星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

ミュージカル『天狼星』の思い出〜里中高志『栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人』と今岡清『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』


栗本薫中島梓 世界最長の物語を書いた人』(早川書房

 今年は、栗本薫こと中島梓の没後10年だという。
 栗本薫! なんとも懐かしい名前である。80年代の半ば、ローティーンだった私は『ぼくらの時代』に始まるぼくらシリーズや、名探偵・伊集院大介が活躍するミステリ作品を中心に、『エーリアン殺人事件』や『火星の大統領カーター』といったユーモアものやパロディSF、中島梓名義の『美少年学入門』や『わが心のフラッシュマン』などの評論、エッセイの類まで読みふけった。『真夜中の天使』に始まる耽美ロマンは一種のポルノグラフィーとしてコーフンしながら読んだし、森茉莉という作家と「JUNE」という雑誌を教えられたのも彼女だった。クイズ番組「ヒントでピント」の女性軍キャプテンとして活躍する姿だってよーくおぼえてますとも。
 しかし「ファン」を自称できるほど熱心な読者だったかというと、そうでもない。というのは、栗本薫作品でもっとも有名な『グイン・サーガ』は最初の一冊だけ読んで放置してしまったからだ。同じく人気シリーズだった『魔界水滸伝』に至ってはまったく手をつけてない。私はどうもヒロイック・ファンタジーや伝奇アクションというヤツが苦手で、これらの作品の元ネタであるエドガー・ライス・バローズ半村良もたいしてハマれなかった(山田風太郎は大好きなんだけどねー)。それでも名実ともに中二(つまり厨二)であった私は栗本薫が描く「寄る辺なき者が生きるために抱く執着心」の感情に惹きつけられた。小説でいちばん好きだったのは、『翼あるもの』の下巻「殺意」。あの主人公・森田透は今も心の内にいる。
 そんな「世界最長の物語」とは触れずじまいのヌルい読者ではあるが、栗本薫にはちょっと小学校時代にお世話になった先生のような思い入れがあり、今年の春に出版された里中高志の評伝栗本薫中島梓 世界最長の物語を書いた人』を読んでみた。読了するや、夫である今岡清の回想エッセイ『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』も取り寄せて一気に読んでしまったのだから、やはりかつての「母校」である栗本ワールドについては、卒業後も心に引っかかっていたようだ。


『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』(早川書房

 中島梓の転換点は、80年代の後半、演劇の世界に進出したことではないかと思っていたので、両書ともその前後の様子を興味深く読んだ。彼女の演劇活動は当時からまともに評価されぬまま忘れられているのだから、ここは気になる。
 そういえば、彼女の筆名は「評論家・中島梓」と「作家・栗本薫」で使い分けられていたと認識していたので、なぜ劇作家・演出家の活動では「中島梓」が起用されるのか、少し不思議だった。多くの関係者に取材した里中高志によると、この二つの名は社交的な女性人格で現実志向型中島梓内向的な男性人格でイデア(理想)志向型栗本薫と、彼女の内部に住む両極の人格を表したものだという。なるほど、現実社会で大勢の人と付き合わねばならない興行の現場においては、中島梓の人格が必要とされたというわけか。今岡の書名が『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』と二つの境遇に分裂しているのもそこに由来するのだろう。
 世間から<才女>ともてはやされる中島梓と暗く孤独な魂を見つめ続ける栗本薫……。
 ここで連想するのは、変身願望の作家・江戸川乱歩である。中島は乱歩が色紙に揮毫した「うつし世は夢 よるの夢こそまこと」の言葉をことのほか好んでいたが、乱歩もまた「本格ミステリを志向する熱心な批評家・研究者」の顔と、「幻想と怪奇の世界に遊ぶ、厭人癖の変格作家」という二つの顔に引き裂かれた人物だった。両者とも元ネタが容易に透ける作品が多く、愛するものからの影響を隠さない、優れた二次創作家という点でも共通している。また、乱歩は後年、探偵小説専門誌「宝石」の編集に関わり、数々の新人ミステリ作家を育成したが、栗本薫もまた雑誌「JUNE」誌上で「小説道場」を主宰、数々の新人BL作家を育成した。探偵小説というジャンルの普及に生涯を費やした乱歩同様、栗本薫は、その後のキャラクター小説やBL小説の流行を牽引した存在なのは間違いない。
 また、今岡清によると栗本薫リイ・ブラケットスペースオペラ『地球生まれの銀河人』を高く評価していたという。地球人の誰とも似ていない容貌のためひどいコンプレックスに苛まれていた主人公が、じつは銀河を股にかけて活躍する高度な宇宙人の一人だったと気づく、というSFだが、孤独な者が抱く「正しい居場所」への渇望、それは乱歩の場合はパノラマ幻想として表れ、栗本顔の場合は非日常のロマンへの飛翔だったのだろう。


ミュージカル『天狼星』パンフレット(中島梓署名入り)

 現実世界に表れる非日常のロマンといえば演劇である。乱歩は文士劇に出るのが大好きだったそうだが、中島梓も演劇志向が強く、80年代の後半から自らミュージカルの作・演出を手がけ、「天狼プロダクション」という制作事務所さえ設立していた。映画ではなく、後に残らない演劇に向かったところが、夢の世界は蜃気楼のようにはかないもの、と自覚していた彼女らしい。しかし文壇やSF界と同じく演劇界も閉鎖的な世界であり、常に異邦人の彼女はここでも孤独だったようだ。大金を稼ぐ流行作家がスポンサー兼務でプロデュース公演に乗り出すとなれば、ハイエナのような業界ゴロが群がってくることは想像に難くない。
 1997年の公演『天狼星』は、無謀な名古屋・大阪公演を行なったために、8000万円の大赤字を出してしまったそうだが、この作品は私も観劇している。私が観た唯一の天狼プロダクション作品だ。事情あって二度も観たのですよ。
 原作の『天狼星』は、江戸川乱歩の『蜘蛛男』にはじまる「名探偵対殺人鬼」の現代版。伊集院大介と怪盗シリウスとの戦いが描かれる。それまでは不器用な優男だった伊集院大介が、いきなり明智小五郎ばりの変装の達人となり、空手アクションまで演じるようになってしまったのだから、ファンとしてはびっくりというか、呆れたというか、怒りすら覚えた作品だ。乱歩のイミテーションとしてもよい出来ではなかった。この『天狼星』をシリーズ化したあたりから、作家・栗本薫とは距離が広がっていったように思う。
 そして90年代に入り、栗本薫にはほとんど関心を失っていたというのに、わざわざ演劇版を観に出かけたのは、岡幸二郎が演じる伊集院大介を確認したかったからだ。この舞台ではシリウス宮内良、ヒロインの田宮怜を旺なつき、殺人鬼の刀根一太郎を駒田一が演じた。なお、シリウスが狙うアイドル歌手に「朝吹麻衣子」、その恋人として「栗本薫」という男性の推理作家も登場するという、伊集院大介とぼくらシリーズの薫クンが共演した『猫目石』からの引用も行われていて、これは宮前真樹と大沢健が演じた。


「演出家」の挨拶と「原作者」からのコメントが並ぶパンフレットの中身

 舞台の出来はというと、陰惨な殺人鬼と名探偵との対決を、美輪明宏的なグランギニョールとして仕上げるのかと思いきや、意外にもかなり明るい仕上がりで、ベタなギャグや楽屋オチ、アイドル番組のパロディなどユーモアたっぷり、シアターアプル用に金をかけたと思しき華やかな演出は目に快く、原作よりもずっと楽しめた。もっとも、当時の私はまだ観劇経験が乏しく、原作に批判的でもあったため、強引な筋運びやサスペンス演出の粗さもさほど気にならなかったのかもしれない。東京公演の中日に二度目を観ると、冗長な箇所がカットされ、演出も若干整理されて「進化」を感じられたのが頼もしかったし、中島が作詞作曲し、難波弘之がアレンジしたミュージカル・ナンバーも聞き応えがあった。
 もっとも、宝塚を目標としながらそこはやはり不徹底なのは否めず、泥臭いユーモアを邪魔に感じる人はいただろう。後期の中島梓に否定的なファンは、彼女の演劇活動を「旦那の道楽」としかとらえていなかったように記憶しているし、作家性の強すぎる彼女の製作・作劇・演出は業界人には「素人的」と映ったようで、役者やスタッフとの衝突はしょっちゅう、事務所の代表となった今岡清は大変な思いをしていたようだ。90年代に小説の出版ペースがやたら早くなったのも、演劇活動で抱えた借金返済のためだった。
 しかし、稼いだ金を蓄財に回すわけでもなく、演劇につぎ込み続けたというのは、彼女が敬愛した手塚治虫のアニメーション制作に通じるものがあり、このような「見果てぬ夢」を追い続ける姿は、敗者が抱える妄執を描き続けた作家・栗本薫にふさわしく立派だと思う。

 もうひとつ、ミュージカル『天狼星』で印象深かったのは、毎日のように通っているらしい女性ファンが何人もいたことだ。彼女たちは休憩時間になると、ロビーで「今日は岡さんの声がよく出ている」だとか「宮内さんが駒田さんの髪をくしゃくしゃってする仕草がよかった」だとか、熱くディテールを語り合っていた。まぁ、アイドルや宝塚の公演に通いつめるマニアの姿は今では珍しくないものの、こうした光景を見たのが初めてだったので、強く心に刻み付けられた。そして、
「ああ、栗本薫は彼女たちのために創作を続けてるんだな」
 と、はっきり感じたのを覚えている。きっと彼女たちは、パソコン通信の会議室「天狼パティオ」もチェックして作者とコミュニケーションをとっていることだろう。現在の栗本薫は彼女たちの「居場所」となる作品を提供し続けている存在であり、自分はもうその住人ではなくなってしまったのだ、と改めて自覚させられたのだった。
 小説やミュージカルだけではない。「小説道場」も「天狼パティオ」も、孤独を抱えた若者がほんのひとときだけ身を寄り添える居場所として提供されたものだった。中島梓最後の代表作といえる評論『コミュニケーション不全症候群』は、やおい(現代のBL)、拒食症、自傷癖などに取り憑かれる少女たちや、コミケに集まるオタク、そして今でいう「ひきこもり」の心理を“同病相憐れむ”の視点でえぐっていたが、結論の部分で誠実に苦しみ、歯切れが悪くなっていた。そこで明確にできなかった解答がわりに、あるいは自分なりの確認の手段として、孤独を抱えた者の居場所となる後期の作品群が存在していたのかもしれない。例えそれが、キャラクターとの戯れがぶよぶよと書き連ねられる、すっかり弛緩したものとなっていたとしても、もはや問題ではなかった。
 冒頭で私は栗本薫に「小学校時代にお世話になった先生のような思い入れがあり」と書いたが、それは正確ではなかったようだ。彼女は恩師などではなく、幻想世界でかつていっしょに遊んだ女友達だったのだ。後期の彼女の言動に違和感が強かったのは、こちらが成長してしまったのに、彼女だけはずっと幻想世界で自由かつわがままにふるまう少女で居続けたからなのだ。里中高志と今岡清の2冊を読んで、私の中の栗本薫像は、妄想の城に君臨する女王から、幻想の荒野で孤独に暮らす少女のイメージへと刷新された。それは文学作品で例えれば、シュペルヴィエルの『海に住む少女』のヒロインのような、あるいはシャーリィ・ジャクソン『ずっとお城で暮らしてる』のメリキャットのような存在だ。

 それにしてもこの十年余、『テニスの王子様』を皮切りに、漫画やアニメ、ライトノベルを原作とする舞台作品、いわゆる2.5次元ミュージカルと呼ばれる舞台が大流行しているが、中島梓がこれを見たらなんと言っただろう、とつい考えてしまう。もし中島が存命で、ミュージカル制作において独自のメソッドを開発できていたなら、きっとこの流行に刺激を受け、あるいは反発し、また新しい舞台空間を生み出していたのではないだろうか。それとも賢しげな虚言が飛び交う現実に愛想をつかしてどこかへ旅立ってしまっただろうか。
 そんな蜃気楼のような妄想を頭の中に浮かべながら、『翼あるもの』の下巻「殺意」をひさびさに読み返してみようと思う。


ミュージカル『天狼星』出演者一同

 

『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』合評会



 司会者 「えー、5年前の『GODZILLA ゴジラ』、3年前の『シン・ゴジラ』に続き、マイケル・ドハティ監督『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』が公開されました。今年もみなさんの意見をうかがいたいと思います。正直なところ、いかがでした?」

 東宝特撮ファン 「いやぁ、『三大怪獣 地球最大の決戦』がこの規模とクオリティで甦るなんて、生きててよかったと思いました。昭和ゴジラだけでなく、平成ゴジラシリーズまですべて見渡してオマージュを捧げた、究極のファンムービーと言っていいでしょう」

 せっかちな男 「前作では、怪獣バトルを見せてくれるまで焦らしまくりでイライラさせられたもんだが、今回は出だしから怪獣たちが惜しみなく登場してくれるので、ストレスがかなり軽減されましたね」

 怪獣ファン 「とにかく怪獣美の極致であるキングギドラの勇姿、これに尽きますね。あの羽を伸ばしたシルエットの美しさに、操演技術では困難だった、首ごとの個性を感じさせる表現。いっそゴジラに勝ってほしかった……」

 航空ファン 「火山から登場するラドンイカすじゃないの。衝撃波による災害描写も迫力満点。戦闘機とのドッグファイトなんてまさに『こんな絵が見たかったんだよ、オレは』と泣きそうになったよ」

 カラーコーディネーター 「海から現れるゴジラは青、火山から現れるラドンは赤、そして嵐の中心で稲妻を光らせるキングギドラが黄色、と明確に色分けされているのも目に快いですな」

 昆虫マニア 「しかしモスラが滝に繭を作ったり、嵐の中を飛んできたりしたけど、あれじゃ羽が濡れて困るでしょ。成虫になってもまだ粘着糸を吐いたりするのもオカシイ。やはりモスラは鱗粉攻撃でなきゃあ」

 円谷ファン 「それ言ったら、初代モスラはそもそも殻つきの卵から生まれたし、幼虫は海を泳いでやって来たじゃないの。怪獣映画にクソリアリズムはいらんですよ」

 ガメラファン 「視覚面で見ごたえあったのは認めるけど、内容面では前作のギャレス版同様、平成ガメラのイタダキというか、はっきり言って雑にまとめた感じでしたね。ゴジラは地球の守護神で、外来種の侵略を防ごうと奮闘、一方で人間ドラマは怪獣災害の被害者が中心になる展開……」

 比良坂綾奈 「怪獣災害で家族を失った科学者が、世界中の怪獣を解き放とうとする、というのはよくわかりませんね。あの鉄人28号のリモコンみたいなやつでゴジラかギドラを操り、世界の怪獣を殺して回る、というのならわかるんですが」

 ウルトラマンアグル 「人類こそ地球にとってのガン細胞、地球を守るには怪獣を保護し、人類を排除する必要がある……。私の20年来の持論がアメリカでこんなに大きく取り上げられるとは感慨深いものがあります」

 小松左京ファン 「あの環境テロリストたちは将来、ジュピター教団の創始者になるとニラんだね」

 SF映画ファン 「人間ドラマが陳腐だ、という声が大きいようだが、大型特撮映画における人間ドラマといえば、『家族の再生』と『自己犠牲』に決まっとるじゃないの。これさえやっときゃいいのよ。あとはドカーン、バリーンでノー・プロブレム!」

 初代原理主義 「オレはそんな風に割り切れないぞ。“オキシジェン・デストロイヤー”の名称だけ引き継いだ超兵器がなんの前触れもなく発射されたり、芹沢博士がゴジラのそばで核爆発を起こしたり、『怪獣出現の原因が人間の環境破壊』という前段があるからといえ、人間の科学力に対する批判精神が希薄すぎるんじゃないかね」

 原発活動家 「ものすごい放射線を発しているはずのゴジラの足元でうろちょろして、主人公たちの被曝量が気になります」

 考古学者 「それに、あの核爆発で吹っ飛んだ海底遺跡が惜しすぎます(涙)」

 映画史家 「まぁ、原爆問題が背景にある初代『ゴジラ』や9.11同時多発テロを意識した『宇宙戦争』など、現実世界への批評として機能する特撮映画がある一方で、スペクタクルと娯楽要素で大衆にサービスする、祝祭としての特撮映画というのもあるんです。60年代の東宝特撮がそうだったようにね。レジェンダリー版はそっちを正しくめざしてるとは思いますよ」

 脚本家志望者 「シリーズ化を念頭に置く以上、東宝チャンピオン祭りを狙うのは当然の判断ですが、やりたいことが多すぎてごった煮のまま提出された感は否めないですね。でも、いろんな人の意見が雑然と並んだのではなく、監督の好みが暴走した感じだから、これでいいのかな?」

 コングファン 「『キングコング:髑髏島の巨神』では、ベトナム戦争や『太平洋の地獄』オマージュが怪獣バトルを立てる要素として引用されてたけど、うまいものだと思ったよ。次の『キングコング対ゴジラ』リメイクにはどんなアイディアが投入されるか、今から楽しみだなぁ」

 ディズニーファン 「ゆくゆくは『ライオン・キング』のような『ゴジラの息子』リメイクもお目にかかれるってことでしょうか?」

 映画音楽家 「それはべつに観たくない(笑)。しかし庵野監督の『シン・ゴジラ』に続いてハリウッド版でも伊福部昭リスペクトを聴かせるんだねぇ。古関裕而の『モスラの歌』まで入ってくるのは正直、たまげた。マニアの心性ってものが日本と外国で差がなくなりつつあるのを感じる。これでいいのかなぁ?」

 庵野秀明ファン 「ゴジラよりも『地球防衛軍』や『日本沈没』などの大状況描写に関心がある庵野監督が<好きにした>『シン・ゴジラ』同様、こちらも大の怪獣ファンであるマイケル・ドハティ監督が<好きにした>作品なのは間違いないですね」

 愛犬家 「いやー、これはねー、一般の怪獣映画以上に、動物映画の意味合いに近い『怪獣映画』だと思ったよ、ウン」

 古典芸能愛好家 「20年前のローランド・エメリッヒ監督『GODZILLA』では、正直、外国人が演じる歌舞伎を観るような違和感があったと思うんです。でもレジェンダリー版は、怪獣への愛情と理解が深い世代によって、日本人も興奮させるゴジラ映画を作り上げた。今、日本人やアジア人が演じるオペラやシェークスピア劇に西洋人が足を運ぶ例があるように、ゴジラ映画もいろんな外国のファンに作ってもらいたいし、日本人の監督がハリウッドでゴジラ映画を撮ることも期待したいですね」

 殺陣師 「音響と破壊描写でごまかされがちだけど、肝心のプロレスアクションはまだまだ発展途上だよな。それとドハティ監督、芝居の演出がカメラを振り回しすぎの割りすぎでめまぐるしい。その辺は前作のギャレス・エドワーズ監督の方が、レイアウト感覚に秀でていたように思うぞ」

 心配性の男 「怪獣文化のグローバル化はいいんですけど、東宝MCU映画を参考にゴジラ映画のシリーズ化を再検討してるって話がありませんでしたっけ。アメリカにこれだけの財力と技術力で怪獣を描かれたら、とても拮抗できないんじゃないですかね」

 楽観的な女 「まぁ、『シン・ゴジラ』は日本人にしか撮れないゴジラ映画だったことは間違いないんだし、ここはガラパゴス化を恐れず、新鮮かつ大胆な怪獣映画のイメージを提案し続けるのが本家の役割じゃないかしら。派手なバトル映画はハリウッドにまかせとけ! 人材はいくらでもいるでしょ」

 キラアク星人 「エンディング後のあのラスト、いずれキングギドラが復活して『怪獣総進撃』リメイクが作られると期待していいんでしょうか? その暁にはぜひ宇宙人枠の復活を」

 事情通 「うーん、東宝怪獣は一体ごとに高額な使用料がかかるらしいので、往年の怪獣が揃い踏み、という設定は難しそうですね」

 ジラース 「みんなエリマキをつければいいのだ」

 

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極楽ドサ回りも楽じゃない〜ローレル&ハーディと『僕たちのラストステージ』

 

 



「極楽コンビ」ことローレル&ハーディの晩年を描く映画“STAN&OLLIE”が製作される、というニュースを耳にした時、私も含め大方のクラシック喜劇ファンは、「楽しみだけど、日本での公開は無理だろうなー。セルスルーのDVDが出ればいいが」などと期待と同時にあきらめムードの感慨にふけってしまったことだろう。が、これが予想に反して『僕たちのラストステージ』という邦題で無事に公開されたのだから、世の中はわからない。まずは配給元のHIGH BROW CINEMAに感謝である。

 ローレル&ハーディとは1927年に結成された喜劇コンビ。サイレント喜劇の黄金時代が終焉を迎えようとするころに登場し、映画がトーキーの時代を迎えたのちも人気は持続、1945年まで映画界の第一線で活躍した。痩せたスタン・ローレル演じる内気なマイペース男がボケ担当、太ったオリバー・ハーディ演じるガサツな俗物男がツッコミ担当。マンガ的容姿の二人が行くところ、必ずなんらかのトラブルが発生し、やがてとんでもない大騒動に発展、というパターンのスラップスティック・コメディ(ドタバタ喜劇)は長編・短編合わせて100本以上製作された。
 カート・ヴォネガットの小説『スラップスティック』は彼らに捧げられているし、フェデリコ・フェリーニウラジミール・ナボコフをはじめ、世界中の芸術家にファンが多い。日本ではその主演映画に「極楽◯◯」とシリーズタイトルが付けられたことから極楽コンビと呼ばれた。


スタン・ローレル(左)とオリバー・ハーディ(右)

 ようやく見ることができたジョン・S・ベアード監督『僕たちのラストステージ』だが、冒頭は1937年『宝の山(Way Out West)』の撮影現場。人気絶頂のローレル(スティーブ・クーガン)とハーディ(ジョン・C・ライリー)が、控室からステージへと向かう様子を後退移動で見せるワンカット長回しは、この作品でほぼ唯一のケレンを感じさせる演出だが、そのワンカットに漂う時代の空気感、そして主演二人の驚嘆レベルのそっくり芸にまず心を掴まれる。ちらっと顔を見せるジェームズ・フィンレイスン(ローレル&ハーディ映画でいつも敵役を演じていたハゲの役者)がこれまたそっくりで、製作者たちの本気度が伝わってくる。
 作家性の強いスタン・ローレルは、プロデューサーのハル・ローチに対し待遇面で不満を募らせており、ついに独立を決意する。しかし、大らかな芸人気質のオリバー・ハーディは賭博狂いで金が必要、ローレルの独立には同行せず、往年の喜劇王ハリー・ラングドンを新たな相手役に、ハリー&オリーという新コンビを結成、新作映画の撮影に入ってしまう……。
 時は流れて1953年。すでに主演映画も作られなくなり「忘れられたスター」となりつつあったローレル&ハーディは、再起を賭けてイギリスの公演ツアーに挑んでいる。映画では特に説明されないが、ハリー&オリーというコンビはたった一作で解消、ハーディはプロデューサーと和解したローレルとすぐに極楽コンビを再結成させ、そのまま1945年まで長編喜劇を作り続けたのだ。
 1953年の二人は新たな主演映画の構想を練りつつ、カムバック告知のための巡業公演を行なっている。かつての大スターが客もまばらな小劇場を回るツラさ、互いに仲がよくないそれぞれの妻たち、蝕まれる健康と迫り来る老い。イラ立ちが募れば、つい昔のコンビ解消事件を思い出し、口論になってしまう……という芸人あるあるドラマの合間に、往年のローレル&ハーディ映画から引用された舞台公演や本歌取りのギャグ演出がふんだんに挿入される。
 もともとローレル&ハーディは、プロデューサーのハル・ローチが思いついて組ませたらたまたま成功した喜劇チームで、二人が私生活の面でどこまで仲がよかったのかはわからない。しかし、「ビジネスパートナー」に過ぎなかった関係が、キャリアの最終局面において、「かけがえのないパートナー」であったことを初めて認識するという脚色は納得のいくものであり、おそらくローレル&ハーディをまったく知らない観客でも、普遍的な友情物語として受け入れることができたのではないか。


かつて私が購入したDVD-BOX

 脚本のジェフ・ポープは十数年前にローレル&ハーディのDVD-BOXを入手したことがきっかけで、この作品の構想を練り始めたという。おそらくそのBOX、私が買ったのと同じやつではないかと思う。10年近く前に8割引セールが出たのでイギリスから取り寄せ、これを見るためにPAL方式のDVD再生デッキまで購入した。しかしその後、すぐに動画投稿サイトを使えば彼らの旧作のほとんどが鑑賞可能な世の中になってしまったのだが、まぁDVDは英語字幕を出せるので、トーキー作品を見る上では便利だった。
 せっせと作品を観たものの、このコンビのファンタスティックなキャラクターと悪夢的に発展してゆくギャグをもっとも有機的かつ効果的に楽しめるのは、やはりサイレント時代の短編のようだ。
 もし『僕たちのラストステージ』を観て、このコンビに興味を持った人がいたとしたら、ぜひ『Big Business(極楽珍商売)』(1929)『The Liberty(極楽危機一髪)』を観ていただきたい。


『Big Business』はローレル&ハーディがサイレント時代に得意とした「ちょっとしたいざこざが、いつしか復讐の連鎖に大発展!」の最高峰に位置する作品。ある家にクリスマスツリーのセールスマンとして訪れた二人が、ドアにツリーが挟まってしまったことから家の主人と小競り合いを始める。それが「やられたらやり返す、倍返しだ!」(←古い)とばかりにアレヨアレヨとぶっ壊しの応酬になってゆくのが凄まじい。
 トーキーになってからのローレル&ハーディは、おっとりした愉快な二人組という印象を受けることが多いが、サイレント時代はなかなかに獰猛かつ凶暴な性格を有していたのである。その辺はゴジラや寅さんと変わらない。

 もう一本、『The Liberty』は脱獄囚のローレル&ハーディがいつもの私服に着替えようとしたものの、互いのズボンを履き違えてしまったため、サイズが合わない。人目を避けてズボンを交換しようとするが、なかなか着替え場所が見つからず、気づけば工事中のビルの上層階に迷い込み、むき出しの鉄骨の上を歩くことになる。鉄骨の上で震えるローレルのパントマイム芸や、小道具を細かく生かすサイレント喜劇らしい楽しいギャグが満載だ。
 監督は後にマルクス兄弟の『我輩はカモである』やハロルド・ロイドの『ロイドの牛乳屋』を撮り、『新婚道中記』や『我が道を往く』でアカデミー賞監督となる、レオ・マッケリー

 これがトーキー作品になると、ハーディのツッコミがちょっとトゲトゲしく映る場面が多いのと、テンポがトロく感じられるものが多く、個人的には苦手だが、アカデミー短編賞を受賞した『Music Box(極楽ピアノ騒動)』(1932)はやはり必見。二人が階段の上にピアノを運ぼうとするが、どうしても失敗してしまうという、さながら現代のシジフォスの神話とも言うべきコメディである。
『僕たちのラストステージ』では冒頭にその撮影現場が再現された西部劇コメディ『宝の山』も、彼らの長編映画の中では出来のいい一編なので、観る機会があれば要チェック。歌とダンスが魅力的だったのも、このコンビがトーキー以後も延命できた理由だろう。



 日本では、唯一DVDが入手可能な長編が『天国二人道中(The Flying Deuces)』(1939)だが、これは1938年にいったんコンビを解消したローレルとハーディが再結成しての一作目。ハリー&オリーとしてハーディの「新たな相棒」だったハリー・ラングドンは、脚本家の一人として参加している(彼はこの時期のローレル&ハーディ作品でギャグマンを務めていた)。
『僕たちのラストステージ』では、ハーディが脚本助手だったルシールと出会い、結婚を申し込んだのは『宝の山』の現場とされていたが、実際はこっちの作品だったようだ。
 内容的には二人がひょんなことでモロッコ外人部隊に入って大騒動、というもので、この時期『モロッコ』(1930)、『外人部隊』(1933)、『地の果てを行く』(1935)など外人部隊を背景にしたヒット映画が多かったからそのパロディなのだろう。牢獄に投げ込まれたローレルが、ベッドのスプリングをハープ代わりに演奏、ハーディが歌い出す場面などは楽しい一景だが、たいして出来のいい作品ではないので、この一本で彼らの実力を見限ったりしないでほしい
 しかし、ラストのオチはシュールでなかなか印象的。筒井康隆は戦後に観た『極楽闘牛士(1945)で、二人が文字通り「身ぐるみを剥がされ」、首から下が骸骨になってしまうラストに衝撃を受けたそうだが、この二人、トーキーになってもときどきギョッとさせるセンスを炸裂させてくれるので目が離せない。



 もう一本、「爆笑コメディ劇場2」というパブリックドメイン作品を集めたDVD-BOXに、チャップリンキートンマルクス兄弟に混じってローレル&ハーディのユートピア(1951)という作品が収録されている。
 これは何かといえば、彼らの最後の共演映画『Atoll K』(1951)のアメリカ公開版。1945年以後、主演作がなかった二人が、フランスの製作者に招かれて撮った作品だそうで、言葉の通じないスタッフや脚本への不満、ローレルの糖尿病にハーディの心臓疾患の悪化なども重なり、制作現場は大変な状況。完成した作品はスタン・ローレルにとっても不本意な出来栄えだったらしい。
 お話は、大金持ちの遺産を相続することになったローレルと相棒のハーディ、現金は税務署やら弁護士やらにあらかた巻き上げられてしまったものの、無人島の所有権を得たことを知り、この島を自分たちだけのユートピアとして暮らそうとする。そこへお定まりの密航者やら恋に破れて流れてきた美女やらが集まり、共同生活がスタート。いつしか移住者が増えたものだから「税金も法律もない国」として独立を宣言する。すると当然、狼藉を働く無法者が現われ、あわてた二人は警察権を行使しようとするも、時遅く無法者たちに革命を起こされ追われるハメに……というもので、映画としては確かに隙間風が激しく、ローレル&ハーディの老けが目立つのが物哀しいが、風刺喜劇として見直せば、興味深い点がなくもない。プロット面ではちょっと安部公房『方舟さくら丸』を彷彿とさせるところもある


横山エンタツ(左)と花菱アチャコ(右)

 さて、『僕たちのラストステージ』は気持ちのいい佳作だったが、この日本版を作るとなれば、これはもうエンタツアチャコを引っ張り出すしかあるまい。
 1930年に結成された横山エンタツ花菱アチャコ漫才コンビ。背広姿で流行の話題をネタにする、画期的なしゃべくり漫才でヒットを飛ばすも、4年後にアチャコが病気にかかるやエンタツはあっさり杉浦エノスケを相手に新コンビを結成してしまう。その後、二人は主演映画でのみ「エンタツアチャコ」のコンビを継続させるという、ビジネス優先の奇妙な関係のまま全国的人気者となるが、やがて戦争の時代が到来し……。
 クライマックスは1963年、NHKの番組「漫才の歴史」にゲスト出演者として再会した二人が、いつしかただの会話がイキぴったりのしゃべくり漫才になっていることに気づく。その光景を畏敬の念で見守る若き構成作家小林信彦……。
 この企画、どこかでやらせてもらえないだろうか?

 

即興の人〜私が目撃したショーケン



 春になり、このブロマガも開設から5年目を迎えることとなりましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。これからはなるべく更新頻度を上げ、エンタテインメントの話題を中心としたコラム的な記事をアップしてゆければと思っているのでどうぞよろしく。

 さて、今年に入ってからというもの子供の頃から慣れ親しんだ表現者の訃報が相次ぎ、時の流れと共に自らの加齢についても思いを馳せずにはいられない。特に1月、このブロマガで「天狗倶楽部」を研究するSF作家・横田順彌について触れたところ、その2日後に氏の訃報が届いたのは本当にまいった。
 そんなところへ今度は萩原健一の訃報である。

 もう20年以上前の話だが、学校を卒業すると同時に無職となった私は、師匠の紹介であるテレビ・映画用の装飾会社に潜り込んだ。そこでの助手としての初仕事が、萩原健一が演じる医者が主人公の連続ドラマだった。
 台本も渡されぬまま、世田谷の国際放映スタジオへ呼び出されれば、ちょうど病院の場面を撮り終わるところ。保阪尚希高樹沙耶たちが演技をしていた。終わると同時に装飾品をセットから運び出し、続いて主人公の自宅セットが組み立てられるまで仮眠、起きてから家の内装をせっせと飾り付けた。
 当時、私は『傷だらけの天使』も『前略おふくろ様』も見ておらず、萩原健一に対する思い入れは特になかった。沢田研二の妖艶な魅力は幼心に刻み付けられたものだが、ショーケンといえば深作欣二監督の『いつかギラギラする日』や、連ドラ『課長サンの厄年』の、ややくたびれつつも一癖抱えた中年男であり、テンプターズもマカロニ刑事も「知識」以上のものではなかった。

 それでも往年のスター、萩原健一がどんな演技をするのか興味があり、セットが完成しても現場に残っていたのだが、開始時間になっても彼はなかなか現れなかった。どうもリハーサル室で粘っているらしく、助監督の一人がセットに連絡に現れる。装飾担当者である先輩が話を聞くが、キッチンの大きな冷蔵庫に、中身を入れておいてほしいという。
「いきなりそんなこと言われたって……。打ち合わせと違うじゃない」
「悪いけど、娘が冷蔵庫を開けることになってさ。ショーケンさんの思いつき
「収録遅れたら、ショーケンさんのワガママで時間かかりましたって監督に伝えてよね。ウチの責任にされたらかなわないよ」
 と、言い捨てるや先輩は直属の助手を走らせ、調達に急いだ。
 さらに時間が経過し、ようやくショーケンが現れた。スタジオの空気が一瞬にして張り詰める。が、彼は娘役の女優を見るなりそのメイクが気に入らないと言い出し、メーキャップの女性が呼びつけられた。
「俺はね、仕事から疲れて帰ってきた時に、娘の顔を見て『天使を見た!』、という気分にひたりたいんだよ。この顔じゃそうはなれない」
 この日の収録は手術を終えた主人公が自宅に戻ると、娘が彼氏を連れ込んでいて鉢合わせ、というややコミカルな場面だった。特に娘の顔に聖性が宿る必要はないはずだが、これがショーケンの「解釈」なのだからしかたがない。そんなわけで、メイクの修正がすむまでまた待ちになる。

 ようやく役者全員が位置につき、テストが始まる。演技を終えてスタッフの反応が鈍いと、「もう一回やろうか?」とショーケンが鋭くつぶやく。たちまち「大丈夫です!」、「本番いけます!」とあちこちから声が返って来るのが小気味よく、プロの現場とはこういうものかと思ったが、これはテストを繰り返すと、ショーケンが勝手に演技を変えてしまい、その対応に混乱させられるからだ、ということがだんだんわかってきた。

 万事この調子で、まだ第1話の収録が始まったばかりだというのに、メインスタッフの中には「アイツのワガママに振り回されるのはもうウンザリ」という態度を匂わせる者もいた。きっと理不尽な目に遭っていたのだろう、と今なら同情できるが当時なんの責任も負わないペーペーだった私は、機関銃のようにさまざまなアイディアを撃ち出しては、少しでも芝居の内容を充実させようと奮闘するショーケンの姿にすっかり見惚れてしまった。なので彼の陰口を叩くスタッフにはひそかに義憤を感じたものだ。
「あの人は自分の芝居のことしか考えてないから……」と言うスタッフもいた。しかし演技プランを次々思いつく能力こそ才能である、と考える演出家には頼もしい俳優だったことは間違いない。まるで即興演奏の巧みなミュージシャンを見る思いで、やはり歌手の感覚なのだろうかと思ったりもした。
 のちに、ショーケン『日本映画〔監督・俳優〕論』と言う本を出し、その中で黒澤明神代辰巳について熱く語っている。おそらく彼らはリハーサルを重視し、ショーケンのアイディアを受け止めてセッションさせてくれる演出家だったのだろう。逆に、市川崑鈴木清順のような、デザイン感覚を優先する演出家とは相容れなかったようだ。

 結局、私が所属した装飾会社はこのドラマを途中で降板してしまった。予算とスケジュールがかなりキツい現場だったそうで、その上ショーケンにかき回されたのでは割に合わなかったようだ。同時に、私もこの仕事を辞めた。収録が終わってからスタジオに入って肉体労働し、収録が始まったら寝に帰る仕事ではどうにも面白くなかったからだ。今思うとこのアルバイトで得た唯一の宝はショーケンの仕事ぶりを目撃できたことだけだ。
 ショーケンは、あまりに70年代のスターでありすぎたと思う。90年代当時、いくつかの映画やドラマに主演してイメージの軌道修正を試みていたが、その熱量あふれる姿勢は「効率」を最優先とする時代では、居場所を見つけることができずいつしかワイドショーを騒がせる往年のスター枠へと追いやられていった。
 私が目撃したショーケンは、いつもピリピリしており時に不遜に映ることもあったが、演技がうまくいった時の笑顔はキュートで、やんちゃ坊主の魅力を残した俳優だった。鋭い直感と豊かな発想力を持つ「即興の人」。狂気と言ってもいい独特の感覚を掬い取る役に恵まれなかったことを残念に思う。
 自分は、アイディアを出す人に迷惑顔を向けるよりも、可能な限りセッションに応じられる人になりたい……、そんなことを考えた「私の修行時代」を思い出す。いや、今もって修行中なのだけれど。

 

“完全主義者”の素顔〜マイケル・ベンソン『2001:キューブリック、クラーク』



マイケル・ベンソン(中村融内田昌之・小野田和子訳、添野知生監修)
『2001:キューブリック、クラーク』(早川書房


 今年の3月7日は、スタンリー・キューブリック20回目の命日にあたる。去年上映された『2001年宇宙の旅』70㎜修復版とIMAX版についてはすでにブログに書いたが、邦訳されたマイケル・ベンソン『2001:キューブリック、クラーク』(2018)をようやく読み終えたので、その感想を記して追悼としよう。

 去年の年末に出版された本だが、売れているようで早くも重版がかかっているのは喜ばしい。この映画の内幕本としては、ジェローム・アジェル『メイキング・オブ・2001年宇宙の旅』、アーサー・C・クラーク『失われた宇宙の旅2001』、ピアース・ビゾニー『未来映画術「2001年宇宙の旅」』がすでに邦訳されており、欧米ではこれ以外にもいろいろあるそうだが、マイケル・ベンソンはこうした過去の資料を統合し、先行研究者が収集した存命スタッフ・キャストへのインタヴューや一次資料を整理して、監督の没後でなければ難しかったと思われる突っ込んだノンフィクションに仕上げている。巨匠の制作現場というのは得てして「一将功成りて万骨枯る」ということになりがちで、秘密主義で制作を進め、クレジット表記にシビアなキューブリックの現場もその例に漏れない。この本では、各章にポイントを設定し、個性豊かなスタッフたちの悪戦苦闘の物語、彼らを束ねるキューブリックの複雑かつ魅力的な人物像、そして人類がまだ野蛮だった時代の映画作りを、まるで全12話の『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』といった趣で楽しませてくれる。あの番組の記憶を持つ読者なら、読みながらいつしか頭の中で「地上の星」(中島みゆき)が聞こえてくるかもしれない。

 さすがにテクニカルな部分では既知の情報が多い。しかし改めて信じ難いのは、これほどのビッグ・プロジェクトがクラークの小説草稿と10分ほどの宇宙空間テスト映像を用意しただけでMGMからゴーサインが出た、という事実で、その後、共作者のクラークが小説版を執筆中だというのに、キューブリックは撮影台本を次々と書き直し、新しいアイディアを導入してはクラークに報告、彼の仕事を管理し続けた。例を挙げれば、ボーマン船長以外の乗組員がHALによって「皆殺し」になる展開は新人特撮マン、ダグラス・トランブルの進言によるものだし、HALが被害妄想を抱くきっかけとなるボーマン船長とプール乗組員の密談を「ポッド内」にて行うという設定は、プール役のゲイリー・ロックウッドの発案、その会話をHALが「読唇術」によって盗み聞きするというアイディアは、共同プロデューサーのヴィクター・リンドンが思いついたという人工知能読唇術まで身につけているというのはよく考えると変な気もするが、これほど映像的かつ簡潔に事態の進行を示す演出はない。キューブリックの「完全主義」とは、このようなジャムセッション(即興演奏)によってより良いアイディアを集積する環境を獲得することであり、決して頑迷な芸術家が己のイメージに執着するようなものではなかった。
 23歳でプロジェクトに参加したダグラス・トランブルの特撮マン成長物語としても読み応えたっぷりだし、「人類の夜明け」のシークェンスで、猿人たちの動きを振付し、自ら“月を見るもの”(骨を投げた猿人)を演じたダン・リクターと、その猿人たちの特殊メーキャップを担当したスチュアート・フリーボーン(後に『スター・ウォーズ』のチューバッカやヨーダを制作した)の奮闘ぶりに至っては涙なしに読めない。あるプロジェクトを成功させるには、まず優秀なスタッフを揃えることが肝要だが、そのリーダーは彼らから存分に能力を引き出し、正しい方向に導けなくてはならない。キューブリックの演出力とは、楽器(スタッフ)から多彩な音色を引き出す指揮者としての貪欲性に、その本分があるようだ。

 また、ダン・リクターの回想だが、キューブリック邸にロマン・ポランスキーを招いて、彼の新作『吸血鬼』の上映会が開かれたことがあった。その席上でドラッグ(LSD)の話題が出たが、キューブリックは「やったことはないし、やるつもりもない」と答えたという。たまに「『2001年の宇宙の旅』のスター・ゲイト場面は、監督のLSD体験が元になっている」などとまことしやかに語る人がいるが、実際はそんなシンプルな着想で描かれたものではなく、多数のスタッフによるアイディアと試行錯誤を経て構築されたシーンである(まぁ、60年代の神秘思想めいたメッセージを感じ取れなくもない映画なのでドラッグと結びつけたくもなるのだろうが)。ちなみにこの時、キューブリックがドラッグを否定した理由が「自分の創造的才能の源がどこにあるかわからないので、それを失って二度と取り戻せなくなるのが怖い」、というのが実に彼らしい。人に車を運転させる時は制限速度を厳守し、セット内の落下物に備えてヘルメットを着用、豹が猿人を襲う場面の撮影では一人だけ金属ケージに入って演出したという話も、「自分の身に何かあったら作品が完成しなくなってしまう」という恐れと責任感からくるものに違いない。そして、「創造的判断を下す」瞬間こそが、彼にとってはドラッグ以上の快楽だったのだろう。


2001年宇宙の旅』撮影現場のスタンリー・キューブリック

 異星人存在の可能性について話を聞くため、クラークが若きカール・セーガンを招くがキューブリックの不興を買ってしまった話や、『博士の異常な愛情』を公開したキューブリックが、不条理戦争文学の傑作『キャッチ=22』に感銘を受けてジョセフ・ヘラーに会いに行った話など、興味深いエピソードは枚挙にいとまがないが、美術デザイン担当候補として、手塚治虫に目をつけていた、という話は残念ながら出てこない。音楽候補にピンク・フロイドがいた、という話も(これは情報自体が誤りに違いないが)。しかし、『2001年』以前にフロント・プロジェクションを試した東宝映画『マタンゴについては、著者の推測の領域だが軽く触れられている。世界中のSF映画をチェックしていたキューブリックが、東宝特撮映画も丹念に観賞していたのは間違いないようだが、はたして『マタンゴ』のフロント・プロジェクションに可能性を見出したというのは本当だろうか?

 アナログ特撮の極北と言える『2001年宇宙の旅』だが、“あきらめの悪い”演出家キューブリックが長生きして、執念の企画A.I.に取り組み、デジタル特撮に手を出したらどんなことになっただろうか、と想像せずにはいられない。デジタル技術は日進月歩、進化する技術を取り入れながら、完成したはずの場面のリテイクがえんえんと繰り返され、プリビズ(3DCGを使った撮影シミュレーション)などという技術を知ったが最後、あらゆる撮影方法が無限に検討され、今に至るも完成していなかったかもしれない。しかし、キューブリックはそれでも焦らず試行錯誤と即興プレイをゆうゆうと楽しんでいただろう。
 創造の愉楽と過酷さ、そして少しの残酷さについても考えさせられる一冊である。

 

大河ドラマ『いだてん』に「天狗倶楽部」登場!〜横田順彌と古典SF三部作




 東京オリンピックについては蟻のお猪口ほどの関心も持ってない私だが、大河ドラマ『いだてん』の初回は絶大な関心を持って視聴した。

 ミステリーや歴史に造詣の深い三谷幸喜とは対照的に、宮藤官九郎はもっぱら小ネタをちりばめた集団劇を得意とする作家。歴史劇には興味なさそうに思えた宮藤が、明治から昭和に渡る50年という時代をどんな視点で切り取るのかと思ってみれば……、プロローグではまだ主人公を活躍させず、嘉納治五郎を中心にオリンピックという祭典とその概念を知った直後の日本人のリアクションを描く内容となっており、彼らの反応から出る言葉が現代オリンピックへの批評となっていたり、50年後の1959年と複雑に往復する構成など(『あまちゃん』も1984年の描写と交差したのを思い出す)、なかなかに挑戦的なすべり出し。
 少なくとも初回放送後、何かを語り合いたくなる要素がほとんど見当たらなかった去年の大河とはあきらかに違う。

 わけても嬉しかったのは、日本初のオリンピック出場選手の一人である三島弥彦と、彼が所属したスポーツ社交団体「天狗倶楽部」の面々が重要な存在として描かれたことだ。
「天狗倶楽部」という団体は、SF作家にして明治文化研究家である横田順彌(愛称:ヨコジュン)の『火星人類の逆襲』(1988)を読んで知った。題名にある通り、これは火星人が明治44年の日本を襲撃するという内容で、「逆襲」とあるのは、火星人たちはその13年前に大英帝国を襲っているから、つまりこの話はH.G.ウェルズ宇宙戦争』の後日談として描かれており、さらにウェルズ作品の再解釈でもあったのだ。
 本来の題名は明治天皇宇宙大戦争(!)だったというこの小説、乃木大将率いる近衛師団と火星人との激闘も描かれるが、主人公となるのは『海底軍艦』で知られる冒険作家・押川春浪早稲田大学応援隊隊長・吉岡信敬、そして彼らが中心となって結成されたバンカラ集団「天狗倶楽部」の個性豊かな面々だった。
『火星人類の逆襲』の3年後には、続篇『人外魔境の秘密』(1991)も刊行された。こちらでは、天狗倶楽部メンバーが南米のジャングルに出張し、英国のチャレンジャー博士が発見したという謎の台地を探検して恐竜に遭遇する。つまりコナン・ドイル『失われた世界』と世界を共有する物語なのだ。南米に到着した一行を案内するのが、コンデ・コマこと柔術王の前田光世だったり(グレイシー柔術が有名になる以前の小説である)、彼らに飛行船を提供するのがブラジルの飛行機王サントス・デュモンだったり、厳密な時代考証と遊び心を同居させた、空想の明治を描いた傑作だった。「山田風太郎の明治ものが、史実の隙間にあり得たかもしれない物語を構築する試みとすれば、横田順彌の明治SFは、当時書かれていたかもしれない物語を再現する試みと言えるだろう」とは日下三蔵氏の評だが、至言である。


表紙イラストはバロン吉元。「人外魔境」にルビが振られているのは出版社の独断で著者の意向ではないという。

 このシリーズは解説に<古典SF三部作>とあったので、当然三作目が読めるはずと期待していたのだが、なぜか出版されることがなかった
 横田順彌はほぼ同じ時期に、押川春浪と若き科学小説家・鵜沢龍岳が活躍するSFミステリのシリーズを書き始め、こちらは長編3冊(『星影の伝説』、『水晶の涙雫』、『惜別の祝宴』)、短編集3冊(『時の幻影館』、『夢の陽炎館』、『風の月光館』)にまとまっている。<古典SF三部作>と<押川春浪&鵜沢龍岳シリーズ>は同じ世界線に存在し、それぞれの作品に仕掛けられたある設定が、H.G.ウェルズの『タイム・マシン』を素材とする「古典SF三部作・完結編」で種明かしされるという構想だったそうだが、待てど暮らせど出ない。
 その理由が「出版社から中止させられてしまった」と知ったのはごく最近になってからだ。

 横田順彌には『「天狗倶楽部」快傑伝〜元気と正義の男たち』(1993)、『快絶壮遊 天狗倶楽部〜明治バンカラ交友録』(1999)といった著作もあり、宮藤官九郎もおそらく参考資料としていることだろう。『木更津キャッツアイ』の作者がこの集団を見逃すはずがなかった。ちなみに『いだてん』では押川春浪武井壮が、吉岡信敬満島真之介が演じている
 しかし、ヨコジュン初期の小説群、特に実験精神に満ちた連作短編「荒熊雪之丞シリーズ」(現在のギャグ系ラノベにかなり影響を与えているのではないか、と私はニラんでいるがあまりそういう声を聞かない)や、ダジャレでオチがつく落語的ユーモアSF短編(「老婆は一日にしてならず」とか「溺れる者はファラオも掴む」とかいくらでも思い出せるぞ)を愛読した世代としては、ここは『いだてん』に大成功してもらい、『火星人類の逆襲』と『人外魔境の秘密』の復刊、そして幻の完結編の執筆・出版を願わずにはいられない。
 さらに欲をいえば、ヨコジュンのもう一つの代表作『日本SFこてん古典』全3巻の復刊をぜひ! 古書店で発掘した明治から昭和初期にかけての奇想小説を紹介するというこのシリーズ、今の目で見ると内容に誤りが多い、との理由で著者に再刊の意思がないそうだが、凄腕オタクの研究レポートでありながら非常に面白いユーモアエッセイでもあるという、マレな名著だと思うのだ。
 この本自体が稀覯本になっている現状は本当に残念……と、ここまで書いたところで『日本SFこてん古典』が電子書店パピレスで入手可能と知った。荒熊雪之丞シリーズの『謎の宇宙人UFO』や『銀河パトロール報告』も出てるのか。『火星人類の逆襲』と『人外魔境の秘密』もせめて電書化してもらえないだろうか。

電子書店パピレス横田順彌」のページhttp://www.papy.co.jp/sc/list/credit1/_sqPFxL3n170


キネマ旬報「1980年代映画ベスト・テン」の1990年版と2018年版を見比べる




 「ごぶさたですね、早いものでもうベスト・テンの季節ですが、今年はいかがですか?」

 「ダメですねぇ、今年はどうにか100本以上観ることができたけど、そのうち半数は旧作だし、新作も『好き』と言える作品は数えるほどしかない。ま、私がグチをこぼしながら選ぶベストテンなど世間の誰も関心を持たないだろうから、それよりもっと有意義な話をしようじゃないか。この雑誌の特集、読んだ?」

 「ああ、『キネマ旬報』の1980年代の映画ベスト・テンですね。こないだ1970年代をやったから、その続きというわけなんでしょう」

 「じつはキネ旬、今から28年前の1990年にも80年代の映画ベスト・テン企画を行っているんだよ」

 「ほほう、1990年と言えば平成2年、終わったばかりの80年代、つまり昭和最後の10年を総括する意味もあったんでしょうね」

 「平成2年と平成30年、この2種類の80年代ベスト・テンを見比べてみると、作品評価の移り変わりという点で、なかなかに興味深いのだ」

 「なるほど、つまり平成が始まったばかりの1990年と、平成が終わろうとしている2018年の80年代ベスト・テンを比較してみようというわけですね」

 「その通り。まずは、1990年に集計された『1980年代外国映画ベスト・テン』を見てみよう。上位20作はこの並びだった」

 

1990年選出 1980年代外国映画ベスト・テン

1.E.T.(1982)

2.ブリキの太鼓(1979)

3.ストレンジャー・ザン・パラダイス1984

4.ファニーとアレクサンデル(1983)

5.1900年(1976)

6.ダイ・ハード(1988)

7.フルメタル・ジャケット(1987)

8.ブルー・ベルベット(1986)

9.地獄の黙示録(1979)

10.ブレードランナー(1982)

11.恋恋風塵(1987)

12.ガープの世界(1982)

13.ミツバチのささやき(1973)

14.グッドモーニング・バビロン!(1987)

15童年往時―時の流れ(1985)

16.路(1982)

17.八月の鯨(1987)

18.ラストエンペラー(1987)

19.ルードウィヒ 神々の黄昏(1972)

20.紅いコーリャン(1989)

キネマ旬報1990年8月下旬号より)

 

 「へぇ、1位は『E.T.』ですか」

 「スティーヴン・スピルバーグは80年代ベスト監督においても1位に選出されている。やはり80年代といえばスピルバーグ印が映画界を牽引した10年ということになるんだろう」

 「あれっ、『1900年』とか『ブリキの太鼓』とか『ミツバチのささやき』とか、70年代の映画がずいぶん混じってますよ」

 「この時は『80年代に公開された映画』が対象だからね。でも欧米の巨匠たちに混じって、ホウ・シャオシェンチャン・イーモウらアジア勢がランクインしているのが要注目だ」

 「で、これが今年のベスト・テンではどうなったんですか」

 「なんとこうなった」

 

2018年選出 1980年代外国映画ベスト・テン

1.ブレードランナー(1982)

2.ストレンジャー・ザン・パラダイス1984

3.バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985)

3.非情城市(1989)

5.E.T.(1982)

5.男たちの挽歌(1986)

5.動くな! 死ね! 甦れ!(1989)

5.友だちのうちはどこ?(1987)

5.最前線物語(1981)

10.グロリア(1980)

10.ニュー・シネマ・パラダイス(1988)

10.ブルース・ブラザース(1980)

13.エル・スール(1983)

13.カリフォルニア・ドールス(1981)

13.恐怖分子(1986)

13.ラルジャン(1982)

17.ファニーとアレクサンデル(1983)

17.緑の光線(1986)

17.未来世紀ブラジル(1985)

20.シャイニング(1980)

20.スタンド・バイ・ミー(1986)

20.ブルー・ベルベット(1986)

キネマ旬報2018年12月下旬号より)

 

 「おおっ、『ブレードランナー』が10位から1位に大躍進!」

 「リドリー・スコットの『ブレードランナー』はそもそも1982年の年間ベストテンでは25位だった作品だからね。ちなみにその年の1位は大ヒット作の『E.T.』だ。長い月日が経つことによって、その影響力の大きさ、作品の奥行きの深さが認められ、ついに80年代の『最高傑作』へと評価が改められた、というわけだ」

 「去年は『ブレードランナー2049』という続編まで製作されたので、余計に1作目の存在感が浮上してきたのかもしれませんね」

 「私としては、正直『ブレードランナー』も『ストレンジャー・ザン・パラダイス』も魅力がもうひとつ掴めない作品なのだが」

 「ハイ、余計なことは言わないで。それにしてもカネフスキー『動くな! 死ね! 甦れ!』やキアロスタミ『友だちのうちはどこ?』は80年代の作品だったのですねぇ。てっきり90年代なのかと」

 「公開されたのが90年代だから、当時の空気といっしょに記憶してしまいがちだけど、今回は『80年代に製作された映画』が対象なんだね。ホウ・シャオシェンは、90年のベストで選ばれた2作が消え、代わりに『非情城市』が堂々3位にランクインしている。票が集中するに足る代表作が登場した、ということだね」

 「それにしてもロバート・ゼメキスの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とジョン・ウーの『男たちの挽歌』がベスト5入りというのもびっくりしました」

 「共に80年代を代表する娯楽作品だが、投票したのは当時若者だった選者なんだろう。若いころに衝撃を受けたエンターテインメントというのは、生涯忘れがたいものだもの。『ブルース・ブラザース』や『スタンド・バイ・ミー』もランクインしてるしね」

 「香港映画がランクインするならジャッキー・チェンだと思っていたので意外でした」

 「代わりに『ダイ・ハード』が圏外に去ったのはどうしてかな? 89年度のキネ旬1位を獲得したアクション映画なのに」

 「その後4本も作られた続編の出来が足を引っ張ったのかもしれませんね。しかしサミュエル・フラーの『最前線物語』がこんなに上位に来たのも驚きです」

 「フラー、カネフスキーキアロスタミ、カサヴェテス、アルドルッチ、このあたりの評価と人気の高さについては、それぞれの作品の強さはもちろんのこと、蓮實重彦の布教活動の成果、という気もしなくもないな」

 「それにしちゃヴィム・ヴェンダースが影も形もありませんが」

 「これは私も意外だった。『パリ、テキサス』と『ベルリン・天使の詩』は共に80年代を代表する作品だと思うのだが、なぜか28年前から変わらず圏外だ。ジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』が変わらぬ人気を得ているのとは対象的だね」

 「まぁ、当時キネ旬1位を獲得した『ソフィーの選択』や『アマデウス』、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』も共に28年前から圏外ですからね。立派な作品とは認めるけど、こうしたイベントで個人的に応援する気にはならない、ということなのかしら」

 「タルコフスキーも入ってないしね。そう考えるとイングマール・ベルイマンの『ファニーとアレクサンデル』の人気はしぶといな」

 「今年、生誕100年でひさびさに上映されたのも影響してるかもしれません」

 「キューブリックも『フルメタル・ジャケット』が消え、代わりに『シャイニング』が票を伸ばしている。この辺りの人気の移り変わりも面白いね」

 「こうなると日本映画の方も気になりますね」

 「では、1990年選出の80年代日本映画ベストから見てみよう」

1990年選出 1980年代日本映画ベスト・テン

1.ツィゴイネルワイゼン(1980)

2.泥の河(1981)

3.ゆきゆきて、神軍(1987)

4.家族ゲーム(1983)

5.となりのトトロ(1988)

6.お葬式(1984

7.戦場のメリークリスマス(1983)

8.台風クラブ(1985)

9.細雪(1983)

10.ニッポン国 古屋敷村(1982)

11.遠雷(1981)

12.転校生(1983)

13.風の谷のナウシカ1984

14.黒い雨(1989)

15.乱(1985)

16.影武者(1980)

17.竜二(1983)

17.どついたるねん(1989)

19.の・ようなもの(1981)

20.海と毒薬(1986)

20.コミック雑誌なんかいらない!(1986)

キネマ旬報1990年9月上旬号より)

 

 「なるほど、正直なところずいぶんバランスのいい並びに見えますけど」

 「まさにキネ旬らしいランキングだよね。80年代ベスト監督には相米慎二が選ばれている」

 「小栗康平森田芳光伊丹十三宮崎駿大林宣彦という80年代登場組に、鈴木清順大島渚などのベテランが気を吐き、市川崑黒澤明ら巨匠も健在だった時代ですね」

 「これが、2018年ではこうなった」

2018年選出 1980年代日本映画ベスト・テン

1.家族ゲーム(1983)

2.ツィゴイネルワイゼン(1980)

2.ゆきゆきて、神軍(1987)

4.戦場のメリークリスマス(1983)

5.その男、凶暴につき(1989)

6.台風クラブ(1985)

7.転校生(1983)

8.風の谷のナウシカ1984

9.Wの悲劇1984

10.どついたるねん(1989)

10.となりのトトロ(1988)

12.さらば愛しき大地(1982)

12.鉄男(1989)

12.泥の河(1981)

15.ションベン・ライダー(1983)

15.ニッポン国 古屋敷村(1982)

17.ウンタマギルー(1989)

17.遠雷(1981)

17.人魚伝説(1984

キネマ旬報2019年1月上旬号より)


 「なんと、1位は森田芳光の『家族ゲーム』になりましたか」

 「90年度のベスト・テンでも、読者選出の方では『家族ゲーム』が1位だったんだよ。鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』のカリスマ性や原一男ゆきゆきて、神軍』の衝撃力は依然高いが、今振り返ると、森田の斬新なホームドラマの方が、80年代という時代を的確にとらえていたのかもしれない」

 「小栗康平の『泥の河』が順位を下げる一方で、大林宣彦の『転校生』が順位を伸ばしていたり、面白いですね。突然の急浮上としては北野武その男、凶暴につき』、澤井信一郎Wの悲劇』、塚本晋也『鉄男』、柳町光男さらば愛しき大地』があります」

 「北野武塚本晋也はその後、日本映画界を代表する監督に成長したので、その出発点を重視したい、という投票者が多かったんじゃないかな。『どついたるねん』の阪本順治もそのパターン。『Wの悲劇』は前回39位、『さらば愛しき大地』は前回23位だったので、やはりリアルタイムで観て、衝撃を受けた世代から票を集めることになったんだと思う」

 「まぁ、角川映画から一本選ぼうと思えばそりゃ『Wの悲劇』になりますよ」

 「そう? 私なら大林の『時をかける少女』か和田誠の『麻雀放浪記』」

 「一方で、黒澤明市川崑今村昌平らはさすがに姿を消しましたね。しかし、『戦場のメリークリスマス』は強いなぁ」

 「『戦メリ』の人気は私にもよくわからないが、大島渚のスタイルが80年代らしい形に大きく変化した点で重要視されているのかな。もうひとつ、高嶺剛の『ウンタマギルー』や池田敏春の『人魚伝説』のような一種のカルトムービーに票が集まったのは、2018年には見かけなくなったタイプの作品だから、なのかもしれない」

 「80年代日本映画の『顔』といえば伊丹十三も外せない存在だと思うのですが、圏外に去りましたね」

 「これは残念だねぇ。『お葬式』、『タンポポ』、『マルサの女』の3作は、まさに80年代を象徴する重要作だと思うのだけど。滝田洋二郎の『コミック雑誌なんかいらない!』も、もっと順位が上がるかと思っていたらそうでもなかったので意外だ」

 「しかし二つのランキングを見比べると、やはり80年代は相米慎二宮崎駿の時代だった、と言えそうですね」

 「じつは私、1位は『ナウシカ』か『トトロ』じゃないかと内心予想していた。ちょっと票を食い合ってしまったのかな。それにしても、相米慎二森田芳光伊丹十三が故人となった今、宮崎駿が今も新作製作中というのは喜ぶべきことだね」

 「いやぁ、山田洋次クリント・イーストウッドも健在ですよ

 「たはっ、そうでした。では最後にキネ旬本誌を読む前に選出しておいた、極私的1980年代ベストテンを挙げておこう。順位はいいかげんです。ほぼ思いついた順」

 

<外国映画>

1.太陽の帝国(1987)

2.未来世紀ブラジル(1985)

3.カメレオンマン(1983)

4.ロジャー・ラビット(1988)

5.バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985)

6.プロジェクトA(1983)

7.フルメタル・ジャケット(1987)

8.旅立ちの時(1988)

9.バベットの晩餐会(1987)

10.フィツカラルド(1982)

 

<日本映画>

1.ドラえもん のび太の宇宙開拓史(1981)

2.ツィゴイネルワイゼン(1980)

3.マルサの女(1987)

4.うる星やつら2/ビューティフル・ドリーマー1984

5.天空の城ラピュタ(1986)

6.コミック雑誌なんかいらない!(1986)

7.東京裁判(1983)

8.爆裂都市 BURST CITY(1982)

9.乱(1985)

10.ゴジラVSビオランテ(1989)

 

 「封切で観た作品とレンタルビデオで観た作品がごちゃ混ぜですね」

 「一人で映画を観に行くようになったのが80年代の半ばで、同時にレンタルビデオが大流行した時期でもあったのね。我々の世代の映画体験はどうしてもビデオやテレビ放送で観たものが混じってしまう。今年、『爆裂都市 BURST CITY』をNFAJの上映で観られたので、いちおうすべてスクリーン観賞はしてるけど」

 「でも『カメレオンマン』は劇場で観てないでしょ」

 「そういやそうでした。しかしウディ・アレンを外した80年代は考えられない。それに『カメレオンマン』はビデオ版の日本語吹替が良くできていて、本当にNHKで放送される海外ドキュメンタリー風に仕上がっていたんだよ。あれが忘れられなくてさ。Blu-rayで出してくれないかな」

 「ロバート・ゼメキスが2本入ってますね」

 「最初はエドワード・ヤンの『恐怖分子』を入れてたんだけど、やはり80年代に観た映画に限定しようと差し替えちゃった。私にとって80年代はゼメキスの時代です。文句あるか」

 「いえ、べつに……。ただ、ジョン・ランディスジョン・カーペンターに悪いな、と思って」

 「80年代はもっとも多感な時期を過ごした時代だけど、はっきり言って不愉快な時代だったよ。『ネアカ』なんて流行語に代表される、虚飾の明るさに満ち満ちてさ。しかし振り返ってみると、あのいまいましい狂騒のおかげで、カルチャーの面においてはずいぶんと多様化をもたらしてくれた、という事実は確かにある。田舎の鬱屈した少年になんらかの刺激や世界の拡がりを与えてくれた作品群を並べてみました」

 「30年後、2010年代の映画ベストを選んだらどんな並びになるでしょうね」

 「そんなことを考えながら、今夜は実相寺昭雄監督のロッポニカ作品『悪徳の栄え』(1988)でもいっしょに観ようじゃないか。いやぁ、これも入れたかったんだけど観たのがだいぶ遅かったからさぁ」

 「ご遠慮しておきます。そろそろ『明石家サンタ』が始まる時刻なので……。それではみなさん、メリークリスマス!」