星虹堂通信

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本場のベケット演劇ふたたび〜サミュエル・ベケット『ソロ』

 アイルランドの劇団「マウス・オン・ファイア」の2度目の来日公演を観るため、両国のシアターXに行く。

『サミュエル・ベケット ソロ』 http://www.theaterx.jp/14/140403-140409p.php

 昨年度は『オハイオ即興劇』、『あしおと』、『あのとき』、『行ったり来たり』の3本を上演した。はっきり言ってベケット後期作品というのはテキストを読んだだけでは理解不能、芝居なんだかパフォーマンスなんだかハッキリしろー的なあまりにも抽象的な世界が展開される実験演劇だ。本場の演劇人はどのように上演してるのか、とその実例を観に行ったのだが、そこには緊張感みなぎる舞台設計、幽玄にして硬質な肉体イメージ、繊細な照明空間のつるべ打ちがあり、深遠な哲学の入口のようでもあればたんなる冗談のようでもあるベケット演劇の面白さを、字幕という言語の理解を排除した上でも観客に見せつけていた。これは驚いた。よくベケットの後期作品を評して日本の「能」との関連が語られる理由も少し理解できた。


 そして今年のラインアップは『わたしじゃない』、『モノローグ一片』、『クラップの最後のテープ』という、よりによって独白劇3本立。難易度上昇!

『わたしじゃない』は、1973年にBBCでテレビ化されていて、動画を見ることもできる。どんなものかというと、コレの2:50からをご覧じろ。

 

 

 えんえんと喋り続ける画面いっぱいの唇どアップ。ロッキー・ホラー・ショー』のオープニングかよ! しかし演劇版もこれが完全に再現されるのだ。赤く輝く唇が、舞台やや上手の闇に浮かぶ。そこから迸る言葉の奔流。その内容は、テキスト解釈的には「野原で突然死を迎えた女性による人生回想」とされるようだ。しかし意味を追うのを放棄し、舞台だけをじっと観ていると、赤い唇がかすかに動くたびに、闇の中にカタツムリがガラスを這った跡のような残像が目に残り、そこにノイズ音楽のような早口の英語の「音」が重なるのが美しい。舞台上でコミュニケーションを求めようと運動することが目的となる「演劇」という分野そのものの本質を掴む試みなのかもしれない。
もともとこの戯曲にはマントを被った「聴き手」が下手にいたはずだが、このテレビ版を気に入ったからか、ベケットはその後の上演から「聴き手」を取り去ったらしい(「聴き手」の存在を重用視していた批評家の立場は……)。

『モノローグ一片』は、ある室内における、真っ白な人物による独白劇。1984年の作品で、テキスト的には老境のベケットによる自伝的なつぶやきと考えられているらしい。しかし、ぼうっと奇妙な身長大のランプ(頭蓋骨大の、と指定されている)に照らされながら棒立ちで言葉を垂れ流す男は全編を通じて微動だにせず、まばたきもほとんどない。これはまさに「ランプ」そのもの、あるいはランプの灯りが表現する「人間の魂」、もしくはこの「部屋」そのものといった、人間を超越した存在が漏らす音、なのではないかと思えて来る。

 最後の『クラップの最後のテープ』は、有名な一人芝居。ハロルド・ピンターが最後に立った舞台もこの作品だったはずだ。
『クラップ〜』では、背後の字幕板に、設定とセリフの要約が日本語で映された。やはりこれだけは内容の「展開」が把握できないと作品の理解が困難と判断されたのだろう。
69歳になったクラップ(成功し損ねた作家らしい)が、誕生日恒例のテープ吹き込み儀式を行うため、30年前のテープを聞く。しかし39歳のクラップもまた、12、3年前の自分の声を聞いてから吹き込んでいる……。「再生される声」としてのもう一人の自分との対峙。ありえた自分を想像するうちに、クラップは人間でなくなっていくようだ。冒頭にバナナを食べる儀式的な動きも、テープレコーダーを再生するための機械的な動きのように思える。そして最後に録音を始めるクラップの前に広がる虚無……。

 ベケットの後期作品はあきらかにとっつきにくい。誰に向けて書いてるかもよくわからないし、お高くとまった知的遊戯のようにも見える。だが、テキストで読んで「わからない」戯曲がこのように視覚化されると、今度は言語が理解不能な状態で接することとなり、その「わからなさ」に新たなベクトルが与えられ、削ぎ落されたベケット作品の抱えた豊饒さへの新たな入口が示される。『ゴドーを待ちながら』や『勝負の終わり』の作者がなぜこの方向に向かわなければならなかったのか、改めて作品に触れる楽しみが増えたし、ベケット劇に過剰な装飾や自己顕示的な解釈は必要ないことも示す上演だった。
 むしろこの上演に刺激を受け、ベケットのスタイル・発想をパクった劇団・劇作家が21世紀に改めてどんどん現れてもよいのではないか。4月22日からスタートする、早稲田大学演劇博物館「サミュエル・ベケット展〜ドアはわからないくらいに開いている」も見逃せない。