星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

初夏愚忙日記〜原始神母・シベリア少女鉄道・吉田喜重

×月×日

 

 日比谷野外音楽堂にて、原始神母のライブを聴く。

 今回は前半が「ピンク・フロイド/ライブ・アット・ポンペイ」の再現、後半は今年50周年を迎える「狂気」の全曲演奏。夏の黄昏時から夕闇に変わる頃合いに響くピンク・フロイド音楽は最高のかけ合わせ。「ライブ・アット・ポンペイ」はエイドリアン・メイベン監督による、ポンペイ遺跡での無人コンサートフィルム通りに曲が進むが、フィルム通りのアレンジ再現にこだわったかと思えば、このバンドらしい遊び心を加えてきたりで油断ならない。問題は途中の一曲「マドモアゼル・ノブス(アルバム『おせっかい』では「シーマスのブルース」)」で、リックが犬にマイクを向けて吠え声をSEとして使用していたのだが、あれはどうするのかと思ったところ、今回は「グリーン・イズ・ザ・カラー」と「シンバライン」のメドレーに差し替えだった。確か以前にこの曲をやった時は誰かが犬の声を担当した記憶があるので、そこも再現してほしかったなぁ。

 後半の「狂気」はもはや安定のクオリティ。2012年の旗揚げ公演を汐留ブルームードで見ているのだが、まさかあんな趣味的な集まりが野音を満員にするバンドに成長するとは思わなかった。

 初期曲で統一するのかと思いきや、アンコールは「あなたがここにいてほしい」で、昨年急逝したコーラスの一人、ラブリー・レイナへの想いが伝わった。さらにセット背後に隠していたミラーボールが登場して「コンフォタブリー・ナム」、最後は定番の「ナイルの歌」。年末には一般参加のコーラスを集って「原子心母」を吹奏楽つきでやるという。「第九」かよ!

 それにしても今年はロンドンのロジャー・ウォーターズ“This Is Not A Drill”でピンク・フロイドの現在進行形を、野音の原始神母で往年のピンク・フロイドへの熱いオマージュを、存分に堪能できた特別な年となった。

×月×日

 

 再来年の閉館が決まった俳優座劇場で、シベリア少女鉄道の新作「当然の結末」(作・演出 土屋亮一)を観る。

 開幕直前にアナウンスがあり、少し前に出演者が数名降板したと告げられる。冒頭にも土屋氏が挨拶に登場し、事情を説明した上でスタートするのだが、内容的にはごく普通のリビングを舞台にした二組のカップルの恋愛模様。今回は坂本裕二ドラマあたりを意識しているのかな? と思いつつ観ていると、唐突に吸血鬼やら蛇女やらサメの怪物やらが「役を演じながら」登場する。どうやら降板した役者の代わりに急遽かき集められた代役が彼ららしい。

 とんだ七色いんこが揃ったものだが、そんな連中を交えながら神妙にドラマが進んでゆくのが可笑しい。とはいえ以前、この劇団は『今、僕たちに出来る事。あと、出来ない事』(2001、2018再演)で、壮大化する劇世界に対し、さまざまな代替品を駆使して強引に「見立て」で乗り切る演出をギャグにして見せたことがあり、その時の「演劇のお約束」に対するパロディ精神に比べると、今回は最初から仮装したキャラクターが「代役」を演じつつ登場するだけなので、劇構造の破綻感は薄い。

 その辺の弱さは作り手も感じたようで、後半、さらに「リビングで展開する男女のドラマ」と「必殺技を連呼するバトルもの」がなぜかシンクロしてゆくという大胆な展開になるのだが、トリックとしての爽快度は今ひとつ。しかし、バカバカしい展開を照れることなく必死に演じる姿はあいかわらずキュートで、若い観客にはウケていた。未だに「文学性」がまといつくことを拒否し、「90分かけて演じるコント」であり続けようと苦心している土屋氏の姿には、20年に渡って観ているファンとしては頼もしく思うのだ。

×月×日

 

 だいぶ忙しくなってきたので、なかなか映画館に行けないのだが、シネマヴェーラ吉田喜重追悼特集では、未見だった2本の作品、『知の開放 知の冒険 知の祝祭~東京大学 学問の過去・現在・未来』(1997)と『夢のシネマ 東京の夢~明治の日本を映像に記録したエトランジェ ガブリエル・ヴェール』(1995)を観られた。

『知の開放 知の冒険 知の祝祭』は、東京大学創立120周年を記念して制作されたPRビデオ。夏目漱石の『三四郎』の主人公が、現代の東大を訪問するというコンセプトだけ知っていたが、なるほど明治の漱石が直面した苦悩を追いながら、現代の東大を“見返す”という吉田喜重らしい試み。再現パートでセリフとして発せられるのは、美彌子がつぶやく「ストレイシープ」のひと言のみ、というのも巧い。漱石の神経衰弱とは、西洋の近代思想との葛藤の結果だったのか……? と、三四郎が作者の「脳」をじっと見つめるラストまで、ぼやけたビデオ映像を忘れて楽しく見られた。唯一、蓮實重彦のコメントは要らなかった気がするが、PR映画なだけに企画プロデューサーである学長挨拶は必須だったのかもしれん。

 もう一本、『夢のシネマ 東京の夢』は、リュミエール兄弟に派遣され、明治期のメキシコを撮影した後、日本を訪問。京都から北海道はアイヌの人々まで撮影し、フランス帰国後にモロッコへ渡ったカメラマン、ガブリエル・ヴェール(1871〜1936)の物語。吉田は彼の撮った映像・写真を見返しながら、ヴェールがある顔を伏せたインディオの女性が、カメラに顔を向けるよう白人男性に首を引っぱられた直後に撮影を止めたことを見逃さない。

 そして、ヴェールがメキシコで実際の処刑場面を撮影したのち、観衆の非難を受けてフィルムを破棄したエピソードにも注目する。つまり、ヴェールは映像の持つ本質的な暴力性・権力性を意識し、その限界を感じ取った男なのではないか、と考察してゆくのだが、吉田が『鏡の女たち』(2003)公開時のインタヴューで、広島の原爆投下の瞬間を描かなかったことについて、

本当に人間が死んでゆく瞬間の映像には、人間は耐えられないのです。耐えられないということは、それが映像の描くことのできない残余であることを示しているのです。映画には映すことのできないものがある、そのことから映画を見直す、見返す必要がある、私にとってはこうした表象不能の原点が、広島でした。

 と、語っていたことを思い出した。ガブリエル・ヴェールのフィルムを仔細に考察したことで、その思いは強固になったに違いない。

 スタンリー・キューブリックが『アーリアン・ペーパーズ』を断念したのも、同じ理由かもしれない、ということは以前ブログに書いた。