星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

米澤穂信『満願』の読書会にて

 荻窪駅から徒歩8分のところにある荻窪ベルベットサン」というライブハウスでは、月に一度「杉江松恋の、読んでから来い!」という読書会イベントが開催されており、ときおり参加しています。


杉江松恋の、読んでから来い!」 http://yondekoi.tumblr.com

 先日開催された第17回の課題本は米澤穂信『満願』。ひさしぶりに出席して参りました。

 タイトルからしてやや居丈高なこの読書会、これまで取り上げた作品は、マーセル・セロー『極北』、小田雅久仁『本にだって雄と雌があります』、アイザック・B・シンガー『不浄の血』、ハリー・マシューズ『シガレット』、酉島伝法『皆勤の徒』などなど現代文学の新刊作品が中心。中には、フラン・オブライエン『第三の警官』のような復刊本や、ホーソーン『緋文字』、アラン・ロブ=グリエ『消しゴム』のような新訳が出たばかりの旧作を課題作とすることもあります。

「読書会」は近年の流行らしいですが、これはやはり読書人口が少なくなったために注目されているのでしょうなぁ。昔ならば、会社や学校で読書が趣味の友人と最近読んだ本や小説作品について語り合うことができたけど、そのような機会を得ることも難しい昨今、インターネットという「同好の士」が集まりやすいメディアを利用することで読書好きが直に集まり、顔を突き合わせて語らう場として発展しているようです。

 さて読書会なるもの、進行方法は会によってさまざまなのですが、「読んでから来い!」のユニークな点は、参加者はまず作品を読んでの感想・論点を「A4用紙1枚」のレジュメにまとめて用意してくる、というところです。レジュメを持ってくれば、入場料金はわずか500円(+1ドリンク代)という安さ。もちろんレジュメを用意していなくても見学は可能だし、発言することもできるので(その場合は入場料金1000円+1ドリンク代)、特に敷居が高いわけではありません。

「レジュメっていったいなにをどう書けばいいの?」と思われるかもしれないけど、これはA4用紙1枚にまとまってさえいれば、なにをどう書いても自由なのですね。
独自の書評を仕上げてくる方もいれば、気がついた点を箇条書きにしてくる方もいるし、凝ったチラシ風デザインにまとめる方もいれば、イラストマンガを描いてくる方、作品にちなんだ俳句を並べてきた方もいます。
 さっき紹介した公式サイト(
http://yondekoi.tumblr.com )の1〜6回の部分を読むと、当時のレジュメが掲載されているので参考になります。




 さて、今回の課題作
『満願』。6篇の作品が収録された短篇集であり、今年の山本周五郎賞の候補作でもあります。
 私は米澤穂信に関しては古典部シリーズをはじめ、代表作をいくつか読んでいますが特にくわしいわけではありません。ひさびさに米澤作品を楽しみましたが、『満願』におさめられた短篇はいずれも上出来に作り込まれたエンターテインメント作品、いつもの課題作とくらべると、巧い芸談をどう語ればいいのか、その「視点」を見つけるのに苦労しました。
 結局、ミステリの特徴である「トリックから逆算して小説を構成するテクニック」に注目し、「なるほど、巧いじゃねぇか!」と思った箇所、視覚的な演出が気に入った箇所を中心に書き上げたのが以下のレジュメ。
(以下、決定的なネタバレは避けていますが、これから『満願』を読む方はご注意ください)


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トリック人間模様 米澤穂信『満願』レジュメ            

 読了してまず感心したのはタイトル。6篇の短篇はすべてある人物の「願望」が成就するか否かの物語。しかし堂々の「満願成就」の物語はなく、常にひねりが加えられている。謎の根底にひそむ動機に比重が置かれた作品が多いことや、動機を隠蔽するトリックに関する描写が映像的な趣に富んでいることなど、全盛期の松本清張の短篇をも彷彿とさせる。

『夜警』
 アイディアの出発点になったのは、チェスタトン的な逆説論理かと思う。しかし、そのロジックを基本に物語を起こすのではなくて、まず殉職警官の葬儀の場面から始まり、「俺」の回想として入ってゆく。黒澤明『生きる』後半のごとき微妙な「なぜ?」の膨らませ方の妙。「俺」が過去にパワハラを駆使した警官と設定することで自責の念が加わった回想になり、シンプルなロジックがなかなかあきらかにならない。

『死人宿』
「書き損じの遺書を書いたのは誰?」という、もっとも明快な謎解き物語でありながら、男女の「再会」の設定を構築することで、メロドラマの要素を牽引材にしている。そのドラマもイザナギが黄泉の国へとイザナミに会いに行く神話を想起させる不穏なもの。そして二段オチに仕組まれた<浴衣の柄>への視点誘導が、第一の謎解きの「絵」に呼応する。

『柘榴』

 二人の人物による一人称が交差することで、「女の戦い」を描きつつ、「怪物」的な男性を効果的に浮かびあがらせる。ダメ押しラストで「もうひとつの動機」(こっちが真のラスト)が判明し、さらなる奥行きも獲得。近親相姦イメージの小道具としてだけでなく、ラストの描写のイメージにも爆ぜた柘榴を重ねる情景操作。柘榴を違和感なく登場させるためのデメテルとペルセポネの物語の引用(前作のイザナギイザナミ譚イメージと好対照だがこっちが先に書かれたらしい)。

『万灯』
 書き出しでいわゆる「倒叙ミステリ」と思い込ませるので、どこで語り手の犯行に破綻が生じるのか、という目で読んでしまうがじつはこれが最初のトリック。この仕掛けを商社マンの心理劇として構築し、「挫折する部下」を先に二例描くことや、アラム(被害者)に対する嫉妬心を描きこんで、<焦り>が高まらせてゆくことでより効果的に。ライトがただ一人点かないことが個性となる被害者と、後にホテルの窓から無数の灯りを見下ろす主人公の対比。

『関守』
 怪談的な会話劇。冒頭でいきなり仕掛けの最重要な要素を提示しておき、その後、「怪談の真贋」という謎を個々の事例を遡ってゆく構成がスリリング。この構成のままでも充分に成立するのに、もう一段皮肉な構造を加えることで、恐怖感を高める(罪なき人間がなぜか被害に遭うホラーの構図)。ラストの語りの畳み掛け(会話が成立しなくなってゆく箇所)で小柄なはずの相手が巨大化してゆく感じ。

『満願』
 トリックとしては殺人に潜む真の動機。「掛け軸」を使って主人公はヒロインを窮地から救うが、その小道具から別の意味が浮かぶ鮮やかさ。このトリックを生かす為に「司法学生と下宿先の若い家主とのロマンス」という俗なドラマを構築し、読者をミスリードさせる。白い木蓮の花から赤い達磨へと鮮やかなイメージ転換の描写も注目。ラストでは達磨の意味にスポットが当たる。

 

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 今回の参加者は12人。うち8名が提出したレジュメをそれぞれ検討し、その後は印象に残った意見をもとに議論を展開してゆきます。
複数のレジュメが最初に開陳されることで、誰かの「御説拝聴」ではない、全員の視点で作品を解体してゆく楽しみを味わう、というわけです。
もちろん議論の最中に「キサマの読みは浅すぎる!」とか、「こんなことも気づかないのか?」とか、説教されたり呆れられたりすることはありません
さらに言えば「エクリチュール」だの、「リビドー」だの、「アウフヘーベン」だの、小難しい専門用語が飛び交うこともありません

 主宰であり、ファシリーターでもある杉江松恋さんのレジュメでは、「ミステリ作家はなぜ謎解きの部分で文章に傍点を打つのか?」という視点から、『満願』の6篇における傍点個所をまとめて検討しているのがユニークでした。そう見てゆくと『死人宿』には傍点が特に多く、推理の過程が入念にクローズアップされた完成度の高い作品と言えるようです(が、それゆえかいちばん作り物めいた印象を抱いた作品です)。

 また、作品それぞれの雑誌掲載版と単行本版の異同について細かくチェックし、それをA4用紙の限界に挑むほどの細かさでまとめてきてくれた方もいました。『柘榴』の決定稿に付け加えられた2行の文章が余計か否か、見解が分かれるのも面白かったですね(ちなみに初出を読んでいない私としては、追加個所が気になることはまったくなく、むしろその場面がリフレインされることでより効果を上げていたと思います)。
ほかには、

 

・『柘榴』や『満願』の流麗な文章から浮かぶ人工美が連城三紀彦の作風を、『死人宿』の探偵像からはアントニー・バークリーの作品を想起させる

・全作品に「謎があきらかになると同時にある人物との関係性が変化する」という構造が共通する点に注目した

・『万灯』ではなぜ登場人物の出身地がいちいち書き込まれているのか?

・『満願』が昭和46年〜61年頃で展開する設定なのはなぜなのか?

・『死人宿』の語り手はどう考えても鈍感な男なのにあんなに急に推理力を発揮できるものなのか?

・『死人宿』のラスト、あの二人は結局ヨリを戻せそうなの? 戻せないの?

・全作品、暑さを感じる時期に設定されているが、暑さよりも肌寒さを感じさせる展開が印象に残った

・『関守』に出てくるアレって女性が振り回せるようなサイズなの? そこにびっくりした

 

 などなど作品の根幹に関わりそうな着眼から、そんなどうでもいいトコよう気づいたな、と思う発見まで次々に意見が出ます。

 風変わりな倒叙推理として感心した『万灯』ですが、杉江さんから作者はどうやらロイ・ヴィカーズ『迷宮課事件簿』の一篇をヒントにしているらしい、との情報アリ。むむっ、そうなのか。『迷宮課事件簿』何篇か読んだはずだが、おぼえてるのは「ゴムのラッパ」ぐらいだよ。今度探してみるかなぁ。
さらに『満願』における、「夫の死を知らされたヒロインが流した涙の背景にはどんな感情が秘められていたのか?」という問いもあり、なるほどコレは作品を味わう上では重要な部分。こういうところに気づかせてもらえるのが読書会の面白さであります。

 最後に、参加者で6篇の作品の人気投票を行いました。
 私はホラー好きなので、最初に目を通した時はシンプルなアイディアを巧みな密室劇として展開した『関守』が好みだったのですが、レジュメ作成のために細部をチェックしてみると、『柘榴』のアイディアとそれを生かすための卓越した構成がすっかり気に入ってしまったのでこちらに一票

 はたして投票結果は、

1位 柘榴(4票)
2位 死人宿(3票)
3位 夜警、万灯(各2票)

 という結果に。『死人宿』に票が多く集まり
、『満願』に票が少なかったのが、個人的には意外でした。

 次回の開催日
は5/31(土)、課題本はニック・ハーカウェイ『世界が終わってしまったあとの世界で』。作者はなんとジョン・ル・カレの息子なんだとか。こういう、「注目すべき作家・本」を教えてもらえるのもこの読書会の楽しみのひとつです。
とりあえず、読んでみなければ。なんと上下巻なのね。