
8月7日から午前十時の映画祭で上映されている小林正樹監督『怪談』(1964)の4K修復・完全版について書かなければ、と思っているうちに、岸惠子の訃報が飛び込んできた。奇しくも亡くなったのは8月7日。岸惠子が創設した「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を破滅に追いやった『怪談』が息を吹き返したその日に、彼女自身が息を引き取ったとは、何か因縁めいたものを感じなくもない。
さて、『怪談』の183分完全版が劇場にかかるのは初公開以来61年ぶりのこと。公開時期を8月に設定してくれたのも気が利いている。この作品は本来、1964年のお盆興行を予定されていたが、製作遅延のため1965年の正月映画になってしまったもの。想定通りの8月公開が60年越しで実現したわけだが、この作品に「納涼感覚」を求めてはいけない。
『怪談』はいわゆる怪奇映画でも今風のホラー映画でもなく、幽霊譚を素材とした巨大な「美術映画」である。といっても再公開で話題の『落下の王国』(2006)のような、監督個人の審美的な作家性を追求した作品ともちょっと違う。近い作品を挙げるなら、フェデリコ・フェリーニの『サテリコン』(1969)や『カサノバ』(1976)だろう。あの人工的な古代ローマやスタジオで再現された18世紀ヨーロッパを小林正樹は完全に先取りしていた。しかし、その先にサーカスやカーニバルを展開するフェリーニと違って、小林は熱狂を慎重に避け、静かに祭壇を構築し儀式を執り行う。
そのため、ゾクゾクする恐怖感を求めるホラーファンには向かないし、ショットの中の運動性とやらが気にかかる田舎の優等生にも向いてない。西洋人が発見した「日本の美」を日本人が見返すことで再創造された「シン・日本の美」を素朴に受け止め、そのバロックぶりに悦楽を見出したり唾を吐きかけたりすればよい。
おそらく『怪談』製作時に小林が先行例として強く意識したのは、
・溝口健二監督『雨月物語』(1953)
・木下惠介監督『楢山節考』(1958)
この2本ではないかと思う。どちらも彼が強く尊敬していた監督で、木下は直接の師でもある。
『雨月物語』は原作が上田秋成で、江戸文学に書かれた戦国時代の人物が、怪異の世界へ踏み込んでゆく様子を、白黒撮影による幽玄の美として描く。
『楢山節考』は原作が深沢七郎で、民間伝承に基づく江戸時代の物語を、歌舞伎や邦楽など伝統芸能の手法を駆使して、人工的な様式美として描き出す。
どちらも「日本的な美」の創出にこだわって演出された作品だ。しかし、『怪談』の原作はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が伝承や妻から聞いた話を再編集して生み出した再話文学。西洋人が幻視した「かつて存在した日本」を、いかにして映画的に甦らせるかが課題となる。それは、外国人にウケそうなエキゾチック・ジャパンを復元することではなく、当時の最前衛にいた芸術家たちの力を結集した「日本の美」の再検討バージョンでなくてはならない。映画で表現されるべき色彩は絵巻物や浮世絵に西洋画、宗教画を参考にすべて撮影前に設計、これを正確に発色させるため照明もくっきり、映像はどこまでもクリアで日本的な陰翳の美とは隔絶している。
それはつまり、日本人が抱く美的感覚からは大きく逸脱したものを提出する覚悟があるわけで、きわめて挑発的な姿勢と言ってよい。実際、過剰な表現主義に違和感や反発を抱く批評は多かった。しかし今、ギレルモ・デル・トロやアリ・アスターら海外の監督たちが、影響を受けた一本として本作を挙げているのは、作品のローカルな個性に幻惑されたのではなく、美術によって映画の世界を一から創造してしまう大胆さに勇気づけられるからだろう。
そんな『怪談』の見どころと、今回183分版を初めて劇場観賞して気づいたことなどをメモしておく。

第一話 黒髪
タイトルバックは、水の中に落ちる墨汁や赤青紫の色水が水中で広がってゆく映像に、武満徹の抽象音楽が響く。この先に展開するのが形にならない不定形な精神世界であることと、「水」が重要なモチーフであることの提示。誰かが「『鬼滅の刃』テレビアニメ版のサブタイトルが出る時のデザインに似ている」と呟いていたけど、どうなんでしょうね?
そして始まる「黒髪」は、貧しさゆえに妻を捨てて逆玉に乗った男が数年後、反省して元妻の家に帰ったところ、……という話で、『雨月物語』の「浅茅が宿」にも似ているが、ネタ元は『今昔物語』の「人妻死後成本形会旧夫語」である。
舞台となる屋敷は貧乏武士の家とは思えない巨大さで、妻(新珠三千代)が機を織るそばの土間にはでかい石鉢が置かれ、中からこんこんと水が湧き出ているのも異様。じつは、この屋敷そのものが妻の象徴だったのだ。しかも、この石鉢はクライマックスで効いてくる。
妻を捨てた夫(三國連太郎)が任地で流鏑馬に興じる時、妻が糸車を回す姿とカットバックする。ここも「まっすぐ突き進みたい夫」と「反復回転運動を繰り返す妻」の対比となっており、妻が紡ぎ出す糸とは黒髪の延長に他ならない。この「糸」が夫への「念」とつながることに気づくと、けっこう怖く感じる描写だった。
反省した夫が帰宅すると、荒廃した屋敷に妻が変わらぬ笑顔で待っていた。が、一夜明けると屋敷は荒れ果て、妻は死骸に変わっている。ハーンの原作「和解(The Reconciliation)」では、夫が隣家の人から「あの家はもう空き家になってます」と聞くところで終わるのだが、映画では驚愕した夫の顔もいつの間にか老残の姿に変わり果てており、これは水木洋子の脚色による。「こんな男と“和解”なぞできるか!」という離婚歴のある水木の意思を感じないでもないが、そこからさらに、妻の遺骸から黒髪がふわりと舞いあがって夫に襲いかかる、という展開は小林の演出による追加のようだ。
ちなみに、161分の国際版では、夫が土間にあった巨大な石鉢を覗くと、残った水面に老いさらばえた自分の顔が映し出されるところで終わっている。4月のアテネ・フランセでのトークショーで映画史研究の鷲谷花氏が、
「国際版のラストの方がキレがよいのでは? 第四話『茶碗の中』のラストとも呼応するし」
と指摘していて、その気持ちもよ〜くわかるのだけど、この「やりすぎ」感があってこその小林正樹。なにしろ『切腹』のクライマックスで、わざわざ主人公が井伊家の甲冑を担いでぶん投げるところまで押しまくる演出家ですよ。赤い着物+長い髪が屋敷(妻)の触手となって男を襲う、いや、もしかすると襲っているのではなく、妻が亡霊となってなお夫と添い遂げようと抱擁を求めているのではないか? この夫婦は最後までコミュニケーションの断絶を埋めることができなかったのだ……と、そこまで思いをめぐらせてくれる小林のトゥーマッチなサービス精神を支持したい。

第二話 雪女
「人間と超自然の結婚」という異類婚姻譚の典型を、寒色系で統一した雪女の世界、暖色系で統一したおゆきの世界という二色で明確に分離して描く。雪空に浮かぶ無数の「眼」のイメージは、主人公が超自然の監視下にあり、雪女と交わした約束をずっと記憶されていることを示しているのだろう。
「黒髪」では、貧しさゆえに夫が妻を離縁するのだが、「雪女」では約束を破ったがゆえに、夫が妻から離縁を突きつけられる。その直前まで、夫の巳之吉(仲代達矢)は草鞋編みを、妻のおゆき(岸惠子)は娘の服を縫い、共に手仕事をこなす息の合い方を見せていたというのに。秘密を黙っていられないほど夫婦が親密になった結果、関係を維持できなくなってしまうパラドックス。しかし、雪女もまた子供を持ったがゆえに「約束を破ったら殺す」というマイ・ルールを貫くことができなくなっている。
1968年に大映が『怪談雪女郎』(監督:田中徳三)という作品を製作しており、藤村志保が演じた雪女は美しさと儚さを兼ね備え、日本人がイメージする雪女にピッタリ一致していた。悲恋物語の切なさも怪奇映画のムードにも事欠かない上出来の映像化だが、それはやはり日本人向けの枠内にとどまった完成度であり、小林がめざすところではなかった。ラフカディオ・ハーンが注目しているのは、「人間と超自然が10年間だけ家庭を営み幸福を感じることができた」という超常現象。その現象が発生する世界を、現実には存在しない色彩で再創出したのが本編の「雪女」であり、そこに必要不可欠な要素が、その佇まいや発声からしてどこかバタ臭く、村の生活に定住しても、あきらかに異質感が漂う岸惠子という肉体であった。
ちなみに、『怪談』のクランクイン予定は何度かズレ、フランス在住の岸惠子の出演が危ぶまれたため、チーフ助監督の吉田剛は高峰秀子による代役を進言し、実際に打診もしたという。が、若槻繁が「にんじんくらぶ創設メンバーである岸ありきの企画のはず」とそれを突っぱねたということだが、これこそプロデューサーの仕事と言うべきだろう。

第三話「耳無し芳一の話」
冒頭に響き渡る「平家物語」の歌声、これを本物の平曲(琵琶法師による『平家物語』の語り)の再現だと勘違いする人が多いけど、違いますよ。この「壇ノ浦」は、水木洋子作詞、鶴田錦史作曲・演奏・歌による、映画『怪談』のために作られた完全新曲。男装の琵琶奏者として知られる鶴田錦史はここで武満徹と出会い、後に「ノヴェンバー・ステップス」の初演に参加することになる。
そしてインサートされる壇ノ浦合戦の絵図「源平海戦絵巻」も、既存の屏風絵や絵巻を撮ったものではなく、異端の日本画家・中村正義が映画『怪談』のために描いた完全新作。映画では全体図が見えないが、全五図で構成されており、それぞれ2〜3メートルのサイズを持つ超巨大な額装絵画(第一図だけ二曲一双の屏風絵)の連作で、今では戦後日本美術を代表する一作に数えられている。
そしてスタジオに組んだセットで、新劇役者陣による歌舞伎風演技で再現された海戦シーン。「鶴田錦史の琵琶と語り」+「中村正義の日本画」+「新劇俳優陣の歌舞伎風再現」が交錯することで、数百年に渡って語り継がれた平家滅亡の記憶(記録ではない)が立体化する。しかし、このシークェンスの最後に挿入されるのは本物の平家蟹のアップ。甲羅に刻印された怨みの表情で、非リアリズムで積み上げた描写に「リアル」の一撃を突き刺し、海戦の悲劇が実際にあった出来事であることを強調する。
芳一(中村嘉葎雄)が日常生活を送る寺の描写はユーモア漂う、のどかでリアルなタッチだが、ここへ平家の使者(丹波哲郎)が現れるや様相が一変。なぜか使者の甲冑は鎌倉時代の大鎧や胴丸とは少々雰囲気が異なり、西洋甲冑っぽくも見える不思議なデザイン。さらに大雨を超えて平家の公達の亡霊に面会すれば、安徳天皇が現れる宮廷には廻廊が巡っており、その下には水が張っている。廻廊の中央に作られた四方形のスペースに芳一が座するのだが、まさに「水に浮かぶ宮廷」そのもの。美術の戸田重昌は「広島の厳島神社をヒントにした寝殿造」と語っているが、厳島神社の社殿が平清盛の造営による平家の氏神であることを思い出すと、自然とここが彼らの住む「波の下の都」に見えてくる。
ここで芳一が琵琶を演奏して「壇ノ浦」を語り始めると、じょじょに背景は炎上の図となり、無数の丸柱の上部が折れて砕けたようになっているのも見え、西洋の神殿遺跡のような雰囲気に変貌してゆく。辺りには戦死した武者が死屍累々、ギリシャ悲劇的な悲壮美をじわりじわりと高めてゆく。
芳一は『平家物語』という戦没者の記憶を再生する語り部であり、それがあまりに見事なので当事者(平家の亡霊)に魅入られ、彼らとのコミュニケーションが始まるのだが、盲目の芳一にとっては、生者も死者も同質の存在である。そんな彼が、後半、全身に魔除けの般若心経を書かれると、今度は彼自身が「透明人間」に変身し、亡霊たちにとっての超自然存在に変身する、という反転の構図がクライマックス。しかし「耳」という白紙部分を見つけられ、それを奪われることで、結果として芳一は「死者の声を聴く」役目から解放されるのだ。
だが、「命の限り私は琵琶を弾き続けましょう」と原作にないセリフで今後のライブ活動継続を決意する芳一の姿には、死者に呑み込まれることなく、今後も戦争の記憶を語り継ぐことは可能だろうか、という戦争体験をテーマとする映画を撮り続けた監督の自問が潜んでいるように思えてならない。
なお、小林正樹は学生時代、歌人・書家の會津八一に師事しているが、八一は学生時代にラフカディオ・ハーンの講義を受けていた。しかもハーン没後はセツ夫人の相談相手や子供たちの家庭教師まで務めていた人物で、小林はハーンの孫弟子という立場に当たる。そんな縁から『怪談』を企画した小林だが、『切腹』完成直後の対談(相手は伊藤大輔)を読むと、「次回作は『耳無し芳一』」という発言があり、この一編だけは構想初期から映像化を決めていたようだ。それはやはり戦没者の鎮魂をめぐる物語だからだろう。

第四話 「茶碗の中」
いきなり明治32年(1900年)正月からスタートし、作者(滝沢修)が登場してしまう。「あれっ、作者は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)じゃないの?」と思うかもしれないが、ここに登場するのは、ハーンが想像する結末を書かなかった原作者の現代版。1900年とはまさにハーンが日本の怪異譚を書き記していた時代であり、泉鏡花が『高野聖』を発表した年でもある。そんな時代でもまだ髷を結っているこの作者、部屋の中には怪談のタネ本である江戸時代の書物がどっさりで、彼自身が近代社会の中に取り残された古い時代の住人であることを物語っている。
そして語られる「茶碗の中」は水のモチーフ総決算。「黒髪」では石鉢の水、「雪女」では流れる川や池、「耳無し芳一の話」では海や大雨や水上宮殿が超自然との境界として描かれたが、ここでは一杯の茶碗の水に凝縮されている。
茶碗の水面に浮かぶ謎の青年の笑みを不気味に思いつつ、挑発された気になってグイと飲み干した武士・関内(中村翫右衛門)。すると夜中、茶碗に映っていた青年・式部平内(仲谷昇)が現れ、「今朝それがしに非道な危害を加えたではござらぬか!」と難詰する。
「そのような意図はなかったが、不快に思われたなら申し訳ない」と、現代のSNSユーザーならそんな謝罪らしき言葉を発するところかもしれないが、17世紀の武士である関内はいきなり刀を抜いて切りかかる。現実社会の論理と超自然の論理の衝突だから、関内には交渉の発想がない。
この作品は総じてキャスティングが素晴らしいが、恰幅のよさといい腰を落として走る様といい、中村翫右衛門の武士ぶりは完璧で、仲谷昇の異様に撫で肩な美青年武士と対峙したショットには惚れ惚れさせられてしまう。
注目すべきは平内の出現場所が巨大な和時計のそばであること。時間の裂け目から出現した平内及び彼の家臣三人衆は、関内と刃を交わしても、時間を共有してくれない。「耳無し芳一の話」は壇ノ浦合戦を演劇的・絵画的に描くことで歴史の芸術化を試みたが、「茶碗の中」のクライマックスでは、スローモーションやストップモーション、三味線と人声が混じったミスマッチな音楽で、映画の時間そのものの解体が試みられてゆく。
結末に至らぬまま1900年に戻ってくると、作者が失踪している。その居場所を発見した杉村春子の悲鳴がつんざく瞬間は、この映画で唯一のショッキングな演出だろう。そして、怪異を語る者もまた怪異の世界に吸収されてしまうという、結末らしき結末。
ラストショットは誰もいない空間にひとつ転がったグイ呑み。物語は終わり、水も空になっているが、異世界をつなぐ器だけはまだ残されている、というイメージでオープニングと円環構造になっている。

『怪談』は1億円の見積もり予算でスタートするが、結果的に3億2千万円まで膨張、興行収益で賄うことができず、制作会社である文芸プロダクション にんじんくらぶが倒産に至ったことで有名だ。その過程については、にんじんくらぶ代表である若槻繁が自ら執筆した『スターと日本映画界』の後半部分に詳述されている。日本版『ハート・オブ・ダークネス〜コッポラの黙示録』と言いたくなるその内容は壮絶で、特に若いアシスタント・プロデューサーが、連日債権者に責め立てられているうちに発作的に気がおかしくなり、肉切り包丁で指を落としてしまう事件には慄然とさせられた。
また、『怪談』といえば撮影用に京都宇治の日産車体が持つ1万8千坪の倉庫を改装した超巨大ステージの話題が必ず取り上げられるが、これも計画的に作られたものではなく、3月に撮影開始した『雪女』の室内場面は京都の宝スタジオという撮影所にセットが組まれていた。が、仲代達矢が東宝の『蟻地獄作戦』撮影遅延のため到着が遅れ、スケジュールがこなせぬうちに借用期間の終了が迫ってしまい、しかも他の撮影所はすべてNG、泥縄式にこの倉庫を見つけ出し、撮影用に改装した急ごしらえのスタジオだった。
しかし幅220メートルもある広大なステージを目にした美術の戸田重昌が発奮し、あふれ出るアイディアを次々と図面に叩きつけ始めた。完成したセットを前に撮影の宮島義勇も持ち前の完全主義をぞんぶんに発揮して大いに粘り始め、音楽音響の武満徹もいっさいの妥協を許さぬ製作スタイルに固執するようになる。こうした「鬼」たちの跳梁にまったくブレーキをかけなかった小林正樹にいちばんの責任があることは間違いないが、監督としてはこの連鎖反応からどのような「新たなる日本の美」が創造されるのか、落雷を待つフランケンシュタイン博士の心境で見守り続けていたに違いない。
むろん、無責任に放置していただけではなく、撮影終盤には監督自身も金策に駆けずり回っている。木下惠介に一千万円の借金を申し込んだら、五千万円貸してくれた、というエピソードもこの時だ(※なぜか岩波書店の『映画監督 小林正樹』収録の談話「私が歩いてきた道」では五〇〇万と書かれているが、『わが映画人生』(聞き手:篠田正浩)のインタビューでは五千万と答えている)。仲代達矢、水木洋子、鶴田錦史らもギャラを返上し出資したそうだが、それだけ完成させたいプロジェクトだったのだろう。
映画というのはこうした多数の人々に金銭的な迷惑をかけてまで製作するものではないと思うが、1964〜1965年とは、テレビに対抗した大型映画の製作がピークに達した時期だった。黒澤明『赤ひげ』(1965)、木下惠介『香華』(1964)、内田吐夢『飢餓海峡』(1964)、市川崑『東京オリンピック』(1965)といった質量ともに充実した大作が、日本映画黄金期の最後の光芒、いや断末魔の叫びのように製作された。同時期に出現した『怪談』も、これらの作品と引けを取らぬ大作ではあるが、「立派な前衛芸術作品」として厳かに鑑賞するのではなく、60年代という現代美術の転換期が生み出した、最も実験的かつ最も予算のかかかった、超カルト・ムービーとして気楽に楽しむべきだろう。捏造された日本の美に醜さや愚劣さを感じるもよし、解放感やアップデート感を覚えるもよし、多様な受け取り方を許す懐の広さを持った作品である。






















