星虹堂通信

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没後20年・勅使河原宏の特集上映に通う

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 今年は勅使河原宏(1927〜2001)の没後20周年。ということで、シネマヴェーラ渋谷では、その映像作品の特集上映「アートを越境する〜勅使河原宏という天才」が開催されている。

 

 映画監督としての勅使河原宏は、これまでまとまった評価がされてきたとは言い難く、研究書も友田義行『戦後前衛映画と文学 勅使河原宏×安部公房』の一冊しかない。そもそも勅使河原蒼風という大芸術家の息子で、草月流の家元を継承した人物だからだろう、ひがみ癖の強い日本では、映画や陶芸・舞台演出に渡る多彩な活動もすべて「ボンボンの道楽」と受け取られがちなところがあったようだ。

 まぁ、父・蒼風もまた活花・彫刻・書と多彩な活動をした巨匠であり、勅使河原宏の活動は実家の後援あってこそという部分は確かにあった。それでも父親とは異なる道をとまず絵画の世界を志ざし、小林古径梅原龍三郎について修行したり、木下惠介亀井文夫の元で劇映画や記録映画の助監督を務めたり、共産党に接近して山村工作隊としてダム建設現場へ潜り込んだりと、終戦直後に出現した芸術青年らしい紆余曲折を経て自分のスタイルを確立したその活動家ぶりは、例えるならルキノ・ヴィスコンティ山岡士郎。それだけでもきわめてユニークな存在なのである。

 そんな勅使河原宏映画作家としての活動は、安部公房の映像版翻訳者という印象があまりにも強く、70年代に本人が映画の現場を離れてしまったこともあって、前衛の季節が過ぎ去ると同時に急速に忘れられてゆく。映画で「芸術」を掲げるなんてダサいという空気が広がり、映画的な冒険の最前線がロマンポルノや8㎜制作に移ったせいもあるが、私がリアルタイムで観ることのできた『利休』(1989)のころ、勅使河原宏といえばやはり草月流の華道家であり、当時流行の異業種監督の一人として受け取めていた。真価を知ったのは上京してレンタルビデオで旧作を発見してからだ。

 60年代における勅使河原作品は、かつてDVD-BOXが発売されたが現在は絶版、国内盤でBlu-rayが出たのは松竹製作の『利休』と『豪姫』だけで、「前衛」の看板を掲げていた頃の作品がなかなか観ることができないのも、いまいち知名度が広まらない原因だった。満を持して開催された今回の特集上映、ようやく観賞かなった未見作品について、メモしておこう。

 

『十二人の写真家』(1955)

 写真雑誌「フォトアート」の6周年記念として製作されたPR映画。

 木村伊兵衛は、手持ちのライカで街行く人をすばやくスナップ(今やったら問題だぞ)、三木淳は花を活ける勅使河原霞をニコンで連続して撮りまくり、秋山庄太郎はスタジオで婦人雑誌用のモデルを丁寧にライティングしながら撮影、大竹省二ローライフレックスで海岸に横たわるモデルとにこやかに語らい、林忠彦武者小路実篤の仕事場をきびしい目つきで取材撮影、土門拳は戦災の跡が残る風景で子供たちが遊ぶ様子を笑顔でスナップ……という感じで、レジェンド級のカメラマンたちの撮影風景が数分ずつ綴られる。

 彼らが撮った作品のインサートはいっさいなし。現場の音声もなく、写真家たちによる「今回、被写体になってみて」のコメントがナレーターに朗読されるのみという、じつにシンプルなドキュメンタリー。しかし、これが非常に面白い。写真家たちの「眼」と彼らが見ているモノ・風景を自分も逃さずに記録してやろうという気迫に満ちたカメラがすばらしい。写真家が変わるとそれぞれBGMが変わるというのもニュース映画風の処理なのだが、その音楽とのマッチングも批評的でよかった。

 

『インディレース 爆走』(1967)

 公開時は岡本喜八監督『殺人狂時代』と同時上映。記録的な不入りだったとかですぐに封印されてしまったらしい。今回の上映でどうしても観たかった一本。

 冒頭、スピード狂の青年たちの描写とその会話がコラージュされるのは、短編『白い朝』(1965)で採用した、ドキュメンタリーの素材を編集して新たなフィクションを構築する試みの発展形。しかしその仕掛けは徹底されず、すぐに1966年富士スピードウェイでの「インディ200マイルレース」の記録へと移ってしまい、狙いは不鮮明なものになる。

 ジム・クラークマリオ・アンドレッティ、ジャッキースチュワート、グラハム・ヒルといった伝説の名ドライバーたちが集結しての大レース、彼らの来日からレーシングマシンのエンジンの仕組みまで、くわしく解説してくれるのだが、なにしろレース自体は同じ場所をぐるぐると80周するもので変化に乏しく、優勝候補のジム・クラークマリオ・アンドレッティがマシントラブルで脱落するというアクシデントなどあるが、膨大なカメラ台数の中に、『十二人の写真家』や『ホゼー・トレス』にはあった、作者の記録に向けた「眼」も埋もれてしまったようだ。

「スピード時代に向かう人類」を批評的に見つめようとする、トボけた調子のナレーションは、小沢昭一。小沢に技術解説をするコメンテーターはどういうわけか作家の安岡章太郎。車好きの安岡は安部公房といっしょに富士スピードウェイの撮影現場も訪問している。安部も自動車狂で鈴鹿にも通ったそうだが、安岡は自分では運転しないとのこと。

「人間と自動車」をいかに撮るかの模索は、次の安部公房原作『燃えつきた地図』(1968)へと引き継がれてゆくことになる。

 

『1日240時間』(1970)

 日本万国博覧会・自動車館における展示映像。前方・左右・上方の4面スクリーンで展開する、セリフなしの短編ミュージカルである。2014年に修復版が完成したが、その上映イベントには行けなかったので今回ようやく観ることができた。

 内容は、X博士と助手Aが、飲めば時間感覚を実際の10倍に引き延ばせる薬「アクセレチン」を開発。つまり、仕事や作業を10倍のスピードでこなすことができるようになるので、世の中から歓迎されるが、当然ながら薬を悪用する連中も出現する。深刻なトラブルが発生し、博士は「アクセレチン」の販売を中止、この映画もオシマイ……になるはずが、薬を求める欲深い人々の手はスクリーンを引き裂いて博士と助手に迫ってくる。薬を飲んで逃げる博士は、猛スピードで走るうちに、やがて車輪へと変身してしまう。

「車輪の発明は人類の時間感覚を劇的に変化させた」というテーマから発想された内容で、安部公房には『棒』や『なわ』、『鞄』など、道具についての短編が複数あるが、これなどは『車輪』と付けられるべきものだろう。しかし、そのテーマを称揚するわけではなく、スピード時代の行き着く先を不気味に暗示するエンディングは、よくも自動車館で上映できたものだと思う。しかし一方で、安部公房勅使河原宏も、50年代的なアヴァンギャルド精神による寓話風ファンタジーに、そろそろ飽きがきているような印象も如実に感じさせた。

 勅使河原宏としては、『インディレース 爆走』で突きつめられなかった、「スピード時代へ向かう人類」を改めてテーマとして設定したものだろう。スピード化=機械化=オブジェ化へと向かう人間たちを、不気味かつエロティックなダンスで彩ってみせる(女性ダンサーのヌードが映るのは驚いた)。また、4面のスクリーンがそれぞれ別映像を映すマルチ画面になったり、4面でひとつの風景を描く拡大画面になったり、登場人物や小道具がスクリーンをまたがって移動したり、映像の「枠」を拡大する実験が次々と試みられるのは、かつて『完全映画(トータル・スコープ)』を書いた安部公房好みの実験精神。

 しかし、途中で博士と助手が「『アクセレチン』の製造は中止! この映画もオシマイ!」とカツラと衣装を脱ぎ捨て映像も暗転するや、劇場の客席からゲバ棒を持った全共闘学生が登場、スクリーンをゲバ棒で引き裂いて、その奥にいる博士と助手の顔をさらす、という演出は脚本にはない仕掛けだ。そこから博士と助手に差し出される無数の「手」は、観客の側から奥へと向かう構図になり、観客は「強欲な大衆」の視点で二人を追う。

 後に寺山修司が短編『ローラ』(1974)で客席の俳優が切れ目を入れたスクリーンに飛び込むと、映画の中に登場するという実験映画を撮っているが、勅使河原は万博展示映像というメジャーの場で、そのアイディアの先取りに近いメタフィクション劇を撮っていた。

 イベント映像で大いに遊んだ勅使河原は、続いてセミ・ドキュメンタリーの手法を取り入れた自主制作『サマー・ソルジャー』(1972)へと向かうのだが、一方で安部公房は、より「ストーリー」を解体させ、独自のメタフィクション構造を用いた『箱男』へと向かってゆく。二人の共同作業の最後を飾る作品として、『1日240時間』は非常に象徴的な存在かもしれない。

 

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長嶌寛幸(左)と石井岳龍(右)

 

 そのほか、6月12日に行われた、映画監督・石井岳龍と、音楽家長嶌寛幸トークイベントも聴くことができた。

 この二人といえば、映画『エンジェル・ダスト』(1994)の監督と音楽家。なんとその時以来の邂逅だそう。

 石井監督は、安部公房勅使河原宏も「ジャンルを越境して活躍した芸術家」であり、二人の本質は言葉を使わない「詩人」であると評価。長嶌氏は川崎弘二の著書『武満徹電子音楽』に触れ、草月ホールの録音技師・奥山重之助の存在と、武満・奥山コンビが勅使河原作品で行った音響実験の数々、特に『おとし穴』(1962)はオールアフレコで、音響上のクリエティビティが豊穣に感じられる作品なので、ぜひ多くの人々に観てほしいと強調。

 二人とも、勅使河原作品は、撮影・録音機材の性能が乏しい時代、制約の多い中でいかにリアルな「現実」を記録・表現するかで試行錯誤を行っており、記録的リアリズムを突きつめた上で、「超現実」の表現へと達しているのが、21世紀の観客も感動させる強度を持ちえた理由だろう、現代はスマホでなんでも撮影・録音できてしまう分、そこに映らない・録れない「現実」をどう構築してゆくかが重要、もう一度、制約の多い環境に立ち戻ってみてもよいのかもしれない、と盛り上がり40分は瞬く間に過ぎた。

 しかし石井監督、いちばん気になる箱男』映画化のため安部公房に会った話や、撮影直前に製作中止となった話については、最後まで触れずじまい……。いつかはこの話も聞けるのだろうか。

 

 そして会場では、『フィルムメーカーズ22 勅使河原宏宮帯出版社)を先行発売していたので、これも購入。てっきり存命の映画人が対象だと思っていたこのシリーズに、いきなり勅使河原宏の名が連なるのも面白い。本人のエッセイから気合いの入った論考の数々、少しずつ読み進めている。

 勅使河原宏の美意識に満ちた映像感覚と時代を見つめる「眼」は、スマホでアニメや漫画を楽しむSNS世代に、むしろ生なましく迫ってくるのかもしれない。

緊急事態宣言下に観たドラマと映画〜『今ここにある危機とぼくの好感度について』、そして『ゾッキ』と『裏ゾッキ』

 

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 三度目の緊急事態宣言がまたまた延長され、いろんな業界が休業なのか時短なのか、ワクチン接種はどうなるのかとゴタゴタしている今日このごろですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

 

 さて、NHKドラマ『今、ここにある危機とぼくの好感度について』が最終回を迎えましたな。いやぁ、後半はあからさまにコロナ禍と東京五輪をめぐる「今」の日本を諷刺する内容で、いくらなんでも早すぎる上にタイムリーすぎる物語、よく製作できたものです。

 たぶん、企画が決定しした時点ではこの内容は想定しておらず、昨年の緊急事態宣言下にスケジュール含め構想をまとめ直したのではないかと想像しますが、まさか最終回に至っても現実世界では緊急事態宣言がだらだらと続き、東京オリンピックも開催の是非をめぐって激論が続いているとは思っていなかったことでしょう。しかし、仮に撮影中にあっさり「東京オリンピック中止」が決まっていたら、ドラマの訴求力がかなり限定されたことは間違いなく、それでも脚本の渡辺あやはじめ制作陣は「絶対そんなことにはならないハズ」と、現政権のレベルを読み切っていたということで、その豪胆な作家性に改めて感服です。

 このドラマの狙いが、『スミス都へ行く』や『群衆』など、往年のフランク・キャプラ監督の社会諷刺コメディにあることは、2話を観たあたりで気がつきました。しかし、最終回は「理想主義者が悪役を打倒する」という半沢直樹的ロマンティシズムではなく、日本の腐敗の根源にあるのは、「和を以て尊しと為す」を盾に沈黙を選び、責任追求を避ける、好感度重視の日本人の性質そのものではないか、と突きつけるあたり、しっかり新世紀版のキャプラ劇に更新されていたと言えましょう。

 それにしても、松坂桃李は「頼りない二枚目」が似合う役者になりましたな。テレ朝の『あの時キスしておけば』もなかなか好調ではないですか。

 

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 シネコンが閉鎖されているので、新作映画をほとんど観に行けないのですが、それでも全編を愛知県蒲郡市でロケしたという『ゾッキ』は観ました。いちおう出身者なので気になりまして。

 

 監督は竹中直人斎藤工山田孝之の共同で、原作は大橋裕之の初期短編集。蒲郡出身のマンガ家といえば、昔は高信太郎でしたが(中学生の頃にサイン会に行ったのよ!)、今やすっかり大橋裕之

 大橋作品は往年の『ガロ』掲載マンガを思わせる不条理ナンセンスですが、蛭子能収のようなアートな気配も、渋谷直角のようなサブカル好きに刺さる批評的センスもなく、削ぎ落とした線の中にそこはかとなくハートウォーミングな雰囲気が漂うのが特徴です。今回は線の少ない大橋タッチを意識したのか、脚色でドラマ的な要素を足すことを徹底的に避け、原作の「余白感」を実写の中で再現しようとしているところを興味深く感じました。ロケ場所も、あえて蒲郡の特色ある風景を外し、西浦半島の先の方のひときわ辺鄙な地域を中心に撮っており、その「絵にならなさ」がなるほど大橋マンガっぽい。

 この作品の舞台裏を撮った『裏ゾッキ』(監督・篠原利恵)というドキュメンタリー映画も公開されており、うっかりそちらを先に観てしまったのですが、プロデューサーも兼ねる山田孝之がロケハンで蒲郡の地を案内されながら、

「いやぁ、絵になるところばかりで……」

 とお世辞を言っているのを聞き、「んなワケあるか〜い!」と心の中で突っ込んでしまいましたが、映像になったものを見ると、ナルホドこういう狙いでしたか、と妙に納得。

 私は映画監督としての竹中直人のファンで、彼の監督デビュー作『無能の人』(1991)は、つげ義春原作の映像化作品では、未だトップクラスのものだと思っています。今回は脚本段階でエピソードがシャッフルされた構成(脚本・倉持裕)を、3人の監督が挿話ごとにそれぞれ演出を分担、あるいは共同で演出したりで撮影を進め、それでいて「出演」は誰もせず、集めた素材を編集して完成させたのだとか。石井輝男監督が晩年につげ義春原作の『ゲンセンカン主人』や『ねじ式』を映画化していますが、あれは完全に趣味の世界に没入したものだったことを思うと、映画製作に関心が高い後輩を招き入れて共同作業にすることで、思い入れで突っ走るのではなく、原作エピソードの味わいのバラつき具合を再現しようとする姿勢に、竹中監督の戦略を感じました。

 

 そして『裏ゾッキ』の製作はテレビマンユニオン伊丹十三作品のころから映画のメイキング番組がお家芸の制作会社ですが、今回は映画製作の舞台裏ではなく、ロケ地に設定された蒲郡市の人々が主役となる、ローカルドキュメンタリーとなっていました。漁港と蜜柑畑以外なにもなく、有名なのはせいぜい競艇場と温泉、それにラグーナテンボスとクラシックホテルに日本最小の水族館という、コロナ禍になりゃいずれも瀕死。そんな「活性化」のネタに飢えた田舎の人たちが、映画のロケ隊という「まれびと」をいかにしてもてなすか、涙ぐましい努力が綴られています。

 しかも迎え入れたのがアングラ映画と言っていい『ゾッキ』ですからね。盛大な打ち入りパーティーの席で、斎藤工山田孝之が「みんな原作読んでるのかな?」と戸惑っている様子がなんとも可笑しかったですが、私が蒲郡を出て長い月日が経つ間に、あの閉鎖的な土地柄もずいぶん変わったものだと思いました(法螺貝を吹く喫茶店主人なんて初めて知ったよ)。

 

 とりあえず今度帰省したら、カフェ「ヤミー/Yummy」のパンを買いに行くとしましょう。年末年始にしか帰らないので、開店の日になかなか行き当たらないのですが……。

 

泣き笑い人生模様〜『おちょやん』最終回と萩尾望都『一度きりの大泉の話』

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 NHKの朝ドラ『おちょやん』が最終回を迎えた。

 この数年、改めて朝ドラをチェックしているのだけど、『おちょやん』はもっとも見応えある作品だった。全話の録画をBlu-rayに焼き、保存盤を作成したのはあまちゃん』以来のこと。まぁ、私は舞台とか撮影所とか「劇中劇」が出てくる話が好きで、人間描写と物語構造を多重化させやすいこの仕掛け、脚本家・演出家がどんな手で攻めてくるのかをいつも楽しみにしている。今回の八津弘幸による脚本は、実際の松竹新喜劇の戯曲を引用しながら、ドラマの物語と人間関係が反響しあう構造を維持していて、人物造形も最後までツボを外さなかった。さらに杉咲花成田凌いう上り調子なスターの魅力を上手に掬い取った演出も特筆モノで、わきのキャスティングもよく練られていたと思う。

 しかし最終週、千代が道頓堀の劇場で一平と再共演を果たし、これまでの人生を全肯定、出会った人々すべてを家族に迎え、役でも実生活でも「母」を演じながら生きていくというラストは、幸福感ある大団円とはいえ、いささか「涙」で押し気味の急展開に思えなくもなかった。ラジオドラマで全国区の人気者となった千代が、映画・テレビドラマの世界でひっぱりだことなり、文字通り「大阪のお母ちゃん」と認知され、それぞれの子供も大きくなってから、改めて一平との「腐れ縁」が復活する、という時間をかけた展開の方が、“All Ways Looking Bright Side of Life(常に人生の明るいところを見て歩こう)”な印象を抱けたのでは……。

『おちょやん』は本来、全125話で構想されていたのが、コロナ禍による放送日程見直しで115回にされたらしいので、いろいろ圧縮せざるを得なかった事情があるのかもしれない。

 

 そんなことが気になったのは、モデルとなった浪花千栄子は離婚後、元夫・渋谷天外との共演を拒み続けた、という史実を知っているからだろう。正確には、テレビの企画でどうしても共演しなければならなくなったことが一度あったようだが、浪花千栄子曰く、「(天外が老けてて)がっかりしました」という感想だったそう。『おちょやん』の結末を知ったら、

「ちょっと、勝手にエエ話にせんといてくなはれ!」

 と苦情を申し立てにくるかもしれぬ。

 

 思い出したのは、先日読み終えた、萩尾望都の語りおろし自伝『一度きりの大泉の話』。私は熱心な萩尾ファンというわけではないが、各SNSで、少女漫画に造詣が深いみなさんの間で大評判になっていたので、ついついゴシップ的興味で取り寄せてしまった。

 竹宮惠子萩尾望都はある時期まで親密だったが、今では距離を置いている、という話はぼんやり知っていたし、「大泉サロン」という言葉もどこかで聞いた気がするが、あまりくわしくはなかった。公平を期するため、2016年に出た竹宮惠子の自伝『少年の名はジルベール』もKindleで購入、2冊を一気に読み終えた。

「へぇ〜!」と言いたくなる少女漫画変革期の貴重なエピソードの数々が目白押しだが、じつは私、少年愛モチーフの作品としては萩尾望都の『トーマの心臓』(1974~)が先にあり、竹宮惠子の『風と木の詩』(1976~)は描写をえげつなくさせた追随者の作品だと思い込んでおりました。モチーフへの関心も作品の構想も、竹宮惠子の方がはるかに先行していたとはつゆ知らず……。だって発表順でいえば『トーマの心臓』が先なんだからしかたがない。

 そして、このような「誤解」が広まることを、1973年の時点で竹宮惠子は恐れていたのだ、という事実が、ずっしりと重く感じられた。

 

 二人が「決別」に至った事情については、性格の違う表現者が共同生活を送る上でいかにも起こりそうな出来事だが、私にとってひときわ興味深く思えたのは、二人をつなぐ増山法恵という人物の存在だ。

 ケーコタン(竹宮惠子)のマネージャーのノンタン増山法恵)といえば、中島梓の『美少年学入門』に収録された座談会(メンバーは中島梓竹宮惠子増山法恵ささやななえこ、羅亜苦)で、

変声期を迎えた後の少年にはなんの興味もないッ!」

 とラディカルな発言をした人、として記憶されていたのだが、今回この2冊を読むことで、彼女が音大志望でウイーン少年合唱団に入れ込んでいたと知っていろいろ腑に落ちた。大泉サロンは増山法恵の家の目の前にあり、彼女は教え魔の文化啓蒙者として、文学・映画・音楽・美術に関する教養を竹宮・萩尾に注ぎ込み、ネームの批評や作品分析を口うるさく続けていた。やがて竹宮惠子の分身的存在へとおさまっていった増山は、自分が長く構想していた『変奏曲』を竹宮に描かせている(というのも今回初めて知った)。

 

 わけても「少年愛」については、完全に増山法恵が理論的イデオローグであり、この二人だけでなく、出入りするファン・漫画家にまで、布教活動が行われていたという。すでに稲垣足穂少年愛の美学』を読んでその道にハマっていた竹宮惠子にとっては、教養豊かな「同好の士」との出会いは運命的なものに思えただろう。一方、SFファンから出発した萩尾望都は、二人の熱中を「ついていけない」と半ば呆れながら、理解できる部分だけ取り入れて『11月のギムナジウム』のような作品を描き上げてしまうのだから、これは恐ろしい。

 

 ちなみに『美少年学入門』には、『風と木の詩』の連載を終えた竹宮惠子中島梓の対談も収録されている。二人とも、「少年愛の時代は終わった!」と、すっかり狐が落ちた感じで喋っているのが今読むと可笑しいが、この中で竹宮は『風と木の詩』には続編の構想がある、という内容を語っている。

 しかし、それは描かれることなく、1992年になって『神の子羊』というタイトルの小説として刊行された。作者は「のりす・はーぜ」。増山法恵の筆名である。未読だが、『風と木』ファンにとってはどんな作品に映ったのか改めて気になった。そして、あれだけの思い入れを込めた『風と木の詩』の続編を、「あえて描くまでもない」と増山に託してしまった竹宮の心境というのも、やはり気になるのだった。

 

 次は、増山法恵の視点による「少女漫画と少年愛」の歴史について読んでみたいものだ。

廉価版DVDで楽しむマルクス兄弟

 先週、NHK-BSプレミアムで、マルクス兄弟の最高傑作として名高い、レオ・マッケリー監督『吾輩はカモである』(1933)が放送された。NHKの衛星放送でマルクス兄弟が放送されたのはこれが初ではなかろうか。画質はまずまず、数々のダジャレやジョークを表現する日本語字幕も、疑問な箇所は多々あれど、善戦と言っていいレベル。なにしろユニバーサルから出ている正規版DVDの字幕スーパーは、繊細さを欠いた非常にイライラさせられる代物だったから、高画質でストレスなく楽しめる『吾輩はカモである』の放送は貴重な機会だった。

 

 マルクス兄弟というコメディアンを知ったのは、中学生のころ。きっかけは小林信彦の『世界の喜劇人』(新潮文庫版)だ。あの本を読んでマルクス兄弟の映画を観たくならないコメディ好きはいないだろう。時は80年代半ば、ちょうどレンタルビデオが大流行したころで、私が住んでいた田舎のビデオショップにも、CICビクターから出た『吾輩はカモである』と『けだもの組合』(1930)のビデオソフトが出現、この時は飛び上がらんばかりに喜んだ。それがマルクス兄弟との、そして『吾輩はカモである』との出会いだったわけだが、思えばこの時のビデオ版字幕スーパーはなかなかよく出来ていた。確かIVC版のDVD字幕はこの時の字幕を流用していたはず。その後、新宿武蔵野館でのフィルム再上映版なども観たが、日本語としていちばん「しっくりきた」のは最初に観たビデオ版だった。

 参考用に、彼らの作品リストを記しておこう。

 

1929年 『ココナッツ』

1930年 『けだもの組合』

1931年 『いんちき商売』

1932年 『御冗談でショ』

1933年 『吾輩はカモである』

1935年 『オペラは踊る』

1937年 『マルクス一番乗り』

1938年 『ルーム・サービス』(日本未公開)

1939年 『マルクス兄弟珍サーカス』

1940年 『マルクスの二挺拳銃』

1941年 『マルクス兄弟デパート騒動』

1946年 『マルクス捕物帖』

1949年 『ラヴ・ハッピー』(日本未公開)

 

 一般の日本人が平易にマルクス兄弟の映画を楽しめるようになったのは、ビデオ時代が到来した80年代半ば以後のことで、それ以前はテレビ放映の機会も少なく(特にパラマウント時代の初期作品は皆無)、再上映も特殊な上映会でしか行われておらず、マルクス兄弟はまさに「伝説」の喜劇人だった。そもそも伝道師である小林信彦でさえ、『世界の喜劇人』の原型となった『喜劇の王様たち』(1963)を書いた時点で、観賞できていたマルクス映画は戦後に公開された後期作品のみ(『マルクス兄弟珍サーカス』以後)。『ココナッツ』(1929)から『マルクス一番乗り』(1937)に至る全盛期の作品群は、70年代に入ってからアメリカのシネマテークでようやく観ることができたという。

 マルクス兄弟について、よく「ドリフターズをはじめ日本のコメディ番組にも影響を与えた〜」と書かれることがあるが、戦後公開されたマルクス映画の記憶があったコメディアンなんて、世代的に谷啓いかりや長介などごく一部で(彼らはダニー・ケイアボット&コステロの影響を強く受けた)、彼らも戦前のマルクス映画など知らなかったはずだ。志村けんジェリー・ルイスに影響を受けたさらに後の世代だが、コメディ作品を熱心に研究していたので資料やテレビ放送で彼らのことをチェックをしていた可能性はある。いずれにせよ日本の喜劇ファンが実物のマルクス兄弟を認識できるようになったのは80年代に入ってからのことで、それはほとんど「教養」として受け止められたと思う。しかも初期のパラマウント作品のうち、日本でビデオ化されたのは、『けだもの組合』と『吾輩はカモである』の2本だけ。『ココナッツ』(1929)や『いんちき商売』(1931)、『御冗談でショ』(1932)を観ようと思ったら、海外からビデオを取り寄せなくてはならなかった。村上春樹がそうやってビデオで『御冗談でショ』をよく観ていると書いていて、なんとうらやましかったことか! 「ああ、自分はマルクス兄弟の全作品を生きているうちにすべて観賞することができるのだろうか?」と田舎のオタク少年は天を仰いだものである。

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  時は流れ、今やマルクス兄弟の作品は初期のパラマウント時代のものも、後期のMGM時代のものも含め、全13本が日本でもDVDとして発売された。さらに時が経ち、それらの正規版が絶版となってしまった今、マルクス兄弟の作品群はインターネットによる配信でも視聴が可能となり、昨年はパブリック・ドメイン作品を扱うコズミック出版から、全作品の廉価版ボックスセットが発売された。「マルクス兄弟スペシャルコレクション」と、「マルクス兄弟プレミアムコレクション」がそれである。値段はどちらも2000円ほど。画質も意外に悪くなく、字幕の出来もユニバーサル正規版よりずっとマシ。合計4000円払えば、マルクス映画13本を手元に置いておけるなんて、なんといい時代になったものだ。

 しかもこのボックスセット、マルクス映画13本に加えて、グルーチョ・マルクスが単独で出演した3作品まで含められているのだから、年季のいったマルクス兄弟ファンにも見逃せない。その3本を加えた合計16作品を、2つのボックスに分けて販売している、という次第だ。

 では、ここでグルーチョ・マルクスが単独で出演した3作品について紹介しておこう。

 

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『悩まし女王』 Copacabana(1947)

 

 原題となっている「コパカバーナ」とは、ニューヨークに実在する南国風の高級ナイトクラブ。日本にもかつて赤坂に同名の店がありましたナ(デヴィ夫人が働いていたとか力道山が刺されたとか……)。

 このコパカバーナに売り込みを図る男女の芸人コンビが、グルーチョ・マルクスカルメンミランダ。グルーチョはラテン歌手のカルメンを、神秘的なフランス歌手フィフィに変装させてオーディションに送り込み、カルメンとフィフィで二重に契約を取ることに成功する。しかしカルメンとフィフィ、それぞれに言いよる男が現れて……という一人二役コメディだ。

 40年代のはじめに「ブラジルの爆弾娘」というフレーズで大人気を誇った歌手カルメンミランダも、この時期は人気が下り坂、そこでグルーチョと組ませてミュージカル・コメディを一本仕立ててみよう、といった狙いである。監督は『青春の抗議』でベティ・デイヴィスアカデミー賞を与えたアルフレッド・E・グリーンだから、カルメンの出演場面はなかなか魅力的に撮られている。

 いんちきマネージャーに扮したグルーチョも、彼らしい振る舞いをそこかしこに見せてくれるものの、出色なのは彼がプロデューサーに「知り合い」が出演するショーを見せる場面。ここでステージに現れるのは、インクひげに黒背広という往年のスタイルのグルーチョ・マルクスその人であり、歌われるミュージカル・ナンバーもまさにマルクス映画調。ファンには嬉しい「劇中劇」サービスだが、印象に残るグルーチョの見せ場がここしかないというのはちょっと困る。

 とはいえ、グルーチョ単独出演作3本の中では、これがいちばん面白い出来映えなのは間違いない。

 

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『ダブル・ダイナマイト』 Double Dynamite(1951・日本未公開)

 

 銀行に勤めるフランク・シナトラとジェーン・ラッセルのカップルは、結婚したいが金がない。しかしシナトラがたまたま競馬のノミ屋を助けたことから、その礼として競馬情報を流してもらえ、運よく数万ドルの大金を稼ぐことに成功する。有頂天になったシナトラだが、そのころ勤務先の銀行で大金が消える事件が発生。疑いの目が彼に向けられ……。

 と、お話だけ取り出すと面白いサスペンス・コメディになりそうなのに、まったくそうなってない。グルーチョカップルの友人である口の悪いウェイターとして登場するが、こんな余計なキャラがウロウロするからサスペンスが高まらないのだ。

 ちなみにこの映画、撮影は1948年に行われたが、製作会社のRKOが大富豪ハワード・ヒューズに買収され、映画スタジオが閉鎖されるなどのトラブルが起こった影響で公開が3年遅れたという。監督は『科学者ベル』のアーヴィング・カミングス。『マルクスの二挺拳銃』におけるグルーチョの有名なセリフ「今は1870年だ、ドン・アメチー(ベルを演じた俳優)はまだ電話を発明しとらん」の名セリフを思い出します。

 

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マルクスの競馬騒動』 A Girl in Every Port(1952)

 

 これの作品は以前、ビデオソフト化されたことがあり、学生のころに一度レンタルで観ている。しかし、内容は完全に忘れていた。というかこの原題、ハワード・ホークスの『港々に女あり』と同じである。

 今回のグルーチョは海軍水兵(こんな老兵いるか?)。ウスノロな相棒が遺産を相続、その金で競走馬を買わされたと知り、上陸して金を取り戻そうとする。はたして買わされた馬は足を怪我して走れない。しかし、双子の駿馬が存在することを知るや、レース直前に馬を入れ替え大儲けすることを企む、という話。

 やはりグルーチョのキャラクターを活かそうとすると、「詐欺」をめぐる物語になるようだ。しかしグルーチョの詐欺師ぶりがアナーキーに描かれることもなく、ヒロインをめぐるヌルいロマンスがまぎれ込み、込み入ったプロットがテンポ悪く展開する眠たいコメディに仕上がった。クライマックスでレース場面が展開するが、同じく競馬を扱った『マルクス一番乗り』には遠く及ばない。ただヒロインを演じるマリー・ウィルソンがちょっとカワイイです。監督は『卵と私』を撮ったチェスター・アースキン。

 

 この映画の後、グルーチョはラジオ番組「You Bet Your Life」の司会に専念するようになり、マルクス兄弟は映画の世界から去る。彼らのカムバック用にビリー・ワイルダーが企画した『マルクスの国連騒動(A Day at the United Nations)』が実現しなかったことは残念でならない。

 

キネ旬の「映画監督、キム・ギドクの死に寄せて」を読んで



個人的にもっとも好きなギドク作品『サマリア』(2004)

 1月20日の夜、アメリカのバイデン新大統領就任式を眺めながら、「キネマ旬報」2月上旬号を開いたら、追悼特集が3本も載っている。ひとつは岡田裕介東映社長、もうひとつは東宝出身の小谷承靖監督、そして最後に韓国のキム・ギドク監督だったのだが、キム・ギドクだけ「追悼」の二文字はなく、「映画監督、キム・ギドクの死に寄せて」という特集名になっている。
 2017年から2018年にかけて、複数のパワハラ・性暴力問題で告発され、国際映画祭の常連である鬼才監督から凶悪な鬼そのものへと評価が転落してしまったキム・ギドク。その存在を「なかったこと」とはせずに、あえて特集を組んだキネ旬紙面には、彼の顔写真すら載っていない。ギドクと個人的に交流が深かった杉野希妃のインタヴューと、成川彩の韓国映画界レポート、四方田犬彦の作家論が配置されている。
 記事の中では、杉野がキム・ギドク「常に自問していた人間」と回想するのが印象深い。

 キム・ギドクの作品は一時期、熱心に追いかけていたことがある。その後も日本未公開作の『Amen』(2011)以外はいちおうすべて観ていたのだが、近作は密度の低下が著しく、例の報道を知ったことも影響して、去年3月公開の『人間の時間』(2018)はパスしてしまった。
 ヤクザ、娼婦、泥棒、浮浪者、脱北者、死刑囚など韓国社会の底辺層に目を向け、暴力とセックスにあふれた物語を露悪的に、かつ色彩豊かに描き出すキム・ギドクの作風は、「痛み」を媒介とした社会とのコミュニケーションだとか、被虐者にこそ福音が訪れるというキリスト教感覚だとかいろいろ解釈する人がいたが、私から見ると往年のATG映画や『ガロ』掲載の漫画に通じるアングラ・カルチャーの更新版であり、根本敬蛭子能収山野一、ねこじる、山田花子らの漫画の同類として楽しんでいた。90年代悪趣味ブームの延長というべきか。
 ギドク作品には意外に女性ファンが多かったのだが、現実の残酷さをあえて誇張した作品に触れることで、逆に癒しの効果を得るという感覚は、今でも多くの人が持っているはずだと思う。
 しかし、キム・ギドク自身はサブカルチャーの教養などぜんぜんなく、むしろエゴン・シーレを敬愛する古典的な芸術家意識に固まった人だったらしい。むしろシーレのようにありたい、という願望ゆえに数々の暴虐に及んだのではないかとさえ思う。なにしろ韓国と北朝鮮の境界あたりのど田舎出身、工員から海兵隊に入って5年も鍛えられ、突然画家を志して30歳でパリへ行くまで、映画を観たことがなかったという。そんな彼が吐き出すように量産した作品には、確かに野人めいた荒々しさがみなぎっており、同じく露悪的な作風で知られるラース・フォン・トリアーミヒャエル・ハネケらの作品に比べても、キム・ギドクはもっとも「上出来」から遠く、「天然」の香りが濃厚だったし、後続世代のポン・ジュノパク・チャヌクといった教養豊かな映画人がハリウッドに進出しても、キム・ギドクは絶対そうはならないしなれないだろう、という妙な信頼感(?)があった。

 一方、キム・ギドクは早くに燃えつきてしまった作家でもあった。作品歴を振り返ればそのピークが『宛先人不明』(2001)と『悪い男』(2001)なのはあきらかだ。最も完成度の高い『春夏秋冬そして春』(2003)を最後に、その作品世界はより抽象化し図式的なものになり、じょじょに痩せていった(その辺りは日本の北野武にも通じる)。
 最後の佳作は『弓』(2005)だと思うが、以後の作品からは衝撃力のあるモチーフを無理矢理つむぎ出そうと苦心している様子がうかがえた。とりわけくだらなかったのは『アリラン』(2011)で、「撮影で女優に重傷を負わせたショックで山に籠もったキム・ギドクが、自問自答の様子をデジカメで撮り続ける」という体裁のこの作品、はっきり言って自己憐憫のたれ流しにしか見えなかったが、これでカンヌ映画祭「ある視点」部門最高賞の評価が得られるというのは、かつての自意識こじらせ系サブカル愛好者から見ても退嬰的な現象に思えたものだ。「これじゃギドクは“次”へは行けないな」と直感した。だいたい書けない作家の泣き言など文学の世界にいくらでもあったではないか。

 そして伝えられたパワハラ・性暴力問題。これがキム・ギドクの過去作品の評価にどう響くかは、観る側が映画のどこに評価軸を置くかによるだろう。ヒッチコックがティッピ・ヘドレンにセクハラをしていたから『鳥』はもう評価できない、と考える人もいるだろうし、撮影用に本物の猫を殺した『幕末太陽伝』は今や無価値だ、と考える人がいてもいい。ただし、映画やテレビ、舞台の現場というのは、大昔から現在に至るまでさまざまな暴力に満ちた野蛮な世界なので、後になってあきらかになった事実をもとに歴史的評価や個人の印象に修正を加えようとするのは無理がある。むしろそうした事実を周知することで、「これだけの人間の奉仕や常識外れの行為が行われたがゆえに芸術が完成したのだ」などと美談化する風潮を戒め、より平和で安全な制作環境を整えていく方が建設的だと思っている。そうでなくてはまたおかしな芸術家幻想に固まったギドクのような男が出現しかねない。

 さて、キネ旬の特集では、四方田犬彦の論考にキム・ギドクが最晩年に書いたメールが紹介されていた(翻訳が硬くて少しわかりにくいが)。裁判で敗訴してなお被害者への謝罪ひとつなく、ラトビアへ逃亡して映画製作を続けようとしていたギドクが何を語ったのかと思えば、そこに反省の弁はいっさいなく、韓国から遠く離れた地に漂流する自分を見据える達観した内容だった。四方田はキム・ギドクは苦い記憶しか残っていない韓国と韓国人にもはや何も期待しなくなっていた」と、その絶望の深さを指摘するが、ちょっと違うのではないか。
 私にはむしろ、「追放者」という境遇を得たことで、新たな芸術創造への期待を込めた不気味なメッセージにしか読めなかった。ある意味では芸術家の“業”なのかもしれない。しかし、キム・ギドクが飽くことなくくり返してきた「自問自答」とは常に他者が存在しない自己本位なもので、作品で描き続けてきた「痛み」も、独善的な自傷行為に過ぎなかったとすれば、作家としてたちまち行きづまったのも納得である。

 キム・ギドク、2020年12月11日、新型コロナウイルス感染症によりラトビアにて客死。享年59。彼が愛したエゴン・シーレもまた、スペイン風邪にかかって28歳で急逝したのだった。

 

2021年に振り返る、寺田ヒロオの世界@トキワ荘マンガミュージアム


公式サイト https://tezukaosamu.net/jp/mushi/entry/25467.html


 新年早々、2度目の緊急事態宣言が発出されることになったものの、こちらの日常にはたいした変化は起こらない。いちおうテレワーク推奨で出社を控えろ、という指令が出てはいるものの、仕事の納品スケジュールに影響が出ないのだから、あちこち駆けずり回る日々はあいかわらずだ。さて、まもなく2年目に突入するコロナ禍はどうなるのか。

 というわけで年明けそうそう忙しいことになっているのだが、それでも豊島区のトキワ荘マンガミュージアムで開催されている、トキワ荘のアニキ 寺田ヒロオ展」には期間終了ギリギリに駆けつけることができた(注・その後、開催期間の延長が決定)


トキワ荘マンガミュージアム全景

 私は子供のころにNHKで放送された『わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝』を見て以来のトキワ荘ファン。昨年、豊島区にオープンしたばかりの「トキワ荘マンガミュージアム」のマニアックな再現ぶりは、同伴者がいたらうんちくが止まらなくなったことだろう。


赤塚不二夫石森章太郎が行水したことで知られる共同炊事場

 アパートの建物だけでなく、かの有名な「赤塚不二夫石森章太郎が流行水した共同炊事場」や、寺田ヒロオ水野英子よこたとくお、そして石森章太郎の隣の部屋(アシスタント用に借りていた)が細かく再現され、椎名町の移り変わりや、漫画の描き方についての解説も丁寧に配置されている。


再現された寺田ヒロオの部屋(ちゃぶ台の上にはチューダーのセットが)

 1階に降りると、資料室兼ミュージアム・ショップと展示室が並んでおり、こぢんまりした展示室で開かれているのが、おめあての「寺田ヒロオ展」。
 壁には、寺田ヒロオの生原稿がたくさん貼り出され、ショーケースには当時の掲載誌が展示されている。寺田ヒロオは枠線とよほど大きなコマ以外、すべてをフリーハンドで描いていたらしく、スッキリしたタッチに漂う温かみはそのせいだったのかと再確認。
 また、並べられた原稿や掲載誌が、まさに寺田ヒロオの作風と人柄を象徴する内容ばかりで、その的確な作品選択にスタッフの企画への熱の入りようを感じさせた。

 寺田ヒロオ(1931〜1992)、と言ってもその名前は今、ほぼ忘れ去られている。マンガ好きにとっては、藤子不二雄Aの自伝マンガ『まんが道』に登場する、面倒見のいい先輩・テラさんとして記憶していることだろう。
『背番号0』や『スポーツマン金太郎』など、昭和30年代に心温まる児童漫画を描き続けた寺田ヒロオだが、トキワ荘の仲間たちが大メジャー作家へと飛躍していった昭和40年代、週刊化・過激化する漫画界になじめず、作品数を減らし続け、ついに絶筆へと至ってしまった伝説の漫画家。
 藤子不二雄赤塚不二夫石森章太郎らは出発点が手塚治虫であり、変貌する漫画界に合わせて作風を広げてゆく意欲を持っていたのに対し、出発点が井上一雄の『バット君』だった寺田は、「明朗快活で道徳的な児童漫画」という枠から抜け出すことも、アシスタントを雇って作画作業のプロダクション化を行うこともできぬまま、窒息してしまったようだ。
 漫画が進歩するたびに「表現の自由」をめぐる議論が絶えない。しかし、業界が表現の幅を獲得することで、逆に排除されてしまう才能もいた。


寺田ヒロオの『パパニイ』と晩年作『七子の世界』(ポストカード)

 欲望充足を目的に描かれたマンガが氾濫する今、寺田ヒロオの良心的な作品群を読み返すと、その善良な世界に心が洗われる思いをするものの、やはり作品がよって立つ「良識」や「健全」の概念が、昭和30年代に閉じ込められたままなので、骨董品としての味わいしか感じられないのもつらいところだ。展示された作品の中に『パパニイ』という家庭漫画があり、これは父親が事故で生死不明になったため、たった一人の男手となった長男が、残された母親や姉妹たちを率いて家長を演ずるという内容らしいが、家父長制をなんの疑問もなく継続しようとするもので(形見らしきパイプを持ちパパ風に構えるのはカワイイが)、今の目で見るとかなりのズレを感じさせる。
「健全」や「良識」、そして「道徳」も、時代と共に変化する。しかし、寺田ヒロオは時代に合わせて作風を更新できない作家だった。

 しかし晩年にあたる1982年ごろ、トキワ荘ブームや『「漫画少年」史』の編纂者として名前が浮上したからか、寺田ヒロオは雑誌連載で一コマ漫画を描いたことがあったらしく、それらの原稿も展示されていた。詩的なものから諷刺的なものまで、タッチも内容も決して衰えを感じさせるものではない。こうした作品をマイペースで描き続けられればよかったのに、と思ってしまう。


トキワ荘の青春 デジタルリマスター版(公式サイト) http://tokiwasou2020.com/


 寺田ヒロオについては梶井純トキワ荘の時代 寺田ヒロオまんが道(現在はちくま文庫)という評伝が描かれているが、この本を原案とする市川準監督の映画トキワ荘の青春』(1996)が、今年の2月にデジタルリマスター版で再公開されるという。
 本木雅弘寺田ヒロオを演じた『トキワ荘の青春』、私は公開時に観ているが、寺田ヒロオの挫折を中心に、若手漫画家たちの過ぎ去りし青春を淡々と描く、静謐な「三丁目の夕日」とでもいうべき映画だったので落胆した。

「おいおい! なんでトキワ荘がこんなしみったれた純文学みたいな話になっちゃうの〜?」

 私にとってトキワ荘の魅力とは、「はちきれんばかりの想像力を胸に秘めた、それでいて貧乏な連中がくり広げる、若衆宿のバカ騒ぎ」そのものだった。昭和30年前後という時代だからこそ成立した、才能集団がつむぐ幸福な時間。しかし市川準監督は、その中で「取り残されてゆく男」を内省的に描くことを選んだ。「寺田ヒロオ展」を見た後で25年ぶりに再見したらどう思うか、改めて観に行くつもりではいる。

 そして帰り道には、『まんが道』でおなじみの中華食堂「松葉」(現存しているのだ!)でラーメンを食べるのであった。
「ンマーイ!」


まんが道』でおなじみ「松葉」のラーメン

NHK『わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝』 (1981)取り壊し直前のトキワ荘が映っている

 

2020年に観た映画から……


片岡一郎『活動写真弁史 映画に魂を吹き込む人びと』(共和国)

 「早いもので、2020年も本日で終了ということになりました。年末恒例のベスト・テンをうかがいたいのですが」

 「いやぁ〜、今年はコロナ禍で長い休業期間が挟まれるは、休業が明ければ怒涛のつめこみスケジュールに振り回されるわで、とても新作映画を観る時間が作れなかったんだよ」

 「それじゃ年々減りつつあった映画観賞本数が、今年はガクンと減ったわけですね?」

 「驚くなかれ、去年の半分以下ですよ。休業期間中はためこんでいた旧作ソフトや配信映画を観ることもできたんだが、下半期は新作のチェックがさっぱり……」

 「じゃあ、去年に続いて今年もベスト・テン選出は棄権ということで」

 「と、思ったんだが数少ない観賞数の中から、気に入った映画を並べたらちょうど10本になったのだ。2020年という特殊な年のメモリアルとして、いちおう公開しておこう」

1.パラサイト 半地下の家族(ポン・ジュノ

2.異端の鳥(イェジー・コシンスキ)

3.スパイの妻(黒沢清

4.Mank/マンク(デヴィッド・フィンチャー

5.ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー(オリヴィア・ワイルド

6.ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密(ライアン・ジョンソン

7.ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋(ジョナサン・レヴィン

8.テリー・ギリアムドン・キホーテテリー・ギリアム

9.魔女がいっぱい(ロバート・ゼメキス

10.ストーリー・オブ・マイライフ 私の若草物語(グレタ・ガーヴィグ)

 

 「ふーむ、ベスト3以外は全部、英語の映画ですね」

 「まぁ、単館公開や小さな上映会までのぞきに行く余裕がなかったのと、世評と自分の評価が大きく食い違う作品も多かったのでね。それから、日本映画は新作がほとんど観られなかった。『アルプススタンドのはしの方』や『れいこいるか』、『夏、至るころ』、『ミセス・ノイズィ』、『私をくいとめて』などの話題作はそのうち観るつもり」

 「それにしても副題のついたタイトルが多いですねぇ」

 「だろ? 私が子供のころは、最近の洋画はカタカナ題名ばかりで内容の見当がつきにくい、などとオールドファンが嘆いたものだが、今じゃ説明的な副題をつけるのが大流行だ。日本人は余白の美を愛する国民性、などとよく言われるが本当かね? 少なくとも広告の分野ではまったく逆で、しつこいぐらいに文字を使って『意味』を押し付けてくるじゃないか」

 「往年の名作映画も、再公開の際には改めて副題がつくかもしれませんね」

 「カサブランカ 君の瞳に乾杯』なんてのは勘弁してほしいよ」

 「『サイコ ベイツ・モーテルの恐怖』なんてのはどうでしょう?」

 「まったくヒネりがなくて逆にありそうだな。じゃ、『ライムライト 老いらくの恋』はどうだ?」

 「“老いらくの恋”って言葉じたいが古すぎて意味が通じるか不安ですが。では、タルコフスキー『ストーカー 禁止領域へようこそ』

 「むむ、確かに『ストーカー』って言葉は別の意味で定着してしまったので、今だと副題が必要だと考えるアホがいるかもしれん」

 「今年の映画だと『1917 命をかけた伝令』だとか『シチリアーノ 裏切りの美学』とかいろいろありましたね」

 「『シチリアーノ』なんて原題は“The Traitor”(裏切り者)だもんな。それを言ったら『ストーリー・オブ・マイライフ 私の若草物語』は原題が“Little Women”なんだから普通に『若草物語』でいいだろう。なんでこんなに長たらしくするんだ?」

 「たぶん、『若草物語』のままじゃクラシックな文芸映画のイメージを持たれてしまうので、どうにか今っぽさを出したかったのでは」

 「確かに、グレタ・ガーヴィグの新作は原作の『若草物語』が持つ現代的視点を巧みに抽出した佳作だったから、なんとかして今の観客に届けたいと思うのはわかるけど」

 「格差問題を大胆な構図で物語化した『パラサイト』にしろ、ラブコメ映画の図式を更新させた『ロング・ショット』にしろ、印象に残る映画はやはり“現代”と切り結んだ作品といえそうですね」

 「それだけじゃなくて『Mank/マンク』や『スパイの妻』のような作品でさえも、決して懐古調や趣味性に溺れぬ現代性を掴んでいたし、『魔女がいっぱい』もロアルド・ダール原作にBLM運動の盛り上がりを意識したとしか思えない脚色を加えている。今年随一のメガヒット作『鬼滅の刃 無限列車編』だって、実力主義による“強者の美学”を語る鬼たちが跋扈する状況に、必死の抵抗を見せる主人公たちを描いて、“よく働く者への挽歌”のパターンへ巧みに収斂させた作品と見ることも可能だ」

 「今後の映像作品は、劇場公開だけでなく配信公開もあるし、視聴形態もさまざま。“現代”を掴むことはもちろん、“受け手”をどう意識するのかというプロデュース戦略も求められそうですね」

 「そういえば先日、『活動写真弁史 映画に魂を吹き込む人びと』という分厚い本を読んだんだけどさ」

 「現役の活動写真弁士である片岡一郎さんが書いた、弁士の歴史をまとめた本ですね」

 「まさに労作、という言葉がふさわしい一冊でね。19世紀末に誕生した映画が、風景描写や日常スケッチから、ニュース報道や劇場での芸事の記録、歴史再現ショー、さらに“物語”を得て演出テクニックを磨いていった時代、これに並走する形で進化していった弁士の歴史を『ある生き物の記録』さながらに紹介した内容で、映画史としても芸人伝としてもじつに面白い。しかも、これまたノスタルジー一本槍な内容ではなかったんだよなぁ。今、アニメ大国となった日本では『声優』が大人気だが、声優ブームが発展する過程で起こる出来事は、だいたい弁士人気が盛り上がったころにも起こっていた、と言って過言ではなさそうだ」

 「そういえば、声優さんが特集されるテレビ番組では、その場でアフレコをやってみせるショーがつきものですよね。私なんか、ファンはあれの何を面白がっているのか、正直なところ不思議だったんですが……」

 「うん、日本人は琵琶法師の昔から、『語り芸』を尊ぶ歴史があり、それは義太夫浪曲、講談に落語へと受け継がれているわけだが、映像文化においても映し絵や覗きからくり、パノラマなど口上がつくことで完成する表現が多かった。平面で完結している映像に、『声』の要素を付け加えることで立体的なライブショーとして楽しみたい、という独特の感覚があるらしいんだな。もちろん、これを『邪魔』と考えるインテリたちも、当時からいた」

 「へぇ、洋画のタイトルやポスターに文字情報をたっぷり付け加えたがる感覚にも通じるんですかね」

 「近年では、チャップリンの無声短編に複数の声優がライブでアテレコする『声優口演』というステージショーがあったが、活動写真弁士の創成期には、まさにそのような『声色弁士』と呼ばれる一団がいて、生アフレコ形式で公演していたこともあったそうだ。ぜんぜん知らなかったよ」

 「昔の弁士たちは、ビデオがないから説明用の台本を作成するのが大変だったでしょうね」

 「著者が現役の弁士だから、そういう“語り芸”の中身にも注目しており、現存資料から当時の説明のスタイルをいろいろ紹介してくれているのも嬉しいところだよ。そうやって三十年あまりかけて発展した映画説明者の文化が、トーキーの到来によってたちまち大絶滅へと至る……。映像文化の周辺でメシを食ってる人間にとっては他人事に思えない内容です」

 「なるほど、本日も国内感染者数は4515人と劇的に増加中、社会的距離とマスク着用がマナーとみなされるようになった社会で、映像文化の世界もなんらかの変化が起こることは間違いない、と」

 「実際、リモート会議がこんなに普及するなんて一年前には想像もつかなかったわけだからさ。われわれ業界のはしくれにいる者も、絶滅しないよう常にリスク・シナリオ・プランニングを練っておく必要はあるだろう。このブログも、まとまった文章を書く時間が取りづらいこともあるが、もっと短いコラム的な内容にして、その代わり更新頻度を上げてゆくことを考えている。“現在”の記録になることを意識してね」

 「はいはい、新年に向けての決意らしく、三日坊主で終わらないようにしてくださいよ。それではみなさん、来年もどうぞよろしくお願いします」

活動写真弁士・澤登翠による説明付きのフリッツ・ラング監督『ニーベルンゲン クリームヒルトの復讐』