休業期間が終わって、またぞろ忙しくなってきた(と、書き始めて知ったが『またぞろ』って漢字では『又候』って書くのだね。『またそうろう』の音変化)。
どうやら今月いっぱいは映画館に顔を出すのも難しい見通しだ。しかしチェン・ユーシェン(陳玉勲)の新作だけはなんとしても駆けつけなくてはなるまい。というわけで、新宿ピカデリーの大画面で『1秒先の彼女』を観賞。
チェン・ユーシェンは大好きな監督だ。『熱帯魚』(1995)も『ラブ ゴーゴー』(1997)も封切で観ており、「この監督とは長いつきあいになるな」と予感した。しかしその後、16年待たされた第3作『祝宴 シェフ!』(2013)は、かつて森卓也が「平凡を新鮮に描く非凡」と評した彼の作風とは異なる騒がしいコメディで、VFXの過剰使用や尺の長たらしさも気になった。CM業界で長く仕事をしているうちに、あの素朴な味わいは失われてしまったのだろうか、と残念に思ったものだが、もちろん『祝宴 シェフ!』もそう悪い作品ではない。これを観て以来、「台湾風トマトの卵炒め」が我が家の定番メニューになったほどだ。
その次の監督作『健忘村』(2017)はいくつかの映画祭で上映されただけで、ついに東京では公開されなかった。配信にも来ていない。かなりの大作でミュージカル時代劇と聞いたので、チェン・ユーシェンはもう、かつてのような「キュート」な小品は撮らないのかと残念に思っていた。
ところが。最新作『1秒先の彼女』は、初期の作風を彷彿とさせるファンタジー・コメディだった。それもそのはず、脚本初稿は『ラブ ゴーゴー』の直後に書かれたものなのだとか。
主人公は過剰にせっかちな性格の独身女性ヤン・シャオチー(リー・ペイ・ユー)。映画の冒頭では、彼女のワンテンポ早い性格が、受精の瞬間まで遡った人生モンタージュで手早く紹介される。SNSでキラキラ系女子を演じたりしつつ、現状では満たされない思いを抱えた彼女が、公園でボランティアのダンス講師をやっている男性と知り合い、急速に距離を縮めてゆく過程は、今どきのポップなガールズコメディの定番風。
そんなある朝、目覚めたヤン・シャオチーは自分が突然日焼けし、しかも昨日(バレンタインデー/七夕情人節)の記憶がないことに気がつく。「失われた1日」はどこへ行ったのか? この謎を探る過程で、彼女が「失くしたもの」が次々浮かび上がってゆく。この構成が上手い。
「いつもワンテンポ遅い」バス運転手のウー・グアタイ(リウ・グアンティン)にスポットが当たってからの展開は見てのお楽しみだが、この後半戦こそまさにチェン・ユーシェンの世界そのものなのだった。
カメラが趣味の冴えないバス運転手ウーの視点による後半のファンタジー展開は、「モテない男の妄想」そのもので、描き方によっては江戸川乱歩的な猟奇趣味に見えてしまったことだろう。観客に彼のことを気色悪く思わせないよう、前半で悪辣な恋愛詐欺師と対決させたり、ベッドに横たわるヤン・シャオチーの前で一晩悩みまくるシーンを設定するなどして、彼の純情性さ周到に引き立たせる。善良な人間にだって「エゴ」はある。チェン・ユーシェンはその辺の匙加減が絶妙だ。
一方、ラジオ番組のディスクジョッキーとの会話や、デジカメではなくフィルムカメラの使用、「私書箱」を使った文通などの設定は、20年前の脚本を現代向けにアレンジしきれなかった部分だろう。しかし無理に現代風にしないことで、物語になつかしさとみずみずしさを残すことに成功している。ファンタジーを表現するためのVFXの使用も最小限に抑えているし、陸のクジラのようにゆっくり動くバスの描写がまたすばらしい。
復調著しいチェン・ユーシェンだが来年で還暦となる。現代の台湾の状況を素材に、どんなコメディを手がけるか、期待してよさそうだ。
それにしても、ヒロインの父親がいっしょに暮らしていた謎の坊さん、あれは何者だったんだろうな。