星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

25年目の抵抗歌〜ロジャー・ウォーターズ『イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィ・リアリー・ウォント?』



『イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィ・リアリー・ウォント?』ジャケット


 ピンク・フロイドの“Creative Genuis(創造的頭脳)”こと、ロジャー・ウォーターズが『死滅遊戯』(1992)以来となる新作のロックアルバムに取りかかっている……という情報は、今世紀の初めからそれこそ宮崎駿引退宣言」なみにくり返されてきたものなので、年季の入ったプログレ者ならそうやすやすと浮き足立ったりはしない。
 が、2016年に入ってきた情報では、レディオヘッドのプロデューサーであるナイジェル・ゴッドリッチ指揮の下、レコーディングが大詰めを迎えているというではないか。いやいや完全主義者ロジャーのこと、ゴッドリッチと衝突してプロジェクトが破綻に終わることも充分考えられるし……と、狼少年を警戒する村人のごとく冷静なフリをしてきたが、無事この6月にアルバム発売へとたどり着いてくれました。待ってたよ、ロジャー! 2005年のLive8におけるフロイドメンバー再結集以来の嬉しいニュースだ。奇しくも今年はピンク・フロイドのデビュー50周年にあたる。

 新作のタイトルは『イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィ・リアリー・ウォント?』って長いな! 25年前の『Amused To Death』に『死滅遊戯』とアホな邦題をつけてしまった反省かしらんが、原題そのままカタカナってのはどうなんだろう。「これが私たちの本当に望んだ人生ですか?」と直訳でもよかったような。まぁ、『人生儘不成(人生ままならず)』などとつけられなくてヨカッタと思うほかない。
 ちなみに一昨年、デヴィッド・ギルモアが出した9年ぶりのソロアルバム『Rattle That Lock(ガタついた錠)』の邦題は『飛翔』。ジャケットで鳥の群が鳥籠から飛び出しているからだろうが、『鬱』だの『対』だの『驚異』だの『永遠<TOWA>』だのと続いた「ピンク・フロイド=漢字邦題」の公式に則してみました感満載。売上に影響あったのかねぇ?

 ギルモアの『飛翔』が、Blu-rayに写真集にギターピックなどオマケがたくさんついた豪華BOX仕様だったので、コンセプト重視派のロジャー新作は一体どのような仕様で発売されるのかと恐れていた(主に価格面で)わけだが、シンプルな紙ジャケット製のCD一枚きりだったので驚いた。さすがはロジャー、今やダウンロードで音楽を聴くのが基本の時代、パッケージに厚化粧させるよりは少しでも価格を下げて音楽そのものを普及させたいと考えたのだろう。
 そのジャケットは墨塗りのラインの隙間に「is this the life we really want?」と原題がのぞいている。政府やメディアにおいて検閲や自主規制が強化されつつある現代の諷刺である。歌詞を掲載したブックレットもすべて墨塗りスタイルで統一され、その隙間に政治家たちや難民、自由の女神と戦闘機、ガスマスクをつけた人々の群れなどが映し出される。アートワークの中心人物は映画『ロジャー・ウォーターズ/ザ・ウォール』(2014)を監督したショーン・エヴァンズ。リマスター版の『死滅遊戯』のデザインワークもこの人。『ロジャー・ウォーターズ/ザ・ウォール』のミックス・ダビングを行う際に、ナイジェル・ゴッドリッチに監修を頼んだらどうか、とロジャーに提案したのもショーン・エヴァンズだったそうで、やはり大事は人の縁。ロジャーもいいヴィジュアル・クリエイターを仲間にしたものだ。


『イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィ・リアリー・ウォント?』のブックレット

 で、公開となった6月2日にさっそくwebで全編を試聴、その5日後には日本版CDで歌詞対訳をチェックしながらじっくり聴き込んだ。結論から言うと、全体的な印象は地味でおとなしく、曲に革新性や娯楽性を期待すると裏切られる。しかし描かれる批判精神はきわめてラディカル、少しも丸くなっていない。楽器のアコースティックな音色とSEコラージュの立体感は三聴、四聴するたびに、曲の内包する世界観の大きさ、危機意識の深刻さが入道雲のように立ち上ってくるのを感じる。
 ネットの時代になり、芸術家が「作品を通じて社会に発言したい」などと口にするとバカにされる風潮が強まったが、そんな世相にストレートパンチを食らわせる快作だ。

 今年に入ってから公表されたロジャーの発言などを手がかりに、それぞれの曲の感想をメモして見よう。

1.When We Were Young
 コチコチと鳴る時計の秒針ノイズとともに、心臓の鼓動音が盛り上がり、そこへ”When We Were Yong(私たちの若かったころ)……”と呟くロジャーの声がループする。同時に、自分自身の過去、怒り、不安についてのささやきが複雑にオーヴァーラップしてゆく。手法的には『狂気』のイントロである「スピーク・トゥ・ミー」を思い出すファンも多いだろう。そういえばソロ1作目『ヒッチハイクの賛否両論』も出だしは時計の音だった。
 ロジャー・ウォーターズは1943年生まれ、ビートルズジョージ・ハリソンローリング・ストーンズミック・ジャガーと同い年。物心ついたころには第二次世界大戦が終わり、あらゆる可能性が広がったような開放感(日本風にいえば戦後民主主義)を吸収しながら成長した世代である。このアルバムは、60年代に青春時代を送り、70年代の文化を牽引したポップ・スターが、老境を迎えた今、「不安」によって自閉してゆく21世紀の状況を慨嘆する、というコンセプトで統一されており、全曲が切れ目なくつながってゆく。

2.Deja vu
 ロジャーによると、今回のプロジェクトの出発点となった一曲だそうで、アルバムの仮題も、歌詞の一節である「If I had been God(もし自分が神だったら)」だったそうだ。
 素朴なアコースティックギターの弾き語りで始まり、曲の進展と共にピアノ、ストリングス、コーラス、そして爆撃のSEが加わり、機械化された兵器によって惨状が繰り返される現代の戦争への怒りを訴える。
 歌詞は「もし自分が神だったら」の言葉から、老化をはねのけたいとか、子供たちを幸せにしたいとかのプライベートな願望を語りつつ、突然「もし自分が無人航空機(ドローン)だったら」にイメージが飛び、無関係な人々の生活を破壊したくないとの叫びに至る。世界的な極右主義の台頭に、戦前の時代への「デジャ・ヴ(既視感)」を感じるという意味にも思われる。

3.The Last Refugee
 ロジャーは新アルバム製作に至る原動力となったイメージのひとつとして、2015年に報道された、トルコの浜辺にシリア難民の3歳児が溺死体となって打ち上げられた写真を挙げている。紛争を逃れてヨーロッパに向かう難民が安全に移動できるルートを設けられていなかったゆえの悲劇。ロジャーはピアノとドラムによるシンプルなリズムコードに乗せて、難民の一人の視点になりきり、その哀しみを切々と歌い上げる。
 ショーン・エヴァンズによる、難民の一人と思われるダンサーの女性がゆっくりと舞い踊るPV映像がYou Tubeで公開されている。聴くものを癒すたおやかなメロディに乗せて、その難民の背景にあるもの、彼らの境遇、家を追われることとなった紛争などについて、より想像力を働かせるべきだという主題が、彼女の踊りからにじみだす。

4.Picture That
 シンプルな2音の繰り返しリズムに乗せて、「Picture(想像してごらん)」と呼びかけるロジャー版「イマジン」。それは、メキシコ国境の街ラレードや、紛争続く北アフリカの旧市街、原爆を落とされた日本、アフガニスタンの地雷で足を失った人々。想像すべき対象は、法とは無縁の裁判所、娼婦がいなくなった売春宿、下水設備のない公衆トイレ、そして頭の空っぽのリーダーへと広がり、貪欲であることが美徳と考えるあさましき連中や、中東の映像をネヴァダで見ながら命令を出す軍人たちの非人間性を攻撃する。『アニマルズ』の「シープ」を思い出すハードな曲で、前半部のクライマックスとなる。
 ラストの歌詞「どれだけ求めても貪欲過ぎるなんてことはない」とはドナルド・トランプ大統領の言葉から引用したそうだが、こうした非人間的なシステムの頂点にいる人物として彼を指しているのは間違いない。
 ロジャーはソニア・ケネベック監督『ドローン戦争の真実』(2016)を見て、無人航空機(ドローン)が中東で攻撃する様子をアメリカ本国からチェックできるシステムが存在し、誤射による死者が多数発生していることに衝撃を受けた。戦争の恐怖がさらなる次元に進んでいる今、災禍をめぐる情報にはさらなる想像力を駆使することが必要だと、前曲に続いて訴えている。

5.Broken Bones
 犬の遠吠えから始まり、生ギターをバックにロジャーが歌い始めるとドラムやストリングスが暖かく彩る。『おせっかい』のころのフォーキーなナンバーを彷彿とさせる部分もあるが、歌詞はやはり重苦しい。“Broken Bones”とはバラバラになった戦没者の遺骨を指し、第二次大戦終了時の二度と戦争の悲劇をくり返すまい、という純粋な反戦への祈りがその後の資本主義の発展によっていつしか縮小し、人類が未だに紛争解決の手段を持たないことを嘆く。

6.Is This The Life We Really Want?
 冒頭に聞こえるのは、今年1月の会見でCNN記者に向かって怒声をあげるドナルド・トランプの声。それが断ち切られ、不穏なリズムが積み重ねられる中、煽られる「不安」によって自閉し、一向に戦争状況から卒業できそうにない現代人に向かって「俺たちは本当にこんな生き方を望んでいたのか?」と訴える。ラップ調の辛辣な詞を呪文のようにつぶやき続けるロジャー。うねるようなボーカルにストリングスやドラムが加わってじょじょにスケール感を増してゆく展開が素晴らしく、何度でも聴き返したくなる。
 ロジャーがこの歌詞を綴ったのは2008年のオバマ大統領誕生直前のころだったという。ブッシュ政権の終了時の総括のつもりで書かれたようだが、皮肉なことにオバマ政権が終わり、トランプ政権が誕生することでよりリアリティを獲得してしまった。

7.Bird In A Gale
 激しくドアを叩くSEから複雑な音響コラージュとシンセサイザーの多重音響で光明なき現代を表現する。そこへつんざくロジャーの叫び声。『狂気』の「走り回って」に通じる味わい。「風に煽られる鳥」のイメージが、恋愛の終わりから来る喪失感から海に飲まれる難民の少年などへと複雑にオーヴァーラップしてゆく歌詞の構成は難解だが、その緊張感の高まりはまさしくロジャー・ウォーターズ劇場。ラストの「君の部屋で眠ってもいいかい その物語に僕の出る幕はあるのかい」という歌詞は、人々が積極的に関係性を持つことこそ希望だと訴えているのだろう。

8.The Most Beautiful Girl
 空爆によって殺された少女への追悼イメージを歌った静謐な曲。戦争によって子供が犠牲になることについての抗議歌だが、「トゥ・キル・ザ・チャイルド」(2003)のような直裁さはなく、より抽象的になっている。このアルバムは基本、ギター、ピアノ、ストリングスと生の楽器の音を最大限に生かしつつ、シンセサイザーの効果と現実音のコラージュで彩ってゆくという、シンプルな楽器構成でまとめられているのだが、思えば70年代のピンク・フロイド音楽も、演奏自体はシンプルで音数も少なく、そこに様々なエフェクトを足して構成を練りこんでゆくスタイルだった。今回のアルバムは、ナイジェル・ゴッドリッチなりの当時のフロイド音楽へのオマージュなのかもしれない。

9.Smell The Roses
 冒頭は『炎』の「葉巻はいかが」っぽいリフで始まるが、中盤からSEのコラージュが展開し、犬の鳴き声が象徴的に響き渡るのは『アニマルズ』の「ドッグ」っぽい。この5月から始まった「US+THEM」ツアーでも演奏され、その際には背景のスクリーンに『アニマルズ』のジャケット用に撮影した、バターシー発電所上空を飛ぶブタの風船の映像が映し出される。新アルバムが『アニマルズ』の発展系にして現在進行形だということを如実に示している。
 歌詞は、排外主義かつ金満主義で、慎重になるよりも「敵・味方」の判別を優先してはすぐ攻撃的な思考をする人々のグロテスクさを皮肉る内容で、『狂気』の「マネー」を思い出す。露悪的な歌だがあまりのノリの良さで思わず苦笑いという、皮肉屋ロジャーらしいユーモア感たっぷり。

10.Wait For Her
11.Oceans Apart
12.Part Of Me Died
 ここは3つのチャプターに分かれているが、実質は同じメロディで統一されており、合計10分弱の組曲となっている。ピアノとギターの調べに乗って、10のパートでは「彼女」を待ち続ける男性の切ない恋心が綴られる。ここは、『壁に書く』で知られるパレスチナ詩人マフムード・ダルウィーシュの詩にインスパイアされているそうで、壁の向こうにいるアラブ人女性に恋したユダヤ人男性がモチーフとなっている。
 12に入ると、世界中で絶えることない悲劇から目をそらし、テレビとゲームにばかり熱中している「無関心な大衆」への糾弾が歌われる。つまり、25年前の『死滅遊戯』で訴えたテーマが未だ継続中であることを示しているわけだ。ところが、いよいよクライマックス……と思われたところでアルバムは断ち切られるように終わってしまう。聴き終えたリスナーに「次の行動」を考えさせる余韻なき余韻。かすかに聞こえるのは”When We Were Yong……”の声。一曲目に戻ってゆく、というのは『ザ・ウォール』を意識した処理だろう。 

The Last Refugee”プロモーションビデオ

 前作から25年も間が空いてしまった理由だが、これは単純にモチーフをまとめきれなかったのだと思う。
 コンセプト・アルバム馬鹿一代、ロジャー・ウォーターズはただ出来上がった曲を並べてアルバムを作る、ということができない。必ず必然性のあるコンセプトと背骨を貫く展開案を必要とする。
 1992年のソロ3作目『死滅遊戯』は、情報メディアに踊らされているうちに滅亡に向かう人類を宇宙的視点から幻視する内容で、さすがにこんな作品のあとではどのようなコンセプトを立てたところで物足りなさを感じることは必定、その上、『死滅遊戯』の売上は100万枚に満たず、ツアーに出ることも断念せねばならなかった。ロジャーはいったんロック・ミュージックの現場から撤退し、クラシック・オペラ『サ・イラ~希望あれ』(2005)の作曲に没頭して90年代を過ごす。
 1999年にライブ・パフォーマーとして復活したロジャーは、「イーチ・スモール・キャンドル」や「フリッカーリング・フレイム」といった新曲をライブで披露し、いずれも「次のアルバムの核となる曲」と語っていたが、その後の展開はなかった。ある時期には「レバノン出身のタクシー運転手がニューヨークの街を走りながら考える」というアルバムの構想を語ったこともあったが、やはり続報はなかった。「完全主義」ゆえに慎重になりすぎ、素材をいじり回しているうちに、完成できなくなってしまう。巨匠が陥りやすい病に、ロジャーもはまり込んでいたのだろう。
 2013年にも新たなデモ・テープの完成を報告しているが、その内容は「ある老人と子供が『なぜ子供が殺されるのか』そのわけを探ってゆく」というもので、歌あり芝居ありのラジオ劇のような構想だったという。おそらく2003年の新曲「リービング・ベイルート」のようなものだったのだろう。「リービング・ベイルート」は、ロジャーが17歳の時にヒッチハイク旅行で訪れたベイルートで、現地の人々に一晩泊めてもらった体験をせつせつと16分もかけて語るもので、曲と言うよりは完全にラジオドラマだった。ライブでは10分前後にまとめられていたものの、いかんせん起伏に乏しく、英語圏以外のリスナーにはついてゆくのが難しい。
 実際、このデモ・テープをナイジェル・ゴッドリッチに聞かせての反応は、こんな風だったそうだ。

「ナイジェルにデモ・テープを聴かせたら、『すごくいいですね』と言ってくれた。ありがとう、と返すと『でもこれ、レコードにはならないですよね? ラジオ劇ですよね?』と言うから『うーん、レコードにもできると思うんだがね』と答えると、『じゃ、やってみますか』と。そんなわけでいっしょに作ることになった。スタジオ初日にその長いデモ・テープを持って行ったら彼は『ここ(先の方少し)とここ(終わりの方少し)を使いましょう』と言うんだな。『えっ、残りは?』と訊くと『それは忘れましょう』と(笑)。それが始まりだった。

4/26のNYタイムズ主催のトークショーより

 決定権を他人に譲らないことで名高いロジャー・ウォーターズにラジオ劇構想を捨てさせただけでも、ナイジェル・ゴッドリッチというのはたいしたプロデューサーだと思う。さすがはトム・ヨークやベック、R.E.M、さらにはポール・マッカートニーシャルロット・ゲンズブールら曲者アーチストと渡り合ってきた男。直言居士のため、担当アーチストとの関係が崩れることもたびたびというナイジェルを信頼し、ロジャーは今回のレコーディングではほとんど口を出さなかったという。これも賢明な判断だった。
 これまでのロジャーのソロでは、エリック・クラプトンジェフ・ベックデヴィッド・ギルモアの代役を務める側面があったが、今回はそのような「ギルモアもどき」のギターや、「リック・ライトもどき」のキーボードが目立つことはない。そうした様式を排しているにもかかわらず、細部には『アニマルズ』や『ザ・ウォール』など往年のフロイド曲を彷彿とさせる要素に満ちている。これこそアーチストの個性。ナイジェル・ゴッドリッチは楽器の音とロジャーの声をバランスよく配置しつつ、内容の「トゲ」にあたる部分が丸くならないよう、しっかりヤスリをかけてもいる。参加ミュージシャンもR.E.M.やベックのバンドで活躍する面々が集められ、音もクリアでヌケがいい。
 デヴィッド・ギルモアのソロ作『オン・アン・アイランド』(2006)や『飛翔』(2015)と聴き比べても面白いと思う。こちらは、ギターを愛してやまない熟達のミュージシャンが、聴衆をいかに気持ちよくさせられるか、音楽の楽しさを追求するエンターテインメント世界。夫人であるポリー・サムソンの歌詞は人生の一風景をスナップ的に切り取ったものが多く、内省的な情景を時に鳴きのギターで、時にジャズ風にと、音色豊かに味付けする。フロイド音楽の特徴だったエコーをたっぷり効かせた独特の浮遊感は、今もギルモアのソロに受け継がれている。
 が、ロジャーの音楽にそうした「心地よさ」はない。あるのは世界の現状についての、真摯な怒りと嘆きである。中東の紛争に、難民危機、世界に蔓延するテロ、人種差別、経済格差、それらがこじれた結果生じた、イギリスのEU離脱アメリカでのトランプ政権誕生。ロジャーがプロデュースを他人任せにしてでもアルバムの完成を急いだのは、不穏化する世界に対し、「俺は認めない」という意思を急ぎ表明するためだろう。さながら、隠遁していた老兵が街の惨状を見かね、ふたたび戦闘準備を整えて戻ってきたような感じ。

 ロジャーは新作のリリースと同時に、レコーディングメンバーも交えた新しいバンドで「US+THEM」ツアーを開始し、堂々の「反・トランプ」メッセージをアピールしている。もちろん、アメリカは国民の半分がトランプ政権を支持している国なので、ロジャーのFaceBookや公式You Tubeのコメント欄には、その政治意見に反発する人々からの抗議や批判がかなりの量寄せられている。もちろんロジャーはそんな声ではひるまない。だからと言って、ロジャー・ウォーターズを古いタイプの頑迷なサヨク、と片付けてしまうのは早計だ。彼はアルベール・カミュがかつて命名した「反抗的人間」なのだ。世界や人生に出現する不条理に対し、抵抗(レジスタンス)する行為こそ「人間の尊厳」につながる、という思想。カミュは暴力革命や強制収容所も「人間の尊厳を踏みにじる行為」と全否定したため、サルトルら革命肯定派から手酷く批判された。
 カミュの『反抗的人間(Homme révolté)』は、正確な訳では「むかつきを覚える人間」となるらしい。反抗すべき「敵」がいて、単純にそれを倒す、というよりも、「どうしても許容しがたい、気分が悪くてムカムカする」という状況を前に、なんとか決断を下そうとする人間。ロジャーの新作を貫くのは、トランプ政権を含めた世界状況への「むかつき、腹立ち」を素朴に表明するヒューマニストの生きた感情だ。
 70代になって、万人に愛されるミュージシャンよりも、世界の不条理に「否(ノン)」を唱えるアーチストの道を進んだロジャー。この新作を「白鳥の歌」とするには、まだまだ早い。

 ところで「US+THEM」ツアーは来年、ニュージーランドを皮切りにアジア・ヨーロッパをめぐるワールドツアーを予定しているらしい。ぜひ16年ぶりの来日公演を実現させ、政治を私物化して恥じない首相が君臨する今の日本に、その音楽を轟かせて欲しいものだ。

2016年10月メキシコシティ公演より〜『ピッグ』でトランプを攻撃するロジャー