星虹堂通信

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映画史講義の思い出〜追悼・佐藤忠男

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 4月にスタートするレギュラー仕事の準備に入ったため、年始から忙殺されておりました。この間にも世間ではさまざまな出来事があったが、何はともあれ、ロシアによるウクライナ侵攻である。

 21世紀の先進国首脳の中では、キャラの濃さと危険度において段違いの存在感を放っていたウラジミール・プーチンだが、ここまでその狂気を隠さなくなるとは思わなんだ。日本のメディアが国際紛争の話題一色になったのはイラク戦争以来のことだと思うが、メディアやSNSを駆使した情報戦の複雑さと、「専門家のご意見」の混線ぶりは、コロナ騒動はもちろん、湾岸戦争の時を思い出す(正確には今の状況は1990年のイラクによるクウェート侵攻に相当するが)。重油に塗れた水鳥」の映像にすっかりノセられた世代としては、ウクライナ大統領の国会演説さえも警戒しながら聞いてしまうわけだが、ともあれ「旧ソ連時代の縄張り意識」に取り憑かれた男に世界が振り回されるとは、21世紀というのは本当に20世紀の悪夢的反復によって時が進んでゆくのだろうかと暗澹たる気分になる。

 

 で、そんな中に映画評論家・佐藤忠男の訃報が入った。享年91。ほんの数年前まで、試写室でときどきお見かけすることがあったので驚いた。

 佐藤忠男の著書は中学生の頃から愛読している。私の亡父は熱心な黒澤明ファンだったので、書棚には『黒澤明の世界』が何冊か治まっていたし、書庫を漁れば『小津安二郎の芸術』や『大島渚の世界』、『日本の映画・裸の日本人』、『映画と人間形成』、『日本の漫画』、『長谷川伸論』、10代向けの『戦争はなぜ起こるか』などがぞくぞくと発掘された。私が初めて一冊丸々読んだ映画評論本はやはり『黒澤明の世界』だったし、高校生になれば佐藤批評をガイドブックに小津作品や大島作品をレンタルした。『戦争はなぜ起こるか』での、貧富の差や宗教観の違いによる差別など、国際間の不和が積み重なった末に発生する「戦争」という図式は分かりやすかったし、その解決策については、10代の目にも「理想論すぎるのでは?」と映ったものだが、「戦後民主主義」という概念は佐藤忠男の著作で学んだような気さえする。

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 上京して通った専門学校には週に一度「日本映画史」の講義があったのだが、その担当講師が佐藤忠男だった。当時の大教室の中で、そのありがたみをもっとも理解している学生は私だったと思う。まず作品を一本上映し、その後で講義の時間となるのだが、佐藤さんは必ず大教室の隅で、上映作品を生徒といっしょに観賞し、その後おもむろに演壇に向かうのだった。その姿勢からして誠実そのもの、『近松物語』では歌舞伎的な様式演出の導入を、『ツィゴイネルワイゼン』では「まったくわからないが傑作」という作品にどう向き合うかを、熱の入った語り口で、時には実演まで交えて解説してくれたものだ。

 あれは映画史の講義だったか、特別講義の時だったか、今井正監督『夜の鼓』(1958)が上映される機会があり、佐藤さんが来日中の外国人研究者(確かスペインかメキシコの方だったと思う)を客席に招いたことがあった。もちろん英語字幕なんてついてないプリントだから、上映中、佐藤さんは小声の英語で隣席の研究者氏に話の展開とセリフをていねいに解説していた。

 そして上映後、佐藤さんによる近松原作が描く「姦通」のドラマと今井演出が意図したリアリズム表現をめぐる解説の後、ゲストの外国人研究者を演壇に招き、感想を訊ねた。突然の指名に照れながらも、その研究者は「内容と手法において『羅生門』を連想しました……」と感想を述べ始めたのだが、彼は三國連太郎演じる主人公が、勤め帰りに蛍を見かける場面に注目していた。

「日本でそのような比喩があるかは知りませんが、あの蛍の輝きは『真実』を表す光に見えました。そこに主人公が手を伸ばすが、蛍は飛び去ってしまう。その後、彼は妻の姦通疑惑を知り、真実を知りたい、という切実な思いを抱きます。しかし、妻の心はもはや自分の手から離れた場所に行ってしまったように感じる。手を伸ばしても真実は捕まえられない。蛍の場面は彼のその後の運命を予告した演出として、美しく印象深かったです」

 まだ子供だった私には、『夜の鼓』は主人公の妻の浮気相手となる鼓師(森雅之)が非常に気の毒な不倫ドラマとしか見えていなかったので、こういう視点には驚いた。佐藤さんが「外国の人といっしょに映画を観るというのは、こちらが何気なく見逃していた場面に意外な意味を見出していたりして、とても勉強になるんですよ」とつけ加えたのを覚えている。アジアやアフリカ地域の映画紹介にも力を惜しまなかった佐藤さんだが、単純に映画が好きなのはもちろん、映画文化が持つ国際交流の可能性にすごく期待しておられたと思う。そして、それが彼にとっての「平和活動」なのだった。

 

 一方、ストーリーに込められた作者の主張と製作当時の社会背景を手がかりに、平明な文章で解読する佐藤批評をやや軽んじている生意気なクラスメートというのがわずかながらいて、彼らから映画雑誌「リュミエール」と蓮實重彦四方田犬彦らに代表される一派を教えられた。そちらの批評も非常に刺激的な内容で強く影響を受けることになるのだが、佐藤批評よりも「高級」とはどうしても思えなかった。私としては先に佐藤批評に触れることができたのは、幸運だったと思っている。