星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

脚本家・水木洋子邸に行ってきた

 2003年に亡くなった脚本家・水木洋子の旧宅が、千葉県市川市に寄贈され、今では定期的に一般公開されているというニュースを聞いたのは、もう10年以上前のこと。
 一度訪問してみたいと思いつつ、なかなかチャンスを掴めずにいたのだが、先週の日曜日、ふいと時間が空いたので、じっくりと見学させてもらってきた。
 思えばこのブログの最初の記事は江戸川乱歩邸訪問記でありました。お宅訪問第2弾、ゆるゆると始めさせていただきます。


水木洋子1910〜2003) ※水木邸所蔵

 水木洋子、と言ってもその名前を知っているのは今や旧作邦画ファンか脚本家マニアぐらいだろう。
 が、この人はすごい人ですよ。代表作を挙げれば、成瀬巳喜男監督『浮雲『おかあさん』『山の音』あにいもうと今井正監督『また逢う日までひめゆりの塔にごりえ『キクとイサム』市川崑監督『おとうと』堀川弘通監督『裸の大将』吉村公三郎監督『婚期』小林正樹監督『怪談』などなど戦後日本映画を代表する傑作の数々がズラリと並ぶ。さらに大河ドラマ竜馬がゆく『女人平家』オペラ『ちゃんちき』など、テレビドラマや舞台の世界でも活躍した、まぎれもなく戦後を代表する脚本家の一人。
 私にしてみれば、しげる、一郎と並んで「日本三大水木」の一人に数えられる人物である。


住宅街に現れる案内板

 総武線本八幡駅の北口を出て、徒歩15分。iPhoneの地図をのぞきながらポクポク歩けば、案内板が丁寧に道順を誘導してくれる。方向音痴な私もひと安心。
 この辺り、かつては畑が広がる田園風景だったそうだが、今では瀟洒な住宅がみっしりと並ぶ住宅地となっている。


水木邸の玄関

 やがて見えてきたのは緑豊かな広い庭に囲まれた日本家屋だった。
 とは言っても、政治家やヤクザの邸宅のような厳しさはなく、どこか柔らかい雰囲気が、門の前から漂っているのが特徴だ。
 水木洋子がこの市川市八幡に引っ越してきたのは1947年昭和22年。知人の離れだった小さな家に住まわせてもらっていたが、やがてその家を買い取り、周辺の畑も購入して家の増築を繰り返し、現在の姿に完成させた。土地の広さは約249坪、そのうち建物は約31坪を占めている。当時は門前には松並木が広がり、訪問者が「鎌倉のようだ」と感嘆したという。
 なお、水木は戦前に東宝の助監督・谷口千吉と結婚しているがすぐに離婚しており、この家には17歳年上の母親と二人暮らしだった。

 門をくぐって玄関に向かう。
 私の母親の実家も、このように門から玄関まで距離があり、広い庭を持った平家の日本家屋だった。こういう家は田舎では決して珍しくなかったもので、少し懐かしい。飛び石を踏みしめながら進むと右に蹲(ツクバイ)が見え、かつては水が流れてここで手を洗えたのだろう。高い大王松百日紅の木が門を囲むように立っている。

玄関前に見える蹲

 いよいよ玄関に入る。なんと入場無料。くり返しますが、入場無料です。
 現在、水木邸では「水木洋子市民サポーターの会」のみなさんがボランティアの案内役を務めてくれる。この日は三人の女性と一人の男性がスタッフを務めていた。
「ようこそおいでくださいました」とダイニングルームに案内され、希望すれば設置されたモニターで映像資料を見せてもらうことができる。水木洋子の略歴と、この家の保存・公開に至る道のりを15分程度にまとめた内容だ。2バージョンあったが、私は時間に余裕があったので2本とも見せてもらった。
 市川市水木洋子イベントに登場した中原ひとみ(『純愛物語』主演)や高橋エミ(『キクとイサム』主演)のコメントも収録され、数寄屋造りの和風建築である水木邸の見所が簡潔にまとめられている。


ダイニング・キッチン(モニターで映像を見ることができる)

 さてモニターの置かれたダイニング・キッチンだが、ハッチの上部に取り付けられた食器棚の、波打ったすりガラスが洒落ている。さらに、グラスや茶器がしまわれた食器棚も特注なのか、扇型でぴったり壁にはりついている。

扇型の食器棚

 廊下をのぞけば、水木が着た洋服と揃いの帽子を着せたトルソが立っている。紫の洋服はルリ落合、帽子は平田暁夫のデザイン。
「ずいぶん小柄だったんですね」
 とスタッフの女性に訊くと、うなずきながら答えてくれた。
「水木は女学校時代の記録では身長153センチとなっていましたが、晩年に入居した老人ホームで測った身長は147センチだったそうです。縮んだんでしょうね」
 まさかそんな詳細な情報を聞かされるとは思わなかったので質問したこちらもびっくりだ。

水木愛用の洋服と帽子

 そして中心部に当たる和室と庭に面した広縁に足を進める。
 八畳間の和室には、水木脚本『にっぽんのお婆ぁちゃん』(監督 今井正で主演したミヤコ蝶々から送られた博多人形が飾られている。その背後にあるのは、源氏物語絵巻の古い扇面を張り合わせた屏風。

ミヤコ蝶々から贈られた博多人形

 飾り棚の奥には巨大な電気蓄音機が並ぶ。昭和29年ごろ、群馬交響楽団をテーマにした映画『ここに泉あり』(監督 今井正の脚本に取りかかった水木が、クラシック音楽の勉強をするために、特注で作らせたものだとか。なんと現在も利用可能で、水木収集のレコードをこの蓄音機を使って鑑賞するイベントが行われることもあるという。最近ではトスカニーニ指揮のベートーヴェンを聴いたそうだ。


特注品のラジオ付き電気蓄音機

 和室の奥には庭に面した広縁がある。およそ十畳もの広さを持ち、来客とともに庭を一望できる素敵空間だ。来客はここで庭を眺めながら談笑したのだろう。


庭に面した広縁

 ここに並ぶ4脚の椅子。座れば今もゆったりと身が沈み、気を緩めればたちまち眠りに落ちてしまいそうなほど心地よいが、これは北欧家具デザイナーの巨匠、ハンス・ウェグナーによるものだ。


ハンス・ウェグナーの椅子

 そしていよいよ書斎に入る。
 現在の書斎は、いちばん最後に増築された部分にあたり、母屋から少し斜めに飛び出した形で設計されている。これは、庭から屋敷を見た時に、建物全体を広くどっしりと見せるための工夫らしい。


庭から見た母屋(右の飛び出した部分が書斎)

 書斎は庭に面した八畳間、中央に掘り炬燵があり、水木洋子はその上の天板で執筆活動を行なっていた。現状を見ると、天板の上の原稿用紙はシナリオ作家協会製のペラ200字詰、鉛筆は市川市商店会のロゴ入りなので、家具にこだわりを見せる水木も、筆記用具については「弘法、筆を選ばず」だったらしい。
 もっとも、彼女のエッセイにはシナリオ執筆には万年筆を使用し、7本も所有しているとあるのだが、修復調査の過程で万年筆を発見することはできなかったそうだ。母親を亡くした83年以降、水木はほとんど執筆しなくなっているので、その間に失われてしまったのだろう。


水木洋子の書斎

 そして書斎の壁にある大きな書棚に目が吸い寄せられる。市民サポーターの女性曰く、
「現在は駐車場になっているスペースに物置がありましてね、蔵書の大半はそこにしまわれていたんです。そちらは市川市文学ミュージアムに寄付されましたが、この書斎に残っているものは、水木が手元に置いておきたかった本ばかりだと思うんですね」
 なるほど、それはチェックに身が入るというもの。

水木洋子所蔵の着物と本棚

 まずは全巻揃った百科事典や世界文化史大系が目を引く。wikiのない時代はこうした全集が作家の教養を維持するための必需品であった。
 さらに劇作家出身らしく、鶴屋南北赤穂義士など江戸時代の古典劇や狂言の台本全集。和綴じの『原本 五輪書』なんてものまである。そして戦前に出た谷崎純一郎訳『源氏物語』の揃い。『世界美術全集』や『原色日本の美術』、『日本絵巻大成』も揃っている。時代劇を書く際のイメージ源としたのだろうか。水木は内田吐夢監督写楽の構想を練っていたことがあり、取材も進めていたという。『写楽』といえば、川島雄三の遺志を継いだフランキー堺による映画化(監督 篠田正浩)があったが、内田・水木コンビの『写楽』もぜひ観たかったものだ。
 そして、同じく市川市に在住した永井荷風の全集、トルストイからノーマン・メイラーまで網羅した新潮社の『現代世界文学大系』、『現代世界戯曲選集』の揃い。その並びに混じって『ファーブル昆虫記』の揃いがあるのは、ちょっと嬉しい。

庭の側から見た書斎(奥にベッドが見える)

 書斎の奥には作り付けのベッドがあり、そちらにも書棚が設けられているのだが、うって変わって娯楽小説のみが並べられている。
 東京創元社世界大ロマン全集を中心に、H・R・ハガード『二人の女王』、ジョンストン・マッカレー『怪傑ゾロ』、アンソニー・ホープゼンダ城の虜』、ダシール・ハメット『ガラスの鍵』、ウィリアム・アイリッシュ『黒いカーテン』、アレクサンドル・ベリャーエフ『ドウエル教授の首』……。寝る前の楽しみとして愛読したのか、エンターテインメントの文法の参考とするため揃えておいたのか。いずれにせよ、ハメットやアイリッシュを愛読する水木洋子というイメージもなかなか新鮮である。

娯楽小説が並ぶベッドの書棚


 書斎の窓から、大きな犬小屋が見えた。水木は愛犬家で、この家では常に犬を飼っており、多い時には5匹いたという。ハウスが巨大なのはその名残だろうか。たくさんの愛犬たちのうち、名前が判明しているのは「熊太郎」ただ一匹。洋風の名前をつける趣味はなかったようだ。


犬小屋

 庭に出る。松、栗、洋梨木瓜、金柑、柿など60種を越える木々・草花に囲まれた広い庭だ。季節によって様々な景色を見せてくれるだろう。
 ぼんやりしていると、見学の家族たちが入ってきた。小学生低学年ぐらいの子供たちが「うわーっ、広い」と庭を駆け回り始める。そしてキッチンに並べられた、御櫃や岡持ち、炭十能に鰹節削り機などの昭和の家庭用品を珍しそうに見ている。今では見学者の大半は水木洋子の名前などまったく知らず、なんとなく見かけたので……と入ってくる人ばかりだという。
「水木さんも庭の実を使って果実酒を作っておられたようでしてね」市民サポーターの男性が言う。「われわれも木瓜の実を刻んでお酒を作ったり、柿や洋梨を配ったりしているんです。水木さんの誕生日、8月25日ごろになると、この洋梨の木ががきれいな花を咲かせるんです。だからわれわれは水木さんの忌日を洋梨忌』と呼んでるんですけどね」


水木邸の庭に立つ洋梨の樹

 水木洋子は70年代に入る頃から執筆数が減ってゆくが、これは認知症を患った母親の介護が生活にのしかかったためという。財力から察するに施設に預けることもできたろうに、離れて暮らすことなど考えられなかったのだろう。しかし1983年に母親を看取るや、今度は自分自身に認知症の症状が表れることとなり、執筆活動を再開することは叶わなかった。最晩年の水木はもっぱらダイニングキッチンの間で起居していたらしく、老人の一人暮らしにはこの家はやはり広すぎたものと思われる。

 市民サポーターのみなさんにお礼を言って退去する。
 駅まで歩くと、なにか水木洋子脚本の映画を観たい、という気持ちが高まってきた。
 調べるとちょうど今、神保町シアターで特集「『母』という名の女たち」が開催中である。未見だった水木洋子脚本、渋谷実監督『もず』が上映されているので、観に行くことにした。


渋谷実監督『もず』1961 娘(有馬稲子)の黒いブラジャーに目ざとく気がつく母(淡島千景

『もず』は、水木洋子が書いたテレビドラマを映画化した作品であり、その後は舞台にもなっている。

 新橋の小料理屋で住込み女中をしている主人公・すが子のもとに、松山から娘・さち子が会いにくる。終戦直後以来、十数年ぶりに再会した母娘が共同生活を始めるが、性格はまったく合わず、お互いを思いやる気持ちはあるのにすれ違って大ゲンカばかりしてしまう。映画版の主演は淡島千景。実年齢よりひと回り上の役柄ながら、どこかしどけない立ち姿で水商売を長く続けてきた女性を見事に体現。田舎者のネクラ娘かと思いきやじつは計算高い現代娘を演じる有馬稲子もいい。
 もっとも感心させられるのはダイアローグの妙で、女中仲間の桜むつ子乙羽信子が集まったところでのガールズトークの呼吸、人間が瞬間見せる計算や打算、ケチ臭さを連続する会話の流れと細やかな仕草で表現する術の巧みさには改めて舌を巻く。
 母娘が壮絶にやりあい、もうこの二人は絶縁してしまうのかなぁ、と思いきや次の場面ではまた普段通りの二人の生活が描かれているのがリアルで、ちょっと恐ろしい。そしてまたしょうもないことで対立が始まり、大ゲンカに発展する無限ループ。二人は決してお互いを憎んでいるわけではないのに、根底に嫉妬と失望が入り混じった複雑な感情があり、些細なことが起爆剤となって諍いに発展する。
 とはいえ、こうした複雑さが描かれるのは女性のみで、『もず』に登場する男たちは、すが子の愛人である社長永井智雄にしろ、さち子の幼馴染で求婚に現れる青年川津祐介にしろ、単純でつまらない奴らばかり(川津の玉砕ぶりには同情させられたが)。この不公平感も面白い。

 思えば水木作品は『浮雲』のような恋愛劇にしろ『キクとイサム』のような社会派にしろ、『婚期』のようなホームコメディにしろ、女性の神経の細かさ、複雑さを描く描写が印象に残っている。創作面では常に男性中心で稼働してきた日本映画界の中で、いかに存在感ある女性を描き出すかに腐心し、向田邦子橋田壽賀子ら女性ドラマライターの先達となった水木洋子。生き生きとした女たちを生み出した家をのぞくことで、自分自身も戦後日本映画の一場面に迷い込んだような気分にひたることができたのだった。

 

●公式サイト 

www.city.ichikawa.lg.jp