「あら、ごぶさたですね。もう2015年の映画ベスト・テン発表ですか?」
「あいにく年末進行に追われまくりでそれどころじゃないんだよ。そもそも今年は新作をあまり観られなかったんだ。くわえて、明後日には安部公房読書会を控えてその準備もしなきゃならないし、もうバタバタ」
「読書会って、荻窪ベルベットサンでやってる恒例のヤツですね」
「次回の課題本は『他人の顔』(1964)。誰でも参加できる読書好きの紳士淑女の社交場をめざして8回目、まだまだ参加者募集中ですよ(※終了しました)」
「はいはい、宣伝はそのくらいにして、なんですかその抱えてるものは。さては私へのクリスマス・プレゼントですね?」
「似たようなもんだが、君だけのものじゃない。読書会の二次会で話題にできそうな資料はないか、家の中をひっかきまわしていたら、珍しいものが出て来たので持ってきたのさ」
「ずいぶん古い雑誌ですね」
「映画雑誌『キネマ旬報』の1958年度決算号。恒例の映画ベスト・テンが発表されている号なんだが、なんとこの年は選考委員に文芸関係者が多く、安部公房まで参加しているんだ」
「へぇ、その年だけなんですか」
「安部の参加はこの一年だけだね。選んだ10本とその選考理由はいかにも彼らしいものだが、新潮社の安部公房全集にも収録されていない。もったいないのでひとつ紹介してやろうと思ってね」
「1958年(昭和33年)と言えば、映画館の観客動員数が戦後のピークを極めた年ですね」
「その数、11億2700万人。2014年の観客動員数が1億6100万人だからその差は歴然だ」
「まさに、映画が娯楽の王様だった時代」
「ところが、この年を絶頂期として、映画人口は減少へと転じてゆく。テレビが普及し、映像の多様化が始まる転換点となった年とも言えるだろう。同時に、映画そのものもどんどん変わっていった」
「ちなみにこの年はどんな映画が公開されたんですか?」
「それを知るなら、1958年度のキネ旬ベスト・テンを見るのがてっとり早い。当時の選考委員の投票を集計した結果がこれだ」
キネマ旬報1958年度内外映画ベスト・テン
日本映画
4 炎上(市川崑)
5 裸の太陽(家城巳代治)
6 夜の鼓(今井正)
8 張込み(野村芳太郎)
9 裸の大将(堀川弘通)
10 巨人と玩具(増村保造)
次点 陽のあたる坂道(田坂具隆)
外国映画
1 大いなる西部(ウィリアム・ワイラー)
2 ぼくの伯父さん(ジャック・タチ)
3 老人と海(ジョン・スタージェス)
4 眼には眼を(アンドレ・カイヤット)
6 死刑台のエレベーター(ルイ・マル)
7 崖(フェデリコ・フェリーニ)
8 鍵(キャロル・リード)
9 サレムの魔女(レーモン・ルウロー)
10 女優志願(シドニー・ルメット)
次点 情婦(ビリー・ワイルダー)
「木下、黒澤、小津、市川、今井……さすがに巨匠の名がズラリと並んでますね。洋画の方もワイラー、フェリーニ、キャロル・リードといった大物から新鋭のルイ・マル、シドニー・ルメットまでそろってそうそうたるものじゃないですか」
「10位以下に注目すると、いろんなことが見えてくる。日本映画では、ベストテン常連監督だった成瀬巳喜男の『鰯雲』が12位、『杏っ子』が28位で評価が下降気味となっていることが見てとれる。東映動画による日本初の長篇アニメーション『白蛇伝』が14位、内田吐夢の問題作『森と湖のまつり』は23位だ。さらにこの年監督デビューした新人・今村昌平の第三作『果しなき欲望』が25位、岡本喜八の監督デビュー作『結婚のすべて』が32位だね」
「『果しなき欲望』も『結婚のすべて』もめちゃくちゃ面白いコメディじゃないですか。順位が低すぎません?」
「今なら間違いなくベスト・テン候補だと思うが、当時は家城巳代治や田坂具隆のマジメな映画の方に票が集まりやすい時代だったのさ。外国映画はさらにすごいぞ。ルキノ・ヴィスコンティの『白夜』が12位。アルフレッド・ヒッチコックの『めまい』が16位。アンジェイ・ワイダの『地下水道』が17位で、スタンリー・キューブリックの『突撃』が21位、オーソン・ウェルズの『黒い罠』が23位、ディック・パウエルの『眼下の敵』が33位ときたもんだ」
「はぁ~、それらがベストテンに入らないんですか。というか、『めまい』が16位というのはなんなんですか。イギリスの映画雑誌『サイト&サウンド』が2012年に選出したオールタイム映画ベストでは1位に輝いた大名作ですよ?」
「今の視点で振り返れば、1958年はとにもかくにも『めまい』の年、ということになるだろうね。もちろんヒッチコックは当時から評価の高い人気監督だった。が、その評価は『腕のいい職人監督』以上のものではなく、ベスト・テンにはほとんど縁がなかったのさ。キネ旬での評価を振り返ってみれば『裏窓』(1952)でさえ11位だからね。『泥棒成金』(1952)は32位、『ダイヤルMを廻せ』(1953)が29位、『ハリーの災難』(1956)が39位、『間違えられた男』(1957)も39位、『北北西に進路を取れ』(1959)が11位、『サイコ』(1960)は35位といったありさまだ」
「そういえばヒッチコックはアカデミー賞の監督賞さえ受賞していませんね……。なるほど、現在のヒッチコック評価はフランソワ・トリュフォーら熱狂的ファンの批評活動によって打ち立てられたというわけですか」
「ベスト・テンというのは檜舞台だから、単純に面白いだけの映画や、テーマが不健康な映画は遠ざけられ、深刻かつまじめな『人間』を描いた映画が重要視される傾向があったんだな。ワイラーの『大いなる西部』なんてまさに壮大で重厚で健康な大作西部劇だもの」
「でも『隠し砦の三悪人』だって2位ですよ」
「そりゃ黒澤だから……と言ってしまえばそれまでだが、単純明快な追っかけ活劇を撮って、そこまでの高評価を勝ち取ってしまうのは、さすがの表現力と言えるだろう。むろん予算も時間もめちゃくちゃにかかっているが」
「ところで、安部公房はどんな選出をしたんですか?」
「1958年、安部公房は雑誌『群像』で映画時評を連載していた。後に『裁かれる記録』として一冊にまとまるものだが、こうした執筆活動が注目され、声がかかったのだろう。『裁かれる記録』を読んだ人ならまず納得の10本が並んでいる。『裁かれる記録』の映画論はその大部分がエッセイ集『砂漠の思想』にも収録されているから今でも読めるはずだ」
安部公房・選
(外国映画)
1 眼には眼を
2 サレムの魔女
3 地下水道
4 手錠のままの脱獄
5 黒い罠
6 スパイ
7 白夜
9 私に殺された男
10 先生のお気に入り
七位以後は、選ぶものがなくなって、本来ならなにも書かないままにしておくべきだけれども、いずれ選ばれるようなことはあるまいと思ったから、多少無責任な選択をしたが、七位以下どころか、上位に選んだ二作以外はぜんぜん選考からもれて、私の批評眼はまだ曇らされず、平均化されてもいないことがわかり、たいへんうれしかった。
「『裁かれる記録』でも絶賛していたアンドレ・カイヤットの『眼には眼を』が1位というのはよくわかりますね」
「『眼には眼を』での、対立する二人の男がえんえん砂漠を歩き続けるイメージは今見ても圧倒されるね。安部公房はこの前年に日本人の少年と国籍不明の謎の男が砂漠を彷徨する『けものたちは故郷をめざす』を発表したところだったから、精神的な兄弟に出会ったような気がしたにちがいない」
「『サレムの魔女』や『地下水道』、『黒い罠』、『白夜』も『裁かれる記録』で取り上げていましたね。アーサー・ミラーの戯曲『るつぼ』をサルトルが脚色した『サレムの魔女』はぜひ観てみたい作品です。アメリカの魔女狩りの話を、イヴ・モンタンらフランス人が演じてるんですよね」
「『サレムの魔女』、なぜかソフト化されないねぇ。ミュージカルの『くたばれヤンキース!』やロマンチック・コメディの『先生のお気に入り』を混ぜているあたり、日本でも独自のミュージカルを作ろうと研究していた当時の安部公房らしい選出だ」
「しかしコメントが風変わりですね。自分の選んだ作品がベスト・テンからほとんど漏れたので嬉しかった……なんですか、こりゃあ?」
「前にも言ったが、この頃の映画評論家の多くは『利き酒師』の意識でいたらしい。舌の肥えたメンバーが集まれば、美味な映画を評価する尺度は自然と一致するはず。だから自分の選んだベストテンと集計結果が乖離するような奴は未熟者。個人的な好みで推したい作品は下位にそっとすべりこませるのが慎み深さ……なんて考えていたそうだ」
「本当に美味しいものは、誰が食べても美味しいはず、という考え方ですね。でも自分の好みを優先できないのはちょっと不自由な気もしますね」
「しかし、今でもレストランガイドの感覚で映画評を読む人は多いぜ。プロの批評家たるもの、個人的な感覚ばかり優先させるのでなく、大衆に向けた視線も必要、という意識はわからなくもない」
「その結果、『めまい』も『黒い罠』もベスト・テン選外になってしまったというのは、複雑ですね」
「そんな『よそいき』のベスト・テンを全員が提出し、感覚を平均化するのはくだらない、と安部公房は主張してみせたわけだ。およそ選ばれそうにないミュージカルやコメディを混ぜているのもその意志の表れだろうね」
「単純に観た作品が少なかったからかもしれませんが……。しかしこの時代、選考委員はベストテンの集計結果を知ってから掲載用のコメントを書いたのですね。なんだか答え合わせしてから反省文を求められてるみたいだなぁ」
「安部公房のほか、作家では武田泰淳も投票に参加している。じつはキネ旬編集部はこの数年前に編集長の清水千代太が解任され、反発した荻昌弘や品田雄吉ら編集部員がこぞって退職、飯島正ら主だった評論家からも執筆のボイコットを宣言されるという混乱期にあった。武田泰淳はそんな苦境にあった編集部をサポートしていたそうで、映画好きの言論人に積極的に声をかけたのも彼かもしれない。武田のベスト・テンもついでにのぞいてみようか」
武田泰淳・選
(日本映画)
1 彼岸花
2 夜の鼓
3 楢山節考
4 裸の大将
5 赤い陣羽織
6 無法松の一生
7 白蛇伝
8 隠し砦の三悪人
9 張込み
10 森と湖のまつり
監督も俳優もシナリオ・ライターも、二本立ての忙しさに追いまくられて、まったく気の毒な一年であった。人材はそろっているいるのだから、金と才能と時間をもっと集中的に使えば、今年は去年よりすぐれた作品を生むことができるであろう。さもないと、同じことのくり返しになりかねない。心配でもあるし、楽しみでもある。
「武田泰淳は日本映画のみの選出ですね。集計されたベスト・テンとは7本が一致してます。当時の基準で言えば『優秀』な批評家ぶりですねぇ」
「コメントからもまじめな人柄がうかがえるよなぁ、と思いきや10位を見ると」
「『森と湖のまつり』……って、これ自分が原作じゃないですか。自作の映画化に票を入れるなんてアリなんですか?」
「べつに禁止されてるわけじゃないからいいんじゃない? それに『森と湖のまつり』はベテラン・内田吐夢監督作品だが、業界的には失敗作と評された作品でね。武田泰淳としてはここで監督にエールを送っておきたかったんじゃないかな。やさしいねぇ」
「ベストテン選出に私情をまじえてはまずい気がしますが……このお茶目ぶりは許せますね」
「ちなみに武田泰淳にも『私の映画鑑賞法』という映画批評を集めた本が出ているよ。ではもう一人、安部公房の師匠と言ってもいい花田清輝のベスト・テンをのぞいてみよう」
花田清輝・選
(日本映画)
1 張込み
2 炎上
3 夜の鼓
4 ぶっつけ本番
5 隠し砦の三悪人
6 若い獣
7 巨人と玩具
8 大菩薩峠・第二部
9 裸の大将
10 鰯雲
(外国映画)1 地下水道
2 眼には眼を
3 黒い罠
4 サレムの魔女
5 静かなるドン・黎明篇
6 女優志願
7 スパイ
8 パジャマゲーム
9 海の壁
10 愛する時と死する時
一般的にいってこの種の行事の選者たちには、ほかの芸術の領域においても同じことだが、大家とかなんとかいわれる人の作品を選ぶ傾向がある。私は次の時代をになう人たちの作品に注目し、一貫してそれらを見てきた。その結果比較的未熟であっても、未来への可能性をもっている作品を選んでみたのである。
決定をみて、ちょっと感じられるのは、こういう選者たちの傾向として、比較的最近封切られた作品が印象に残り、それを推してしまうということである。文学などと違って、たやすく読み返しができぬという映画の特殊性があるとはいえ、いささか不満である。
「ほほう、ちょっと個性を感じる10本ですね。当時若手の野村芳太郎の『張込み』を1位に挙げ、石原慎太郎が初監督した『若い獣』まで入れてます」
「若い世代を積極的に評価したい、と主張する花田は翌年の1959年度では、大島渚のデビュー作『愛と希望の街』を6位に推している。キネ旬ベスト・テンでこの作品に票を投じたのは二人だけだったから、大島はとても感激したそうだ」
「洋画の選出は安部公房とけっこうかぶってますね。5本が安部のベスト・テンと一致してます」
「花田・安部のグループ界隈では、『眼には眼を』、『地下水道』、『黒い罠』、『サレムの魔女』といった作品が話題になっていたんだろうね。アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの『スパイ』も観てないんだよなぁ、スパイ・アクションかと思いきや、精神病院を舞台にした不条理サスペンスだって話だから、すごく気になるよ」
「ミュージカルの『パジャマゲーム』やダグラス・サークの『愛する時と死する時』にも票を投じていますね。佐伯幸三の『ぶっつけ本番』はフランキー堺主演のニュース映画カメラマンが活躍する話だそうですが……。ちょっと観てみたい」
「では最後に、映画評論家を代表して淀川長治のベスト・テンをのぞいてみようよ」
淀川長治・選
(日本映画)1 炎上
2 楢山節考
3 彼岸花
4 隠し砦の三悪人
5 杏っ子
6 白蛇伝
7 結婚のすべて
8 紅の翼
9 裸の太陽
10 無法松の一生
(外国映画)
1 白夜
2 大いなる西部
3 ぼくの伯父さん
5 女の一生
6 河は呼んでる
7 めまい
8 情婦
9 鉄道員
10 海の壁
(洋画)『鍵』と『女優志願』前者はどうも私には映画が浮いて面白いこの題材が頂けなかった。『女優志願』は見た日はコウフンしたのに、日がたつといかにも古めかしい。古めかしいのがいい場合と困る場合があるが、これはモダアンな映画であるべき筈と思うだけに、妙に今日となってはすげなくなってしまった。『老人と海』は傑作だとは認める。しかし映画としては疑問。(邦画)『この天の虹』と『弁天小僧』はどちらもメモからはみ出してしまった。『赤い陣羽織』と『悪女の季節』は、もう一息、とにかく十本選ぶのには苦労した。
「おお、さすが淀川先生、ベスト・テン上位作を外さず、それでいてアニメーションの『白蛇伝』や新鋭の岡本喜八『結婚のすべて』、中平康『紅の翼』も逃さずセレクトしてます」
「外国映画の方では、まずヴィスコンティの『白夜』を推したかったみたいだね。お気に入りのヒッチコック、ワイルダーは7位と8位にそっとすべり込ませている」
「集計されたベスト・テンを知って、『鍵』や『女優志願』、『老人と海』への不満がまきちらされてるコメントも面白いですね。確かに改めて集計結果を見ると、『情婦』が次点とは信じられないなぁ」
「ま、2015年のベスト・テンも、50年後の映画ファンからはどんなツッコミが入ることやら。しょせんは資料的な人気投票にすぎないのだから、そんなことまで想像しながら楽しんだほうがいいだろうね」
「安部公房の言うように、平均化した曇った批評眼の持ち主にならないように気をつけて……。しかし私は、今夜はわが家で『素晴らしき哉、人生!』を見るという平均化されたクリスマス・イブを送りますよ。それでは!」
「ええっ、いっしょに『明石家サンタ』を見ようと思ったのに……」