星虹堂通信

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安部公房によるニッポン無責任時代〜俳優座公演『巨人伝説』




公式サイト http://www.haiyuza.net/公演案内2014年/巨人伝説/
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 俳優座が54年ぶりに安部公房の『巨人伝説』を再演する、という話を聞いた時には「オッ」と思ったね。

 1960年初演の『巨人伝説』は、『どれい狩り』、『快速船』、『幽霊はここにいる』、『可愛い女』に続く安部公房5番目の長篇戯曲だが、初演以後、一度として再演されたことはなかったはずだ。
 いったいどんな酔狂な演出家が採り上げたのか……と思えば、演出担当は眞鍋卓嗣とあり、腑に落ちた。3年前の2011年3月、俳優座の稽古場公演で安部公房の最初の戯曲『制服』を上演した人物だ。その時も、俳優座安部公房作品を採り上げるのは1984年の『お前にも罪がある』再演以来27年ぶり、と話題になった。しかしながら、その公演は不運にも初日の2日前に東日本大震災が発生。苦渋の決断で初日の幕を開けたものの、その後も余震が収まらず、原発事故の深刻な状況があきらかになるに及んで、わずか2ステージこなしただけで打ち切りとなってしまったのだ。
 私はこの時の『制服』公演を初日に観劇できた数少ない観客だが、敗戦間近の朝鮮半島を舞台に、日本人巡査の謎の死をめぐるサスペンスドラマを、抽象的なオブジェが宙吊りになっただけのシンプルな空間で表現した力作だったことを覚えている。稽古場公演なので役者が少し若過ぎたのだが、ステージ数をこなしながら演技に余裕を持てるようになるとよいだろう……と思っていた矢先の打ち切り、たいへん気の毒に思った。

 そして3年後、眞鍋卓嗣がふたたび採り上げた安部公房作品が『巨人伝説』。『制服』と同じく、太平洋戦争末期という時代背景、主人公も同じ「巡査」である。よくよく安部公房が描く「戦争」に執着しているらしい。そして21世紀の現代に甦った『巨人伝説』は、かつてテキストを読んだ時の記憶を払拭し、今なお現代の日本と日本人の姿を射程にとらえているだけでなく、安部公房らしいギミックがじゅうぶんに楽しめる作品だったことを思い至らせてくれたのだ。
 この辺、ちょっと突っ込んで感想を書いてみたい。いわゆるネタバレってやつを気にする人はここから先は要注意だ。

『巨人伝説』は、現代(1960年)、北国の村に一人の老人が帰還する場面から始まる。さびれた簡易食堂の女主人に取り入ろうとするその老人・大貫は、戦時中は巡査として村に君臨し、終戦間近に起こったある事件で村を追われたのだった。そこから先は過去(1945年)と、現代の場面が往復して展開する。1945年のある夜、脱走兵が村に逃げ込む騒ぎが起こる。巡査・大貫は、村長・助役を呼びつけ「脱走兵など非国民だ。例えこの村の者であっても絶対に入れるな」と命令する。一方、15年後の1960年。脱走兵事件当時の村長が、ふたたび村長選に打って出ようと選挙運動を展開している。大貫は彼らとの繋がりを再開し、食堂の女主人をたらし込もうとするが、それには傷痍軍人である息子・敬一が邪魔だ。盲人であり片足が不自由な敬一は、大貫の企みを見抜き、忌み嫌う。やがてその対立は表面化し……。

 この物語、原型となるのは1957年の短編小説『夢の兵士』である(新潮文庫『無関係な死・時の崖』所収)。原稿用紙20枚程度の掌編で、雪の吹きすさぶ中、脱走兵の知らせで恐慌に陥った村の一夜が描かれる。その脱走兵とは、主人公である老巡査の息子であった。翌朝、脱走兵の鉄道自殺が村人の知るところとなり、巡査はひっそり村を去る。
 安部公房は、これを元に翌年には『兵士脱走』というラジオドラマの脚本を執筆。さらに、ほぼ同じ脚本をNHKに渡して、『日本の日蝕(演出・和田勉)というテレビドラマに仕立てている。「現代」の部分が登場するのはこのドラマ版からだが、それは冒頭と結末の部分だけ。昭和30年代(現代)のある日、すっかり老いさらばえた大貫が飲み屋で自衛隊員を見かけ、かつて行った脱走兵狩りの自慢を始めるが、ぽっくり死んでしまう。そこから彼が語りかけた「脱走兵狩り」の物語へと遡る、という構成だ。

『夢の兵士』から『日本の日蝕』まで一貫するモチーフは、「不在の兵士」。最終的に「巡査の息子」と正体があきらかになる脱走兵だが、具体的に登場することはない。あくまでも「村の調和」を乱す恐ろしい存在として雰囲気のみが描かれる。実際は助けを求める落伍兵に過ぎないのだが、「死を拒んだ兵隊は、死よりも危険だ」というわけで、そのイメージはぐんぐん巨大化し、村人を恐怖のどん底に陥れる。最終的に「不在の兵士」のイメージは、脱走兵そのものだけではなく、帰ることができなかった戦没兵士たち、十数年の時を経て風化しつつある「戦没者たちの記憶」へと拡大してゆく。
 小説『夢の兵士』と脚本『日本の日蝕』、そして戯曲『巨人伝説』を読み比べた時、最も完成度が高いのは『日本の日蝕』だと思った。不在の兵士におびえる村人の姿から、その抽象的な「田舎」がじつは日本国そのものであると転換する喚起力に優れ、老いさらばえて死んでゆく大貫老人の姿もまた、戦争の負の記憶の一部であることを伝えてあますところがない。なお、『日本の日蝕』はフィルムが現存しており、横浜の放送ライブラリーに収蔵されているので、観に行ける方は実際に視聴することをお薦めする。無料です。(詳細は拙記事『放送ライブラリー安部公房ドラマを楽しもう!』参照→ http://ch.nicovideo.jp/t_hotta/blomaga/ar543673

 一方、『巨人伝説』では「不在の兵士」という詩情あふれるイメージを捨て、脱走兵を舞台上に登場させてしまう。1945年の事件と1960年の現実を対比させ、やがて結びつけるために障碍者となった食堂の女主人の息子という人物まで付け加える。かつては公職追放の目に遭っていた村長がふたたび返り咲こうとしている状況は、A級戦犯に指定されながら今や総理大臣として権勢を振るい、日米安保条約改定に動く岸信介を意識したことはあきらかだ。
 こうした「現代的」であろうとした仕掛けがいささか強引でキャラクターも戯画的に過ぎ、かえって作品自体を1960年という時代に閉じ込めてしまった印象を、『巨人伝説』からは与えられた。『どれい狩り』や『幽霊はここにいる』とは異なり、その後二度と再演されることがなかったのも、あまりに1960年という時代を意識し過ぎた作劇が、読者に対し閉じた印象を与えるからだろう。

 しかし、いくら舞台表現であっても、例えば『ゴドーを待ちながら』のように、脱走兵を「不在の存在」として抽象性を維持することはできたと思うのだ。それなのに、安部公房は作品が古びる危険を冒し、モチーフに変奏を加えた。なぜだろう?

 考えられる理由はいくつかある。

 ドラマ『日本の日蝕』は芸術祭に出品され、奨励賞を受賞しているのだが、台本が『兵士脱走』の使い回しであることが問題視され、1959年10月、朝日新聞に「焼き直しの芸術祭作品 安部氏 放送劇からTV劇に」という記事が載った。「同じネタを何回使い回すんだよ、ズルイぞ!」というツッコミだね。
 安部公房は「作者としてテーマを大切にすれば、いろんな表現媒体を使ってくり返し練り直すことが望ましいと思う」とコメントしているが、これまでも複数のメディアを横断しながらアイディアを発酵させてゆくスタイルを採り続けてきた彼としては、些末なイチャモンだったろう。とはいえ、そんな批判で話題となった直後に、『日本の日蝕』とまったく同じ構成の舞台をかけるわけにもいかず、むりやりアレンジを加えたのかもしれない。

 また『日本の日蝕』放送後、演出の和田勉安部公房から「バ ンザ イ トテモヨカツタ」という祝電をもらったと書いている(『テレビ自叙伝』より)。実際、現存するフィルムで確認しても、『日本の日蝕』は伊藤雄之助の好演と和田勉の周到なスタジオ演出が光る傑作である。追い続けた「不在の兵士」のモチーフがテレビの世界で完成してしまったため、舞台版ではまた異なる方向にアイディアを発展させたい、と欲が出てしまったのかもしれない。

 もうひとつ、『どれい狩り』には珍獣ウエー、『快速船』には万能薬ピューが登場し、『幽霊はここにいる』では不在の「幽霊」が重要人物となり、『可愛い女』は日本独自の完全なミュージカル・コメディと、安部公房の長篇戯曲はそれまでなんらかの奇抜な発想もしくはスタイルの斬新性による「新しさ」で注目されてきた。それに比べると、地方を舞台にした『巨人伝説』は旧来の「新劇」そのもので一見地味だ。その点を気にしたのか、安部公房は『巨人伝説』のト書きで作中に紗幕を降ろして映像を映すことを指定している。当時まだそういった舞台作りは珍しかったらしく、初演で映像演出に起用されたのは、後に安部作品を次々と映画化する勅使河原宏映像表現と舞台表現のコラボレート、という今回の狙いをより効果的に見せるため、現代のパートをふくらませ、作品のスケールを大きくしたかったのかもしれない。

 などと下司のカングリを続けたが、やはり安部公房に「不在の兵士」モチーフを書き換えさせたのは、1960年当時の世相であり、新たに発見したアイディア、その後さらなる発展を続けるイメージの端緒を掴んだからだと思う。それが、「巨人を幻視する者」であり、「簡易食堂の女主人」という人物のイメージだ。
 主人公・大貫の性格には「ダイダラ法師」を幻視する者、という性格が付け加えられている。気の迷いを感じると、自分が巨大な「ダイダラ法師」になったイメージを幻視し、その巨大感、万能感に満足することで安定を取り戻す。「八紘一宇っつうのはこういう気分でねぇがな」というセリフも出てくるように、壮大な妄想に酔いしれることで目前の問題や責任の所在を忘却する、ファシズムの信奉者や戦中の昂揚する民衆意識を象徴した設定だ。その意識を持つ男の帰還は、ファシズムの復活を指すことはもちろんだが、一方で50年代末期から全学連を中心に大きく盛り上がった熱狂的な左派運動まで視野に入れているのではないかと思う。当時すでに共産党の活動から心が離れ、除名直前となっていた安部公房には、安保闘争が左派の敗北に終り、主義者たちがその後、迷走してゆくことも見えていたのだろう。選挙運動に勤しむ村長・助役たちに、都心からやってきたセールスマンが拡声器(携帯用スピーカー)を売りつける一幕があるが、拡声器によって声高に主張をがなり立てる集団への嫌悪感、集団化による精神の巨大化への恐怖が、『巨人伝説』のそこかしこに散見するのだ。ここで巨大化するダイダラ法師として描かれるイメージは、やがて戯曲『友達』に登場する家族たちの「大きく広がってゆく影」へと展開する。
 そしてもう一人の主人公である簡易食堂の女主人。この存在は『夢の兵士』では老巡査の内的独白の中に登場する、「息子が戦死した後家さんたち」というイメージでしかない。老巡査は自分の性別と地位を利用して、息子を亡くした彼女たちの誰かを食い物にする皮算用をはじいている。『日本の日蝕』では、女Aという後家さんになって登場し、大貫の情婦的な役割を引き受けている人物として描かれていた。そして『巨人伝説』で初めて人格を持ったキャラクターとして再生する。しかしながら彼女はあくまで「簡易食堂の女主人」であり、名前は与えられない。彼女は「男手」に依存しなければ生きていけない弱い存在であり、同時に「男手」を利用して生き残る強かな精神の持ち主でもある。村長や助役、女主人の息子までちゃんと名前が与えられているこの戯曲で、無名の主要人物はこの「簡易食堂の女主人」と大貫の息子である「脱走兵」の二人だけ。彼らこそ「精神の集団化」である巨人幻想に翻弄される日本人そのものであり、女主人は『砂の女』のヒロインへの布石とも言える性質を感じさせるのだ。

 今回の眞鍋演出、出だしはいかにもザ・新劇な、おちついた幕開けで全体に動きが乏しく、「あれ、ベテラン勢に敬老精神を発揮してるのかいな……」と心配になったが(なにしろ女主人役の川口敦子、村長役の小笠原良知、老人役の可知靖之は共に今年81歳、大貫役の中野誠也さえ76歳なのだ!)、これは杞憂に終った。確かな技術を持つ役者陣が安部公房の方言をまぶしつつもロジックが複雑にねじこまれたセリフの魅力をしっかり伝え、作品世界への導入をすますや、ト書きで指定された映像演出はプロジェクション・マッピングで巨人イメージを表現、さらに転換部分には若い俳優陣によるパフォーマンス演出を加えて作品中に複数の表現要素をもちこんだ。若手の演出家が昭和の戯曲を手がける時、映像効果やパフォーミング・アートの要素を持ち込んでなにやら新しげにするのは、もはや定番手法と言っていい。これ、演出家がまじめに「アート」をやればやろうとするほど劇の時間を停滞させてしまう傾向が強く、岡田利規が演出した『友達』のような悲惨な失敗を招くこともあるのだが、さすがに『制服』に続いて今回も眞鍋演出は絶妙な匙加減で乗り切った。むしろ、大貫が「ダイダラ法師幻想」を行う場面では、ダンス風に集まって来た若手集団が椅子の背を並べて村のミニチュアを構成し、それを睥睨する大貫という卑小さ協調する演出を施し、女主人が「ダイダラ法師幻想」を行うところでは映像による「巨人」のイメージが背後に大きく広がるという使い分けを見せることで、作品の本質に切り結んでいた。
 そして青年団やサンプルで活躍する杉山至の美術は、1960年の簡易食堂と1945年の駐在所を回り舞台に設計、回転して展開することでこの二つの時代が表裏一体であることを明確にした。セットの周囲に林立する柱のオブジェは、照明の加減によっては並び立つ墓標のようにも見え、ふたつの時代が激突するクライマックスによって浮かび上がるのは、死者を忘却することで「責任」を曖昧とし、「絆」や「協調」、そして「前進」を押し出すことでなにもかも棚上げしたがる日本人の病だ。
 1945年、脱走兵におびえる村人は村長に率いられ、朝鮮人の血を引く家に焼き討ちをかける。
「脱走兵を殺すことができねぇなら、そいつの家でもぶっこわすより仕方あるめぇ? 脱走兵出すた村長よりは、脱走兵の家族さ乱暴はだらいた村長のほうが、まぁだお咎めも軽いべさ? ともがぐ、わすは身の潔白を証明せねばなんねぇだ」
 という理屈で、大貫巡査も「ま、すかたねぇべなぁ、超非常事態勢だで……」と愛国無罪の思想でこれを見逃す。大貫は脱走兵が自分の息子だった「不始末」のために村から姿を消すが、焼き討ちの件について責任が問われた形跡はない。ここで襲撃される家の名は「金山」である。終戦末期、安部公房と共に満州へと渡り、そのまま日本に戻ることができなかった親友・金山時夫が投影されていることはまちがいない。
 3年前、眞鍋演出によって上演された『制服』では、簡素なセットながら舞台が太平洋戦争末期の朝鮮半島であることに思いを巡らせてもらうためか、冒頭にオリジナルのエピグラフが映写されていた。それは確か、

「2010年、韓国人と日本人にそれぞれ最初に思い浮かぶ相手国の有名人を募るアンケートが行われた。韓国人の1位は伊藤博文だった。そして、日本人の1位はペ・ヨンジュンだった」

 というもので、日本人の健忘症ぶりにチクリと一刺ししてからおもむろに本編が始まったのだった。その公演を震災と原発事故によって封印された演出家が、この3年間で表面化した日本人の「責任回避」の問題、岸信介の孫による御国自慢と経済復興という新たな「巨人幻想」に酔いしれる人々の姿を見て、改めて「現代」を描くにふさわしい作品として、『巨人伝説』を採り上げたのは、まったくの必然であった。

『夢の兵士』も『日本の日蝕』も共に優れた作品である。しかし、ここで発明した「不在の兵士」というイメージはやや感傷的な方向に流れがちなきらいがあった。安部公房は『日本の日蝕』で脱走兵の息子を見殺しにした大貫が寂しく死んでゆく姿を描いたことで、「あの時代、誰もが犠牲者だった……」と安易な被害者意識を抱かれやすいことを危惧したのだろう。そこで、「不在の兵士」のイメージからセンチメンタリズムを払拭し、それをもたらしたのが日本人が抱える無責任の体系であることをハッキリ告発しなければならない、と考えた。だから『巨人伝説』では大貫は死なない。死ぬのは戦場で視力と片足を失い、金を払って村娘の手を一分だけ触らせてもらっては「ああ、戦争せぇねがったらなぁ!」とうめいている女主人の息子・敬一なのである。
 なお、「♪俺はこの世でいちばん、無責任と言われた男~」の主題歌とともに映画『ニッポン無責任時代』が公開されるのは1962年、『巨人伝説』の2年後である。この映画で植木等が演じる平均(たいら・ひとし)こと無責任男は、クビにされてはスイスイ世の中を渡ってチャッカリ成功する利己的な主人公だが、最終的には東宝映画らしい「安全」な「いい人」におちついてしまう。しかし、安部公房はそれよりも早く、最初から最後まで無自覚に泥臭く、それでいてその姿が観客自身にフィードバックする形で無責任な男たちを描き切っていた。

 安部公房が描く日本人の戦争責任テーマは続く長篇戯曲『城塞』(1962)で頂点を迎える(これもまた不当に忘れ去られている傑作だ)。そして『巨人伝説』と同じ1960年に、長編小説『石の眼』を発表していることにも注目したい。『砂の女』に始まる60年代の傑作群の助走となった作品であり、今では失敗作として位置づけられているが、これもまたダム建設に関わる「無責任」をめぐる物語なのだ。発電所が抱えるさまざまな問題が再浮上した今、再読するとなかなか興味深い要素に満ちていることも付け加えておきたい。