星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

極楽ドサ回りも楽じゃない〜ローレル&ハーディと『僕たちのラストステージ』

 

 



「極楽コンビ」ことローレル&ハーディの晩年を描く映画“STAN&OLLIE”が製作される、というニュースを耳にした時、私も含め大方のクラシック喜劇ファンは、「楽しみだけど、日本での公開は無理だろうなー。セルスルーのDVDが出ればいいが」などと期待と同時にあきらめムードの感慨にふけってしまったことだろう。が、これが予想に反して『僕たちのラストステージ』という邦題で無事に公開されたのだから、世の中はわからない。まずは配給元のHIGH BROW CINEMAに感謝である。

 ローレル&ハーディとは1927年に結成された喜劇コンビ。サイレント喜劇の黄金時代が終焉を迎えようとするころに登場し、映画がトーキーの時代を迎えたのちも人気は持続、1945年まで映画界の第一線で活躍した。痩せたスタン・ローレル演じる内気なマイペース男がボケ担当、太ったオリバー・ハーディ演じるガサツな俗物男がツッコミ担当。マンガ的容姿の二人が行くところ、必ずなんらかのトラブルが発生し、やがてとんでもない大騒動に発展、というパターンのスラップスティック・コメディ(ドタバタ喜劇)は長編・短編合わせて100本以上製作された。
 カート・ヴォネガットの小説『スラップスティック』は彼らに捧げられているし、フェデリコ・フェリーニウラジミール・ナボコフをはじめ、世界中の芸術家にファンが多い。日本ではその主演映画に「極楽◯◯」とシリーズタイトルが付けられたことから極楽コンビと呼ばれた。


スタン・ローレル(左)とオリバー・ハーディ(右)

 ようやく見ることができたジョン・S・ベアード監督『僕たちのラストステージ』だが、冒頭は1937年『宝の山(Way Out West)』の撮影現場。人気絶頂のローレル(スティーブ・クーガン)とハーディ(ジョン・C・ライリー)が、控室からステージへと向かう様子を後退移動で見せるワンカット長回しは、この作品でほぼ唯一のケレンを感じさせる演出だが、そのワンカットに漂う時代の空気感、そして主演二人の驚嘆レベルのそっくり芸にまず心を掴まれる。ちらっと顔を見せるジェームズ・フィンレイスン(ローレル&ハーディ映画でいつも敵役を演じていたハゲの役者)がこれまたそっくりで、製作者たちの本気度が伝わってくる。
 作家性の強いスタン・ローレルは、プロデューサーのハル・ローチに対し待遇面で不満を募らせており、ついに独立を決意する。しかし、大らかな芸人気質のオリバー・ハーディは賭博狂いで金が必要、ローレルの独立には同行せず、往年の喜劇王ハリー・ラングドンを新たな相手役に、ハリー&オリーという新コンビを結成、新作映画の撮影に入ってしまう……。
 時は流れて1953年。すでに主演映画も作られなくなり「忘れられたスター」となりつつあったローレル&ハーディは、再起を賭けてイギリスの公演ツアーに挑んでいる。映画では特に説明されないが、ハリー&オリーというコンビはたった一作で解消、ハーディはプロデューサーと和解したローレルとすぐに極楽コンビを再結成させ、そのまま1945年まで長編喜劇を作り続けたのだ。
 1953年の二人は新たな主演映画の構想を練りつつ、カムバック告知のための巡業公演を行なっている。かつての大スターが客もまばらな小劇場を回るツラさ、互いに仲がよくないそれぞれの妻たち、蝕まれる健康と迫り来る老い。イラ立ちが募れば、つい昔のコンビ解消事件を思い出し、口論になってしまう……という芸人あるあるドラマの合間に、往年のローレル&ハーディ映画から引用された舞台公演や本歌取りのギャグ演出がふんだんに挿入される。
 もともとローレル&ハーディは、プロデューサーのハル・ローチが思いついて組ませたらたまたま成功した喜劇チームで、二人が私生活の面でどこまで仲がよかったのかはわからない。しかし、「ビジネスパートナー」に過ぎなかった関係が、キャリアの最終局面において、「かけがえのないパートナー」であったことを初めて認識するという脚色は納得のいくものであり、おそらくローレル&ハーディをまったく知らない観客でも、普遍的な友情物語として受け入れることができたのではないか。


かつて私が購入したDVD-BOX

 脚本のジェフ・ポープは十数年前にローレル&ハーディのDVD-BOXを入手したことがきっかけで、この作品の構想を練り始めたという。おそらくそのBOX、私が買ったのと同じやつではないかと思う。10年近く前に8割引セールが出たのでイギリスから取り寄せ、これを見るためにPAL方式のDVD再生デッキまで購入した。しかしその後、すぐに動画投稿サイトを使えば彼らの旧作のほとんどが鑑賞可能な世の中になってしまったのだが、まぁDVDは英語字幕を出せるので、トーキー作品を見る上では便利だった。
 せっせと作品を観たものの、このコンビのファンタスティックなキャラクターと悪夢的に発展してゆくギャグをもっとも有機的かつ効果的に楽しめるのは、やはりサイレント時代の短編のようだ。
 もし『僕たちのラストステージ』を観て、このコンビに興味を持った人がいたとしたら、ぜひ『Big Business(極楽珍商売)』(1929)『The Liberty(極楽危機一髪)』を観ていただきたい。


『Big Business』はローレル&ハーディがサイレント時代に得意とした「ちょっとしたいざこざが、いつしか復讐の連鎖に大発展!」の最高峰に位置する作品。ある家にクリスマスツリーのセールスマンとして訪れた二人が、ドアにツリーが挟まってしまったことから家の主人と小競り合いを始める。それが「やられたらやり返す、倍返しだ!」(←古い)とばかりにアレヨアレヨとぶっ壊しの応酬になってゆくのが凄まじい。
 トーキーになってからのローレル&ハーディは、おっとりした愉快な二人組という印象を受けることが多いが、サイレント時代はなかなかに獰猛かつ凶暴な性格を有していたのである。その辺はゴジラや寅さんと変わらない。

 もう一本、『The Liberty』は脱獄囚のローレル&ハーディがいつもの私服に着替えようとしたものの、互いのズボンを履き違えてしまったため、サイズが合わない。人目を避けてズボンを交換しようとするが、なかなか着替え場所が見つからず、気づけば工事中のビルの上層階に迷い込み、むき出しの鉄骨の上を歩くことになる。鉄骨の上で震えるローレルのパントマイム芸や、小道具を細かく生かすサイレント喜劇らしい楽しいギャグが満載だ。
 監督は後にマルクス兄弟の『我輩はカモである』やハロルド・ロイドの『ロイドの牛乳屋』を撮り、『新婚道中記』や『我が道を往く』でアカデミー賞監督となる、レオ・マッケリー

 これがトーキー作品になると、ハーディのツッコミがちょっとトゲトゲしく映る場面が多いのと、テンポがトロく感じられるものが多く、個人的には苦手だが、アカデミー短編賞を受賞した『Music Box(極楽ピアノ騒動)』(1932)はやはり必見。二人が階段の上にピアノを運ぼうとするが、どうしても失敗してしまうという、さながら現代のシジフォスの神話とも言うべきコメディである。
『僕たちのラストステージ』では冒頭にその撮影現場が再現された西部劇コメディ『宝の山』も、彼らの長編映画の中では出来のいい一編なので、観る機会があれば要チェック。歌とダンスが魅力的だったのも、このコンビがトーキー以後も延命できた理由だろう。



 日本では、唯一DVDが入手可能な長編が『天国二人道中(The Flying Deuces)』(1939)だが、これは1938年にいったんコンビを解消したローレルとハーディが再結成しての一作目。ハリー&オリーとしてハーディの「新たな相棒」だったハリー・ラングドンは、脚本家の一人として参加している(彼はこの時期のローレル&ハーディ作品でギャグマンを務めていた)。
『僕たちのラストステージ』では、ハーディが脚本助手だったルシールと出会い、結婚を申し込んだのは『宝の山』の現場とされていたが、実際はこっちの作品だったようだ。
 内容的には二人がひょんなことでモロッコ外人部隊に入って大騒動、というもので、この時期『モロッコ』(1930)、『外人部隊』(1933)、『地の果てを行く』(1935)など外人部隊を背景にしたヒット映画が多かったからそのパロディなのだろう。牢獄に投げ込まれたローレルが、ベッドのスプリングをハープ代わりに演奏、ハーディが歌い出す場面などは楽しい一景だが、たいして出来のいい作品ではないので、この一本で彼らの実力を見限ったりしないでほしい
 しかし、ラストのオチはシュールでなかなか印象的。筒井康隆は戦後に観た『極楽闘牛士(1945)で、二人が文字通り「身ぐるみを剥がされ」、首から下が骸骨になってしまうラストに衝撃を受けたそうだが、この二人、トーキーになってもときどきギョッとさせるセンスを炸裂させてくれるので目が離せない。



 もう一本、「爆笑コメディ劇場2」というパブリックドメイン作品を集めたDVD-BOXに、チャップリンキートンマルクス兄弟に混じってローレル&ハーディのユートピア(1951)という作品が収録されている。
 これは何かといえば、彼らの最後の共演映画『Atoll K』(1951)のアメリカ公開版。1945年以後、主演作がなかった二人が、フランスの製作者に招かれて撮った作品だそうで、言葉の通じないスタッフや脚本への不満、ローレルの糖尿病にハーディの心臓疾患の悪化なども重なり、制作現場は大変な状況。完成した作品はスタン・ローレルにとっても不本意な出来栄えだったらしい。
 お話は、大金持ちの遺産を相続することになったローレルと相棒のハーディ、現金は税務署やら弁護士やらにあらかた巻き上げられてしまったものの、無人島の所有権を得たことを知り、この島を自分たちだけのユートピアとして暮らそうとする。そこへお定まりの密航者やら恋に破れて流れてきた美女やらが集まり、共同生活がスタート。いつしか移住者が増えたものだから「税金も法律もない国」として独立を宣言する。すると当然、狼藉を働く無法者が現われ、あわてた二人は警察権を行使しようとするも、時遅く無法者たちに革命を起こされ追われるハメに……というもので、映画としては確かに隙間風が激しく、ローレル&ハーディの老けが目立つのが物哀しいが、風刺喜劇として見直せば、興味深い点がなくもない。プロット面ではちょっと安部公房『方舟さくら丸』を彷彿とさせるところもある


横山エンタツ(左)と花菱アチャコ(右)

 さて、『僕たちのラストステージ』は気持ちのいい佳作だったが、この日本版を作るとなれば、これはもうエンタツアチャコを引っ張り出すしかあるまい。
 1930年に結成された横山エンタツ花菱アチャコ漫才コンビ。背広姿で流行の話題をネタにする、画期的なしゃべくり漫才でヒットを飛ばすも、4年後にアチャコが病気にかかるやエンタツはあっさり杉浦エノスケを相手に新コンビを結成してしまう。その後、二人は主演映画でのみ「エンタツアチャコ」のコンビを継続させるという、ビジネス優先の奇妙な関係のまま全国的人気者となるが、やがて戦争の時代が到来し……。
 クライマックスは1963年、NHKの番組「漫才の歴史」にゲスト出演者として再会した二人が、いつしかただの会話がイキぴったりのしゃべくり漫才になっていることに気づく。その光景を畏敬の念で見守る若き構成作家小林信彦……。
 この企画、どこかでやらせてもらえないだろうか?