安部公房生誕百年にあたる今年も残りわずか。
というわけで、メイン・イベントであった神奈川近代文学館の「安部公房展・21世紀文学の基軸」(10/12〜12/8)についてメモしておきます。じつは初日に駆けつけており、その後もう一度訪問しているのだけど、仕事が忙しすぎてレポートを書く暇がなかったのだよ。
安部公房展といえば、世田谷文学館で開催されたのが没後10年の2003年なのでじつに21年ぶり! 待ちに待った今回の展示は、評伝『安部公房 消しゴムで書く』が刊行されたこともあってか、展示品に限っていえば、前回以上に丁寧かつ緻密な構成が心がけられ、愛読者にとってはいつまでも鑑賞できる空間が作られていた。
全体で五つのパートに構成されており、生い立ちから作家デビューまでをたどる「第一部 故郷を持たない人間」では、高校時代に使用した数学ノートや、初期の詩作ノートが目を引いた。中埜肇宛に描かれた絵手紙なんてのも初めて見た。綴られた文字の繊細さは、後年、角張った筆跡で力強く原稿に書きつける作家とはちょっと同一人物とは思えないほど。大きさや罫線の異なるさまざまなノートを駆使して詩や小説の草稿を書きつけているのを見ると、物資不足の時代に手に入る紙類すべてにあふれるイマジネーションを叩きつけていた文学青年の真摯なエネルギーが伝わってくるし、安部が好んだ「手記(ノート)」というスタイルも、本人にマメな執筆癖があったからでは? と思いたくもなる。
「第二部 作家・安部公房の誕生」では、「夜の会」や「世紀」などの芸術運動に参加した時期の資料が中心。中でも、1950年に出た『世紀画集』に収録された安部の絵画作品「エディプス」をじっくり観られたのが嬉しい。展示されていたのは多色刷り版画(謄写版)だったが、原画は色鉛筆で描かれたものらしい。その隣には同じ画集に載った連作として、桂川寛「磔刑」や勅使河原宏「不思議な島」の謄写版も展示され、美術学校や藝大を出た彼らの作品に比べると、確かに安部の絵は稚拙な印象を与えるものの、アマチュアであることを畏れずに思い切った筆致でギリシャ神話に取り組んでいるあたり、後の演劇や映像作品にも通じる感覚のように見えた。
「第三部 表現の拡がり」は、安部が作家として絶頂期を迎えた時期の資料。ラジオドラマ『ひげの生えたパイプ』の創作ノートや、活字になったのとは全然違う書き出しの脚本『不良少年』草稿や、勅使河原宏が使用した『他人の顔』の撮影台本や、『人間そっくり』を贈ってもらったことへの川端康成の礼状(川端は安部が芥川賞を受賞した際に強く推した審査員でもあった)など、興味深いものがめじろ押し。
さらに細かいところに注目すると、安部は小説作品についてはすべて400字詰原稿用紙に書いているが、戯曲やドラマや映画の脚本では200字詰(いわゆる“ペラ”)だったり、400字詰だったりまちまちで、メーカーも一定ではない(昭和の作家らしく署名入り原稿用紙を使用していた時期もあった)。当時、シナリオ原稿は200字詰を使うのが一般的だったわけだが、この辺のこだわりのなさは、手当たり次第のノートに発想を書きつけていた青年時代から一貫しているようだ。
「第三部」と「第四部」のつなぎとして、安部公房の重要なパートナーである美術家・安部真知を紹介するコーナーが設置されていたのが、今回の展示の白眉と言えるかもしれない。かつての新潮文庫での安部公房作品の装丁といえば、水色の背表紙に安部真知のイラストで決まりだったものだが、これらの装丁画が文庫本の原寸大で描かれていたことを初めて知った。また、「第一部」のコーナーに、「リンゴの実」という安部公房が新妻・真知に捧げた詩がパネルで紹介されていたので、安部真知コーナーに晩年の彼女が流木を削って作り続けたという、木彫りのリンゴがたくさん並んでいるのを見ると、複雑な感慨が胸に迫る。
安部作品の装丁・挿画だけでなく、舞台美術家としての真知の仕事も紹介していたが、ひとつだけエッチングによる抽象画も展示されていた。これも素晴らしい作品で印象深かったのだが、図録で確認しようと思ったら、残念ながら掲載されていなかった。真知の作品は現存するものがほとんどないと伝え聞くので、現場で見られてよかったと思う次第。
さらに言うと、第三部から第四部へと向かう廊下のモニターからは、懐かしや新潮社のテレフォンサービス「作家自作を語る」(読者が電話をかけると作者が作品について解説する音声が流れる、というリカちゃん電話みたいなサービスがあったのだ)で、『密会』と『方舟さくら丸』についてコメントする安部の音声データが流れていたのだが、このシリーズ、『カンガルー・ノート』の音声も現存しているのだから、一緒に公開してくれればなおよかった。まぁ、アレは前立腺癌の手術を受けた影響で声が完全に変質してしまっており、あまりに痛々しい印象を与えるので避けたのかもしれない。
「第四部 安部公房スタジオ」では、70年代の演出家としての活躍を伝える、安部スタジオのポスターや舞台写真、「安部スタジオ会員通信」の全号揃い、さらに小説『密会』の創作メモが並び、「第五部 晩年の創作」になると、安部発明のタイヤ・チェーン「チェニジー」の実物や、『方舟さくら丸』、『カンガルー・ノート』、『もぐら日記』のワープロ原稿、使用していたシンセサイザーなどがずらりと展示されている。世田谷文学館ではシンセサイザーは「EMS SHINTH AKS」、ワープロは「NEC NWP-10N」だけしか展示していなかったが、こっちではシンセサイザーは「KORG MS-20」、ワープロは「NEC 文豪3MⅡ」も一緒に展示してくれたのでエラい。
所蔵していたピンク・フロイドのレコードまで並んでおり、『夜明けの口笛吹き』、『神秘』、『モア』、『おせっかい』、『ザ・ウォール』に加えて、リチャード・ライトのソロ『ウェット・ドリーム』まであったことを思うと、やはりシンセサイザーをいじる際にはライトのキーボードテクニックを参考にしていたのか? などと考えさせる。
唯一、撮影OKな展示として、安部公房の机上にあったものを書斎風に並べたセットが出口そばに作られていたが、いささか安っぽくて無味乾燥なのは残念。これなら書棚の一角の完全再現や、トイレットペーパーの芯を使ったオブジェの陳列でもよかったのでは。残念ついでにもう一つ文句を言わせてもらうと、視聴覚スペースでは、世田谷文学館の展示の際に近藤一弥が作ったインスタレーション「繭の内側」の映像版が上映されていたのだが、あれは空間の中央に『飛ぶ男』のテクストが流れ出るモニターが置かれ、その前・右・左の三面に安部が終の住処とした箱根の別荘の画像が展開してゆく立体インスタレーションなのだから、すべてを一枚の映像に押し込んだ2D版が映し出されても面白味はまったく伝わらない。予算の都合なのか事情があったのか知らないが、これなら安部の映像作品『時の崖』や『仔象は死んだ』の抜粋映像をしっかり上映してほしかったところ。
さらに言えば、前回の世田谷文学館ではヘッドフォンを装着すれば、安部のラジオドラマ作品やシンセサイザー音楽を聴けるコーナーがあったのだけど、今回はその種のサービスはいっさいナシというのも物足りない。まぁ、コロナ流行中の今となっては、多数の人がヘッドフォンを共用したり、順番待ちで密になったりする展示が難しい、という事情はよくわかるのだが。
贅沢を言い出せばキリがないが、文学・演劇・テレビ・ラジオ・映画それぞれに大きな足跡を残した安部公房が、創作を通してどのように日本を、世界を見続けていたのかを知る、重要な機会だったことは間違いなく、期待は裏切られない展示だった。
安部が『飛ぶ男』の構想メモを留めていたコルクボード(2枚組)を21年ぶりにじっくり観賞できたのだけど、
「『ザ・中学教師』という番組のリポーターに追い回される」
などというメモを見ると、安部もJICC出版局の「別冊宝島」から出ていた『ザ・中学教師』シリーズに注目していたのだろうか、とあのムックで管理教育問題に目覚めた世代としては改めて親近感がわくし、
「夢の中で語られた人類最初の浮遊都市『スブラル』、『シュブラル』に関する伝説」
なんて走り書きも貼られてあって、箱根の別荘でいったいどんな妄想を育んでいたのか、あるいは『天空の城ラピュタ』でも観た影響なのか、いろいろ気になってしまうところ。
満足して会場を出ると、神奈川近代文学館の一階に「鮨喫茶すすす」なるカフェがオープンしていることに気がついた。何やら安部公房展にちなんだカクテルや料理を出しているという。
それでは、と入店し「烏賊ばくだん丼」を注文。これはもちろん『カンガルー・ノート』に登場する烏賊爆弾にちなんだネーミング。かいわれ大根を添えた烏賊の刺身の下に、オクラや黒納豆、めかぶが隠れているという構成で、安部公房が好きな食べ物に「粘りのあるもの」と答えていたのを思い出す。“ばくだん”なので、これをぐちゃぐちゃと混ぜ合わせつつ食べるわけだが、まさに文化的ミクスチャーを志向していた安部公房にふさわしい。
しかしお店の公式Instagramで、「安部公房が好きだった緑色と本の装丁に用いられる黒色をいろいろな食材で表現してみました」と書かれているのは疑問。好きな色として「イエロー・オーカー(砂漠の色)」を挙げていた安部にとって、はたして『緑色のストッキング』の草原や『人魚伝』の緑色過敏症、さらに『鉛の卵』の緑色人間に代表される「緑」は好ましい色だっただろうか?