星虹堂通信

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1973年に安部公房が描いた「ハムレット」〜笛井事務所『愛の眼鏡は色ガラス』


公式サイト https://www.theater-officefey.com/next/


 1947年、『無名詩集』をガリ版刷りで自費出版し、「詩人」として世に出た安部公房は、1950年代には斬新な手法で世相を風刺する「短篇作家」、1960年代には多メディアを横断する「劇作家・放送作家」として活躍しながら、時間をかけて長篇小説を執筆するというスタイルを続けてきた。そして1970年代、安部公房は「劇団主宰者・演出家」へとさらなる変身を遂げた。安部公房スタジオと名付けられた彼の劇団は、その創作の根源となる実験工房として機能し、『箱男』や『密会』などの小説を生む母体ともなった。

 そして、安部公房スタジオの旗揚げ公演となった『愛の眼鏡は色ガラス』(1973)が、21世紀の現代に甦った。手がけたのは、すでに『友達』や『棒になった男』を上演し、安部公房作品の再生に熱意を注ぐ笛井事務所。俳優・奥村飛鳥が率いるこの劇団は、昨年6月にも『愛の眼鏡は色ガラス』を望月純吉(文学座)の演出で上演しており、今回は山崎洋平(江古田のガールズ)を演出に迎えての再演となる。演出家・出演者を入れ替えて再度取り組もうとするあたりに、主宰者のテキストへの並ならぬ執着心がうかがえる。

 舞台は精神病院の一室。真っ赤な白衣に赤眼鏡の「赤医者」、この病院に患者などいないと主張する「白医者」、ゴム人形を妻として抱える「男」、卵が入った箱を抱く「女A」などの医者なのか患者なのかわからない連中がひたすら無意味な会話を積み重ねている。そこへ「女B」を追ってヘルメット姿の過激派学生たちが乱入する。この病院は女Bが放火をしては「外交員」が消火器を販売して回ることで資金を得ているらしく、放火の現場を目撃した学生たちは病院を強請ろうと考えたのだ。しかし病院にいるのは本物の狂人と医者なのか、それともただの詐欺師グループなのかわからない。学生たちは彼らの真偽不明の会話に巻き込まれ、逆に病院側が開発した「ハムレット」という名の繊維型発火装置を見せつけられる。混乱の末、宙に舞った「ハムレット」を見失った一同は、いつしか病院が高温と真っ赤な景色に包まれていることに気づく。
 1973年の初演では、赤医者を仲代達矢、白医者を田中邦衛、男を井川比佐志、女Aを山口果林が演じた。当時の舞台写真を見ると、安部真知によるセットは灰色の壁に9つの鏡張りのドアが並んでいるのだが、今回の上演では9つのドアが白色で壁が一面銀色になっているという逆の発想でセットが組まれている。

 キーワードとなる「ハムレット」とは、本来、父王殺害の犯人を探すために狂気を装う主人公であり、宮廷を舞台にした陰謀劇でもある。しかし『愛の眼鏡は色ガラス』における病院では、誰が本物の狂人なのか、それとも狂人を演じているだけなのか、判別が不可能な状態になっている。従って「ハムレット作戦」なる東京を火の海にする陰謀も意味をなさない。
 正気と狂気の果てしない相対化によって混沌とする中、自ら開発した火種によって、いつしか火の海に包まれるという劇構造に、テロやミサイルといった火種におびえながら、狂人が狂人を管理する状況を見過ごしている現代社会を透かして見ることも可能だろう。ラストシーンで溶けてゆくのが「自由の女神」であるのも象徴的だ。
 しかし、笛井事務所による上演版は、そのような現代への表層的な重ね合わせに深入りはしない。そもそも「正気と狂気」の対立構造など、現代においてさほど魅力的な設定ではない。昨年の上演版はまだセリフの「意味」に囚われた部分が多かったように思うのだが、今年度版はセリフの掛け合いのテンポを上げ、「無意味」の積み重ねによって「非意味」のナンセンス世界へ突っ走ろうとする演出・俳優陣の悲壮な努力が見ものであった。できれば、もっと早く、もっとデタラメなジャムセッションが見たかった。例え観客を置いてけぼりにしてでも、狂躁的なグルーヴ感で突き進む暴力性が舞台上に匂い立ってこそ、この戯曲に潜む新しさが浮かび上がるはずだと思うからだ。

『愛の眼鏡は色ガラス』(新潮社刊)

『幽霊はここにいる』(1959)や『友達』(1967)などの代表作と違い、『愛の眼鏡は色ガラス』をはじめとする安部公房スタジオ時代の戯曲には、明快な物語性が乏しく、登場人物もより無機的になっているため、テキストを読んでも非常に難解な印象を与えられる。ほとんど再演されることがないのもこのためだろう。それは、劇団員にさまざまな設定を与えては即興芝居(エチュード)を行わせ、そこから浮かび上がった会話を構成するという手法で書かれているからで、70年代の安部公房は「ストーリー」の魅力でもなければ「キャラクター」の魅力でもない、舞台空間そのものの吸引性で観客を魅了する舞台を作りあげようとしていた。

 春日太一による仲代達矢聞き書き仲代達矢が語る日本映画黄金時代』(文春文庫)には、安部公房スタジオに参加してエチュードに取り組んでいた日々について語られている。

安部さんはある時、「仲代君。君は芝居をやっていて気持ちいいと思ったことがあるか?」と聞いてくるんです。私が「演じ終えて、拍手をもらってカーテンコールがあった時、今日も一日、この芝居を保ったんだ—という満足感があります」と答えたところ、安部さんは「それは違う」と言うんですよ。「手を叩いているのは、仲代達矢が好きな人間だけだ。しかも彼らは君がいくらまずい芝居をしても手を叩く。あとの人間はつられておざなりに手を叩いているだけだ。彼らは君がいくらいい芝居をしても、ずっとおざなりにしか叩かない」と。

春日太一仲代達矢が語る日本映画黄金期』(文春文庫)p166


 やがて、安部公房スタジオからは仲代、田中、井川らのベテラン俳優陣が脱退してゆくのだが、彼らにしてみれば技量に乏しい若い俳優とのエチュードに明け暮れることへの違和感もあったことだろう。安部公房もまた、舞台上にスターという識別されるべき「顔」が存在しない、むしろ識別し難い無名の役者が入り乱れながら、その匿名の群の中から、「有意の存在」が浮かび上がってくる、そんな舞台を志向するようになっていたから、彼らを引き止めることはなかった。安部公房「おざなりにしか手を叩かない観客」を覚醒させるような舞台を欲し、所属俳優に特殊な肉体訓練を課しては、『イメージの展覧会』(1976)などのパフォーマンス色の強い舞台に注力していった。

 ストーリーや俳優個人の芸に頼らない、配置された俳優・セットの運動性やメカニズムそのものを主眼とした舞台となると、後期サミュエル・ベケットの作品群が思い浮かぶ。が、あのような静謐な世界に閉じこもるには、安部公房はエンターテイナーでありすぎた。新劇でもアングラでもない第三の道を探して航海に出たまま行方知れずとなった感のある安部公房スタジオだが、笛井事務所の二度にわたる『愛の眼鏡は色ガラス』公演は、その航海の苦しさについて、改めて想像するきっかけをもらった。所属劇団員を持たずにプロデュースシステムで公演を続ける笛井事務所もまた、毎回新たな方法論を模索しては厳しい航海を続けていることだろう。安部作品との格闘を経て、いずれ宝島に到達することを祈りたい。