星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

シベリア少女鉄道の新作と『映画 おそ松さん』

 

 この20年、本公演をかかさず観賞しているシベリア少女鉄道の新作『どうやらこれ、恋が始まっている』(作・演出 土屋亮一)を観てきた。

 数年前、このブログでシベリア少女鉄道の「ネタ」のパターンを細かく分析したことがある。

1・シリアスなドラマが後半になると異なるモノで表現される

2・前半のドラマを後半でくり返すことで異なるモノが出現する

3・ドラマ自体を脱構築する一種のメタフィクション

 

 大きく分けてこの3つのパターンがあるわけだが、この10年ほどは、いくつかの要素を掛け合わせた複雑な展開を遂げるネタが多い。

 さて、コロナ期間を明けての新作はというと(公演が終わったのでネタバレで紹介する)、舞台は近未来のある研究施設。ここでバイオテロをめぐる陰謀サスペンスが展開する中、突然の閉塞状況が発生し、覆面の殺人鬼が暗躍するという、いかにもなホラーストーリーへ発展。「さぁ、どうなる!」というところで暗転して後半へ。後半になると、前半の舞台背景とはまるで異なる別セットが出現、無関係な日常ドラマが始まってしまう。ところが、その別セットのドアやら窓やら押し入れやら冷蔵庫やらを開けると、セットの向こう側では依然として前半の物語が展開中であり、前半の「謎の解明」や「劇的なクライマックス」が壁越しにのぞき見ることができるのだ。しかし部分的にしか見えないため、肝心な内容はもうひとつよくわからない。さらに、後半のドラマの登場人物たちが、前半の登場人物のセリフや行為に影響を受け始めるため、壁一枚を隔てて展開する無関係なドラマが、不思議とシンクロしてゆく、という仕掛け。「伏線回収」やら「真相の考察」を過剰に気にする現代のドラマ視聴者の心理をからかった、批評的なトリックといえよう。

 前述の「ネタ」パターンで言うと、1と3の合わせ技というところか。ひさびさに劇の構造自体にユニークなトリックを仕込んだシベリア少女鉄道らしい作品だったが、前半のサスペンス劇と、後半の素朴なドラマの落差が意外に笑いにつながらず、こなれ方という点で、非常に惜しい仕上がりだった。

 かつての『二十四の瞳』(2003)や『俺たちに他意はない』(2007)などの傑作では、後半で仕掛けがあきらかになるや、前半の物語の伏線だの結末だのがほとんど気にならないぐらいのグルーブ感にノセられてしまったものだが、それらに比べると、今回の新作は少し頭が勝ちすぎてしまったようだ。

 

 そんなわけで、新作公演はシベ少としては中位の出来だったわけだが、もしかして、と思って観にいった土屋亮一脚本の『映画 おそ松さん』(監督・英勉)は、予測通り、シベ少成分の濃い非常に特殊なアイドル映画になっていた。見逃さずによかった。

 

 私はいちおうアニメの『おそ松さん』はシーズン3まで全話観ているが、一方でジャニーズの男性ユニットSnow Manについてはなんの知識もない。しかしこの作品はSnow Manのファンやアニメ版のファン、そして赤塚不二夫ファン以上に、シベリア少女鉄道のファンこそがもっとも楽しめたのではないかと思う(というか、アニメ版もシベ少演劇も見てない人はかなりとまどったかも)。

 9人組のSnow Manのうち、背格好が近い6人が主役の六つ子を演じるという設定で、演じる当人たちが開巻早々、そのムリヤリぶりにツッコミを入れるゆる〜い作り。はるか昔、月曜ドラマランドで『おそ松くん』がドラマ化されたこともあったが、やはりテレビドラマの「お約束」を茶化した作りだったことを思い出す。

 

 六つ子のうち、誰か一人が大金持ちの養子に選ばれることとなり、玉の輿に乗るのは自分だとばかり、兄弟それぞれが独自に努力を始める。すると各人を主役とする「キラキラ系青春モノ」や「ゲーム型ギャンブル対決」、「洋画風犯罪アクション」、「黒澤風時代劇」などのパロディ的物語が展開し始める。このあたりは監督が『賭グルイ』や『未成年だけどコドモじゃない』などマンガ原作ものを多く手がける英勉監督なので、大いに遊んで撮っている。

 しかし、脱線に継ぐ脱線で六つ子たちが本筋に帰ってこれなくなってしまったため、「物語終わらせ師」なる役職の3人(Snow Manの残りのメンバーが演じる)がそれぞれのドラマに介入し、各人のエピソードにエンドマークをつけようとする……というプロットは、シベリア少女鉄道の名作『永遠かもしれない』(2008)のネタを大型化したものと言えるだろう。まさにこんなところで往年のシベ少の傑作の発展系を観られるとは思わなかった。シベ少はその後の公演でも、こうした「物語の定型」を批評的に扱うメタフィクションを何度も上演しているので、あえて最も得意とする手で大舞台に挑んだと見るべきか。

 赤塚不二夫もまた、『おそ松くん』では翻案ネタやパロディ作品を何度も描いた作家だったし、アニメ版『おそ松さん』は六つ子のキャラクターを使った実験的コント集のような作品だった。原作との相性の良さも、プラスに働いたようだ。

 

 土屋亮一のパロディ作家としての才能が、ジャニーズのアイドル映画として大きく花開いたことに感慨を禁じ得なかった。

パトリシア・ハイスミスの「創作指南書」と森卓也の「悪口」

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『サスペンス小説の書き方〜パトリシア・ハイスミスの創作講座』を読んだ。原著は1966年に初刊行、1981年には増補改訂版が刊行され、今も読み継がれているという。

 序文の一行目に書かれている通り、この本は小説執筆についてのハウ・トゥー本ではない。作家パトリシア・ハイスミス(1921〜1995)による、彼女の創作スタイルをめぐるエッセイ集といった内容だ。そのため作家志望者が読んでも面白いかどうかはわからないが、パトリシア・ハイスミスのファンにとっては、非常に興味深い内容なのはまちがいない。

 

 かくいう私は、ハイスミスの小説は長編を全部、短編集も大部分読んでいる。なので、ハイスミスがプロットを細かく構築せず、途中までのイメージで書き出してしまうスタイルだと知ると、「そうでしょうねぇ」と深く納得してしまう。ハイスミスの長編は、プロットの発端となるアイディアは作品の前半で消化されてしまい、その後は「なんでそーなるの?」(©️コント55号)という展開になることが大半なのだが、やはり書き進めながら浮かぶ即興的なアイディアを重視しており、「プロットとは結局、作家が作品に取り掛かるときに、厳格なものとして頭に置くべきではない」とまで言い切っている。完成度の高いプロットを作るための「法則」を求める読者はこの辺でハイさようならである。

 

 また、ハイスミスが「主人公視点の三人称単数」を採用することを好むのは、「あらゆる面で簡単」であるからで、「一人称単数」は「小説を書く上でもっとも難しい形式だ」という説明も、ハイスミスが描く登場人物との距離感を考えるとうなずくばかり。

 自身の映画化作品では、『見知らぬ乗客』(監督アルフレッド・ヒッチコック)と『太陽がいっぱい』(監督ルネ・クレマン)、『アメリカの友人』(監督ヴィム・ヴェンダース)の3本が上出来と考えているのはまぁ当然として、自作が「サスペンス小説」というジャンルに押し込められていることへの違和感や、『ガラスの独房』を例に、迷いに迷った執筆過程を解説する部分も興味が尽きない。例として『見知らぬ乗客』や『殺人者の烙印』、『妻を殺したかった男』などにもたびたび触れているのだが、最高傑作のひとつである『ふくろうの叫び』にはまったく言及ナシというのも面白い。

 また、彼女が完全な失敗作と認める作品も紹介されていたのだが、さてどれでしょう?

 

 私がパトリシア・ハイスミスに興味を持ったのは、90年代、小林信彦の影響である。『本は寝ころんで』や『読書中毒』といったブックガイド集に収められた、パトリシア・ハイスミスを熱烈に紹介する文章を読んで、興味をかきたてられないミステリ好きはいまい。たぶん、小林御大がお元気ならば、先ほど連載が終了したコラム『本音を申せば』(「週刊文春」連載)で、絶対にこの本を取り上げたことだろう。

 などと考えていたら、映画評論家の森卓也が雑誌「映画叢書」59号で、小林信彦を痛烈に批判した文章を掲載しているという情報が入った。ナニッ!

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 というわけで「映画叢書」を入手し、問題の『ある作家の横顔 尾張幇間』を読んでみた。

 日本におけるアニメーション研究の先駆者であり、笑芸一般にも造詣が深い森卓也(愛知県在住)は、小林信彦とは雑誌「映画評論」で共に長い評論(小林は『喜劇映画の衰退』、森は『動画映画の系譜』)を連載した同世代の知人であり、森の初の著書『アニメーション入門』には小林信彦中原弓彦)の跋文が載っている。小林はエッセイやコラムで何度となく森卓也の仕事に言及していたし、森も小林作品の文庫解説や対談相手を何度となく務め、数年前に出た『森卓也のコラム・クロニクル1979〜2009』の中でも、たびたび小林作品を紹介している。

 両者のファンにとって二人は互いに一目おいたオタク仲間であり、固い絆で結ばれた同志なのだろう、と勝手に思い込んでいたわけだが、今回の森卓也の文章を読むと、第三者からは「同志」に見える二人の間にも、実は長年に渡る屈託が存在したのだと判明し、驚かされた。

 

 ただ、この文章で指摘されている小林信彦のふるまいというのは正直なところ「オタクあるある」というやつで、小林の性格からして意外でもなんでもない。森卓也の反応は少し厳しいのではないかという気さえする。しかし、森の視点に立てば二人の関係は小林の無神経に対し森の方が「引く」ことで維持されており、80代後半の年齢となった今、「引く」ことはもうやめたいのだ、という痛切な訴えを感じさせもした。

 批評家・森卓也は、アニメーションの細かな演出や演技に目を止める眼力を持つだけでなく、その「眼力」で観察した職場の上司や知人から受けた仕打ちを詳述した文章は、鋭くコワいものだった。森はアニメ評論だけでなく、山田太一に代表されるテレビドラマや『ER』に代表される海外ドラマの面白さを「現代の映画以上」と早くから指摘していた批評家だが、そこには必ず人間洞察と感情の機微について目ざとく触れていたものだ。木下惠介山田太一の作品に描かれた何気ない一言やセリフの語尾、トーク番組におけるタレントのちょっとした仕草を見て、傲慢、卑屈、不人情、嫌ったらしさといった複雑な感情をさっと掬いとる感受性の持ち主には、東京の人気作家による「上から目線」はさぞや腹に据えかねたことだろう。

 

 しかし、『本音を申せば』が連載終了し、小林から反論の場が失われたタイミングでこの文章を載せた森卓也、その慎重さは老いて変わらず。被害者意識の強い小林信彦が彼の「悪口」を読んだらたいそうなショックを受けるに違いないが、「数十年に渡る同志と思われた二人だが、じつは一方が鬱積を抱え続けている」という関係、パトリシア・ハイスミスが言う「アイディアの芽」になりはしまいか。長寿社会の今日、このアイディアからどんなサスペンス展開がありうるか。作家・小林信彦には「作品」で返答してもらえないだろうか。などとそれこそ無神経な妄想をめぐらせてしまう両者の愛読者なのであった。

 

映画史講義の思い出〜追悼・佐藤忠男

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 4月にスタートするレギュラー仕事の準備に入ったため、年始から忙殺されておりました。この間にも世間ではさまざまな出来事があったが、何はともあれ、ロシアによるウクライナ侵攻である。

 21世紀の先進国首脳の中では、キャラの濃さと危険度において段違いの存在感を放っていたウラジミール・プーチンだが、ここまでその狂気を隠さなくなるとは思わなんだ。日本のメディアが国際紛争の話題一色になったのはイラク戦争以来のことだと思うが、メディアやSNSを駆使した情報戦の複雑さと、「専門家のご意見」の混線ぶりは、コロナ騒動はもちろん、湾岸戦争の時を思い出す(正確には今の状況は1990年のイラクによるクウェート侵攻に相当するが)。重油に塗れた水鳥」の映像にすっかりノセられた世代としては、ウクライナ大統領の国会演説さえも警戒しながら聞いてしまうわけだが、ともあれ「旧ソ連時代の縄張り意識」に取り憑かれた男に世界が振り回されるとは、21世紀というのは本当に20世紀の悪夢的反復によって時が進んでゆくのだろうかと暗澹たる気分になる。

 

 で、そんな中に映画評論家・佐藤忠男の訃報が入った。享年91。ほんの数年前まで、試写室でときどきお見かけすることがあったので驚いた。

 佐藤忠男の著書は中学生の頃から愛読している。私の亡父は熱心な黒澤明ファンだったので、書棚には『黒澤明の世界』が何冊か治まっていたし、書庫を漁れば『小津安二郎の芸術』や『大島渚の世界』、『日本の映画・裸の日本人』、『映画と人間形成』、『日本の漫画』、『長谷川伸論』、10代向けの『戦争はなぜ起こるか』などがぞくぞくと発掘された。私が初めて一冊丸々読んだ映画評論本はやはり『黒澤明の世界』だったし、高校生になれば佐藤批評をガイドブックに小津作品や大島作品をレンタルした。『戦争はなぜ起こるか』での、貧富の差や宗教観の違いによる差別など、国際間の不和が積み重なった末に発生する「戦争」という図式は分かりやすかったし、その解決策については、10代の目にも「理想論すぎるのでは?」と映ったものだが、「戦後民主主義」という概念は佐藤忠男の著作で学んだような気さえする。

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 上京して通った専門学校には週に一度「日本映画史」の講義があったのだが、その担当講師が佐藤忠男だった。当時の大教室の中で、そのありがたみをもっとも理解している学生は私だったと思う。まず作品を一本上映し、その後で講義の時間となるのだが、佐藤さんは必ず大教室の隅で、上映作品を生徒といっしょに観賞し、その後おもむろに演壇に向かうのだった。その姿勢からして誠実そのもの、『近松物語』では歌舞伎的な様式演出の導入を、『ツィゴイネルワイゼン』では「まったくわからないが傑作」という作品にどう向き合うかを、熱の入った語り口で、時には実演まで交えて解説してくれたものだ。

 あれは映画史の講義だったか、特別講義の時だったか、今井正監督『夜の鼓』(1958)が上映される機会があり、佐藤さんが来日中の外国人研究者(確かスペインかメキシコの方だったと思う)を客席に招いたことがあった。もちろん英語字幕なんてついてないプリントだから、上映中、佐藤さんは小声の英語で隣席の研究者氏に話の展開とセリフをていねいに解説していた。

 そして上映後、佐藤さんによる近松原作が描く「姦通」のドラマと今井演出が意図したリアリズム表現をめぐる解説の後、ゲストの外国人研究者を演壇に招き、感想を訊ねた。突然の指名に照れながらも、その研究者は「内容と手法において『羅生門』を連想しました……」と感想を述べ始めたのだが、彼は三國連太郎演じる主人公が、勤め帰りに蛍を見かける場面に注目していた。

「日本でそのような比喩があるかは知りませんが、あの蛍の輝きは『真実』を表す光に見えました。そこに主人公が手を伸ばすが、蛍は飛び去ってしまう。その後、彼は妻の姦通疑惑を知り、真実を知りたい、という切実な思いを抱きます。しかし、妻の心はもはや自分の手から離れた場所に行ってしまったように感じる。手を伸ばしても真実は捕まえられない。蛍の場面は彼のその後の運命を予告した演出として、美しく印象深かったです」

 まだ子供だった私には、『夜の鼓』は主人公の妻の浮気相手となる鼓師(森雅之)が非常に気の毒な不倫ドラマとしか見えていなかったので、こういう視点には驚いた。佐藤さんが「外国の人といっしょに映画を観るというのは、こちらが何気なく見逃していた場面に意外な意味を見出していたりして、とても勉強になるんですよ」とつけ加えたのを覚えている。アジアやアフリカ地域の映画紹介にも力を惜しまなかった佐藤さんだが、単純に映画が好きなのはもちろん、映画文化が持つ国際交流の可能性にすごく期待しておられたと思う。そして、それが彼にとっての「平和活動」なのだった。

 

 一方、ストーリーに込められた作者の主張と製作当時の社会背景を手がかりに、平明な文章で解読する佐藤批評をやや軽んじている生意気なクラスメートというのがわずかながらいて、彼らから映画雑誌「リュミエール」と蓮實重彦四方田犬彦らに代表される一派を教えられた。そちらの批評も非常に刺激的な内容で強く影響を受けることになるのだが、佐藤批評よりも「高級」とはどうしても思えなかった。私としては先に佐藤批評に触れることができたのは、幸運だったと思っている。

美術品と猛獣〜ふたつのドキュメンタリー

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 今年の映画見物は、2本の映画人を扱ったドキュメンタリーからスタートです。ビョルン・アンドレセンの人生と現在を描く『世界で一番美しい少年』(監督クリスティーナ・リンドストム&クリスティアン・ペトリ)と、夭折したジョン・ベルーシの生涯を描く『BELUSHI ベルーシ』(監督)。

 

 

 ルキノ・ヴィスコンティ監督『ベニスに死す』(1971)といえば、私にとっては何をおいてもダーク・ボガードの映画であって、ビョルン・アンドレセンにさほどの思い入れはない。それは男女問わず「観賞用」のキャラクターに興味を持てないからだけど、あの映画は究極の観賞用少年を表出しえたところに、ヴィスコンティの凄さがある。

 

 レンタルビデオ世代なので、公開当時の日本におけるビョルン・アンドレセンブームというのはよく知らなかったのだが、いやぁすごいものだったんですね。60年代の貸本少女漫画など読むと、「金持ち」のイメージが完全に西欧貴族文化風だったりするんだが(天蓋付きのベッドで寝てたり、執事がいたり、メロンが丸ごと乗った晩餐が出てきたり)、ヨーロッパ文化への憧れがまだ色濃かった時代、『ベニスに死す』の美少年は西欧的美学を体現した生ける美術品として迎え入れられたようだ。それから46年、すっかり白髪長髭の老人となった現代のビョルン・アンドレセンが再来日して、当時の関係者や『ベルばら』の池田理代子と面会し、レコード発売した日本語歌詞の歌を改めてカラオケで歌うという展開はいささかグロテスクな光景だったが、あの時もたらされた「美」を表面のみ消費し、その後、美とは無縁の社会を作りあげた我が国への冷ややかな視線として忘れ難い。

 日本ではブームが去るとさっさと伝説化され、死亡説すら流れていたビョルン・アンドレセン。1988年には中井英夫ルキノ・ヴィスコンティを讃える文の中でこう書いている。

ヴィスコンティの手にかかると俳優は一作ごとにがらりと変わって、その賑やかさといったらない。ダーク・ボガードバート・ランカスターも、持っているものをすべて引き出され、己が役者の中へ埋没した。わけても嬉しいのはビョルン・アンドレセンが「二度と映画に出る気はない」といっているうちにあっさり死んでしまったことで、これでタッジオは不滅となった。

          「大アンケートによる洋画ベスト150」(文春文庫)より

 この文章が書かれたころ、実物のビョルンは愛息を突然死で失い、失意の底にあったということを今回の映画で初めて知った。ユーザーが「不滅」のイメージに浮かれるのは勝手だが、残された実体の方は残酷な現実を生き続けなければならない。

 

 ヴィスコンティをはじめ、ある種の演出家には素材の“旬”を吸い取ってしまう吸血鬼的な側面がある。ましてや同性愛者の多いヴィスコンティ組スタッフは、映画が完成するやビョルンをゲイクラブに連れ出したりしたそうなので、保護者としても問題が多かった。『ベニスに死す』以後のビョルンの芸能活動は運に恵まれなかったようだが、「世界で一番美しい少年」というレッテルに振り回されたことも強く影響していたことは間違いない。10代にして生涯の代表作を持ってしまうことの恐ろしさ。しかし、愛娘や新しい恋人とつきあいながら、『ミッドサマー』に出演したり音楽活動を続けたり、やや危なっかしい一人暮らしを続ける現代のビョルンは、伝説のレッテルから自由になって、さらに魅力的に見えた。

 

 

 一方、『BELUSHI ベルーシ』で描かれるジョン・ベルーシは、またたくまに伝説を打ち立て、33歳で夭折した破滅型のコメディアンで、今年は没後40年。私がその存在を知った時はもう亡くなって数年が経っており、やはりレンタルビデオで『アニマル・ハウス』(1979)と「サタデー・ナイト・ライブSNL)」のスケッチを集めた『ベスト・オブ・ジョン・ベルーシ』を観ることでその魅力を知った。

 

 このドキュメンタリーはジョン・ベルーシの評伝を出す際に集めた取材音声を再構成したもので、評伝の邦訳が出なかったため、ファンとしては映画版の公開は喜ばしい。が、彼の作品歴を把握している日本人でなければ、ちょっとこの内容からベルーシの魅力を知るのは難しいのではないかな、と心配になった。 

 ジョン・ベルーシ夫人のジュディスや弟のジム・ベルーシ、盟友ダン・エイクロイドをはじめとするSNLの面々、映画監督のハロルド・ライミスやジョン・ランディス……懐かしい顔ぶれの声に、過去の映像素材や遺族から提供された写真とプライベート・フィルム、そしてロバート・バレーによるアメコミ風アニメーションが挿入されて展開する。それにしても、アメリカの人というのはどうしてああも子供の頃からいろんな映像を撮ったり資料を保管していたりするものか! その一方で、映画のフィルムやブルース・ブラザースのライブ映像は使用料が高額なため、わずかしか使えない。ベルーシの「芸」を知りたい人は、現在廃盤のDVD『ベスト・オブ・ジョン・ベルーシ』をどうにか入手して観るべるーし。

 

 アルバニア移民の息子だったベルーシは、高校・大学ではアメフトの名選手、バンドを結成すれば人気ドラマーと「学校の花形」の道を邁進した。やがてコメディ劇団のスターから「サタデー・ナイト・ライブ」のレギュラー出演者へと、トントン拍子で成功を掴む。

 その芸風は、ピーター・セラーズのようなクセのある英国の喜劇役者とも、ウディ・アレンのような知的なユダヤ人ユーモリストとも異なる、明るく無邪気で破壊的、音楽活動への取り組みなど含めて、体育会系の笑いだった。日本でいえば、とんねるずの出現に近いインパクトがあったのではないか。しかしベルーシの肉体はアイドルとして可愛がれる類のものではなく、非常にチャーミングな一方、何か猛獣めいた野蛮なところがあった。

 実際、芸だけでなく人格もマッチョでお山の大将タイプのベルーシは、現場のふるまいも極めてワガママ、女性ライターが書いたスケッチを嫌い、女性の共演者への振る舞いも乱暴だったという。そういや日本でもベルーシファンを公言する人って男性ばかりだな。現代の女性観客があのキャラを「キュート」に感じるのは困難かもしれない。

 が、尊大に振る舞う男はえてして卑屈で繊細な部分があるもので、ベルーシにとっては「移民の息子」という部分が大きかったようだ。また若くして成功したための不安も大きく、聡明であるがゆえに「次」をいつも気にしていた。不安をかき消すため、当時流行のドラッグにのめり込んで行く。この辺はボブ・ウッドワード『ベルーシ最後の事件〜ハリウッドスターたちとドラッグの証言』にくわしいが、アメフトで鍛えた体による豪快な破壊芸が見ものだったのに、スピルバーグの『1941』(1979)の撮影時にはすでにドラッグでフラフラ、『ブルース・ブラザース』(1980)の現場では撮影を続行させるのが大変だったという。しかし、トレーナーをつけて薬物治療はかなりの部分まで成果を上げていたとはこの作品で初めて知った。ジュディス夫人の苦労が忍ばれるが、それでもベルーシが薬物を断てなかったのは、「陽気で豪快で才気煥発のコメディスター」を演じ続けなければならないプレッシャーにあったようだ。

 1982年3月、ベルーシが過剰摂取で死亡した夜、そばにいたのはロックバンドのグルーピー兼麻薬の売人だったキャシー・スミスという女性だが、今回の映画には登場しない。キャシーは服役後、法律関係の仕事をしながら子供たちに麻薬の悪影響を語る活動を続け、2020年に亡くなったと先ほど検索して知った。

 

 ジョン・ベルーシの暴力的な個性は、SNLでのスケッチと『アニマル・ハウス』の怪演、ブルース・ブラザースのライブで燃え尽きており、性格俳優としての第一歩を模索しているうちにパンクしてしまった。予定通り『ゴーストバスターズ』(1984)に主演できていたら、どんな展開があり得たかわからないが、21 世紀は彼にとって居心地の良い時代ではなかった気がする。

ブルース・ブラザース』は音楽権利の関係で日本ではなかなかビデオが出なかった。中学生の私はどうしても見たくて、代わりにサウンドトラックのLPレコードを買ってきた。当時すでにCDの時代だったのに、発売が数年前なのでレコードしか出てなかったのだ。それが私の初めて自分で買ったレコードであり、R&Bとの出会いだった。

 ジェイク&エルウッド兄弟に感謝。

没後30年 英国時代のデヴィッド・リーンを観る

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David Lean(1908〜1991)

 2021年は、映画監督デヴィッド・リーン(1908〜1991)の没後30年にあたるのだが、映画ファンの間で特にその話題が出ることはなかったようだ。『戦場にかける橋』(1957)や『アラビアのロレンス』(1962)の巨匠も、その名声に比して省みられることが少ない気がする。そういえば、映画マニアというのはえてして「あの監督は初期の方がよかった」などと賢しげなことを言いたがるものだが、リーンに関してはそういう声すら聞かない。というか、『逢びき』(1946)以外の初期作品は本当に観られているのだろうか。そんな疑いを抱きたくなるほど、評判を聞くことがない。

 せっかく日本では全作品のソフトが発売されているというのに、それはあまりにお気の毒、とリーン贔屓の私は考える。そこで今年の春の休業期間、彼の初期作品をまとめて観賞、感想をメモしていたのを思い出し、今年最後の記事としてこれを公開する。

 興味を持ったみなさんの観賞の一助となれば幸いである。

 

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軍旗の下に(1942)

『軍旗の下に』(1942)

 20歳で撮影所に潜り込み、やがて一流の編集技師として名を馳せたデヴィッド・リーンの監督デビュー作は、軍艦と海兵を描く戦意高揚映画だった。本来は劇作家ノエル・カワードの脚本・監督・主演作として進行した企画で、カワードが艦長、艦長夫人をシリア・ジョンソン、海兵をジョン・ミルズ、その恋人をケイ・ウォルシュ(当時のリーンの妻)が演じている。編集担当のリーンが、カワードから戦闘場面の演出について相談を受けるうちに、「共同監督」のポストをせしめたらしい。俳優を演出した経験のないリーンにとって、ベテラン演劇人であるカワードとの共同作業は学ぶことが多く、その後の活動においても彼とコンビを続ける事になる。

 物語は、駆逐艦トリンの竣工から出航、そしてドイツ軍との戦闘、沈没、救命ボートでの漂流までを追いつつ、艦長以下海兵たちの回想(家族との生活)が交錯するという構成で、『逢びき』のカットバック式回想構成がもうここで始まっていたのかと驚かされた。正直、あまり戦意が高揚しそうにない重苦しいエピソードが多いのだが、その中に英軍がフランスのダンケルクから撤退する有名なエピソードも巧みに挿入され、英国民の心を熱くさせるよう、絶妙な配慮がなされている。

 ドイツ戦闘機からの攻撃を受ける場面は、セット撮影とミニチュア特撮、記録映像の組み合わせがじつに巧みで、編集マン・リーンの面目躍如。アメリカのアカデミー賞でも、作品賞と脚本賞にノミネートされた。

 撮影は後に『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)を監督するロナルド・ニーム。この時点ですでに船の転覆場面を撮っていたとは!

 

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幸福なる種族(1944)

『幸福なる種族』(1944)

 監督としての自信を得たリーンは、プロデューサーのアンソニー・ハヴロック=アラン、撮影のロナルド・ニームと共に「シネギルド・プロダクション」を設立。出資してくれたノエル・カワードの戯曲を原作に、1919年の第一次大戦終結から1939年の第二次大戦勃発の20年間に渡る、ある家族の年代記を手がけた。中心となるギボンス家の父がロバート・ニュートン、母がシリア・ジョンソン、次女がケイ・ウォルシュで、次女に恋する青年がジョン・ミルズ。早くもリーン組のキャストが定まりつつある。

 1924年の英国万博やラジオの家庭への普及、共産主義にかぶれる長男や、ナチス支持を訴える演説男など、時代それぞれのトピックをスケッチするNHK朝ドラ的物語だが、「歴史に翻弄される人間」をとらえるリーンの視点が早くも育ちつつある。同じ家族年代記でも、木下惠介の『喜びや悲しみも幾年月』(1957)のような「マジメに働き続けた夫婦の愛」でシミジミするのではなく、国の行く末にまで視点は広がっている。もちろん戦時中の作品なので国を疑うところまでは描けず、第二次大戦が始まるところで終わる。

 隣家の青年と恋を育んでいた次女が、突然別の既婚男性に恋して駆け落ち、しかし捨てられ里帰り、すべてを受け止めた隣家青年と改めて結婚する、というエピソードに代表される保守性は、原作や時勢の影響が大きいが、当時のリーンの内部においても、こうした「節度」こそ英国人の本質、という視座が存在していたように思われる。

 室内セットを動き回る俳優たちを、テクニカラーのカメラで粘り強く追う演出が印象深く、この時点では、リーンは俳優の演技をいかに効果的にフィルムへ定着させるかに心を砕いている。地味だが野暮ったさはなく、一方で凱旋式典にあふれる大群衆は驚くべきスペクタクル。当時こんなにエキストラを集められるとは思えず、木下惠介の『陸軍』(1944)と同様、実際の式典でカメラを回したのだろう。

 

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陽気な幽霊(1945)

『陽気な幽霊』(1945)

 これも原作はノエル・カワードの戯曲で、脚本も前作と同じくシネギルド三人組(リーン、ニーム、ハヴロック=アラン)。そして撮影はロナルド・ニーム

 ミステリ作家のレックス・ハリスンが小説のネタとして降霊会を行うと、死んだ前妻の幽霊が登場、家に住みついてしまい、後妻と衝突……という『居酒屋ゆうれい』の元祖みたいな幽霊喜劇。

 完成されたシチュエーション・コメディの戯曲をいかに「映画」に移し替えるか? この課題に、リーンは「幽霊の表現」で答えようとする。舞台では表現不可能な特撮技術を駆使し、前作とは違って細かくカットを割り、色彩の効果を計算した画面作りで効果的な表現を探り、それなりの成果を挙げている。カラー撮影は『幸福なる種族』よりはるかに美しい。それでいて達者な出演者たちがのびのびと芝居するのを邪魔することなく撮影しており、演出家として安定した技量を獲得しているのが見て取れる。

 しかし、この作品の面白さはノエル・カワードの原作戯曲に大きく依っていることはあきらかで、リーンはその影響下から、いかに自分の個性を育てるかもがき始めているようにも思う。映画版のラストのオチは原作にはなく、カワードはこの脚色に激しく反対したという。

 

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逢びき(1946)

『逢びき』(1946)

 原作はまたしてもノエル・カワードの戯曲『静物画』だが、今回は「映画的表現」の探求で一歩先に踏み込んでいる。喫茶室が舞台の室内劇だった原作を、駅の待合用のカフェに設定することで、汽車の動きや煙の動きなど、外の状況変化を画面内に取り入れ、視覚的にも広がりを感じさせ、飽きさせない。

 脚本はシネギルド三人組に原作者カワードが加わって四人で、人妻シリア・ジョンソンと、医師トレヴァー・ハワードが不倫の恋に陥る典型的なよろめきドラマ。深刻ぶった主人公のモノローグとラフマニノフのピアノ協奏曲が鳴り響きつつ回想場面へと展開する演出は、「せいぜいキスした程度の不倫話にものものしすぎじゃね?」と現代の観客はシラけるかもしれない。が、この技法は今井正の『また逢う日まで』など、さまざまな作品に影響を与えた一種の発明でもある。

 別れの日に二人の出会いと恋愛の過程が回想されてゆく構成に加えて、主人公の日常と感情の動きが細かく演出されているのも見逃せない。主人公が夫に嘘をつく場面、鏡台に映った自分の鏡像に向かって喋るのだが、その鏡像の背後を、居間をうろつく夫の姿がチラチラと映り込むのが心理的なプレッシャーとなる場面も鮮やか。リーンが4作目にして映画の言葉を駆使する技を身につけたのはあきらかだ。

 撮影は後に『第三の男』(1949)を撮るロバート・クラスカー。恋が終わり、破滅願望にとらわれた主人公にカメラがぐーっと接近する時、構図が斜めに変化してゆくことで緊迫した感情を表現する。しかし、線路に飛び出しかけたところで思い止まると、またカメラが正対に戻ってゆく(精神が安定を取り戻したことを示す直截な表現)、そんなカメラが芝居してしまう大ケレンという、あきらかにクサい演出を一箇所だけやってみせるというのも効いていた。

 

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大いなる遺産(1946)

『大いなる遺産』(1946)

 ノエル・カワードの影響下から脱したデヴィッド・リーンの次の課題は、愛読するチャールズ・ディケンズ文学の映画化だった。脚本はシネギルド三人組に、セシル・マッギヴァーンとリーン夫人のケイ・ウォルシュまで加わり総勢五人。

 この作品は、高校生の時にテレビ放映で観て、その白黒映像の表現力と物語の面白さに驚いたものが、後にディケンズの原作を読むと、人生への皮肉な視点や、無常観すら感じさせられるエピソードはことごとくカットし、貧困少年が財産と想い人を獲得する成長譚にまとまるよう単純化していたことに気づかされた(タイトルに込められた二重の意味合いも消えている)。「文芸映画」の作家と捉えられがちなリーンだが、彼は原作が持つ文学的香気やその観念の奥深さを映像に移し替えることにはさほど興味はないらしい。あるのは英国人が直面する格差や不倫、あるいは忠誠心を起点とする葛藤のドラマを、当時の社会・歴史も含めていかに映像的につかみ出すかで、この姿勢は後年、外国を舞台にするようになってからも一貫している。

 とはいえ国民作家ディケンズの原作を、当時の挿絵そのままのイメージで再現した腕前は見事なもので、墨絵のような19世紀英国郊外の風景や、古城のゴシック風な不気味さを的確にとらえた白黒撮影の効果は際立っている。撮影はロバート・クラスカーで開始したが、リーンと意見が衝突したらしく降板、ロナルド・ニームの助手をしていたガイ・グリーンが担当した。

 主役のピップはジョン・ミルズで、友人役にアレック・ギネスが登場、すでに三十代半ばの彼らが「元気な青年」を演じているのも少々舞台的ではある。

 

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オリヴァ・ツイスト(1948)

『オリヴァ・ツイスト』(1948)

 ディケンズ映画化第二弾。初期の代表作を、前作のゴシックロマン風とは異なり、よりリアリスティックな雰囲気で、「貧困少年が幸福を掴むまでの冒険譚」として仕上げている。撮影は前作に続いてガイ・グリーンで、オペレーターがオズワルド・モリス。モリスは後にキャロル・リード監督で『オリバー!』(1970)の撮影も担当している。脚本はスタンリー・ヘインズとリーン。

 19世紀前半の英国の再現度については、セットとロケーションはもとより、ロングショットではマット絵合成を駆使するなどして前作以上に徹底した絵作りを行なっている。光源を活かして大胆に「影」をつける照明法は、当時のヒッチコックキャロル・リードに比べても遜色なく、英国スタジオの技術力を感じさせる。さらに、映像と音楽をシンクロさせてアニメ的な効果を出す演出や、悪漢サイクス(ロバート・ニュートン)が情婦ナンシー(ケイ・ウォルシュ)を殺す場面での大胆な幻想場面の挿入など、表現主義的な技法を取り入れていっそうの効果をあげようとしているが、いささかやりすぎてリアル志向の狙いからはみ出してしまったようだ。

 孤児たちのスリ集団を指揮する老人フェイギンをアレック・ギネスがカギ鼻をつけて熱演しているが、この種のステレオタイプユダヤ人描写は当時から批判があったという。しかしリーンは政治的な正しさより画面上のわかりやすさを優先するタイプなのは、その後の作品からもわかる通り。

 ちなみにリーン版ではフェイギンが逮捕されて終了だが、ミュージカル版の『オリバー!』ではフェイギンは逃亡に成功し、スリ小僧の一人と連れ立って旅に出る。ロマン・ポランスキーの『オリヴァー・ツイスト』(2005)では、原作通り、逮捕されたフェイギンを処刑前日にオリバーが面会に訪れる場面が描かれる。

 

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情熱の友(1948)

『情熱の友』(1948)

 原作はなんと『宇宙戦争』や『タイム・マシン』のH.G.ウェルズ。脚本は『あるスパイの墓碑銘』や『ディミトリオスの棺』のエリック・アンブラー。これをスタンリー・ヘインズ&リーンのコンビで潤色している。1922年のサイレント版に続く2度目の映画化だが、リーンとしてはさほど気乗りのしない企画だったようで、ロナルド・ニームの依頼を断りきれなかったらしい。

 内容は『逢びき』の夢よふたたび、という感じのよろめきメロドラマ。しかし舞台がスイスの観光地というのがミソで、美しい景色の中で展開する不倫恋愛という、その後のリーンの作家性の助走になったような作品とは言える。女性主人公のモノローグで回想場面が交錯するという構成も、不倫相手を演じるのがトレヴァー・ハワードなのも、あからさまに『続・逢びき』を狙った様子。

 回想の入り方が『逢びき』より複雑なので困惑するが、整理するとこういう流れ。

・1934年…主人公メアリーが貧乏研究者の恋人スティーブンを捨て、安定を求めて年上の銀行家ハワードと結婚する。

・1939年…舞踏会でメアリーがスティーブン(仕事で成功し、婚約者がいる)と再会。焼け棒杭に火が付きかけるが、夫のハワードが気づき、二人を絶縁させる。

・1949年(現在)…避暑に来たスイスでメアリーとスティーブンがまたまた再会。改めて焼け棒杭に火が付き、気づいたハワードはついにスティーブンへの告訴と慰謝料請求を宣言する。

 なんでそう偶然再会してばかりいるんじゃ! と言いたくなるお話。そして原作ではメアリーは自殺してしまうのだが、映画は『逢びき』同様にそうならないのも腰砕け。リーンの保守性が作品を食い足りない方向に導いてしまった。

 こんなハナシを撮っていながら、リーンは妻ケイ・ウォルシュと関係が悪化し、翌年離婚してしまう。三番目の妻となったのは、この作品でメアリーを演じたアン・トッドであった。いい気なもんだな、オイ!

 

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マデリーン 愛の旅路(1950)

『マデリーン 愛の旅路』(1950)

 アン・トッド主演第二弾。製作はシネギルドで、脚本はスタンリー・ヘインズ&リーン、撮影はガイ・グリーンのいつもの面々。

 いかにもメロドラマな邦題だが、いわゆる「マデリーン・スミス事件」の映画化である。19世紀半ば、英国お嬢様のマデリーンがフランス人事務官と身分を越えた恋愛に燃え上がるが、やがて現れた英国紳士に心が移る。逆玉を狙っていた事務官は憤慨し、マデリーンから送られた恋文を使って脅迫を行う。リベンジポルノの危機に苦悩するマデリーン。するとある日、事務官が砒素中毒で急死する。マデリーンに毒殺の疑いがかかるが……。

 後半は松本清張『疑惑』ばりの裁判劇に転換するのだが、普通、この種のサスペンスは被告席に立った主人公が、検事の反対尋問に抗いながら無実を訴えるのがクライマックス。ところがこの作品、裁判に入るとマデリーンはほとんど喋らなくなってしまうのだ。後に『インドへの道』でも、「彼女に何が起こったのか?」をめぐる裁判劇を描いたリーンだが、女性主人公を単なる「気の毒な被害者」に置く図式性に抗い、もっと謎めいた存在として描こうという狙いが感じられる。

 そして、いくらなんでもお嬢様を演じるには無理があるアン・トッド(当時42歳)を主演に据えた狙いも後半でわかる。セリフがなく、表情と佇まいだけで毅然と状況に立ち向かうマデリーンの存在感を描き出すには、彼女のクールな風貌がぴったりだ。そしてラストに浮かぶ、見えるか見えないかの微笑。

 19世紀が舞台でも、過去のディケンズ物とは違って様式的な絵作りは避け、半地下に置かれたメイド部屋と外界との高低差や、男女の心の距離の変化を、移動するカメラによって変化する俳優の立ち位置で表現する演出など、じつに繊細かつ的確。

 当時あまり評判にならなかったのは結末がはっきりしないからだろうが、むしろ現代の目で観た方が楽しめること間違いない作品だ。しかし、リーン自身はこの作品を最大の失敗作と考えていたらしい。

 

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超音ジェット機(1952)

『超音ジェット機』(1952)

 リーン初のオリジナル企画の映画化。南極のスコットやリビングストンのアフリカ探検、エヴェレストに挑むマロリーとアーヴィンなどの企画を検討した結果、当時進行形だったジェット機開発の物語を選択したという。この作品からシネギルド・プロダクションを離れ、アレクサンダー・コルダが主宰するロンドン・フィルムの製作になる。リーンは自ら綿密な取材を行い、テレンス・ラティガンにストーリーと脚本を書かせた。撮影は新たにジャック・ヒルディヤードが担当。

 物語の中心になるのは、テストパイロットのトニー(ナイジェル・パトリック)と、新妻のスー(アン・トッド)。そして、スーの父親の航空会社社長(ラルフ・リチャードソン)。てっきりトニーが音速を突破するまでを描く「プロジェクトX」なのだろうと思っていると、そうではない。身内に何人も犠牲が出ようが音速突破への挑戦を決してあきらめない社長の方が主人公なのだった。そして、危険な開発事業を続け、もはやマッドサイエンティスト状態の父を理解できない娘との対立が描かれる。

 未知の世界への冒険や、己に課した使命に取り憑かれた男の野心と狂気を描いて、『戦場にかける橋』や『アラビアのロレンス』の先駆けをなす作品。また、「大空には静寂がある。本物の静寂が」というトニーのセリフは、ロレンスの「砂漠は清潔だ」に通じるものがある。

 ドキュメントタッチでリアルに描写するジェット機開発は、『軍旗の下に』の軍艦工場や『戦場にかける橋』の鉄橋工事同様、集団でモノを作り上げる描写への情熱がみなぎっている。ここへ夫婦愛のロマンスや事故発生のサスペンス、父娘の心理葛藤を交錯させながら描きこむ技が冴え渡り、特に実際の航空機にカメラを乗りこませての空中撮影は、英国時代のリーンの到達点を示す迫力。誰も撮ったことのない光景を見せたい、という表現欲求はますます募り、英国の枠を食い破りそうになっている。

 ラストはもちろん音速突破の大成功と父娘の和解が描かれるわけだが……『ライトスタッフ』(1983)で描かれたとおり、1948年に音速の壁を超えた世界初のパイロットはアメリカ空軍のチャック・イェーガーである。この映画はあくまで「英国における音速突破物語」でしかもフィクション。でも、知らずに見れば世界で最初にマッハを超えたのは英国人なのかー、と勘違いしてしまうこと必至なわけで、実際そう誤解した観客は多かったという。なんともずぶとい脚色だが、そういうことを平然とやれるのもリーンの個性である。

 もちろん、リーンの意図は国威発揚などではなく、社長のガンコな英国人気質と、そこから生み出される家庭内のドラマを斬新な空撮映像に乗せて描き出すという映画的効果にあった。

 

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ホブスンの婿選び(1954)

『ホブスンの婿選び』(1954)

 いよいよ次の段階に行くかに見えたリーンだが、その前にハロルド・ブリッグハウスの戯曲(1915年初演)の映画化を手がけている。1920年(サイレント)、1931年(トーキー)、1950年(テレビドラマ)に続く、この時点で映像化4度目という人気原作だ。

 舞台は19世紀末、マンチェスターで大きな靴屋を経営するホブスン(チャールズ・ロートン)は、婚期を逃した長女には自分の老後を世話させ、次女と三女は持参金を払わずにすむ縁談を自分で見つけよう考えていた。むろん娘たちの意思などお構いなし。しかしそんな父に長女マギー(ブレンダ・デ・バンジー)は反旗を翻し、店の職人ウィリー(ジョン・ミルズ)を夫に選んで独立を宣言。マギーの店は成功し、二女と三女もそれぞれの恋人と結婚、威張り腐っていた父親の権威は失墜する。

 プロデューサーのアレクサンダー・コルダから依頼を受けて引き受けた企画だそうだが、リーンとしては『超音ジェット機』に続く「英国のガンコ親父」映画第二弾。前作ではオヤジが初志貫徹したが、こちらではオヤジが見下していた長女や職人たちの前に見返され、己の傲慢さを自覚させられてしまう。そして、「労働力」としか見られていなかった長女や無学な職人が「人間」としての生き方を回復してゆく物語でもある。

 ホブスンが毎夜飲みに行くパブの、飲んだくれオヤジが集まり、腐臭が漂ってきそうな描写がすごい。そんなホモソーシャル空間が、マギーの力によって崩壊し、新たな姿に更新されてゆく様子もテンポよく描かれる。

 実際のマンチェスターの街でロケした部分と、スタジオに構築されたセットのマッチングも素晴らしく、これまでにリーンが撮った時代劇に比してもいちばんの完成度を見せている。内容的にも、英国時代のリーン作品の中で、現代の観客がもっとも自然に受け止めることができる完成されたドラマだと思う。

 

 以上の作品でデヴィッド・リーンが問い続けたのは、英国とは何か、英国人(つまり自分とは)何者なのか、という問題だろう。「映画による英国人論」を10本も撮り続けたリーンは、『超音ジェット機』と『ホブスンの婿選び』という達成を得て、いよいよカメラを英国の外へ向けることになる。

 その第一弾が、ヴェネチアを舞台にアメリカ人観光客の女性が不倫の恋に落ちる、『旅情』(1955)だった。リーンはこの作品を自らの最愛の作品に挙げている。

 

 かつて、作家の高樹のぶ子は、生涯のベストワンに『ライアンの娘』(1970)を挙げ、好きな監督であるデヴィッド・リーンの魅力をこう表現した。

 

デビッド・リーンは、対立する要素、異質なもの同士をぶつけ合い、触れ合わすことによって、その接点が摩擦熱によって溶け出す様を描こうとする。そういう熱によって溶け出した窓口から、人間の真実を覗き見ようとする。

 

『旅情』以後のリーンは、まさにそのような作家に成長した。そして、高樹の一文はこう締めくくられている。

 

私が知っているデビッド・リーンは『戦場にかける橋』以後で、それ以前にも十本以上を監督している。その中には喜劇もあるらしい。一度最初から、全部見てみたいと思うが、『戦場にかける橋』、『アラビアのロレンス』、『ドクトル・ジバゴ』、『ライアンの娘』、『インドへの道』それだけで充分だ、という気持もある。

 

 いや、気持ちはよくわかるがそれはもったいないですよ高樹さん、と言ってあげたい。デヴィッド・リーンという巨大な樹木の幹の部分を育てるに至った、根になる10本は、決して無視してよいものとは思わない。

 最後に、『旅情』を完成させた直後のデヴィッド・リーンが挙げた、戦後に観た映画のお気に入り作品11本を挙げておこう。初来日の際の取材で答えたものである。

 

デヴィッド・リーンが選ぶ戦後映画ベスト11(1955年選)

 

肉体の悪魔クロード・オータン=ララ

自転車泥棒ヴィットリオ・デ・シーカ

ライムライト(チャールズ・チャップリン

第三の男(キャロル・リード

羅生門黒澤明

夜ごとの美女ルネ・クレール

天井桟敷の人々(マルセル・カルネ

ローマの休日ウィリアム・ワイラー

戦火のかなた(ロベルト・ロッセリーニ

輪舞(マックス・オフュルス

サンセット大通りビリー・ワイルダー

※順不同

 

金沢城と七尾城

f:id:goldenpicnics:20211226144318j:plain白亜の城・金沢城

 

 この3ヶ月あまりの間に、仕事で何度も金沢に行っていました。

 その仕事とは金沢城関連のもの。コロナ禍で城めぐりもひさしくできなかった分、存分に城郭探訪を楽しんでまいりました。仕事の方では触れられなかった部分を中心に旅の感想を書き記しておきます。

 

f:id:goldenpicnics:20211226123337j:plain金沢城・石川門(重要文化財

 

 加賀百万石の居城・金沢城には過去に2度訪問しています。

 最初の訪問は、「平成の築城」による五十間長屋と菱櫓の復元が完成した直後の2001年秋。この時は午前中に福井の丸岡城を、午後に金沢城兼六園を回るという強行軍だったため、忙しすぎてぼんやりとしか記憶に残っておりません。やはり城見物は時間をかけないとダメですね。

 2度目は2015年の初頭、石川近代文学館で開催した「島田清次郎展」を見に行ったついでの訪問。しかし、前日から悪化した胃腸風邪のおかげで体調最悪、おまけにみぞれ混じりの雪が降る非常に寒い日だったため、今ひとつ集中できず……。

 なので、今回改めて資料を見ると、金沢城は白亜の城として知られている」とあるので、「え、そんなだっけ?」と思ってしまいました。じつは、金沢城の「白さ」の特徴は鉛瓦が輝く屋根、この鉛瓦って、雨風に触れて時間が経たないと、酸化による鉛白が発生しないのですよ。

 

f:id:goldenpicnics:20211226124208j:plain金沢城の巨大城壁・五十間長屋

 なので、2001年に訪問した時点では、五十間長屋の屋根瓦はまだ鉛色そのもの、2015年の再訪時は悪天候で瓦が濡れていたため、その真価に気づけなかったようなのですね。

 今回3度目の訪問でようやく、「白亜の城」の魅力を堪能することができました。

 

f:id:goldenpicnics:20211226124500j:plain金沢城・菱櫓を鈍角100度の方向から見上げる

 

 こちらは五十間長屋の北端に建つ物見櫓・菱櫓。鈍角100度、鋭角80度の菱形に作られた櫓で、鈍角側のどっしりとした構えは今や石川門に代わって金沢城の「顔」という感じになっていますが、鋭角側をとらえた写真があまり知られていないようなので載せておきます。こっちの風景の方がちょっと面白いかもしれない。

 なんでわざわざ菱形にしたのかは、「侵入する敵を広く見渡すため」と言われますが、じつは石川門の続櫓も軽い菱形状になっており、地形に合わせて建物を作ったらこうなっただけなのかもしれません。

 

f:id:goldenpicnics:20211226124653j:plain金沢城・菱櫓を鋭角80度の方向から見上げる

 

 ところで「復元」と書きましたが、金沢城の再現建築は、いずれも「復元的整備」というやつで、残された図面や写真資料に基づいて、木造で可能な限り再現はしたけれども、内部には耐震整備や防火設備が取り付けてあり、エレベーターやスロープなどバリアフリー環境も完璧に施した、現代建築なのです。

 

f:id:goldenpicnics:20211226150216j:plain復元された金沢城・五十間長屋の内部

 

「『復元』なんだから、中身も建造当時を再現しなきゃ意味ねーだろ!」と嘆く歴史ファンもいるかもしれませんが、昔通りの完全再現なんて今じゃ建築基準法を通過しないのだから絶対無理、特別措置法を得て実現したところで、観光客を大量に入れることはできなくなるでしょう。それに、いつ地震や火事で失われるかわかりません。大予算のプロジェクトでそんなリスク高い復元建築を作るよりは、伝統工法を意識しつつ、防災設備やバリアフリーにも配慮して、利用者に長く愛される建物にした方がいい。今後の城郭復元はこちらの思想が中心になってゆくものと思われます。

 さて、金沢城の再建工事は今も続けられており、昨年は鼠多門が復元されました。出来たてホヤホヤなので、なんだかプラスチック製なのかと疑いたくなるほど全体にピカピカ。

 

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2020年に復元されたばかりの金沢城・鼠多門

 

 海鼠壁の漆喰が黒っぽいので、鼠色をした門ですが、その鉛瓦はやはりまだ灰色が残っているようですね。

 比較して面白いのは、石川門と同じ現存建築の三十間長屋。

 

f:id:goldenpicnics:20211226125334j:plain金沢城・三十間長屋(瓦の色が変化しているのに注目)

 

 幕末に再建された本丸の倉庫で重要文化財ですが、その鉛瓦を見てみると、およそ半分が赤茶色に染まってしまっており「白」の美しさが損なわれています。この原因、公式には不明とされていますが、熱心なボランティアガイドさんの調査によると、昭和40年代の修復工事で瓦を葺き直した際、昔ながらの純度の高い鉛瓦と、混ぜ物が多い鉛瓦が混在したためらしいのだとか。どうも鉄分が混じって赤錆が出てしまったみたいなのですね。

 

f:id:goldenpicnics:20211226125658j:plain金沢城・石川門の石垣(左が粗加工石積み、右が切石積み)

 

 さらに、金沢城の名物といえば、「石垣の博物館」の異名を取る多彩な石垣。今年の『ブラタモリ』でも特集されておりました。

 城門の枡形(敵を侵入させにくくするための構造)が完全に現存する石川門でも、門をくぐった内側では左右で石垣の積み方が違う、という奇妙な光景を見られます。これは火災による修復工事を何度も繰り返したため、技術の異なる石垣が共存しているのだとか。そりゃ石垣を全部組み直していたら、予算も工程もかかりすぎますからね。もっとも「この方が趣があって面白い」と思って残した可能性もあります。

 

f:id:goldenpicnics:20211226130009j:plain金沢城・本丸丑寅櫓下の石垣(1592年ごろ建造と思われる)

 

 本丸の近辺では、築城初期の1590年代に築かれた石垣も残っています。荒く割った無骨な自然石積み(野面積み)の石垣が、猛将・前田利家の時代を彷彿とさせますな。

 

f:id:goldenpicnics:20211226130138j:plain金沢城・三十間長屋の石垣(金場取り残し積石垣)

 

 これが1750年代の宝暦時に改修された三十間長屋の石垣となりますと、ピタッと隙間なく合わせる切石積みの技法を使いながら、真ん中だけ石の凸凹を残して荒々しさを演出しています。「金場取り残し積み」というのですが、石垣も強度より興趣が重視されるようになってさらに技術が発展したことがうかがえます。

 この種の変わり石垣の白眉が、玉泉院丸庭園にある色紙短冊積石垣。色紙型の正方形の石や、短冊型の縦長長方形の石垣を組み合わせ、戸室石の色違いをモザイク風に組み合わせた石垣で、2015年秋に庭園ごと復元されたもの。

 

f:id:goldenpicnics:20211226130610j:plain金沢城・玉泉院丸庭園の色紙短冊積石垣

 

 これを見るのは私も初めて、金沢城独自の芸術的石垣ということで期待したのですが、なんとまぁカビのようなシミがべったり貼り付き、すっかり黒ずんでしまっているではありませんか。復元からわずか数年でこの有様はなんともひどい。ブラシでゴシゴシこすってやりたくなります。

 汚れの原因は排気ガスを含んだ酸性雨のせいだとか。表面を研磨する方法はあるらしいけど、そうすると石の色味が落ちてしまう可能性もあり、手をつけるのが難しいようです。

 

f:id:goldenpicnics:20211226131104j:plain金沢城・玉泉院丸庭園(奥に色紙短冊積石垣)

 

 とはいえ、この玉泉院丸庭園は二の丸のさらに奥にあり、藩主が家族や気心の知れた者たちと過ごす憩いの場だったとか。外交用に使用された大名庭園兼六園の広大さと見比べるのも一興でしょう。

 

 今回の仕事では、前田利家金沢城に入る前に本拠地としていた、能登国の七尾城にも訪問できました。

 駅からバスで資料館前まで行き、そこから山道を上ること約1時間。ハイキングコースの森の中から巨大な石垣が現れるのは圧巻です。

 

f:id:goldenpicnics:20211226134102j:plain能登・七尾城(登山道から桜馬場へ通じる石垣)

 

 まぁ、この石垣は前田利家が入城した際に建造されたのか、それ以前の領主である能登畠山氏が基礎を築いていたのか、いろいろ議論があるようです。特に遊歩道に沿った部分の石垣は多くは後に積み直されているそうで、建造年代がよくわからないみたいなのですね。

 

f:id:goldenpicnics:20211226134932j:plain七尾城・桜馬場の五段石垣

 

 このように犬走りをつけて階段型の積み方にするのは、高石垣を組む技術が当時未発達だったことをうかがわせます。石垣の裏に裏込石がつめられていることもありません。前田利家が入場する以前の支配者、畠山氏は上杉謙信に攻められて滅亡しているのですが、この上杉戦の頃には現在の城郭はほぼ出来上がっていたのではないかという見方もあるようです。

 これが、最も古い時期の建造と思われる二の丸の石垣。堂々の自然石積み(野面積み)ですね。

 

f:id:goldenpicnics:20211226135223j:plain七尾城の二の丸石垣

 

 一方、本丸を支える石垣は、石の形と表面を揃えて組んだ形跡があり、この辺は前田利家の時期に修復したのではないかと推測できます。

 

f:id:goldenpicnics:20211226135337j:plain七尾城本丸の石垣

 

 こちらは、城を落とした上杉謙信が絶賛したという、本丸からの光景。七尾港まで一望できます。

 

f:id:goldenpicnics:20211226135819j:plain七尾城本丸から見た城下町

 

 本丸の下にあたる調度丸(武具などを整えた場所)では、現在も発掘作業が進行中。どうも、この一帯は険しい尾根になっていたのを、本丸を切り開く際に生じた土で埋め立てて平地を築いていたようで、そうした土木工事の跡を発見し、建物の痕跡や廃棄された生活品を見つけ出しているとのこと。

 

f:id:goldenpicnics:20211226140028j:plain七尾城・調度丸で進む発掘現場

 

 こうした調査が進めば、七尾城の新しい顔が浮かび上がってくるかもしれません。逆に、大予算が組まれて城の保存と復元作業が進むと、今見ることのできる、森の中の素朴な城址光景が消し飛んでしまう可能性もあるかも……(ないかな?)。

 

f:id:goldenpicnics:20211226135942j:plain七尾城調度丸の発掘現場で見つかった土器

 

 そして金沢城も、現在は二の丸を発掘調査中。ここに建っていた二の丸御殿の復元計画が進行中とのことで、もし実現すれば、二条城二の丸御殿や名古屋城本丸御殿の約3倍になる、3200坪の巨大建築が復活するわけですが、さすがに石川県の予算にも限りがあり、全体復元は夢のまた夢。とりあえず端っこの玄関付近(全体の1/4部分)の調査に留めている様子。

 しかし、いずれ御殿の一部が再現されたら、改めて訪問してみたいものです。

 

デジタル世代の安部公房?〜シス・カンパニー公演『友達』

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 シス・カンパニー公演『友達』(上演台本・演出 加藤拓也)を観た。

 安部公房の戯曲としてはいちばんの知名度を誇るこの作品、やたらあちこちで上演されている印象があるが、有名俳優を揃えたメジャー公演として取り上げられるのは、2008年の世田谷パブリックシアター公演(演出・岡田利規)以来ではないだろうか。

 その時の世田谷パブリックシアター公演はハッキリ言って失敗作だったが、岡田を支持する批評家やファンの反応は「演出は健闘したが、いかんせん戯曲が古臭すぎて……」といった感じの、退屈の原因はテキストにある、と言いたげなものが目についた。

「違うよ、演出家の狙いがズレてるからつまんないんだよ!」

 と反発心を抱いた私は、その後の『友達』公演をマメにチェックするようになり、『友達』の魅力を分析するエッセイ「『友達』問答」を書くに至った。

 


 そんな『友達』評論家(笑)としては、今回の公演は見逃せない。観劇を終えての率直な感想をメモしておく。

 今回のシス・カンパニー版の特徴は、戯曲を完全に改変していることだ。セリフを現代口語に修正しているだけではなく、『友達』の初演版(1967)、改訂版(1974・新潮文庫に入ってるのはコレ)、そして原型になった短編小説『闖入者』(1951)を素材に、独自の脚色を行なっており、ほぼ「翻案」と言っていい。かつて世田谷パブリックシアターでの『友達』公演が構成を一部変更したことに激怒し、その後の公演では「テキスト改変不可」を厳命したと伝え聞く著作権継承者が存命だったら、ちょっと許されなかったかもしれない。

 しかし、今後の安部戯曲の上演においては、これは必要な作業ではないかと思う。特に、現代の言葉遣いから遠すぎるセリフの処理で若い俳優たちが苦労を強いられているのはしょっちゅう観ているし、外国人による『友達』の上演で「君、土足はひどいじゃないか」というセリフまで愚直に演じている例を観たこともあるが、テキストを大事にする姿勢は立派なものの、演者自身の「現実感」から遊離した舞台に仕上げたのでは、作品が持つテーマの現代性すら損ねる結果になりかねない。作品を「生かす」ための演出の第一歩として戦略的に行うのなら、テキストの改変・脚色はあってもよいだろう。

 

 問題は、その「脚色」の中身である。

 今回は舞台装置をほぼ使用せず、素劇に近いスタイルで上演される。音楽も冒頭と幕間につんざくノイズ音のみ。外部との通路となるドアを舞台中央の床に設置し、家族たちが床下から侵入してくるイメージを見せるのだが、これは同じ新国立劇場で2017年に上演した安部公房『城塞』(演出・上村聡史)でも、やはり「父親の部屋」に通じる重要な出入口を床に設定していたのを思い出し、いささか損をしている。

 セットや衣装がシンプルな分、台本も削ぎ落としたものになっており、上演時間は90分。家族たちが現れて「微笑み」を浮かべるオープニングも、闖入した家族たちがくり広げる 「泥棒猫」論争も、主人公の足を引っかけた長男に次男が制裁を加える場面も、一幕の最後で主人公がハンモックにくるまれるのも、婚約者の兄(初演版では週刊誌のトップ屋)の登場も、ラストの「今日の新聞」の朗読もばっさりカットしている。

 9人の家族として現れる「世間」と、孤独を愛する「個人」である主人公の対立から抹殺へと至る寓話を、現代の怪談として淀みなく運ぼうとしているのだが、要素を落としすぎてあの家族が「友達」を自称する皮肉が立ち上ってこない。いささかデジタル的に過ぎる、と言いたくなるほどの図式の明快さは原型短編『闖入者』への回帰を意図しているようだ。『友達』が改訂をくり返しながら社会と共に変化し続けた戯曲であることを考えると、面白い場面をほぼ省略して先祖返りしてしまった脚色を「欲がないなぁ」と思ってしまう。

 代わりに、主人公が弁護士に相談に行く場面(『闖入者』)、三男が主人公に語りかける場面(改訂版)、長女が主人公に脱走を呼びかける場面(初演版)などは残しているのだが、9人の家族たちのグルーブ感が不足気味なので、それぞれの細部が家族たちの存在感を大きくする効果へとつながらない。テーマ曲「『友達』のブルース」も、主人公が檻に入れられてからとってつけたように合唱されるのだが、唐突な印象しか与えないし、ラストで次女が主人公に渡す飲物を「牛乳」から「赤ワイン」に変更したのも、私には疑問だった(最後、次女に声をかけるのを次男から祖母に変更したのはよかったが)。

 これだけホンをいじるのなら、主人公が内心で抱いている「共同体への忌避感」をすくい取り、お互いの「善意」がどうしてもすれ違う構造を肉付けしていったほうが、今日的だったのではないだろうか?

 意地悪な見方をすれば、今回の翻案には山崎一キムラ緑子浅野和之鈴木浩介といった達者な俳優たちと、経験の浅い俳優たちとの技量の差がつきすぎることを避ける意図があったのかもしれない。その意味ではアンサンブルに乱れを感じることのない、まとまった舞台だったが、ベテランたちは本来の技量をかなりセーブしている気配が感じられたし、林遣都有村架純らの若いスターも、まだまだ伸び代を残しているようだった。

 

 今回の翻案は、『世にも奇妙な物語』的なテレビドラマの脚色と考えれば、それなりに効果的な出来といえるだろう。スウェーデンで映画化されたシェル=オーケ・アンデション監督の『友達』(1988)も、独自の解釈によるオリジナル場面がたくさん挿入され、映像化に不向きな場面は大胆にカットされていたものだ。しかし、テキストとの格闘が感じられたスウェーデン映画版と比べても、今回の『友達』は演出家が理解可能な範囲でこぢんまりと剪定した内容に見えてしまった。

 2021年に現れた『友達』は、まさに新型コロナウィルスへの対応の混乱まっただ中という環境のため、「多数者正常の論理」や「異者排除の思想」に対する疑問が皮膚感覚で伝わりやすかったと思う。しかし、だからこそ「世間」と「個」の対立構造の先にあるもの、「同調圧力」という流行りの言葉への違和感だけでは収まりきらない、まだ名付けられていない感情を、あのラストから打ち出してほしかったと思う。