星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

鞭打ちの舞踏〜MAGMA来日公演@TSUTAYA O-EAST

“De Futura(未来からの鼓動)”前半を演奏するMAGMA (1977) クリスチャン・ヴァンデのドラムに注目!


 先週の金曜、雨の降りしきる渋谷に向い、フレンチロックの雄・MAGMAの来日公演を聴いてきた。

 私が彼らの生演奏を聴くのは2009年の来日以来6年ぶり。リーダーのクリスチャン・ヴァンデは今年67歳になったという。さすがにそろそろ枯れてきたのでは……と思ったがとんでもない! 怜悧にして強引、呪術的でありながら叙情的、大胆さの中に繊細さをのぞかせるパフォーマンスはさらに進化し、前回公演をはるかに上回る満足感を与えてくれたのだ。
 いったいどうしたなにがあった、箱根のマグマ活動からなにか影響でも受けてるんじゃないかと疑いたくなるほどの熱さ、早さ。

 こんなことを書くと、
「まーた、プログレオタは40年も前の賞味期限切れバンドに興奮しやがって……」
 と、うざったそうな顔つきで呟かれる方がいるかもしれない。
 いやいやそれが違うのだ。昨年公開された、『ホドロフスキーのDUNE』を見たら、『エル・トポ』、『ホーリー・マウンテン』の監督、アレハンドロ・ホドロフスキーは1975年にフランク・ハーバードのSF長篇『デューン』の映画化に着手した際、主人公デューンの家族であるアトレイデ家の音楽にピンク・フロイド敵役となるハルコンネン家の音楽にMAGMAを起用するつもりだったと語っていた。そのホドロフスキーが83歳にして撮った新作『リアリティのダンス』が、みずみずしい想像力と野蛮な詩情をみなぎらせた秀作だったことを思い出そう。MAGMAもまた結成45年目を越えてなお、70年代のプログレシーンを熱狂させた往年の魔力を失わず、しかも「生きている化石」として様式的な懐メロを演奏するわけでもなく、今も最先端のライブバンドとして過剰な熱量を発揮し続けていたのだった。
 4月の末には、エディ・ジョブソン(key)、ジョン・ウェットン(b,vo)のオリジナルメンバー二人にアレックス・マカチェク(g)、マイク・マンジーニ(ds)という編成によるイギリスのロックバンド「UK」のファイナル公演を聴いたのだが、こちらもまた完成度の高い充実した演奏を存分に楽しませてくれたものの、成熟したミュージシャンが再会して30年以上前に作った曲を楽しんで演奏するという、「クラシック」として完成されたロックコンサートだった。それに対し、MAGMAはまさにクリスチャン・ヴァンデ一座の現在の姿がなまなましく迫りくる演奏で、プログレッシブだのモダンジャズだのといった枠付けを拒否する、闇からの贈物としての音楽を日本に届けてくれたのだ。

 さて、今回のセットリストを見てみよう。

1.KÖHNTARK(コンターク)

2.Slag Tanz(シュラグ・タンズ~鞭打ちの舞踏曲)

3.Mëkanïk Dëstruktïẁ Kömmandöh(呪われし地球人たちへ)

encore

4.Zombies(死霊の群れ)


 公演時間1時間45分でたったの4曲である。6年前の公演ではそれでも5曲演奏したのに。バンドの70年代を代表する大曲「コンターク」と「呪われし地球人たちへ」に、今年発売の新譜「シュラグ・タンズ」をサンドイッチするという構成だ。数年がかりの大曲を完成させた自信の表れだろうか? 

 知らない人のために書いておくと、MAGMAというバンドは、ジョン・コルトレーンの信奉者だったフランス人ドラマー、クリスチャン・ヴァンデが1969年に結成した。晩年、ジャズという枠から逸脱しつつあったコルトレーンの衣鉢を精神的に継承、音楽的にはジャズロックの方向を向きながら、歌詞はヴァンデが生み出した架空言語コバイア語」によって歌われる。しかもその架空言語雄大なストーリーが語られる。
 それは、環境悪化のため地球から宇宙に脱出した人々が、コバイア星に漂着、この星の人間として新たな文明を発展させる。が、滅亡寸前の地球からSOSを受け、コバイア星人たちは自らの祖先とふたたび交流を持つことになるが、愚かな地球人たちはコバイア星人の哲学が理解できなかった……
 といった、SF的というかヒッピー的というか、はっきり言って厨二感全開なコンセプトは、いかにも当時のプログレ風。むろん小倉優子こりん星出身を標榜するよりはるかに早い。まぁ、そもそもコバイア語は誰も理解できないのだから、筋書など知らなくても音楽を楽しむ上でまったく問題はない。
 こうした大げさな設定や、アルバムタイトルや曲名のおどろおどろしさから、「恐い」印象を受けてしまう方もいるかもしれない。じつは私も聴く前はKISSやブラック・サバスみたいな暗黒系ハードロックで、白塗りで登場したり生肉を投げたり、やたら重低音のリフを響かせては観客をタテ乗りさせる、運動部的汗臭さで充満しているのではないかと想像していた。が、実際に曲を聴くと大違い。MAGMAの楽曲はパワフルで呪術的な匂いを放つものの、決して泥臭くはならない。むしろユーモアさえ感じさせる。やはり彼らの基調はフレンチジャズなのだ。

 さて、公演は19時30分きっかりにメンバー登場。押し時間ゼロでスタートだ。コバイア星人、時間に正確だな!
 ステージ上には中央にドラムのヴァンデ、そして上手にベースのフィリップ・ブゾネ、キーボードのジェレミー・テルノイ。下手にギターのジェイムス・マックゴウ、ヴィブラフォンのブノア・アルジアリが並び、男声ボーカルのエルベ・アクニンが下手寄り、女声ボーカルのステラ・ヴァンデ、イザベル・フォイヨボゥアが上手寄りに立つ。シンメトリカルに構成された配置は観客の視点が常に中央のヴァンデに向かうように設計されている。

ハマタイ!」とアクニンがコバイア語で叫んで「コンターク」がスタート。若い頃はハビエル・バルデムに似た偉丈夫の伊達男だったヴァンデ、今やでっぷり肥えて頭頂部も薄くなり、水木しげる描くところの妖怪「たんたん坊」そっくりな風貌となったが、ゆうゆうとした表情で心地良さげにリズムを刻む。
 そう、MAGMAのライブ名物と言えば、なんといってもヴァンデのドラム。腕前もさることながら、演奏中のエモーショナルな表情変化がじつに楽しいのだ。温泉にでも浸かっているかのような表情でシンバルを刻んでいたかと思えば、突如苦悶の表情を浮かべてスネアを叩く。曲の展開部では宇宙からなにかを受信しているような表情でタムタムを乱れ打ち、エネルギーの放出さながらにハイハットを激しく踏む。演奏を聴いているのか彼の一人芝居を見ているのか時にわからなくなるほどだ。
 コバイア語の歌詞による物語を、ヴァンデが顔面で翻訳しているようなパフォーマンス。まるで演奏の指揮を顔で取っているとも言える(といっても、彼らはまったくアイコンタクトを取っている様子さえ感じられないのだが)。今回の編成ではキーボードの対面に位置するヴィブラフォンの存在が面白かった。鉄琴を叩きながら足下のペダルで巧みにヴィブラートをきかせるブノアのたくましい腕が目立つ。やはり打楽器奏者というのは腕が太くなるものなのか。弦楽器(コントラバス?)の弓を使って鉄琴の端の部分をこすっては音色を細く響かせる奏法もかっこいい。

 そして二曲目は今年出た新譜「シュラグ・タンズ~鞭打ちの舞踏曲」。2009年の公演で、しょっぱなに演奏されたのがこれの原型だった。数年に渡る試行錯誤を経て、やっと完成した大曲だが、やはりというか案の定というか、重厚ではあるもののややおさまりが良すぎた印象のスタジオテイクよりも、完成させた余裕がにじみ出たライブ演奏の方がはるかにノリが良く感じる曲なのだった。中間部でボーカル隊が一心不乱にマラカスを振ってリズムを取るのもなんかカワイイ。
 最近、『セッション』というジャズ映画が公開され、クライマックスではジャズの有名曲“Whiplash”(鞭のしなり。これが原題でもある)が激しく演奏されていたのだが、まさに音による「鞭撻!」という感じで思わず駆け出したくなるような疾走感とドラム演奏の楽しさに満ち満ちていたのは、圧倒的にコバイア語で「鞭打ちの舞踏」を意味するコチラだったねぇ。

 クライマックスは「呪われし地球人たちへ(略称M.D.K)」。まさかこの曲の完全演奏が「コンターク」とセットで聴ける日が来るとは! ドラムとベースがぴったり寄り添いながらリズムを牽引、そこにキーボードとヴィブラフォンの鍵盤隊がメロディを加え、キレのあるボーカルワークが主役として前面に出てくる。もはや完全にオペラ公演。こちらもいいかげんなコバイア語でいっしょに歌ってしまう。
 MAGMAの特徴はミニマルなフレーズがえんえんくり返されてゆくうちに、シンコペーションの連続で曲調がズラされ、変拍子が加わって曲の高揚感が少しずつ強まってゆく感触。フレーズをくり返しながらテンションを高めてゆくのは、東南アジアの民族音楽伊福部昭に通じるものがある(気がする)。そしてこんな有名曲でもライブのたびにアレンジを加えてくる彼らだが、今回はクライマックス(確か、「救世主ネベア・グダット」のパートだった)でヴァンデ御大が自らボーカル・ソロを取ってコバイア語の詠唱を聴かせてくれた。

 90分余のステージが終わって、ヴァンデ夫人であるステラがメンバーを紹介し、手を振って退場。座ってじっくり聴いていた観客はここでいっせいに立ち上がり、スタンディングオベーション
 案外早くメンバーが戻ってアンコールが始まる。アルバム『ウドゥ・ヴドゥ・未来からの鼓動』の一曲「死霊の群れ」だ。ブゾネの地鳴りのようなベースラインとヴァンデのドラムが鍔迫り合いする中、全員参加でファンキーな味わいを盛り上げてゆく。

 今回はO-EASTの二階最前列中央だったので、ステージ上を広く見渡せ、音のバランスも心地よかった。2009年のライブでは一階席の前方左寄りだったため、ちょうどヴァンデの表情がシンバルで隠れてしまい、その御尊顔を拝することができなかったのだ。シンバルがバシャーンと叩かれた瞬間だけ、彼の顔芸をのぞくことができるという残酷なチラリズムで悶々とさせられたものだが、今回は御大含め、全員のテンションが昂揚してゆく様子をつぶさに観察できて大満足。
 70年代のジャズロックと言えば、アメリカにはマハヴィシュヌ・オーケストラのような怪物的存在もいたが、活動期間は短かった。80年代から90年代に渡る長い休止期間を経てから再生させたMAGMAを、全盛期に遜色ないバンドへとふたたびのしあげたヴァンデのバイタリティに、敬意を表したいし、また大曲に取り組んでもらいたい。

 雨に濡れた道を帰りながら、「M.D.K」の途中、コバイア語で語られたメッセージを頭の中で反芻しながら駅に向かう。確か訳すとこんな内容になっていたはずだ。

「呪われし地球人よ、おまえ達に課す罰は、理解の限度を越えるものだ・・・」

「呪われし地球人たちへ」の一部「地球文明の崩壊」を演奏するMAGMA(2000)