星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

『ピンク・フロイド 光〜PERFECT LIVE!』と『ロジャー・ウォーターズ US+THEM』〜ふたつのコンサート映画

プロモ映像 https://www.youtube.com/watch?time_continue=16&v=KonVL3GKpto&feature=emb_logo

 

 今年の11月下旬は、ピンク・フロイドのファンにとっては熱く、忙しい時期となった。

 まず25日、ギルモアフロイドによる1988年のライブを収録したコンサート映画“Delicate Sound Of Thunder”(邦題『ピンク・フロイド 光〜PERFECT LIVE!』)のライブ絶叫上映があり、30日にはロジャー・ウォーターズの新作コンサート映画ロジャー・ウォーターズ US+THEM』(2019)の一夜限定プレミア上映が開催。さらに日本が誇るフロイドトリヴュート・バンド「原始神母」のツアーまで始まるのだからたまらない。
 私としても2年前、わざわざN.Y.まで出向いて“US+THEM”ツアーを観ただけに、その映画版の仕上がりには期待がつのる一方だし、旗揚げから観ている原始神母は、今年のツアーではアルバム「ウマグマ」の50周年を記念して、2枚組再現ライブを行なっているというので絶対に聞き逃せない。
 年末進行の迫るスケジュールとにらめっこし、原始神母のライブは12月下旬の六本木公演のチケットを押さえ、ロジャーの『US+THEM』上映会は、発売初日にチケットを入手した。

 で、いちばんどうでもいいピンク・フロイド 光〜PERFECT LIVE!』のチケットを最後に取って、25日の夜はZepp Diver City TOKYOへ。この映画、1989年にVHSビデオで出たきりだから、若いファンは観たことがない人が多いだろう。
 監督はボン・ジョヴィモトリー・クルーのビデオクリップを手掛け、「80年代伝説のMTV監督」と呼ばれたウェイン・アイシャム。しかしアイシャムとフロイドの個性は合っていたとは言い難く、このビデオ、初めて観た時の印象は最悪だった。
 まず画面全体に青味が強調され、モヤっと霧がかったようなトーンが寒々しい。フィルターかまして「幻想的」にしたつもりだろうが、ギルモアフロイドの指向性はこっちじゃないよ。おかげで色とりどりのヴァリ・ライトが飛び交う照明演出がだいなしだ。さらに、カットをベタ〜っと長くダブらせる編集が多く、しまりがないことおびただしい。ギルモアのギターの手元と歌う顔のどアップの多重合成なんて、暑苦しい上に見づらくてかなわないし、演奏やステージ演出のタイミングをハズした編集も目立ち、フロイドの音楽世界をとらえ損ねているように見えた。実は、1994年のツアーを収録したビデオ『P.U.L.S.E(DVD版邦題「驚異」)』を先に観てしまったせいもあり、とにかくガッカリしたものだ。
 問題は演出だけではない。演奏自体も、弾きながらぴょんぴょん飛び跳ねるベース(ガイ・プラット)や、腰を落として大股を開きながら吹くサックス(スコット・ペイジ)など、サポートメンバーたちのはしゃぎっぷりが、むしろピンク・フロイドの品格を落としているように思えてならず、コーラスを務めるボディコン三人娘がクネクネ踊るのをバックに、ギルモアが露天風呂で湯加減を味わうが如き表情でギターを泣かせる姿が、なんともオヤジ臭くて気恥ずかしかった。

 さて、それがHD版ではどうなったか。会場に着けば、私は「立ち見上等!」の気分でいちばん安いスタンディング席を取ったのに、前方自由席はパイプ椅子がずらりと配置され、高齢プログレファンに優しい仕様となっていた。スタンディングスペースは「立って騒ぎたい人用」に自由席の両端にちんまり設置されただけ。さすがにわざわざこのスペースにやってくる人は少なく、私も自由席で座って見た。まぁ、やはりというかなんというか、フロイド曲を聞きながら「絶叫」したい日本人はほぼ皆無なようで、自由席の客も特に立ち上がることもなく、黙って聴いていたのでありました。

ピンク・フロイド The Later Yeares 1987-2019』ジャケット


 上映前の前説に登場したのは、2年前にここで『デヴィッド・ギルモア ライブ・アット・ポンペイ』(2017)の極音上映会をやった時と同じく、ロック評論家の伊藤政則。セーソクさんによると、今度出る「ピンク・フロイド The Later Yeares 1987-2019」というアーカイブ・ボックスには、アルバム『鬱(モメンタリー・ラプス・オブ・リーズン)』(1987)の最新リミックス版が収録されるのだが、何が最新かというと各曲の“アップデート版”なるものが入っている。それは『鬱』の曲に、キーボードのリック・ライトのプレイを再ミックスして仕上げ直したものなんだとか。
 いやいやいや、そんなもん聞きたいですか、みなさん? ギルモアフロイド1作目である『鬱』が実質ギルモアのソロ・アルバムであることは今や周知の事実。ほんのちょっとしか参加してないリックのプレイを増量したところで贋作が真作になるわけじゃなし、新しいボックスを少しでも多く売るためなんだろうけど、ギルモア先生も商魂たくましくなったものですなぁ、と若干心が冷ややかになったところで上映開始。

 十数年ぶりに観る『ピンク・フロイド 光〜PERFECT LIVE!』、まず、80年代のコンサート映像とは思えない画質に驚いた。撮影素材が35㎜フィルムだったおかげで実現した高品質化。『P.U.L.S.E』はビデオ撮りだからこうはいかない。さらに、本来のテレビサイズ(4:3)から現行のワイドテレビ(16:7)にトリミングし直すにあたって、かなり編集に手を加えたようで、オリジナル版よりはるかに観やすくなっている。色調も補正したようだし、しつこい多重合成も控えめで、それぞれのプレイをしっかりとらえた結果、光と音のエンターテインメント・ショーで観客を酔わせる、ライブ・バンドとしてのギルモアフロイドの存在感が、21世紀によみがえった。
ザ・ウォール』(1979)、『ファイナル・カット』(1983)とロジャー・ウォーターズが主導する時期の重苦しさ、テーマ性から解放され、「わしゃー本来、こういう明るく楽しいショーをやりたかったんじゃー!」、というギルモアの魂の叫びがビシビシと伝わってくる。サポートメンバーの悪ノリが目立つ演奏も、解放感の露呈としてとらえれば貴重なものに聞こえてくるのだから不思議。実際、リック・ライトとニック・メイスンが調子を取り戻し、演奏スタイルが完成した『P.U.L.S.E』のまとまりの良さに比べると、こちらは若手の力を借りながら、「産業ロックで何が悪い!」とプレイを爆走させる様子がいっそすがすがしい。
 もっとも、奇跡のフィルム『ピンク・フロイド ライブ・アット・ポンペイ』(1971)で大暴れした若き前衛ミュージシャンたちの姿はここにはない。しかしアーティストの「成熟」を感じさせるひとつの姿ではある。

日本版予告編 


 そして11月30日、映画『ロジャー・ウォーターズ US+THEM』のプレミア上映のため、新宿ピカデリーへ。世界最高水準のロックショーであったツアーの様子は、2年前に詳細なレポートを書いたので、そちらを参照していただきたい(ロジャー・ウォーターズ US+THEMツアー観賞記 https://ch.nicovideo.jp/t_hotta/blomaga/ar1343862  )。

 全国で抽選にしなければいけないほど客が入るのかよ、と心配だったがとりあえずピカデリー3は完売だった。品川のコヤもほぼ満席だったと聞いてひと安心。上映前の登壇ゲストは「またお前か」伊藤政則
 私と同じくN.Y.で「US+THEM」ツアーを観たというセーソクさん(日にちもいっしょだった)によると、このツアーの来日公演を打診したプロモーターはいくつかあったそうだ。
「しかし、消防法の問題でダメになったみたいです。1階客席の真ん中から壁が出現して会場を左右に分断する演出があるんですが、日本ではあの仕掛けの下に観客を入れられないそうで。そうすると1階席中央ブロックをまるまる無人にしなきゃいけなくなり、それじゃ客数が制限されるから」
 ああ、消防法! ロジャーの「狂気」ツアーや「ザ・ウォール」ツアーも、舞台上でふんだんに花火を打ち上げるから、これは日本じゃ消防法的にキツそうだな、と思っていたが、まさか「US+THEM」ツアーでも引っかかるとは。外国でも数万人規模の巨大スタジアムが会場の場合は、あの壁の仕掛けをステージ背後に設置することもあったようだが、それを日本でやるとなれば東京ドーム級の会場を必要とするため、ペイできないということになったのだろう。実に残念。
 U2ならさいたまスーパーアリーナが埋まるのになー。現地に観に行っといてヨカッタ。

会場となった新宿ピカデリー3

 上映された映画『ロジャー・ウォーターズ US+THEM』は、公演を忠実に記録し、映像で内容を再現するというものではまったくなかった。やはりライブ公演と映画はまったく別物、映画『ロジャー・ウォーターズ ザ・ウォール』(2014)が、ライブの記録映像とロードムービーを混ぜ込んで、ロジャー個人の私映画として独立した作品になっていたように、今回は紛争や暴力に追われる難民たちの姿を中心に、「US(我々)&THEM(彼ら)」の分断から「US+THEM=みんな同じ」の融和を訴えるアジテーション・フィルムとなっていた。
 冒頭に映し出されるのは、浜辺に座る難民の女性の後ろ姿、というのはステージと同じだが、映画版では、彼女と難民たちの姿を描く描写が随所にインサートされ、ステージで演奏される楽曲がすべて、「彼らに捧げる歌」であるかのように構成される。
 ギルモアフロイドの映画がギターの音色を中心に演者・観客が共に盛り上がる祝祭的な演奏であったのに対し、こちらはロジャーというカリスマを中心にしつつも、主題となる地球上の悲劇を決して忘れさせない理知的な演奏で、熱狂する観客たちの姿も含め、ひとつのコンセプトで統一された映像作品に仕上がっている。前作『ザ・ウォール』同様、ヴィジュアル・ディレクターのショーン・エヴァンスによる編集がじつに巧みだ。
 実際、この構成で演奏を聞かされると、かつては「内省的」といわれたフロイド楽曲が、まったく現代への批評性を失っていないことに改めて驚かされる。ロジャーの新作アルバムから演奏する曲が、21世紀の紛争や難民問題を扱っているのは当然だが、おなじみの「吹けよ風、呼べよ嵐」が日常に忍び寄る暴力を、「ようこそマシーンへ」が体制に飲み込まれてゆく現代人を、「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」が思想統制を望む権力者の存在を、「あなたがここにいてほしい」がテロや戦争、災害で喪われた人々への思いを、「ドッグ」が無縁社会における人間の孤独を、それぞれ視野に含んでいることがまざまざと浮かび上がる。優れた芸術作品の多くは過去と未来の両方に開かれているものだが、ピンク・フロイドの曲もまた「当時」の殻に閉じ込められてはいなかった。
 後半の「ドナルド・トランプ=豚」を強調する演出ばかり報道されたこのツアーだが、映画『US+THEM』では「我々」と「彼ら」分断する、権力者や金満家を批判する曲として「ピッグ」が演奏され、トランプはそのわかりやすい象徴に過ぎない。映画版では続く「マネー」の冒頭にトランプの罵声をエフェクトとして使用、各国首脳の顔をモンタージュした上、間奏部には核爆発による世界滅亡のイメージをダメ押ししていることから、曲を単なる「資本家批判」のイメージから拡大していることは明確だ。ネットでは「リベラルなアーティストがまだ戦争も虐殺もしてないトランプを批判するのは偽善。本物なら習近平を批判すべきでしょ〜」とか言うこざかしい連中が目立つが、ロジャーの危機意識はもはやそういう呑気なレベルではない(その種の冷笑家の姿がすでに「ドッグ」で描かれているのもビックリだ)。権力者や金満家が世界を支配する状況、これを放置したらえらいことになるぞ、そのためには「抵抗(RESIST)あるのみ」、と強く訴えかける。

 驚いたのは、ステージでは感動的な盛り上がりを見せたアンコール曲「コンフォタブリー・ナム」をバッサリとカットしていたこと。これぞ「Comfortably Numb(心地よい無痛感)にひたってる場合じゃねーよ!」というチコちゃんばりのメッセージ。映画『US+THEM』のセットリストはアルバム「狂気」冒頭の「スピーク・トゥ・ミー」で始まり、「狂気」結末の「狂人は心に〜狂気日食」のメドレーで終わる。レーザーで描かれた巨大な三角形が浮かぶ会場に、球体(月の裏側)が出現して横切ってゆく。一方、映像では改めて難民の女性と浜辺を遊ぶ少女の姿が描かれ、彼女たちが抱き合う姿でエンディング。「あの太陽の下、すべては調和を保っている。しかし、その太陽はじょじょに月に侵食されてゆく」という最後の歌詞も、現代に向けた希望と不安として受け止められる。
 ステージで演奏された「コンフォタブリー・ナム」においても、曲の内容とは裏腹に「快楽に陶酔したままでいいのか?」というロジャーの声を感じたものだが、映画版『US+THEM』では、「我々」と「彼ら」がいかに協調できるか、という問題提起を、観客に必ず持ち帰ってほしい、という強い意図を感じた。エンドクレジットで歌うのも有色人種の子供たちで、子供に未来と希望を託す、いささか甘い結末も、ロジャーが脚本を書いたアラン・パーカー監督『ピンク・フロイド/ザ・ウォール』(1982)から変わらない。

 アンコールがカットされた代わりに、「fleeting glimpse」という15分の短編ドキュメンタリーが同時上映され、ツアーのメイキングを見せてくれた。リハーサルとして断片的に演奏されるのが「コンフォタブリー・ナム」なので意地が悪い(笑)。座長としてのロジャーの振る舞いがなかなか可愛いですぞ。
 ここで謎だったのは、最後にファンから握手を求められた際、ロジャーが「握手はできないんだ」と断っていたこと。「クソまみれでね。菌を持ってるから」などと言っていたが、どういう意味だろう。ステージではいつも、アンコールの間奏に舞台を降り、最前列のファンと触れ合っていたのだが、映像を見ると、その際もロジャーは手を伸ばすファンに、指先でチョンと触れるか肘をつつくだけで確かに握手をしていない。ロジャーは潔癖症なのか? それとも金正男暗殺犯のようなヒットマンを警戒してのこと?

 ともあれ、『ピンク・フロイド ライブ・アット・ポンペイ』でふてぶてしく生意気な態度を取っていた兄ちゃんは、今も怒れる後期高齢者として、熱く権力への反抗を呼びかけていた。来年には、早くも北米とメキシコで新たなツアーを計画中だそうで、もちろんアメリカ大統領選に向けてのアジテーションだろう。
 2005年〜6年の「狂気ツアー」と2010年〜2013年の「ザ・ウォール」ツアーで、自身のキャリアを総括し、「終活」に入っていた感のあるロジャー・ウォーターズ。しかし、トランプ大統領爆誕というニュースによって、その創造エンジンには新たな炎が灯った。「ピンク・フロイドの頭脳」は成熟を拒否し、まだまだ現在進行中だ。

 

『キューブリックに愛された男』と『キューブリックに魅せられた男』を観て、武重邦夫監督を思い出す


公式サイト https://kubrick2019.com/ 

 

 今年はスタンリー・キューブリックの没後20年であり、最後の作品となった『アイズ・ワイド・シャット』(1999)の公開20周年でもある。そしてこの秋、まさに『アイズ・ワイド・シャット』に出演した2人の人物をそれぞれ主人公とするドキュメンタリーが、日本で同時公開されている。

 一本は、『時計じかけのオレンジ』(1971)製作中にキューブリックと知り合い、その後30年近くに渡って運転手兼雑用係として仕えたエミリオ・ダレッサンドロを主人公とするキューブリックに愛された男』(2016)。エミリオは『アイズ・ワイド・シャット』ではトム・クルーズが新聞を買い求めるスタンドの店員を演じていた。
 もう一本は、『バリー・リンドン』(1976)に俳優として出演した後、キューブリックの個人助手となったレオン・ヴィターリを主人公とするキューブリックに魅せられた男』(2017)。レオンは『アイズ・ワイド・シャット』では洋館に登場する赤マントの男を演じていた。
 どちらもキューブリックの「家族」ともいえるスタッフの回想を切り口に、謎多き巨匠の人となりに迫るドキュメンタリーである。しかし、この2本の強力なライトを持ってしても、キューブリックという巨大な多面体を照らし尽くすわけにはいかないようだ。それでも、危険の多い森に踏み込むための、充分なガイド役を果たしてくれることは間違いない。


スタンリー・キューブリックとエミリオ・ダレッサンドロ


キューブリックに愛された男』は、カメラの前で語るのはエミリオ・ダレッサンドロとその夫人のみ。かつて撮られたスナップ写真のひんぱんなインサートに、デジタル加工された写真がアニメ風に動くなどの演出はあるが、キューブリック作品の本編はいっさい引用しない禁欲的な作りになっている。というのも、エミリオはカーレースと自分の仕事以外はほとんど興味がない素朴な男で、キューブリック作品も晩年まで観たことがなかったという。そんな映画ファン気質とは無縁なところが、キューブリックに気に入られた一因なのかもしれない。
 エミリオの話から浮かび上がるキューブリック像とは、膨大なメモや電話、ファックスを次々と送りつけては事細かな指示を下す口うるさい雇い主であり、家族と動物たちを愛するよき家庭人。F1レーサーをめざしたエミリオの息子が事故で大怪我を負った際、励ましのメモを何度も届け、さまざまな医者を紹介するなど親身になって世話をしてくれるし、『シャイニング』(1980)の撮影中、ジャック・ニコルソンの送迎役を仰せつかったエミリオが彼の下品な振る舞いに嫌気がさして、苦情を訴えるやただちにその役から外してくれるなど、気配りの人でもあったことも伝えられる。もっとも、合理主義者のキューブリックにしてみれば、スタッフのモチベーションが低下したまま仕事を無理強いさせることは、あまりに非効率的と思えただけなのかもしれない。
 90年代のはじめに一度引退してイタリアに引き揚げたエミリオが、結局また『アイズ・ワイド・シャット』製作開始と共に呼び戻される友情物語も心温まるものがあるし、エンドクレジット後のオチともいうべきエピソードには大笑い。エミリオが著した回想録スタンリー・キューブリックと私』の邦訳を早く出してほしいものだ。


スタンリー・キューブリックとレオン・ヴィターリ


 一方、これが『キューブリックに魅せられた男』になると、主人公レオン・ヴィターリだけでなく、キューブリック作品の出演者やスタッフ、さまざまな関係者の証言を収集、映画本編の引用もふんだんに行われ、苛烈な映画作家キューブリックの姿が生々しく立ち上る。
バリー・リンドン』で主人公バリーと対立するブリンドン卿を演じた有望な若手俳優レオンは、キューブリック組の映画作りを目撃するや役者の道を捨て、その一員になることを志望する。キューブリック組の映画づくりとは、コンテを立てて必要なショットをさっさと撮影する、という一般的な演出法とは対照的な、リハーサルからしつこく可能性を探し求め、撮影ではレンズを変えては何通りも撮り続け、採用に値する「何か」が起こるのを待つ、というものだった。
『シャイニング』(1980)の子役探しからキャリアを開始したレオンは、5歳のダニー・ロイドを発見し、『フルメタル・ジャケット』では軍事アドバイザーに雇ったリー・アーメイの力量と野心に気づいてハートマン教官役に推薦するなど、キャスティング担当として活躍する。俳優としては素人だった彼らの演技コーチを受け持つ一方、照明や現像を学んでロケハンやカメラテスト、現像所のプリント作業を指揮したり、音響作業用のフォーリー(撮影現場における衣摺れや足音などの生音)制作をまかされたり、完成プリントから宣伝用のスチール写真を抜いたり、予告篇の制作に海外での配給管理など、細かい仕事をすべて請け負うなんでも屋へと成長してゆく。
 しかし注文主はあのキューブリック、「可能性の追求」に血道を上げる日々においては、無理難題の思いつきやカンシャクの矛先が向けられることもしばしばだ。24時間緊張を途切れさせることなくサンドバック役を務めるレオンはかなり疲弊しただろう。しかし、キューブリックもまた同じように疲弊していた。エミリオとレオンの映画を続けて観ると、最晩年のキューブリック寝室に酸素ボンベを常備していたという。すべてにおいて映画作りを最優先し、集中力を途切れさせないない日々を続けるうちに、いつしか在宅酸素療法を必要とするほど心身を燃焼させ尽くしてしまったのかもしれない。
 マシュー・モディーンキューブリックにこき使われるレオンを「フランケンシュタイン博士に仕えるイゴールのようだった。監督の奴隷に見えたよ」と率直に語っていたが、レオンはただ「イエス、マスター」と返答するだけの奴隷頭ではなかっただろう。キューブリックを納得させるだけの選択肢を発見し、目の前に運んでくる優秀な参謀長であり、演出の的確な助力者だったからこそ、深い信頼を築くことができたに違いない。ナポレオン好きのキューブリックなら、きっとレオンを「うちのベルティエ元帥」と呼んだと思う。


武重邦夫監督(1939〜2015)


 エミリオとレオンの映画を続けて観ているうちに、個人的に思い出した人物がいる。学生のころに出会った武重邦夫監督だ。

 武重さんは、今村昌平の一番弟子だった。映画人生のスタートは設立されたばかりの今村プロ社員、『「エロ事師たち」より・人類学入門』(1966)の制作部や、『人間蒸発』(1967)の録音助手、『神々の深き欲望』(1968)の助監督を務め、その過酷な現場で監督の手足となって酷使され続けた。やがて、今村プロがテレビ用のドキュメンタリー製作を始めればカメラを担いで東南アジアを駆けずり回り、横浜映像専門学院(後の日本映画学校、現在の日本映画大学)を設立するとなれば、その創設スタッフとしてカリキュラムの作成や学生たちの指導を行なう。今村が取材や金策に回ればその運転手を、糖尿病治療としてテニスを始めれば相手を務めるという滅私奉公ぶりで、映画製作が始まるたびに、プロデューサーや助監督として今村演出を支え続けた。長く徒弟制度が残っていた日本映画界においても、ここまで師匠に尽くしきることができたのは武重さんが最後の世代だろう。

 武重さんは2015年に亡くなったが、ある人が「今村監督は弟子の中では長谷川和彦をかわいがり、『青春の殺人者』(1976)をプロデュースして華々しく売り出したが、武重さんへの評価は低かった。武重さんの持つ『優しさ』が今村さんには温く感じられたのではないか」といった内容のことを書いていた。確かに、武重さんには今村昌平長谷川和彦のような「不逞さ」はなかった。テーマを見据える目は鋭く厳しかったが、狂気を感じさせる獰猛さで自己を貫き通すには、武重さんはあまりにも紳士だった。何度か劇映画を監督するチャンスがあったそうだが、いずれも流れてしまったと聞いて残念に思う。
 武重さんの晩年のエッセイに「(最近になって)今村昌平という人は、他者の能力の可能性に期待する気持ちが強く、半分は幻想と思いながらも挑戦させてみる……そうしたタイプの人だとわかってきたのである」と書かれているのを知った。そのエッセイは、さらにこう続く。

"人間を信じ、可能性に期待する" これは今村さんの映画監督としての哲学である。

 素晴らしい哲学だ。私は彼のこうした生き方は好きだし尊敬もしている。
 しかし一方では、これは今村さんの片想いであり、人間に対する過信、もしくは、見果てぬ夢ではないかと思うこともある。

(中略)

 そして今村さんは、私が才能のない助手と判っていながら、愚鈍な青年の前に少しずつハードルを積み重ねてきてくれたに違いない。

 不思議なことだが、私たちはハードルを与えられ、越える度に鈍い感性に焼きを入れられ、嗅覚を鍛えられ、少しずつだがクリエートする方法を学んできたのである。

武重邦夫「全身映画監督〜活動屋外伝・今村昌平」よりhttp://www.siff.jp/essay/cinemauma_essay_16.html


 巨匠監督は弟子から「吸い取る」タイプと弟子に「与える」タイプに分かれる、とよく言われる。キューブリック今村昌平は「吸収型」の際たるもので、ブラック労働への批判かますびしい昨今では、レオンも武重さんもわがままな巨匠によって搾取され続けた被害者に映るかもしれない。しかし一見、「暴君」に見える二人でも、その根底には他者への期待、可能性と選択肢を待ち続ける受け身の姿勢があった。彼らの期待に応え、納得のいく作品を成立させるために注力しながら成長を続けたレオンや武重さんも、やはり特殊な才能の持ち主であったと思いたい。それは、やはり師匠と映画、どちらにも惚れ抜いたからこそ出来ることだったろう。


キューブリックに愛された男』&『キューブリックに魅せられた男』パンフレットより

 

 なお、『キューブリックに愛された男』と『キューブリックに魅せられた男』は共通のパンフレットが制作されており、コラム執筆陣の中では原田眞人の文章が目を引く。『フルメタル・ジャケット』の字幕制作のため、戸田奈津子に代わって雇われた原田は(後にビデオ版『時計じかけのオレンジ』の字幕も担当)、その日本語吹替版の演出も担当した。十数年後、『アイズ・ワイド・シャット』の日本語吹替版でも、キューブリックの遺志により演出を担当する予定だったらしい。しかしレオンがキャスティングに口を出し始め衝突、降板してしまったという。レオンは自ら声優を選び、来日してトム・クルーズニコール・キッドマンの演技を再現させる演出を監修、一週間がかりで収録した。
 原田が演出した『フルメタル・ジャケット』吹替版は、一昨年ついにソフト化された。これと『アイズ・ワイド・シャット』の日本語吹替版を比較すると、その出来は歴然たる違いがある。優れているのはあきらかに後者の方だ。キューブリック没後も、師匠に恥ずかしくない仕事を、と粘りに粘るレオンは、ついにキューブリックの判断を越える選択ができるようになってしまったのかもしれない。
 自分は「Film Maker(映画製作者)」ではなく「Film Worker(映画労働者)」だと自称するレオンに、自嘲の響きはまったく感じられない。これもまた映画屋のひとつの在り方なのだ。


<おまけ> 武重邦夫さんのエッセイをもうひとつ紹介。

「我が師を語る-今村昌平監督」
深夜撮影中、ロケ先の長屋の壁を壊せといきなり言い出す今村監督など、こちらも面白いエピソードがたくさん。
https://www.eiga.ac.jp/blog/blog/2010/12/28/%E3%80%8C%E3%82%8F%E3%81%8C%E5%B8%AB%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%83%BC%E4%BB%8A%E6%9D%91%E6%98%8C%E5%B9%B3%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%80%8D%E3%80%80%E6%AD%A6%E9%87%8D%E9%82%A6%E5%A4%AB%EF%BC%88%E3%83%97/

 

 

小林正樹監督『東京裁判』を観て、八住利雄脚本『東京裁判』を読む

 

 この夏、小林正樹監督のドキュメンタリー映画東京裁判(1983)が、4Kレストア版として36年ぶりに甦った。これはまさに健忘症的日本人に打ち下ろされた、4時間37分の鉄槌だ。先月スバル座で観賞したが、デジタル修復によって鮮明になった映像と、明瞭な音響によってとらえられた20世紀の姿は、映画館を巨大なタイムマシンに変貌させるだけの力に満ちあふれていた。

 記録フィルムを元に構成する戦争ドキュメンタリーはそれ以前からあったものの、『東京裁判』の野心の大きさと視野の広さは図抜けている。ハリウッドは劇映画で『ニュールンベルグ裁判』(1961)を製作したが、これはゲーリングやヘスら主要戦犯の裁判が終わった後、断種法でユダヤ人を裁いた司法関係者の罪を問う限定的なドラマで、それですら上映時間は3時間を越える。極東国際軍事裁判を始まりから終わりまで、世界中の記録映像を集積して物語化するという力技は、国際共同制作による「映像の世紀」のようなビッグ・プロジェクトの先駆けであり、マイケル・ムーアらがテレビやネット、既成の映画やCMなどの映像をコラージュして作りあげるアーカイブ・ドキュメンタリーの元祖と言ってもいいかもしれない。

 

www.youtube.com


 映画『東京裁判』について、ただ記録映像を恣意的に切り貼りしたプロパガンダに過ぎない、とタカをくくった批判をする人をたまに見かける。「もっと取り上げるべき部分があるのにそこを見せてない」と不満を抱く歴史好きもいるようだ。が、それらは単純な誤解である。本来、素材となったアメリカ国防総省が保管していた記録映像は35㎜フィルムで1100巻、50万フィートもの量があったが、それでも2年半に及ぶ裁判全体のごく一部でしかない。3台のカメラが同時に回る時もあれば、まったく回ってない時もある。しかも撮っているのが米軍なので日本語の同時通訳が始まるとカメラを切ってしまう箇所が多く、肝心の被告の反応が撮れてなかったりもする。また撮影者の技量によって、映像が真っ白だったり真っ黒だったりで、使えない素材も多かったという。
 つまり、映画『東京裁判』は裁判記録映像の豊富な山から恣意的に物語を抽出したというものではなく、バラバラな断片でしかない映像の群からモチーフを発見し、補強するための映像、写真、新聞記事、イラストをかき集めてどうにか紡ぎ出した「執念」の結晶である。なにしろ新聞記事の接写もコピーは不可、新聞社の倉庫に出向いて本物を撮影し、イラスト処理の部分は実際にシベリア抑留体験を持つ画家に当時の状況を描かせたという。さらに『壁あつき部屋』(1953)を製作時に撮影した、巣鴨プリズンの実景や再現セットの映像まで素材としてまぎれ込ませたそうで、小林正樹の執念深さと徹底的な集中力によって、安易なプロパガンダでは到底たどりつけぬレベルまで作家性を刻みこまれたフィルムなのだ。

 小笠原清助監督のインタヴュー映像12秒から音が出ます)

 

 映画『東京裁判』のクライマックスにあたる、東條英機への反対尋問の場面を見てみよう。ここで東條は、日本国民が天皇の意志に反して動くことは絶対にありえない、という趣旨の発言をする。それはつまり、戦争の開始も残虐行為も天皇の意思だったという意味に取れるため、昭和天皇の戦争責任追求を望むウェッブ裁判長は勢いづく。しかし、マッカーサー元帥から天皇免責の指示を受けていたキーナン首席検事はただちに裏工作を行い、後日の反対尋問では、先日言ったのは自分の日本人としての態度を表現したもので、開戦そのものは我々が強引に進言した結果、天皇は渋々同意したものの、最後まで平和を希求していた、と改めて東條に発言させる。このやり取りの後半は、東條とキーナンの1ショットのカットバックにナレーションで語られてゆくのだが、じつはこの場面、現場ではカメラが回っていなかった。そこで、通訳のまずさにイラつく東條など、カメラが回っていた時に撮られた生々しい映像を挟みながら、たたみかけるようなナレーションに東條・キーナンの1ショットをつなげて事態の進行を説明する形となっているのだ。
 あきらかな苦肉の策だが、いささかも緊迫感を減じることなく劇的な迫力を醸し出して見せるのは、さすがのベテラン編集マン・浦岡敬一の名人芸。浦岡はフィルムが存在しない法廷場面を編集技術で表現する場合も、別日の裁判映像から流用するのは禁じ手とし、描かれる場面と同じ日の映像の中から素材を探し出して埋めたという。編集による創作を暴走させないため、自分なりの枷を設定していたのだ。
 そして小林正樹にとっても、痛恨の「フィルムなし」が各所に存在する中で、この東條への反対尋問だけは、なんとしても外せなかったものと思われる。


八住利雄脚本『東京裁判』(雑誌「シナリオ」1971年12月号より)

 小林正樹はもともと、東京裁判』を劇映画にすべく企画を進めていた。時期は1968年、終戦秘話である『日本のいちばん長い日』(1967)を降板させられた直後にあたる。1971年には八住利雄による長大な脚本が完成していたが、製作には至らなかった。
 この未映画化脚本『東京裁判』は、雑誌「シナリオ」1971年12月号に掲載されている。ドキュメンタリー版『東京裁判』の監督補である小笠原清でさえ読んでいないそうで、小林としては特にスタッフに参考とさせることはなかったようだが、それでも完成した『東京裁判』とくらべて読むと、小林が執着した課題とも言うべき視点が、ひとつ明確に見えてくる。

 脚本『東京裁判』の特徴を羅列してみると、まず戦犯の中では文官で唯一死刑となった広田弘毅とその家族のエピソードが印象的に散りばめられている。しかし群像劇なので、同じように東條英機巣鴨プリズンにおける反抗的な態度も細かく描写されている。年老いた戦犯たちを全裸にしての体格検査に強く抗議したり、米兵たちに「ハバ、ハバ(急げ、急げ!)」と声をかけられ「リメンバー・パール・ハーバー」かと錯覚する笑い話など、後に製作された伊藤俊也監督『プライド 運命の瞬間』(1998)でも描かれたエピソードが登場する。こうした巣鴨プリズン内の様子は笹川良一の『巣鴨日記』が参照されているからだろう、脚本には「小笹吾一」なる右翼の大物が登場、何かと戦犯たちの世話を焼く。
 ドキュメンタリー版でも強く印象づけられる、裁判冒頭におけるアメリカ人弁護士ベン・ブルース・ブレイクニーの戦勝国が敗戦国を裁くのは不当である」真珠湾攻撃を裁くならば広島・長崎の原爆投下も裁かれるべき」といった糾弾や、保身を図って都合の良い証言をする愛新覚羅溥儀を、ブレイクニーが鋭く追求してゆく様子なども八住脚本には描きこまれている。ブレイクニーはその後、日本人女性の愛人を持ったり財産を築いたり、日本に深入りしてゆくアメリカ人として生臭いキャラクターに描かれている。
 また、ブレイクニーと清瀬一郎弁護士との会話や、マッカーサーGHQ局長シーボルトとの会話、プレスクラブでの外国人記者たちの会話がひんぱんにさし挟まれ、この間の世界状況を説明してゆくのだが、彼らの会話内容が現代に与える影響を伝えようとしたのか、ベトナム戦争の記録映像や市ヶ谷駐屯地で絶叫する三島由紀夫のイメージショットを挿入するよう指示している。ただでさえ説明的な部分にこうした意味づけのモンタージュを行なったら、きっと作品を1971年という時代に閉じ込めてしまったことだろう。
 ドラマ的にもっとも大きなフィクションの導入は、新憲法発布の日に抗議の自決をした若き陸軍将校たちがじつは生きていて、朝鮮戦争勃発が迫る大陸に極秘潜入、韓国軍の指導と中国共産党のスパイ活動を行う計画が進行している、というパートだ。計画に参加した若手将校の一人とその婚約者の悲恋話がいささか類型的に展開するが、東京裁判GHQ占領政策の背後には米軍の反共工作が強く影響していたことを描くのが狙いとはいえ、裁判と関係ない若者たちのエピソードはどうも邪魔くさい。もともとロシア文学者だった八住利雄の個性を感じる部分ではあるのだが。
 最後はA級戦犯たちの判決後の日々と、彼らが刑場に向かう様子が丹念に描かれ、当時の金で27億円という裁判費用は、全額日本人の税金で負担されたことをナレーションが伝えて終わる。

 八住利雄の脚本『東京裁判』は、東宝8.15シリーズの一本として製作されたなら、『日本のいちばん長い日』に遜色ない大作として仕上がったことだろう。国際色豊かなキャスティングとそれを実現するだけの予算が都合つかず、製作は見送られてしまったそうだが、なにしろ敦煌』ではマーロン・ブランドに出演を打診したという小林正樹、どんなスケールで演出プランを練っていたか、その一端を知りたいところではある。
 が、虚実の入り混じる群像劇で東京裁判を描ききろうとするのはさすがに無理があった。東条英機に過剰な思い入れをこめた『プライド 運命の瞬間』よりは冷静な仕上がりとはいえ、21世紀の今、読み返してもっとも物足りないのは、太平洋戦争そのものの開戦過程がわかりにくいことと、昭和天皇の戦争責任の問題に言及しながら、天皇がまったく登場しないことだ。

 おそらく、小林正樹もそんな不満を抱いたのだと思う。そして、現存する記録フィルムを再構成しての『東京裁判』映画化を、大きな困難が予想されながら製作に乗り出したのは、ドキュメンタリーの形であれば、劇映画では描くことが困難な部分まで踏み込んで、太平洋戦争の総括を行えると判断したからだろう。
 それは同時に、法廷についに姿を見せなかった昭和天皇の姿を描くということでもある。その存在がいかに重要であったか、映画『東京裁判』では丹念に伏線を張っている。まず、終戦詔書玉音放送)が全編ノーカットで流れ(リマスター版では字幕付き)、その背景に太平洋戦争における日本軍の盛衰がモンタージュされる。そして梨本宮守正と侍従長木戸幸一の逮捕、共産党による天皇制否定論の高まり、マッカーサー昭和天皇の面会、人間宣言と全国巡幸……、こうした描写を前半で見せておいてからのクライマックスが、「天皇免責」を決定的とする東條とキーナンのやりとりなのである。
 東京裁判において直接語られることはなかったが、しかし最重要の問題であった昭和天皇の戦争責任。それをイデオロギー的な天皇制批判として単純化することなく、ドラマとして観客の体内に染み込ませる形で問題提起するのが、映画『東京裁判』の重要な課題だったのではないだろうか。

五味川純平『戦争と人間』最終巻

 小林正樹が『東京裁判』の製作に取り組み始めた1979年、彼はかつて映画化した『人間の條件』(1959〜1961)の原作者・五味川純平が執筆していた『戦争と人間』を全26話のテレビシリーズとして映像化する企画も立てている。じつはこの時点で原作はまだ完結していなかったのだが、最終巻では東京裁判で主要登場人物たちが断罪される、という噂が流れていた。奇しくも『戦争と人間』の最終巻は『東京裁判』が完成する1982年に刊行されるのだが、その後書きに五味川純平はこのように書いた。

計画では、東京裁判まで書ききって、終るつもりであった。だが、そこにどうしても出廷していて、尋問を受け、判決を受けなければならぬはずの一人の人物が、東京裁判埒外に置かれていて、のうのうと暮らすことを許した裁判は、ほとんど無価値に近いと思うようになった。

 小林正樹もまた、五味川と同じ実感を抱いていたことだろう。

東京裁判』は公開時から現在に至るまで、右派からは東京裁判史観をそのまま垂れ流しすぎて自虐的だと、左派からは軍部への批判が不足で戦犯たちに同情的すぎる、と批判されることの多い作品だ。それぞれが期待する思想を求めすぎるとそうなる。しかし、小林正樹の眼はイデオロギーではなく、戦争の総括を自分自身の手で行わず、米軍に頼りきったまま昭和天皇の戦争責任と天皇制の問題を棚上げにしてしまった日本人の、そして日本に不当な判決と新憲法を押しつけながら、その後は手前勝手な戦争を世界各地で続けた戦勝国の面々の、人間そのもののデタラメさに向けられていた。
 このデタラメさによって生じた社会の歪みは、戦後70年余りが経過した今、さらに大きなひび割れとなって世の中を覆い尽くそうとしている。初公開時の1983年よりも、東京裁判の時代が遠い記憶となった2019年現在の方が、観賞後により苦い思いを味わうことは間違いない。遠くなったのは記憶ではなく、この当時の人々がようやく得たはずの理想だったと理解できるからだ。
 

 

 

もっちん復活〜夏の日の本谷有希子『本当の旅』@原宿VACANT


公式サイト https://www.vacant.vc/single-post/yukiko-motoya-tabi 

 

 先週、夏の日の本谷有希子公演『本当の旅』を原宿のVACANTで観てきた。
 本谷有希子が作・演出を担当する舞台を観るのは本当にひさしぶりだ。『遭難、』の再演以来だから、7年ぶりか。公演も終わったことだから、ネタバレありで感想をメモしておこう。

 去年出版された本谷有希子の『静かに、ねぇ、静かに』は3篇の短篇小説で構成された作品集で、『本当の旅』はその冒頭を飾る一篇である。40歳前後になるが腰の定まらぬ生き方をしている男女3人が、マレーシアのクアラルンプールへ貧乏旅行する、というそれだけの話。この3人にはSNSを使った自己表現で過剰な自意識をふくらませているという共通点があり、なにかと写真や動画を撮ってはせっせと編集してインスタで公開、その画面上から醸し出される「幸せそう」な感覚こそ現実以上にリアルなのだ、と思い込んでいる。
 この小説を舞台化するとなると、彼らが精神的に依拠するSNSをどう表現するか、なんらかのアイディアが必要となる。本谷の中篇小説『ぬるい毒』を映画監督の吉田大八が演出した舞台では、背景のスクリーンに主人公が打ち込むメールの文面が大きく映し出された。しかし、今回の本谷演出では背景スクリーンに映し出されるのはクアラルンプール各地の録画風景や舞台上の役者が実際にスマホで撮る映像のみで、彼らがLineに打ち込むメールの文面や連打するスタンプなどのデザインは、いっさい表示されない。
 その代わり、舞台上には無数の男女の役者が入り乱れ、主人公3人すらも、帽子やリュックサックといった記号となる小道具を受け渡すことで場面ごとに入れ替わってゆく。彼らは主人公を演じたかと思えば、次の場面では空港職員や現地の人々を代わる代わる演じ、語り手のモノローグも担当者が交代しながらつぶやかれる。つまり、この舞台では主役も傍役もすべてが、彼らのインスタ画像と同じく「共有」される素材でしかない。主役の3人には固有の「顔」が与えられず、複数の役者によって演じられる彼らの自意識だけが舞台上に堆積してゆくという仕掛けになっているのだ。
 そして客席は舞台を挟んで左右から観劇するように設計され、舞台上の役者たちの向こうには、客席に座るお互いの顔が合わせ鏡のように並んでいることに気づかされる。旅をしながらスマホの内側に引きこもり、自己正当化を続ける主人公たちのイタさ、滑稽さは現代を生きるわれわれとも決して無縁ではない。

劇団、本谷有希子」という奇妙な名前の劇団を初めて観たのは2003年の『家族解散』だ。松尾スズキの教え子という興味で出向いたものの、さほど感心しなかった。しかしその次の公演『石川県伍参市』(2003)で本谷有希子は大きく化けた。この人が叫ぶ世界への呪詛はホンモノだ、と思った。続く『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ(再演版)』(2004)、『乱暴と待機』(2005)、『密室彼女』(2006)、『遭難、』(2006)などはいずれ劣らぬ傑作揃いである。妄執を抱えた主人公の陰惨な自我をコミカルにえぐり出す手法は、松尾スズキの『マシーン日記』や『悪霊〜下女の恋』などの少人数劇の系譜を継ぐものだが、現代人の内省を鋭い言語感覚であぶり出す手つきは、むしろ平成のチェーホフの趣すら感じさせた。
 しかしその後の作品は、『幸せ最高ありがとうマジで!』(2008)が彼女の集大成ともいえる佳作で岸田戯曲賞を受賞したものの、それ以外ではヴォルテージの低下が目立ち、創作力の息切れを感じさせた。多忙になったため、スタッフや役者と切り結びながら舞台を設計するのに疲れたのかもしれない。
 一方このころから、本谷有希子は小説の執筆に力を入れるようになり、『ぬるい毒』(2011)で野間文芸新人賞、『嵐のピクニック』(2012)で大江健三郎賞、『自分を好きになる方法』(2013)で三島由紀夫賞、『異類婚姻譚』(2016)で芥川龍之介賞を受賞している。戯曲における鶴屋南北賞、岸田戯曲賞を合わせれば現代作家でこれだけ華麗な受賞歴を誇る人物はいないだろう。最初の小説集『江利子と絶対』(2003)を読んだ時は、彼女がこれほどの人気作家に成長するとはまったく想像できなかった。
 しかし、これらの小説を読めば読むほど本谷有希子の本領は舞台にあり」との確信は強まっていった。戯曲を小説化した作品がいくつかあるが、いずれも舞台の方がはるかに力強かったし、「毒吐きキャラ」とかいうインテリに可愛がられる不思議ちゃん、なんて立ち位置に落ち着いちゃっていいのか、という疑問がどうしても拭えなかった。

 本谷有希子の演劇復帰作『本当の旅』は、先に書かれた小説を舞台化するという、彼女としては珍しいスタイルで作られている。「マインド」、「バイブス」、「お金に縛られない生き方」という空疎な言葉を駆使してスマホをのぞき、420円のドリンクを買うのも逡巡しなければならない現実から目をそらし続ける3人組の旅。これを若い役者たちの肉体を駆使してパフォーマンス風に立体化させた演出は、いささか図式的な風刺劇に思えた原作小説よりも、はるかに含蓄と広がりを感じさせる。
 主人公たちはクアラルンプールの文化にも人間にも関心がなく、たいして面白くない旅をインスタ上で「楽しい旅」に見せかけることしか頭にない。不快な目に遭った時、「あの人、LGBTじゃない?」とつぶやく場面が何度か登場するが、LGBTという言葉は原作には出てこない。しかし舞台上の彼らが発する「LGBT」は、あきらかに往年の「オカマ」と似たニュアンスで使われており、言葉だけ更新しながら内実は何も変わっていない日本人の姿をつかみ出す。

 そしてクライマックス。3人組は不用意に乗り込んだタクシーで、人里離れた土地へと連れて行かれてしまう。途中、スコップらしきものを抱えた現地人が乗り込んできて、さすがに生命の危険が迫っていることに気づくのだが、彼らは「楽しい旅」の空気を乱すことがどうしてもできず、ただヘラヘラした態度を続けている。いよいよ危機的な状況に陥ったことが判明しても、スピッツの「チェリー」を流しながら、Lineでお互いにスタンプの応酬をするばかり。たいした抵抗すらできぬまま、やすやすと連行されてゆき最後まで写真を撮ろうとする。
 原発問題や少子化問題などさまざまな破綻を目前にしながら、漫然と現実から逃避している現代人の危機感のなさが浮き彫りとなる結末。これまでの本谷作品は、妄執に憑かれた個人を鋭くつきつめる一方、描かれる世界が狭くナルシシズムに陥りやすい弱点もあった。しかし、『本当の旅』で描かれる3人組は、自己愛に満ちたイタい奴あるあるネタでも、上から目線で切り捨てられるポンチ絵でもなかった。蝦蟇の油のように、作者も観客も苦い脂汗を浮かべながらじっと見つめ続けざるを得ない「分身」なのだ。
 そして舞台が終わって外に出れば、ロビーでは役者たちが劇中に登場したカツサンドやTシャツなどを売っているという芝居の延長のような空間が広がっていたので苦笑してしまう。なんと本谷有希子自らもカツサンドの売り子をニコニコと演じていたのだが、もちろん観劇後のヘビーな気分で食べる気にはなれない。売上が心配だ。

『本当の旅』は小品ながら本谷有希子の復活を高らかに宣言するような舞台だった。テーマの凝縮力、舞台空間の構築力、ともにさらに研ぎ澄まされ、本谷らしい野心も強く感じられた。
劇団、本谷有希子」の第2の黄金時代を期待したい。

ミュージカル『天狼星』の思い出〜里中高志『栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人』と今岡清『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』


栗本薫中島梓 世界最長の物語を書いた人』(早川書房

 今年は、栗本薫こと中島梓の没後10年だという。
 栗本薫! なんとも懐かしい名前である。80年代の半ば、ローティーンだった私は『ぼくらの時代』に始まるぼくらシリーズや、名探偵・伊集院大介が活躍するミステリ作品を中心に、『エーリアン殺人事件』や『火星の大統領カーター』といったユーモアものやパロディSF、中島梓名義の『美少年学入門』や『わが心のフラッシュマン』などの評論、エッセイの類まで読みふけった。『真夜中の天使』に始まる耽美ロマンは一種のポルノグラフィーとしてコーフンしながら読んだし、森茉莉という作家と「JUNE」という雑誌を教えられたのも彼女だった。クイズ番組「ヒントでピント」の女性軍キャプテンとして活躍する姿だってよーくおぼえてますとも。
 しかし「ファン」を自称できるほど熱心な読者だったかというと、そうでもない。というのは、栗本薫作品でもっとも有名な『グイン・サーガ』は最初の一冊だけ読んで放置してしまったからだ。同じく人気シリーズだった『魔界水滸伝』に至ってはまったく手をつけてない。私はどうもヒロイック・ファンタジーや伝奇アクションというヤツが苦手で、これらの作品の元ネタであるエドガー・ライス・バローズ半村良もたいしてハマれなかった(山田風太郎は大好きなんだけどねー)。それでも名実ともに中二(つまり厨二)であった私は栗本薫が描く「寄る辺なき者が生きるために抱く執着心」の感情に惹きつけられた。小説でいちばん好きだったのは、『翼あるもの』の下巻「殺意」。あの主人公・森田透は今も心の内にいる。
 そんな「世界最長の物語」とは触れずじまいのヌルい読者ではあるが、栗本薫にはちょっと小学校時代にお世話になった先生のような思い入れがあり、今年の春に出版された里中高志の評伝栗本薫中島梓 世界最長の物語を書いた人』を読んでみた。読了するや、夫である今岡清の回想エッセイ『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』も取り寄せて一気に読んでしまったのだから、やはりかつての「母校」である栗本ワールドについては、卒業後も心に引っかかっていたようだ。


『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』(早川書房

 中島梓の転換点は、80年代の後半、演劇の世界に進出したことではないかと思っていたので、両書ともその前後の様子を興味深く読んだ。彼女の演劇活動は当時からまともに評価されぬまま忘れられているのだから、ここは気になる。
 そういえば、彼女の筆名は「評論家・中島梓」と「作家・栗本薫」で使い分けられていたと認識していたので、なぜ劇作家・演出家の活動では「中島梓」が起用されるのか、少し不思議だった。多くの関係者に取材した里中高志によると、この二つの名は社交的な女性人格で現実志向型中島梓内向的な男性人格でイデア(理想)志向型栗本薫と、彼女の内部に住む両極の人格を表したものだという。なるほど、現実社会で大勢の人と付き合わねばならない興行の現場においては、中島梓の人格が必要とされたというわけか。今岡の書名が『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』と二つの境遇に分裂しているのもそこに由来するのだろう。
 世間から<才女>ともてはやされる中島梓と暗く孤独な魂を見つめ続ける栗本薫……。
 ここで連想するのは、変身願望の作家・江戸川乱歩である。中島は乱歩が色紙に揮毫した「うつし世は夢 よるの夢こそまこと」の言葉をことのほか好んでいたが、乱歩もまた「本格ミステリを志向する熱心な批評家・研究者」の顔と、「幻想と怪奇の世界に遊ぶ、厭人癖の変格作家」という二つの顔に引き裂かれた人物だった。両者とも元ネタが容易に透ける作品が多く、愛するものからの影響を隠さない、優れた二次創作家という点でも共通している。また、乱歩は後年、探偵小説専門誌「宝石」の編集に関わり、数々の新人ミステリ作家を育成したが、栗本薫もまた雑誌「JUNE」誌上で「小説道場」を主宰、数々の新人BL作家を育成した。探偵小説というジャンルの普及に生涯を費やした乱歩同様、栗本薫は、その後のキャラクター小説やBL小説の流行を牽引した存在なのは間違いない。
 また、今岡清によると栗本薫リイ・ブラケットスペースオペラ『地球生まれの銀河人』を高く評価していたという。地球人の誰とも似ていない容貌のためひどいコンプレックスに苛まれていた主人公が、じつは銀河を股にかけて活躍する高度な宇宙人の一人だったと気づく、というSFだが、孤独な者が抱く「正しい居場所」への渇望、それは乱歩の場合はパノラマ幻想として表れ、栗本顔の場合は非日常のロマンへの飛翔だったのだろう。


ミュージカル『天狼星』パンフレット(中島梓署名入り)

 現実世界に表れる非日常のロマンといえば演劇である。乱歩は文士劇に出るのが大好きだったそうだが、中島梓も演劇志向が強く、80年代の後半から自らミュージカルの作・演出を手がけ、「天狼プロダクション」という制作事務所さえ設立していた。映画ではなく、後に残らない演劇に向かったところが、夢の世界は蜃気楼のようにはかないもの、と自覚していた彼女らしい。しかし文壇やSF界と同じく演劇界も閉鎖的な世界であり、常に異邦人の彼女はここでも孤独だったようだ。大金を稼ぐ流行作家がスポンサー兼務でプロデュース公演に乗り出すとなれば、ハイエナのような業界ゴロが群がってくることは想像に難くない。
 1997年の公演『天狼星』は、無謀な名古屋・大阪公演を行なったために、8000万円の大赤字を出してしまったそうだが、この作品は私も観劇している。私が観た唯一の天狼プロダクション作品だ。事情あって二度も観たのですよ。
 原作の『天狼星』は、江戸川乱歩の『蜘蛛男』にはじまる「名探偵対殺人鬼」の現代版。伊集院大介と怪盗シリウスとの戦いが描かれる。それまでは不器用な優男だった伊集院大介が、いきなり明智小五郎ばりの変装の達人となり、空手アクションまで演じるようになってしまったのだから、ファンとしてはびっくりというか、呆れたというか、怒りすら覚えた作品だ。乱歩のイミテーションとしてもよい出来ではなかった。この『天狼星』をシリーズ化したあたりから、作家・栗本薫とは距離が広がっていったように思う。
 そして90年代に入り、栗本薫にはほとんど関心を失っていたというのに、わざわざ演劇版を観に出かけたのは、岡幸二郎が演じる伊集院大介を確認したかったからだ。この舞台ではシリウス宮内良、ヒロインの田宮怜を旺なつき、殺人鬼の刀根一太郎を駒田一が演じた。なお、シリウスが狙うアイドル歌手に「朝吹麻衣子」、その恋人として「栗本薫」という男性の推理作家も登場するという、伊集院大介とぼくらシリーズの薫クンが共演した『猫目石』からの引用も行われていて、これは宮前真樹と大沢健が演じた。


「演出家」の挨拶と「原作者」からのコメントが並ぶパンフレットの中身

 舞台の出来はというと、陰惨な殺人鬼と名探偵との対決を、美輪明宏的なグランギニョールとして仕上げるのかと思いきや、意外にもかなり明るい仕上がりで、ベタなギャグや楽屋オチ、アイドル番組のパロディなどユーモアたっぷり、シアターアプル用に金をかけたと思しき華やかな演出は目に快く、原作よりもずっと楽しめた。もっとも、当時の私はまだ観劇経験が乏しく、原作に批判的でもあったため、強引な筋運びやサスペンス演出の粗さもさほど気にならなかったのかもしれない。東京公演の中日に二度目を観ると、冗長な箇所がカットされ、演出も若干整理されて「進化」を感じられたのが頼もしかったし、中島が作詞作曲し、難波弘之がアレンジしたミュージカル・ナンバーも聞き応えがあった。
 もっとも、宝塚を目標としながらそこはやはり不徹底なのは否めず、泥臭いユーモアを邪魔に感じる人はいただろう。後期の中島梓に否定的なファンは、彼女の演劇活動を「旦那の道楽」としかとらえていなかったように記憶しているし、作家性の強すぎる彼女の製作・作劇・演出は業界人には「素人的」と映ったようで、役者やスタッフとの衝突はしょっちゅう、事務所の代表となった今岡清は大変な思いをしていたようだ。90年代に小説の出版ペースがやたら早くなったのも、演劇活動で抱えた借金返済のためだった。
 しかし、稼いだ金を蓄財に回すわけでもなく、演劇につぎ込み続けたというのは、彼女が敬愛した手塚治虫のアニメーション制作に通じるものがあり、このような「見果てぬ夢」を追い続ける姿は、敗者が抱える妄執を描き続けた作家・栗本薫にふさわしく立派だと思う。

 もうひとつ、ミュージカル『天狼星』で印象深かったのは、毎日のように通っているらしい女性ファンが何人もいたことだ。彼女たちは休憩時間になると、ロビーで「今日は岡さんの声がよく出ている」だとか「宮内さんが駒田さんの髪をくしゃくしゃってする仕草がよかった」だとか、熱くディテールを語り合っていた。まぁ、アイドルや宝塚の公演に通いつめるマニアの姿は今では珍しくないものの、こうした光景を見たのが初めてだったので、強く心に刻み付けられた。そして、
「ああ、栗本薫は彼女たちのために創作を続けてるんだな」
 と、はっきり感じたのを覚えている。きっと彼女たちは、パソコン通信の会議室「天狼パティオ」もチェックして作者とコミュニケーションをとっていることだろう。現在の栗本薫は彼女たちの「居場所」となる作品を提供し続けている存在であり、自分はもうその住人ではなくなってしまったのだ、と改めて自覚させられたのだった。
 小説やミュージカルだけではない。「小説道場」も「天狼パティオ」も、孤独を抱えた若者がほんのひとときだけ身を寄り添える居場所として提供されたものだった。中島梓最後の代表作といえる評論『コミュニケーション不全症候群』は、やおい(現代のBL)、拒食症、自傷癖などに取り憑かれる少女たちや、コミケに集まるオタク、そして今でいう「ひきこもり」の心理を“同病相憐れむ”の視点でえぐっていたが、結論の部分で誠実に苦しみ、歯切れが悪くなっていた。そこで明確にできなかった解答がわりに、あるいは自分なりの確認の手段として、孤独を抱えた者の居場所となる後期の作品群が存在していたのかもしれない。例えそれが、キャラクターとの戯れがぶよぶよと書き連ねられる、すっかり弛緩したものとなっていたとしても、もはや問題ではなかった。
 冒頭で私は栗本薫に「小学校時代にお世話になった先生のような思い入れがあり」と書いたが、それは正確ではなかったようだ。彼女は恩師などではなく、幻想世界でかつていっしょに遊んだ女友達だったのだ。後期の彼女の言動に違和感が強かったのは、こちらが成長してしまったのに、彼女だけはずっと幻想世界で自由かつわがままにふるまう少女で居続けたからなのだ。里中高志と今岡清の2冊を読んで、私の中の栗本薫像は、妄想の城に君臨する女王から、幻想の荒野で孤独に暮らす少女のイメージへと刷新された。それは文学作品で例えれば、シュペルヴィエルの『海に住む少女』のヒロインのような、あるいはシャーリィ・ジャクソン『ずっとお城で暮らしてる』のメリキャットのような存在だ。

 それにしてもこの十年余、『テニスの王子様』を皮切りに、漫画やアニメ、ライトノベルを原作とする舞台作品、いわゆる2.5次元ミュージカルと呼ばれる舞台が大流行しているが、中島梓がこれを見たらなんと言っただろう、とつい考えてしまう。もし中島が存命で、ミュージカル制作において独自のメソッドを開発できていたなら、きっとこの流行に刺激を受け、あるいは反発し、また新しい舞台空間を生み出していたのではないだろうか。それとも賢しげな虚言が飛び交う現実に愛想をつかしてどこかへ旅立ってしまっただろうか。
 そんな蜃気楼のような妄想を頭の中に浮かべながら、『翼あるもの』の下巻「殺意」をひさびさに読み返してみようと思う。


ミュージカル『天狼星』出演者一同

 

『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』合評会



 司会者 「えー、5年前の『GODZILLA ゴジラ』、3年前の『シン・ゴジラ』に続き、マイケル・ドハティ監督『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』が公開されました。今年もみなさんの意見をうかがいたいと思います。正直なところ、いかがでした?」

 東宝特撮ファン 「いやぁ、『三大怪獣 地球最大の決戦』がこの規模とクオリティで甦るなんて、生きててよかったと思いました。昭和ゴジラだけでなく、平成ゴジラシリーズまですべて見渡してオマージュを捧げた、究極のファンムービーと言っていいでしょう」

 せっかちな男 「前作では、怪獣バトルを見せてくれるまで焦らしまくりでイライラさせられたもんだが、今回は出だしから怪獣たちが惜しみなく登場してくれるので、ストレスがかなり軽減されましたね」

 怪獣ファン 「とにかく怪獣美の極致であるキングギドラの勇姿、これに尽きますね。あの羽を伸ばしたシルエットの美しさに、操演技術では困難だった、首ごとの個性を感じさせる表現。いっそゴジラに勝ってほしかった……」

 航空ファン 「火山から登場するラドンイカすじゃないの。衝撃波による災害描写も迫力満点。戦闘機とのドッグファイトなんてまさに『こんな絵が見たかったんだよ、オレは』と泣きそうになったよ」

 カラーコーディネーター 「海から現れるゴジラは青、火山から現れるラドンは赤、そして嵐の中心で稲妻を光らせるキングギドラが黄色、と明確に色分けされているのも目に快いですな」

 昆虫マニア 「しかしモスラが滝に繭を作ったり、嵐の中を飛んできたりしたけど、あれじゃ羽が濡れて困るでしょ。成虫になってもまだ粘着糸を吐いたりするのもオカシイ。やはりモスラは鱗粉攻撃でなきゃあ」

 円谷ファン 「それ言ったら、初代モスラはそもそも殻つきの卵から生まれたし、幼虫は海を泳いでやって来たじゃないの。怪獣映画にクソリアリズムはいらんですよ」

 ガメラファン 「視覚面で見ごたえあったのは認めるけど、内容面では前作のギャレス版同様、平成ガメラのイタダキというか、はっきり言って雑にまとめた感じでしたね。ゴジラは地球の守護神で、外来種の侵略を防ごうと奮闘、一方で人間ドラマは怪獣災害の被害者が中心になる展開……」

 比良坂綾奈 「怪獣災害で家族を失った科学者が、世界中の怪獣を解き放とうとする、というのはよくわかりませんね。あの鉄人28号のリモコンみたいなやつでゴジラかギドラを操り、世界の怪獣を殺して回る、というのならわかるんですが」

 ウルトラマンアグル 「人類こそ地球にとってのガン細胞、地球を守るには怪獣を保護し、人類を排除する必要がある……。私の20年来の持論がアメリカでこんなに大きく取り上げられるとは感慨深いものがあります」

 小松左京ファン 「あの環境テロリストたちは将来、ジュピター教団の創始者になるとニラんだね」

 SF映画ファン 「人間ドラマが陳腐だ、という声が大きいようだが、大型特撮映画における人間ドラマといえば、『家族の再生』と『自己犠牲』に決まっとるじゃないの。これさえやっときゃいいのよ。あとはドカーン、バリーンでノー・プロブレム!」

 初代原理主義 「オレはそんな風に割り切れないぞ。“オキシジェン・デストロイヤー”の名称だけ引き継いだ超兵器がなんの前触れもなく発射されたり、芹沢博士がゴジラのそばで核爆発を起こしたり、『怪獣出現の原因が人間の環境破壊』という前段があるからといえ、人間の科学力に対する批判精神が希薄すぎるんじゃないかね」

 原発活動家 「ものすごい放射線を発しているはずのゴジラの足元でうろちょろして、主人公たちの被曝量が気になります」

 考古学者 「それに、あの核爆発で吹っ飛んだ海底遺跡が惜しすぎます(涙)」

 映画史家 「まぁ、原爆問題が背景にある初代『ゴジラ』や9.11同時多発テロを意識した『宇宙戦争』など、現実世界への批評として機能する特撮映画がある一方で、スペクタクルと娯楽要素で大衆にサービスする、祝祭としての特撮映画というのもあるんです。60年代の東宝特撮がそうだったようにね。レジェンダリー版はそっちを正しくめざしてるとは思いますよ」

 脚本家志望者 「シリーズ化を念頭に置く以上、東宝チャンピオン祭りを狙うのは当然の判断ですが、やりたいことが多すぎてごった煮のまま提出された感は否めないですね。でも、いろんな人の意見が雑然と並んだのではなく、監督の好みが暴走した感じだから、これでいいのかな?」

 コングファン 「『キングコング:髑髏島の巨神』では、ベトナム戦争や『太平洋の地獄』オマージュが怪獣バトルを立てる要素として引用されてたけど、うまいものだと思ったよ。次の『キングコング対ゴジラ』リメイクにはどんなアイディアが投入されるか、今から楽しみだなぁ」

 ディズニーファン 「ゆくゆくは『ライオン・キング』のような『ゴジラの息子』リメイクもお目にかかれるってことでしょうか?」

 映画音楽家 「それはべつに観たくない(笑)。しかし庵野監督の『シン・ゴジラ』に続いてハリウッド版でも伊福部昭リスペクトを聴かせるんだねぇ。古関裕而の『モスラの歌』まで入ってくるのは正直、たまげた。マニアの心性ってものが日本と外国で差がなくなりつつあるのを感じる。これでいいのかなぁ?」

 庵野秀明ファン 「ゴジラよりも『地球防衛軍』や『日本沈没』などの大状況描写に関心がある庵野監督が<好きにした>『シン・ゴジラ』同様、こちらも大の怪獣ファンであるマイケル・ドハティ監督が<好きにした>作品なのは間違いないですね」

 愛犬家 「いやー、これはねー、一般の怪獣映画以上に、動物映画の意味合いに近い『怪獣映画』だと思ったよ、ウン」

 古典芸能愛好家 「20年前のローランド・エメリッヒ監督『GODZILLA』では、正直、外国人が演じる歌舞伎を観るような違和感があったと思うんです。でもレジェンダリー版は、怪獣への愛情と理解が深い世代によって、日本人も興奮させるゴジラ映画を作り上げた。今、日本人やアジア人が演じるオペラやシェークスピア劇に西洋人が足を運ぶ例があるように、ゴジラ映画もいろんな外国のファンに作ってもらいたいし、日本人の監督がハリウッドでゴジラ映画を撮ることも期待したいですね」

 殺陣師 「音響と破壊描写でごまかされがちだけど、肝心のプロレスアクションはまだまだ発展途上だよな。それとドハティ監督、芝居の演出がカメラを振り回しすぎの割りすぎでめまぐるしい。その辺は前作のギャレス・エドワーズ監督の方が、レイアウト感覚に秀でていたように思うぞ」

 心配性の男 「怪獣文化のグローバル化はいいんですけど、東宝MCU映画を参考にゴジラ映画のシリーズ化を再検討してるって話がありませんでしたっけ。アメリカにこれだけの財力と技術力で怪獣を描かれたら、とても拮抗できないんじゃないですかね」

 楽観的な女 「まぁ、『シン・ゴジラ』は日本人にしか撮れないゴジラ映画だったことは間違いないんだし、ここはガラパゴス化を恐れず、新鮮かつ大胆な怪獣映画のイメージを提案し続けるのが本家の役割じゃないかしら。派手なバトル映画はハリウッドにまかせとけ! 人材はいくらでもいるでしょ」

 キラアク星人 「エンディング後のあのラスト、いずれキングギドラが復活して『怪獣総進撃』リメイクが作られると期待していいんでしょうか? その暁にはぜひ宇宙人枠の復活を」

 事情通 「うーん、東宝怪獣は一体ごとに高額な使用料がかかるらしいので、往年の怪獣が揃い踏み、という設定は難しそうですね」

 ジラース 「みんなエリマキをつければいいのだ」

 

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極楽ドサ回りも楽じゃない〜ローレル&ハーディと『僕たちのラストステージ』

 

 



「極楽コンビ」ことローレル&ハーディの晩年を描く映画“STAN&OLLIE”が製作される、というニュースを耳にした時、私も含め大方のクラシック喜劇ファンは、「楽しみだけど、日本での公開は無理だろうなー。セルスルーのDVDが出ればいいが」などと期待と同時にあきらめムードの感慨にふけってしまったことだろう。が、これが予想に反して『僕たちのラストステージ』という邦題で無事に公開されたのだから、世の中はわからない。まずは配給元のHIGH BROW CINEMAに感謝である。

 ローレル&ハーディとは1927年に結成された喜劇コンビ。サイレント喜劇の黄金時代が終焉を迎えようとするころに登場し、映画がトーキーの時代を迎えたのちも人気は持続、1945年まで映画界の第一線で活躍した。痩せたスタン・ローレル演じる内気なマイペース男がボケ担当、太ったオリバー・ハーディ演じるガサツな俗物男がツッコミ担当。マンガ的容姿の二人が行くところ、必ずなんらかのトラブルが発生し、やがてとんでもない大騒動に発展、というパターンのスラップスティック・コメディ(ドタバタ喜劇)は長編・短編合わせて100本以上製作された。
 カート・ヴォネガットの小説『スラップスティック』は彼らに捧げられているし、フェデリコ・フェリーニウラジミール・ナボコフをはじめ、世界中の芸術家にファンが多い。日本ではその主演映画に「極楽◯◯」とシリーズタイトルが付けられたことから極楽コンビと呼ばれた。


スタン・ローレル(左)とオリバー・ハーディ(右)

 ようやく見ることができたジョン・S・ベアード監督『僕たちのラストステージ』だが、冒頭は1937年『宝の山(Way Out West)』の撮影現場。人気絶頂のローレル(スティーブ・クーガン)とハーディ(ジョン・C・ライリー)が、控室からステージへと向かう様子を後退移動で見せるワンカット長回しは、この作品でほぼ唯一のケレンを感じさせる演出だが、そのワンカットに漂う時代の空気感、そして主演二人の驚嘆レベルのそっくり芸にまず心を掴まれる。ちらっと顔を見せるジェームズ・フィンレイスン(ローレル&ハーディ映画でいつも敵役を演じていたハゲの役者)がこれまたそっくりで、製作者たちの本気度が伝わってくる。
 作家性の強いスタン・ローレルは、プロデューサーのハル・ローチに対し待遇面で不満を募らせており、ついに独立を決意する。しかし、大らかな芸人気質のオリバー・ハーディは賭博狂いで金が必要、ローレルの独立には同行せず、往年の喜劇王ハリー・ラングドンを新たな相手役に、ハリー&オリーという新コンビを結成、新作映画の撮影に入ってしまう……。
 時は流れて1953年。すでに主演映画も作られなくなり「忘れられたスター」となりつつあったローレル&ハーディは、再起を賭けてイギリスの公演ツアーに挑んでいる。映画では特に説明されないが、ハリー&オリーというコンビはたった一作で解消、ハーディはプロデューサーと和解したローレルとすぐに極楽コンビを再結成させ、そのまま1945年まで長編喜劇を作り続けたのだ。
 1953年の二人は新たな主演映画の構想を練りつつ、カムバック告知のための巡業公演を行なっている。かつての大スターが客もまばらな小劇場を回るツラさ、互いに仲がよくないそれぞれの妻たち、蝕まれる健康と迫り来る老い。イラ立ちが募れば、つい昔のコンビ解消事件を思い出し、口論になってしまう……という芸人あるあるドラマの合間に、往年のローレル&ハーディ映画から引用された舞台公演や本歌取りのギャグ演出がふんだんに挿入される。
 もともとローレル&ハーディは、プロデューサーのハル・ローチが思いついて組ませたらたまたま成功した喜劇チームで、二人が私生活の面でどこまで仲がよかったのかはわからない。しかし、「ビジネスパートナー」に過ぎなかった関係が、キャリアの最終局面において、「かけがえのないパートナー」であったことを初めて認識するという脚色は納得のいくものであり、おそらくローレル&ハーディをまったく知らない観客でも、普遍的な友情物語として受け入れることができたのではないか。


かつて私が購入したDVD-BOX

 脚本のジェフ・ポープは十数年前にローレル&ハーディのDVD-BOXを入手したことがきっかけで、この作品の構想を練り始めたという。おそらくそのBOX、私が買ったのと同じやつではないかと思う。10年近く前に8割引セールが出たのでイギリスから取り寄せ、これを見るためにPAL方式のDVD再生デッキまで購入した。しかしその後、すぐに動画投稿サイトを使えば彼らの旧作のほとんどが鑑賞可能な世の中になってしまったのだが、まぁDVDは英語字幕を出せるので、トーキー作品を見る上では便利だった。
 せっせと作品を観たものの、このコンビのファンタスティックなキャラクターと悪夢的に発展してゆくギャグをもっとも有機的かつ効果的に楽しめるのは、やはりサイレント時代の短編のようだ。
 もし『僕たちのラストステージ』を観て、このコンビに興味を持った人がいたとしたら、ぜひ『Big Business(極楽珍商売)』(1929)『The Liberty(極楽危機一髪)』を観ていただきたい。


『Big Business』はローレル&ハーディがサイレント時代に得意とした「ちょっとしたいざこざが、いつしか復讐の連鎖に大発展!」の最高峰に位置する作品。ある家にクリスマスツリーのセールスマンとして訪れた二人が、ドアにツリーが挟まってしまったことから家の主人と小競り合いを始める。それが「やられたらやり返す、倍返しだ!」(←古い)とばかりにアレヨアレヨとぶっ壊しの応酬になってゆくのが凄まじい。
 トーキーになってからのローレル&ハーディは、おっとりした愉快な二人組という印象を受けることが多いが、サイレント時代はなかなかに獰猛かつ凶暴な性格を有していたのである。その辺はゴジラや寅さんと変わらない。

 もう一本、『The Liberty』は脱獄囚のローレル&ハーディがいつもの私服に着替えようとしたものの、互いのズボンを履き違えてしまったため、サイズが合わない。人目を避けてズボンを交換しようとするが、なかなか着替え場所が見つからず、気づけば工事中のビルの上層階に迷い込み、むき出しの鉄骨の上を歩くことになる。鉄骨の上で震えるローレルのパントマイム芸や、小道具を細かく生かすサイレント喜劇らしい楽しいギャグが満載だ。
 監督は後にマルクス兄弟の『我輩はカモである』やハロルド・ロイドの『ロイドの牛乳屋』を撮り、『新婚道中記』や『我が道を往く』でアカデミー賞監督となる、レオ・マッケリー

 これがトーキー作品になると、ハーディのツッコミがちょっとトゲトゲしく映る場面が多いのと、テンポがトロく感じられるものが多く、個人的には苦手だが、アカデミー短編賞を受賞した『Music Box(極楽ピアノ騒動)』(1932)はやはり必見。二人が階段の上にピアノを運ぼうとするが、どうしても失敗してしまうという、さながら現代のシジフォスの神話とも言うべきコメディである。
『僕たちのラストステージ』では冒頭にその撮影現場が再現された西部劇コメディ『宝の山』も、彼らの長編映画の中では出来のいい一編なので、観る機会があれば要チェック。歌とダンスが魅力的だったのも、このコンビがトーキー以後も延命できた理由だろう。



 日本では、唯一DVDが入手可能な長編が『天国二人道中(The Flying Deuces)』(1939)だが、これは1938年にいったんコンビを解消したローレルとハーディが再結成しての一作目。ハリー&オリーとしてハーディの「新たな相棒」だったハリー・ラングドンは、脚本家の一人として参加している(彼はこの時期のローレル&ハーディ作品でギャグマンを務めていた)。
『僕たちのラストステージ』では、ハーディが脚本助手だったルシールと出会い、結婚を申し込んだのは『宝の山』の現場とされていたが、実際はこっちの作品だったようだ。
 内容的には二人がひょんなことでモロッコ外人部隊に入って大騒動、というもので、この時期『モロッコ』(1930)、『外人部隊』(1933)、『地の果てを行く』(1935)など外人部隊を背景にしたヒット映画が多かったからそのパロディなのだろう。牢獄に投げ込まれたローレルが、ベッドのスプリングをハープ代わりに演奏、ハーディが歌い出す場面などは楽しい一景だが、たいして出来のいい作品ではないので、この一本で彼らの実力を見限ったりしないでほしい
 しかし、ラストのオチはシュールでなかなか印象的。筒井康隆は戦後に観た『極楽闘牛士(1945)で、二人が文字通り「身ぐるみを剥がされ」、首から下が骸骨になってしまうラストに衝撃を受けたそうだが、この二人、トーキーになってもときどきギョッとさせるセンスを炸裂させてくれるので目が離せない。



 もう一本、「爆笑コメディ劇場2」というパブリックドメイン作品を集めたDVD-BOXに、チャップリンキートンマルクス兄弟に混じってローレル&ハーディのユートピア(1951)という作品が収録されている。
 これは何かといえば、彼らの最後の共演映画『Atoll K』(1951)のアメリカ公開版。1945年以後、主演作がなかった二人が、フランスの製作者に招かれて撮った作品だそうで、言葉の通じないスタッフや脚本への不満、ローレルの糖尿病にハーディの心臓疾患の悪化なども重なり、制作現場は大変な状況。完成した作品はスタン・ローレルにとっても不本意な出来栄えだったらしい。
 お話は、大金持ちの遺産を相続することになったローレルと相棒のハーディ、現金は税務署やら弁護士やらにあらかた巻き上げられてしまったものの、無人島の所有権を得たことを知り、この島を自分たちだけのユートピアとして暮らそうとする。そこへお定まりの密航者やら恋に破れて流れてきた美女やらが集まり、共同生活がスタート。いつしか移住者が増えたものだから「税金も法律もない国」として独立を宣言する。すると当然、狼藉を働く無法者が現われ、あわてた二人は警察権を行使しようとするも、時遅く無法者たちに革命を起こされ追われるハメに……というもので、映画としては確かに隙間風が激しく、ローレル&ハーディの老けが目立つのが物哀しいが、風刺喜劇として見直せば、興味深い点がなくもない。プロット面ではちょっと安部公房『方舟さくら丸』を彷彿とさせるところもある


横山エンタツ(左)と花菱アチャコ(右)

 さて、『僕たちのラストステージ』は気持ちのいい佳作だったが、この日本版を作るとなれば、これはもうエンタツアチャコを引っ張り出すしかあるまい。
 1930年に結成された横山エンタツ花菱アチャコ漫才コンビ。背広姿で流行の話題をネタにする、画期的なしゃべくり漫才でヒットを飛ばすも、4年後にアチャコが病気にかかるやエンタツはあっさり杉浦エノスケを相手に新コンビを結成してしまう。その後、二人は主演映画でのみ「エンタツアチャコ」のコンビを継続させるという、ビジネス優先の奇妙な関係のまま全国的人気者となるが、やがて戦争の時代が到来し……。
 クライマックスは1963年、NHKの番組「漫才の歴史」にゲスト出演者として再会した二人が、いつしかただの会話がイキぴったりのしゃべくり漫才になっていることに気づく。その光景を畏敬の念で見守る若き構成作家小林信彦……。
 この企画、どこかでやらせてもらえないだろうか?