星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

安部公房『方舟さくら丸』読書会にて

 荻窪のライブハウス「ベルベットサン」では、2年ほど前から安部公房ファンによる読書会が行われています。

 来週末の5月2日(土)にも、その第7弾を開催予定。課題本は『密会』(1977)です。
 これまで『燃えつきた地図』、『無関係な死・時の崖』、『方舟さくら丸』、『第四間氷期』、『壁』、『榎本武揚』を課題本として採り上げてきました。課題本は毎回参加者の投票で決めるのですが、『砂の女』や『箱男』といった有名作をあえて外すところが、集まるファンの気質を感じさせます。

 詳細・予約に関してはこちらのサイトを御覧ください。

東京・安部公房・パーティーvol.26『密会』読書会(終了しています)
https://atnd.org/events/65488


読書会の様子です

 会の運営に関わる身として、なるべく多くの人に参加してもらいたいと思い、知り合いにもときどき声をかけるのですが、「いやぁ、レベルが高そうで……」と尻込みをされる方がけっこう多い。「レベルが低そうだから行かない」ならどうにかしようもあるのですが、「レベルが高そうだから行かない」という声にはどう対応したものでしょうか。「高くないよ!」と胸を張るのもいかがなものかと思われますし、さりとてうるさがたの古参ファンが新参ファンをいびる、排他的でマニアックな会合だと誤解されても困ります。

 読書会を主催する「東京・安部公房・パーティー」とは、mixi のコミュニティでのオフ会をきっかけに始まったゆるい集まりです。学会でも研究者の集団でもなく、一般ファンの飲み会につけられた名称にすぎません。花見だの舞台観賞だのにかこつけて集まってはえんえんと会話を楽しむものだったのですが、mixiの没落とともにオフ会を開くきっかけを失い、その代わりにライブハウスを借りての「読書会」イベントが始まったのです。なので小難しい文学論が戦わされるわけでもなければ、コワいおじさんがいばっている場でもありません。かと言って、ヌルい感想や駄話だけがだらだら語られる場にならないよう、それなりに気を配っているつもりです。

 読書会の具体的な進行については、第3弾『方舟さくら丸』読書会(2013年12月21日開催)について、私が書いたレポートがあるのでこちらを参照していただければと思います。昨年の「もぐら通信」に掲載したものですが、再掲にあたって一部修正しました。
(注意・作品の結末に触れています)

________________________________________________________________

東京・安部公房・パーティー『方舟さくら丸』読書会報告〜方舟はいまだ発進せず?〜


『方舟さくら丸』1984年11月新潮社刊

 さる12月21日、安部公房ファンの紳士淑女が集う「東京・安部公房・パーティー」(通称・TAP)による『方舟さくら丸』の読書会が開催されました。この日のレポートを通じて、TAP読書会がどのように進行するか解説します。興味を持たれた方、ぜひ次回ご参加ください。

 会場となるライブハウス「荻窪ベルベットサン」で読書会を行うのは、今回で3度目。モダンジャズのライブや、文芸関連のトークショーなど、連日魅力的なイベントを行っているお店です。
 会場はustreamによる中継システムも整っているため、読書会の様子は毎回インターネットで配信しています。遠距離で来場が難しい方は、こちらの配信を見ながら、コメントを書き込んだり、あるいはtwitterハッシュタグ(#TAP_MTG)で参加してもらうことも可能です。

 さて、開場時間を迎え、参加者がぞくぞくと入場してきます。参加者は受付と同時に、用意された資料(作品のあらすじと登場人物をまとめたもの)」を受け取り、ハガキ大の「名刺」に名前を書いて体の一部につけます。名刺に書き込む名前は、本名でも、SNSのハンドルネームでも、この場かぎりの偽名でもなんでもけっこう。これは、10人を越える人数で議論を行う場合、それぞれの意見の発言主を明確にしたほうが進行しやすいためですが、同時にこの空間に「参加」する意識を強める演出の意味もあります。「名づける」という行為に終始こだわり続けた安部公房を解読するための、ひとつのステップとでも申しましょうか。後日、この名刺がみなさんの会社や学校で自分の席に座っている……なんてS・カルマ氏的な事態が起きるやもしれません。
 ちなみに今回の客入れ音楽はピンク・フロイドザ・ウォール』ライブ盤のDisc2。山口果林安部公房とわたし』によると、フロイドファンの安部公房は『方舟さくら丸』執筆中の1983年、映画化された『ピンク・フロイド/ザ・ウォール』(監督アラン・パーカー)を観に、わざわざ映画館に出向いたそうです。『ザ・ウォール』は心にレンガの「壁」を築いて自閉してゆくミュージシャンの葛藤を描くロック・オペラですが、採石場の石の壁に囲まれながら、自らの王国の「国民」を選出しようとして失敗する男を描く『方舟さくら丸』と、どこかで共鳴している気がしてなりません。

 今回の参加者は総勢15名。年末の忙しい時期にかかわらず、大学生から60代まで多彩な顔ぶれが揃いました。

 課題本となった『方舟さくら丸』(1984)は安部公房晩年の代表作です。
 やがて始まるだろう核戦争に備え、地下採石場の洞窟をシェルターに改造している、<ぼく>。現代の方舟の船長として乗船者を探していたところ、「ユープケッチャ」という虫を売る昆虫屋に目をつける。が、商売のサクラを演じる男女に乗船券を奪われて押しかけられ、彼らとの奇妙な共同生活を送る羽目に。やがて洞窟に侵入者が発見され、<ぼく>の思惑は狂い始める……。
 という物語。1985年のベストセラーリストで人文系作品の12位にランクインしています。

 読書会の進行方法は、開催団体によってさまざまで、決まったスタイルはありません。有志による研究発表をまず行うところもあれば、それぞれ意見内容をまとめたレジュメを準備し、全員で交換して読むところもあります。
 TAP読書会は「なんとなくフラッと……」訪れた方でも参加できる、誰でも発言方式。第一部では、参加者が順番に自己紹介しながら、自分は『方舟さくら丸』をどう読んだか、率直な感想を5分前後で語っていただきます。発売時にリアルタイムで読んでいるファンから、この作品は今回初読、いや安部公房の長篇はこれが初めてです、という人までそれぞれの『方舟さくら丸』体験が一気に語られてゆきます。
 どんな声が挙がったか、いくつか紹介しましょう。

・ 「核」というテーマ性が強いので、最近観た黒澤明監督の映画『夢』の一エピソード「赤富士」を思い出した。

・ 『砂の女』に共通する要素が多いように感じた。どちらも昆虫が入口にあり、穴ぐらに潜り込んでゆく話。

・ ここで語られる「方舟」のイメージについては、安部の初期短篇『ノアの方舟』と比較すると面白いのでは。そもそも方舟思想を認めてないのは一貫している。

・ 改めて読み、ジェームズ・フレイザー言うところの「王殺し」の物語の変奏として読めるのではないかと思った。権力者(主人公)が権力を剥奪され、新たな秩序が生み出される物語。

・ これまでの作品にくらべると、言葉が過剰で安易になった気がする。表現力も痩せているような……ワープロ使用の弊害ではないか。

・ 登場人物が少なく、会話が多いので戯曲みたいな印象を受けた。

・ 執筆中の仮題は『志願囚人』。長年、ジャンルを越えて身軽に活躍してきた安部が、世の中に閉塞を感じ始めた心情が如実にうかがえる。

・ 執筆にかかる直前の1977年にはミシェル・フーコー『監獄の誕生』が訳出されている。「採石場に築かれる国家」というひとつの監獄システムのとらえ方をめぐって、参照している部分があるのではないだろうか?

・ 旧作にくらべてずいぶん平易で読みやすい。が、結末部にくると途中で放り出された感も強い。どう受け止めればいいのか困惑してしまった。

・ 「サクラの男女」のキャラクターが気にかかる。どちらも平面的な人物。とくに女にはほとんど人間性が感じられないし……。

・ 発表当時読んで失望し、改めて読んでダメだと思った。ワープロと戯れることでどうにか完成させられた印象で、推敲が足らんのでは。

・ この時期の安部公房は、小説よりも対談/インタヴュー/エッセイが面白い印象。しかし再読して、ひきこもり・ネット中毒者の心理小説としても読めることを発見。非モテ男の女性との接近を描く「童貞小説」としてスリリングに感じた。

・ 初読だが、世界に類を見ない「トイレ小説」として非常に面白く読んだ。便器を中心に展開する閉鎖系のSFとしても評価できるのでは。

・ この作品の世界には「死」と「性」が隣接して設計されている。主人公も含め、核戦争という概念的な死におびえる人物が右往左往する中、(癌を患っているらしい)サクラの男女だけがリアルな死に向き合っているためか、超然としている。

ティム・オブライエン『ニュークリア・エイジ』(核戦争におびえる男が、庭にシェルター用の穴を掘り続ける話。1985年発表)とのイメージの共振性が興味深い。

・ 「もぐら」を自称する主人公が、ラストシーンで地上に出てくる瞬間の解放感がすばらしいと思った。

・ なぜサクラの男女は地下に残る決断をしたのだろう?

・ 「生き残るための切符」を渡すに値する人物を探す主人公。このイメージは安部公房がかつて愛読したリルケ『マルテの手記』における、主人公が図書館のホールで、大衆が「自分の世界」に入ってくるには入場券が必要だ、と夢想する箇所を強く想起させる。もちろん安部公房としては無意識だったろうが、若年期の思索が一貫している証拠と見た。

 などなどなど、このような意見が次々と飛び出します。安部公房ファンの集いだからと言って、贔屓の引き倒しに徹するわけではありません。それぞれにとっての「安部公房像」にもとづく作品評価をまずは正直にぶつけあい、おたがいにとって「同意できる部分」、「差異を感じる部分」を発見するところが出発点です。


『方舟さくら丸』の採石場のモデルのひとつ「大谷石地下採掘場」

 そして休憩をはさんで第2部開始。第1部で出た意見をもとに、参加者それぞれが気になったポイント、お互いの感想から浮かんだキーワードについて、掘り下げた議論を戦わせます。

『方舟さくら丸』が発表された1984年の日本は、経済的にはバブル期直前の好景気を迎えるいっぽう、政治的には米ソの冷戦対立が続き、いつ最終核戦争が始まるかわからない、という不安を誰もが抱えていた状況。そんな中で1982年、中野孝次大江健三郎埴谷雄高安部公房とも縁の深かった人々が「文学者の反核声明」アピールを発表、「核状況下の文学」という言葉は文壇の流行語となっていました。彼らの反核活動に対し、いっさい関わりを持たなかった安部公房の作品による解答と見られたためか、『方舟さくら丸』はいささかテーマ先行で読まれて来た印象が強い作品です。2011年の震災と原発事故によって、「核」の恐怖と「生き残り(サバイバル)」というテーマを改めてなまなましく突きつけられたわれわれですから、当時話題となったテーマに立ち返って作品を解読しようとする人が出てくるかと思いましたが、意外やそういう声は目立ちませんでした。
 むしろ今回の参加者が関心を示したテーマは、

①なぜ「便器」が重要な位置を占めるのか?

②昆虫「ユープケッチャ」とはなんだったのか?

③登場人物たちをどうとらえるべきか?

 といった、小説の「設計」に関する読み解きでした。

 ①については、採石場内部に設置された巨大便器についての疑問です。「なんでも吸い込む機械」であり、そもそも便器なのかどうかすらよくわからない謎の物体です。しかし、主人公の人生においては、重要な意味を持っています。主人公は、子供のころに父親・猪突によって、地下採石場の巨大便器のそばに縛り付けられる折檻を受け、その時のストレスが原因で体が肥満しているのです。そういう過去を持つ主人公が、改めて左足をその便器に突っ込み、動けなくなってしまうのはなぜなのか? こうしたイメージの反復に注意してみると、『方舟さくら丸』という小説は冒頭、主人公が市庁舎の窓ガラスに映った自分の姿を見るところから始まり、最後に地下から脱出した主人公が、改めて同じ窓ガラスに映った自分の姿に気づくところで終る構成となっていることに気づかされます。この時、主人公の目に映った自分の姿から見えたものはなんだったのでしょう?
 あらゆるものを吸い込み、下水から海につながっている、開かれた装置のはずの「便器」がつねに主人公をしばりつけ、本来閉じた装置であるべき「ロッカー」が、最終的に主人公を脱出に向かわせる、という某氏の着眼はユニークでした。ロッカーが現実世界への脱出坑につながっているという設定は『ナルニア国物語』の裏返しみたいですね。脱出に向かう地下道は主人公にとっての「産道」であり、最後の地上への帰還は「胎内からの生まれ直し」を意味する、という見方が成り立ちます。ラストシーンの主人公は、「ぼくのかんがえたさいきょうの国家」を作りたい、という子供っぽい願望から解放された現代人のあるべき姿だったのでしょうか?

 ②については、「ユープケッチャ」とは足が退化した、自分の糞を食べながら24時間かけて一回転するという昆虫で、主人公はその存在を知るやすっかり取り憑かれてしまいます。「自己完結した完全生物」としての生命体そのものが、安部公房にとっての「神」のイメージではないか、という某氏の意見も面白かったですね。もちろん安部は無神論者でしょうが、このユープケッチャという「神」の存在が、作品全体にちらつくあたりに、某氏はドストエフスキー的な匂いを感じたそうです。
 主人公は自己完結するユープケッチャに、自給自足の理想国家を作ろうとする自分の姿を投影するのですが、ユープケッチャが交尾の時以外は他者を必要しない一方、主人公は「同志」を求めて入場券を渡すに値する人物を選別しようとする点が決定的にちがいます。ユープケッチャはやすやすと交尾に成功し、無難に繁殖しているのに対し、主人公は仲間も恋人も得られぬまま共同体から追い出される羽目に陥ってしまう、この落差。しかし「ユープケッチャ」とは、そもそも昆虫屋がでっちあげた架空の生物であり、詐欺商品の気配が濃厚です。安部公房はこれまで、数々の「詐欺」を描いてきました。『どれい狩り』の珍獣ウェーや、『快速船』の万能薬ピュー、『幽霊はここにいる』の幽霊たち……。そうした「補助線」の末裔であるユープケッチャは、21世紀の今も現実世界を照射し続けるに足る発明であることは確かなようです。

 ③のそれぞれのキャラクターのとらえ方については、主人公はあんがい手先が器用で活動的、ちゃんと事業もしている人物なので、簡単に現代の「ひきこもり」との類似をあてはめてよいものだろうか、という意見や、父親・猪突は本当に死んだのだろうか、なぜ彼は殺された後も死体がビニールシートにくるまれたままで「父の不在」を持続させるのか、という意見、サクラの男女がそれぞれ相方のことを「あの人は末期癌」と主人公に囁くのはどちらも本当のことではないか、だから地下に残ったのだろう、いやそもそもあの二人は最初から「幽霊」だったのではないかなどといった意見、ファシスト的な清掃集団「ほうき隊」が、高齢者を中心に構成されている点に注目し、老人の男たちが「女子中学生狩り」を行い(1984年にしてJC萌え!)、性に執着する様子が描かれるのはまさに現代的……などなど、抽象性の高い各キャラクターについて、それぞれの視点から多彩な読み解きがなされ、気づけばすでに終了時間となっていました。

 いつもなら、最後に次回の課題本投票(現在書店で流通している安部作品の中から3作品を選んで投票)を行うのですが、前回の投票で『方舟さくら丸』と同数を得た『第四間氷期』が次回の課題本とすることが決定していたので、今回は省略。

 読書会とは、テキストを大勢で読むことで、個人で楽しんだ部分を共有し、また自分一人では気づけなかった見方や解釈、さまざまな情報を教えてもらいながら、作品の「読み方」を鍛えるイベントです。筋書の面白さだけでなく、作品にいくつもの企みが仕掛けられた多面体である安部公房作品は、その最適な素材と言えるでしょう。TAP読書会は、安部公房作品に参加者が自分なりのライトを当てる試みを行っています。はたしてそのライトは多面体の中で屈折し、どんな色を浮かび上がらせることでしょう。興味を持たれた方は、ぜひ独自のライトを持ってご参加ください。

 終了後、荻窪駅の近くの居酒屋で懇親会が開かれます。そこでは安部公房の話はもちろん、そこからほかの作家の小説や、映画、演劇、音楽、美術などなど、多岐に渡る話題が語られます。懇親会の中盤には、余興としてそれぞれが「安部公房作品以外でみなさんにお薦めしたい作品」の発表を行います。安部公房ファンは趣味嗜好が共通する人が多いので、安部作品以外の「面白いもの」への視線を向けるきっかけになれば、という狙いなのですが、この日は主宰のしめじさんも私も定例アンケートをうっかり失念、開催の機会を逸したまま二次会終了となってしまいました。
 しかたないので、9月に開催した『無関係な死・時の崖』読書会の参加者が挙げたものを、参考に紹介してお別れです。

足立巻一『やちまた』

ウラジミール・ソローキン『ロマン』

春日武彦『幸福論』

谷崎潤一郎『陰翳礼賛』

E.T.A.ホフマン『砂男』

マルセル・ベアリュ『水蜘蛛』

アラン・ロブ=グリエ『消しゴム』

多和田葉子『飛魂』

サーシャ・サコロフ『馬鹿たちの学校』

ステレオラブ『エンペラー・トマト・ケチャップ』(CD)

太宰治『フォスフォレッセンス』

鷲田清一『顔の現象学

村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

オーソン・ウェルズ監督『審判』(DVD)

________________________________________________________________

と、まぁこんな感じで進行しています。
5月2日の『密会』読書会ではどんな観点が飛び出すでしょうか。私もそろそろ再読しておかなくては……。