星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

ピンク・フロイド最終章?〜『永遠<TOWA>』

Pink Floyd - Comfortably Numb@Live 8 2005

 

 忘れもしない2005年7月2日、「ライブ8」のロンドン会場である、ハイドパークのステージにおいて、ピンク・フロイドが復活した。
 それも、長年に渡る確執により対立を続けていたはずのロジャー・ウォーターズがバンドに復帰、ギターのデヴィッド・ギルモア、ドラムのニック・メイスン、そしてキーボードのリック・ライトを交えた4人の正規メンバー24年ぶりの揃い踏みとなったのだ。
 長年のフロイドファンの夢がかなった瞬間……。
 最後の一曲、「コンフォタブリー・ナム」が終わるや、4人が肩を並べて笑顔で観客にアピール、もう絶対に見ることはできないだろうと思っていた情景が実現し、40年の歴史を持つピンク・フロイドというバンドはこれにてハッピー・エンドを迎えた……はずだった。

 ところが。この夏、20年ぶりにピンク・フロイドが“The Endless River”なるニューアルバム製作中との報せがかけめぐり、ロンドンを中心にロック業界はお祭り騒ぎとなったのだ。11月10日にリリースされるや、たちまち全英1位をはじめ20カ国でチャート1位を獲得、ピンク・フロイドの名などほとんど忘れられたような状況の日本ですら、ジャケットデザインを掲げた宣伝トラックが走り回った成果か、洋楽不振の時代に初登場7位という成績をあげたのだからたいしたもの。
 でもちょっと待ってよ、2008年にはキーボードのリック・ライトが死去しており、バンドとしての活動は二度とないはずだったんじゃないの、と疑問を抱かれる方も多いはず。もちろん、ニューアルバムと言っても、関わっているのは『鬱』(1987)と『対』(1994)を作ったギルモアフロイドの生き残り、デヴィッド・ギルモアとニック・メイスンの二人だけ。今回のアルバムは『対』制作中に録音したセッションを素材にしているので、リック・ライトのプレイがかなり含まれており、リックに捧げるトリビュートアルバムなのだという。

 最近のYou Tubeを開けば、雲海に棹さしつつ小舟を進める男の映像と共にこの曲のサビが流れるため、みなさん嫌でも耳にしていることだろう。これぞピンク・フロイドのニューアルバム、邦題『永遠<TOWA>』の最後を飾る一曲にしてアルバム唯一のボーカル曲「ラウダー・ザン・ワード」である。

 Pink Floyd-Louder Than Words - Official Music Video

 このアルバム、なんとアナログ盤でも制作されており、内容がSIDE-AからSIDE-Dまでの4面あるというので、おおっ2枚組かギルモア気張ったもんだな、と思いつつ届いたBlu-ray付CD-BOXを開けてみると、入ってるCDは1枚だけ……。一瞬なにかの間違いかと焦ったが、これは18の小曲で構成される全4部、計54分のアルバムなのだった。
 そしてこの54分の音世界、かつての初期曲「星空のドライブ」でサイケデリック世界への飛翔を、続く「神秘」で現代音楽への接近を志した「風変わりなインストゥルメタル・バンド」でもあったピンク・フロイドが、最後に指向したのは幽玄の音色で紡ぎ出す環境音楽の世界だったことを示していた。

<SIDE-A>
は、「いかにもピンク・フロイド」な、モノローグのコラージュ(“暗黙の了解”と“言葉を戦わせること”について、そして“共に力を合わせること”の意義が語られる)と共にふわりと広がってゆくキーボードとブルージーなギターで彩られてゆく序曲。さながら「クレイジー・ダイアモンド」の出だし再現という印象か。
<SIDE-B>は、『対』の「クラスター・ワン」の素材をイントロに、ファルフィッサオルガンによる60年代サイケデリック時代を思わせる音色、そして『神秘』のころを思い出すメイスンのドコドコドラムが響き、ギルモアのスライドギターが流れ込んでくる。最も「往年のピンク・フロイド」なパートで、最終部は「アス・アンド・ゼム」によく似ている。
<SIDE-C>になると、ギルモア好みの気怠くも浮遊感漂うギターを音色豊かなシンセとディレイ技術で彩った2分弱のパートが続けざまに展開してゆく。後半でメイスンのドラムが存在感を発揮し、『鬱』や『対』のヌケのよいギルモアフロイドの音を再現。途中、「オータム'68」という曲があるが、これはリックが当時試し弾きしたパイプオルガンの曲が使用されただけで『原子心母』所収の「サマー'68」とは特に関係なかった。最終部で『対』の時に録ったホーキング博士のモノローグにより「言葉」の重要性が語られる。
<SIDE-D>はいよいよまとめの最終章、ギターが唸りに唸ってさまざまな表情を見せてゆく。ギルモアのギター人生の総括とも感じられるこのパート、ラストに聞こえてくるのは、ギルモア夫人ポリー・サムソン作詞による「ラウダー・ザン・ワード(言葉を越えたモノ)」。そこでは「気持が通じれば言葉を越えられる」という精神(というか幻想)が賞揚される。

 確かに『対』と出発点を同じくするアルバムであり、そんなものが20年も経って出てくるあたり、出涸らしという印象は否めない。叙情的なギターで包み込んでまとめるスタイルも2006年のギルモアのソロアルバム『オン・アン・アイランド』の続きに聞こえてしまい、特に新味はない。参加ミュージシャンに、ジョン・キャリン、ガイ・プラット、ボブ・エズリンらギルモアフロイドおなじみのサポートメンバーの名が並ぶが、これらはすべて93年のセッションに参加した人々だろう。リック・ライト独特の悠揚迫らざるキーボードプレイは相当に残されており、少ない音数で色彩豊かな世界の広がりを感じさせる音響世界を存分に楽しめるとはいえ、やはりこれは実質ギルモアのソロアルバムと考えたほうがすっきりする。ニック・メイスンの名が作曲にクレジットされるのは『狂気』以来とは言えどもだ。

 あれほど「もうピンク・フロイドとしての活動には魅力を感じない。これ以上、お金もいらないしね」とくり返し語っていたデヴィッド・ギルモアが突然ツアーなしのアルバム制作だけ、という条件でこのプロジェクトを起ち上げた理由はなんなのだろう。リック追悼、というには少し遅すぎないか? ともあれ、プロジェクト開始と共に召集されたのは、『鬱』以来ギルモアの右腕としてフロイドに関わるロキシー・ミュージックのギタリスト、フィル・マンザネラ、『ザ・ウォール』劇場版以来、エンジニアとしてフロイドに関わってきたアンディ・ジャクソン、キリング・ジョークのユースの3人。彼らが曲を編集・アレンジしてまとめあげたようだが、企画が起ち上がるたびに複数の才人を召喚し、みんなで協力して「フロイドらしきもの」を作り上げてゆくのはギルモアフロイドの常套手法ではある。
 それにしても『ファイナル・カット』(1983)制作時に、ロジャー・ウォーターズが『ザ・ウォール』のアウトテイクを再利用していることに怒り、まともな曲は「ガンナーズ・ドリーム」、「フレッチャー・メモリアル・ホーム」、「ファイナル・カット」の3曲だけ、と言い放ったギルモア先生、今回の18曲にいったい「まともな曲」がどれだけありますかね……。いや、リック・ライトの思い出に捧げる全4楽章のイメージアルバムと思えば、これはこれで心地よく聴けてしまうよく出来た作品であることも確かなのだ。そういう意味では、ギルモアフロイド初の成功したコンセプト・アルバムとも言えると思う。

 だけどね、もしリスナーが2008年に死去したリック・ライトを純粋に追悼したいと思ったのなら、ギルモアの方法論で満載の『永遠』よりも、リックの最後のソロアルバムである『ブロークン・チャイナ』(1996)を聴くことをお薦めしたいよ。長いスランプを脱け、『対』の制作で復活したリックが、当時のセッションで出し切れなかったアイディアをまとめた作品だ。ベースにピノ・パラディーノ、ドラムにマヌ・カチェ、作詞と共同プロデュースにスラップハッピーのアンソニー・ムーアと豪華なメンツをそろえ、おなじみの鍵盤押しっぱなしプレイ、ホヨ~ンという無重力感あふれた音色で構成されたトランス感覚を楽しめる。日本では入手が難しいかもしれないが、ネットで全曲聴くことは可能だ。
 2002年に行われたギルモアのソロ・コンサートにリックがゲスト出演した時には、『ブロークン・チャイナ』の一曲「ブレイクスルー」をプレイしている。ギルモアのギター、ディック・パリーのサックス、マイケル・ケイメンのピアノと往年のフロイド組によるアレンジが加わり、とても見応えのある演奏となっているので、ファンはぜひ一聴を。

 

Breakthrough -Richard Wright & David Gilmour


『永遠』がリック・ライトへのメモリアルアルバムと言うコンセプトを聞くと、初代リーダーであるシド・バレットへの思いを起点とする『炎~あなたがここにいてほしい』(1975)を思い出してしまう。しかし、この2枚から受ける印象には大きな隔たりがあることもわかる。それについて書き記したい。

 カリスマ的な才能と美貌に恵まれたシド・バレットを中心とするサイケデリック・バンドとしてスタートしたピンク・フロイドだが、ファーストアルバム『夜明けの口笛吹き』(1967)を発表した時点で薬物による精神崩壊を起こしたシドが脱落、デヴィッド・ギルモアを招き入れ、「建築屋」であるロジャー・ウォーターズとニック・メイスン、「音楽屋」であるリック・ライトとデヴィッド・ギルモアが協力しながら「音を通じて世界と交信する」前衛的なロックバンドとして成長していくことになる。ところが作詞家として才能を開花させたロジャー・ウォーターズによって『狂気』(1973)をコンセプトアルバムとしてまとめたところ世界中で大ヒット。それまで通好みのカルト・アイドルでしかなかったフロイドは、突如としてビートルズローリング・ストーンズに並ぶビッグネームに押し上げられ、莫大なレコード印税が舞い込んだ。富と名誉に酔いしれ、夢がすべてかなってしまったことで創造性を失ったメンバーは、さらなる前衛表現をめざした「ハウスホールド・オブジェクツ(楽器を使用せずに家庭器具の音で構成するアルバム)」に挑むも頓挫。初めての挫折と世間的成功という引き裂かれた状況の中、かつての初代リーダーに思いを馳せたのが名曲「クレイジー・ダイアモンド」であり、「あなたがここにいてほしい」だった。アルバムとしての『炎~あなたがここにいてほしい』は前作『狂気』から音楽的には一歩後退しており、彼らとしては忸怩たるものがあったろう。リアルタイム世代のファンの中には「私の好きなピンク・フロイドはここまで」という人は多く、先日公演があった
トリヴュート・バンド「原始神母」も、これ以前の無邪気に前衛を楽しんでいた総合芸術バンドとしてのピンク・フロイドを愛するミュージシャンによる活動である。
 その後のピンク・フロイドは、バンドの大成功を迎えてなお、世間と自分自身との断絶、そしてある種の被害妄想をモチーフに創作力を失わないロジャー・ウォーターズがグループを牽引してゆく。コンセプトアルバムにこだわるロジャーによって、曲調からは以前のような未消化な余白が消え、よりソリッドに、より完成度の高い音響劇場の構築が目標となる。「音を通じて世界と交信する」バンドから、「音と歌詞を通じて世界に悲鳴を伝えるバンド」への転換。やがて『ザ・ウォール』(1979)という大作ロックオペラを完成させるが、この時、バンドはすでにロジャーのソロ・プロジェクトと成り果てており、貢献度が低いと見なされたリック・ライトは解雇されるに至った。
 80年代に入り、ロジャーはもはやプレイヤーとして終っている(と、彼の目には映った)ギルモア、メイスンとグループを続ける必然性を感じなくなったため、バンドの終結を宣言するが、ギルモアはそれに反発。メイスンを誘って新アルバム制作をスタートさせる(ロジャーからはバンドの名義使用を巡って裁判を起こされるが、印税を支払うことで示談)。ギルモアはプロデューサーのボブ・エズリンをはじめ、10名を越す作詞家・セッション・ミュージシャンを召喚して(その中にリック・ライトもいるが、ほんの少ししか参加できていないそうだ)、レコード会社が期待する「ピンク・フロイド風」のアルバム『鬱』(1987)を制作したところこれがバカ売れ。70年代のツアーのスタイルを模した全世界公演も大成功となり、「ピンク・フロイド」という名前の強さ、人気をロジャー自身にも知らしめた。

 個人的なことを言うと、はじめて聴いたフロイドアルバムは『鬱』でした。それも発売直後ではなく、翌年の日本公演が雑誌や新聞の話題になった少し後じゃなかったかと思う。往年のロックを勉強し始めたばかりの高校生にも気になる存在となり、田舎のレンタル屋に一枚だけ置かれていた最新アルバムを借りて聴いたのだ。率直な印象は、
ピンク・フロイドって、なんか退屈なバンドだなぁ」
 というもの。おかげで彼らの神髄に触れるにはもう数年時間がかかることに……。フロイドアルバムはだいたい一周目ではピンと来ず、くり返し聴き込むうちに体内に沁みてくるのが定番とはいえ、じつは未だに『鬱』は苦手なアルバムだったりする。『永遠』のブックレット「永遠のピンク・フロイド」では、担当ディレクターの宇田明則が邦題決定までの苦労話を語っているが、今ではコレ、『ア・モメンタリー・ラプス・オブ・リーズン』という名に改題されちゃってますね。「鬱」って言葉に規制がかかったんでしょうか(しかしこのブックレット、DVD『驚異』のブックレットに載ってた歴代担当ディレクターインタヴューを使い回してページを稼いでるのにはガッカリしたぜ)。

 閑話休題。『鬱』が成功し、世界ツアーでリハビリしたおかげか、プレイヤーとして復調したニック・メイスン、リック・ライトをまじえて楽しくセッションして出来上がったのが『対』(1994)だった。これは前作よりはるかに出来のよいアルバムで、あきらかにダメになっていたメンバーを見捨てず、回復まで見守るギルモアの人の好さ、温かさが全編ににじんでいる(ピンク・フロイドの名を維持する以上、この二人が揃っていた方がトクという事情があるにせよ)。
 そして『対』も成功を収め、途方もない財産を有したギルモアにはもはや産業バンドを続ける必要も動機もなく、悠々自適の生活を送るようになった。2005年にはロジャーとも仲直りし、2006年に出したソロアルバム『オン・アン・アイランド』は初の全英チャート1位を獲得、ツアーのライブ盤DVDを2種類も出した。そんな成功者の彼が最後のひと働きとして過去素材を再生させたのが今回の『永遠』であり、テーマとなるはずのリック・ライトの存在感は実際にその音を鳴らしているプレイヤーでしかない。それは実質的な素材の一種ではあるが、音全体からなにかイメージが喚起されるかというと、後ろ向きの回顧譚ばかりなのだ。
 一方、『炎~あなたがここにいてほしい』は、あきらかにシド・バレットをイメージした歌詞が並びながら、その楽曲の中にシド・バレットはどこにもいない。アルバムの最後、「クレイジー・ダイアモンドPart9」がフェードアウトするほんの一瞬に、かつてのシドの名曲「シー・エミリー・プレイ」のイントロがかすかに鳴る。それだけ。なのに、アルバム全編を通して「大切な人の不在」と、それを起因とする不安や孤独感が匂い立ち、行く先を見つけられない絶望状況が聴く者の心に迫ってくる。シドの不在という個人的テーマを、喪失感という普遍的な感情に拡大するだけの器の広さ、緊張感をアルバム全体が併せ持っている。

David Gilmour - On An Island


『永遠』は、ほぼ全編インストゥルメンタルのアルバムであり、説明を排しつつも言葉を越えた情動で協調することの意義をしきりに盛り上げる。オレたちのやってきた成果とはそれだ、と言わんばかりの主張は脳天気なようでもあり、実績を考えれば頷ける部分はある。ただ、デヴィッド・ギルモアの個性によるものだろうが、全編にわたって健康かつ牧歌的で、しきりに「メロウ」と表現される彼のギターだが、私はそこに憂鬱さや悲痛さを感じることはほとんどない。それは彼の『オン・アン・アイランド』で描かれた曲が、どれもほのぼのした情感にあふれた、優れた大衆音楽であったがゆえに、決定的に物足りなさを感じた点にも通じる。
『永遠』については、ピンク・フロイドに陶酔感と心地よさを求めるのか、狂気に寄り添った鋭さや精神の鬱屈への導きを求めるか、リスナーの好みが評価に響きそうだ。

 さて、このアルバムが出た後、気になるのはやはりロジャー・ウォーターズの動向だ。

ザ・ウォール』を完成させた後も、彼は自分の精神に脅威を与えるものへの批判と警鐘をエネルギーにコンセプトアルバムの創作を続けた。『ファイナル・カット』(1983)では、サッチャーが始めたフォークランド紛争、『RADIO.K.A.O.S』(1987)では冷戦による核戦争勃発の恐怖、『死滅遊戯』(1992)では天安門事件湾岸戦争すらもショーとして消費する大衆社会への脅威が創作の源となった。近年、ロジャーはパレスチナ問題を中心に活躍する平和活動家として知られており、2010~2013年に行われた大規模な『ザ・ウォール』世界ツアーでも、『ザ・ウォール』が戦死した父を持つ子供の物語であることを強調し、最大の人権侵害行為である「戦争」否定のための現代オペラとして21世紀に甦らせた。
 今世紀に入ってから新たなアルバムを製作中との噂が長いこと囁かれているロジャーだが、一向に完成の報せが来ない。それはやはりパレスチナ問題を中心に据えたコンセプトアルバムとなるようだ。近年、ちょこちょこ発表している彼の新曲はそのどれもが戦争をテーマにしており、また歌詞が重要な要素を持っている。

 

Roger Waters - To Kill the Child (with lyrics)


 Roger Waters - Leaving Beirut(Live)

 特に、2004年にアメリカのイラク攻撃への抗議ソングとしてネット配信で発表した2曲、「トゥ・キル・ザ・チャイルド」と「リービング・ベイルート」は、直截なメッセージ性に満ちている。後者に至っては17歳の時にヒッチハイク旅行で訪れたベイルートで現地の人々に一晩泊めてもらった体験をせつせつと語り、曲と言うよりは完全にドラマである。その膨大な歌詞はもはやラップに近い。60歳を越えた大メジャーアーチストでありながら、今なおあからさまにアメリカやトニー・ブレアへの批判を展開する反骨精神に、70年代からのブレない個性を感じさせるが、『アニマルズ』(1977)以後、彼が歌詞をより重視する傾向になったのは、感情だけでは言葉を越えられない、という絶望をどこかで感じたのではないかとも思う。ロジャーのソロワークは魅力的なメロディの欠落を非難されることが多いが、自分の内部からにじみ出た歌詞にさまざまな楽器やSEを加え、編集し、独自の劇場世界をデザインするというのが、歌う思想家ロジャー・ウォーターズのたどり着いたスタイルなのだ。
 もっともこの2曲は彼の中でもかなりわかりやすいシンプルなメッセージソング。アルバムになると、その皮肉、批評性が何重にも折れ曲がり蓄積し、イメージの大伽藍へと広がってゆく。その完成型が『死滅遊戯』だ。『狂気』、『ザ・ウォール』に並ぶ傑作なのに、いいかげんなディレクターにブルース・リーもどきのアホな邦題をつけられているのが悲しい。現題は「Amused To Death」である。

ピンク・フロイド」の名前を背負ったとたん、それは巨大な産業となって多くのスタッフ、アーチストがよってたかってフロイド風の装飾をまとわせてゆき、ふくらみすぎた共同幻想によって身動きが取りづらくなる。『永遠』がツアーなしを最初から宣言、ギルモアの所有スタジオを中心に極めて個人的に制作されたのは、そんな理由もあるだろう。
 また、早々にピンク・フロイドの衣を脱ぎ捨てたおかげで、アルバムの売上ではギルモアたちに大きく水を開けられてしまったロジャーだが、21世紀に入るやソロコンサートツアーを再開、『狂気』や『ザ・ウォール』の全曲再現ツアーを成功させ、今ではすっかりレディ・ガガボン・ジョヴィに並ぶ「世界で最も売れているライブアーティスト」となった。
 70代になったロジャーが発表する次の新作アルバムこそ、『永遠<TOWA>』に欠落していた「言葉」を埋めてくれるものになるにちがいない。それまで、ピンク・フロイド最終章はおあずけだ、と思っている。