星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

曖昧で猥褻な日本と私〜『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』

 いやはや……。
 じつは先週末から「休業」を仰せつかり、自宅で過ごしています。
「在宅勤務」とか「自宅待機」とかじゃないですよ。かなり早めのゴールデンウィーク休み、しかも「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に罹らないようくれぐれも注意」という要請付きの休暇期間に突入です。ま、感染したらオフィスや仕事先への影響が甚大ですからね。

 1月に話題になり始めた頃には、アジアのローカルな問題として終わるかに見えた新型コロナウイルス、横浜に停泊したクルーズ船での集団感染を経てたちまち欧米にも拡大し、収束の気配はいまだに見えません。その対応によって、各国政府の対策システムの違いと練度を否応なく見せつけられるわけですが、東京オリンピックを控えていたがために、なるべく金と労力をかけることなくやり過ごそうとした我がニッポンは、今に至るも予算と手間を出し渋り、曖昧な「自粛要請」を続けるばかり。薬局のマスク不足すら解消できないありさまです。7日には安倍首相が「緊急事態宣言」を出すという話ですが、はたしてどうなるか。

 当方も今月から始まる新しいレギュラー番組に参加していたものの、製作はいったんストップすることに。私が演出を担当する回の撮影も延期となってしまいました。9年前の地震原発事故以上に、生活を蝕む気配が強いこの病気、蟄居状態でテレビやネットの情報を追っていると、迷走しまくりの政府に呆れたり、著名人の感染報告にため息をついたりで精神衛生上すこぶる悪い。
 もっとも、そのおかげでこうしてひさびさに記事を書く時間を作ることができたわけで、休業期間に入る前に観た映画の感想でも記しておくとしましょう。豊島圭介監督のドキュメンタリー三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜』であります。

公式サイト https://gaga.ne.jp/mishimatodai/

 1969年5月に東京大学駒場キャンパスで行われた三島由紀夫と東大全共闘の討論会は、後に『美と共同体と東大闘争』という本に採録されていて、今では角川文庫で入手できます。討論の内容だけ知りたい人は、そっちを読んだほうが手っ取り早いでしょうね。
 しかしこの討論会、本で「意味」を追う場合と、記録された「パフォーマンス」として鑑賞する場合とでは、相当に印象が異なることは間違いありません。私は「本では眠くなったけど、映像で観ると面白い」派。実際、三島の狙いも全共闘との対話以上に「行動する作家」としての自己アピールに置かれていたはず。しかしそんな魅力的なパフォーマンスを収録したドキュメンタリーが、映画として面白く仕上がったかというと、そうとも言えないのが難しいところです。

 メインとなる記録映像は、TBSに「封印」されていたという触れ込みですが、じつは以前にもこのフィルムを素材に、登壇した全共闘メンバーが往時を回想する構成のテレビ番組が製作されたことがあります。あれは90年代だったかな。確か学生側の北村修、芥正彦、小阪修平(当時は存命)らが改めてインタヴューを受けていましたね。
 今では消されてしまったみたいだけど、その番組から記録映像の部分を抜粋した動画がニコニコ動画にも長いことアップされていて、その動画に寄せられたコメントといえば、ほとんどが全共闘学生を罵倒するものでした。そりゃ、あの映像だけいきなり見せられれば、やさしい言葉でユーモアをまじえながら孤軍奮闘する三島の頭の良さが際立つばかり、硬直したポーズで観念的な議論をふっかけてくる学生たちが青臭く見えるのは当然です。現代日本の停滞は団塊の世代に原因あり、との世代論を信奉する者ほど学生たちが腹立たしく映るようですね。私なんかは正直、「昔の学生というのは、ずいぶん難しい言葉で議論ができたんだなぁ」とすっかり感心してしまったものですが。
 まぁ、我々はその後の全共闘運動の末路を知っているし、女性の姿がほとんど見えない会場にも世代の差を感じてしまうから、学生の主張が時代遅れの流行歌めいたものに聞こえるのはいたしかたないでしょう。一方、自刃した三島に対しては、残された肉声から何か手がかりを得ようと愛読者が真剣に耳を傾けてくれるわけです。そんな構図の自画像を残せた時点で、このイベントはパフォーマー三島由紀夫の大勝利だったと言えるのではないでしょうか。


討論を採録した『美と共同体と東大闘争』(角川文庫)

 今回新たに作られた『三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜』というドキュメンタリーは、「せっかく記録映像があるんだから、両者の意見をじっくり聞き直してみましょうや、そうバカにしたもんでもなさそうですぜ」、という意図のもとに製作されたらしく、交わされる討論の内容を、ナレーションと証言者を交えながら愚直に解説してくれます。討論に登壇した北村修や芥正彦、聴衆の一人だった橋爪大三郎やTBS記者たち、さらに楯の会メンバーたちの回想。三島と親交あった瀬戸内寂聴や三島ファン代表で平野啓一郎、なぜか内田樹小熊英二まで動員され、壇上で飛び交った懐かしさの漂う言葉の現代的意味をわかりやすく解釈してくれる構成で、親切といえば親切だけど、結局のところ印象として浮かび上がるのが「文豪・三島はスゴい!」だったり、「あの頃はみんな熱かった!」という政治の季節への郷愁感だったりというのが、二十数年前のテレビ番組の時と変わらぬ図式でちょっぴり辟易です。こういうのも「記憶の美化」なんじゃないかと思ってしまう。
 むしろ、小林正樹の『東京裁判』のように、討論の記録映像を中心に、その前後の世相や三島関連の映像資料を収集し、69年当時、死の1年半前の三島の「仮面」の裏には、どんな表情が隠されていたか、現代人の回想やら解釈やらに頼ることなく、当時の資料を駆使して作家の晩年をつきつめてゆく構成にした方が、50年という時間を超える生々しさを掴み得た気がするんですが、そこは予算および覚悟の問題かもしれません。

 例外的にちょっと面白かったのが、全共闘Cこと芥正彦のインタヴュー。あの討論会でただ一人、三島の狙いを見抜いてパフォーマンスで対抗しようとしたのがアングラ演劇の雄だった彼で、赤ん坊を抱えて登場し、不逞な態度で三島を挑発しようとする敵役ぶりはなかなかのもの。芥と三島による「解放区」の本質をめぐる議論は、この日の討論でもっとも聞き応えのある部分です。70歳を超えた芥が、三島の最期について問われ「嬉しかったね。彼にとっては大願成就でしょう」と答えるのは、いかにも演劇人らしい感想で、彼もまた三島同様、半透明の薄膜で現実世界から遮断されたまま生き続けている者なのだな、と納得させられてしまう。
 また、芥は三島とあなたとの共通の敵はなんだったかと問われ、「曖昧で猥褻な日本国」と答えるのですね。三島は戦後日本における「曖昧で猥褻」の象徴を日本国憲法と仮定し、改憲のための抗議の死という形で自刃、彼の考える「英雄の死」を演じて見せたわけですが、さて現代も脈々と継続中の「曖昧で猥褻な日本国」、新型コロナ騒動で改めて浮き彫りになりつつある、しかも相当に腐敗の進んだ相手に、われわれはどう対峙するべきか。

 討論の席上「私は安心している人間が嫌い」と言い放ち、モーリヤックの『テレーズ・デスケルウ』を引用しながら、「君たちも権力者の眼の中に不安を見たいのだろう。私も見たい」と学生たちを煽った三島。世の中が改めて「不安」に覆われることで、このドキュメンタリーはやや今日的な要素を持ち得たのかもしれません。

 

テリー・ジョーンズの死とテリー・ギリアムの新作〜『Hなえっちな変態SMクラブ』と『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』



公式サイト http://donquixote-movie.jp/ 

 先週は、モンティ・パイソンのメンバーであるテリー・ジョーンズの訃報(享年77)が飛び込んだのと、テリー・ギリアムの新作が日本公開を迎えるという、パイソンズのファンにとっては泣き笑いの一週間となった。

 イギリスの伝説的コメディ番組空飛ぶモンティ・パイソン(1969〜1974)のビデオが発売されたのは80年代。当時10代だった私も熱中し、多大な影響を受けた。グレアム・チャップマンジョン・クリーズケンブリッジ卒コンビが生み出すシニカルで論理的なギャグも面白かったが、テリー・ジョーンズマイケル・ペイリンのオクスフォード卒コンビが生み出すシュールで映像的なギャグがことのほか好きだった。ジョーンズ&ペイリン組は、後にリッピング・ヤーン』(1976〜1979)というシリーズをBBCで製作するが、これなどはイギリス流のユーモア・スケッチ映像版としてマレな傑作なので、未見の方にはぜひお薦めしたい。『Mr.ビーン』あたりとは次元の違う面白さだ。


リッピング・ヤーン』第1話「トムキンソンの学校生活」

 パイソンズはケンブリッジ派とオクスフォード派のほかに、音楽ネタを得意とする一匹狼エリック・アイドルと、奇抜なアニメーションを制作するアメリカ人、テリー・ギリアムの6人によって構成されていたわけだが、このメンバーが初のオリジナル長篇映画モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』1975)を製作するにあたって、共同で監督を担当したのがテリー・ジョーンズテリー・ギリアムだった。情熱的で仕切りたがりのジョーンズと、映像センス抜群のギリアムとの分担作業がとてもうまく行ったように見える映画化だが、やはり撮影現場で個性の強いメンバーを束ねるのは大変だったようで、以後の『ライフ・オブ・ブライアン』(1979)、『人生狂騒曲』(1983)といったパイソン映画では、ジョーンズが単独で監督を担当、作家性の強いギリアムは美術や特殊効果のみを請け負うことになる。

 テリー・ジョーンズは『カンタベリー物語』のジェフリー・チョーサーの研究家としても知られ、童話作家としても活躍した多才な人物だったが、映画監督としては『Personal Services』(1987)という作品が忘れがたい。日本では『Hなえっちな変態SMクラブというポルノまがいの邦題でビデオ化されたのみだったが、最近CSでも放送された。息子の学費を稼ぐため、ウェイトレスをしながらコールガールに部屋の又貸しをして稼いでいたシングルマザーが、ついに自ら売春を始めるという話で、いつしか仲間が集まり事業拡大、彼女の娼館はさまざまな性癖を持つ人々が訪れる「変態の楽園」として大繁盛。さながら『にっぽん昆虫記』のイギリス版だ。
 これ、シンシア・ペインという娼館経営者が逮捕された実話を元にしており、脚本を書いたデヴィッド・リーランドはシンシアをモデルに映画を作るにあたって、まず彼女の少女時代にスポットを当て『Wish You Were Here』(1987)という青春映画を自ら監督した。そう、ピンク・フロイドの名曲と同じタイトルなんですねぇ。フロイド曲の邦題は「あなたがここにいてほしい」だったが、映画の邦題は『あなたがいたら/少女リンダ』。その実質的な続篇として、大人になった彼女が起こした事件を脚色したのが 『Personal Services』だ。邦題でいうと『あなたがいたら/少女リンダ』が『Hなえっちな変態SMクラブ』へと成長したわけで、なにやら無常感が漂う。撮影は現代最高のキャメラマンの一人、ロジャー・ディーキンス。巧みな移動撮影が演出を助けている。

映画『Personal Services(Hなえっちな変態SMクラブ)』予告編

 テリー・ジョーンズ『エリック・ザ・バイキング〜バルハラへの航海』(1989)や『ミラクル・ニール!』(2014)のようなファンタジー色の濃いコメディを撮ると、どうもスケール感を出せずにギャグも弾まない傾向があり、堅苦しいお国柄をセックスの面から風刺する、『Personal Services』のような重喜劇(©︎今村昌平)が向いていたのではないかと思う。
 ただ、男性との売春行為をいっさい疑わない主人公たちが、世間から「変態」とされる人々を肯定することでリベラルかつパワフルなヒロインとして描かれるこの作品、「良識」で取り繕った社会へのカウンターカルチャーとして成立したのは20世紀までな気がする。「良識」が溶解した現在において、このメッセージを正しく伝えるには、さらにもうひと工夫が必要かもしれない。


テリー・ギリアムドン・キホーテ』(2018)予告編

 バロックな世界を視覚的に楽しませてくれる天性の映画監督は、あきらかにテリー・ギリアムの方だったわけだが、その彼もバンデットQ(1983)、未来世紀ブラジル(1985)、『バロン』(1989)の「夢想者三部作」を撮って以後は、『ブラジル』での最終編集権をめぐる争いや、『バロン』での大幅な予算超過といったトラブル続きが災いしたのか、「不遇」の一語が離れないフィルムメーカーになってしまった。同年輩のリドリー・スコットが今もハリウッドの最前線で豪速球を投げまくり、同じアニメーション畑出身のティム・バートンがダーク・ファンタジーの第一人者として多彩な活躍をしているのにくらべると、大きく水をあけられた感は否めない。しかし、時に優秀な「職人」に徹することができるスコット、バートンらとは違い、ギリアムは作品に自分の体臭をこすりつけようと愚直に格闘してしまう不器用な「芸術家」。ファンもまた、ギリアムの個人的体臭が薄めの作品には容赦なく不満を口にする。上出来にまとまった作品など、ハナから期待していない。

 で、そんなテリー・ギリアムが1990年代から抱えていた企画が、『The Man Who Killed Don Quixote(ドン・キホーテを殺した男)』。2000年にジョニー・デップ主演で撮影開始にこぎつけるが、強引にプロジェクトを組んだ無理が祟り、ロケ地の不首尾や悪天候ドン・キホーテ役のジャン・ロシュフォールの病気といったトラブルが重なって、ついに製作中止に陥った顛末は、ドキュメンタリー映画『ロスト・イン・ラマンチャ(2002)にくわしい。
 その後もギリアムが『ドン・キホーテ』の製作を再開した、という噂が流れること数度、主演俳優の情報はコロコロ変わるが、どうしても撮影開始にこぎつけられぬままポシャってしまう、幻のプロジェクトとなっていた。ギリアムの「ドン・キホーテ企画発進」は、「宮崎駿の引退宣言」と同じくらいアテにならない情報として映画ファンに知れ渡り、「ギリアム先生、このまま『見果てぬ夢』を抱えたまま世を去ってしまうのでは……」とファンも本人も心配になっていたところ、いつの間にかアダム・ドライバージョナサン・プライスの主演で撮影開始、無事に完成へと至ったのだから驚いた。

 とはいえ、完成したからって油断はできぬ。だいたい「構想ウン十年の夢のプロジェクト」が、蓋を開けたら熟成させすぎで酢になっていた、なんてことはよくある話。過度な期待は禁物、禁物……。
 が、公開初日に現物を観てもう一度驚いた。テリー・ギリアムドン・キホーテと邦題がつけられたこの新作は、ひさびさにギリアムの体臭がプンプン漂う純度100%の力作だったのだ。しかも、内容はまさかの「夢想者三部作」の完結篇(みたいな感じ)。21世紀になって80年代の夢の続きが観られるとは思わず、客席で快哉を叫びたくなった。
 2000年にジョニー・デップで撮影した時点では、現代のイヤミなCMプロデューサーが、17世紀にタイムスリップして本物のドン・キホーテに遭遇するという、マーク・トゥエインの『アーサー王宮廷のヤンキー』に似た物語だったようだが、完成した作品では、売れっ子CMディレクターが、学生時代に撮ったドン・キホーテ映画のロケ地を再訪したところ、当時の撮影に参加した老人が今もドン・キホーテを演じ続けており、その妄想世界に巻き込まれるという、きわめて内省的な物語になっていた。主人公のCMディレクターと、ドン・キホーテを演じる老人は、ハリウッドの「商業」の論理に苦しみながら、個人的な「夢」を追い続けて悪戦苦闘するギリアム自身が分裂した姿に違いない。
 さらに、「ドン・キホーテを連れ帰るため村人が仮装して芝居を打つ」とか「『前編』を読んだ公爵夫妻がドン・キホーテをからかうため屋敷に招く」といったセルバンテス原作のエピソードもしっかり流用、夢と現実が行き来するメタフィクション構造にいっそうの奥行きを与えている。主演のアダム・ドライバーが長い手足をバタバタさせながら演じるサンチョ・パンサもいいが、ジョナサン・プライス演じるドン・キホーテはさながら『未来世紀ブラジル』の主人公が転生した姿で、彼がロシア人富豪のパーティーで愚弄される場面は悲痛なものがあった。


ギュスターヴ・ドレが描くドン・キホーテとサンチョ(『バロン』に続いてギリアムのイメージ源となった)

 いっぽう、映画としては弱点も多い。脚本をいじりすぎたせいだろう、前半の展開はモタモタして冗長だし、女性キャラクターを活気づかせられないのも相変わらずだ。あえてCGを多用せず、歴史的建造物を借りてのロケが中心となったようだが、やはりユニークなセットを駆使した全盛期の映像にくらべると視覚面ではヴォリューム不足。予算の都合か『ロスト・イン・ラマンチャ』の時は準備していた、マリオネットの兵士たちとのチャンバラ場面も削除されてしまったらしい。
 それでも、仮装舞踏会での迷宮感はひさびさのギリアム節に酔わせてくれるし、原題「ドン・キホーテを殺した男」の意味が判明するラストは胸に迫るものがあった。夢の破綻と再生。『バロン』のラストの語り直しとはいえ、「夢VS現実」のドラマを愚直に描き続けるガンコ一徹な芸術家ギリアムによる「オレは絶対に夢から覚めないぞ!」という高らかな宣言が聞けて、嬉しかった。

 だが、『Personal Services』の諷刺がストレートに通じにくくなったのと同様、「夢の勝利」を信じるギリアムの姿勢は、「分断」が進む現在において、はたして有効なのだろうかと疑問に思わなくもなかった。今、下層の側が抱くことのできる「夢」とは、例えばポン・ジュノ監督『パラサイト 半地下の家族』(2019)のラストが描くような、絶望の一形態にほかならないのではないだろうか。それともギリアムは「白鳥の歌」を歌うにあたって、『未来世紀ブラジル』のラストを鮮やかに転換させた、ととらえるべきなのだろうか。
 夕陽に向かって消えてゆくドン・キホーテの姿をまぶたに浮かべつつ、自分自身がドン・キホーテとしてあるならば、これからどんな戦い方ができるのか、観終わって思いを巡らせずにはいられなかった。

 

2010年代映画ベスト・テン



 「こんちはー、今年のベストテンをうかがいにまいりましたー」

 「三河屋の御用聞きみたいに現れるな、君は」

 「そんな昭和な例えじゃ、わかる世代はもう限られてますよ」

 「今年も忙しい中、新作映画をまめに観て歩いたけど、アンテナの感度が鈍ったのか、あまりのめり込めるものがなかった。疲れがたまるばかりでね」

 「つまりトシを取ったと?」

 「かもね。それに、テレビドラマや配信系の映像作品など、『映画』の成り立ちが複雑化した今、劇場公開作品に限定した形でベストテンを選ぶことの意味なんて、ほとんどないでしょう」

 「そんなもん個人の思い出以上のものがあるわけないじゃないですか。リアルタイムの資料として記録しておけばいいんですよ」

 「確かにね。なので、2019年で選ぶのはしんどいが、せっかくの10年代最後の年、『2010年代に映画館で観た作品のベスト・テン』というくくりで選んでみることにしたよ。10年後には『劇場公開作品』に限定した選出なんて価値がなくなりそうだからね」

 「ははは、そもそも2029年には生きてるかどうかも怪しいじゃないですか。では、さっそく見てみましょう」

1.マッドマックス 怒りのデス・ロード(2015)
 監督:ジョージ・ミラー

2.スリー・ビルボード(2017)
 監督:マーティン・マクドナー

3.かぐや姫の物語(2013)
 監督:高畑勲

4.ダンケルク(2017)
 監督:クリストファー・ノーラン

5.ニーチェの馬(2011)
 監督:タル・ベーラ

6.ロジャー・ウォーターズ ザ・ウォール(2014)
 監督:ロジャー・ウォーターズ&ショーン・エヴァンス

7.ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q(2012)
 監督:庵野秀明

8.バーフバリ 王の凱旋(2012)
 監督:S.S.ラージャマウリ

9.LEGO(R)ムービー(2014)
 監督:クリス・ミラー&フィル・ロード

10.ダークシステム[完全版](2013)
 監督:幸修司

次.神々のたそがれ(2014)
 監督:アレクセイ・ゲルマン

次.親密さ(2012)
 監督:濱口竜介

 

 「ほほう、1位はマッドマックス 怒りのデス・ロード。なんだ、ブログ『男の魂に火をつけろ!』がやったアンケート結果(http://washburn1975.hatenablog.com/entry/2019/12/22/221931)と同じじゃないですか」

 「トシをとって感性が平均化されてしまったのかなぁ、と思いつつやはりコレしかなかったのだ」

 「2010年代の1位が『マッドマックス』とジョージ・ミラーでいいんですかね。あまりに後ろ向きでは?

 「でもね、往年のコンテンツとクリエイターが、新たな視点を経て『更新』を果たすのも、21世紀映画の重要な方向性だと思うんだな。以前は業界のネタ切れだと批判的に見ていたが、これはこれで映画文化の成熟を示すものだと考え直した。その最大の達成をジョージ・ミラーが果たした、というのは大きいよ」

 「なるほど。2位はスリー・ビルボード、これも去年の大評判作です」

 「ミステリ映画としての面白さに加え、ブラックコメディとしての味わいも非常に巧みで、画の切り取り方も好みだった。マーティン・マクドナーは劇作家出身だが、本来映画志向らしいね。これから長い付き合いになりそうな監督だな」

 「3位はかぐや姫の物語。高畑作品は相性が悪いと言ってませんでしたっけ?」

 「凄い演出家だと思うけど、あまり見返したくならないし、視点の置き方がいちいち気に障るんだな。しかしこれは原作への目の向け方と解釈の方向性が私の趣味にぴったり。『セロ弾きのゴーシュ』(1982)以来の傑作と思いました」

 「4位はこれも苦手と言っていたクリストファー・ノーラン

 「鈍重で下世話な印象があったノーランだけど、『ダンケルク』を3度観たら、根本的になにか読み間違えていたかもしれない、という気持ちになった。来年の新作公開の前に、また全作品見返してみたい人です」

 「5位はタル・ベーラ。今年は伝説の『サタンタンゴ』(1994)が一般公開されましたね」

 「ようやく観ましたよ、7時間18分の大作を。先に『サタンタンゴ』を観たらどう思ったかわからないけど、やはりニーチェの馬は彼の到達点だったんだなぁ、という思いを深くしたのでここに入れました」

 「そして6位にロジャー・ウォーターズ ザ・ウォール。このブロマガで詳細な記事を書きましたね」

 「2010年代は、ロジャー・ウォーターズが新作アルバムを出すだけでなく、『ザ・ウォール』と『US+THEM』の2本の映像作品を完成させたという、長年のファンとしては特別な年代となったわけだから記録に残さないわけにはいかない。しかもいずれも完成度がすばらしいんだからね」

 「7位はまた日本アニメですか。庵野監督ならシン・ゴジラ』じゃなくていいんですか?

 「2010年代の日本映画を代表する作品として『シン・ゴジラ』が挙げられることに異論はないけど、私が強く支持したいのは『ヱヴァQ』の方なのね。来年の完結篇と『シン・ウルトラマン』への期待を込めてランクインさせました」

 「8位は大評判になったインド映画ですね」

 「もちろん1作目のバーフバリ 伝説誕生と合わせた上でのこの評価と思っていただきたい。堂々のスター映画であると同時に、日本の時代劇、マカロニ西部劇、香港活劇の遺伝子を受け継いだ現代娯楽映画。ハリウッドのアメコミ映画もいろいろあったけど、この作品のインパクトを超えるものはなかったな」

 「9位のLEGO(R)ムービー』は2014年度のベストワンに挙げてましたね」

 「私が選ぶ以上は、コメディ映画を混ぜておきたいと思ってさ。マシュー・ヴォーン『キック・アス』(2010)やゴア・ヴァービンスキーローン・レンジャー』(2013)もよかったけど、やはりCGアニメから選ぶことにした。クリス・ミラー&フィル・ロードのチームはこれからも期待できそうだしね。今年公開のパート2も面白かったよ」

 「10位の『ダークシステム[完全版]』は自主映画ですよね?」

 「Hey!Say!JUMPの八乙女光が主演した連続ドラマ『ダークシステム 恋の王座決定戦』(2014)の原作になった傑作だよ。私としては『カメラを止めるな!』(2017)以上に感銘を受けた低予算コメディさ」

 「ググってみましたが監督の幸修司さんは現在、脚本家として活躍されてるみたいですね」

 「監督としての新作も期待したいところだ」

 「そして次点が2本。まず、アレクセイ・ゲルマン監督の遺作『神々のたそがれ』

 「ゲルマンの変わらぬ映画力に敬意を表して入れたかったがはみ出ちゃった。でも、邦題は『神様はつらい』のままにしてほしかったなぁ」

 「『神様はつらい』じゃ、なんだか寅さんが出てきそうですよ。もう一本の『親密さ』はENBUゼミナールの卒業制作で4時間以上ある映画なんですね」

 「濱口竜介監督はその後、『ハッピーアワー』(2015)や『寝ても覚めても』(2018)で第一線の監督に躍り出たけど、私としては『親密さ』の劇構造がいちばん刺激的だった」

 「こうして1ダースの作品を見渡すと、なかなか面白い映画が登場した10年だったんじゃないですか? 次の10年はどうなるんでしょう」

 「私はわりと楽天的に見てるんだ。これからMCUをはじめとするアメコミ大作と、Netflixなど配信系が製作する映画がせめぎあって、豊穣な作品市場を生み出すのか、いずれもタコツボ化して映画観賞という行為自体が好事家のものへと閉じてゆくのか、それはわからない。だけど、映画が技術の進化と世相の変化を反映しながら進歩する総合文化なのは今後も変わらないだろう。ハードの発展によって、思いもよらぬところから思いもよらぬ『映画』が飛び出してくればいいんじゃない?」

 「なるほど。でも、この12本に今年の作品は入らない……と」

 「たまたまだよ。ようやく『スター・ウォーズ』9部作が完結するかと思えば、『寅さん』が復活する2020年の正月映画界だからね。来年も何が起こるかわからない」

「年明け早々にはポン・ジュノの新作も待っていますよ」

「映画ファンは常に“Always Look on the Bright Side of Life”の精神で行きましょう」

「それではみなさん、来年もよろしくお願いします」

 

『ピンク・フロイド 光〜PERFECT LIVE!』と『ロジャー・ウォーターズ US+THEM』〜ふたつのコンサート映画

プロモ映像 https://www.youtube.com/watch?time_continue=16&v=KonVL3GKpto&feature=emb_logo

 

 今年の11月下旬は、ピンク・フロイドのファンにとっては熱く、忙しい時期となった。

 まず25日、ギルモアフロイドによる1988年のライブを収録したコンサート映画“Delicate Sound Of Thunder”(邦題『ピンク・フロイド 光〜PERFECT LIVE!』)のライブ絶叫上映があり、30日にはロジャー・ウォーターズの新作コンサート映画ロジャー・ウォーターズ US+THEM』(2019)の一夜限定プレミア上映が開催。さらに日本が誇るフロイドトリヴュート・バンド「原始神母」のツアーまで始まるのだからたまらない。
 私としても2年前、わざわざN.Y.まで出向いて“US+THEM”ツアーを観ただけに、その映画版の仕上がりには期待がつのる一方だし、旗揚げから観ている原始神母は、今年のツアーではアルバム「ウマグマ」の50周年を記念して、2枚組再現ライブを行なっているというので絶対に聞き逃せない。
 年末進行の迫るスケジュールとにらめっこし、原始神母のライブは12月下旬の六本木公演のチケットを押さえ、ロジャーの『US+THEM』上映会は、発売初日にチケットを入手した。

 で、いちばんどうでもいいピンク・フロイド 光〜PERFECT LIVE!』のチケットを最後に取って、25日の夜はZepp Diver City TOKYOへ。この映画、1989年にVHSビデオで出たきりだから、若いファンは観たことがない人が多いだろう。
 監督はボン・ジョヴィモトリー・クルーのビデオクリップを手掛け、「80年代伝説のMTV監督」と呼ばれたウェイン・アイシャム。しかしアイシャムとフロイドの個性は合っていたとは言い難く、このビデオ、初めて観た時の印象は最悪だった。
 まず画面全体に青味が強調され、モヤっと霧がかったようなトーンが寒々しい。フィルターかまして「幻想的」にしたつもりだろうが、ギルモアフロイドの指向性はこっちじゃないよ。おかげで色とりどりのヴァリ・ライトが飛び交う照明演出がだいなしだ。さらに、カットをベタ〜っと長くダブらせる編集が多く、しまりがないことおびただしい。ギルモアのギターの手元と歌う顔のどアップの多重合成なんて、暑苦しい上に見づらくてかなわないし、演奏やステージ演出のタイミングをハズした編集も目立ち、フロイドの音楽世界をとらえ損ねているように見えた。実は、1994年のツアーを収録したビデオ『P.U.L.S.E(DVD版邦題「驚異」)』を先に観てしまったせいもあり、とにかくガッカリしたものだ。
 問題は演出だけではない。演奏自体も、弾きながらぴょんぴょん飛び跳ねるベース(ガイ・プラット)や、腰を落として大股を開きながら吹くサックス(スコット・ペイジ)など、サポートメンバーたちのはしゃぎっぷりが、むしろピンク・フロイドの品格を落としているように思えてならず、コーラスを務めるボディコン三人娘がクネクネ踊るのをバックに、ギルモアが露天風呂で湯加減を味わうが如き表情でギターを泣かせる姿が、なんともオヤジ臭くて気恥ずかしかった。

 さて、それがHD版ではどうなったか。会場に着けば、私は「立ち見上等!」の気分でいちばん安いスタンディング席を取ったのに、前方自由席はパイプ椅子がずらりと配置され、高齢プログレファンに優しい仕様となっていた。スタンディングスペースは「立って騒ぎたい人用」に自由席の両端にちんまり設置されただけ。さすがにわざわざこのスペースにやってくる人は少なく、私も自由席で座って見た。まぁ、やはりというかなんというか、フロイド曲を聞きながら「絶叫」したい日本人はほぼ皆無なようで、自由席の客も特に立ち上がることもなく、黙って聴いていたのでありました。

ピンク・フロイド The Later Yeares 1987-2019』ジャケット


 上映前の前説に登場したのは、2年前にここで『デヴィッド・ギルモア ライブ・アット・ポンペイ』(2017)の極音上映会をやった時と同じく、ロック評論家の伊藤政則。セーソクさんによると、今度出る「ピンク・フロイド The Later Yeares 1987-2019」というアーカイブ・ボックスには、アルバム『鬱(モメンタリー・ラプス・オブ・リーズン)』(1987)の最新リミックス版が収録されるのだが、何が最新かというと各曲の“アップデート版”なるものが入っている。それは『鬱』の曲に、キーボードのリック・ライトのプレイを再ミックスして仕上げ直したものなんだとか。
 いやいやいや、そんなもん聞きたいですか、みなさん? ギルモアフロイド1作目である『鬱』が実質ギルモアのソロ・アルバムであることは今や周知の事実。ほんのちょっとしか参加してないリックのプレイを増量したところで贋作が真作になるわけじゃなし、新しいボックスを少しでも多く売るためなんだろうけど、ギルモア先生も商魂たくましくなったものですなぁ、と若干心が冷ややかになったところで上映開始。

 十数年ぶりに観る『ピンク・フロイド 光〜PERFECT LIVE!』、まず、80年代のコンサート映像とは思えない画質に驚いた。撮影素材が35㎜フィルムだったおかげで実現した高品質化。『P.U.L.S.E』はビデオ撮りだからこうはいかない。さらに、本来のテレビサイズ(4:3)から現行のワイドテレビ(16:7)にトリミングし直すにあたって、かなり編集に手を加えたようで、オリジナル版よりはるかに観やすくなっている。色調も補正したようだし、しつこい多重合成も控えめで、それぞれのプレイをしっかりとらえた結果、光と音のエンターテインメント・ショーで観客を酔わせる、ライブ・バンドとしてのギルモアフロイドの存在感が、21世紀によみがえった。
ザ・ウォール』(1979)、『ファイナル・カット』(1983)とロジャー・ウォーターズが主導する時期の重苦しさ、テーマ性から解放され、「わしゃー本来、こういう明るく楽しいショーをやりたかったんじゃー!」、というギルモアの魂の叫びがビシビシと伝わってくる。サポートメンバーの悪ノリが目立つ演奏も、解放感の露呈としてとらえれば貴重なものに聞こえてくるのだから不思議。実際、リック・ライトとニック・メイスンが調子を取り戻し、演奏スタイルが完成した『P.U.L.S.E』のまとまりの良さに比べると、こちらは若手の力を借りながら、「産業ロックで何が悪い!」とプレイを爆走させる様子がいっそすがすがしい。
 もっとも、奇跡のフィルム『ピンク・フロイド ライブ・アット・ポンペイ』(1971)で大暴れした若き前衛ミュージシャンたちの姿はここにはない。しかしアーティストの「成熟」を感じさせるひとつの姿ではある。

日本版予告編 


 そして11月30日、映画『ロジャー・ウォーターズ US+THEM』のプレミア上映のため、新宿ピカデリーへ。世界最高水準のロックショーであったツアーの様子は、2年前に詳細なレポートを書いたので、そちらを参照していただきたい(ロジャー・ウォーターズ US+THEMツアー観賞記 https://ch.nicovideo.jp/t_hotta/blomaga/ar1343862  )。

 全国で抽選にしなければいけないほど客が入るのかよ、と心配だったがとりあえずピカデリー3は完売だった。品川のコヤもほぼ満席だったと聞いてひと安心。上映前の登壇ゲストは「またお前か」伊藤政則
 私と同じくN.Y.で「US+THEM」ツアーを観たというセーソクさん(日にちもいっしょだった)によると、このツアーの来日公演を打診したプロモーターはいくつかあったそうだ。
「しかし、消防法の問題でダメになったみたいです。1階客席の真ん中から壁が出現して会場を左右に分断する演出があるんですが、日本ではあの仕掛けの下に観客を入れられないそうで。そうすると1階席中央ブロックをまるまる無人にしなきゃいけなくなり、それじゃ客数が制限されるから」
 ああ、消防法! ロジャーの「狂気」ツアーや「ザ・ウォール」ツアーも、舞台上でふんだんに花火を打ち上げるから、これは日本じゃ消防法的にキツそうだな、と思っていたが、まさか「US+THEM」ツアーでも引っかかるとは。外国でも数万人規模の巨大スタジアムが会場の場合は、あの壁の仕掛けをステージ背後に設置することもあったようだが、それを日本でやるとなれば東京ドーム級の会場を必要とするため、ペイできないということになったのだろう。実に残念。
 U2ならさいたまスーパーアリーナが埋まるのになー。現地に観に行っといてヨカッタ。

会場となった新宿ピカデリー3

 上映された映画『ロジャー・ウォーターズ US+THEM』は、公演を忠実に記録し、映像で内容を再現するというものではまったくなかった。やはりライブ公演と映画はまったく別物、映画『ロジャー・ウォーターズ ザ・ウォール』(2014)が、ライブの記録映像とロードムービーを混ぜ込んで、ロジャー個人の私映画として独立した作品になっていたように、今回は紛争や暴力に追われる難民たちの姿を中心に、「US(我々)&THEM(彼ら)」の分断から「US+THEM=みんな同じ」の融和を訴えるアジテーション・フィルムとなっていた。
 冒頭に映し出されるのは、浜辺に座る難民の女性の後ろ姿、というのはステージと同じだが、映画版では、彼女と難民たちの姿を描く描写が随所にインサートされ、ステージで演奏される楽曲がすべて、「彼らに捧げる歌」であるかのように構成される。
 ギルモアフロイドの映画がギターの音色を中心に演者・観客が共に盛り上がる祝祭的な演奏であったのに対し、こちらはロジャーというカリスマを中心にしつつも、主題となる地球上の悲劇を決して忘れさせない理知的な演奏で、熱狂する観客たちの姿も含め、ひとつのコンセプトで統一された映像作品に仕上がっている。前作『ザ・ウォール』同様、ヴィジュアル・ディレクターのショーン・エヴァンスによる編集がじつに巧みだ。
 実際、この構成で演奏を聞かされると、かつては「内省的」といわれたフロイド楽曲が、まったく現代への批評性を失っていないことに改めて驚かされる。ロジャーの新作アルバムから演奏する曲が、21世紀の紛争や難民問題を扱っているのは当然だが、おなじみの「吹けよ風、呼べよ嵐」が日常に忍び寄る暴力を、「ようこそマシーンへ」が体制に飲み込まれてゆく現代人を、「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」が思想統制を望む権力者の存在を、「あなたがここにいてほしい」がテロや戦争、災害で喪われた人々への思いを、「ドッグ」が無縁社会における人間の孤独を、それぞれ視野に含んでいることがまざまざと浮かび上がる。優れた芸術作品の多くは過去と未来の両方に開かれているものだが、ピンク・フロイドの曲もまた「当時」の殻に閉じ込められてはいなかった。
 後半の「ドナルド・トランプ=豚」を強調する演出ばかり報道されたこのツアーだが、映画『US+THEM』では「我々」と「彼ら」分断する、権力者や金満家を批判する曲として「ピッグ」が演奏され、トランプはそのわかりやすい象徴に過ぎない。映画版では続く「マネー」の冒頭にトランプの罵声をエフェクトとして使用、各国首脳の顔をモンタージュした上、間奏部には核爆発による世界滅亡のイメージをダメ押ししていることから、曲を単なる「資本家批判」のイメージから拡大していることは明確だ。ネットでは「リベラルなアーティストがまだ戦争も虐殺もしてないトランプを批判するのは偽善。本物なら習近平を批判すべきでしょ〜」とか言うこざかしい連中が目立つが、ロジャーの危機意識はもはやそういう呑気なレベルではない(その種の冷笑家の姿がすでに「ドッグ」で描かれているのもビックリだ)。権力者や金満家が世界を支配する状況、これを放置したらえらいことになるぞ、そのためには「抵抗(RESIST)あるのみ」、と強く訴えかける。

 驚いたのは、ステージでは感動的な盛り上がりを見せたアンコール曲「コンフォタブリー・ナム」をバッサリとカットしていたこと。これぞ「Comfortably Numb(心地よい無痛感)にひたってる場合じゃねーよ!」というチコちゃんばりのメッセージ。映画『US+THEM』のセットリストはアルバム「狂気」冒頭の「スピーク・トゥ・ミー」で始まり、「狂気」結末の「狂人は心に〜狂気日食」のメドレーで終わる。レーザーで描かれた巨大な三角形が浮かぶ会場に、球体(月の裏側)が出現して横切ってゆく。一方、映像では改めて難民の女性と浜辺を遊ぶ少女の姿が描かれ、彼女たちが抱き合う姿でエンディング。「あの太陽の下、すべては調和を保っている。しかし、その太陽はじょじょに月に侵食されてゆく」という最後の歌詞も、現代に向けた希望と不安として受け止められる。
 ステージで演奏された「コンフォタブリー・ナム」においても、曲の内容とは裏腹に「快楽に陶酔したままでいいのか?」というロジャーの声を感じたものだが、映画版『US+THEM』では、「我々」と「彼ら」がいかに協調できるか、という問題提起を、観客に必ず持ち帰ってほしい、という強い意図を感じた。エンドクレジットで歌うのも有色人種の子供たちで、子供に未来と希望を託す、いささか甘い結末も、ロジャーが脚本を書いたアラン・パーカー監督『ピンク・フロイド/ザ・ウォール』(1982)から変わらない。

 アンコールがカットされた代わりに、「fleeting glimpse」という15分の短編ドキュメンタリーが同時上映され、ツアーのメイキングを見せてくれた。リハーサルとして断片的に演奏されるのが「コンフォタブリー・ナム」なので意地が悪い(笑)。座長としてのロジャーの振る舞いがなかなか可愛いですぞ。
 ここで謎だったのは、最後にファンから握手を求められた際、ロジャーが「握手はできないんだ」と断っていたこと。「クソまみれでね。菌を持ってるから」などと言っていたが、どういう意味だろう。ステージではいつも、アンコールの間奏に舞台を降り、最前列のファンと触れ合っていたのだが、映像を見ると、その際もロジャーは手を伸ばすファンに、指先でチョンと触れるか肘をつつくだけで確かに握手をしていない。ロジャーは潔癖症なのか? それとも金正男暗殺犯のようなヒットマンを警戒してのこと?

 ともあれ、『ピンク・フロイド ライブ・アット・ポンペイ』でふてぶてしく生意気な態度を取っていた兄ちゃんは、今も怒れる後期高齢者として、熱く権力への反抗を呼びかけていた。来年には、早くも北米とメキシコで新たなツアーを計画中だそうで、もちろんアメリカ大統領選に向けてのアジテーションだろう。
 2005年〜6年の「狂気ツアー」と2010年〜2013年の「ザ・ウォール」ツアーで、自身のキャリアを総括し、「終活」に入っていた感のあるロジャー・ウォーターズ。しかし、トランプ大統領爆誕というニュースによって、その創造エンジンには新たな炎が灯った。「ピンク・フロイドの頭脳」は成熟を拒否し、まだまだ現在進行中だ。

 

『キューブリックに愛された男』と『キューブリックに魅せられた男』を観て、武重邦夫監督を思い出す


公式サイト https://kubrick2019.com/ 

 

 今年はスタンリー・キューブリックの没後20年であり、最後の作品となった『アイズ・ワイド・シャット』(1999)の公開20周年でもある。そしてこの秋、まさに『アイズ・ワイド・シャット』に出演した2人の人物をそれぞれ主人公とするドキュメンタリーが、日本で同時公開されている。

 一本は、『時計じかけのオレンジ』(1971)製作中にキューブリックと知り合い、その後30年近くに渡って運転手兼雑用係として仕えたエミリオ・ダレッサンドロを主人公とするキューブリックに愛された男』(2016)。エミリオは『アイズ・ワイド・シャット』ではトム・クルーズが新聞を買い求めるスタンドの店員を演じていた。
 もう一本は、『バリー・リンドン』(1976)に俳優として出演した後、キューブリックの個人助手となったレオン・ヴィターリを主人公とするキューブリックに魅せられた男』(2017)。レオンは『アイズ・ワイド・シャット』では洋館に登場する赤マントの男を演じていた。
 どちらもキューブリックの「家族」ともいえるスタッフの回想を切り口に、謎多き巨匠の人となりに迫るドキュメンタリーである。しかし、この2本の強力なライトを持ってしても、キューブリックという巨大な多面体を照らし尽くすわけにはいかないようだ。それでも、危険の多い森に踏み込むための、充分なガイド役を果たしてくれることは間違いない。


スタンリー・キューブリックとエミリオ・ダレッサンドロ


キューブリックに愛された男』は、カメラの前で語るのはエミリオ・ダレッサンドロとその夫人のみ。かつて撮られたスナップ写真のひんぱんなインサートに、デジタル加工された写真がアニメ風に動くなどの演出はあるが、キューブリック作品の本編はいっさい引用しない禁欲的な作りになっている。というのも、エミリオはカーレースと自分の仕事以外はほとんど興味がない素朴な男で、キューブリック作品も晩年まで観たことがなかったという。そんな映画ファン気質とは無縁なところが、キューブリックに気に入られた一因なのかもしれない。
 エミリオの話から浮かび上がるキューブリック像とは、膨大なメモや電話、ファックスを次々と送りつけては事細かな指示を下す口うるさい雇い主であり、家族と動物たちを愛するよき家庭人。F1レーサーをめざしたエミリオの息子が事故で大怪我を負った際、励ましのメモを何度も届け、さまざまな医者を紹介するなど親身になって世話をしてくれるし、『シャイニング』(1980)の撮影中、ジャック・ニコルソンの送迎役を仰せつかったエミリオが彼の下品な振る舞いに嫌気がさして、苦情を訴えるやただちにその役から外してくれるなど、気配りの人でもあったことも伝えられる。もっとも、合理主義者のキューブリックにしてみれば、スタッフのモチベーションが低下したまま仕事を無理強いさせることは、あまりに非効率的と思えただけなのかもしれない。
 90年代のはじめに一度引退してイタリアに引き揚げたエミリオが、結局また『アイズ・ワイド・シャット』製作開始と共に呼び戻される友情物語も心温まるものがあるし、エンドクレジット後のオチともいうべきエピソードには大笑い。エミリオが著した回想録スタンリー・キューブリックと私』の邦訳を早く出してほしいものだ。


スタンリー・キューブリックとレオン・ヴィターリ


 一方、これが『キューブリックに魅せられた男』になると、主人公レオン・ヴィターリだけでなく、キューブリック作品の出演者やスタッフ、さまざまな関係者の証言を収集、映画本編の引用もふんだんに行われ、苛烈な映画作家キューブリックの姿が生々しく立ち上る。
バリー・リンドン』で主人公バリーと対立するブリンドン卿を演じた有望な若手俳優レオンは、キューブリック組の映画作りを目撃するや役者の道を捨て、その一員になることを志望する。キューブリック組の映画づくりとは、コンテを立てて必要なショットをさっさと撮影する、という一般的な演出法とは対照的な、リハーサルからしつこく可能性を探し求め、撮影ではレンズを変えては何通りも撮り続け、採用に値する「何か」が起こるのを待つ、というものだった。
『シャイニング』(1980)の子役探しからキャリアを開始したレオンは、5歳のダニー・ロイドを発見し、『フルメタル・ジャケット』では軍事アドバイザーに雇ったリー・アーメイの力量と野心に気づいてハートマン教官役に推薦するなど、キャスティング担当として活躍する。俳優としては素人だった彼らの演技コーチを受け持つ一方、照明や現像を学んでロケハンやカメラテスト、現像所のプリント作業を指揮したり、音響作業用のフォーリー(撮影現場における衣摺れや足音などの生音)制作をまかされたり、完成プリントから宣伝用のスチール写真を抜いたり、予告篇の制作に海外での配給管理など、細かい仕事をすべて請け負うなんでも屋へと成長してゆく。
 しかし注文主はあのキューブリック、「可能性の追求」に血道を上げる日々においては、無理難題の思いつきやカンシャクの矛先が向けられることもしばしばだ。24時間緊張を途切れさせることなくサンドバック役を務めるレオンはかなり疲弊しただろう。しかし、キューブリックもまた同じように疲弊していた。エミリオとレオンの映画を続けて観ると、最晩年のキューブリック寝室に酸素ボンベを常備していたという。すべてにおいて映画作りを最優先し、集中力を途切れさせないない日々を続けるうちに、いつしか在宅酸素療法を必要とするほど心身を燃焼させ尽くしてしまったのかもしれない。
 マシュー・モディーンキューブリックにこき使われるレオンを「フランケンシュタイン博士に仕えるイゴールのようだった。監督の奴隷に見えたよ」と率直に語っていたが、レオンはただ「イエス、マスター」と返答するだけの奴隷頭ではなかっただろう。キューブリックを納得させるだけの選択肢を発見し、目の前に運んでくる優秀な参謀長であり、演出の的確な助力者だったからこそ、深い信頼を築くことができたに違いない。ナポレオン好きのキューブリックなら、きっとレオンを「うちのベルティエ元帥」と呼んだと思う。


武重邦夫監督(1939〜2015)


 エミリオとレオンの映画を続けて観ているうちに、個人的に思い出した人物がいる。学生のころに出会った武重邦夫監督だ。

 武重さんは、今村昌平の一番弟子だった。映画人生のスタートは設立されたばかりの今村プロ社員、『「エロ事師たち」より・人類学入門』(1966)の制作部や、『人間蒸発』(1967)の録音助手、『神々の深き欲望』(1968)の助監督を務め、その過酷な現場で監督の手足となって酷使され続けた。やがて、今村プロがテレビ用のドキュメンタリー製作を始めればカメラを担いで東南アジアを駆けずり回り、横浜映像専門学院(後の日本映画学校、現在の日本映画大学)を設立するとなれば、その創設スタッフとしてカリキュラムの作成や学生たちの指導を行なう。今村が取材や金策に回ればその運転手を、糖尿病治療としてテニスを始めれば相手を務めるという滅私奉公ぶりで、映画製作が始まるたびに、プロデューサーや助監督として今村演出を支え続けた。長く徒弟制度が残っていた日本映画界においても、ここまで師匠に尽くしきることができたのは武重さんが最後の世代だろう。

 武重さんは2015年に亡くなったが、ある人が「今村監督は弟子の中では長谷川和彦をかわいがり、『青春の殺人者』(1976)をプロデュースして華々しく売り出したが、武重さんへの評価は低かった。武重さんの持つ『優しさ』が今村さんには温く感じられたのではないか」といった内容のことを書いていた。確かに、武重さんには今村昌平長谷川和彦のような「不逞さ」はなかった。テーマを見据える目は鋭く厳しかったが、狂気を感じさせる獰猛さで自己を貫き通すには、武重さんはあまりにも紳士だった。何度か劇映画を監督するチャンスがあったそうだが、いずれも流れてしまったと聞いて残念に思う。
 武重さんの晩年のエッセイに「(最近になって)今村昌平という人は、他者の能力の可能性に期待する気持ちが強く、半分は幻想と思いながらも挑戦させてみる……そうしたタイプの人だとわかってきたのである」と書かれているのを知った。そのエッセイは、さらにこう続く。

"人間を信じ、可能性に期待する" これは今村さんの映画監督としての哲学である。

 素晴らしい哲学だ。私は彼のこうした生き方は好きだし尊敬もしている。
 しかし一方では、これは今村さんの片想いであり、人間に対する過信、もしくは、見果てぬ夢ではないかと思うこともある。

(中略)

 そして今村さんは、私が才能のない助手と判っていながら、愚鈍な青年の前に少しずつハードルを積み重ねてきてくれたに違いない。

 不思議なことだが、私たちはハードルを与えられ、越える度に鈍い感性に焼きを入れられ、嗅覚を鍛えられ、少しずつだがクリエートする方法を学んできたのである。

武重邦夫「全身映画監督〜活動屋外伝・今村昌平」よりhttp://www.siff.jp/essay/cinemauma_essay_16.html


 巨匠監督は弟子から「吸い取る」タイプと弟子に「与える」タイプに分かれる、とよく言われる。キューブリック今村昌平は「吸収型」の際たるもので、ブラック労働への批判かますびしい昨今では、レオンも武重さんもわがままな巨匠によって搾取され続けた被害者に映るかもしれない。しかし一見、「暴君」に見える二人でも、その根底には他者への期待、可能性と選択肢を待ち続ける受け身の姿勢があった。彼らの期待に応え、納得のいく作品を成立させるために注力しながら成長を続けたレオンや武重さんも、やはり特殊な才能の持ち主であったと思いたい。それは、やはり師匠と映画、どちらにも惚れ抜いたからこそ出来ることだったろう。


キューブリックに愛された男』&『キューブリックに魅せられた男』パンフレットより

 

 なお、『キューブリックに愛された男』と『キューブリックに魅せられた男』は共通のパンフレットが制作されており、コラム執筆陣の中では原田眞人の文章が目を引く。『フルメタル・ジャケット』の字幕制作のため、戸田奈津子に代わって雇われた原田は(後にビデオ版『時計じかけのオレンジ』の字幕も担当)、その日本語吹替版の演出も担当した。十数年後、『アイズ・ワイド・シャット』の日本語吹替版でも、キューブリックの遺志により演出を担当する予定だったらしい。しかしレオンがキャスティングに口を出し始め衝突、降板してしまったという。レオンは自ら声優を選び、来日してトム・クルーズニコール・キッドマンの演技を再現させる演出を監修、一週間がかりで収録した。
 原田が演出した『フルメタル・ジャケット』吹替版は、一昨年ついにソフト化された。これと『アイズ・ワイド・シャット』の日本語吹替版を比較すると、その出来は歴然たる違いがある。優れているのはあきらかに後者の方だ。キューブリック没後も、師匠に恥ずかしくない仕事を、と粘りに粘るレオンは、ついにキューブリックの判断を越える選択ができるようになってしまったのかもしれない。
 自分は「Film Maker(映画製作者)」ではなく「Film Worker(映画労働者)」だと自称するレオンに、自嘲の響きはまったく感じられない。これもまた映画屋のひとつの在り方なのだ。


<おまけ> 武重邦夫さんのエッセイをもうひとつ紹介。

「我が師を語る-今村昌平監督」
深夜撮影中、ロケ先の長屋の壁を壊せといきなり言い出す今村監督など、こちらも面白いエピソードがたくさん。
https://www.eiga.ac.jp/blog/blog/2010/12/28/%E3%80%8C%E3%82%8F%E3%81%8C%E5%B8%AB%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%83%BC%E4%BB%8A%E6%9D%91%E6%98%8C%E5%B9%B3%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%80%8D%E3%80%80%E6%AD%A6%E9%87%8D%E9%82%A6%E5%A4%AB%EF%BC%88%E3%83%97/

 

 

小林正樹監督『東京裁判』を観て、八住利雄脚本『東京裁判』を読む

 

 この夏、小林正樹監督のドキュメンタリー映画東京裁判(1983)が、4Kレストア版として36年ぶりに甦った。これはまさに健忘症的日本人に打ち下ろされた、4時間37分の鉄槌だ。先月スバル座で観賞したが、デジタル修復によって鮮明になった映像と、明瞭な音響によってとらえられた20世紀の姿は、映画館を巨大なタイムマシンに変貌させるだけの力に満ちあふれていた。

 記録フィルムを元に構成する戦争ドキュメンタリーはそれ以前からあったものの、『東京裁判』の野心の大きさと視野の広さは図抜けている。ハリウッドは劇映画で『ニュールンベルグ裁判』(1961)を製作したが、これはゲーリングやヘスら主要戦犯の裁判が終わった後、断種法でユダヤ人を裁いた司法関係者の罪を問う限定的なドラマで、それですら上映時間は3時間を越える。極東国際軍事裁判を始まりから終わりまで、世界中の記録映像を集積して物語化するという力技は、国際共同制作による「映像の世紀」のようなビッグ・プロジェクトの先駆けであり、マイケル・ムーアらがテレビやネット、既成の映画やCMなどの映像をコラージュして作りあげるアーカイブ・ドキュメンタリーの元祖と言ってもいいかもしれない。

 

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 映画『東京裁判』について、ただ記録映像を恣意的に切り貼りしたプロパガンダに過ぎない、とタカをくくった批判をする人をたまに見かける。「もっと取り上げるべき部分があるのにそこを見せてない」と不満を抱く歴史好きもいるようだ。が、それらは単純な誤解である。本来、素材となったアメリカ国防総省が保管していた記録映像は35㎜フィルムで1100巻、50万フィートもの量があったが、それでも2年半に及ぶ裁判全体のごく一部でしかない。3台のカメラが同時に回る時もあれば、まったく回ってない時もある。しかも撮っているのが米軍なので日本語の同時通訳が始まるとカメラを切ってしまう箇所が多く、肝心の被告の反応が撮れてなかったりもする。また撮影者の技量によって、映像が真っ白だったり真っ黒だったりで、使えない素材も多かったという。
 つまり、映画『東京裁判』は裁判記録映像の豊富な山から恣意的に物語を抽出したというものではなく、バラバラな断片でしかない映像の群からモチーフを発見し、補強するための映像、写真、新聞記事、イラストをかき集めてどうにか紡ぎ出した「執念」の結晶である。なにしろ新聞記事の接写もコピーは不可、新聞社の倉庫に出向いて本物を撮影し、イラスト処理の部分は実際にシベリア抑留体験を持つ画家に当時の状況を描かせたという。さらに『壁あつき部屋』(1953)を製作時に撮影した、巣鴨プリズンの実景や再現セットの映像まで素材としてまぎれ込ませたそうで、小林正樹の執念深さと徹底的な集中力によって、安易なプロパガンダでは到底たどりつけぬレベルまで作家性を刻みこまれたフィルムなのだ。

 小笠原清助監督のインタヴュー映像12秒から音が出ます)

 

 映画『東京裁判』のクライマックスにあたる、東條英機への反対尋問の場面を見てみよう。ここで東條は、日本国民が天皇の意志に反して動くことは絶対にありえない、という趣旨の発言をする。それはつまり、戦争の開始も残虐行為も天皇の意思だったという意味に取れるため、昭和天皇の戦争責任追求を望むウェッブ裁判長は勢いづく。しかし、マッカーサー元帥から天皇免責の指示を受けていたキーナン首席検事はただちに裏工作を行い、後日の反対尋問では、先日言ったのは自分の日本人としての態度を表現したもので、開戦そのものは我々が強引に進言した結果、天皇は渋々同意したものの、最後まで平和を希求していた、と改めて東條に発言させる。このやり取りの後半は、東條とキーナンの1ショットのカットバックにナレーションで語られてゆくのだが、じつはこの場面、現場ではカメラが回っていなかった。そこで、通訳のまずさにイラつく東條など、カメラが回っていた時に撮られた生々しい映像を挟みながら、たたみかけるようなナレーションに東條・キーナンの1ショットをつなげて事態の進行を説明する形となっているのだ。
 あきらかな苦肉の策だが、いささかも緊迫感を減じることなく劇的な迫力を醸し出して見せるのは、さすがのベテラン編集マン・浦岡敬一の名人芸。浦岡はフィルムが存在しない法廷場面を編集技術で表現する場合も、別日の裁判映像から流用するのは禁じ手とし、描かれる場面と同じ日の映像の中から素材を探し出して埋めたという。編集による創作を暴走させないため、自分なりの枷を設定していたのだ。
 そして小林正樹にとっても、痛恨の「フィルムなし」が各所に存在する中で、この東條への反対尋問だけは、なんとしても外せなかったものと思われる。


八住利雄脚本『東京裁判』(雑誌「シナリオ」1971年12月号より)

 小林正樹はもともと、東京裁判』を劇映画にすべく企画を進めていた。時期は1968年、終戦秘話である『日本のいちばん長い日』(1967)を降板させられた直後にあたる。1971年には八住利雄による長大な脚本が完成していたが、製作には至らなかった。
 この未映画化脚本『東京裁判』は、雑誌「シナリオ」1971年12月号に掲載されている。ドキュメンタリー版『東京裁判』の監督補である小笠原清でさえ読んでいないそうで、小林としては特にスタッフに参考とさせることはなかったようだが、それでも完成した『東京裁判』とくらべて読むと、小林が執着した課題とも言うべき視点が、ひとつ明確に見えてくる。

 脚本『東京裁判』の特徴を羅列してみると、まず戦犯の中では文官で唯一死刑となった広田弘毅とその家族のエピソードが印象的に散りばめられている。しかし群像劇なので、同じように東條英機巣鴨プリズンにおける反抗的な態度も細かく描写されている。年老いた戦犯たちを全裸にしての体格検査に強く抗議したり、米兵たちに「ハバ、ハバ(急げ、急げ!)」と声をかけられ「リメンバー・パール・ハーバー」かと錯覚する笑い話など、後に製作された伊藤俊也監督『プライド 運命の瞬間』(1998)でも描かれたエピソードが登場する。こうした巣鴨プリズン内の様子は笹川良一の『巣鴨日記』が参照されているからだろう、脚本には「小笹吾一」なる右翼の大物が登場、何かと戦犯たちの世話を焼く。
 ドキュメンタリー版でも強く印象づけられる、裁判冒頭におけるアメリカ人弁護士ベン・ブルース・ブレイクニーの戦勝国が敗戦国を裁くのは不当である」真珠湾攻撃を裁くならば広島・長崎の原爆投下も裁かれるべき」といった糾弾や、保身を図って都合の良い証言をする愛新覚羅溥儀を、ブレイクニーが鋭く追求してゆく様子なども八住脚本には描きこまれている。ブレイクニーはその後、日本人女性の愛人を持ったり財産を築いたり、日本に深入りしてゆくアメリカ人として生臭いキャラクターに描かれている。
 また、ブレイクニーと清瀬一郎弁護士との会話や、マッカーサーGHQ局長シーボルトとの会話、プレスクラブでの外国人記者たちの会話がひんぱんにさし挟まれ、この間の世界状況を説明してゆくのだが、彼らの会話内容が現代に与える影響を伝えようとしたのか、ベトナム戦争の記録映像や市ヶ谷駐屯地で絶叫する三島由紀夫のイメージショットを挿入するよう指示している。ただでさえ説明的な部分にこうした意味づけのモンタージュを行なったら、きっと作品を1971年という時代に閉じ込めてしまったことだろう。
 ドラマ的にもっとも大きなフィクションの導入は、新憲法発布の日に抗議の自決をした若き陸軍将校たちがじつは生きていて、朝鮮戦争勃発が迫る大陸に極秘潜入、韓国軍の指導と中国共産党のスパイ活動を行う計画が進行している、というパートだ。計画に参加した若手将校の一人とその婚約者の悲恋話がいささか類型的に展開するが、東京裁判GHQ占領政策の背後には米軍の反共工作が強く影響していたことを描くのが狙いとはいえ、裁判と関係ない若者たちのエピソードはどうも邪魔くさい。もともとロシア文学者だった八住利雄の個性を感じる部分ではあるのだが。
 最後はA級戦犯たちの判決後の日々と、彼らが刑場に向かう様子が丹念に描かれ、当時の金で27億円という裁判費用は、全額日本人の税金で負担されたことをナレーションが伝えて終わる。

 八住利雄の脚本『東京裁判』は、東宝8.15シリーズの一本として製作されたなら、『日本のいちばん長い日』に遜色ない大作として仕上がったことだろう。国際色豊かなキャスティングとそれを実現するだけの予算が都合つかず、製作は見送られてしまったそうだが、なにしろ敦煌』ではマーロン・ブランドに出演を打診したという小林正樹、どんなスケールで演出プランを練っていたか、その一端を知りたいところではある。
 が、虚実の入り混じる群像劇で東京裁判を描ききろうとするのはさすがに無理があった。東条英機に過剰な思い入れをこめた『プライド 運命の瞬間』よりは冷静な仕上がりとはいえ、21世紀の今、読み返してもっとも物足りないのは、太平洋戦争そのものの開戦過程がわかりにくいことと、昭和天皇の戦争責任の問題に言及しながら、天皇がまったく登場しないことだ。

 おそらく、小林正樹もそんな不満を抱いたのだと思う。そして、現存する記録フィルムを再構成しての『東京裁判』映画化を、大きな困難が予想されながら製作に乗り出したのは、ドキュメンタリーの形であれば、劇映画では描くことが困難な部分まで踏み込んで、太平洋戦争の総括を行えると判断したからだろう。
 それは同時に、法廷についに姿を見せなかった昭和天皇の姿を描くということでもある。その存在がいかに重要であったか、映画『東京裁判』では丹念に伏線を張っている。まず、終戦詔書玉音放送)が全編ノーカットで流れ(リマスター版では字幕付き)、その背景に太平洋戦争における日本軍の盛衰がモンタージュされる。そして梨本宮守正と侍従長木戸幸一の逮捕、共産党による天皇制否定論の高まり、マッカーサー昭和天皇の面会、人間宣言と全国巡幸……、こうした描写を前半で見せておいてからのクライマックスが、「天皇免責」を決定的とする東條とキーナンのやりとりなのである。
 東京裁判において直接語られることはなかったが、しかし最重要の問題であった昭和天皇の戦争責任。それをイデオロギー的な天皇制批判として単純化することなく、ドラマとして観客の体内に染み込ませる形で問題提起するのが、映画『東京裁判』の重要な課題だったのではないだろうか。

五味川純平『戦争と人間』最終巻

 小林正樹が『東京裁判』の製作に取り組み始めた1979年、彼はかつて映画化した『人間の條件』(1959〜1961)の原作者・五味川純平が執筆していた『戦争と人間』を全26話のテレビシリーズとして映像化する企画も立てている。じつはこの時点で原作はまだ完結していなかったのだが、最終巻では東京裁判で主要登場人物たちが断罪される、という噂が流れていた。奇しくも『戦争と人間』の最終巻は『東京裁判』が完成する1982年に刊行されるのだが、その後書きに五味川純平はこのように書いた。

計画では、東京裁判まで書ききって、終るつもりであった。だが、そこにどうしても出廷していて、尋問を受け、判決を受けなければならぬはずの一人の人物が、東京裁判埒外に置かれていて、のうのうと暮らすことを許した裁判は、ほとんど無価値に近いと思うようになった。

 小林正樹もまた、五味川と同じ実感を抱いていたことだろう。

東京裁判』は公開時から現在に至るまで、右派からは東京裁判史観をそのまま垂れ流しすぎて自虐的だと、左派からは軍部への批判が不足で戦犯たちに同情的すぎる、と批判されることの多い作品だ。それぞれが期待する思想を求めすぎるとそうなる。しかし、小林正樹の眼はイデオロギーではなく、戦争の総括を自分自身の手で行わず、米軍に頼りきったまま昭和天皇の戦争責任と天皇制の問題を棚上げにしてしまった日本人の、そして日本に不当な判決と新憲法を押しつけながら、その後は手前勝手な戦争を世界各地で続けた戦勝国の面々の、人間そのもののデタラメさに向けられていた。
 このデタラメさによって生じた社会の歪みは、戦後70年余りが経過した今、さらに大きなひび割れとなって世の中を覆い尽くそうとしている。初公開時の1983年よりも、東京裁判の時代が遠い記憶となった2019年現在の方が、観賞後により苦い思いを味わうことは間違いない。遠くなったのは記憶ではなく、この当時の人々がようやく得たはずの理想だったと理解できるからだ。
 

 

 

もっちん復活〜夏の日の本谷有希子『本当の旅』@原宿VACANT


公式サイト https://www.vacant.vc/single-post/yukiko-motoya-tabi 

 

 先週、夏の日の本谷有希子公演『本当の旅』を原宿のVACANTで観てきた。
 本谷有希子が作・演出を担当する舞台を観るのは本当にひさしぶりだ。『遭難、』の再演以来だから、7年ぶりか。公演も終わったことだから、ネタバレありで感想をメモしておこう。

 去年出版された本谷有希子の『静かに、ねぇ、静かに』は3篇の短篇小説で構成された作品集で、『本当の旅』はその冒頭を飾る一篇である。40歳前後になるが腰の定まらぬ生き方をしている男女3人が、マレーシアのクアラルンプールへ貧乏旅行する、というそれだけの話。この3人にはSNSを使った自己表現で過剰な自意識をふくらませているという共通点があり、なにかと写真や動画を撮ってはせっせと編集してインスタで公開、その画面上から醸し出される「幸せそう」な感覚こそ現実以上にリアルなのだ、と思い込んでいる。
 この小説を舞台化するとなると、彼らが精神的に依拠するSNSをどう表現するか、なんらかのアイディアが必要となる。本谷の中篇小説『ぬるい毒』を映画監督の吉田大八が演出した舞台では、背景のスクリーンに主人公が打ち込むメールの文面が大きく映し出された。しかし、今回の本谷演出では背景スクリーンに映し出されるのはクアラルンプール各地の録画風景や舞台上の役者が実際にスマホで撮る映像のみで、彼らがLineに打ち込むメールの文面や連打するスタンプなどのデザインは、いっさい表示されない。
 その代わり、舞台上には無数の男女の役者が入り乱れ、主人公3人すらも、帽子やリュックサックといった記号となる小道具を受け渡すことで場面ごとに入れ替わってゆく。彼らは主人公を演じたかと思えば、次の場面では空港職員や現地の人々を代わる代わる演じ、語り手のモノローグも担当者が交代しながらつぶやかれる。つまり、この舞台では主役も傍役もすべてが、彼らのインスタ画像と同じく「共有」される素材でしかない。主役の3人には固有の「顔」が与えられず、複数の役者によって演じられる彼らの自意識だけが舞台上に堆積してゆくという仕掛けになっているのだ。
 そして客席は舞台を挟んで左右から観劇するように設計され、舞台上の役者たちの向こうには、客席に座るお互いの顔が合わせ鏡のように並んでいることに気づかされる。旅をしながらスマホの内側に引きこもり、自己正当化を続ける主人公たちのイタさ、滑稽さは現代を生きるわれわれとも決して無縁ではない。

劇団、本谷有希子」という奇妙な名前の劇団を初めて観たのは2003年の『家族解散』だ。松尾スズキの教え子という興味で出向いたものの、さほど感心しなかった。しかしその次の公演『石川県伍参市』(2003)で本谷有希子は大きく化けた。この人が叫ぶ世界への呪詛はホンモノだ、と思った。続く『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ(再演版)』(2004)、『乱暴と待機』(2005)、『密室彼女』(2006)、『遭難、』(2006)などはいずれ劣らぬ傑作揃いである。妄執を抱えた主人公の陰惨な自我をコミカルにえぐり出す手法は、松尾スズキの『マシーン日記』や『悪霊〜下女の恋』などの少人数劇の系譜を継ぐものだが、現代人の内省を鋭い言語感覚であぶり出す手つきは、むしろ平成のチェーホフの趣すら感じさせた。
 しかしその後の作品は、『幸せ最高ありがとうマジで!』(2008)が彼女の集大成ともいえる佳作で岸田戯曲賞を受賞したものの、それ以外ではヴォルテージの低下が目立ち、創作力の息切れを感じさせた。多忙になったため、スタッフや役者と切り結びながら舞台を設計するのに疲れたのかもしれない。
 一方このころから、本谷有希子は小説の執筆に力を入れるようになり、『ぬるい毒』(2011)で野間文芸新人賞、『嵐のピクニック』(2012)で大江健三郎賞、『自分を好きになる方法』(2013)で三島由紀夫賞、『異類婚姻譚』(2016)で芥川龍之介賞を受賞している。戯曲における鶴屋南北賞、岸田戯曲賞を合わせれば現代作家でこれだけ華麗な受賞歴を誇る人物はいないだろう。最初の小説集『江利子と絶対』(2003)を読んだ時は、彼女がこれほどの人気作家に成長するとはまったく想像できなかった。
 しかし、これらの小説を読めば読むほど本谷有希子の本領は舞台にあり」との確信は強まっていった。戯曲を小説化した作品がいくつかあるが、いずれも舞台の方がはるかに力強かったし、「毒吐きキャラ」とかいうインテリに可愛がられる不思議ちゃん、なんて立ち位置に落ち着いちゃっていいのか、という疑問がどうしても拭えなかった。

 本谷有希子の演劇復帰作『本当の旅』は、先に書かれた小説を舞台化するという、彼女としては珍しいスタイルで作られている。「マインド」、「バイブス」、「お金に縛られない生き方」という空疎な言葉を駆使してスマホをのぞき、420円のドリンクを買うのも逡巡しなければならない現実から目をそらし続ける3人組の旅。これを若い役者たちの肉体を駆使してパフォーマンス風に立体化させた演出は、いささか図式的な風刺劇に思えた原作小説よりも、はるかに含蓄と広がりを感じさせる。
 主人公たちはクアラルンプールの文化にも人間にも関心がなく、たいして面白くない旅をインスタ上で「楽しい旅」に見せかけることしか頭にない。不快な目に遭った時、「あの人、LGBTじゃない?」とつぶやく場面が何度か登場するが、LGBTという言葉は原作には出てこない。しかし舞台上の彼らが発する「LGBT」は、あきらかに往年の「オカマ」と似たニュアンスで使われており、言葉だけ更新しながら内実は何も変わっていない日本人の姿をつかみ出す。

 そしてクライマックス。3人組は不用意に乗り込んだタクシーで、人里離れた土地へと連れて行かれてしまう。途中、スコップらしきものを抱えた現地人が乗り込んできて、さすがに生命の危険が迫っていることに気づくのだが、彼らは「楽しい旅」の空気を乱すことがどうしてもできず、ただヘラヘラした態度を続けている。いよいよ危機的な状況に陥ったことが判明しても、スピッツの「チェリー」を流しながら、Lineでお互いにスタンプの応酬をするばかり。たいした抵抗すらできぬまま、やすやすと連行されてゆき最後まで写真を撮ろうとする。
 原発問題や少子化問題などさまざまな破綻を目前にしながら、漫然と現実から逃避している現代人の危機感のなさが浮き彫りとなる結末。これまでの本谷作品は、妄執に憑かれた個人を鋭くつきつめる一方、描かれる世界が狭くナルシシズムに陥りやすい弱点もあった。しかし、『本当の旅』で描かれる3人組は、自己愛に満ちたイタい奴あるあるネタでも、上から目線で切り捨てられるポンチ絵でもなかった。蝦蟇の油のように、作者も観客も苦い脂汗を浮かべながらじっと見つめ続けざるを得ない「分身」なのだ。
 そして舞台が終わって外に出れば、ロビーでは役者たちが劇中に登場したカツサンドやTシャツなどを売っているという芝居の延長のような空間が広がっていたので苦笑してしまう。なんと本谷有希子自らもカツサンドの売り子をニコニコと演じていたのだが、もちろん観劇後のヘビーな気分で食べる気にはなれない。売上が心配だ。

『本当の旅』は小品ながら本谷有希子の復活を高らかに宣言するような舞台だった。テーマの凝縮力、舞台空間の構築力、ともにさらに研ぎ澄まされ、本谷らしい野心も強く感じられた。
劇団、本谷有希子」の第2の黄金時代を期待したい。