星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

ロジャー・ウォーターズのソロアルバムとして甦った『狂気』〜『ダークサイド・オブ・ザ・ムーン・リダックス』

Roger Waters - Speak To Me / Breathe (Official Lyric Video, DSOTM REDUX) - YouTube

 

 今年はピンク・フロイドの代表作である『狂気』こと“THE DARK SIDE OF THE MOON”(1973)の発売50周年。発売◯周年のたびに新たなBOXセットを買わされるファンとしては、今年は何が飛び出すのかと戦々恐々としていたところ、なんとロジャー・ウォーターズによる新録音版『ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン・リダックス』なんてものが登場した。そう来たか!

 すでに昨年、新アレンジ版の「コンフォタブリー・ナム2022」を聴いていたし、「マネー」や「タイム」など何曲かがYouTubeで先行公開されていたので、アレンジの方向性はおおよそ理解したつもりでいた。が、改めて全編通して聴くと、唸りましたね。ピンク・フロイドのキャリアどころかロック史に残る奇跡の完成度を誇るオリジナル版の『狂気』が、コンセプトはそのままに完全にロジャー・ウォーターズのソロアルバムとして生まれ変わっていたからだ。

 オリジナル版の『狂気』は、誰もが人生に抱く不安や疑問を色彩豊かに描いた音の大迷宮。そのわかりやすさと彩り豊かな曲調が、あれだけの大ヒットにつながったのだろう。しかし『ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン・リダックス』はロジャー個人の内省を追ってどこまでも意識下に沈んでゆく地獄巡り。これは例え話ではなく、ロジャーの狙いとしてもあきらかなのね。冒頭の『スピーク・トゥ・ミー』で聴こえてくるロジャーの独白、なんとピンク・フロイド『雲の影』の一曲「フリー・フォア」の歌詞(年老いた男が思い出すのは、若かりし頃のふるまい〜で始まる)なのですよ。「フリー・フォア」はロジャーが初めて戦死した父について触れた歌であり、その後の「マネー」や「アス・アンド・ゼム」の助走となった曲。29歳で仕上げたアルバムへの、79歳からのアプローチとして、この上なく周到な仕掛けが施されている。

 

 今回の『ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン・リダックス』は、ロジャーのソロ作品を『ヒッチハイクの賛否両論』、『RADIO K.A.O.S』、『死滅遊戯』、『イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィ・リアリー・ウォント』と聴き続けた者ならば、すんなり5枚目のロジャー音響劇場として受け止めることができるだろう。2014年発売のライブ盤兼映像作品『ロジャー・ウォーターズ ザ・ウォール』がピンク・フロイド版『ザ・ウォール』の私家版として35年ぶりに「完成」させたものだったように、今回の私家版『狂気』は、迫りつつある「死」をコンセプトに、混沌収まらぬ21世紀を前にしての、偏屈老人ロジャーの慨嘆が堂々たる説得力で迫ってくる。

 一方で、過去のロジャーのソロを受け付けなかった人にはかなりの忍耐を要することは間違いない。ここにはギルモアのギターソロも、リックの押しっぱなしのキーボードも、ニックのタムタムも、クレア・トリーのスキャットも、ディック・パリーのサックスもなく、ぶつぶつと呪文のように呟かれるロジャーのボーカルがスモッグのように全編を覆い尽くしているのだから。例によって新規挿入の歌詞にはギー・ラリベルテシルク・ドゥ・ソレイユの創設者)だのアティカス・フィンチ(『アラバマ物語』の主人公)だの、英語圏の人でなければ馴染みのない人名がぽんぽん飛び出すし、「虚空のスキャット」でスキャット代わりに語られる、晩年の友人であるドナルド・ホール(詩人・作家。日本でも『死ぬより老いるのが心配だ〜80を過ぎた詩人のエッセイ』がベストセラーになった)への追悼の言葉など、「知らんがな!」と言いたくなるほど私小説的な内容でもある。

  だが、オリジナルを凌駕しようとも若者にウケようなどとも一切考えず、ただただ現在の心境を自らの最高傑作に乗せてくる素直さ、ストリングスをはじめ、テルミンやハミングなど様々な音色を駆使しつつひたすら抑えた曲調に構築されてゆく、社会への「静かな怒り」は、後半部に行くほど切迫さを増してゆく。まさに、コンセプトメーカーにして全曲の作詞者でなければ許されない挑戦だ。

 それにしても『狂人は心に』の直前の一言には笑ってしまったし、あまりにも有名なオリジナル版のラストの一言を発したスタジオのドアマン、Gerry O’Driscollに向けた50年ぶりの返答にはニンマリさせられた。決して深刻一辺倒でもありません。

 

 今日、ロジャーはロンドンで『ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン・リダックス』ライブ版を披露する予定だが、その二日前、ガザ地区ハマスによる大規模テロをきっかけに、イスラエルが報復攻撃を開始した。この十数年、熱心なパレスチナ支援者としても知られるロジャーがどんな声明を発表するか、そこを期待して会場に足を運ぶ者も多いだろう。

 動きを見せるだけで騒ぎの方がついてくる、“ヤバいロッカー”であり続けるロジャー。この男が好々爺に落ち着くことはないだろう。そんな確信を与えてくれる新譜である。

初夏愚忙日記〜原始神母・シベリア少女鉄道・吉田喜重

×月×日

 

 日比谷野外音楽堂にて、原始神母のライブを聴く。

 今回は前半が「ピンク・フロイド/ライブ・アット・ポンペイ」の再現、後半は今年50周年を迎える「狂気」の全曲演奏。夏の黄昏時から夕闇に変わる頃合いに響くピンク・フロイド音楽は最高のかけ合わせ。「ライブ・アット・ポンペイ」はエイドリアン・メイベン監督による、ポンペイ遺跡での無人コンサートフィルム通りに曲が進むが、フィルム通りのアレンジ再現にこだわったかと思えば、このバンドらしい遊び心を加えてきたりで油断ならない。問題は途中の一曲「マドモアゼル・ノブス(アルバム『おせっかい』では「シーマスのブルース」)」で、リックが犬にマイクを向けて吠え声をSEとして使用していたのだが、あれはどうするのかと思ったところ、今回は「グリーン・イズ・ザ・カラー」と「シンバライン」のメドレーに差し替えだった。確か以前にこの曲をやった時は誰かが犬の声を担当した記憶があるので、そこも再現してほしかったなぁ。

 後半の「狂気」はもはや安定のクオリティ。2012年の旗揚げ公演を汐留ブルームードで見ているのだが、まさかあんな趣味的な集まりが野音を満員にするバンドに成長するとは思わなかった。

 初期曲で統一するのかと思いきや、アンコールは「あなたがここにいてほしい」で、昨年急逝したコーラスの一人、ラブリー・レイナへの想いが伝わった。さらにセット背後に隠していたミラーボールが登場して「コンフォタブリー・ナム」、最後は定番の「ナイルの歌」。年末には一般参加のコーラスを集って「原子心母」を吹奏楽つきでやるという。「第九」かよ!

 それにしても今年はロンドンのロジャー・ウォーターズ“This Is Not A Drill”でピンク・フロイドの現在進行形を、野音の原始神母で往年のピンク・フロイドへの熱いオマージュを、存分に堪能できた特別な年となった。

×月×日

 

 再来年の閉館が決まった俳優座劇場で、シベリア少女鉄道の新作「当然の結末」(作・演出 土屋亮一)を観る。

 開幕直前にアナウンスがあり、少し前に出演者が数名降板したと告げられる。冒頭にも土屋氏が挨拶に登場し、事情を説明した上でスタートするのだが、内容的にはごく普通のリビングを舞台にした二組のカップルの恋愛模様。今回は坂本裕二ドラマあたりを意識しているのかな? と思いつつ観ていると、唐突に吸血鬼やら蛇女やらサメの怪物やらが「役を演じながら」登場する。どうやら降板した役者の代わりに急遽かき集められた代役が彼ららしい。

 とんだ七色いんこが揃ったものだが、そんな連中を交えながら神妙にドラマが進んでゆくのが可笑しい。とはいえ以前、この劇団は『今、僕たちに出来る事。あと、出来ない事』(2001、2018再演)で、壮大化する劇世界に対し、さまざまな代替品を駆使して強引に「見立て」で乗り切る演出をギャグにして見せたことがあり、その時の「演劇のお約束」に対するパロディ精神に比べると、今回は最初から仮装したキャラクターが「代役」を演じつつ登場するだけなので、劇構造の破綻感は薄い。

 その辺の弱さは作り手も感じたようで、後半、さらに「リビングで展開する男女のドラマ」と「必殺技を連呼するバトルもの」がなぜかシンクロしてゆくという大胆な展開になるのだが、トリックとしての爽快度は今ひとつ。しかし、バカバカしい展開を照れることなく必死に演じる姿はあいかわらずキュートで、若い観客にはウケていた。未だに「文学性」がまといつくことを拒否し、「90分かけて演じるコント」であり続けようと苦心している土屋氏の姿には、20年に渡って観ているファンとしては頼もしく思うのだ。

×月×日

 

 だいぶ忙しくなってきたので、なかなか映画館に行けないのだが、シネマヴェーラ吉田喜重追悼特集では、未見だった2本の作品、『知の開放 知の冒険 知の祝祭~東京大学 学問の過去・現在・未来』(1997)と『夢のシネマ 東京の夢~明治の日本を映像に記録したエトランジェ ガブリエル・ヴェール』(1995)を観られた。

『知の開放 知の冒険 知の祝祭』は、東京大学創立120周年を記念して制作されたPRビデオ。夏目漱石の『三四郎』の主人公が、現代の東大を訪問するというコンセプトだけ知っていたが、なるほど明治の漱石が直面した苦悩を追いながら、現代の東大を“見返す”という吉田喜重らしい試み。再現パートでセリフとして発せられるのは、美彌子がつぶやく「ストレイシープ」のひと言のみ、というのも巧い。漱石の神経衰弱とは、西洋の近代思想との葛藤の結果だったのか……? と、三四郎が作者の「脳」をじっと見つめるラストまで、ぼやけたビデオ映像を忘れて楽しく見られた。唯一、蓮實重彦のコメントは要らなかった気がするが、PR映画なだけに企画プロデューサーである学長挨拶は必須だったのかもしれん。

 もう一本、『夢のシネマ 東京の夢』は、リュミエール兄弟に派遣され、明治期のメキシコを撮影した後、日本を訪問。京都から北海道はアイヌの人々まで撮影し、フランス帰国後にモロッコへ渡ったカメラマン、ガブリエル・ヴェール(1871〜1936)の物語。吉田は彼の撮った映像・写真を見返しながら、ヴェールがある顔を伏せたインディオの女性が、カメラに顔を向けるよう白人男性に首を引っぱられた直後に撮影を止めたことを見逃さない。

 そして、ヴェールがメキシコで実際の処刑場面を撮影したのち、観衆の非難を受けてフィルムを破棄したエピソードにも注目する。つまり、ヴェールは映像の持つ本質的な暴力性・権力性を意識し、その限界を感じ取った男なのではないか、と考察してゆくのだが、吉田が『鏡の女たち』(2003)公開時のインタヴューで、広島の原爆投下の瞬間を描かなかったことについて、

本当に人間が死んでゆく瞬間の映像には、人間は耐えられないのです。耐えられないということは、それが映像の描くことのできない残余であることを示しているのです。映画には映すことのできないものがある、そのことから映画を見直す、見返す必要がある、私にとってはこうした表象不能の原点が、広島でした。

 と、語っていたことを思い出した。ガブリエル・ヴェールのフィルムを仔細に考察したことで、その思いは強固になったに違いない。

 スタンリー・キューブリックが『アーリアン・ペーパーズ』を断念したのも、同じ理由かもしれない、ということは以前ブログに書いた。

ロジャー・ウォーターズ「This Is Not A Drill」ツアー観賞記〜6/6@O2アリーナ

公式サイト 2023 European tour - Roger Waters

 

ピンク・フロイドの黄金期クリエイター”ことロジャー・ウォーターズのツアー「This Is Not A Drill」を6月6日、ロンドンはO2アリーナで観てきました。今回はそのライブレポートです。

 前回の「US +THEM」ツアー(2017)のレポートについては、過去記事を参照ください。 

「US +THEM」ツアーが終わったのが2018年。映像版も製作され、ロジャーはこれでライブ活動からは引退するのではないか……という予感がよぎったのだけど、いやいや世界情勢がこの男を黙らせてはいなかった。

 新ツアー「This Is Not A Drill(これは訓練ではない)」は 2020年7月からスタートと発表されましたが、それは11月のアメリカ大統領選における反トランプキャンペーンを意図してのもの。しかし新型コロナウイルス流行による公演延期とトランプの大統領選敗北、さらにロシア・ウクライナ紛争の勃発を経て、2022年10月の北米公演からようやくスタートを切ったこのツアーには“First Ever Farewell Tour”の副題がついてます。え、「最初のお別れツアー? 2度目があるの?」とビックリしますが(フィル・コリンズも確か2004年ツアーの時にそんなこと書いてあったけどその後も何度もツアーやったよな)、さすがに今年9月で80歳となるロジャー、今度こそパフォーマンス・アーティストとしての幕引きを意識しているのかもしれません。

 そして実際、今回のツアーは演奏内容においてもステージ表現においてもキャリアの到達点といえる「US +THEM」の張りつめた完成度とは異なり、ちょっとタガをゆるめて、よりおおらかに、よりシンプルに自らの“人生”を総括する構成にも見えました。

会場のO2アリーナ(「ワールド・イズ・ノット・イナフ」のOPでボンドが落ちた建物)

 受付開始時間は18:30。会場のO2アリーナに着けばすでに長蛇の列ができています。列の傍らにはイスラエルの国旗を掲げ、“Hey,Roger! Leave those jews alone!”とシュプレヒコールを挙げるユダヤ人団体がおり、その一方で「ジュリアン・アサンジウィキリークス創始者・現在ロンドン刑務所に収監中)に自由を!」と書かれたチラシを次々押し付ける活動家女性もいて、ロジャーのコンサートとは実に「政治的」なイベントであることを改めて思い知らされます。

イスラエルの旗を掲げる抗議団体

 荷物チェックがまた厳しかった! 6年前のN.Y.公演でも麻薬の持ち込みに注意している他、大きな荷物はクロークにいったん預ける必要があったのですが、ここではまず「A4サイズ以上の荷物は持込禁止」の看板が出ており、手荷物検査を経た上で会場外の保管所に預けなければいけませんでした。しかも預かり賃10ポンド(高い!)。ようやくチケットをスマホで表示して中に入ろうとするとここでもボディチェックがあり、カメラの持ち込みは禁止とのことでこれまた預けなくてはいけません(スマホはOK)。N.Y.では普通に持ち込めたのに。ショックを受けてスタッフに食ってかかっているブロガーらしき人もいました。

 まあ、5/28のフランクフルト公演では、会場に忍び込んだユダヤ人団体が公演中にイスラエル国旗を掲げ、一人がステージによじ登ったという事件があったばかり、ピリピリするのもわからなくはないですね。実際、この翌日の公演では、やはりイスラエル国旗を引き出して警備員に取り押さえられた人が出たそうだし、マンチェスター公演では逆にパレスチナ支援団体が会場前に出現、ロジャー熱烈支持のシュプレヒコールを上げ、イスラエル支持団体と睨み合いになったそう。

熱気あふるる会場内部

 いろいろあった末に辿り着いた席は1Fスタンド最後列。おおっ、ステージがけっこう近い! 奮発した甲斐がありました。時刻はすでに19時45分。周囲は依然、大根雑なのでウロウロせずに大人しく席で待つことに。

 目の前には十字型のステージにそびえ立つ巨大な「壁」。開演15分前になると、この壁に字幕で「『私、ピンク・フロイドの音楽は大好きだけど、ロジャーの政治姿勢にはムカつくんだよね〜』という方は、さっさと会場を出てバーにでも行っちまってください」と出るのがこのツアーのお決まりなのですが、今回はこれに加えて「フランクフルトで悲しいトラブルがありました。公演中に私がファシストの仮装をするのは諷刺でありナチズムへの批判です。1980年の『ザ・ウォール』公演から長く採用している演出で、反ユダヤの意図はありません。私の両親は大戦中ナチスと戦った世代です」といった内容の注意書きが追加されています。もちろんロンドンっ子たちは「んなこたぁ、わかってるよ!」という雰囲気で軽く笑い飛ばします。

「コンフォタブリー・ナム2022」

 

 20時10分、客電が落ちて十字型の「壁」に、戦禍を思わせるビルの廃墟の映像が映し出されます。そして、ゆっくり聴こえてくるのが「コンフォタブリー・ナム2022」。ギルモアのギターソロを外し、女性コーラスと雷鳴のSEを加え、ダークな雰囲気が増したアレンジで素晴らしい完成度。前回まではライブの大トリの一曲として演奏した定番曲をあえてオープニングに持ってきたのは、社会の現状を前に“心地よく麻痺してていいのか? 快楽に閉じこもって世の中に対して鈍感になってはいないか?”という問いかけからスタートしたい、という意図が感じられます。

ロジャー・ウォーターズ登場!

 曲が終わると同時に、ステージ上の「壁」が音もなく上昇、見晴らしが良くなると聞こえてくるのは、「バラバラバラ……」とヘリコプターのSE。

“You! Yes,You! Stand still laddie.”

 の叫び声と共に、ロジャー・ウォーターズ登場。「ザ・ハピエスト・デイズ・オブ・アワ・ライブズ」から、「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォールPart2」「同Part3」のメドレーです。

 79歳のロジャー御大、1Fステージから間近に見ると、相変わらず巨大でエネルギーに満ちあふれています。このメドレーは2010年の『ザ・ウォール』ツアーや2017年の『US +THEM』ツアーでは、公演地の子供たちと共演して歌ったものですが、今回はそうしたイベント的演出はせず、オープニング・アクトとして「権力者の思想コントロールを拒否せよ!」という今回のテーマを強烈に打ち出します。

歴代アメリカ大統領が「戦争犯罪者」として糾弾される

 続けざまに演奏されるのはソロアルバムから「予知能力」「勇気ある撤退」のふたつ。『RADIO.K.A.O.S.』(1987)の一曲である「予知能力(Power That Be)」は、核競争に狂奔する政治家たちのパワーゲームを批判した内容で、これを暴力装置と化した警察機構が民衆に暴行するスタイリッシュなアニメと共に演奏されます。

『死滅遊戯』(1992)の一曲である「勇気ある撤退(The Bravery of Being out of Range)」は、老いた戦争指導者が指揮する戦争を大衆が娯楽として愉しむ姿を風刺する歌。映像では「戦争犯罪者」としてレーガングアテマラ攻撃・ニカラグア事件)、ブッシュ(死のハイウェイ事件)、クリントンイラク制裁)、ブッシュJr.(大量破壊兵器の嘘からイラク戦争)、オバマ(ドローン兵器採用)、トランプ(オバマ政策を継続)、バイデン(今、やってるとこ)とアメリカ大統領が次々映し出されてゆくのが強力です。

ロジャーのMCコーナー

 終わってロジャーがマイクを持ってMC。「いやー、最近はこんなメッセージがSNSで届くんだよ〜」と若者から届いた自分をナチス支持と誤解したメッセージを紹介。ベルリン公演ではイスラエル支持派の謀略で警察から調査を受けるハメになり、自分がファシストであるかのように報道されたトラブルに触れ、「んなわけあるか〜い!」とツッコむ内容ですが……な、長い! 10分あまり続いたので、途中から話の内容がよく聞き取れませんでした。しかし「イギリスの前労働党党首ジェレミー・コービンも『反ユダヤ』の言いがかりをつけられ辞任させられたんだ。あいつらのやり方、許せん!」と怒りを表明、観客から喝采が起こっていたのは覚えています。

 ほぼファンミーティング状態のMCを終えたロジャーがおもむろにピアノに向き直り、静かに弾き語るのが新曲「Bar」。酒場に集まる傷ついた人々、後悔を背負った人々に寄り添ううちに、思いはダコタ・アクセス・パイプラインに抗議するアメリカ先住民やオーストラリアのアボリジニ、そして生後三ヶ月の時に父を戦争で失ったロジャーが兄と過ごした幼少期の記憶へ移ってゆく。バンドメンバーたちがピアノを囲んで静かメロディを合わせてゆく様子にもしみじみさせられます。

ピンク・フロイド初代リーダー、シド・バレットが大写しになる

 個人の記憶に還ったタイミングで、ここからピンク・フロイド『炎〜あなたがここにいてほしい』B面メドレーが展開します。まず「葉巻はいかが」では、シド・バレット在籍時の「アーノルド・レーン」から「ようこそマシーンへ」や『ザ・ウォール』ライブで使用したアニメーションをモンタージュした映像が流れ、フロイドの歴史を総括、さらに字幕でシド・バレットとの友情の始まりとバンド結成の思い出を語ると「あなたがここにいてほしい」へ。さらにシドに変調を感じるようになった哀しい記憶が字幕に映ると、クレイジー・ダイヤモンドPartⅣ〜Ⅶ」へ。これらの曲について、ロジャーはこれまで「シド個人について歌った曲ではない」と解説しているし、前回「US +THEM」ツアーでも「不在の人」に向けた曲というコンセプトを強調していたのですが、今回はシドへの思い入れをたっぷりと聴かせ、ファンもみんなで合唱します。

会場を飛ぶ「羊」

 しかし、シドの呪縛を相対化したロジャーは、オーウェルの『動物農場』や『1984年』、ハクスリー『すばらしき新世界』を読むことでピンク・フロイドを新たなバンドに生まれ変わらせました。その代表曲として前半部しめくくりに演奏されるのが『アニマルズ』の「シープ」。従順な羊であることをやめ、権力に抵抗せよ、とのメッセージを改めて訴えます。

 演奏中に巨大な羊の風船が登場、ゆっくりと会場を一周しながらくるりと一回転して見せます。この風船は一種の小型飛行船で、ドローン技術で操縦しているようですね。スクリーンに展開するアニメも凝っており、空手を学ぶ羊の群舞は圧巻でした。

空手を学ぶ羊たち

 最後にスクリーンに大きく「RESIST(抵抗せよ)」の文字が大写になるのは前回と同じ。ここで20分の休憩に入ります。

ヘイトスピーチをぶちかますロジャー総統

 後半戦は、観客の掛け声のSEが高まってくると同時に客電が落ち、バ・バーン! と「イン・ザ・フレッシュ」がスタート。ハンマーのマークがスクリーンを覆い、ファシスト風のコスプレをしたロジャー総統がヘイトスピーチをぶちかまします。クライマックスは宙に向けての機関銃の撃ちまくり。いくらユダヤ団体から抗議を受けてもこの演出はやめません。むしろ「ネトウヨ」や「Qアノン」に代表される“差別的な盲信者”が増えるほどにこの曲はアクチュアリティを増してゆくようです。

おなじみハンマーの行進

 続けざまに「ラン・ライク・ヘル」へとつながり、トランプ的ファシズムが幅を効かせる世界をノリノリのロックンロールで表現。おなじみのハンマーの行進が映し出され、目を光らせた巨大なブタが浮き上がって会場をゆっくり一周するところまで定番の演出です。

 今回のブタさんには「Fuck The Poor(貧乏人なんぞクソだ)」「Steal From The Poor Give to The Rich(貧乏人から盗み、金持ちに与えよ)」と大書されているのにご注目。

会場を舞う「豚」

 10年ほど前にあるチャリティ団体が、ロンドンの路上で男性に「Fuck The Poor」と書いた看板を掲げさせる実験をしました。道ゆく人からは「なんでそんなひどいことを言うんだ?」、「貧しい人には支援が必要でしょ?」と抗議され、意識高い人が多いな……と思わされるのですが、数時間後に同じ男性が「Help The Poor(貧困者に支援を)」と看板を掲げて募金箱を持つと、道ゆく人々は誰も立ち止まらずに通り過ぎていく、というもの。つまり「貧しい人を助けよう」と正しく主張しても関心を得られないが、侮辱的な態度を取ると、「それは間違ってる!」と人々は声を上げる気になる。つまり、ほとんどの大衆は実際に募金をしなくても、支援の必要性を理解はしているわけで、では実際の支援への一歩をどう進めればいいのか? という問題提起です。

 ロジャー・ウォーターズのコンサートも、これを同じ「問題提起」のパフォーマンスなんですね。だから露悪的な歌詞を使い、ファシストの仮装もする。音楽の力で観衆を心地よく陶酔させることだけが目的の産業ロックバンドやトリビュートバンドとのいちばんの違いはそこでしょう。

「Fuck The Poor?」のチャリティー広告

 

 さて「ラン・ライク・ヘル」の終わりに映し出されたのは、2007年に米軍の軍用ヘリがバグダッドの住民を攻撃する映像です。「クソッたれ、誰が彼らを殺したんだ? なぜこんなことが起こる?」、「この映像はどこから来たって?」、「勇気ある米軍の元兵士チェルシー・マニングがリークした」、「同じぐらい勇気ある出版人・ジュリアン・アサンジ」、「ジュリアン・アサンジに自由を!」との字幕から、始まるのは2017年の最新ソロアルバム『イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィ・リアリー・ウォント?』の反戦バラード「デジャ・ヴ」。さらに新譜のタイトル曲「イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィ・リアリー・ウォント?」へと続き、ロジャーはピアノを弾きながらぶつぶつと世界への呪詛のように歌い上げ、歌詞を表現したアニメーションがスクリーンに展開してゆきます。「恐怖」が人の心を支配したことで未だに紛争・差別・格差問題が終わらぬ世界に対する焼け跡世代の嘆き。改めて聞くとこの曲、昭和精吾が寺山修司の詩をJ・A・シーザーの曲をバックに歌い上げるパフォーマンス(「アメリカ」や「人力飛行機のための演説草案」)を思い出しますね。

「マネー」を熱唱するジョナサン・ウィルソン

 動きが止まったステージに絶望感が充満したところで、おなじみ「マネー」のコインが落ちるSEが響き渡ります。ライティングもお金イメージの緑色となり、醜悪なブタが踊り狂いながら立ち小便するアニメがにぎやかに展開。ギターのジョナサン・ウィルソンがボーカルを取るのは前回のツアーと同じですが、今、最も多才なジャズ・プレイヤーの一人と注目されるシェーマス・ブレイクによる伸びのよいサックスが絶好調。紛争や経済危機の裏でほくそ笑む連中を景気よく笑い飛ばします。

ベースを弾くロジャー

 そこからアルバム『狂気』のB面通り、「アス・アンド・ゼム」「望みの色へ」と続きます。前曲から続いてジョナサン・ウィルソンのボーカルで静かに歌い上げつつ、映像では世界各地の紛争地の様子が。そこで被害に遭う人々の「顔」がカシャッとコレクションされ、画面を少しずつ覆ってゆくのが今回の特徴です。「望みの色へ」ではロジャー自身がベースを弾くので、暇になったベースのガス・セイファートとサックスのシェーマス・ブレイクがタンバリンでリズムを取るのが可愛らしい。

ガス・セイファート(ベース)とシェーマス・ブレイク(サックス)

 そして「狂人は心に」「狂気日食」のメドレーで『狂気』終盤部へ。戦争犠牲者の「顔」が収集された映像に、さらにいろんな人種・性別・年齢の人々の「顔」が現れ、画面を埋め尽くしてゆきます。曲の最終部になると、十字のスクリーンをレーザーライトが描く三角形のプリズムがくくり、七色の波動が画面上を波打ちます。そうする間にも人々の「顔」は増え続け、「ぼくは君を月の裏側(狂気の世界)で見つけるだろう」の歌詞に呼応するように、戦争によって奪われる「顔」が七色のモザイクとなってモニターを埋めつくしてゆくのです。

「狂気日食」で三角形プリズムに囲われる「顔」たち

 会場は拍手、歓声で大盛り上がり。笑顔のロジャーは軽く挨拶するとアコギに持ち替え、最後の一曲をスタートします。聴こえてきたのはなんとロジャー在籍時のフロイド最後のアルバム『ファイナル・カット』の最終曲「トゥー・サンズ・イン・ザ・サンセット」

 正直、この曲をエンディングに聞かされて喜ぶフロイドファンがどれだけいるかは疑問ですが、ロジャーにとってはピンク・フロイドのラスト・ソングであり、ロシアの核使用の危機が高まる今、まさに歌っておくべきものなんですね。

「トゥー・サンズ・イン・ザ・サンセット」のアニメ

 映像のアニメがまた上出来で、歌詞の内容である「車で走っていたら背後にもう一つの夕日が出現した。よく見たらそれは核爆発の閃光だった」という物語をグラフィックに表現、核爆発ですべてが塵となってけし飛んでゆく過程を細密に描き切り、「敵も味方も灰になってしまえばみんな平等なんだ」というメッセージを堂々と見せつけます。

 演奏が終わり、バンドメンバーとピアノ上の酒で乾杯するロジャー。ここからまた最後の長〜いMCが入りますが、くだけた英語なのでほとんど聞き取れない……。が、最後に「もう一度、2年前に亡くなった兄・ジョンに捧げる歌をやります」とピアノに向き直り、新曲「The Bar」の兄の記憶についての部分を改めて弾き語り。メンバーもめいめい楽器を取って、メロディに合わせて行きます。

「The Bar」が終わりに向かうとシームレスに「アウトサイド・ザ・ウォールのメロディへと移って行きます。アルバム『ザ・ウォール』の最後の曲。ロジャーは立ち上がってメンバーを先導。それぞれの名前を紹介しながらステージを一周し、退場してゆきます。楽屋口に入ったロジャー一行がスクリーンに大映しになって幕。

エンディングのロジャーとバンド一行

 前回の「US +THEM」の時のようなしつこいほどの“連帯”のメッセージ性は一歩後退し、「This Is Not A Drill」はより内省的な、ロジャー・ウォーターズの自伝を観賞しているようなショーでした。ドナルド・トランプという明確な悪役がいた前回と異なり、各地での紛争問題が絶えない現状についての憂いと絶望、そんな時代への平和の希求を、自らの音楽史を俯瞰しながら訴える。まさに「ロジャー・ウォーターズの遺言」とでもいうべきステージだったのです。

 

 さて、2006年以降パレスチナ支援運動に関わるようになり、BDS(イスラエル・ボイコット)運動を支持するロジャーに対し、ユダヤ人コミュニティからの批判がくり広げられているのは相変わらずですが、今回のツアーでさらなる盛り上がりを見せているのは、昨年始まったロシア・ウクライナ紛争について、ロジャーが一貫して「これは西側諸国の対東欧政策の失敗である」と主張し、邪悪なロシアVS善玉のウクライナというイメージ操作に対する批判を繰り返しているため、西側メディアからプーチン擁護者というレッテルが貼られているからですね。この機に乗じて彼のイスラエル批判も封じてしまいたい、という意図が見え見えのパフォーマンスなのに、そんなことも読み取れずにロジャーへの「失望」を表明するウカツな左派が日本でもずいぶん見受けられました。

 ロジャーの「ロシア・ウクライナ問題の責任はむしろアメリカにある」という認識はシカゴ大のジョン・ミアシャイマー教授の主張をベースとしたものでしょう(エマニュエル・トッドノーム・チョムスキーらも支持している)。私なんかは世代的にNATOコソボ紛争を理由にセルビア空爆を行った際、ドイツの作家ペーター・ハントケがほぼ唯一人NATOを批判し、スーザン・ソンタグサルマン・ラシュディらリベラル派の西側知識人から袋叩きにされた一件を思い出します。ハントケ同様、若い頃から常に「反抗的」だったロジャーは、欧米の動きの背後に必ず軍需産業が張りついていることを見逃さず、くり返し音楽で批判してきました。西側資本が演出する広告宣伝が世論を誘導し、爆弾とミサイルがそれを実現する。ユーゴやイラクで起こったことが、今またウクライナで起こっている。それが世界の日常であり、日常を支配するのは政治である。政治に対し音楽で何ができるのか? ロジャー・ウォーターズはずっとそれを考え続けたアーティストです。

 もちろんロジャーのファンが全員彼の政治思想を支持するわけでもありません。欧米への苛烈な批判者であるロジャーは逆にシリアのアサドやベネズエラマドゥロといった独裁者たちへの評価が甘い傾向があり、彼はよく作品で難民問題を取り上げますが、その原因となる独裁者に批判の目が向けられないのは矛盾しているのではないか、という批判を常に突きつけられています。

 これは、戦没兵士の息子であるロジャーにとっては「戦争によって人命を奪う政治家」こそが最大悪だからなんですね。なので、「例え中国が台湾に侵攻したとしても、台湾を国として認めている先進国が皆無である以上、それは中国の内政問題に過ぎず、アメリカの軍事介入など絶対に認められない」というのがロジャーの主張ですが、専守防衛の日本であっても、これを支持できる人は今や少数派でしょう。当然、「それじゃ侵略やったもん勝ちになりゃせん?」という疑問が浮かぶはず。この先にあるのは「正義の戦争」と「不正義の平和」のどちらがマシか、という議論です。

 しかし、中国・台湾問題に関していえば重要なのは「まだ起こってはいない」ということですね。なので「中露の危険が迫っているんじゃあー、改憲待ったなし!」と叫ぶ扇動者に乗せられることなく、最悪の事態を避けるにはどうすればいいのか。それを誰もがじっくり、さまざまな情報を得て思考し続けることが必要なのです。“This Is Not A Drill(これは訓練ではない)”という気持ちで。

 これこそがロジャー・ウォーターズの、ひいてはピンク・フロイドの遺言なのかもしれません。

「クレイジー・ダイアモンド」を歌うロジャー

 さて、この「This Is Not A Drill」ツアーは11月に南米ツアーが組まれていますが、その後はオセアニアに行くのか、アジアツアーはあるのか、今のところまったく不明。

 ロジャーはアルバム『狂気』の50周年である今年、完全に自分でアレンジし直したニュー・バージョンの製作を行ったことを発表しており、今年中にリリースされることと思われます。その後の活動はどうなるのか? 本当にツアーから引退してしまうのか? 新作アルバムはもう作られないのか? 

 ともあれ、80を超えてもロジャーが尖った問題児であり続けることは間違いなさそうです。

 

Set 1

1.Comfortably Numb 2022

2.The Happiest Days of Our Lives

3.Another Brick in the wall Parts2

4.Another Brick in the wall Parts3

5.The Powers That Be

6.The Bravery of Being out of Range

7.Roger MC

8.The Bar Part 1

9.Have a Cigar

10.Wish You Were Here

11.Shine On You Crazy Dimond Parts Ⅵ~Ⅸ

12.Sheep

 

Set 2

13.In The Flesh

14.Run Like Hell

15.Déjà Vu

16.Is This The Life we Really Want?

17.Money

18.Us and Them

19.Any Colour you Like

20.Brain Damage

21.Eclipse

22.Two Suns in the Sunset

23.Roger MC

24.The Bar Part 2

25.Outside the Wall

『TAR/ター』を観てシャンタル・アケルマンと北大路魯山人を思い出す日記

 評判のトッド・フィールド監督『TAR/ター』を観てきました。

「多重の仕掛けが施されたサイコ・スリラー」とか「ジェンダー問題やキャンセル・カルチャーを諷刺する社会派ドラマ」などと語られることが多いようだけど、実際のところは、ある個性的な芸術家の内省を描く心理的なドラマで、構造としてはきわめてシンプルな作品と言ってもいいんじゃないでしょうか。

 前後してシャンタル・アケルマン監督の『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(1975)をようやく、初めて観賞したのだけど、ほぼ同じ映画だと思いましたね。

 

『ジャンヌ・ディエルマン〜』は、あるシングルマザーが過ごす三日間を、カメラ固定、音楽ナシという抑制したスタイルで淡々と綴ってゆく。この主人公は子供を学校に行かせている間に、自宅で売春をしているのですが、そんな行為ですら日常のルティーンに組み込まれているんですね。しかし後半、その「日常」に軋みが生じ……ラストシーンで破綻を迎えます。

 昆虫観察のように突き放したスタイルなので、3時間20分の長尺を付き合うのはかなりしんどい。なのに、細部の描写が堆積してゆく中に、いつしか主人公とその環境の“はりつめたもの”がだんだん観客にも沁み込んでくる。ここが見事です。

『TAR/ター』はアクの強い人物を表現するケイト・ブラシェットの演技、フロリアンホフマイスターの明暗配置の巧みな撮影、凝りに凝った音響効果といった技法でサスペンスを高めてゆく手腕が大変な見応えではあるものの、やや計算が勝ち過ぎていたかもしれません。

 

『ジャンヌ・ティエルマン〜』は、3時間余の時間経過の末に、主人公にカタストロフィ(破局)が訪れるわけですが、一方で『TAR/ター』はそうではないところが新しいとも言えます。

『TAR/ター』のラストシーン、私はゲームを知らないので何が起こったのかよくわからなかったのだけど、映ったものの中身を知ると、なるほどあの描写は主人公の「凋落」か「再生」かで意見が分かれるのもうなずけますね。しかし、ゼンゼン意味が掴めなかった無学な観客としては、あれは『甘い生活』の謎の怪魚や『2001年宇宙の旅』のスター・チャイルドのような、作品テーマの象徴が唐突に出現したかに思えて妙に感動的でした。

 

『TAR/ター』の主人公は「尊大かつ俗物な指揮者」としてはステレオタイプな描かれ方かもしれないけど、必ずしもセクハラ&パワハラ上等な「悪人」として描かれているわけではないところも現代的でしたね。私が思い出したのは、今年で生誕140年を迎える北大路魯山人(1883〜1959)です。

 書画・陶芸・料理に稀有な才能を発揮した芸術家でありつつ、傲岸不遜な態度と冷酷非情な家庭生活で知られた魯山人ですが、現在世に敷衍している人物像は、白崎秀雄の評伝『北大路魯山人』(1971年・1985年改訂版)に依ったものでしょう。魯山人を西欧型の悪魔的天才ととらえる白崎は、周辺取材で得た彼のパワハラ・セクハラエピソードを数多く収めています。全部事実だとしたら、まぁ現代においては社会的に抹殺されているのでは、と思うほど。

 近年になって、「あの魯山人像は白崎によって歪められているのではないか」という反論の書がいろいろ出ています。山田和の『知られざる魯山人』(2007)、『魯山人の美食』(2008)、『魯山人の書』(2010)、『魯山人 美食の名言』(2017)と、長浜功『新説北大路魯山人 歪められた巨像』(1998)、『北大路魯山人 人と芸術』(2000)、『北大路魯山人という生き方』(2008)などですね。物好きな私は全部読みました。

 実際、生前の魯山人を知る人々にとっては、白崎秀雄の評伝はその強烈なキャラづけに違和感を覚える部分も多かったらしいし、多角的な芸術家には複数の評伝があるのがふさわしいとも思います。が、山田和は父親が魯山人と縁の深かった人物で、父から語られる魯山人像を聞いて育ったためか、その視点は魯山人芸術の信奉者の枠を超え、ほぼ身内の反論。長浜功は芸術とは縁のない教育学者で、「教育芸術論」なる改革案を唱えている人物です。彼の教育改革案による理想的な成果像が「学歴のない天才・魯山人」なのですが、その魯山人パワハラ大魔王であっては困るので、自ら擁護の筆を執っているわけ。

 なので、彼らが「魯山人は傲岸不遜ではなく、権威に追従しない真の芸術家であり、自らのハイレベルな芸術観に正直だっただけ。セクハラエピソードは根拠がなく、結婚歴が6度というのはむしろ責任感が強かった証」と反論するほど強引な解釈に聞こえるのもまた事実です。

 

 魯山人と個人的に親しかった文人青山二郎白洲正子らがいますが、彼らは決して魯山人芸術の信奉者ではありませんでした。むしろ魯山人の限界を理解していたし、さらに彼のエゴイスティックな態度や毒舌に傷つけられ、偉そうに語る素朴な芸術論(自然美絶賛主義)に閉口させられることも多かった。しかし、その人柄を含めて芸術に対しては真摯この上ない彼の個性と作品を愛し、没後早くから擁護の声を上げていたのです。

 やはり『TAR/ター』の主人公が「バッハとの向き合い方」で語った通り、恣意的な情報収集によって理想の天才像の構築に励んだり業績を無下に否定するのではなく、芸術に対しても私生活に対しても客観的に、資料の裏付けを重視して、『ジャンヌ・ディエルマン〜』的なクールな姿勢で臨む研究が、魯山人にも待たれているように思います。

上ノ郷城を歩く

土塁跡に建つ「上ノ郷城跡」の石碑

 この春、3年ぶりに帰省した。新型コロナウイルスを警戒して控えていたのだが、どうしても自分で処理しなくてはならない事情が生じたため、ほんの一泊の里帰り。やるべき任務はすぐに終わってしまったので、ふと上ノ郷城に登ってきた。

 

 上ノ郷城を訪問するのはたぶん二十数年ぶりだ。蜜柑畑に囲まれた何もない中世山城という記憶だったが、今年の大河ドラマ『どうする家康』では、三河統一をめざす徳川軍が攻めあぐねる堅城として登場し、城主・鵜殿長照もメガネを外した野間口徹が普段の飄々とした雰囲気とはまるで異なる渋い演技を見せていたので、何か地元でも盛り上がっていたりするのかしらん、と偵察に行ったわけだ。

はるか奥に「上ノ郷城」の看板が

 弟を運転手に城のそばにある赤日子神社へ。駐車場に車を停めて外に出れば、大河ドラマ関連の歴史紹介サイト「あいち家康戦国絵巻」の幟が立ち、そのはるか奥に「上ノ郷城」の堂々たる看板が見えるではないか。なんだか分譲地の広告みたい。

神社からの道順と現状の地形図

 それにしても駐車場から5分で辿り着けるとは便利になったもの。歴史好きの中学生だった頃、地元の昔話に忍者を使った城攻め話があると知り、山岡荘八の『徳川家康』で確認したところ、確かに「西郡の城攻め」がわずかに記述されている。それならば現地を観に行こう、と自転車に乗って出かけたのだが、思いのほか遠かった上に坂道がきつく、周囲は蜜柑畑が広がるばかりで手がかりゼロ。ついに登城口を見つけることかなわず、すごすごと撤兵したことを覚えている。

 今ではスマホで地図検索できるし、道端には案内板が立っているので、これに従って行けば確実に主郭(本丸)に辿りつけるわけだ。

畑の入口に立つ案内板

 しばらく畑の畦道を分け行って行けば、すぐに主郭の真下に出る。どうやら、この空間が城の二ノ郭にあたるようだ。なるほど、ちっぽけな城ではあっても、主郭に目立つ看板が出ていないと、迷った人々が畑のあちこちに迷い込んで作物を踏み荒らす危険があるのかもしれない。

二郭(現在は畑)から主郭を見上げる

 上ノ郷城はいわゆる中世城郭なので、石垣やら瓦葺きの建築物とは縁のない「土の城」だ。わずかに土塁や堀の跡がのぞくだけなので、かなりの城マニアでなければ訪れることはないだろう。しかし、石垣や建造物の多い近世城郭に慣れると、こうした何も残さない土の城跡から、当時の残り香を見つけ出す楽しみもわかってくる。

主郭へ登る階段

 主郭部分に上がればブルーシートが広がっている部分が目に入る。平成18年度から、数度に渡って発掘調査が行われているそうで、成果としては土師器などの食器や飾り金具の一部、鉛玉などが見つかったという。

発掘箇所にブルーシートが敷かれた主郭

 主郭は平らに馴らされており、案外に広く感じる。これなら城主の住居など、複数の建物が並んでおかしくない。この主郭を中心に曲輪が広がり、複雑な縄張りを構成していたのだろう。若き家康は忍者(大河ドラマでは山田孝之)を侵入させて火を放ち、ようやく落城させたという。

主郭の全体

 こちらは帰りがけにのぞいた公民館に展示されていた、城の推定復元模型(主郭部分のみ)。『どうする家康』でもこの模型を参考に復元CGを作っていたようだ。

上ノ郷城の復元模型(主郭部分)

 城からは蒲郡の街並みが一望でき、遠く三河湾に浮かぶ三河大島が見えるが、その奥には渥美半島の山々が覗くので、外洋に広がる海を見渡すにはアングルが悪い。

主郭からの展望

 主郭の隅には狭い外曲輪のスペースがあったようで、現在はただの原っぱでところどころに百合が咲いている。

主郭下の外曲輪

 そしてここに立つ看板は、おそらく近所の小学校の生徒たちが描いたもの。描かれた家紋は徳川の三つ葉葵ではなく、鵜殿家の丸に三つ石なのがいいですな。

 数十年前からほぼ変化ないまま寂れつつあるような印象がある街でも、よくよく目を凝らすとかすかな変化があるもので、ここにもそんな気配を感じ取ることができた。

外曲輪に立つ看板

 最後の一枚は、かつては外堀の一部だったと伝わる、熊ヶ池に映る落日。

外堀の一部と伝わる「熊ヶ池」

最近読んだ映画本2冊〜山根貞男『映画を追え フィルムコレクター歴訪の旅』と木下忍『木下恵介とその兄弟たち』

 

 中学生の頃から文章に触れていた映画評論家・山根貞男が2月20日に亡くなった。享年83。

  最後の著書がまさに2月に出たばかりだったと知り、追悼の思いで読んでみた。『映画を追え フィルムコレクター歴訪の旅』(草思社)。いやぁ、これは『探偵! ナイトスクープ』ばりに面白い、映画史的にも人物ドキュメントとしても読み応え充分のルポルタージュである。

 まだ映画をソフトとして個人所有することが難しかった時代、娯楽映画の大半は消耗品的な扱いを受けていたが、中には35㎜フィルムを切り刻み、その断片を「おもちゃ映画(ブリキのおもちゃ映写機で上映する)」として販売したり、家庭上映用の9.5㎜版や巡回上映用の16㎜版などの複製が作られるたりすることはあった。こうした流通フィルムが紆余曲折あってコレクターの手に入るわけだが、彼らは映画に関する教養を深めたい映画狂(シネフィル)や、ひたすら観賞本数を増やしたい映画耽溺者(シネマディクト)とは違い、フィルムというメディアへのモノマニアックな関心が強い。登場するコレクターたちの何人かが幼少期に「おもちゃ映画」に触れた記憶を語っているのも特徴だが、このように映画を骨董品として扱うコレクターたちのおかげで、小津安二郎の初期短編『突貫小僧』(1929)が発見されたり、誰も知らない記録映画の中から歴史的に重要な情報を拾い出したりするのだから、映画の愉しみ方とは実にさまざまなものである。今も骨董市を欠かさず覗いているというコレクターが、一方でインターネットのオークションも毎日チェックしているというあたりの時代変遷も押さえられているのは、執筆に30年以上かかった怪我の功名というべきか。

 本書の白眉は「第5章 生駒山麓の伝説のコレクター」。失われた名作の大半を所有していると噂された怪人・安部善重(1923〜2005)への十数年にわたる訪問記だが、廃線のプラットホーム跡地に建つバラック小屋に、モノに埋もれながら住んでいるという情景に始まり、安部氏の没後、神社の鳥居がのぞく原っぱと化した安部邸跡に佇む終章の描写まで、ほぼ現代の怪談である。

 安部コレクションはその後、国立映画アーカイブの調査が入り、大半が記録映画やPR映画の類で「幻の名作」はついに発見されなかったわけだが、未だ彼の正体と未確認コレクションの行方については謎のままだという。こんなオカルトじみた人物の下へ、コレクションの存在に懐疑的な蓮實重彦を同行させ、安部氏に対面した蓮實が「あの人は持っていますね」と興奮し始めるあたりも、川口浩探検隊ばりにワクワクさせる。

 読み終えて伊藤大輔監督『忠次旅日記』をBlu-ray版で再見してしまった。この作品も長らく「幻の名作」だったが、1991年に広島県の民家の蔵で発見され(全編ではないが)、翌年に近代美術館で復元上映が行われたのだ。その際の行列にも並んだが、30年経ってこうして手許に置けるようになったとは。自分のコレクションもいつか「貴重」とされる日が来るのだろうかと我がDVD棚を見上げてしまう。

 

 往年の映画監督の中には、個人所有用に自作の16㎜版を焼かせていた人もいたそうで、その筆頭が木下惠介だ。木下は生涯独身だったが、辻堂に建てた邸宅には両親はじめ家族親類を呼び寄せ、木下組スタッフを集めては自作の上映会をよく開いていた。

 1950年代、惠介が16㎜フィルムを映写機にかけている写真が表紙に使われている『木下惠介とその兄弟たち』(幻冬舎)を読んだ。この写真、映写機の両側に少年と少女が映っているのだが、著者・木下忍はこの少女の方で、惠介の姪にあたる。少年はその兄・武則であり、二人は惠介の最初の養子でもあった。

 長部日出雄『天才監督木下惠介』には、妹・忍が後に木下家の六男・八郎に引き取られ、成長して養護学校の教員になったと書かれていたが、同時に惠介の家に残った兄・武則は、成長するや不良学生になってしまい、19歳で勘当されたともあった。武則氏はその後、どうなってしまったのか気にかかっていたが、この本でようやく彼の人生をわずかに伺い知ることができ、正直気の毒に思った。

 著者・忍と武則兄妹の実際の両親は、木下家の二男・政二と妻の房子。しかしこの二人は戦後、離婚してしまう。寡婦となった房子は四男・惠介の家に身を寄せ、惠介もその子供たちを養子に迎え兄嫁の再出発を支援していたのだが、房子は手伝いに来ていた木下家の六男・八郎に求婚され、承諾する。それを知った惠介は激怒し、立ち退きを要求した。家を出た八郎・房子は静岡で結婚、娘の忍を引き取るが、息子の武則だけは「パパ(惠介)が一人になってはかわいそうだから」と残ったという。

「親に見せられない映画は作らない」という信念を持つ惠介にとっては、「兄と別れて弟を誘惑する女(と、彼の目には映ったらしい)」など認めることができなかったわけだが、木下映画を数多く観てきたファンからすると、このあたりの心理はよく理解できるような、それでいて少し意外な気もするのだ。また、惠介は「幼少期の子供は可愛がれるが思春期を迎えると距離が生じるようになる」という姪の一人の指摘も重要で、木下作品に表れるノンセクシャル感覚をあらためて洗い直してみたくもなる。

 黒澤明の作品が「師弟愛」を称揚し続けたように、木下惠介の作品には「親孝行」を最上の美徳とする感性が貫かれており、『カルメン故郷に帰る』や『破れ太鼓』、『日本の悲劇』、『楢山節考』、『香華』といった代表作も、親孝行を批評的に解釈しつつ展開する物語だった。その根底に流れる木下家の物語を知ることで、家族から一族の代表者として称えられると同時に、「変わり者の芸術家」と見做されていた惠介の孤独もほんの少し理解できた。

 

 なお、著者は1957年頃に惠介が運転手兼書生として雇い入れる高橋康人の存在にも触れているが、この人物の登場が兄・武則の転落の原因と推測しているためか仮名が使用されている。高橋氏は結婚後も惠介に仕え、その次男と三男は惠介の養子になっている(『新・喜びも悲しみも幾年月』で主人公夫妻の息子役を演じたのが高橋家の息子たち)。また、惠介は1972年に浜松のホテルでボーイとして働く19歳の青年・栗田忠幸を養子に迎え、イタリアに留学させている。惠介の晩年の企画に『花婿の父』というのがあり、これは留学した栗田氏がイタリア人のガールフレンドと結婚する際の顛末が素材になっていたそうで、観たかった企画の一つだ。こうした惠介の行いの背景には、最初の養子・武則に対する教育の失敗への反省があったのかもしれず、木下の最後の映画となった『父』(1988)も、少し見え方が変わってくるようにも思う。

 この本では、1960年代以降、惠介の周辺から「木下家の人びと」がじょじょに消えてゆく過程も細かく描かれるのだが、はたして「身内」が離れてゆくことは本当に寂しいことだったのか。高橋氏や栗田氏の目には、きっとまた別の木下家の物語が見えているに違いない。

深緑野分『スタッフロール』を読み、ジョン・ランディス『狼男アメリカン』を観る

 

 年末からかかりきりだった仕事が一段落し、昨年の半ばから積んであった深緑野分の新作『スタッフロール』をようやく読めた。

 前半は1960年代から80年代を舞台に、ハリウッドの特殊造形スタッフとして活躍した女性が主人公。後半は2017年のロンドンを舞台に、VFXスタジオで働くCGアニメーターの女性が主人公となり、年代も職種も異なる二人が、ある「怪物」の造形を通じてつながってゆく。

 ネットの感想や直木賞の選評を読むと、「長すぎる」、「専門的な記述が多すぎ」という声が多いようだが、私は全編に渡って楽しく読めた。それは、つい数年前までVFXデザイナーたちと毎月仕事をしていたことと、映画ファンとしての世代的な特権が大きいかもしれない。なにしろ私の映画開眼は1978年、『未知との遭遇』と『スター・ウォーズ』と『2001年宇宙の旅』(再公開)を立て続けに観たことに始まるSFブーム直撃世代。たちまち特撮オタクとなった私は、その後も「スピルバーグ印」の特撮映画を追いかけては雑誌「スターログ」やSFX技術の解説ムックを読みふけり、特撮監督のダグラス・トランブルリチャード・エドランド人形アニメーションフィル・ティペット、特殊造形のスタン・ウィンストン、特殊メイクのリック・ベイカーロブ・ボッティンという名前を、大スターに匹敵するアイドルとして記憶した。

『スタッフロール』に登場するのは、彼らのような才能や運に恵まれたカリスマではなく、それこそ業界の片隅でもくもくと仕事している女性たちなのだが、そんな彼女らがクレジットに名前が載る意義をめぐって迷いもがき闘う姿、いまだに「これがオレだ!」と言える仕事でスタッフロールに名前が載ったことのない私にも迫ってくるものがあった。

 

『スタッフロール』を読んで思い出したのは、去年公開された『クリーチャー・デザイナーズ〜ハリウッド特殊効果の魔術師たち』(2015)というドキュメンタリー。特撮における特殊造形・特殊メイクの発展について、ツボを押さえた内容になっていたものの、フランス製作だからか引用される映像の尺は短く、クリエイターたちの回想インタヴューが中心なので、ドキュメンタリーとしてはいささか地味、長年の特撮ファンでなければ観続けるのはしんどいのではないか、という作品ではあった。が、衝撃的だったのは『ハウリング』の狼男変身シーンや『遊星からの物体X』の数々のクリーチャー造形を担当したロブ・ボッティンが、21世紀に入るや映画界に見切りをつけて他業種に転向、現在は消息不明である、という情報。さすがは14歳で特殊メイクの帝王リック・ベイカーに弟子入りし20歳で独立した天才だけに、特撮業界がデジタル一辺倒に移行する予兆を敏感に察知してさっさと逃亡してしまったのか、と妙に感心したのだが、彼こそ『スタッフロール』の前半主人公・マチルダと同じ苦悩を抱えていたのかもしれない。

 

 で、その『クリーチャー・デザイナーズ』では、『ハウリング』(1981)のジョー・ダンテ監督と『狼男アメリカン』(1981)のジョン・ランディス監督が2ショットでインタヴューを受けていた。そこで初めて知ったのだが、じつは『狼男アメリカン』はランディスが長いこと温めていた企画であり、リック・ベイカーを雇って準備していたものの、資金難のためいったん解散、ようやく製作のメドが立ったら、後発の『ハウリング』にベイカーを取られている状態だった、という裏事情。結局、リック・ベイカーは『狼男アメリカン』に戻り、『ハウリング』は弟子のロブ・ボッティンが引き継いだわけだが、弟子が『ハウリング』で想像以上の変身場面を作ったため、ベイカーは対抗して明るい部屋の中で変身するシーンを作らざるを得なかったという。この師弟対決ドラマは以前からマニアの間では有名だったが、正確にはどちらも同じ変身アイディアから出発しており、才能ある特撮アーチストが作品を数こなすことで技術をより洗練させていったことがよくわかった。

 

 しかし『狼男アメリカン』は実は子供の頃にテレビ放送で観ただけという私、国立映画アーカイブの特集「アカデミー・フィルム・コレクション」で上映されたので、それこそ数十年ぶりに再見した。いや、きちんとフィルムで観賞したという点では初めてか。

 変身シーンは録画ビデオで繰り返し観たのに、お話の方は完全に忘れていたが、いちおうオリジナルの映画『狼男』(1941)をさらった内容ではあったのね。しかしこの頃のジョン・ランディス作品はあきらかに「物語」の面白さとは違った形でのエンターテインメントをめざしており、やはりこの監督、新世代のリチャード・レスターだったのだな、との感を強くした。

 変身シーンに注力しすぎたせいか、変身後の巨大狼そのものの描写は極めて少なく、ときおりアップになっても作り物感は否めないのが子供心に不満だったのを思い出したが、その代わりにピカデリーサーカスでのカークラッシュと群衆大パニックという場面を設定してクライマックスを盛り上げる設計になっているなど、なかなかよく考えられている。まぁ、今のVFX技術なら変身後の巨大狼がロンドンを跋扈する場面をたっぷりと描けるだろうが、こちらではそう描かず、狼となった主人公を追う看護士のヒロイン(ジェニー・アガター)にスポットを当ててメロドラマ性を高めてゆく手つき、これもまた特撮が万能ではなかった時代の芸なのだ、と改めて感じ入った。