星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

即興の人〜私が目撃したショーケン



 春になり、このブロマガも開設から5年目を迎えることとなりましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。これからはなるべく更新頻度を上げ、エンタテインメントの話題を中心としたコラム的な記事をアップしてゆければと思っているのでどうぞよろしく。

 さて、今年に入ってからというもの子供の頃から慣れ親しんだ表現者の訃報が相次ぎ、時の流れと共に自らの加齢についても思いを馳せずにはいられない。特に1月、このブロマガで「天狗倶楽部」を研究するSF作家・横田順彌について触れたところ、その2日後に氏の訃報が届いたのは本当にまいった。
 そんなところへ今度は萩原健一の訃報である。

 もう20年以上前の話だが、学校を卒業すると同時に無職となった私は、師匠の紹介であるテレビ・映画用の装飾会社に潜り込んだ。そこでの助手としての初仕事が、萩原健一が演じる医者が主人公の連続ドラマだった。
 台本も渡されぬまま、世田谷の国際放映スタジオへ呼び出されれば、ちょうど病院の場面を撮り終わるところ。保阪尚希高樹沙耶たちが演技をしていた。終わると同時に装飾品をセットから運び出し、続いて主人公の自宅セットが組み立てられるまで仮眠、起きてから家の内装をせっせと飾り付けた。
 当時、私は『傷だらけの天使』も『前略おふくろ様』も見ておらず、萩原健一に対する思い入れは特になかった。沢田研二の妖艶な魅力は幼心に刻み付けられたものだが、ショーケンといえば深作欣二監督の『いつかギラギラする日』や、連ドラ『課長サンの厄年』の、ややくたびれつつも一癖抱えた中年男であり、テンプターズもマカロニ刑事も「知識」以上のものではなかった。

 それでも往年のスター、萩原健一がどんな演技をするのか興味があり、セットが完成しても現場に残っていたのだが、開始時間になっても彼はなかなか現れなかった。どうもリハーサル室で粘っているらしく、助監督の一人がセットに連絡に現れる。装飾担当者である先輩が話を聞くが、キッチンの大きな冷蔵庫に、中身を入れておいてほしいという。
「いきなりそんなこと言われたって……。打ち合わせと違うじゃない」
「悪いけど、娘が冷蔵庫を開けることになってさ。ショーケンさんの思いつき
「収録遅れたら、ショーケンさんのワガママで時間かかりましたって監督に伝えてよね。ウチの責任にされたらかなわないよ」
 と、言い捨てるや先輩は直属の助手を走らせ、調達に急いだ。
 さらに時間が経過し、ようやくショーケンが現れた。スタジオの空気が一瞬にして張り詰める。が、彼は娘役の女優を見るなりそのメイクが気に入らないと言い出し、メーキャップの女性が呼びつけられた。
「俺はね、仕事から疲れて帰ってきた時に、娘の顔を見て『天使を見た!』、という気分にひたりたいんだよ。この顔じゃそうはなれない」
 この日の収録は手術を終えた主人公が自宅に戻ると、娘が彼氏を連れ込んでいて鉢合わせ、というややコミカルな場面だった。特に娘の顔に聖性が宿る必要はないはずだが、これがショーケンの「解釈」なのだからしかたがない。そんなわけで、メイクの修正がすむまでまた待ちになる。

 ようやく役者全員が位置につき、テストが始まる。演技を終えてスタッフの反応が鈍いと、「もう一回やろうか?」とショーケンが鋭くつぶやく。たちまち「大丈夫です!」、「本番いけます!」とあちこちから声が返って来るのが小気味よく、プロの現場とはこういうものかと思ったが、これはテストを繰り返すと、ショーケンが勝手に演技を変えてしまい、その対応に混乱させられるからだ、ということがだんだんわかってきた。

 万事この調子で、まだ第1話の収録が始まったばかりだというのに、メインスタッフの中には「アイツのワガママに振り回されるのはもうウンザリ」という態度を匂わせる者もいた。きっと理不尽な目に遭っていたのだろう、と今なら同情できるが当時なんの責任も負わないペーペーだった私は、機関銃のようにさまざまなアイディアを撃ち出しては、少しでも芝居の内容を充実させようと奮闘するショーケンの姿にすっかり見惚れてしまった。なので彼の陰口を叩くスタッフにはひそかに義憤を感じたものだ。
「あの人は自分の芝居のことしか考えてないから……」と言うスタッフもいた。しかし演技プランを次々思いつく能力こそ才能である、と考える演出家には頼もしい俳優だったことは間違いない。まるで即興演奏の巧みなミュージシャンを見る思いで、やはり歌手の感覚なのだろうかと思ったりもした。
 のちに、ショーケン『日本映画〔監督・俳優〕論』と言う本を出し、その中で黒澤明神代辰巳について熱く語っている。おそらく彼らはリハーサルを重視し、ショーケンのアイディアを受け止めてセッションさせてくれる演出家だったのだろう。逆に、市川崑鈴木清順のような、デザイン感覚を優先する演出家とは相容れなかったようだ。

 結局、私が所属した装飾会社はこのドラマを途中で降板してしまった。予算とスケジュールがかなりキツい現場だったそうで、その上ショーケンにかき回されたのでは割に合わなかったようだ。同時に、私もこの仕事を辞めた。収録が終わってからスタジオに入って肉体労働し、収録が始まったら寝に帰る仕事ではどうにも面白くなかったからだ。今思うとこのアルバイトで得た唯一の宝はショーケンの仕事ぶりを目撃できたことだけだ。
 ショーケンは、あまりに70年代のスターでありすぎたと思う。90年代当時、いくつかの映画やドラマに主演してイメージの軌道修正を試みていたが、その熱量あふれる姿勢は「効率」を最優先とする時代では、居場所を見つけることができずいつしかワイドショーを騒がせる往年のスター枠へと追いやられていった。
 私が目撃したショーケンは、いつもピリピリしており時に不遜に映ることもあったが、演技がうまくいった時の笑顔はキュートで、やんちゃ坊主の魅力を残した俳優だった。鋭い直感と豊かな発想力を持つ「即興の人」。狂気と言ってもいい独特の感覚を掬い取る役に恵まれなかったことを残念に思う。
 自分は、アイディアを出す人に迷惑顔を向けるよりも、可能な限りセッションに応じられる人になりたい……、そんなことを考えた「私の修行時代」を思い出す。いや、今もって修行中なのだけれど。