星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

100年目を迎えたチャップリンの『黄金狂時代』〜サイレント版とトーキー版

 抱えている仕事が大詰めで、連日作業場にこもりきりの囚人状態が続いている。

 が、6月26日の夜はどうにか一時出所の機会を捻出、すべり込んだ先は、ヒューマントラストシネマ有楽町。チャールズ・チャップリン監督『黄金狂時代』(1925)のサイレント・4K修復版の上映に行ってきた。製作100周年にして、初公開日(1925年6月26日)に合わせた1日だけの上映イベントというのだから、なにはともあれチケットだけは押さえておいたのだ。いや、無駄にしなくてよかったよ、ホントに。

 

 チャップリンの最高傑作のひとつとして名高い『黄金狂時代』だが、じつは現在流通するバージョンは、1942年にチャップリン自身が再編集を行い、音楽とナレーションをつけた、72分のトーキー版。1925年に初公開されたサイレント版は95分で20分以上長い。サイレント版は90年代に復元され、DVDの特典映像として収録されたものをすでに観ているが、やはり映画は初公開されたものこそオリジナル。ぜひスクリーンで観賞してみたかった。

 はたして、公開100周年を迎えた『黄金狂時代』はまさに「腐らない」名画であった。19世紀末のゴールドラッシュと遭難した入植隊の悲劇を元ネタに、そこからゾッとさせるギャグに満ちた喜劇映画をひねり出す、チャップリンのクールな創作力と、ほぼ全編スタジオ撮影という手法で己の芸を焼き付ける雄弁な表現力は、4Kの輝きを得てさらに凄味を増している。そしてこの物語は、主人公とヒロインのキスシーンで終わる方が、個人的には気持ちがいい(トーキー版では省略されている)。

 

 帰宅してBlu-rayでトーキー版を見返してみた。そうすると、これはこれでチャップリンの「周到さ」に唸ってしまうのだった。サイレント喜劇を観たことのない世代が最初に触れるには、トーキー版の方がとっつきやすいことは間違いない。説明用の字幕を外し、ショットのつなぎも整理してチャップリン自身が語る名調子のナレーションを加えているため流れは快適、わかりにくいところが微塵もない。

 最も差異があるのは後半で、トーキー版では、大晦日のパーティーをすっぽかしたことを悔いたヒロイン・リタ(ジョージア・ヘイル)が、主人公(チャップリン)に謝罪の手紙を送り、それを受け取った主人公が感激してジム(マック・スウェイン)と改めて金鉱探しに向かうのだが、サイレント版では、じつはリタが謝罪の手紙を書いたのは、喧嘩をした恋人のジャック(マルコム・ウェイト)に対してであった。意地悪なジャックはその手紙を主人公に「リタからだ」と嘘をついて渡し、「リタが自分を想ってくれている!」と勘違いした主人公が勝手に感激して出発する、という切ない恋愛模様が展開していた。この辺りは、演出家として『巴里の女性』(1923)を撮ったチャップリンが、自分の映画にドタバタを超えた要素をいかにプラスできるか模索していることがよくわかるのだが、よく考えるとリタが主人公をどう思っていたのか、が曖昧になってしまうため、ラストで二人が結ばれるハッピーエンドが唐突に感じられなくもない。また、主人公が金持ちになったからリタの心も手に入れられたんだろう、というツッコミが入る危険もある。

 

 1942年再公開のトーキー版は、10ヶ月もかけて入念に製作されたものだという。チャップリンはただオリジナルを短縮するだけでなく、保存された撮影ネガをすべて再検討、場面によってはテイクを差し替え、新世代バージョンの『黄金狂時代』を作成したのだった。これは愛着ある自作をトーキーの時代に延命させるための処置であると同時に、自らの「芸の記録」を新世代にも認知させることが主眼だったのだろう。そのため、トーキー版では有名なギャグシーンはほぼすべて残している反面、曖昧なノイズが残りかねないロマンスの部分はラストも含め大胆に省略したのだと思う。

 その甲斐あって、トーキー版で普及した『黄金狂時代』は今も名作として語り継がれる作品になった。チャップリンの洞察力や恐るべし。しかし、1920年代という時代を代表する、『キートンの大列車追跡』や『ロイドの要心無用』、ラングの『メトロポリス』やムルナウの『サンライズ』、エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』らの名作群と比較検討される対象としては、やはりサイレント版の方がふさわしい、と改めて思うのだった。

 

“若気の至り”の復活〜ピンク・フロイド・アット・ポンペイ

 

ピンク・フロイド・アット・ポンペイ』のIMAX上映に行ってきた。

 上映回数をかなり絞ったイベント上映ではあるが、ガラガラだったらどうしようかと思ったものの、さすがは新宿、9割近い席が埋まってかなりにぎやか。半数以上はオールドファンだが、若者やカップル、そして外国人も多数目についた。これなら1日1回でも1週間ぐらい興行できたのでは? と思ってしまう。

 

 オリジナル版となる『ピンク・フロイド・ライヴ・アット・ポンペイ』(1973)は日本では劇場未公開、私も大画面で観るのは初めてだ。レストアされた映像はヌケがよく、ポーキュパイン・ツリーのスティーブン・ウィルソンがリミックスした音質はナチュラルで力強く、このバンドに最も魔法が宿っていた時代をぞんぶんに楽しませる、ファンタスティックな映画が見事に甦っていた。

 改めて思ったのは、これは記録映画である以前に、優れた青春映画でもあるということだ。撮影当時のピンク・フロイドはアルバム『おせっかい』(1971)のリリース直前で、まだまだカルト・ヒーローの段階。たいした演奏技術や歌唱力も持ってないのに、音の空間演出に長け、『原始心母』(1970)のような迷宮感あふれるアルバムを生み出したメンバーたちの、勢いと自信が生々しく伝わってくる。

 特に顕著なのは、「みんな俺たちをテクノロジーでトクしてるって思うみたいだけど、じゃあ同じ機材渡してオレたちと同じことができるかってんだよ」とうんざり顔で語るロジャー・ウォーターズが、出たばかりのVCS3シンセサイザーをいじりながら「走り回って」を組み立ててゆく場面。そしてダイナミックに叩きまくるニック・メイスンのドラムプレイ。ニック・メイスンは洋楽をまともに聞き始めて間もない10代の私が、「このドラマーはもしかしてヘタなのでは?」と初めて演奏技術に疑問を抱いたミュージシャンだ。微妙にもたつき気味でオカズを加えればガサツな印象を与える、繊細さとは縁の遠い演奏なのに、なぜかこの実験精神豊かなバンドの中ではじつにカッコよく、その迫力は当時の最高水準の一人なのではないかとさえ思えてくる。

 そんなニックがスタジオ作業での食事中に「アップルパイの耳の部分をカットして真ん中の部分だけくれ」と変な注文をする姿や、「狂人は心に」のギターパートを弾くデヴィッド・ギルモアが、ロジャーからフィードバック奏法が気になると指摘され、「ロックンロールにはフィードバックは欠かせねーよ」と呟きながら再演奏するところは何度も見たくなる名場面。

 

ピンク・フロイド・ライブ・アット・ポンペイ』はフランスの記録映画作家エイドリアン・メイベンが、ポンペイ遺跡とパリのスタジオで撮影した素材を使って1972年に60分のライヴ映画としていったん完成(日本ではテレビ放送された)。1973年に入って、『狂気』のレコーディング風景を追加撮影し、90分に再編集して完成版となった。それは80年代にビデオソフトやレーザーディスク化され、ロックファンの多くはそこで初めて作品に触れたわけだが早い時点で廃盤になっており、90年代にはすでに入手困難となっていた。

 そのため、私が初めて触れることができたのは2003年のDVD「ディレクターズ・カット」版だった。ところがこれは完成版の映像に再編集が加えられており、なんと打ち上げられるロケットやら星空や宇宙空間のCGやら、追加撮影されたポンペイの風景や美術品やらがごちゃごちゃとインサートされ、何よりも4:3のスタンダードサイズだった映像が、16:9のワイドサイズにトリミングされているという、往年のファンとしては困った代物だった。21世紀の新世代から「プログレ? 骨董品でしょ」と思われないための処置と思われるが、これは本当に効果があったのか。

 

DVD版と4Kレストア版の映像・編集比較

 

 監督のインタヴューを聞くと、どうも70年代に完成させたバージョンは映像も編集も稚拙で(予算不足の影響が大きいらしい)、心残りな部分が多いと思っていたらしい。監督だけでなく、メンバーもあの映画には複雑な心境らしく、ギルモアは「映画に映った若造の自分を恥ずかしく思っている」と2006年になって回想している。「うぬぼれて子供じみた自分の姿は見るに忍びない」とも。

 確かにここで演奏される「神秘」や「ユージン、斧に気をつけろ」といったいかにも“アヴァンギャルド”な曲は、「狂気」の大ヒット以降、バンドはおろかロジャーやギルモアのソロツアーでさえ演奏されなくなった。あまりにも60年代的で、「若気の至り」と思っているのかもしれない。

 しかしながら、改めてDVD版を見直すと、苦心の「お色直し」も、2000年の歴史を持つローマ遺跡を前に早くも剥げ落ちて見える。安っぽいCGの多用はプレイ映像の邪魔であり、修正した箇所の方が、時の腐食に耐え難かったようだ。『スター・ウォーズ』や『地獄の黙示録』もそうだが、監督がかなり後になって作品を修正しても、それは単なるバージョン違いを産むだけで、「完成」に向かうことは少ないと思う。

 今回4K版に修復された『ピンク・フロイド・アット・ポンペイ』は、もちろん1973年に完成された版の復活版。『狂気』という到達点に向かって上り調子のメンバーが、野放図に実験を楽しむ姿、まさに「クリエイティブの現場」が封印されている。編集の稚拙さや強引さも時代の一部、監督はフロイドをポンペイ円形闘技場無人ライブを演じさせる、という天才的なコンセプトや、「神秘」でドラを打ち鳴らすロジャーをシルエットでとらえた奇跡のショット、「吹けよ風 呼べよ嵐」でニックのドラム演奏をえんえん写し続けるという大胆なチョイス(他のパートを撮ったフィルムを紛失した結果らしいが)を堂々と自慢すればいい。

 ギルモアフロイドの時代に入ってから撮られたライブ版『光〜Perfect Live!』(1988)や『・・・P・U・R・S・U・・・驚異』(1995)には、映ってないものがここにある。

「若気の至り」でありつつ歴史の一部となる、そんな作品が『ピンク・フロイド・アット・ポンペイ』だろう。

 

1974年に描かれた“草食系男子”の物語〜Not in service『緑色のストッキング』(作・安部公房)

 板橋のサブテレニアンにて、Not in service公演『緑色のストッキング』(作・安部公房、演出・村岡正喜)を観てきた。

 1月22日が安部の忌日(1993年)だから、三十三回忌の記念公演にあたる。しかも『緑色のストッキング』は1974年の初演以来、どこかで再演したという記録が見当たらない作品なので、今回の上演は50年ぶりの復活という貴重な機会となった。

 

 なぜ50年も再演されなかったのか? それは、この作品が「安部公房スタジオ」の戯曲だからだろう。

 安部戯曲では代表作の『友達』や『幽霊はここにいる』をはじめ、『どれい狩り』、『棒になった男』、『未必の故意』といった主に俳優座を対象とする新劇の劇団用に書き下ろした戯曲は何度も上演されているが、1973年に旗揚げした「安部公房スタジオ」のために用意された戯曲になると、ほとんど舞台にかからない。

 例外的に『愛の眼鏡は色ガラス』と『人命救助法』は上演を観ているが、『ガイドブック』も『ウエー・新どれい狩り』も『案内人』も、上演されたものを観たことはない。これは、安部スタジオの作品は後期になるほど内容が難解で、セリフも設定も抽象的、作者自身が演出を手がける安部スタジオでなければ上演不可能、という印象を持たれてしまい、手を出しかねるようなのだ。

 そんな難物である『緑色のストッキング』に挑んだNot in serviceの勇気には、心から敬意を表したい。

 

 さて、『緑色のストッキング』は、短編小説『盲腸』(1955)を皮切りに、テレビドラマ『羊腸人類』(1962)を経て、改めて舞台化された作品である。人類の食糧問題解決のため、主人公が羊の盲腸を移植されて「草食人間」に改造される、という基本設定は同じだが、展開は大きく異なる。

 

短編小説『盲腸』(1955)

貧困のため草食人間となった主人公は「未来の人」ともてはやされるが、栄養失調を発症し再手術、結局は元に戻って現実の「飢餓」に向き合わねばならなくなる。

テレビドラマ『羊腸人類』(1962)

草食人間となった主人公は一日中藁を食べ続けなくてはならず、失敗を悟った医者の差し金で元に戻されてしまう。しかし、精神まで家畜化していた主人公はそれを嘆く。

戯曲『緑色のストッキング』(1974)

主人公は下着泥棒が発覚して自殺を図った教師。草食人間化は成功し、医者は興奮するが続いて手術を受けようとする者はいない。主人公は突然失踪し、壁にかかった「草原の絵」の中に発見されるも医師がスリッパで叩き潰す。

 

 つまり、戦後の食糧不足という現実から発想された、夢の新人類としての草食人間と、それゆえに精神が羊化する可能性を考察するSF的な寓話から、自殺を図った下着泥棒が科学技術で有為な草食人間に仕立てられることでヒーロー化するという、どこか『時計じかけのオレンジ』を彷彿とさせる諷刺劇に発展したものが『緑色のストッキング』だ。さらに、フェティシズム(性欲)と草食化(食欲)の対比や、人間改造を理想とするファシズム的世界からいかに逃亡するか、という問いまで射程に入れ、複雑怪奇なコメディに仕上がっている。

『R62号の発明』の労働機械R62号や『第四間氷期』の水棲人間に共通する、人間の変身・進化を描く物語。しかし、70年代という時代を描くには、「変身」に寓意を超えた、よりグロテスクな設定発明が必要だと考えたのかもしれない。その代わり、劇構造としては医者と患者の対決という、映画版『他人の顔』や長編小説『密会』でもくり返される安部お好みの図式を採用している。初演では草食人間を田中邦衛、医者を岡田英次が演じた。

 

 先進国が「飽食の時代」と呼ばれてひさしいが、ひとたび気候変動が起これば野菜の値段は高騰するし、貧困問題は今も解決の気配はない。そうした問題に「性犯罪者の教師」が投入される設定は、むしろ21世紀の今の方が現実味があるかもしれない。くわえて村岡正喜の演出はテキストを可能な限り尊重して舞台空間に1974年を再現、若い世代の出演者たちにセリフのアレンジすら許さない。劇場の都合上、再現困難な部分の変更については、配布したパンフレットでいちいちその旨を説明しているという律儀さである。そんな戯曲を尊重する姿勢と誠実な格闘ぶりが、戯曲のユーモアをしっかりと増幅させる結果につながった。

 主人公を演じる柴田周平と医者役の堀慎太郎の存在感と技術はドラマ構造をわかりやすく肉体化、元・下着泥棒にして現・草食人間の悲哀を浮かび上がらせた。主人公が執着する「緑色のストッキング」が象徴するものについて、いろいろ思いを巡らせてみたくなる。

 

 友田義行『戦後前衛映画と文学 安部公房×勅使河原宏』によると、勅使河原宏は『緑色のストッキング』の映画化を熱望していたという。70年代、安部公房スタジオで演出家の道に進んだ安部と、草月陶房で陶芸家の道に進んだ勅使河原は二度と交わることがなかったが、はたしてどんな映画化がなりえたか、妄想をたくましくするのもまた楽しい。

2024年に観た映画から……

 「こんちは〜、4年ぶりに今年の映画ベストテンを伺いに参りました」

 「何も下半期にぜんぜん映画を観られなかった年に復活することないじゃないの。『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』も『グラディエーターⅡ 英雄を呼ぶ声』も『憐みの三章』もまだ観られてませんよ」

 「ダメだなぁ。いまだに『地面師』すら観てないんでしょう?」

 「それでも、どうにか印象に残った作品を5本選んでみた。けっこう豊作な印象があるから、ちゃんと観続けられていたら、そうとう悩んだかもね。」

 

◯『密輸1970』(リュ・スンワン)

◯『オッペンハイマー』(クリストファー・ノーラン

◯『パストライブス/再会』(セリーン・ソン)

◯『市民捜査官ドッキ』(パク・ヨンジュ)

◯『フォールガイ』(デヴィッド・リーチ

次.『瞳をとじて』(ヴィクトル・エリセ

  『ソウルの春』(キム・ソンス)

 

 「ほう、韓国映画が多いですね」

 「今年観た韓国映画はどれもよくできていたが、実話ベースの作品の脚色テクニックには、大いに学ばせてもらったよ」

 「日本映画がありませんが」

 「そういえばそうだね。好きだった作品を挙げると、金子修介監督の『ゴールドボーイ』とか黒沢清監督の『Cloud クラウド』あたりかなぁ」

 「三宅唱監督の『夜明けのすべて』と濱口竜介監督の『悪は存在しない』は?」

 「どちらも大変見応えのあった作品だけど、好きではない。似たような感触の作品に、『落下の解剖学』と『関心領域』があるな。サンドラ・ヒュラーには演技賞をあげたいけど。それに、今年は河合優美が演技賞総ナメかもしれないが、『あんのこと』も『ナミビアの砂漠』もそんなに感心しなかった」

 「でも、日本映画では小規模作品に社会派的なテーマを持った作品が増えてますね。これ自体はいいことでは?」

 「そうなんだけど、問題を“リアル”に追うことが“誠実さ”の証と勘違いしてるんじゃないかな。リアリズムというのは決して表面的にもっともらしく装ったり、即興演技させれば宿るものじゃないと思う。その辺は韓国映画の巧みさにすっかり水をあけられてるし、観客が『侍タイムスリッパー』の方につめかけるのは当然でしょう」

 「しかし能登半島地震羽田空港の事故と、幕開けが凄まじかった2024年ですが、振り返ってみるといかがですか?」

 「やはりロシアのウクライナ侵攻とイスラエルのガザ攻撃がいっこうに収束の見通しが立たないことに代表される『不安』の醸成がいっそう高まった一年だったんじゃないの? 解決しそうにない所得格差に異常気象、そして治安悪化が重なり、老いも若きも安定を求める心情が、あちこちの選挙結果に現れている」

 「トランプの再選をはじめ、都知事選での石丸伸二ブームや、衆院選での国民民主党の躍進、兵庫県知事選での斎藤元彦知事再選といった流れのことですね」

 「ディケイド(十年期)の雰囲気はだいたい4年目で決まる、と言う説をどこかで読んだことがあるけど、そうすると2020年代というのは、モバイル通信とソーシャルメディアの拡大によって、人間の生活を激変させた2010年代が早くも行きづまりを見せる年代ということで確定なのかもしれない」

 「えらく悲観的ですねぇ。 ChatGPTをはじめとするAI技術や、電気自動車にドローンの発展といったテクノロジーの進歩が、さらなる激変をもたらすかもしれませんよ」

 「“戦線から遠のくと、楽観主義が現実にとって変わる”(©️後藤隊長)でなきゃいいけどね」

 「10年といえば、このブログも開設10周年を迎えました」

 「そんなに経ったの? 完全に忘れてた」

 「前身のブロマガ『スローリィ・スローステップの怠惰な冒険』が2014年4月開始ですからね」

 「ははぁ……。2014年度のベストテンを読み返すと、1位に『LEGO(R)ムービー』を挙げてるなぁ。2位がフィンチャーの『ゴーン・ガール』か。しかしまぁ、この10年、いろんなことがありました」

 「それにしては、体重以外に変化がありませんね」

 「悪かったな」

 「10年前のコメントでも『来年からは、映画のベストテンではなく、テレビドラマやドキュメンタリー、演劇公演、美術展などもひっくるめた見せ物ベストテンで選出しようかな、と思ってるよ。』なんて書いてますけど」

 「いや、これはもう、来年こそ本当にそうするかも。イーストウッドの新作も配信オンリーだし、今年観たどの日本映画よりも、テレビドラマの『光る君へ』や『燕は戻ってこない』、『新宿野戦病院』、『海に眠るダイヤモンド』の方が面白かったからね。それに、来年は舞台や展示をもっと観たいと思っている。そして、できれば自分でも何か面白いことを始めたいな」

 「ほほう、期待してお待ちしてますよ。では、来年もよろしくお願いします」

「烏賊ばくだん丼」を食す〜神奈川近代文学館「安部公房-21世紀文学の基軸」

 安部公房生誕百年にあたる今年も残りわずか。

 というわけで、メイン・イベントであった神奈川近代文学館の「安部公房展・21世紀文学の基軸」(10/12〜12/8)についてメモしておきます。じつは初日に駆けつけており、その後もう一度訪問しているのだけど、仕事が忙しすぎてレポートを書く暇がなかったのだよ。

 

 安部公房展といえば、世田谷文学館で開催されたのが没後10年の2003年なのでじつに21年ぶり! 待ちに待った今回の展示は、評伝『安部公房 消しゴムで書く』が刊行されたこともあってか、展示品に限っていえば、前回以上に丁寧かつ緻密な構成が心がけられ、愛読者にとってはいつまでも鑑賞できる空間が作られていた。

 全体で五つのパートに構成されており、生い立ちから作家デビューまでをたどる「第一部 故郷を持たない人間」では、高校時代に使用した数学ノートや、初期の詩作ノートが目を引いた。中埜肇宛に描かれた絵手紙なんてのも初めて見た。綴られた文字の繊細さは、後年、角張った筆跡で力強く原稿に書きつける作家とはちょっと同一人物とは思えないほど。大きさや罫線の異なるさまざまなノートを駆使して詩や小説の草稿を書きつけているのを見ると、物資不足の時代に手に入る紙類すべてにあふれるイマジネーションを叩きつけていた文学青年の真摯なエネルギーが伝わってくるし、安部が好んだ「手記(ノート)」というスタイルも、本人にマメな執筆癖があったからでは? と思いたくもなる。

「第二部 作家・安部公房の誕生」では、「夜の会」や「世紀」などの芸術運動に参加した時期の資料が中心。中でも、1950年に出た『世紀画集』に収録された安部の絵画作品「エディプス」をじっくり観られたのが嬉しい。展示されていたのは多色刷り版画(謄写版)だったが、原画は色鉛筆で描かれたものらしい。その隣には同じ画集に載った連作として、桂川寛磔刑」や勅使河原宏「不思議な島」の謄写版も展示され、美術学校や藝大を出た彼らの作品に比べると、確かに安部の絵は稚拙な印象を与えるものの、アマチュアであることを畏れずに思い切った筆致でギリシャ神話に取り組んでいるあたり、後の演劇や映像作品にも通じる感覚のように見えた。

「第三部 表現の拡がり」は、安部が作家として絶頂期を迎えた時期の資料。ラジオドラマ『ひげの生えたパイプ』の創作ノートや、活字になったのとは全然違う書き出しの脚本『不良少年』草稿や、勅使河原宏が使用した『他人の顔』の撮影台本や、『人間そっくり』を贈ってもらったことへの川端康成の礼状(川端は安部が芥川賞を受賞した際に強く推した審査員でもあった)など、興味深いものがめじろ押し。

 さらに細かいところに注目すると、安部は小説作品についてはすべて400字詰原稿用紙に書いているが、戯曲やドラマや映画の脚本では200字詰(いわゆる“ペラ”)だったり、400字詰だったりまちまちで、メーカーも一定ではない(昭和の作家らしく署名入り原稿用紙を使用していた時期もあった)。当時、シナリオ原稿は200字詰を使うのが一般的だったわけだが、この辺のこだわりのなさは、手当たり次第のノートに発想を書きつけていた青年時代から一貫しているようだ。

 

「第三部」と「第四部」のつなぎとして、安部公房の重要なパートナーである美術家・安部真知を紹介するコーナーが設置されていたのが、今回の展示の白眉と言えるかもしれない。かつての新潮文庫での安部公房作品の装丁といえば、水色の背表紙に安部真知のイラストで決まりだったものだが、これらの装丁画が文庫本の原寸大で描かれていたことを初めて知った。また、「第一部」のコーナーに、「リンゴの実」という安部公房が新妻・真知に捧げた詩がパネルで紹介されていたので、安部真知コーナーに晩年の彼女が流木を削って作り続けたという、木彫りのリンゴがたくさん並んでいるのを見ると、複雑な感慨が胸に迫る。

 安部作品の装丁・挿画だけでなく、舞台美術家としての真知の仕事も紹介していたが、ひとつだけエッチングによる抽象画も展示されていた。これも素晴らしい作品で印象深かったのだが、図録で確認しようと思ったら、残念ながら掲載されていなかった。真知の作品は現存するものがほとんどないと伝え聞くので、現場で見られてよかったと思う次第。

 

 さらに言うと、第三部から第四部へと向かう廊下のモニターからは、懐かしや新潮社のテレフォンサービス「作家自作を語る」(読者が電話をかけると作者が作品について解説する音声が流れる、というリカちゃん電話みたいなサービスがあったのだ)で、『密会』と『方舟さくら丸』についてコメントする安部の音声データが流れていたのだが、このシリーズ、『カンガルー・ノート』の音声も現存しているのだから、一緒に公開してくれればなおよかった。まぁ、アレは前立腺癌の手術を受けた影響で声が完全に変質してしまっており、あまりに痛々しい印象を与えるので避けたのかもしれない。

「第四部 安部公房スタジオ」では、70年代の演出家としての活躍を伝える、安部スタジオのポスターや舞台写真、「安部スタジオ会員通信」の全号揃い、さらに小説『密会』の創作メモが並び、「第五部 晩年の創作」になると、安部発明のタイヤ・チェーン「チェニジー」の実物や、『方舟さくら丸』、『カンガルー・ノート』、『もぐら日記』のワープロ原稿、使用していたシンセサイザーなどがずらりと展示されている。世田谷文学館ではシンセサイザーは「EMS SHINTH AKS」、ワープロは「NEC NWP-10N」だけしか展示していなかったが、こっちではシンセサイザーは「KORG MS-20」、ワープロは「NEC 文豪3MⅡ」も一緒に展示してくれたのでエラい。

 所蔵していたピンク・フロイドのレコードまで並んでおり、『夜明けの口笛吹き』、『神秘』、『モア』、『おせっかい』、『ザ・ウォール』に加えて、リチャード・ライトのソロ『ウェット・ドリーム』まであったことを思うと、やはりシンセサイザーをいじる際にはライトのキーボードテクニックを参考にしていたのか? などと考えさせる。

机辺の品々(骸骨は同製品を展示用に組み立てたもの)

 唯一、撮影OKな展示として、安部公房の机上にあったものを書斎風に並べたセットが出口そばに作られていたが、いささか安っぽくて無味乾燥なのは残念。これなら書棚の一角の完全再現や、トイレットペーパーの芯を使ったオブジェの陳列でもよかったのでは。残念ついでにもう一つ文句を言わせてもらうと、視聴覚スペースでは、世田谷文学館の展示の際に近藤一弥が作ったインスタレーション「繭の内側」の映像版が上映されていたのだが、あれは空間の中央に『飛ぶ男』のテクストが流れ出るモニターが置かれ、その前・右・左の三面に安部が終の住処とした箱根の別荘の画像が展開してゆく立体インスタレーションなのだから、すべてを一枚の映像に押し込んだ2D版が映し出されても面白味はまったく伝わらない。予算の都合なのか事情があったのか知らないが、これなら安部の映像作品『時の崖』や『仔象は死んだ』の抜粋映像をしっかり上映してほしかったところ。

 さらに言えば、前回の世田谷文学館ではヘッドフォンを装着すれば、安部のラジオドラマ作品やシンセサイザー音楽を聴けるコーナーがあったのだけど、今回はその種のサービスはいっさいナシというのも物足りない。まぁ、コロナ流行中の今となっては、多数の人がヘッドフォンを共用したり、順番待ちで密になったりする展示が難しい、という事情はよくわかるのだが。

 

 贅沢を言い出せばキリがないが、文学・演劇・テレビ・ラジオ・映画それぞれに大きな足跡を残した安部公房が、創作を通してどのように日本を、世界を見続けていたのかを知る、重要な機会だったことは間違いなく、期待は裏切られない展示だった。

 安部が『飛ぶ男』の構想メモを留めていたコルクボード(2枚組)を21年ぶりにじっくり観賞できたのだけど、

「『ザ・中学教師』という番組のリポーターに追い回される」

 などというメモを見ると、安部もJICC出版局の「別冊宝島」から出ていた『ザ・中学教師』シリーズに注目していたのだろうか、とあのムックで管理教育問題に目覚めた世代としては改めて親近感がわくし、

「夢の中で語られた人類最初の浮遊都市『スブラル』、『シュブラル』に関する伝説」

  なんて走り書きも貼られてあって、箱根の別荘でいったいどんな妄想を育んでいたのか、あるいは『天空の城ラピュタ』でも観た影響なのか、いろいろ気になってしまうところ。

これが「烏賊ばくだん丼」だ!

 満足して会場を出ると、神奈川近代文学館の一階に「鮨喫茶すすす」なるカフェがオープンしていることに気がついた。何やら安部公房展にちなんだカクテルや料理を出しているという。

 それでは、と入店し「烏賊ばくだん丼」を注文。これはもちろん『カンガルー・ノート』に登場する烏賊爆弾にちなんだネーミング。かいわれ大根を添えた烏賊の刺身の下に、オクラや黒納豆、めかぶが隠れているという構成で、安部公房が好きな食べ物に「粘りのあるもの」と答えていたのを思い出す。“ばくだん”なので、これをぐちゃぐちゃと混ぜ合わせつつ食べるわけだが、まさに文化的ミクスチャーを志向していた安部公房にふさわしい。

 しかしお店の公式Instagramで、「安部公房が好きだった緑色と本の装丁に用いられる黒色をいろいろな食材で表現してみました」と書かれているのは疑問。好きな色として「イエロー・オーカー(砂漠の色)」を挙げていた安部にとって、はたして『緑色のストッキング』の草原や『人魚伝』の緑色過敏症、さらに『鉛の卵』の緑色人間に代表される「緑」は好ましい色だっただろうか?

鮨喫茶「すすす」の期間限定カクテル

生誕百年記念〜岩本知恵『安部公房と境界』と鳥羽耕次『安部公房 消しゴムで書く』

 安部公房生誕百年を記念して、先日は「現代思想」が『総特集=安部公房』を出版したし、神奈川近代文学館で特別展「安部公房-21世紀文学の基軸」が本日からスタート。生誕百年のお祭りもいよいよクライマックスを迎えつつある。

 

 そんな記念の年に刊行された2冊の研究書を紹介しよう。

 まずは岩本知恵『安部公房と境界 未だ/既に存在しない他者たちへ』(春風社)。タイトルの中にも、「/」で境界を作っているというのがまずニクい。

 これまで「変身」とか「失踪」とか「疎外」とかのキーワードで語られることの多かった安部公房文学を「境界」という缶切りでこじ開ける試みだ。

 境界といったって、安部文学における越境感覚を論じるなら、そんなに目新しい視点でもないのでは? と訝しみつつ読み始めてみると、いきなり、ジュリア・クリスティヴァジュディス・バトラーテレサ・デ・ラウレティスらが盛大に引用されるので面食らった。思わず身構えてしまったものの、最近流行のジェンダー批評やクィア理論という「新しい物差し」で安部文学を再点検し、そのミソジニー性にダメ出しする、といった類の内容ではないのでご安心を。

 展開するのは、海外の文芸理論を参照しながら、安部文学における「境界」の描かれ方を再確認すると、その豊穣な面白さが意外な形で浮かび上がってきやしませんか、という提案型の批評。安部作品の研究って、ついメタファーの解読作業にかまけたり、執筆背景の事実確認だけに陥りがちなのだけど、こちらは作品への光の当て方に周到な工夫が凝らされている。

 チェックされる境界とは『赤い繭』の「体」、『飢えた皮膚』の「皮膚」、『幽霊はここにいる』の「実在/非実在」、『人魚伝』の「欲望」、『他人の顔』の「外見」……。白眉はやはり巻末の『第四間氷期』論だろう。

 予言機械によって生み出された水棲人間の子供たち、このイメージをジョルジュ・アガンベンホモ・サケル(聖なる人間)」の思想を借りて捉えなおし、優生思想をめぐる物語として作品のメロドラマ構造を分解する手法はユニークで、安部文学が今も腐らず、世界中で読み続けられる秘密の一端を、1991年生まれの著者から教えられた気持ち。

 

 そしてもう一冊は、鳥羽耕次『安部公房 消しゴムで書く』(ミネルヴァ書房)。

 出版予告が出たのは10年以上前。まさか安部公房全集30巻」より待たされるとは思わなんだ。しかし待った甲斐のある一冊です!

 安部公房の評伝というと、全集の編集メンバーだった宮西忠正による『安部公房・荒野の人』がすでにあり、謎の多かった前半生の情報収集に力を入れた一冊ではあったが、『砂の女』以後が早急で全体にシノプシス(あらすじ)めいてしまう物足りなさがあった。それだけ安部公房という作家の行動範囲と作品世界はぶ厚いのである。

 

 満を持して登場した評伝第2弾が『安部公房 消しゴムで書く』。

 もともと、安部公房は「作品」だけが読まれ、「作家」の存在は消し去られるのを理想と考えていた。だから私小説は書かないし、年譜も脚色して過去を隠蔽してしまう。しかし複数のジャンルにわたる多彩な創作活動の舞台裏には、安部文学を読み解くための重要なヒントが数多く散りばめられているのも事実であり、熱心な読者ほどそのヒントを嗅ぎ回りたくなってしまうもの。本書は丹念に収集した事実関係や周辺人物の証言を、主観的な推測や批評は最小限にとどめつつ、ひたすら列挙してゆく。

 コンセプトは「消しゴムで書く」という安部公房自身の言葉。小説・演劇・映画・ラジオドラマ・テレビドラマと、メディアを横断しながら作品のモチーフをふくらませてゆく作家の執筆過程を追うだけでなく、デビュー作『終わりし道の標べに』や短編『デンドロカカリヤ』、戯曲『どれい狩り』など、加筆修正が行われた別バージョンが存在する作品に、何が書き加えられて何が削られたのか、その意図は何なのかを執拗にチェックしてゆく。

 じつは、こうした加筆修正作業は初期の詩の段階から始まり、後年まで繰り返されていたという。そうした安部独特の「消しゴム」の使い方を調査するため、アメリカはコロンビア大学まで赴き、1950年代に書かれたコラムの掲載誌とエッセイ集に収録された版との違いを確認するのだから、すさまじい。

 安部が1960年代にニッカウイスキーのCMに出ていたとか、アメリカでアソル・フガード『シズウェは死んだ!?』を観て感動したとか、まったく知らなかったエピソードもぞくぞくと登場。驚いたのは、1986年に安部公房が発明したタイヤ・チェーン「チェニジー」が第10回国際発明エキスポで銅賞を受賞したという、ファンには有名な一件について。この「国際発明エキスポ」という賞、じつは中松義郎ことドクター中松が会長を務める団体が主催で中松が毎年グランプリを受賞する、きわめてローカルな賞だという。西武が宣伝用に応募したものだったらしいが、これには笑ってしまった。

 

 また、全体で344ページある本書だが、ちょうど170ページあたりが「転換点」となる1964年になっているのも凝った演出。つまり、満州から引き揚げてきた住所不定の自称詩人が、『砂の女』執筆とその映画化、海外出版を通じて前衛のトップランナーへと上り詰める姿が描かれる前半部が1964年まで。後半部は、外車を次々と乗り回し、高級ホテルを仕事場に使う世界的名士となった作家が、自ら主催する劇団で初期作品の「書き換え」を行いつつ、新たなる表現を模索して批評家や観客の反応に悪戦苦闘する孤独な姿。

「告白小説家は常に職業危機にあるのだ。苦労話を書いて有名になるから、賞を貰って金持ちになったら告白できるものがなくなるのだ」、と安部公房私小説作家を否定したそうだが、じつはその言葉は苦しい状況で世界を見ることからモチーフを掴み出す前衛作家にも向けられる。外国に翻訳された作品が、「日本的」なある種のオリエンタリズムで捉えられがちなことに反発を抱き、より抽象的、より普遍的な表現獲得をめざして取り組んだのが、後期の作品群や安部公房スタジオの実験演劇だったのか、と初めて腑に落ちた。

 今後の安部公房研究に欠かせない一冊になることは間違いないが、安部文学にくわしくない読者が純粋に「芸術家の伝記」として読んでも、戦後の復興とともにアップデートを続ける安部公房柔軟な運動能力に驚くことができるだろう。

 

 非常にマニアックな一冊だが、ミスや誤植がいくつかあり、重要なものを指摘しておく。

 まずp23で、安部のデビュー作『終りし道の標べに』を賞賛する評を三島由紀夫が書いたエピソード。この二人が「対面を果たすのは一五年ほど後になる」とあるが、これは「一年ほど後になる」の誤植だろう。

 さらにp110の、安部公房が仙川に家を建てたエピソード。この土地は「『おとし穴』のシナリオ料の代わりとして」勅使河原宏から譲り受けた、とあるのだが家が建ったのは1959年。『おとし穴』の原作となるテレビドラマ『煉獄』の放送が1960年で、勅使河原はこの放送を見て映画化を企画するのだから時制が合わない。さらなる調査が望まれる一件である。

 

初秋日記〜デヴィッド・ギルモアの新譜『邂逅』とスティーブ・ハウ率いるYESのコンサート

 ようやく新しい仕事が始まり、その準備に追われています。と言っても、まだ資料を読んで構成台本を書く作業の段階。

 書き直しを続けたプロットにどうにかOKが出たので、来週から具体的な取材やロケハンを始められそうです。年末までかかりきりになるでしょう。

デヴィッド・ギルモア「邂逅」

 さて、デヴィッド・ギルモアの新譜『邂逅』が出ましたね。ロジャー・ウォーターズが「ピンク・フロイドの創造的頭脳」なら、ギルモアは「ピンク・フロイドの声とギター」のコピーで張り合っていたわけですが(最近はこのコピーは使わないようです)、日本ではロジャーの誕生日に発売されてしまったこの新譜、これまでの『オン・アン・アイランド』(2006)や『飛翔』(2015)同様、音楽的にはギルモアフロイドの21世紀発展系でありながら、作品世界はギルモア個人の視点により収斂してゆく、というユニークな進化を遂げています。

 原題は“Luck And Strange”、9年に一度ソロを出すだけで悠々やっていける地位を得たミュージシャンが、自分が今こんなところにいられるのは幸運か奇縁(Luck And Strange)か……と振り返る内容なので、いい気なもんだな爺さん、と言いたくもなるけど、華やかな音響構成と滋味のあるギタープレイは相変わらずの素晴らしさ。まぁ、ギルモアは基本「悩まない」人なのでしょう。前作まではムリヤリ文学的な世界を捻り出そうと苦心していたけど、だいぶ素直になって聞きやすい。

 参加ミュージシャンはギルモアフロイド以降のレギュラーにブライアン・イーノの弟、なぜかドラムにスティーブ・ガットも参戦というベテラン色濃い中、プロデューサーがチャーリー・アンドリューというalt-J(アルト・ジェイ)などを手がける若手で、彼のおかげか「枯淡の境地」に行ってしまいそうな音世界をふんわりとポップに踏みとどめ、それでいていわゆる「フロイドらしさ」とは異なる、キリッとした形にまとめています。

 近年のロジャー・ウォーターズがナイジェル・ゴッドリッチをプロデュースに起用していることを思うと、やはり世代の違うスタッフとのコラボレートは大事だな、と月並みな感想を抱くばかり。

スマホによる撮影はOKだったYES公演

 さらに、YESのライブにも行ってきたのですよ。

 ジョン・アンダーソンがいない方のYESを生で観るのはボーカルにジョン・デイヴィソンが初参加した2012年ツアー以来。早くも12年が経過してます。12年といえばYESのアルバムで数えると「ファースト・アルバム」から「ドラマ」を出した期間ですからね、長いですよ。

 もしかしたらスティーブ・ハウが見納めかもしれない、という思いでひさびさに人見記念講堂へ出向いたわけですが、案の定、観客の年齢層が高い。私がYESのライブを初めて見たのは90年代後半、「会場でいちばん年下なの自分かも?」なんて思ったものだけど、そのまま時間が経過したような錯覚を抱く客層です。しかしよく見れば私よりもやや若そうな男性や、仕事帰りのOL風な女性もチラホラいて頼もしい。

 席は2F最前列中央という、音をバランスよく楽しむには悪くない位置。少しも押すことなく19時かっきりに始まったライブは1曲目が「マシーン・メシア」、さらに「アイブ・シーン・オール・グッド・ピープル」へと続く、いささか渋めのセットリスト。「燃える朝焼け」も「ロンリーハート」もやらないどころか、こないだ出た新譜『ミラー・トゥ・ザ・スカイ』からも一曲のみという、おそらくハウが思い入れのある曲を、長年のファンに向けて並べたセットリスト。「海洋地形学の物語」を20分に短縮したバージョンなんて珍しいものも聞けました。

 そしてなんとハウのギターがとてもよい。正直、十数年前の復活ASIAのころに見た、衰微の印象著しいプレイとは打って変わって元気いっぱい。バンドメンバーとの相性なんでしょうかね? それでいて「シベリアン・カートゥル」のイントロをトチってやり直し、なんて珍しい場面も見られて嬉しかったですね。

 これならまだ新譜もツアーもあるのでは? こちらもいい年齢になってきた分、ちょっと嬉しくなるコンサートでした。

アンコールの「ラウンドアバウト」で会場大盛り上がり

 映画では午前十時の映画祭でウォン・カーウァイの『花様年華』を観ました。4Kレストアの映像は目が醒めるほどに美しい。公開前に松竹の試写室で観て以来の再見です。当時は「なんだかよくわからん」という感想でしたが、年を取って見返しても、ラストの展開は把握しきれず……。改めてWikipediaで確認すると、同様な観客が多いせいか、「あらすじ」の欄にラストがやたら細かく解説されてありました。便利な時代になったもんです。

 しかしまぁ、トニー・レオンマギー・チャンの表情と仕草と光の当たり具合を舐めるように楽しむ映画なのだから、その辺の理解はどーでもいいっちゃどーでもいい。梅林茂の『夢二』のテーマはすっかりこちらで有名になってしまい、同様の現象が布袋寅泰の『新・仁義なき戦い』のテーマがタランティーノの『キル・ビル』に流用されることでも起こっており、「他人の映画音楽を再利用」という手法はこれから普遍的になってゆくのだろうか? と思ったのだけど、そうでもなかったですね。やはり著作権処理が面倒なのかなぁ。

花様年華」4K版