星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

『オー!ラッキーマン』と『オー!ラッキーマルコム』、そして「謝らない男」

 リンゼイ・アンダーソン監督の『ブリタニア・ホスピタル』(1982)が、8月22日にIVSからDVD発売の運びとなった。日本未公開作品で、1987年にビデオ発売されたものの、とっくに廃盤となっており、私も見逃したままだった作品だ。その後、渋谷TSUTAYAにリンゼイ最晩年のTVM『聖女はロックシンガー』などと並んでいるのを発見したが、ちょうどビデオデッキが故障してしまったため見られなかったのだ。



<予告編>Britannia Hospital(1982) Trailer
https://www.youtube.com/watch?v=NmPRmZ4W0RY

 この『ブリタニア・ホスピタル』は、『if もしも…』(1968)、『オー!ラッキーマン』(1973)に続く、リンゼイ・アンダーソン監督、デヴィッド・シャーウィン脚本、マルコム・マクダウェル主演の「ミック・トラヴィス3部作」の最後を飾る作品である。
 リンゼイ・アンダーソン(1923〜1994)と言えば、日本では『if もしも…』を撮った「怒れる若者世代」の監督であり、リリアン・ギッシュベティ・デイヴィスが共演した『八月の鯨』(1987)が岩波ホールで大ヒットした人、という程度の認識だと思うが、国際的に代表作として認知されているのは、やはりこの3部作だろう。日本ではなぜかカンヌ映画祭グランプリ受賞作である『if もしも…』さえ80年代にビデオ発売されたきりでDVDもBlu-rayも出ておらず、唯一未公開に終わった『ブリタニア・ホスピタル』だけがDVDを正規発売されるという妙な事態になってしまった。
 なお、3部作の2作目である『オー!ラッキーマン』も、かつて2本組のビデオが発売されたきりだったのだが、2年前からTSUTAYAのオンデマンドDVDで入手できるようになった(このDVD、ビデオと同様に画面サイズが4:3のスタンダードだが、これが本来の撮影サイズであるようだ)。

 いかにも英国文学の映画化であるかのような風格と諷刺精神を持つ「ミック・トラヴィス3部作」だが、すべてデヴィッド・シャーウィンによるオリジナル脚本である。特に、『オー!ラッキーマン』は原案を主演のマルコム・マクダウェルが手がけ、脚本にも参加している。
 2006年、マルコム・マクダウェルの半生を振り返る『O Lucky Malcolm!』というドキュメンタリーが制作されており、日本ではスタンリー・キューブリックBlu-ray Box-Setの特典ディスクで見ることができる(キューブリックの生涯を追った『Stanley Kubrick:A Life In Picture』と同時収録)。もちろんタイトルは『オー!ラッキーマン』の引用だ。マルコム・マクダウェルは『オー!ラッキーマン』を「最も愛する出演作で誇りに思っている」と語り、リンゼイ・アンダーソンについて、「人生の師であり、戦後イギリス最高の監督の一人」と絶賛している。

「ミック・トラヴィス3部作」は、フランソワ・トリュフォーの「アントワーヌ・ドワネル4部作」とは異なり、主人公の名前と演じる俳優が一致する以外の共通点はまったくない。



<予告編If.... (1968) - Trailer
https://www.youtube.com/watch?v=X_68miSOU78

 第一作の『if もしも…』は、架空のパブリック・スクールを舞台に、厳格な校風からはみだしてゆく生徒・トラヴィスの青春が描かれる。クライマックスでは、トラヴィスたちは発見した武器を手に校舎の屋根によじ上り、銃撃戦を展開する。「学校が戦場になる」という結末と、60年代末という公開の時期だけを手がかりに、「若者の体制への反抗を描いた革命ごっこ映画」の一本としてくくられてしまいがちだが、とんでもない。そんな先入観で作品に触れるからか、ビデオが流通していた当時、
「トラヴィスが意地悪な監督生や憎たらしい教師を次々に撃ち殺してくれるのかと思えばそうなってないじゃん。スカッとしねーな! 当時は衝撃的だったかもしれんけど、今見るとナマぬるいよなー」
 という不満をずいぶん聞いた記憶があるし、じつは初見の私もそう思った(なにしろ当時は校則の厳しい高校で苦労させられていたので!)。が、しかし『if もしも…』はあの時代の若者の反抗心を切り取った古き良き革命ごっこ映画などではない。むしろアメリカの大学・高校で連鎖する無差別銃撃事件や、日本での秋葉原無差別殺傷事件を予見した、現代においてなお不穏な作品である。この作品における「学校」とは当然「イギリス」国家の縮図であり、伝統と格式という建前の中で閉塞し、荒廃してゆく人間の精神状態が緻密に描かれている。そう見なければ、クライマックスの銃撃戦の妄想的な描写は理解できないだろう。校舎の窓ガラスを割って回るだの、盗んだバイクで走り出すだのといったセンチメンタリズムとはまるで方向性がちがう、ガス・ヴァン・サント監督の『エレファント』のような後出し映画と比較しても、その視点ははるかに先を見通している。
 とはいえ『if もしも…』が成功した最大の要因は、マルコム・マクダウェルを発掘し、ミック・トラヴィスを演じさせたことと言えるだろう。知的で生意気で、瞳には陽気なユーモアをたたえ、それでいて全身から猛禽類のような油断のならない邪悪さを、あるいは齧歯類のような臆病な繊細さを、それぞれ表現できるマルコムは、まさにウラとオモテが複雑に入り乱れる英国文化を体現するにふさわしいタレントだった。
『O Lucky Malcolm!』によると、スタンリー・キューブリックは『if もしも…』を5回観たという。そして、構想中の企画『時計じかけのオレンジ』(1971)を制作する自信を得た。主人公アレックスを演じられる俳優を見つけたからだ。



<予告編O Lucky Man!(1973) Trailer
https://www.youtube.com/watch?v=54QlegtNfSw

時計じかけのオレンジ』に主演する一方、マルコム・マクダウェルリンゼイ・アンダーソンとの次回作のために、かつてコーヒーのセールスマンとして働いた経験を元にパブで脚本を執筆していた。それが『オー!ラッキーマン』だ。
 共同脚本のデヴィッド・シューウィンは、参考のためマルコムにヴォルテールカンディードカフカアメリカ(失踪者)』ソーントン・ワイルダーの『めざすは天国』を読ませたという。
 観ている人が少ないと思われるので、あらすじを紹介する。


ラヴィスを演じるマルコム・マクダウェル

 オープニングは白黒の無声映画スタイル。はるか昔、イギリスが支配する植民地での一幕。コーヒー農園で現地人が奴隷労働させられている中、豆をちょろまかそうとした青年(黒塗りのマルコム・マクダウェル)が、アンラッキーにも監視に見つかり、有罪宣告。科せられた刑は両手の切断だった……とそこへ、元モンキーズのオルガン奏者、アラン・プライスによる陽気な主題歌が流れ始めて、メイン・タイトル。シーンのつなぎの部分に必ずアラン・プライスの歌が流れるのもこの作品の特徴だ。
 さて現代。トラヴィス青年(この映画ではマイケル・トラヴィスという名)は「帝国コーヒー」の新人セールスマン。販売部長グロリア(レイチェル・ロバーツ)は彼らに「笑顔」の有効性を説き、トラヴィスが浮かべる営業スマイルを「真心がこもっているワ!」と絶賛する。
 花形セールスマンが突然退職したため、トラヴィスは北部地区の営業部長に抜擢される。自動車で現地に向かうが、途中、彼を追い抜いた青年の車が霧にまかれてクラッシュ! おろおろと車を降りるトラヴィスの前に警官が現れ、「我々で処理するから行っていいよ」とやさしく告げる。「いや、証言しますよ」とトラヴィスは粘るが、警官は突如彼をにらみつけ「ヘタなことすると、お前を有罪にしてやるぞ!」と脅す。
 その場を逃げ出し宿に到着、営業活動を始めるトラヴィス。取引先のホテルの支配人にエロティックなパーティーへ連れて行かれたり、宿の女主人とイイ仲になったりしていたが、突然スコットランド行きの辞令がくだる。
 スコットランドに向かったトラヴィス、道に迷って双眼鏡をのぞいていたところ軍に拘束され、謎の軍事施設(原発関連?)に連行されてしまう。そこではスパイの嫌疑をかけられ、2人の取調官の前で首絞めの拷問を受けるハメに。そこへ施設で爆発事故が発生、混乱にまぎれて脱出したトラヴィスヒッチハイクで街に戻ろうとするが、医療施設での被験者のバイトに誘われる。バイト代に惹かれて了承するトラヴィスは、検査を受けながら所長のミラー博士から人類進化思想を聞かされる。が、その研究所では人間と動物を合体させる、改造人間を開発中だった!


妖怪「件」は英国にもいた……というわけではない

「ウヒャー」と逃亡したトラヴィス、今度はツアー中のバンドの車に拾われる。そのバンドこそアラン・プライス御一行様。彼らを取材するインテリ女性・パトリシア(ヘレン・ミレン)と仲良くなるトラヴィス。パトリシアの父は銅山王にして大富豪のジェームズ卿(ラルフ・リチャードソン)だった。トラヴィスはあつかましくも自らを売り込みに行く。
 おりしもジェームズ卿のオフィスでは、研究資金を打ち切られた大学教授が狂乱、ジェームズ卿の秘書を巻き添えに窓から飛び降り、死んでしまう。が、さすがはイギリスの大富豪、眉一つ動かさずにトラヴィスを後継秘書に任命、そのままアフリカの小国「ジンガラ」への投資をめぐる会談へと連れてゆく。
 西欧諸国の出資を希望するジンガラ王国だが、未だ政局が不安定、反政府ゲリラを一掃するため英軍が極秘開発した「ハニー」という新型毒ガスをひそかに譲り受ける交渉を進めている。ジェームズ卿の代理となって手続きを進めるトラヴィスはまさに得意の絶頂、パーティーの最中に貴族から求婚されるパトリシアに再会し、自分に振り向かせようと試みるが、踏み込んで来た警察に逮捕されてしまう。ジェームズ卿は自身にかけられた疑惑の数々をすべてトラヴィスになすりつけ、裁判では有罪判決が下る。


若き日のヘレン・ミレン演じるパトリシア(左)

 5年後。満期釈放となったトラヴィスは金銭欲と名誉欲にまみれたそれまでの自分を反省し、すっかり博愛の人となっているので、救世軍にも気前よく寄付するが、同時にあり金を全部スラれてしまう。そこへ、団地の一室で子供と無理心中を図る後家さんの騒ぎが起こる。トラヴィスは壁をよじ登り、窓から「生きることの素晴らしさ」を説くも、雨樋が外れて転落、失神。気づけば例の後家さん母子は無事に心中したという。
 ヨロヨロとスラムに行くトラヴィス、そこではホームレスとなったパトリシアと貴族の彼氏にまた再会。炊出しのスープを振る舞いながら、ホームレス諸君に「人間性を取り戻そう」、とアツい演説をぶつトラヴィスだったが、逆に反感を買って追い回され、リンチを受けそうになる。
 あてどなくロンドンの街を彷徨するトラヴィスが最後に訪れたのは、映画『オー!ラッキーマン』のオーディション会場だった。そこでリンゼイ・アンダーソン監督(本人!)に目をつけられ、「笑ってみろ」と命令される。トラヴィスの返事は、
「理由もないのに笑えません」
 監督は『オー!ラッキーマン』の台本でトラヴィスの頭をスパーン、とはたく……。


『オー!ラッキーマン』演出中のリンゼイ・アンダーソン監督(左)

 どこかイーヴリン・ウォーの小説などを彷彿とさせる、キツめの諷刺に満ちた冒険譚。「笑顔(スマイル)」が持つ暴力性について触れている点も、鋭い。
 ここにあるのは「イギリス人はみんな下司野郎だ」という、徹底した体制と現状への怒りであり、それを高所からカッコよくぶった斬ってみせるのではなく、切れ味の悪い牛刀で自分の内蔵を掻き出しながらそのグロテスクさを嘲笑うような、痛みを伴うユーモアである。自分のあずかり知らぬところで「システム」がすべてを操作してゆくことの恐怖に不感症な者にとっては、まったく退屈な3時間だろうし、映画を美学的な観点でしか評価できない者にとっても、まるでお呼びでない作品だろう。
 アメリカ人であるスタンリー・キューブリックは、『時計じかけのオレンジ』、『バリー・リンドン』(1976)という英国文学を、優れた写真家のセンスでもって美しくかつ冷ややかに映像化してみせた。しかし、インド生まれのイギリス人、リンゼイ・アンダーソンのオリジナル作品は、混沌さに満ちた映像スタイルの中に聡明さと泥臭さが共存し、作者の逡巡や苛立ちを共有できるのが特徴だ。

 マルコム・マクダウェルはその後、リチャード・レスター監督の歴史ロマンス劇『ローヤル・フラッシュ』(1975)にも主演。ジョージ・マクドナルド・フレイザーの原作「フラッシュマン大尉シリーズ」は、国民的な人気小説らしいが、マルコムが演じるフラッシュマンは完全にイギリス無責任野郎。『三銃士』以上に悪ノリ気味のレスター演出とも息が合い、非現実的なキャラクターを表現するワザにおいて、マルコムは日本の植木等にも負けていないことを改めて証明した。
『O Lucky Malcolm!』では、マルコムはその後の印象的な作品としてティント・ブラス監督『カリギュラ』(1979)を挙げている。この時の出演依頼は原作・脚本を担当した作家ゴア・ヴィダルからだったそうだ。プロデューサーがポルノ雑誌「ペントハウス」のボブ・グッチョーネということに心配したが、ヴィダルは「あんなやつ、小切手にサインするだけの役割さ」と言ったという。
 ところがグッチョーネは想定外の食わせ者で、ヴィダルはスタジオから閉め出され、編集も勝手にポルノ場面を追加、メチャクチャにされてしまう。
「オレは鷹を見る芝居をしてるのに、視線の先にレズビアンのからみをツナぎやがったんだ」
 とその不誠実な製作を怒るマルコムだが、あの作品がかろうじて今も観賞に堪えるのは、そんな場面よりはるかにくっだらないエロ場面をマルコムがノリノリで演じてくれたおかげではないだろうか……。


ブリタニア・ホスピタル』ではマルコム全裸で奮戦

 1980年、マルコムは『タイム・アフター・タイム』で現代にタイムスリップするH・G・ウェルズを演じ、この映画のヒロインだったメアリー・スティンバーゲンと結婚、アメリカに移り住む。イギリスを離れたマルコムが、『if もしも…』、『時計じかけのオレンジ』、『オー!ラッキーマン』のような彼にしか演じられない役、時代を先見した作品に恵まれることは、二度となかった。
 1982年には、リンゼイ・アンダーソンは巨大な病院を舞台にしたブラック・コメディ『ブリタニア・ホスピタル』を発表。ミック・トラヴィスはテレビ・レポーターとして再登場し、またしてもさんざんな目に遭うが、今回は群像劇の中での狂言回し役で、前2作ほどの存在感はないという。『ブリタニア・ホスピタル』は批評面・興行面でも不満足な成績に終り、リンゼイ・アンダーソンからも、往年のエネルギーが翳り始めることになる。それでもデヴィッド・シャーウィンとは80年代半ばに『if もしも…2』の脚本を執筆、製作を検討していたそうだ。それは同窓会的な内容で、ミック・トラヴィスはなんとハリウッド・スターになっているのだとか。

 2007年、マルコム・マクダウェルは師であるリンゼイ・アンダーソンのために、『Never apologize』という評伝作品を製作、ソフト化もされている(日本では未発売。私はついwebで観てしまった)。
『Never apologize(絶対に謝らねぇ)』は、評伝と言っても、ドキュメンタリーでも証言集でもなく、なんとマルコム・マクダウェルが一人でリンゼイ・アンダーソンの思い出をトークライブの形でえんえん語りまくる、という作品だ。いろいろな有名人・芸能人のエピソードも登場、マルコムによるモノマネをふんだんに交えたパフォーマンスは、英語が苦手な観客が見てもかなり楽しい。


<予告編>Never apologize(2007) TRAILER
https://www.youtube.com/watch?v=POTir3tj2RE
(公式サイト)http://www.neverapologize.com

 ここで語られるリンゼイ・アンダーソンの素顔は、反骨にして偏屈、偽善とブルジョワを嫌うつきあいづらそうなオヤジだ。思えば『if もしも…』の時点で彼はすでに40代後半、思い切り「怒れる中年男」であった。
 タイトルの由来となったのは、ある食事会において、温厚で知られる俳優、アラン・ベイツを激怒させたエピソード。なんでも、リンゼイはその時アラン・ベイツに執拗にからみ始め、
「なんでキミはいつもそんなバカみてぇなスカーフを巻いてるの?」
アラン・ベイツは二重顎を隠すため、首を隠す衣装を好むことは映画界誰もが知っていた)
「なんでキミはあのボンクラ監督の映画に3本も出たんだい? 誰かって? あいつだよ、あのブルジョワ野郎! アラン・ブリッジス!」
 などと言うので、アラン・ベイツはカンカンに怒って帰ってしまう(当然だ)。蒼白になったマルコムは「アランに謝るべきですよ」と忠告するが、リンゼイは憮然としたまま「絶対に謝らねぇ」。その後、何度となく謝罪を要求するも答えは同じ「絶対に謝らねぇ」。
 が、そのしばらく後にリンゼイはアラン・ベイツに謝罪の手紙を送っていたことが判明した。マルコムはその手紙を朗読するが、これがまたヒドい。途中から謝罪の意志はどっかに行き、「なんで自分はあんなことを言ったのか」、「あの場で自分の発言がどんな効果をもたらしたか」、「なぜアラン・ブリッジスを否定するのか」、と元批評家らしい冷徹な分析と自分を正当化する思想がえんえんと語られ、最後には「君に不快な思いをさせた、私と『彼ら』を許してやってくれたまえ」となる。いったい、謝ってるのかケンカ売ってるのかどっちなんだ的な内容なのだ。

 カミングアウトはしていなかったが、リンゼイ・アンダーソンはゲイだったらしい。マルコムによると、彼のデヴュー長篇『孤独の報酬』に主演したリチャード・ハリスを精神的に恋していたのは周知のことだったとか。その後の主演俳優に対しても、常に恋をする目で見ていたという。誤解を招きがちな屈折ぶりも、その愛情豊かな性格を偽らざるをえない生活がもたらしたものだったのかもしれない。
 リンゼイ・アンダーソンの作品は、トニー・リチャードソン、カレル・ライスらフリー・シネマ運動の仲間たちとともに往年の前衛枠に放り込まれたまま、日本ではあまり顧みられない。しかし今、彼のような「視線」の持ち主が今、創作の現場にどれだけいるか。その批評性と叙情性、ユーモアの質については、改めて再評価してゆきたいと思う。


Lindsay Anderson (1923.4.17-1994.8.30)