。
「荒唐無稽」で「漫画的」なSFものは、当時メインカルチャーよりも一段低いものと見られていた。だからこそ、安部は純文学と大衆文学の区分けを念頭に置かず、作家が本気の作品を書くことで、その段差を突破することができるはず、そのための舞台が必要だと主張する。
座談会は進み、SF映画やSFマガジンは女性の観客や読者が少ないがどうしたら増やせるか、いやコンテストの応募者には女性もずいぶんいた、『モスラ』は夏休み映画だからレジャーに負けると思ったら大ヒットしたがなぜだろうか、顕微鏡映像の記録映画を見れば、アメーバの捕食や神経の成長過程なんてちょっとしたスペクタクル映像だぜ、といった話題が続き、「大衆性」と「芸術性」をいかに結びつけるか、というテーマでまとめに入る。
福島 今度は逆に、映画の側としてですね、現実に今後どういった原作が出てほしいかということを、円谷先生にお話願いたいんですが……。
円谷 『禁断の惑星』(1956)、あれは非常におもしろかったですね。いままでの空想ものと違って味も深みもあった。ぼくはああいう映画こそわれわれの映画だと思ったんですが、これがどうも成績が悪かった。
相島 そうですか。あれはぼくは非常にいいと思った。
(中略)
相島 『禁断の惑星』は題名が悪かったんじゃないか。
安部 やっぱり大衆性に欠けているかも知れないな。
相島 ぼくはあの程度のものがほしいと思ったな。
安部 『禁断の惑星』もいいけど、ぼくは『キング・コング』が持っていたような素朴な大衆性も、やっぱりあくまでも必要だと思うんだね。必ずしもそういうスペクタクルのばかばかしさを殺さずに—なにか新しいああいうもののおもしろさっていうのは、一種の怪談のおもしろさに通じるところがありますね。だからそういう意味で、欲をいえば、ああいうものを生かしながら、しかもなにか出していくという方向がつかめるといいんじゃないかと思うんです。
(中略)
本多 まぁ、これからひとつ、きょうなんていい機会ですけれども、安部さんや佐野さんに映画の方にも……いい原作を書いていただいて……。
円谷 ほんとう、テレずに。
本多 そうしたら、われわれのほうで大いに映画にしましょうよ。
円谷 『モスラ』の場合も、気を強くしたのはあのお三方(中村真一郎・福永武彦・堀田善衛)が非常に一生懸命、投げずにね、おちゃらけずにまじめに書いてくれたんです。大へん力強かったんです。今後とも安部さん、ひとつお願いできるときは時代が来たと思って……。
安部 佐野さんと合作しますか。(笑)
相島 科学の進歩が空想を追い越しそうな時代ですからね。空想家もしっかりしないと追い越されますよ。

安部公房はその後、『砂の女』、『他人の顔』、『人間そっくり』といった、広義のSF小説を連発し世界的前衛作家の座を獲得する。1962年にはSFテレビドラマ『お気に召すまま』を監修し、東宝での製作を予定して『第四間氷期』の脚本も執筆しているが、こちらは未製作に終わった。円谷英二とのコラボレートが実現しなかったのは残念だ。
本多猪四郎と円谷英二のコンビは、その後も『妖星ゴラス』(1962)、『海底軍艦』(1963)とSF精神あふれる特撮映画を連打するが、1962年公開の『キングコング対ゴジラ』が国民的大ヒット。ゴジラシリーズは子供向けの定番商品としてシリーズ化され、独自企画の特撮ものは少なくなってゆく。
代わって円谷英二は「円谷プロ」を設立、『ウルトラQ』から『ウルトラマン』を生み出し、現在にも続く金字塔を打ち立てた。
佐野洋は1965年、早川書房の「日本SFシリーズ」一冊として『透明受胎』という作品を発表。SFというよりも風変わりなミステリだが、現代の怪談的面白さはある。
この時代、「SF」を啓蒙するために孤軍奮闘していたSFマガジンだが、その甲斐あって70年代末には『スター・ウォーズ』、『未知との遭遇』に始まるSF映画ブーム、『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』によるアニメブームが到来、「SF」がすっかり市民権を得た結果、「SFマガジン」は隔月刊誌に縮小しているのが皮肉なことだ。
しかし今、AI技術の普及により、読者が原作小説を素材に勝手にSF映画を製作することが可能な時代が到来しつつある。安部公房は自作のテレビドラマを製作するスタッフに向かって、
「君たちはカメラや機材がプロだけのものと思っているかもしれないが、これが誰でも使える時代になって、初めてテレビドラマから芸術が生まれるんだよ」
と語ったそうだが、いよいよその時代が実現しつつある今こそ、改めて「映画/SFはSF/映画に何を期待できるか」を考えてみるのは有意義なことかもしれない。
【参考記事】goldenpicnics.hatenablog.com