星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

超虚構映画(?)の珍品〜『S.W.A.T vs デビル』

 キミはこの春いちばんの話題作『S.W.A.Tvsデビル』を観たか?
 なに、まだ? それならば、まずはこの予告編を御覧あれ。

 

 

 

 なにしろ「S.W.A.Tが精神病棟に突撃」だ! 景気がいいな。
 セルDVDの公式案内に書かれたストーリーは、まとめるとこんな感じ。

 外界から隔離された犯罪者専用の精神病棟で、大規模な暴動が発生した。鎮圧のため警察はS.W.A.Tの出動を要請、その中にはベテランの交渉人・マガヒーがいた。不気味に静まり返った廃墟の中から、ゾンビ化した患者たちが続々と襲いくる。彼らを操る者の正体は? マガヒーと戦闘エリートたちによる、謎の敵との全面戦争が今、始まる!


 いかがだろうか。予告編とこのストーリーから察するに、オカルト+特殊部隊アクションが狙いの、ついでにホラーゲーム『アウトラスト』をパクッてきました的な、王道のB級娯楽映画が展開しそうに思われることだろう。

 と・こ・ろ・が!

 開巻わずか数分で、この映画は急速に崩壊し始める。
アヴァンタイトルにおいて、神父が告解部屋に現れた謎の男と会話するうちに悪魔に取り憑かれる、という場面が重々しく展開するが、次の瞬間、映画はその映像をデスクトップ上で観る二人組の会話へと移行するのだ。
 どうやらこの二人は映画会社の編集マンらしい。ヨーロッパのスタジオで製作中の映画『アサイラム』(この作品の原題である)の粗編集素材をチェックしているところだが、「なんだこりゃ?」、「見てられない」と始まるなり文句タラタラ。観客はそのまま彼らのオーディオコメンタリーを聞かされながら本編を見る羽目に陥るのである。


画面をツッコミながら見ている編集マン二人組

 

 てっきり「ほんとうにあった呪いのビデオ」的な、疑似ドキュメンタリーに転じるのかと思えばそうでもなく、彼らはえんえんと映像に茶々を入れるだけ。
 マルグリット・デュラス監督の『トラック』では、構想中の脚本を読むデュラスと聞き手のジェラール・ドパルデューの会話が、「進行中の映画」である走行するトラックの物語と交錯しながら展開したものだったが、こちらはそんな前衛的な映画をめざしている気配は微塵もない。むしろ、筒井康隆の短篇『色眼鏡の狂詩曲』に近い気がするが、あれはSFファンのアメリカ人少年が書いた小説を、日本人がツッコミを入れながら読む、という設定で人間の異国文化理解を諷刺する内容だった。しかし『S.W.A.Tvsデビル』本編部分の出演者・監督が、紋切型のホラー・アクションを諷刺している気配はまったく感じられない。
 主人公の交渉人・マガヒーを演じるのは、なんとスティーブン・レイなのだが、彼は画面外の編集マン二人組が「おっ、『クライング・ゲーム』に出ていた俳優だ!」などと反応されるとは、おそらく想定していない真剣な演技を披露している。


マガヒーを演じるスティーブン・レイ

 

 さらに驚かされるのは、まだ未完成の映像、VFX班に渡す前に編集されたバージョンがそのまま映し出されてゆくことで、車で移動中の特殊部隊の窓外の光景が、いきなりグリーンバックそのまま、合成の指示が書き込まれている。


ツッコミの字幕と指示書の字幕で画面もにぎやか

 悪魔に取り憑かれたゾンビ風の怪人らが登場する部分では、この種のVFX班への指示が連発する。「目全体を白く」とか、「ワイヤの除去」銃口の火炎と血糊を追加」とか、ああ、今では低予算のアクションホラーもこのように細かくCGを追加することで完成しているのか、とまったく別の部分での感慨にふけってしまう。


天井に見えるワイヤ線

 

 さらにはゾンビたちの「頭が180度回転」などという指示が書かれたカットもあるが、現場では当然ながら役者がくるりと180度回転しているだけで、なんだか物哀しくなってくる。


背中は振り向く前の映像を静止させ、首だけすげ替える予定だったのだろう

 

 こういう未完成の映像を見ながら、編集マン二人組が次々と嘲笑のツッコミを入れてゆくのだが、困ったことにこれがまったく面白くない。センスも批評精神も感じられない、ただの口汚い嘲笑なので、見ていてイライラさせられるばかりなのだ。

 その昔、唐沢俊一ソルボンヌK子が、森由岐子の『魔界わらべの唄』や好美のぼるの『あっ、生命線が切れている!』など、往年の怪奇マンガを欄外にツッコミ注釈を入れつつ復刻させていたが、彼らのツッコミは、現代人が読めば陳腐なデタラメでしかない作品を、「ここに注目すると、本来の意図とは違った面白がり方ができますよ」とガイドする役割を果たしていた。しかしこちらの編集マン二人組がツッコむのは、これまでどこにも存在していなかった映画なので、いったいどう反応していいのやらわからぬまま、砂を噛むような時間が流れてゆく。

 また、この二人組はツッコミのポイントがズレている。
 途中、返り血を浴びた色っぽい看護師さんが登場するが、彼らはそこには大して興味を持たない。彼女は物語の後半、なんとフルヌードになって豊満なオッパイを披露してくれるというのに、彼らはまったく反応ナシだ。信じられないよ! ボンクラ魂のウスい奴らだ、まったく。


このレベルのツッコミがえんえん続くのだ

 で、この悪魔病棟の叛乱は、交渉人・マガヒーの「兄」が首謀者であるらしいことが判明。この兄貴はレクター博士風に独房で一人おちついていたりする奴なんだが、二人の因縁が明かされる回想シーンになると、未撮影のためテキストと絵コンテがそのまま画面に表示されるという大胆さ。新世紀エヴァンゲリオン』かい! それも3カットをひとつの画面におさめてるから、見にくいったらありゃしない。コンテ撮やるならそれらしくしろって!


回想シーンは絵コンテ処理(見づらい)

 さらに編集マン二人組が勤務する映画会社の会議場面なんてものが、唐突に挿入されてくる。S.W.A.T部隊の映画の部分とまったく撮り方が異なる、やる気の感じられないチープな映像で、ムチャクチャな暴君社長がわめきちらしている。
 どうやら『アサイラム』はこのデタラメ映画会社がブルバニア(架空の国)で撮影進行中のプロジェクトらしいことがあきらかになる。物価と人件費を安く上げるため、ハリウッドが東欧のスタジオで撮影を行うのは最近の流行だ。しかし「脚本を持参せず撮りながら作ったそうだ」とは本編班、ひどい言われよう。


社員がこれだけしかいないらしい映画会社

 はたしてこの珍妙なメタフィクション構造が、最終的にどんなエンディングを迎えるのか、と固唾をのんで映画を見続けると(というか、そこ以外に興味の持ちようがない)、最終的にどうにもならないのだった。
 映画はクライマックスまでこの調子の映像が続き、映画会社の社長は詐欺と獣姦の罪で逮捕され、編集マン二人組は、チビの片割れに彼女ができ、編集室に戻って報告すればデブがそれを祝福してくれる。そして映画はぶった切れるように終る。
 なにを言ってるのかわからないと思うが、ホントにこんな結末なんだからしかたがない!


本編は最後までこんな感じで茶々を入れられている

 エンドクレジットを見て驚いた。監督はトドール・チャプカノフとクリス・マンチーニという人物だが、「ホラーパート脚本」がテックス・ウォール、「コメディパート脚本」がクリス・マンチーニと二人の人物がクレジットされている
 トドール・チャプカノフとは、調べてみるとブルガリアで活躍する監督で、テレビシリーズを主に手がけてきた人物らしい。おそらく彼が監督していたホラー・アクション『アサイラム』は、その撮影を八割近く終えたところで、資金の問題かなにかのトラブルが発生し、制作を続けられなくなったのだろう。
 宙に浮いてしまった『アサイラム』のフィルムを、どうにか商品として成立させるべく雇われたのが、クリス・マンチーニらしい。予算ほぼゼロの状況でひねり出した苦肉の策が、この異色のコメンタリー映画、というスタイルだったようだ。二人組が本編映像を侮辱しまくるのは、難題を押しつけられたマンチーニ氏の怒りが表れているとしか思えない
 だが、それにしても、である。
 未完成のB級ホラーアクションメタフィクション化するという大胆なアイディアを発明したのだから、たんなる尻拭い仕事をより創造的な方向に進路修正することはできなかったのか、とちょっぴり残念なのが正直な気持だ。マジメに打ち込んだ本編のスタッフ・キャストがあまりに気の毒で、後味が悪い

 映画の歴史において、製作中のトラブルがそのまま映画の表面に露出してしまった、ということは珍しくない。主演俳優が一部のフィルムだけ残して死亡したため、そっくりさんで一本でっちあげた死亡遊戯』(主演ブルース・リー中井貴一が主役の一人を演じながら、脚本の半分ほどしか撮りきれず、追加撮影の連絡もないままいつのまにか完成していた『ヘブン・アンド・アース〜天地英雄』(監督フー・ピン、制作体制が破綻したために完成が間に合わず、大部分が未完成映像のまま堂々と公開した伝説のアニメガンドレス』(谷田部勝義監督)などなど。

 しかし別人が未完成のフィルムを悪し様にあげつらい、まったく初期のヴィジョンとは異なる映画に仕上げてしまったのは珍しい。意図する映画を最後まで制作できなかったチャプカノフ監督には心から同情するが、こういう形で作品が陽の目を見たことを彼はどう思っているのだろうか。撮影6日目でプロジェクトが制作中止となったために、メイキングが本編になってしまったのがテリー・ギリアムの『ロスト・イン・ラマンチャ』だったが、こちらは半分以上撮影を終えてから完成権を取り上げられたのだから、より悲劇的である。

 まぁ、一種の事故物件としか言いようのない『S.W.A.Tvsデビル』だが、これはこれである意味忘れ難い作品として存在していることも確かである。
こんな手がアリとされるなら、山本政志監督の未完成映画『熊楠』も、こういう形で作品化してもらえないだろうか……などという妄想もチラと浮かんでしまった。