星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

永遠のモダン・ガアル還る〜植野祐美一人芝居『ベティ・ブープ伝』

 千歳船橋のAPOCシアターで開催されている、「アポック一人芝居フェスティバル」において、ベティ・ブープ伝』という演目がかかると知り、いそいそと出かけてきた。作・演出は映画『桜の園』(原作・吉田秋生)の脚本家であり、劇団ガソリーナを主催する、じんのひろあき


筒井康隆ベティ・ブープ伝〜女優としての象徴 象徴としての女優』(1988)

ベティ・ブープ伝〜女優としての象徴 象徴としての女優』といえば、1988年に出版された筒井康隆の名著である。初めて読んだのは、ツツイストとなって数年目の高校生の時。1930~39年に制作されたアニメーションのキャラクターについて、「往年の映画女優の評伝」を模した形で紹介するというアイディアにびっくり仰天。しかもこの評伝が書かれた当時(86~87年)、戦前の白黒アニメーションを観る手段は限られていた。ビデオソフトもほとんどなく、筒井氏は個人的に8㎜、16㎜のフィルムを収集してはメモを取り、同好の士と情報交換しながらベティ・ブープのキャリアを調査し整理していったのだ。本に掲載されている作品のスチール画像は、筒井氏が自らフィルムから抜き焼きしたものだそうで、その一枚を選ぶ「目」にも、愛がこもっている。
 そう、愛。これは今でいう二次元キャラへの無償のラブ・コールという「オタクの夢」であり、スウィング・ジャズミュージカル映画が花開いた30年代アメリカという時代を俯瞰する文化批評であり、そしてなによりも当時ディズニーと唯一覇権を争うことができた、フライシャースタジオのアニメーションの魅力を解説する、優れた研究書なのだ。


「ベティの白雪姫(魔法の鏡)」(1933) ディズニーの『白雪姫』とはまったく異なる内容です。

ベティ・ブープ伝』には、ベティさん主演の作品群が、筒井タッチで次々紹介されてゆくのだが、なにしろフライシャーアニメの狂気の世界は文章で書かれてもなにがなんだかわからないものばかり。しかも刊行当時はDVDやYou Tubeなどない文明未発達の時代である。ところがタイミングのいいことに、当時の愛知県では朝7時から「ベティちゃん」というタイトルで「ベティ・ブープ」の短編作品が毎日放送されていたのですよ。どれも韓国でカラー着色され、一部再編集も加えられたバージョンだったが、『ベティ・ブープ伝』を片手にせっせとチェックした日々を思い出す。
 さらに言えば80年代末期、愛知県では中京テレビの夕方にトムとジェリーがくり返し再放送されていたし、テレビ愛知では「バックス・バニーのぶっちぎりステージ」の週一放送が始まり、さらにディズニーの短編を集めた「ミッキーとドナルド」の再放送もあったのだから忙しい。ビデオデッキを駆使して録画しては観まくっていた(金がないので保存はできなかった)。勉強なんてしてる暇なかったなぁ。

 さて今回の舞台版『ベティ・ブープ伝』、劇団ガソリーナ所属の俳優、植野祐美の一人芝居という体裁だが、内容的にはアニメ史におけるフライシャースタジオの功績を伝えるプレゼンテーションであり、その合間に『ベティ・ブープ伝』に基づく、スタジオの看板女優、ベティ・ブープのモノローグが交錯するという構成になっていた。小柄でベレー帽に水玉シャツというお嬢さんスタイルがよく似合う植野が、赤いたっぷりした布を体にまとわせるだけで、「ベティ・ブープ」が憑依するというシンプルな演出がいい。
 ビンボーという犬のキャラクターの相手役としての端役デビュー、お色気と歌と踊りというショー文化を反映しての成長、新人・ポパイへのアドバイス、映画検閲制度「ヘイズ・コード」の登場により、お色気を封印されての没落……。そして時は流れ、スピルバーグ製作の映画『ロジャー・ラビット』でのカムバックへと至る。

『ベティの家出』(1932) 冒頭で「ミニー・ザ・ムーチャー」を歌うキャブ・キャロウェイの動きをトレースしたセイウチが後半登場。ロトスコープの効果に注目!

ベティ・ブープ」をはじめとするフライシャー作品の映像をふんだんに使いながらの50分、ベティ・ブープもフライシャーも知らない観客(ほとんどがそういう人だろう)向けに丁寧な解説がなされるが、「情報」の部分が少し長すぎてバランスを失している感もあった。なんたって、アニメ『スーパーマン』が宮崎駿に与えた影響にまで触れるのだから! しかしこれは、ディズニーとは異なるナンセンス志向で健闘しつつも、やがて忘れられていったフライシャースタジオへの、じんのひろあきの思い入れの吐露なのだろう。俳優の演技をアニメに転写する技術ロトスコープを、リアリズム獲得の手段として使ったディズニーと違い、アニメーターに発想できない「奇妙な動き」を取り入れるために導入したフライシャースタジオの個性。これを表現しようと『ベティの家出』におけるセイウチのダンスを背景スクリーンに映しながら、植野祐美がさらにスクリーン前でその動きをなぞり返す場面、フライシャーのアニメを3Dで語り直す試みとして嬉しかった。

 現在、「ベティ・ブープ」作品はすべてパブリックドメインなので廉価版DVDや動画サイトによって観ることができる。『ベティ・ブープ伝』で筒井氏が「未見」と無念の涙を飲んでいる作品も、そのほぼすべてがネットで観賞可能なのだ。ベティ・ブープは1930年、大恐慌による不景気と禁酒法とシカゴ・ギャングの世相を背景に誕生し、観客をエロ・グロ・ナンセンスの現実逃避に誘うお姫様だった。しかし1939年、世界が戦争に覆われようとする年に彼女は銀幕から遁走した。あれから80年、ベティ・ブープの魅力に改めて目を向けることは、ノスタルジーよりもむしろ未来を見つめることなのかもしれない。


『ベティの日本訪問』(1936) 後半のショー場面、着物姿のベティさんが日本語で歌います。