公式サイト https://tezukaosamu.net/jp/mushi/entry/25467.html
新年早々、2度目の緊急事態宣言が発出されることになったものの、こちらの日常にはたいした変化は起こらない。いちおうテレワーク推奨で出社を控えろ、という指令が出てはいるものの、仕事の納品スケジュールに影響が出ないのだから、あちこち駆けずり回る日々はあいかわらずだ。さて、まもなく2年目に突入するコロナ禍はどうなるのか。
というわけで年明けから忙しいことになっているのだが、それでも豊島区のトキワ荘マンガミュージアムで開催されている、「トキワ荘のアニキ 寺田ヒロオ展」には期間終了ギリギリに駆けつけることができた。
トキワ荘マンガミュージアム全景
私は子供のころにNHKで放送された『わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝』を見て以来のトキワ荘ファン。昨年、豊島区にオープンしたばかりの「トキワ荘マンガミュージアム」のマニアックな再現ぶりは、同伴者がいたらうんちくが止まらなくなったことだろう。
赤塚不二夫と石森章太郎が行水したことで知られる共同炊事場
アパートの建物だけでなく、かの有名な「赤塚不二夫と石森章太郎が流行水した共同炊事場」や、寺田ヒロオ、水野英子、よこたとくお、そして石森章太郎の隣の部屋(アシスタント用に借りていた)が細かく再現され、椎名町の移り変わりや、漫画の描き方についての解説も丁寧に配置されている。
再現された寺田ヒロオの部屋(ちゃぶ台の上にはチューダーのセットが)
1階に降りると、資料室兼ミュージアム・ショップと展示室が並んでおり、こぢんまりした展示室で開かれているのが、おめあての「寺田ヒロオ展」。
壁には、寺田ヒロオの生原稿がたくさん貼り出され、ショーケースには当時の掲載誌が展示されている。寺田ヒロオは枠線とよほど大きなコマ以外、すべてをフリーハンドで描いていたらしく、スッキリしたタッチに漂う温かみはそのせいだったのかと再確認。
また、並べられた原稿や掲載誌が、まさに寺田ヒロオの作風と人柄を象徴する内容ばかりで、その的確な作品選択にスタッフの企画への熱の入りようを感じさせた。
寺田ヒロオ(1931〜1992)、と言ってもその名前は今、ほぼ忘れ去られている。マンガ好きにとっては、藤子不二雄Aの自伝マンガ『まんが道』に登場する、面倒見のいい先輩・テラさんとして記憶していることだろう。
『背番号0』や『スポーツマン金太郎』など、昭和30年代に心温まる児童漫画を描き続けた寺田ヒロオだが、トキワ荘の仲間たちが大メジャー作家へと飛躍していった昭和40年代、週刊化・過激化する漫画界になじめず、作品数を減らし続け、ついに絶筆へと至ってしまった伝説の漫画家。
藤子不二雄や赤塚不二夫、石森章太郎らは出発点が手塚治虫であり、変貌する漫画界に合わせて作風を広げてゆく意欲を持っていたのに対し、出発点が井上一雄の『バット君』だった寺田は、「明朗快活で道徳的な児童漫画」という枠から抜け出すことも、アシスタントを雇って作画作業のプロダクション化を行うこともできぬまま、窒息してしまったようだ。
漫画が進歩するたびに「表現の自由」をめぐる議論が絶えない。しかし、業界が表現の幅を獲得することで、逆に排除されてしまう才能もいた。
寺田ヒロオの『パパニイ』と晩年作『七子の世界』(ポストカード)
欲望充足を目的に描かれたマンガが氾濫する今、寺田ヒロオの良心的な作品群を読み返すと、その善良な世界に心が洗われる思いをするものの、やはり作品がよって立つ「良識」や「健全」の概念が、昭和30年代に閉じ込められたままなので、骨董品としての味わいしか感じられないのもつらいところだ。展示された作品の中に『パパニイ』という家庭漫画があり、これは父親が事故で生死不明になったため、たった一人の男手となった長男が、残された母親や姉妹たちを率いて家長を演ずるという内容らしいが、家父長制をなんの疑問もなく継続しようとするもので(形見らしきパイプを持ちパパ風に構えるのはカワイイが)、今の目で見るとかなりのズレを感じさせる。
「健全」や「良識」、そして「道徳」も、時代と共に変化する。しかし、寺田ヒロオは時代に合わせて作風を更新できない作家だった。
しかし晩年にあたる1982年ごろ、トキワ荘ブームや『「漫画少年」史』の編纂者として名前が浮上したからか、寺田ヒロオは雑誌連載で一コマ漫画を描いたことがあったらしく、それらの原稿も展示されていた。詩的なものから諷刺的なものまで、タッチも内容も決して衰えを感じさせるものではない。こうした作品をマイペースで描き続けられればよかったのに、と思ってしまう。
トキワ荘の青春 デジタルリマスター版(公式サイト) http://tokiwasou2020.com/
寺田ヒロオについては梶井純『トキワ荘の時代 寺田ヒロオのまんが道』(現在はちくま文庫)という評伝が描かれているが、この本を原案とする市川準監督の映画『トキワ荘の青春』(1996)が、今年の2月にデジタルリマスター版で再公開されるという。
本木雅弘が寺田ヒロオを演じた『トキワ荘の青春』、私は公開時に観ているが、寺田ヒロオの挫折を中心に、若手漫画家たちの過ぎ去りし青春を淡々と描く、静謐な「三丁目の夕日」とでもいうべき映画だったので落胆した。
「おいおい! なんでトキワ荘がこんなしみったれた純文学みたいな話になっちゃうの〜?」
私にとってトキワ荘の魅力とは、「はちきれんばかりの想像力を胸に秘めた、それでいて貧乏な連中がくり広げる、若衆宿のバカ騒ぎ」そのものだった。昭和30年前後という時代だからこそ成立した、才能集団がつむぐ幸福な時間。しかし市川準監督は、その中で「取り残されてゆく男」を内省的に描くことを選んだ。「寺田ヒロオ展」を見た後で25年ぶりに再見したらどう思うか、改めて観に行くつもりではいる。
そして帰り道には、『まんが道』でおなじみの中華食堂「松葉」(現存しているのだ!)でラーメンを食べるのであった。
「ンマーイ!」
『まんが道』でおなじみ「松葉」のラーメン
NHK『わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝』 (1981)取り壊し直前のトキワ荘が映っている