星虹堂通信

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糸がちぎれた首飾りは野外に散らばる〜劇団カナリ公演『友達』(作・安部公房)@玉川学園子ども広場

 劇団カナリ公演『友達』(作・安部公房、演出・岡日出子)を観た。

 場所は玉川学園3丁目子ども広場。なんとオープンステージである。これまでいろんな『友達』を観てきたが、野外劇というのは初めてだ。その上、料金は「無料」とのこと。これは確認に行かねばなりません。

 てっきり野外ステージを使って行うのかと思えば、たどり着いた「子ども広場」とは本当にただの原っぱだった。ブランコやすべり台などの遊具すら存在しない。集まった客はビニールシートに置かれた座布団に座って観劇するという仕組みで、まぁ、天井のないテント公演のようなものですな。子どもの頃、神社の境内で行われた野外上映会を思い出す。

劇団カナリ公演『友達』(上演中の写真撮影もOKだった)

 劇団カナリは明治大学の卒業生が起ち上げた劇団らしく、出演者は全員若者。ステージは野原に敷物を広げた上にソファやカラーボックス、黒電話を置いただけで、ドアを取り付けた白い壁が背景を覆うという、シンプルなものだった。袖に音響スタッフがいて、スピーカーから演技に合わせて効果音が流れる仕掛けはある。

 使用テキストは1967年の初演版。この公園には遊具どころかトイレすらなく、寒風吹きさらす中でゆうゆうと芝居をやっていると観客の負担が大きいのを考慮したのだろう、上演時間は80分に切り詰めており、衣装の変更すら行われない。

 周囲からは子供の遊び声が聞こえてくるし、陽はどんどん落ちて急速に寒くなってくる。この環境でチープでキビしい出し物を観るのは、かなりキツい体験になるのではないかと覚悟したのだが……、驚くなかれ、これがなかなか面白かったのだ。

 脚色・演出は次女を演じた岡日出子。台本を細かく短縮してテンポアップをはかりつつも決して「ツボ」は外していない。家族はギターの調べによる「友達のブルース」を歌いながら登場するし、長男が主人公の足を引っかけて倒したことで他の家族たちから責められる一景も、「泥棒猫」をめぐる大論争も、幕間で管理人が観客に向かってビラを配る場面も、ラストで「今日の新聞」が読み上げられるところもキチンとやっており、安部特有の理屈っぽいセリフもほぼいじらず。一幕の結末で、主人公がハンモックに吊るされてしまう部分まで戯曲通りにこなしており、これは非常に好感を抱いた。

 改めて『友達』という芝居は書かれた言葉にちゃんと向き合いさえすれば、演者の経験が浅くとも、時代に沿ったブラックユーモアが浮かんでくるように設計されている芝居だと再確認できた。新進気鋭と評される演出家が『友達』に挑み、「古臭い戯曲を俺様の腕で新しくしてやるぜ!」とばかりに勝手な脚色や無駄な演出を加えた結果、見事な返り討ちにあった例を何度も見ているが、今回は野外劇という環境上、シンプルな上演スタイルの中でどれだけ戯曲の味を浮かび上がらせることができるか、愚直に取り組んだのが好結果につながったのだと思う。

二幕冒頭では、客席の逆方向に置かれたベンチが舞台に

 野外環境の活かし方が面白かったのは、第二幕の冒頭、主人公が婚約者と会う場面。設定は「公園のベンチ」なのだが、観客は180度反対方向を向くことを求められる。振り向くと、まさに客席スペースの真後ろには本物のベンチが存在し、そこで舞台の続きが演じられるのだ。これは鮮やかだった。

 そして冒頭とラストシーン、戯曲では家族たちは「友達のブルース」を歌いながら、一種の共同体として出現し、また次の犠牲者を探して去ってゆく。しかし今回の上演では、家族たちは歌を歌いながら四方八方からステージ前に集まってくるし、ラストになると、また四方八方へと散ってゆく。歌詞にある「糸のちぎれた首飾り」が時として集合し、祭りが終われば去ってゆくイメージだ。これはインターネット上の「炎上」によって集結し、言葉の暴力で荒れ狂った末にトレンドが過ぎれば去ってゆく、現代のネットイナゴが生み出す「世間」そのものに見えた。

 あの家族たちの捉え方が、若い世代によってさらに更新された手応えが確かに感じられ、安部公房作品の延命はすでに約束されているのではないか。

「檻」に閉じ込められる主人公