星虹堂通信

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廉価版DVDで楽しむマルクス兄弟

 先週、NHK-BSプレミアムで、マルクス兄弟の最高傑作として名高い、レオ・マッケリー監督『吾輩はカモである』(1933)が放送された。NHKの衛星放送でマルクス兄弟が放送されたのはこれが初ではなかろうか。画質はまずまず、数々のダジャレやジョークを表現する日本語字幕も、疑問な箇所は多々あれど、善戦と言っていいレベル。なにしろユニバーサルから出ている正規版DVDの字幕スーパーは、繊細さを欠いた非常にイライラさせられる代物だったから、高画質でストレスなく楽しめる『吾輩はカモである』の放送は貴重な機会だった。

 

 マルクス兄弟というコメディアンを知ったのは、中学生のころ。きっかけは小林信彦の『世界の喜劇人』(新潮文庫版)だ。あの本を読んでマルクス兄弟の映画を観たくならないコメディ好きはいないだろう。時は80年代半ば、ちょうどレンタルビデオが大流行したころで、私が住んでいた田舎のビデオショップにも、CICビクターから出た『吾輩はカモである』と『けだもの組合』(1930)のビデオソフトが出現、この時は飛び上がらんばかりに喜んだ。それがマルクス兄弟との、そして『吾輩はカモである』との出会いだったわけだが、思えばこの時のビデオ版字幕スーパーはなかなかよく出来ていた。確かIVC版のDVD字幕はこの時の字幕を流用していたはず。その後、新宿武蔵野館でのフィルム再上映版なども観たが、日本語としていちばん「しっくりきた」のは最初に観たビデオ版だった。

 参考用に、彼らの作品リストを記しておこう。

 

1929年 『ココナッツ』

1930年 『けだもの組合』

1931年 『いんちき商売』

1932年 『御冗談でショ』

1933年 『吾輩はカモである』

1935年 『オペラは踊る』

1937年 『マルクス一番乗り』

1938年 『ルーム・サービス』(日本未公開)

1939年 『マルクス兄弟珍サーカス』

1940年 『マルクスの二挺拳銃』

1941年 『マルクス兄弟デパート騒動』

1946年 『マルクス捕物帖』

1949年 『ラヴ・ハッピー』(日本未公開)

 

 一般の日本人が平易にマルクス兄弟の映画を楽しめるようになったのは、ビデオ時代が到来した80年代半ば以後のことで、それ以前はテレビ放映の機会も少なく(特にパラマウント時代の初期作品は皆無)、再上映も特殊な上映会でしか行われておらず、マルクス兄弟はまさに「伝説」の喜劇人だった。そもそも伝道師である小林信彦でさえ、『世界の喜劇人』の原型となった『喜劇の王様たち』(1963)を書いた時点で、観賞できていたマルクス映画は戦後に公開された後期作品のみ(『マルクス兄弟珍サーカス』以後)。『ココナッツ』(1929)から『マルクス一番乗り』(1937)に至る全盛期の作品群は、70年代に入ってからアメリカのシネマテークでようやく観ることができたという。

 マルクス兄弟について、よく「ドリフターズをはじめ日本のコメディ番組にも影響を与えた〜」と書かれることがあるが、戦後公開されたマルクス映画の記憶があったコメディアンなんて、世代的に谷啓いかりや長介などごく一部で(彼らはダニー・ケイアボット&コステロの影響を強く受けた)、彼らも戦前のマルクス映画など知らなかったはずだ。志村けんジェリー・ルイスに影響を受けたさらに後の世代だが、コメディ作品を熱心に研究していたので資料やテレビ放送で彼らのことをチェックをしていた可能性はある。いずれにせよ日本の喜劇ファンが実物のマルクス兄弟を認識できるようになったのは80年代に入ってからのことで、それはほとんど「教養」として受け止められたと思う。しかも初期のパラマウント作品のうち、日本でビデオ化されたのは、『けだもの組合』と『吾輩はカモである』の2本だけ。『ココナッツ』(1929)や『いんちき商売』(1931)、『御冗談でショ』(1932)を観ようと思ったら、海外からビデオを取り寄せなくてはならなかった。村上春樹がそうやってビデオで『御冗談でショ』をよく観ていると書いていて、なんとうらやましかったことか! 「ああ、自分はマルクス兄弟の全作品を生きているうちにすべて観賞することができるのだろうか?」と田舎のオタク少年は天を仰いだものである。

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  時は流れ、今やマルクス兄弟の作品は初期のパラマウント時代のものも、後期のMGM時代のものも含め、全13本が日本でもDVDとして発売された。さらに時が経ち、それらの正規版が絶版となってしまった今、マルクス兄弟の作品群はインターネットによる配信でも視聴が可能となり、昨年はパブリック・ドメイン作品を扱うコズミック出版から、全作品の廉価版ボックスセットが発売された。「マルクス兄弟スペシャルコレクション」と、「マルクス兄弟プレミアムコレクション」がそれである。値段はどちらも2000円ほど。画質も意外に悪くなく、字幕の出来もユニバーサル正規版よりずっとマシ。合計4000円払えば、マルクス映画13本を手元に置いておけるなんて、なんといい時代になったものだ。

 しかもこのボックスセット、マルクス映画13本に加えて、グルーチョ・マルクスが単独で出演した3作品まで含められているのだから、年季のいったマルクス兄弟ファンにも見逃せない。その3本を加えた合計16作品を、2つのボックスに分けて販売している、という次第だ。

 では、ここでグルーチョ・マルクスが単独で出演した3作品について紹介しておこう。

 

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『悩まし女王』 Copacabana(1947)

 

 原題となっている「コパカバーナ」とは、ニューヨークに実在する南国風の高級ナイトクラブ。日本にもかつて赤坂に同名の店がありましたナ(デヴィ夫人が働いていたとか力道山が刺されたとか……)。

 このコパカバーナに売り込みを図る男女の芸人コンビが、グルーチョ・マルクスカルメンミランダ。グルーチョはラテン歌手のカルメンを、神秘的なフランス歌手フィフィに変装させてオーディションに送り込み、カルメンとフィフィで二重に契約を取ることに成功する。しかしカルメンとフィフィ、それぞれに言いよる男が現れて……という一人二役コメディだ。

 40年代のはじめに「ブラジルの爆弾娘」というフレーズで大人気を誇った歌手カルメンミランダも、この時期は人気が下り坂、そこでグルーチョと組ませてミュージカル・コメディを一本仕立ててみよう、といった狙いである。監督は『青春の抗議』でベティ・デイヴィスアカデミー賞を与えたアルフレッド・E・グリーンだから、カルメンの出演場面はなかなか魅力的に撮られている。

 いんちきマネージャーに扮したグルーチョも、彼らしい振る舞いをそこかしこに見せてくれるものの、出色なのは彼がプロデューサーに「知り合い」が出演するショーを見せる場面。ここでステージに現れるのは、インクひげに黒背広という往年のスタイルのグルーチョ・マルクスその人であり、歌われるミュージカル・ナンバーもまさにマルクス映画調。ファンには嬉しい「劇中劇」サービスだが、印象に残るグルーチョの見せ場がここしかないというのはちょっと困る。

 とはいえ、グルーチョ単独出演作3本の中では、これがいちばん面白い出来映えなのは間違いない。

 

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『ダブル・ダイナマイト』 Double Dynamite(1951・日本未公開)

 

 銀行に勤めるフランク・シナトラとジェーン・ラッセルのカップルは、結婚したいが金がない。しかしシナトラがたまたま競馬のノミ屋を助けたことから、その礼として競馬情報を流してもらえ、運よく数万ドルの大金を稼ぐことに成功する。有頂天になったシナトラだが、そのころ勤務先の銀行で大金が消える事件が発生。疑いの目が彼に向けられ……。

 と、お話だけ取り出すと面白いサスペンス・コメディになりそうなのに、まったくそうなってない。グルーチョカップルの友人である口の悪いウェイターとして登場するが、こんな余計なキャラがウロウロするからサスペンスが高まらないのだ。

 ちなみにこの映画、撮影は1948年に行われたが、製作会社のRKOが大富豪ハワード・ヒューズに買収され、映画スタジオが閉鎖されるなどのトラブルが起こった影響で公開が3年遅れたという。監督は『科学者ベル』のアーヴィング・カミングス。『マルクスの二挺拳銃』におけるグルーチョの有名なセリフ「今は1870年だ、ドン・アメチー(ベルを演じた俳優)はまだ電話を発明しとらん」の名セリフを思い出します。

 

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マルクスの競馬騒動』 A Girl in Every Port(1952)

 

 この作品は以前、ビデオソフト化されたことがあり、学生のころに一度レンタルで観ている。しかし、内容は完全に忘れていた。というかこの原題、ハワード・ホークスの『港々に女あり』と同じである。

 今回のグルーチョは海軍水兵(こんな老兵いるか?)。ウスノロな相棒が遺産を相続、その金で競走馬を買わされたと知り、上陸して金を取り戻そうとする。はたして買わされた馬は足を怪我して走れない。しかし、双子の駿馬が存在することを知るや、レース直前に馬を入れ替え大儲けすることを企む、という話。

 やはりグルーチョのキャラクターを活かそうとすると、「詐欺」をめぐる物語になるようだ。しかしグルーチョの詐欺師ぶりがアナーキーに描かれることもなく、ヒロインをめぐるヌルいロマンスがまぎれ込み、込み入ったプロットがテンポ悪く展開する眠たいコメディに仕上がった。クライマックスでレース場面が展開するが、同じく競馬を扱った『マルクス一番乗り』には遠く及ばない。ただヒロインを演じるマリー・ウィルソンがちょっとカワイイです。監督は『卵と私』を撮ったチェスター・アースキン。

 

 この映画の後、グルーチョはラジオ番組「You Bet Your Life」の司会に専念するようになり、マルクス兄弟は映画の世界から去る。彼らのカムバック用にビリー・ワイルダーが企画した『マルクスの国連騒動(A Day at the United Nations)』が実現しなかったことは残念でならない。