ようやく新しい仕事が始まり、その準備に追われています。と言っても、まだ資料を読んで構成台本を書く作業の段階。
書き直しを続けたプロットにどうにかOKが出たので、来週から具体的な取材やロケハンを始められそうです。年末までかかりきりになるでしょう。

さて、デヴィッド・ギルモアの新譜『邂逅』が出ましたね。ロジャー・ウォーターズが「ピンク・フロイドの創造的頭脳」なら、ギルモアは「ピンク・フロイドの声とギター」のコピーで張り合っていたわけですが(最近はこのコピーは使わないようです)、日本ではロジャーの誕生日に発売されてしまったこの新譜、これまでの『オン・アン・アイランド』(2006)や『飛翔』(2015)同様、音楽的にはギルモアフロイドの21世紀発展系でありながら、作品世界はギルモア個人の視点により収斂してゆく、というユニークな進化を遂げています。
原題は“Luck And Strange”、9年に一度ソロを出すだけで悠々やっていける地位を得たミュージシャンが、自分が今こんなところにいられるのは幸運か奇縁(Luck And Strange)か……と振り返る内容なので、いい気なもんだな爺さん、と言いたくもなるけど、華やかな音響構成と滋味のあるギタープレイは相変わらずの素晴らしさ。まぁ、ギルモアは基本「悩まない」人なのでしょう。前作まではムリヤリ文学的な世界を捻り出そうと苦心していたけど、だいぶ素直になって聞きやすい。
参加ミュージシャンはギルモアフロイド以降のレギュラーにブライアン・イーノの弟、なぜかドラムにスティーブ・ガットも参戦というベテラン色濃い中、プロデューサーがチャーリー・アンドリューというalt-J(アルト・ジェイ)などを手がける若手で、彼のおかげか「枯淡の境地」に行ってしまいそうな音世界をふんわりとポップに踏みとどめ、それでいていわゆる「フロイドらしさ」とは異なる、キリッとした形にまとめています。
近年のロジャー・ウォーターズがナイジェル・ゴッドリッチをプロデュースに起用していることを思うと、やはり世代の違うスタッフとのコラボレートは大事だな、と月並みな感想を抱くばかり。

さらに、YESのライブにも行ってきたのですよ。
ジョン・アンダーソンがいない方のYESを生で観るのはボーカルにジョン・デイヴィソンが初参加した2012年ツアー以来。早くも12年が経過してます。12年といえばYESのアルバムで数えると「ファースト・アルバム」から「ドラマ」を出した期間ですからね、長いですよ。
もしかしたらスティーブ・ハウが見納めかもしれない、という思いでひさびさに人見記念講堂へ出向いたわけですが、案の定、観客の年齢層が高い。私がYESのライブを初めて見たのは90年代後半、「会場でいちばん年下なの自分かも?」なんて思ったものだけど、そのまま時間が経過したような錯覚を抱く客層です。しかしよく見れば私よりもやや若そうな男性や、仕事帰りのOL風な女性もチラホラいて頼もしい。
席は2F最前列中央という、音をバランスよく楽しむには悪くない位置。少しも押すことなく19時かっきりに始まったライブは1曲目が「マシーン・メシア」、さらに「アイブ・シーン・オール・グッド・ピープル」へと続く、いささか渋めのセットリスト。「燃える朝焼け」も「ロンリーハート」もやらないどころか、こないだ出た新譜『ミラー・トゥ・ザ・スカイ』からも一曲のみという、おそらくハウが思い入れのある曲を、長年のファンに向けて並べたセットリスト。「海洋地形学の物語」を20分に短縮したバージョンなんて珍しいものも聞けました。
そしてなんとハウのギターがとてもよい。正直、十数年前の復活ASIAのころに見た、衰微の印象著しいプレイとは打って変わって元気いっぱい。バンドメンバーとの相性なんでしょうかね? それでいて「シベリアン・カートゥル」のイントロをトチってやり直し、なんて珍しい場面も見られて嬉しかったですね。
これならまだ新譜もツアーもあるのでは? こちらもいい年齢になってきた分、ちょっと嬉しくなるコンサートでした。

映画では午前十時の映画祭でウォン・カーウァイの『花様年華』を観ました。4Kレストアの映像は目が醒めるほどに美しい。公開前に松竹の試写室で観て以来の再見です。当時は「なんだかよくわからん」という感想でしたが、年を取って見返しても、ラストの展開は把握しきれず……。改めてWikipediaで確認すると、同様な観客が多いせいか、「あらすじ」の欄にラストがやたら細かく解説されてありました。便利な時代になったもんです。
しかしまぁ、トニー・レオンとマギー・チャンの表情と仕草と光の当たり具合を舐めるように楽しむ映画なのだから、その辺の理解はどーでもいいっちゃどーでもいい。梅林茂の『夢二』のテーマはすっかりこちらで有名になってしまい、同様の現象が布袋寅泰の『新・仁義なき戦い』のテーマがタランティーノの『キル・ビル』に流用されることでも起こっており、「他人の映画音楽を再利用」という手法はこれから普遍的になってゆくのだろうか? と思ったのだけど、そうでもなかったですね。やはり著作権処理が面倒なのかなぁ。
