星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

私のスピルバーグ体験〜『未知との遭遇』から『レディ・プレイヤー1』まで



 5歳の時に観た未知との遭遇。それが最初だった。

 記憶が確かなら、父に連れられて名古屋の映画館で観たはずだ。当時、すでに仕事に就いておらず、外出することも少なくなっていた父だが、定期的に三河の自宅から名古屋に出向くことがあり、ごく稀に同行が許された。あとで知ったが、名古屋大学の付属病院に、躁うつ病の治療に通っていたらしい。豊橋の精神科では人に見られると外聞が悪い、とわざわざ名古屋まで出向いていたのだ。
 私には精神科の記憶は残ってないが、『未知との遭遇』は強烈だった。特に覚えている場面は二つ、UFOから啓示を受けた主人公が、妻の非難を浴びながら必死にデビルズタワーの巨大な模型を作ろうとする場面と、マザーシップから現れた小さな宇宙人の群に導かれて、主人公が光の中へ入ってゆく場面。
 この年は夏になると『スター・ウォーズ』が公開され、『2001年宇宙の旅』も再上映されるというSF映画年だった。それらの作品をたて続けに観せてもらった私は、当然のことながら頭の中がUFOや宇宙人でいっぱいのSF小僧となり果て、買ってもらった映画のヴィジュアルブックを舐めるように読み返し、落書き帳に宇宙人やら怪物やらを殴り書きするようになった。

 中学生になって『未知との遭遇』をビデオで再見したら、ラストで光り輝く宇宙船に迎えられる主人公の姿は、家庭や仕事を捨て、甘美な夢の世界へと昇天する現実逃避の場面にしか見えなかった。F.トリュフォー演じるラコーム博士が主人公に語りかける「あなたがうらやましい」のひと言は、このラストからむしろ「自殺」の香りすら嗅ぎ取らせた。ビデオ化された未知との遭遇<特別編>』でマザーシップ内部の場面が追加されたのは、あの結末から「死」のイメージを可能な限り払拭するための処置だったろうか、などと訝ったものだ。

未知との遭遇』の結末を父がどう受け止めたのかはわからないが、2年後に劇場版『ドラえもん』の第1作『のび太の恐竜』が観たい、とねだったら、父は親子連れでごった返す東宝系映画館まで連れてきてくれた。しかし、「終わったら下の本屋にいるんだぞ」と言い残すと、彼はいそいそと松竹系の映画館へ『1941』を観に行ってしまった。
 その後、父は黒澤明ファンの友人(と呼べる人物が一人だけいた)に向かって、「スピルバーグ三船敏郎に投影させた『日本』とはね……」みたいな話をトクトクと語ったので、私もいつしかスティーブン・スピルバーグという名前を記憶してしまった。
『1941』は後にテレビ放送やビデオで繰り返し観ることになったが、好きな作品のひとつだ。「誰も死なない戦争映画」というナンセンスな作品だが、日本の潜水艦を目撃して興奮し、軍が庭に設置していった高射砲で攻撃しようとして自邸を破壊してゆくアメリカ親父(ネッド・ビーティー)の場面がいちばんおかしかった。これもどこか痛ましい自傷衝動の場面に思えたものだ。

 さらに2年後の春、父はあっさり死んでしまった。なので、この年末に公開されたE.T.は祖母と弟と三人で観に行った。主人公の少年の家庭にも父親が不在だったので親近感がわいた。しかし、E.T.と主人公の仲がいつしか精神的に同期し、E.T.が死に瀕すると少年も倒れるという展開が、なにか心中めいたものに見え、居心地悪く感じた。
 そしてまた2年後になると、インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』が公開となる。今度は弟を連れて観に行った。あまりに面白くて、迎えに来た母に弟を引き渡し、一人で映画館に残って2回観た。併映の『スター・トレック3 ミスター・スポックを探せ!』も2回観たことになるが、こちらは無茶苦茶つまらなくて時間をやり過ごすのが大変だった。
 このころになると、我が家にもビデオデッキが導入され、テレビの洋画劇場でジョーズ『激突!』をチェックしたり、学校の友人から『レイダース/失われた聖櫃』のビデオを借りたりして、スピルバーグという監督の個性と特徴を充分認識できるようになっていた。監督作だけではなく、この年末にはグレムリンが、一年後にはバック・トゥ・ザ・フューチャーグーニーズが、翌年の春には『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』が公開され、春夏冬の休みに観に行くハリウッド映画といえば「スピルバーグ印」で決まりという時期が続いた。それは1950年代に少年期を過ごした人にとってのディズニー映画に匹敵するブランド力があった。
 観た映画の記憶を反復するためノベライズを読んだり、「スターログ」をはじめとする映画雑誌を立ち読みし周辺情報を蒐集するようになったのもこのころだ。レンタルビデオが流行するや、スピルバーグが影響を受けたというヒッチコック黒澤明などの映画もチェックできるようになった(黒澤は当時あまりソフト化されてなかったが)。スピルバーグジョージ・ルーカスの作品を味わう作業を通じて、創作や表現の奥行きと多層性を学んでいったような気がする。

 中学生から高校生にかけ、ミステリやSFや映画のノベライズだけでなく、文学作品を読むお年頃となると、はたしてスピルバーグカラーパープル太陽の帝国を撮ってくれるのだった。当時「大衆映画のスピルバーグがオスカー狙いで文芸作品に走った」などと囁かれたものだが、スピルバーグ世代ど真ん中の私にとっては、きわめて自然な企画選択に見え、なんの違和感もなかった。
 特に『太陽の帝国』は、戦闘機に憧れる少年の「無垢の喪失」というテーマが、思春期の自分に重なってひときわ印象深く、劇場で4度も観た。J.G.バラードの原作を読むと、上海育ちの英国人少年の視点で描かれる日本軍捕虜収容所体験というひねった戦争文学であり、心象風景を中心に進行する、およそ映画向きとは思えない小説だったので驚いた。映画版では、主人公が仲良くなった日本の少年兵が射殺され、蘇生を試みるや横たわった死体が瞬間、かつての自分に見える、というなかなかにあざとい演出があるのだが、どこまでも「自己の死」を追い続ける監督なのだな、と妙に感心した。

 その後の往年のハリウッド製ファンタジーをリメイクした『オールウェイズ』や、ピーターパン二次創作の『フック』は、低迷期の作品として語られることが多く、実際「もうスピルバーグの時代は終わった」という世の雰囲気を感じたりもしたのだが、ちょうど高校卒業から上京を迎える時期、「大人になろうかなるまいか」で迷うこと多かった私にとっては、将来の可能性に向けて模索を続けるスリリングな作品群として、失望を感じることは決してなかった。
 はっきりと距離を感じたのは、その後のジュラシック・パークシンドラーのリストだ。
 どちらも巧みなスポーツマンの身のこなしが感じられる作品で、その明快な演出力には、往年の迷いや模索の痕跡が消えていた。無数の死が描かれながら、それらの描写は稚気と禍々しさが同居したかつての作品群とは違って機能的で、CGとアニマトロクスの使い分けで演出される恐竜も、突然のカラー映像によって個人顕彰に収斂するホロコースト再現映像も、ジャンルにおける模範解答としか思えず、どうにものめりこめなかった。
 幼いころからずっと親しく付き合ってきたお兄さんが、大人になると同時に感覚が共有できなくなったような寂しさを覚え、私はスピルバーグ映画からの「卒業」を、この時、初めて意識した。

 スピルバーグはこのまま、刺激の乏しい「巨匠」の枠に収まってしまうかに見えたが、そうはならなかった。21世紀を迎えてさらなる進化を続けていた。
 改めてスピルバーグの作品から不穏さを感じたのはA.I.だ。一見ハッピーエンドのようで、主人公の自殺を示唆しているとしか思えないラストに困惑させられた。その後たて続けに公開される『ターミナル』宇宙戦争も奇怪な作品で、気づけば卒業したはずのスピルバーグ映画に改めて再入学し、その後も熱心に作品を追い続けた。
 新世紀のスピルバーグ作品では、ミュンヘン『戦火の馬』ブリッジ・オブ・スパイなどのシリアスな作品が完成度の面では好調で、タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』のような往年の十八番であるはずの企画になると、なにか計算違いが生じているように見える。さすがのスピルバーグも還暦を過ぎてからファンタジーを描くのはしんどいのかしらん、と思っていたところへ、満を侍して登場したのが『レディ・プレイヤー1』だ。

『レディ・プレイヤー1』のマニアックな作品世界は、ちょっと人ごとに思えない内容だったが、そもそも原作者が私と同い年なのだった。同世代のオタクによるアホな妄想を、かつて80年代のポップカルチャーを牽引したスピルバーグ自身が映画化した夢のプロジェクトであり、父親不在のティーンエイジャーが、仲間を集めて大人の陰謀に対抗する、堂々の「スピルバーグ印」の復活でもある。しかし、単純な懐古趣味ファンタジーならさほど興味を持てなかったろう。だいたい私、スピルバーグ映画は好きだけれども、80年代文化というやつは総じて嫌いである。が、『レディ・プレイヤー1』はほぼ同時期に監督したペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』と見比べるとよくわかるのだが、どちらも「宝探し」と「共闘」と「継承」の物語であり、同じコンセプトの作品をコチラでは未来のVR空間を舞台とするアクションファンタジーとして、アチラではトランプ政権に反応して生み出された政治劇として、巧みに現代のど真ん中を撃ち抜く作品に仕上げてしまう、演出家としての度量の広さ、表現欲求の貪欲さと技術の的確さが同居した映画の達人へと進化しつつある姿にまず圧倒された。

 さらに、舞台となるゲーム「オアシス」を作り上げたハリデーという人物が既に死亡しており、プレイヤーたちは、鍵を探すミッションを通して、彼の悔い多き人生を追体験してゆくことになる、という設定が見逃せない。原作によると、ハリデーはこれまた私と同い年なのだが、スピルバーグによって演出された彼は、40年前、『未知との遭遇』で現実世界から去っていった主人公が、電脳空間を通じて帰還した姿に見えてしかたがなかった。
 中盤で、スタンリー・キューブリック監督『シャイニング』が大胆に引用されるのは、もちろん単なるオマージュではなく、映画版『シャイニング』の主人公とは、まさに家族を捨てて現実から幽霊の世界へと逃避してしまう男だからだ。つまり、『未知との遭遇』の主人公のネガティブな分身とも言える人物にほかならない。
 1997年に製作された『未知との遭遇』DVD用のメイキング・ドキュメンタリーは、スピルバーグのこのような「反省の弁」で締めくくられる。

「20年経った今、この映画を観ると、当時の私の若さゆえの無知を思い知るね。年をとると楽観的ばかりではいられない。7人の子供の親として現実社会で生きるには、常に地に足の着いた判断が求められる」
「あれは青春のロマンだね。理想だけを追い求めていた当時の私自身の姿が、すべてを捨てて夢に賭ける主人公に重なる。1997年の今、1977年と同じ『未知との遭遇』はもう作れない。二度と地球に戻らないだろう宇宙船に乗り込んで、家族を路頭に迷わせるなんてできない。『未知との遭遇』は昔の私をそのまま投影している。20年間の変化に気付かされるよ」


 死してゲームの世界で継承者を待ち続けていたハリデーは、ミッションを達成した主人公に「真の幸福を見出せるのは現実の世界だけ」「現実の世界はリアルだからだ」と諭す。同じメッセージを例えばウェス・アンダーソンあたりが語ったなら「てめぇ、ナニ興醒めなことヌカしてんだよ」と胸ぐらを掴みたくなるところだが、40年前の「若気の至り」をずっと意識してきたはずのスピルバーグが、自己の死や痛ましい自傷のイメージにこだわってきたこの監督が、大量の自作のプレイヤー(ファン)に向かって「映画だけ観てんじゃないよ」と改めて無粋なお説教を聞かせる。これをスピルバーグは「健康」な作家だからとと見る向きもあるだろうが、これこそ最大級の自傷行為ではないだろうか。「現実と虚構の違いとは……」とテツガクをおっぱじめるわけではなく、オタクへの不快感を撒き散らしながら悲痛に叫ぶわけでもなく、内面の葛藤を隠してあっさりとやってのけるところにスピルバーグの大きさがある。
 
 いつのまにか父が死んだ年齢を通り越してしまった私だが、『レディ・プレイヤー1』には自分とスピルバーグとの長い付き合いを一気に思い出させる力があった。エンディングで流れるダリル・ホール&ジョン・オーツ『You Make My Dreams』を聴きながら、目が涙で潤んでいる自分に気がついた。