星虹堂通信

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“日本の美”を捏造する試み〜小林正樹『怪談』(183分完全版)

 87日から午前十時の映画祭で上映されている小林正樹監督『怪談』(1964)の4K修復・完全版について書かなければ、と思っているうちに、岸惠子の訃報が飛び込んできた。奇しくも亡くなったのは87日。岸惠子が創設した「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を破滅に追いやった『怪談』が息を吹き返したその日に、彼女自身が息を引き取ったとは、何か因縁めいたものを感じなくもない。

 

 さて、『怪談』の183分完全版が劇場にかかるのは初公開以来61年ぶりのこと。公開時期を8月に設定してくれたのも気が利いている。この作品は本来、1964年のお盆興行を予定されていたが、製作遅延のため1965年の正月映画になってしまったもの。想定通りの8月公開が60年越しで実現したわけだが、この作品に「納涼感覚」を求めてはいけない。

『怪談』はいわゆる怪奇映画でも今風のホラー映画でもなく、幽霊譚を素材とした巨大な「美術映画」である。といっても再公開で話題の『落下の王国』(2006)のような、監督個人の審美的な作家性を追求した作品ともちょっと違う。近い作品を挙げるなら、フェデリコ・フェリーニの『サテリコン』(1969)や『カサノバ』(1976)だろう。あの人工的な古代ローマやスタジオで再現された18世紀ヨーロッパを小林正樹は完全に先取りしていた。しかし、その先にサーカスやカーニバルを展開するフェリーニと違って、小林は熱狂を慎重に避け、静かに祭壇を構築し儀式を執り行う。

 そのため、ゾクゾクする恐怖感を求めるホラーファンには向かないし、ショットの中の運動性とやらが気にかかる田舎の優等生にも向いてない。西洋人が発見した「日本の美」を日本人が見返すことで再創造された「シン・日本の美」を素朴に受け止め、そのバロックぶりに悦楽を見出したり唾を吐きかけたりすればよい。

 

 おそらく『怪談』製作時に小林が先行例として強く意識したのは、

・溝口健二監督『雨月物語』(1953

・木下惠介監督『楢山節考』(1958

 この2本ではないかと思う。どちらも彼が強く尊敬していた監督で、木下は直接の師でもある。

『雨月物語』は原作が上田秋成で、江戸文学に書かれた戦国時代の人物が、怪異の世界へ踏み込んでゆく様子を、白黒撮影による幽玄の美として描く。

『楢山節考』は原作が深沢七郎で、民間伝承に基づく江戸時代の物語を、歌舞伎や邦楽など伝統芸能の手法を駆使して、人工的な様式美として描き出す。

 どちらも「日本的な美」の創出にこだわって演出された作品だ。しかし、『怪談』の原作はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が伝承や妻から聞いた話を再編集して生み出した再話文学。西洋人が幻視した「かつて存在した日本」を、いかにして映画的に甦らせるかが課題となる。それは、外国人にウケそうなエキゾチック・ジャパンを復元することではなく、当時の最前衛にいた芸術家たちの力を結集した「日本の美」の再検討バージョンでなくてはならない。映画で表現されるべき色彩は絵巻物や浮世絵に西洋画、宗教画を参考にすべて撮影前に設計、これを正確に発色させるため照明もくっきり、映像はどこまでもクリアで日本的な陰翳の美とは隔絶している。

それはつまり、日本人が抱く美的感覚からは大きく逸脱したものを提出する覚悟があるわけで、きわめて挑発的な姿勢と言ってよい。実際、過剰な表現主義に違和感や反発を抱く批評は多かった。しかし今、ギレルモ・デル・トロやアリ・アスターら海外の監督たちが、影響を受けた一本として本作を挙げているのは、作品のローカルな個性に幻惑されたのではなく、美術によって映画の世界を一から創造してしまう大胆さに勇気づけられるからだろう。

 そんな『怪談』の見どころと、今回183分版を初めて劇場観賞して気づいたことなどをメモしておく。

 

「黒髪」の妻(新珠三千代)

第一話 黒髪

 タイトルバックは、水の中に落ちる墨汁や赤青紫の色水が水中で広がってゆく映像に、武満徹の抽象音楽が響く。この先に展開するのが形にならない不定形な精神世界であることと、「水」が重要なモチーフであることの提示。誰かが「『鬼滅の刃』テレビアニメ版のサブタイトルが出る時のデザインに似ていると呟いていたけど、どうなんでしょうね?

 そして始まる「黒髪」は、貧しさゆえに妻を捨てて逆玉に乗った男が数年後、反省して元妻の家に帰ったところ、……という話で、『雨月物語』の「浅茅が宿」にも似ているが、ネタ元は『今昔物語』の「人妻死後成本形会旧夫語」である。

 舞台となる屋敷は貧乏武士の家とは思えない巨大さで、妻(新珠三千代)が機を織るそばの土間にはでかい石鉢が置かれ、中からこんこんと水が湧き出ているのも異様。じつは、この屋敷そのものが妻の象徴だったのだ。しかも、この石鉢はクライマックスで効いてくる。

妻を捨てた夫(三國連太郎)が任地で流鏑馬に興じる時、妻が糸車を回す姿とカットバックする。ここも「まっすぐ突き進みたい夫」と「反復回転運動を繰り返す妻」の対比となっており、妻が紡ぎ出す糸とは黒髪の延長に他ならない。この「糸」が夫への「念」とつながることに気づくと、けっこう怖く感じる描写だった。

 反省した夫が帰宅すると、荒廃した屋敷に妻が変わらぬ笑顔で待っていた。が、一夜明けると屋敷は荒れ果て、妻は死骸に変わっている。ハーンの原作「和解(The Reconciliation)」では、夫が隣家の人から「あの家はもう空き家になってます」と聞くところで終わるのだが、映画では驚愕した夫の顔もいつの間にか老残の姿に変わり果てており、これは水木洋子の脚色による。「こんな男と“和解”なぞできるか!」という離婚歴のある水木の意思を感じないでもないが、そこからさらに、妻の遺骸から黒髪がふわりと舞いあがって夫に襲いかかる、という展開は小林の演出による追加のようだ。

 ちなみに、161分の国際版では、夫が土間にあった巨大な石鉢を覗くと、残った水面に老いさらばえた自分の顔が映し出されるところで終わっている。4月のアテネ・フランセでのトークショーで映画史研究の鷲谷花氏が、

「国際版のラストの方がキレがよいのでは? 第四話『茶碗の中』のラストとも呼応するし

 と指摘していて、その気持ちもよ〜くわかるのだけど、この「やりすぎ」感があってこその小林正樹。なにしろ『切腹』のクライマックスで、わざわざ主人公が井伊家の甲冑を担いでぶん投げるところまで押しまくる演出家ですよ。赤い着物+長い髪が屋敷(妻)の触手となって男を襲う、いや、もしかすると襲っているのではなく、妻が亡霊となってなお夫と添い遂げようと抱擁を求めているのではないか? この夫婦は最後までコミュニケーションの断絶を埋めることができなかったのだ……と、そこまで思いをめぐらせてくれる小林のトゥーマッチなサービス精神を支持したい。

 

「雪女」の雪女(岸惠子)

第二話 雪女

「人間と超自然の結婚」という異類婚姻譚の典型を、寒色系で統一した雪女の世界、暖色系で統一したおゆきの世界という二色で明確に分離して描く。雪空に浮かぶ無数の「眼」のイメージは、主人公が超自然の監視下にあり、雪女と交わした約束をずっと記憶されていることを示しているのだろう。

「黒髪」では、貧しさゆえに夫が妻を離縁するのだが、「雪女」では約束を破ったがゆえに、夫が妻から離縁を突きつけられる。その直前まで、夫の巳之吉(仲代達矢)は草鞋編みを、妻のおゆき(岸惠子)は娘の服を縫い、共に手仕事をこなす息の合い方を見せていたというのに。秘密を黙っていられないほど夫婦が親密になった結果、関係を維持できなくなってしまうパラドックス。しかし、雪女もまた子供を持ったがゆえに「約束を破ったら殺す」というマイ・ルールを貫くことができなくなっている。

 1968年に大映が『怪談雪女郎』(監督:田中徳三)という作品を製作しており、藤村志保が演じた雪女は美しさと儚さを兼ね備え、日本人がイメージする雪女にピッタリ一致していた。悲恋物語の切なさも怪奇映画のムードにも事欠かない上出来の映像化だが、それはやはり日本人向けの枠内にとどまった完成度であり、小林がめざすところではなかった。ラフカディオ・ハーンが注目しているのは、「人間と超自然が10年間だけ家庭を営み幸福を感じることができた」という超常現象。その現象が発生する世界を、現実には存在しない色彩で再創出したのが本編の「雪女」であり、そこに必要不可欠な要素が、その佇まいや発声からしてどこかバタ臭く、村の生活に定住しても、あきらかに異質感が漂う岸惠子という肉体であった。

 ちなみに、『怪談』のクランクイン予定は何度かズレ、フランス在住の岸惠子の出演が危ぶまれたため、チーフ助監督の吉田剛は高峰秀子による代役を進言し、実際に打診もしたという。が、若槻繁が「にんじんくらぶ創設メンバーである岸ありきの企画のはず」とそれを突っぱねたということだが、これこそプロデューサーの仕事と言うべきだろう。

 

「耳無し芳一の話」に登場する平家の亡霊たち

第三話「耳無し芳一の話」

 冒頭に響き渡る「平家物語」の歌声、これを本物の平曲(琵琶法師による『平家物語』の語り)の再現だと勘違いする人が多いけど、違いますよ。この「壇ノ浦」は、水木洋子作詞、鶴田錦史作曲・演奏・歌による、映画『怪談』のために作られた完全新曲。男装の琵琶奏者として知られる鶴田錦史はここで武満徹と出会い、後に「ノヴェンバー・ステップス」の初演に参加することになる。

 そしてインサートされる壇ノ浦合戦の絵図「源平海戦絵巻」も、既存の屏風絵や絵巻を撮ったものではなく、異端の日本画家・中村正義が映画『怪談』のために描いた完全新作。映画では全体図が見えないが、全五図で構成されており、それぞれ2〜3メートルのサイズを持つ超巨大な額装絵画(第一図だけ二曲一双の屏風絵)の連作で、今では戦後日本美術を代表する一作に数えられている。

 そしてスタジオに組んだセットで、新劇役者陣による歌舞伎風演技で再現された海戦シーン。「鶴田錦史の琵琶と語り」+「中村正義の日本画」+「新劇俳優陣の歌舞伎風再現」が交錯することで、数百年に渡って語り継がれた平家滅亡の記憶(記録ではない)立体化する。しかし、このシークェンスの最後に挿入されるのは本物の平家蟹のアップ。甲羅に刻印された怨みの表情で、非リアリズムで積み上げた描写に「リアル」の一撃を突き刺し、海戦の悲劇が実際にあった出来事であることを強調する

 芳一(中村嘉葎雄)が日常生活を送る寺の描写はユーモア漂う、のどかでリアルなタッチだが、ここへ平家の使者(丹波哲郎)が現れるや様相が一変。なぜか使者の甲冑は鎌倉時代の大鎧や胴丸とは少々雰囲気が異なり、西洋甲冑っぽくも見える不思議なデザイン。さらに大雨を超えて平家の公達の亡霊に面会すれば、安徳天皇が現れる宮廷には廻廊が巡っており、その下には水が張っている。廻廊の中央に作られた四方形のスペースに芳一が座するのだが、まさに「水に浮かぶ宮廷」そのもの。美術の戸田重昌は「広島の厳島神社をヒントにした寝殿造」と語っているが、厳島神社の社殿が平清盛の造営による平家の氏神であることを思い出すと、自然とここが彼らの住む「波の下の都」に見えてくる。

 ここで芳一が琵琶を演奏して「壇ノ浦」を語り始めると、じょじょに背景は炎上の図となり、無数の丸柱の上部が折れて砕けたようになっているのも見え、西洋の神殿遺跡のような雰囲気に変貌してゆく。辺りには戦死した武者が死屍累々、ギリシャ悲劇的な悲壮美をじわりじわりと高めてゆく。

 芳一は『平家物語』という戦没者の記憶を再生する語り部であり、それがあまりに見事なので当事者(平家の亡霊)に魅入られ、彼らとのコミュニケーションが始まるのだが、盲目の芳一にとっては、生者も死者も同質の存在である。そんな彼が、後半、全身に魔除けの般若心経を書かれると、今度は彼自身が「透明人間」に変身し、亡霊たちにとっての超自然存在に変身する、という反転の構図がクライマックス。しかし「耳」という白紙部分を見つけられ、それを奪われることで、結果として芳一は「死者の声を聴く」役目から解放されるのだ。

だが、「命の限り私は琵琶を弾き続けましょう」と原作にないセリフで今後のライブ活動継続を決意する芳一の姿には、死者に呑み込まれることなく、今後も戦争の記憶を語り継ぐことは可能だろうか、という戦争体験をテーマとする映画を撮り続けた監督の自問が潜んでいるように思えてならない。

 なお、小林正樹は学生時代、歌人・書家の會津八一に師事しているが、八一は学生時代にラフカディオ・ハーンの講義を受けていた。しかもハーン没後はセツ夫人の相談相手や子供たちの家庭教師まで務めていた人物で、小林はハーンの孫弟子という立場に当たる。そんな縁から『怪談』を企画した小林だが、『切腹』完成直後の対談(相手は伊藤大輔)を読むと、「次回作は『耳無し芳一』」という発言があり、この一編だけは構想初期から映像化を決めていたようだ。それはやはり戦没者の鎮魂をめぐる物語だからだろう。

 

「茶碗の中」の武士・関内(中村翫右衛門)

第四話 「茶碗の中」

 いきなり明治32年(1900年)正月からスタートし、作者(滝沢修)が登場してしまう。「あれっ、作者は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)じゃないの?」と思うかもしれないが、ここに登場するのは、ハーンが想像する結末を書かなかった原作者の現代版1900年とはまさにハーンが日本の怪異譚を書き記していた時代であり、泉鏡花が『高野聖』を発表した年でもある。そんな時代でもまだ髷を結っているこの作者、部屋の中には怪談のタネ本である江戸時代の書物がどっさりで、彼自身が近代社会の中に取り残された古い時代の住人であることを物語っている。

 そして語られる「茶碗の中」は水のモチーフ総決算。「黒髪」では石鉢の水、「雪女」では流れる川や池、「耳無し芳一の話」では海や大雨や水上宮殿が超自然との境界として描かれたが、ここでは一杯の茶碗の水に凝縮されている。

 茶碗の水面に浮かぶ謎の青年の笑みを不気味に思いつつ、挑発された気になってグイと飲み干した武士・関内(中村翫右衛門)。すると夜中、茶碗に映っていた青年・式部平内(仲谷昇)が現れ、「今朝それがしに非道な危害を加えたではござらぬか!」と難詰する。

「そのような意図はなかったが、不快に思われたなら申し訳ない」と、現代のSNSユーザーならそんな謝罪らしき言葉を発するところかもしれないが、17世紀の武士である関内はいきなり刀を抜いて切りかかる。現実社会の論理と超自然の論理の衝突だから、関内には交渉の発想がない。

この作品は総じてキャスティングが素晴らしいが、恰幅のよさといい腰を落として走る様といい、中村翫右衛門の武士ぶりは完璧で、仲谷昇の異様に撫で肩な美青年武士と対峙したショットには惚れ惚れさせられてしまう。

注目すべきは平内の出現場所が巨大な和時計のそばであること。時間の裂け目から出現した平内及び彼の家臣三人衆は、関内と刃を交わしても、時間を共有してくれない。「耳無し芳一の話」は壇ノ浦合戦を演劇的・絵画的に描くことで歴史の芸術化を試みたが、「茶碗の中」のクライマックスでは、スローモーションやストップモーション、三味線と人声が混じったミスマッチな音楽で、映画の時間そのものの解体が試みられてゆく。

 結末に至らぬまま1900年に戻ってくると、作者が失踪している。その居場所を発見した杉村春子の悲鳴がつんざく瞬間は、この映画で唯一のショッキングな演出だろう。そして、怪異を語る者もまた怪異の世界に吸収されてしまうという、結末らしき結末。

 ラストショットは誰もいない空間にひとつ転がったグイ呑み。物語は終わり、水も空になっているが、異世界をつなぐ器だけはまだ残されている、というイメージでオープニングと円環構造になっている。

 

「スターと日本映画界」(若槻繁)

『怪談』は1億円の見積もり予算でスタートするが、結果的に32千万円まで膨張、興行収益で賄うことができず、制作会社である文芸プロダクション にんじんくらぶが倒産に至ったことで有名だ。その過程については、にんじんくらぶ代表である若槻繁が自ら執筆した『スターと日本映画界』の後半部分に詳述されている。日本版『ハート・オブ・ダークネス〜コッポラの黙示録』と言いたくなるその内容は壮絶で、特に若いアシスタント・プロデューサーが、連日債権者に責め立てられているうちに発作的に気がおかしくなり、肉切り包丁で指を落としてしまう事件には慄然とさせられた。

 また、『怪談』といえば撮影用に京都宇治の日産車体が持つ18千坪の倉庫を改装した超巨大ステージの話題が必ず取り上げられるが、これも計画的に作られたものではなく、3月に撮影開始した『雪女』の室内場面は京都の宝スタジオという撮影所にセットが組まれていた。が、仲代達矢が東宝の『蟻地獄作戦』撮影遅延のため到着が遅れ、スケジュールがこなせぬうちに借用期間の終了が迫ってしまい、しかも他の撮影所はすべてNG、泥縄式にこの倉庫を見つけ出し、撮影用に改装した急ごしらえのスタジオだった。

 しかし幅220メートルもある広大なステージを目にした美術の戸田重昌が発奮し、あふれ出るアイディアを次々と図面に叩きつけ始めた。完成したセットを前に撮影の宮島義勇も持ち前の完全主義をぞんぶんに発揮して大いに粘り始め、音楽音響の武満徹もいっさいの妥協を許さぬ製作スタイルに固執するようになる。こうした「鬼」たちの跳梁にまったくブレーキをかけなかった小林正樹にいちばんの責任があることは間違いないが、監督としてはこの連鎖反応からどのような「新たなる日本の美」が創造されるのか、落雷を待つフランケンシュタイン博士の心境で見守り続けていたに違いない。

 むろん、無責任に放置していただけではなく、撮影終盤には監督自身も金策に駆けずり回っている。木下惠介に一千万円の借金を申し込んだら、五千万円貸してくれた、というエピソードもこの時だ(※なぜか岩波書店の『映画監督 小林正樹』収録の談話「私が歩いてきた道」では五〇〇万と書かれているが、『わが映画人生』(聞き手:篠田正浩)のインタビューでは五千万と答えている)。仲代達矢、水木洋子、鶴田錦史らもギャラを返上し出資したそうだが、それだけ完成させたいプロジェクトだったのだろう。

 映画というのはこうした多数の人々に金銭的な迷惑をかけてまで製作するものではないと思うが、19641965年とは、テレビに対抗した大型映画の製作がピークに達した時期だった。黒澤明『赤ひげ』(1965)、木下惠介『香華』(1964)、内田吐夢『飢餓海峡』(1964)、市川崑『東京オリンピック』(1965)といった質量ともに充実した大作が、日本映画黄金期の最後の光芒、いや断末魔の叫びのように製作された。同時期に出現した『怪談』も、これらの作品と引けを取らぬ大作ではあるが、「立派な前衛芸術作品」として厳かに鑑賞するのではなく、60年代という現代美術の転換期が生み出した、最も実験的かつ最も予算のかかかった、超カルト・ムービーとして気楽に楽しむべきだろう。捏造された日本の美に醜さや愚劣さを感じるもよし、解放感やアップデート感を覚えるもよし、多様な受け取り方を許す懐の広さを持った作品である。

『Michael/マイケル』を観て、ロンドンで見かけたマイケル・ジャクソンを思い出す

 遅ればせながら、『Michael/マイケル』(アントワーン・フークワ監督)を観てきた。

『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒット以後、やたらに増えたポップスターの伝記映画だが、手間のかかるオリジナルミュージカルを製作するよりも、主人公の知名度とヒット曲の名声に寄りかかることのできる点が、映画会社の安心材料になっているのだろう。しかしマイケル・ジャクソンがテーマとなると、何かと困難が多かったはず。

 

 かくいう私も、マイケル・ジャクソンをきっかけに洋楽を聴き始めた世代。80年代前半の『スリラー』ブームというのはそりゃすごかった。今でも「スーパースター」という言葉でまず連想するのは彼。なので『Michael/マイケル』を見逃すつもりはなかったが、いくつかの批評を先に読んでいたので、ジャクソン家監修による信奉者向けの聖人伝にまとめられているのではないかと見当をつけていた。

 が、さすがにジョン・ローガン脚本はそこまで無難なまとめ方はしておらず、マイケルをピーター・パンやモンスター映画や動物たちをこよなく愛する、幼児性に閉じこもった「永遠の少年」としてとらえていた。言ってみればこの映画のマイケルは、江戸川乱歩が描く人見広介蜘蛛男黒蜥蜴に近い人物で、数々のステージやPV、ネバーランドは、彼にとっての「パノラマ島」であり、規格外のエンターテイナーは稀代の犯罪芸術家と紙一重だった、という解釈に見えた。

 

 そこで思い出すのは、私が一瞬だけ目撃したマイケルの目だ。

 残念ながら彼のコンサートを体験することはついに叶わなかったが、一度だけ、実物のマイケル・ジャクソンを目撃したことがある。

 あれは2002年の6月15日。仕事で赴いたロンドンの街で昼食を終えて歩いていると、なにやら群衆に囲まれたオープンバスがゆっくりと近づいてくる。

 なにを騒いでいるのかな、とぼんやり見守っていると、どうも誰かがバスの二階からメガホンで叫んでいるらしい。

「ははぁ、ロンドンにも街宣右翼がいるのだな、それにしてもあれだけの人気を集めるなんて、どんな主張をしているのやら」

 などと思いつつ通り過ぎるバスを見上げたら、なんとそこにいたのはマイケル・ジャクソン本人!

 バスを追うファンに向かって何か叫びつつ、マイケルはゆっくりと遠ざかっていった。日差し避けに差し出された傘の骨がひん曲がっていたのと、時おり笑顔を見せながら冷静に訴えるマイケルのクールな姿が印象に残っている。

通りの奥から近づいてくるオープンバス

なんか取り囲む人々が盛り上がってんな〜と思っていると、

フーリガンみたいにみんな叫んでいる

視線の先にいたのは……マイケル・ジャクソン!

メガホンで熱弁を振るうマイケル

キング・オブ・ポップは去り行く

 なにを喋っていたのかは皆目聞き取れず、あれは夢か幻かと思ったものだが、後で調べると、当時のマイケル・ジャクソンはアルバム『インヴィンシブル(Invincible)』が期待外れの売上に終わった原因は、ソニー・ミュージックが宣伝を怠ったことにあり、彼らは俺に大借金を負わせようとしているのだ、と抗議している最中なのだった。いわゆる「ソニー戦争」だ。その活動の一環として、オープンバスでのパフォーマンスがあったらしい。

 ちなみに、『Michael/マイケル』でマイルズ・テラーが演じたジョン・ブランカ弁護士は、この時にソニーとの繋がりを疑われ、解雇されている。そしてソニー戦争の結果、CEOのトミー・モトーラは退任に追い込まれたが、直後にマイケル自身が児童性的虐待疑惑で逮捕される騒動が起こってしまう(2年後に無罪判決が下る)。巨額の裁判費用と放漫経営のツケを支払うため、マイケルはソニーの救済案に乗らざるを得なくなった。つまり、独立はできなかったのだ。

 

『Michael/マイケル』の続編が製作されれば、きっとその辺りまで描かれることになるのだろう。私が一瞬のすれ違いで見たマイケルの瞳には、無茶な言い分を通そうとするわがままなスーパースターでもなければ、被害妄想をこじらせた夢想家でもなく、白人が支配するシステムに切り込んで独立を得ようとするタフな活動家のきらめきがあった。

 続編ではジャファー・ジャクソンにマイケルのそんな部分まで表現してもらいたい。

 

ミスター・ブーがタブーを破る?〜『旅立ちのラストダンス』

 年明けからかかりきりの仕事がようやく一段落ついたと思ったら、急にアルバイト的な仕事が舞い込み、いっこうに落ち着く気配がない。

 

 が、わずかなスキマ時間に映画だけは観ておりますぞ。そのひとつがアンセルム・チャン監督『旅立ちのラストダンス』。コロナ禍で会社をたたんだ結婚式プロデューサーが、縁あって葬儀屋の後継者となるが、コンビ相手となった道士様は時代遅れの偏屈老人。いくつかの失敗と衝突を経て、主人公と道士様の距離は縮まってゆくのだが……、という香港版『おくりびと』

 道士とは道教における僧侶のような存在で、映画ファンなら『霊幻道士』でおなじみだ。今でも道教が民間信仰に根強く結びつく香港では、葬儀の席で亡者が地獄の責苦から解放され、安らかに極楽往生するための「破地獄」という儀式が道士によって演じられるのだそうだ。問題の老道士を演じるのは、マイケル・ホイ。そう、あのMr.BOO!(ミスター・ブー)ことホイ三兄弟の長兄である。なにしろ私は『Mr.BOO! ミスター・ブー』(1976)、『Mr.BOO! インベーダー作戦』(1978)、『Mr.BOO! ギャンブル大将』の3本を劇場で観賞して以来のファン。「『Mr.BOO!』は広川太一郎の吹替でなくっちゃ面白くないよねぇ〜」などとヌルいことを口走る連中とは年季が違う。あれは香港人の生活実感を受け止めるためにも原音で味わうべきコメディなのだ。

 で、マイケル・ホイ御大、『旅立ちのラストダンス』の撮影時にはなんと82歳。しかし役の設定は70歳前後でずいぶん若々しく見える。「伝統」に誇りを抱きつつ、香港社会の変化にどこかアキラメの境地に達している道士様をしみじみと演じるが、かつての抜け目のないギャンブラーや、がめつい探偵社社長、老舗の味を守る鴨料理屋のガンコ親父などの、したたかな香港人の姿を覚えている世代としては、ずいぶん毒っ気が抜けてしまったものだと愕然とする。せめて山田太一のドラマ『シャツの店』の鶴田浩二のような絶妙な枯れ具合を演出してほしいもの。が、消えゆく香港の旧文化の象徴としてマイケル・ホイをこの役に選んだ監督のセンス自体は悪くない。

 また、主人公を演じるダヨ・ウォンは、マイケル・ホイ最後の監督作である『マジック・タッチ』の共同脚本に抜擢されたのをきっかけに飛躍したコメディアンであり、三十数年ぶりの師弟共演はとても見応えあるのだが、ドラマがあまりに重すぎてもうひとつ画面の中で弾まない。

 現代の香港を舞台に、新人葬儀屋の泣き笑い人生模様を描くコメディかと思ったら、話の本丸は道士様の家庭問題だということがわかってくる。後継者の息子とうまくいかない老いと孤独が描れたかと思うと、さらに道士の娘へと視点がスライド、「女」であるがゆえに後継者になれず、不倫の愛でストレス発散する現代女性のジェンダー葛藤が展開するという、「人間を描く」ネタのフルコースとなっており、いささか胃もたれさせられる。私が観たのは140分のディレクターズカット版で、一般公開された版は127分だったそうだが、長尺版はやはり麺も油も大盛りだった。

 

 この映画で描かれるように、道教は今でも女性禁制なのかというとそんなことはまったくなく、女性道士は決して珍しい存在ではないという。「女は不浄」と洗濯した法衣に女性の下着を重ねることすら嫌がる老道士はかなり守旧派な人物なのだが、そんな彼も、主人公や娘の本音とぶつかるうちに意識変化が生じ、自分自身の葬儀では、息子と娘を呼び戻して兄妹で破地獄を舞うよう遺言する。老道士が大事にしていた地獄破りの儀式の「掟」を破ることで、離散しかかった家族が「和解」に向かうという結末で、香港では大受けだったそうだが、ホームドラマとしてはお定りの図式だよね……。問題は「破地獄」という儀式が魅力的に撮れていないことで、主人公の視点を固定し、儀式の細部をきちんと紹介しながら、道士一家が直面する香港の現実問題を少しずつ掘り下げて行くべきだったのではないか。

 

 ただ、この後半の展開はどことなくデヴィッド・フランケル監督の『プラダを着た悪魔2』に似ているのが私には興味深かった。こちらは前作から20年が経過し、ファッション誌『ランウェイ』の悪魔的編集長ミランダの神通力は、経費削減とポリコレ管理、クリック至上主義という新しい波によってすっかり色褪せ、ついには二代目オーナーが雑誌の身売りを検討し始める始末。古巣に戻った主人公アンディは、自分を育てた「ランウェイ」の窮状脱出のため、さまざまに尽力するという、『旅立ちのラストダンス』同様、老朽化した制度(文化)をいかに延命させるかという物語だ。

 ミランダが数十年かけて培った編集文化、美意識、批評性をアンディが救おうとするように、『旅立ちのラストダンス』は転職組の新人葬儀屋が、伝統の価値を学び、その志を尊重しつつ破地獄の更新に力を貸す。新世代が旧世代を否定せず、時代に合わなくなった部分を修正しつつ、残すべき文化的価値は引き継いでゆこう、という継承精神。どうやら現代の観客にとってもっとも気持ちよく受け止められる物語構図はコレらしい。が、私個人はあまり気持ちよくなれなかった。『プラダを着た悪魔2』では、新たな金主を見つけることでミランダも「ランウェイ」も無事存続が決まり、なぜかアンディもそこに居場所を得てしまうハッピーエンドだし、『旅立ちのラストダンス』では、老道士が子供たちとの和解の舞台として選ぶのは自分自身の葬儀であり、自らがかたくなに守り続けた伝統の更新を直視する機会はない。つまり、「文化継承」の美名さえ掲げていれば、旧世代の権威がなんとなく温存されることも、旧世代が「自分の死後なら好きにやってヨシ!」と寛容な姿勢を示すことも、平和な解決とみなされることがややひっかかかったのだ。

 

 きっと、往年のマイケル・ホイなら、このクライマックスのタブー破りをもっと過激に、もっと泥臭く表現したことだろう。葬儀店が立ち行かなくなった老道士はついに方針転換を決意、新人の相棒と娘を組ませて、伝統的かつ革新的な儀式を新たに開発、キリスト教に改宗してしまった息子まで呼び戻して中洋折衷のプロモーションを行うが、予想外の事態が発生し葬儀はハチャメチャな展開に……。結末は「そんな無責任な!」と言いたくなる強引なものになるかもしれない。

 が、そんなドタバタを描くことすら、不謹慎かつ暴力的ではないか、と配慮を求められるところに、現代コメディの難しさがあるのだろう。しかしその葛藤の落とし所が、「是々非々」の妥協案ならば、政治としては妥当でも映画としてはあまりに刺激がなさすぎる。

舞台『砂の女』(原作・安部公房、脚色演出・山西竜矢)と、つげ義春の劇画『蟻地獄(灼熱の太陽の下に)』

 紀伊國屋ホールで、安部公房原作の舞台『砂の女』を観た。脚色・演出は劇団子供鉅人の山西竜矢、主演は森田剛と藤間爽子。

 舞台化された『砂の女』を観るのはこれで4度目。5年前にはケラリーノ・サンドロヴィッチ脚色・演出によるケムリ研究室の上演を観ており、未だ記憶に新しい。今回もやはり砂はいっさい使用せず、高い背景に垂らした布を駆使して砂のイメージを表現するほか、「砂」の分身に見えるコロス集団がテキスト(原作)の文章を唱えながら登場し、その存在感を印象付ける。生き物としての「砂」の愚直な表現だが、音楽と音響効果で状況の不安感を煽りつつ、映像の使用はごくわずかという、禁欲的な舞台作りはまず魅力的だった。

 ケムリ研究室版では、プロジェクションマッピングで映し出される砂のアニメーション映像が表情豊かに使用され、途中で別役実風の不条理コントが挿入されたり、砂丘での移動を人形劇で表現したり、「あいつ」と呼ばれる妻がシルエットで登場したりと、奇抜なアイディア満載でKERAらしいユーモアをまぶしつつ、ラストにおいては、「希望」と名づけた木桶の装置に水が溜まることはなく、目の前に縄梯子がぶら下がっているのに、カラスを捕まえるための「希望」の改造に熱中してゆくという、大胆な改変まで施されていた。

 それに比べると、山西演出は原作の持つ脱出サスペンスに焦点を絞り、溜水装置の改造に夢中になるというラストまで忠実に原作を再現している。が、そうするのならば、主人公がいったん縄梯子で砂穴を出て、海を見る描写が必要だったのではないかと思う(水が溜まる「希望」の桶が小さいのも気になった)。

 藤間爽子はこれまでに観た砂の女役者の中ではいちばん年齢が若いが、生活感はなくても不思議な透明感を放っていた。森田剛と揃って小柄な二人が高い背景幕(砂)の底でジタバタする様子はなかなかの緊張感を醸し出し、原作未読の観客にも「砂」が何を象徴するか、しっかり伝えることができただろう。が、原作から読み取れるイメージの「再現」に汲々としすぎて、劇的な余剰に乏しかったのは残念だ。2026年に1962年の『砂の女』を上演することの意義を、原作という泉から新たに汲み直してみせる意欲を提示してほしかった。

 まぁ、マニアというのはワガママなもので、演出家が勝手な再解釈を加えて原作を台無しにされると腹が立つ一方、あまりに原作のイメージ伝達に専念されても物足りなく感じてしまう。勅使河原宏の映画版の記憶に引きずりこまれることなく健闘した作品とは思うが、「よく出来た怪異談」にまとめてしまうよりも、どこかに原作への批判精神を込めることも必要だったのではないだろうか。

 

 そんなことを考えていたところへ、つげ義春の訃報である。享年88。

 父が愛読者で小学館漫画文庫の『ねじ式』、『紅い花』はもちろん、北冬書房の『限定版 つげ義春選集』まで揃えていたから、『沼』や『チーコ』、『ゲンセンカン主人』などの代表作だけでなく、『四つの犯罪』や『古本と少女』など貸本時代の漫画まで小学生低学年の頃から触れていた。さすがに『夢の散歩』は後で内容を確認した父から「お前には少し早かったかな」と言われたが。

 思い出すのは、『蟻地獄』という劇画だ。エジプト観光中に砂嵐に巻き込まれた観光客4人が、ジープごと砂穴に転落、運転手は死亡し、太陽に照りつけられて極限状態に陥った4人の醜いエゴのぶつけ合いが描かれる。やがて救助のヘリが訪れるが……という話。私が『砂の女』に最初に出会ったのは、レンタルビデオで観た勅使河原宏の映画版だが、真っ先に連想したのは、つげの『蟻地獄』だった。

 Wikipediaの情報ではあるが、つげ義春はアンドレ・カイヤット『眼には眼を』(1957)の影響を受けていたらしい。砂漠の荒野で復讐する男とされる男の2人が彷徨し、ついに救いは訪れないサスペンス。確かにこの時期のつげ作品は、『なぜ殺らなかった』にしろ『右舷の窓』にしろ、最後までまったく救いのない劇画が多く、ヨーロッパ映画嗜好が窺えるのだが、『眼には眼を』も観ていたとは驚きだ。これは、安部公房が『裁かれる記録 映画芸術論』の中で熱心に語り、1958年度の映画ベストテンの1位に選出した作品である。

『蟻地獄』は1960年発表の『灼熱の太陽の下に』という作品が原型で、『砂の女』の出版よりも2年早いが、その原型となった短編『チチンデラ・ヤパナ』と同年である。とすると、日本を代表する前衛作家二人が『眼には眼を』を着想源とする作品をほぼ同時期に発表したことになる。『灼熱の太陽の下に』を「別冊少年キング」用に大幅に改稿したものが1967年発表の『蟻地獄』だ。その翌年につげは『ねじ式』を発表し、67〜68年の「奇跡の2年間」を迎える。『ねじ式』もまた「死を目前にした男」の彷徨を描く、悪夢的な作品だった。

 

『アラビアのロレンス』やアントニオーニの『砂丘』も含め、60年代は表現者が砂漠にさまざまな寓意を見出した時代だったわけだが、さて、2020年代、時代を描くべき投影体とはなんだろうか?

 

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安部公房と円谷英二が参加する座談会「映画/SFはSF/映画に何を期待できるか」を読む(全集未収録)

「午前十時の映画祭」で再上映されたスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』(1968)と『時計じかけのオレンジ』(1971)を、池袋グランドシネマのBESTIAシアターで観賞できた。

 私の耳がこうした極上音響と相性悪いのか、高音や重低音が響くたびに左の鼓膜がビリビリ震えるのに参ったが、ひさびさに大画面で再見し、ファンタスティックな映像の芸に酔った。

『2001年宇宙の旅』は、月に基地ができる時代の宇宙計画を予想し、莫大な予算をかけてセットを築き、綿密な科学交渉で描きながら、人間の「先」にある姿を描こうとした作品で、『時計じかけのオレンジ』は低予算、ロケ撮影、同時録音の即物的なリアリズムで未来の不良少年を戯画的に描きながら、人間の変わらぬ「業」を描いた作品である。アプローチは真逆でも、両者には「人間」を洞察する眼差しがあり、その洞察から飛翔した想像力は、50年以上経っても色褪せない。

 

 そこで思い出したのが、「SFマガジン」1961年12月号に掲載された座談会「映画/SFはSF/映画に何を期待できるか」だ。

 出席者は円谷英二(特技監督)、本多猪四郎(監督)、安部公房(作家)、佐野洋(作家)、相島敏夫(科学評論家)、福島正美(編集長・司会)の6人。

 なぜか安部公房全集にも収録されていないこの座談会、今読み返すと、『2001年〜』以前のSF映画環境がうかがえてなかなか面白い。安部の発言を中心に抜粋してみよう。

 ちなみに1961年後半の安部公房は連続ラジオドラマ『お化けが街にやって来た』を終了し、長編『砂の女』と映画脚本『おとし穴』を執筆中という作家としての絶頂期にさしかかりつつあった。本多猪四郎と円谷英二はこの年の7月に『モスラ』を公開し、円谷は戦争映画『世界大戦争』を、本多はアクション映画『真紅の男』を手がけている。佐野洋は作家デビューして3年目だが、すでに短編集を3冊、長編は10冊以上も上梓している恐るべき新人だった。

 

 司会の福島正美による「日本のSF映画はどうしたらいっそうの脱皮ができるのか?」という問いかけから座談会スタート。その上で、円谷英二が手がけた『世界大戦争』とネヴィル・シュート原作のアメリカ映画『渚にて』(1959)の影響関係を訊ねたり(円谷は原作も映画も見てないが、本多によると森岩雄と田中友幸が原作の抜粋が出た時点で研究を始めていたそう)、相島敏夫がジョン・ウィンダム原作のイギリス映画『光る眼』(1960)やディズニー映画『うっかり博士の大発明 フラバァ』(1961)は面白い、あれは突飛な発想に科学の裏付けがなされているから実感が出ているのではないか、と指摘したりする。円谷英二が「われわれだって『ゴジラ』や『美女と液体人間』で科学を無視していることはない」と絵空事に終わらないための苦労について語るが、そこへ、安部が口を挟む。

 

 安部 ぼくはちょっと反対意見なんですよ。ぼくはだいたい医学をやっているものだから、『液体人間』はまぁないだろうと思うんです。でもぼくはああいうへんなものは好きなんです。あの映画がちょっと弱かったのは、ぼくの感じではちょっと遠慮しすぎているからだと思うんですよ。その点で、はじめからどうせウソの話だと……極端な例をあげるとね、『ガリバー旅行記』は読んでおもしろい。だけど馬の国があるなんてそんなばかげたことはない。でもそんなことをいっていたら、あの話のおもしろさがなくなるんですよ。もちろん馬の国はない。小人国もない。ないけれどもおもしろいわけですよね。そこへ割り切ってしまうことがSFのFのほうね。だからぼくは『液体人間』をよけい見たんですけど、あれは人間が液体になることがあり得るかどうか、ということにちょっと遠慮があってね、なにか思い切ったでたらめができなかったという気がするんだ。

 円谷 それは真実ですよ。

 安部 人間が液体になるかどうかはどうでもいいんですよ。むしろ液体というもののいろいろな性質がありますね、複雑な。それを、そこだけうんと科学的にすればいいんじゃないか。もう一つ、液体になった人間の悲しみね、へんないい方ですけれども、あれをそっちから逆にとったらぼくは人に訴えるんじゃないかと思うんです。映画では、液体人間の方がとても悪くなっちゃっているんですよ。考えてみれば人間なんてみんな液体みたいなところがあるでしょう(笑)。そういう部分を生かして人間の液体性の悲しみを訴えていったら、相当切実なテーマを持った—もちろん戦争反対というテーマじゃないけど、なにか変わったものができるんじゃないか。

 

 ここでの安部の主張は『美女と液体人間』公開時に書いた映画時評「ストーリーという罠」と同一で、ようやく制作者に持論を届けることができた、ということになる。

 さらに福島正美が『渚にて』や『世界大戦争』のような警世的なもの、『美女と液体人間』のようなスリラーもの、科学的なロマンチックな夢を託したファンタジー、こういうSF映画がどんどん作られることがまず重要だ、と言うと安部はこう主張する。

 

 安部 ぼくはね、ひねくれた言い方をすると、『渚にて』よりは『ゴジラ』とかああいうものの方が好きなんですよ。やっぱりほら、ああいう映画のおもしろさね。これはまぁ、もちろん見せものですよね。だからそれはそれまでのものという限界はもちろんありますけどもね、でも『フランケンシュタイン』とか『透明人間』ていうものがありましたね。あの当時は『透明人間』なら透明っていう映画の技術が見せ場で、原作以上に普及してますが、原作を読んでみると『透明人間』は非常にいい作品なんです。映画でも透明人間の苦しみがかなり出ていましたけれども、原作はそれ以上にそこがよく書けていました。『フランケンシュタイン』はみにくい男の悩みを書いてあるんですよ、小説は。つまりあまりにも自分がみにくいためにだれからも愛されない。原作はあの当時は怪奇趣味の見せものとして、グロテスクなところを見せたんでしょうけれども、あれで悲しみを描くと芸術の世界になっていく。だから『渚にて』が悪いっていうんじゃなくて、そういうところにいきなり行くんじゃないルート、『ゴジラ』でもなんでもいい、ああいうスペクタクルを通じて、未知を描くっていうか、ああいう面白さを通じて何かが出てくるというルートもぼくはあると思うんです。

 円谷 それはあると思いますね。

 安部 それをぼくはいちばん期待したいですね。

 

 ここで安部が期待した「ルート」を、東宝はその後、発見できただろうか。小松左京原作の『日本沈没』(1973)、『さよならジュピター』(1983)に活路を見出しかけたことはあったが、50年以上かけて、『シン・ゴジラ』(2016)と『ゴジラ−1.0』(2023)でようやくゴジラ映画の枠を拡大して見せたことを思うと、その可能性の開拓は未だ充分とはいえないように思える。

 さらに話題が進み、相島が「しかしSFは翻訳ものが多いんですけど、日本の作家はもう少し出てこんですかねぇ」と問題提起、安部が「これはどうも……(笑)」と頭をかいた上で、「SFは日本では今までマーケットがなさすぎた。この辺でそういう習慣というのか、それをぶち破る必要がある」と言い出す。マンガやアニメ含めSF的設定の作品であふれ返る21世紀では信じられない言葉だが、当時(1961年・昭和36年)は「SFマガジン」が創刊してやっと2年、まだまだ「SF(サイエンス・フィクション)」という言葉の浸透度は低かった。日本人作家による長編SF小説さえ、せいぜい1959年に安部公房の『第四間氷期』が一作あるのみ、「戦後初の日本作家によるSF長編」と目される今日泊亜蘭『光の塔』の出版はこの座談会の翌年(1962年)なのだ。

 

 佐野 (注・アメリカでは)文学市場とエンターテインメント市場が分かれているでしょう。日本では分かれてないんですよ。そして、エンターテインメントも、文学市場に近づいたものを要求される点がある……。

 安部 それはかえっていいんじゃないですか、結果としては。たとえばホフマンなんて、あれは今では大文学者だろうけれども、書いている雑誌はあの当時の婦人雑誌だそうですよ。ぼくはSFでも、たとえばそれがスペクタクル映画であっても、空想科学ものであっても、何であってもね、作家がそれに全力をぶち当てるっていう場所が、ほんとうにそれに賭けるっていう場所がないとだめだと思う。でないと遊びになってしまう。特に空想科学ものは、お膳立てだけつくればいいんだっていうような雰囲気じゃ、やっぱり出てこないと思うんですよ、いいものは。作家がそれに賭けるっていう場所がないとね。これは娯楽小説で—これは高級な芸術だっていう区別があまりあると、ぼくはやっぱりSFも育たないって気がするな。

 佐野 ただくっつきすぎてくると、娯楽小説として心魂を傾けて書くものとそうじゃなくて文学的になったものと、そういう点で少し違ってくるんじゃないですか。

 安部 ぼくはそうじゃないと思うんです。日本は高級文学っていうとかならず私小説みたいなのが出てくるんだ。ぼくはそれは認めない。実際は本来区別がないものだと思うんです。

 円谷 映画の場合もいえますね。

 

「荒唐無稽」で「漫画的」なSFものは、当時メインカルチャーよりも一段低いものと見られていた。だからこそ、安部は純文学と大衆文学の区分けを念頭に置かず、作家が本気の作品を書くことで、その段差を突破することができるはず、そのための舞台が必要だと主張する。

 座談会は進み、SF映画やSFマガジンは女性の観客や読者が少ないがどうしたら増やせるか、いやコンテストの応募者には女性もずいぶんいた、『モスラ』は夏休み映画だからレジャーに負けると思ったら大ヒットしたがなぜだろうか、顕微鏡映像の記録映画を見れば、アメーバの捕食や神経の成長過程なんてちょっとしたスペクタクル映像だぜ、といった話題が続き、「大衆性」と「芸術性」をいかに結びつけるか、というテーマでまとめに入る。

 

 福島 今度は逆に、映画の側としてですね、現実に今後どういった原作が出てほしいかということを、円谷先生にお話願いたいんですが……。

 円谷 『禁断の惑星』(1956)、あれは非常におもしろかったですね。いままでの空想ものと違って味も深みもあった。ぼくはああいう映画こそわれわれの映画だと思ったんですが、これがどうも成績が悪かった。

 相島 そうですか。あれはぼくは非常にいいと思った。

(中略)

 相島 『禁断の惑星』は題名が悪かったんじゃないか。

 安部 やっぱり大衆性に欠けているかも知れないな。

 相島 ぼくはあの程度のものがほしいと思ったな。

    安部 『禁断の惑星』もいいけど、ぼくは『キング・コング』が持っていたような素朴な大衆性も、やっぱりあくまでも必要だと思うんだね。必ずしもそういうスペクタクルのばかばかしさを殺さずに—なにか新しいああいうもののおもしろさっていうのは、一種の怪談のおもしろさに通じるところがありますね。だからそういう意味で、欲をいえば、ああいうものを生かしながら、しかもなにか出していくという方向がつかめるといいんじゃないかと思うんです。

  (中略)

    本多 まぁ、これからひとつ、きょうなんていい機会ですけれども、安部さんや佐野さんに映画の方にも……いい原作を書いていただいて……。

    円谷 ほんとう、テレずに。

    本多 そうしたら、われわれのほうで大いに映画にしましょうよ。

    円谷 『モスラ』の場合も、気を強くしたのはあのお三方(中村真一郎・福永武彦・堀田善衛)が非常に一生懸命、投げずにね、おちゃらけずにまじめに書いてくれたんです。大へん力強かったんです。今後とも安部さん、ひとつお願いできるときは時代が来たと思って……。

    安部 佐野さんと合作しますか。(笑)

    相島 科学の進歩が空想を追い越しそうな時代ですからね。空想家もしっかりしないと追い越されますよ。

 

   安部公房はその後、『砂の女』、『他人の顔』、『人間そっくり』といった、広義のSF小説を連発し世界的前衛作家の座を獲得する。1962年にはSFテレビドラマ『お気に召すまま』を監修し、東宝での製作を予定して『第四間氷期』の脚本も執筆しているが、こちらは未製作に終わった。円谷英二とのコラボレートが実現しなかったのは残念だ。

 本多猪四郎と円谷英二のコンビは、その後も『妖星ゴラス』(1962)、『海底軍艦』(1963)とSF精神あふれる特撮映画を連打するが、1962年公開の『キングコング対ゴジラ』が国民的大ヒット。ゴジラシリーズは子供向けの定番商品としてシリーズ化され、独自企画の特撮ものは少なくなってゆく。

 代わって円谷英二は「円谷プロ」を設立、『ウルトラQ』から『ウルトラマン』を生み出し、現在にも続く金字塔を打ち立てた。

   佐野洋は1965年、早川書房の「日本SFシリーズ」一冊として『透明受胎』という作品を発表。SFというよりも風変わりなミステリだが、現代の怪談的面白さはある。

    この時代、「SF」を啓蒙するために孤軍奮闘していたSFマガジンだが、その甲斐あって70年代末には『スター・ウォーズ』、『未知との遭遇』に始まるSF映画ブーム、『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』によるアニメブームが到来、「SF」がすっかり市民権を得た結果、「SFマガジン」は隔月刊誌に縮小しているのが皮肉なことだ。

 

 しかし今、AI技術の普及により、読者が原作小説を素材に勝手にSF映画を製作することが可能な時代が到来しつつある。安部公房は自作のテレビドラマを製作するスタッフに向かって、

「君たちはカメラや機材がプロだけのものと思っているかもしれないが、これが誰でも使える時代になって、初めてテレビドラマから芸術が生まれるんだよ」

 と語ったそうだが、いよいよその時代が実現しつつある今こそ、改めて「映画/SFはSF/映画に何を期待できるか」を考えてみるのは有意義なことかもしれない。

 

 

【参考記事】goldenpicnics.hatenablog.com

 

放送ライブラリーで見る山田太一のドラマと原稿〜「山田太一 上映展示会〜名もなき魂たちを見つめて〜」

 横浜の放送ライブラリーで、「山田太一 上映展示会〜名もなき魂たちを見つめて〜」を観た。

 無料だが、著作や当時の台本、書簡に生原稿がたくさん展示され意外に見応えある。本人だけでなく、木下惠介寺山修司からの書簡も展示されており、大原麗子による『チロルの挽歌』出演の礼状がたいそう美しいのにも驚いた。

 わけても嬉しいのは山田太一の生原稿が見られたこと。独特の筆跡で書かれた原稿は、これまで雑誌や新聞などに掲載されたのを見ているが、直に見るとやはり筆圧すら伝わる迫力が違う。

 使用する原稿用紙はペラ(200字詰)なのだが、書式が独特だ。普通、ト書は上から2マスか3マス空けて書き、次の行に入っても同様に空間を揃えて書く(セリフと区別しやすくするため)。ところが山田太一は、普通の小説やエッセイを書く時と変わらず、書き出しだけ1マス空け、あとは行がまたがっても上を詰めて書き続け、改行したらまた1マス空けて書き出す、というスタイルを採っている。そしてセリフを書く時はト書とは一行空ける、戯曲風。それでいてセリフが2行目にまたがる時は、普通に1マス空けている。

 シナリオ雑誌や書籍に作品が採録される時には、一般的な脚本書式に揃えられてしまうため、この特徴は知らなかった。

 もっとも、古い映画人だからって、全員がスタンダードな書き方を踏襲しているわけではなく、原稿の書き方は人によって個性があるようだ。大島渚の脚本原稿はト書を上から4マスか5マスも空けて揃えていたし、伊丹十三は400字詰の原稿用紙を使って、ト書もセリフもすべて1マス目から詰めて書いていた。

 

 大型モニターによる作品上映会もあったので、見せてもらったのはNHKドラマ『河を渡ったあの夏の日々』(1973)。東京・佃島の独居老人である西村晃が二階を間貸しすると、萩原健一のフーテン青年が転がり込んでくる。周囲の住民が警戒する中、フーテンは鈴木ヒロミツや石立昭二の友人を呼び寄せ、やりたい放題。やがて、彼らと西村の奇妙な交流が始まるが……という話。

男たちの旅路』のプロトタイプという解説を目にしていたので、最終的になんらかの心情の交流が成立するのだろうと思っていたが、冷や水をかけられるような結末だった。「世の中、“そんなもの”で治まりはしないんですよ」と山田太一から諭されているような気になった。これ、老人と若者が逆になって発展したのが『男たちの旅路・第三部』の一編「シルバーシート」ではないか、という気もする。倉本聰ドラマの印象が強い萩原健一、山田ドラマの出演はこれ一本だそうだ。

 

 そのまま視聴覚フロアに降りて、NHKドラマ『教員室』(1984)も観てしまう。これ、戯曲版を読んで非常に面白かったのだが、原作ドラマでは60分だったと知り、ぜひ観てみたいと思っていたもの。

 校内暴力吹き荒れる80年代前半、福岡県の中学校で教師が生徒を殴りつける事件が発生し、生徒たちが集団でお礼参りに来るらしいという情報が伝わる。恐慌に陥った教師たちは教員室にたてこもり、さまざまな立場から議論を戦わせるが……というディスカッションドラマ。驚いたことに、戯曲版で交わされる議論のテーマはすべてドラマ版に納められていた。結末までまったく一緒。すばやいテンポで描写が展開し、議論内容が食い足りない、と思わせない演出(高松良征)が素晴らしい。これは教育ドラマではなくて、限定状況の不条理劇なのだね。私はスティーブン・キング原作の映画『ミスト』を思い出しました。

 リベラル派の代表である数学教師を演じるのが夏八木勲というのもヒネったキャスティングで、「いや、アンタこの中でいちばん強いでしょ……」ってツッコミ待ちにしか思えない。一方で、議論中になぜか「自分は軽く見られている!」という嘆きにスライドしてしまう佐野浅夫の教頭にも笑わせられた。

 とはいえ「不安」や「恐怖」に抗するにはこちらも暴力を備えるべきか? という今や校内暴力を離れ、在日外国人問題や核武装問題に流用されるべき議論の内容はまったくズレていない。教条的な「賢者と愚者の対立」には決してしない、それでいて冷笑的な相対主義にも陥らない、厳しさと温かみの同居こそが山田ドラマの真骨頂だったな、と思わせる秀作だった。

 

 BS放送を録画した『それぞれの秋』も早く観なくては……。

怪奇カニ男の正体〜「マチュピチュ展」@森アーツセンターギャラリー

 正月明け早々、ひどい風邪をひいて長いこと伏せっていた。

 ぼちぼち活動を再開しているのだが、まずは寝込む前に見た、六本木は森アーツセンターギャラリーの「マチュピチュ展」について。

マチュピチュ展の看板を掲げながら、マチュピチュに関する展示なんて映像しかなかったぞ! 実質『アンデス文明展』やんけ!」

 と、怒っている方をSNSで散見するけど、まぁマチュピチュって、建造物そのものは手付かずで現存していたけど、なぜか遺物はほとんど発見されていないという不思議な遺跡で、持って来られるものがないのだよね……。クスコ周辺のインカ帝国時代の遺物は、スペイン人によってことごとく破壊あるいは溶かされてしまったため、実際のところ、外国に持ち出せるようなものは何もない。

 しかし、ものは考えよう。そもそも「インカ帝国」とは、4000年以上に及ぶアンデス文明の歴史の中の、最後の100年あまりという短い期間に繁栄した共同体。アンデス文明」の最終形態がインカ帝国だったわけだから、アンデスの遺産これすなわちインカ帝国の遺産と言ったところで、あながち間違いではない。だいたい日本人に「アンデス文明の秘宝が来るよ!」と叫んでも反応はおぼつかないが、「マチュピチュインカ帝国の展示だよ!」と声をかければ食いつきがぜんぜん違う。実際、会場には若い人の姿がかなり多かった。世界遺産人気に乗じた宣伝効果は見事的中のようだ。

マチュピチュ展」で展示された動物モチーフの土器たち

 私は3年前に、アンデス文明の歴史とその黄金製品に関する番組を作るため、一ヶ月半ほどペルー各地を取材して回った。当然、クスコにも行ったのだが、「遺物がない」という理由でマチュピチュには訪問せず。しかも今回の展示はペルーの首都リマが誇る「ラルコ博物館」の至宝が中心になっているという。私の取材はペルー北部の都市チクラヨの「シパン王墓博物館」の収蔵品が中心だったので、このラルコ博物館にもついに行けなかったのだ。なので今回の展示は見逃せない。

顔の左半分がネコ科動物、右半分がシャーマンという変容土器

 今回のマチュピチュ展の内容は、モチェ文化(紀元前後〜8世紀頃)から、その後継であるチムー帝国(9世紀頃〜15世紀)の土器や貴金属細工のものが中心になっている。

 文字を持たず、民衆の職業をすべて王(権力)が管理していたアンデス文明においては、土器や貴金属細工の製作は宗教行事そのものだった。職人たちは地位の高い人々であり、生み出されるデザインはことごとく宗教メッセージの具現化につながっている。なので、半人半獣になったシャーマン(動物の精霊が宿った状態)の顔を刻んだ壺とか、男性器と女性器を強調した官能的な人形土器とかのユニークな民芸品は、実用性よりは儀式用の機能が重視されたものかもしれない。

右は男性器、左は女性器を強調した人物土器

 実は、有名なナスカの地上絵も、山形大学の調査で聖域の巡礼ルートに沿って展開する宗教メッセージ(巨大壁画のようなもの)だったのではないか、という仮説が信憑性高まりつつある。ナスカ以前、紀元前の時代に築かれたアンデスの神殿跡においても、置かれた石像やレリーフの絵図は目にする順番に意味があり、何らかの「物語性」が存在したのではないか、と考えられているそうだ。

ラルコ博物館にはこの種の土器を集めたエロティックコーナーがあるとか

 今回のマチュピチュ展では、そうしたアンデス文明の神話例として、「アイ・アパエック」の物語をくわしく解説・再現しているパートがいちばんの見応えだと思う。

 アイ・アパエックとは牙を持つモチェ文化の主神で、私はトルヒーヨの「月のワカ」遺跡で、壁画に刻まれたその顔面を直に拝んでいる。

「月のワカ」で発掘された壁画に描かれたアイ・アパエックの顔

 アイ・アパエックの神話は時代や地域によって表現のされ方に差異があったようだが、今回の展示では、「消えゆく太陽を追って、犬とトカゲをお供にハゲワシに乗ったアイ・アパエックが、天界から海の世界、そして冥界へと大冒険をくり広げ、世界に恵みをもたらす」というオデュッセイアのようでもあり、桃太郎のようでもある物語を紹介していた(もちろん研究者による“想像”であるが)。

 私はチクラヨのシパン王墓博物館で、シパン王墓から発掘されたモチェ時代の土器・黄金製品を大量に撮影したが、その中でも忘れ難い一品がこちら。

シパン王墓から発掘された「カニ男」の旗章

 カニと人間の合体した「カニ男」の旗章。

「神様が海の生物と合体してパワーを得た姿」と番組では紹介したのだが、実はこのキャラクター、モチェ神話においては「海の世界に向かったアイ・アパエックは番人であるカニと対決、勝利した結果、カニから強靭な足を授かる」というストーリーを反映したものだったらしい。

 そして「マチュピチュ展」にも、まさにカニと融合し、強力なパワーを得た状態のアイ・アパエックを模った土器が展示されていたのだ。

マチュピチュ展で展示されているカニ男の土器

 カニの力を得たアイ・アパエックはその後、ウニ、フグ、ストロンブス貝と次々に戦いを挑んでこれを撃破、聖なる能力を少しずつ獲得する一方、活力を使い果たしてゆく。

 力尽き、ついに海の神に首を刎ねられたアイ・アパエックは冥界へと堕ちてゆくが、フクロウのシャーマンに助けられ、女神パチャママと結合し、トウモロコシやトウガラシなどの作物にエネルギーを与えて大地に実りをもたらすのであった。

フクロウのシャーマン(左)とトウモロコシに宿ったアイ・アパエック(右)の土器

 ちょっと仮面ライダースパイダーマンのようではありませんか。いわゆる「スーパーヒーロー」の物語も、人類にとっての普遍的な「神話」のイメージに基づいて構築されていたのであり、その根底には、動物や海棲生物など自然の脅威との一体化、すなわち「変身願望」が隠されていた。

 宗教メッセージとは本来、エンターテインメントでもあったのだ。

アイ・アパエック神話がぐるりと描き込まれた土器