星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

佐々木昭一郎のテレビドラマ全作品解題・そして新作『ミンヨン 倍音の法則』

 

 イタリア賞、国際エミー賞モンテカルロ国際テレビ祭などで数々の受賞歴を誇るドラマ演出家・佐々木昭一郎が帰って来た。19年ぶりの新作にして初の劇場映画『ミンヨン 倍音の法則』の公開である。
 さらに、11月にはBSプレミアム「伝説の映像作家・佐々木昭一郎の世界」で代表作の再放送が決定した。佐々木ドラマは未だDVD化がなされていないため、この特集をきっかけに新たなファンを獲得することも間違いない。


 じつを言うと、私は佐々木昭一郎のテレビドラマをリアルタイムで視聴したことはない。その名を知ったのもかなり遅く、1996年だったと思う。古書店の100円均一棚で「月刊ドラマ」の1995年7月号を購入した。目当ては、前年フジテレビヤングシナリオ大賞を受賞した大間茜(現・原田裕文)『剣道少女』の脚本だった。同じ号の巻頭に、佐々木昭一郎最後のテレビドラマ『八月の叫び』の脚本と、エッセイ『アトランダム ノート<創作ノートと演出メモ>から』が掲載されていたのだ。
 なんとなく読み始めたエッセイに驚かされた。よくある創作の苦労話や撮影裏話とはまったく違った。シドニー・ルメットをはじめとする海外の映画・ドラマスタッフとの華やかな交流、チェコ・ロケに向けてのエネルギーの迸りと創造の喜び、自らの直感と才能への絶大な自信、そして無理解な者たちへの怒りが、率直にして豊かな表現力で叩き付けられていた(なにしろ途中でモーツァルトと対話をはじめ、彼から絶賛を受けるのである!)。業界人にありがちな「すれた」匂いがまったくない、無垢とも傲岸とも受け止められる筆致に興味を持ち、『八月の叫び』の脚本も読んだ。20時間で一気に書き上げたそうだが、やたらM(音楽)の指定が多い、風変わりな脚本だった。独特のセリフ遣いが目立った。
 同じ年、洋泉社のMOOK「夕焼けTV番長」に切通理作による佐々木ドラマ『四季~ユートピアノ~』の紹介記事が掲載された。一読し、作品を観たい、と思った。しかし、かつて発売されたビデオソフトはすでに入手困難となっていた。フィルモグラフィを確認すると、私が中学生のころから学生時代にかけて、佐々木ドラマはおよそ1~2年に1本のペースで放送されているのだが、それらが「世界のササキの新作!」とメディアに騒がれることはなかったと思う。もしかしたら作品を見かけることがあったのかもしれない。しかし80年代から90年代はじめにかけて、『安寿子の靴』(作・唐十郎、演出・三枝健起)や『ネコノトピア・ネコノマニア』(作・藤田一朗&木村淳、演出・木村淳)などNHKで野心的かつ実験的なドラマが放送されるのはそう珍しいことではなく、それらと記憶がまぎれてしまった可能性もある。

 そんなわけで、私が伝説の作品群を実際に確認するのは、NHK-BSでの再放送を待たなければならなかった。ほとんどの佐々木ファンがその映像と音響が構成する詩情の世界によって心を掴まれたことと思うが、先にその文章によって興味を持ったというのは珍しいのではないだろうか。
 新世紀に入ってからの佐々木ドラマ再評価は、『夢の島少女』や『四季~ユートピアノ~』をリアルタイムで視聴した世代が、成長してその衝撃と影響を語り始めたことと、NHKで数度行われた再放送で不意打ち的に作品を知った新しい世代によって広まっていった。作者本人がすでにNHKを退局し、長い沈黙の時期に入っていたことが、かえって神格化を促進したようにも思う。現代のテレビ界からは失われてしまった、かつて栄えた幻の王国として佐々木ドラマは語られているようだった
 しかし奇妙なことに、佐々木ファンと称する人々が熱く語る作品は『マザー』から『四季~ユートピアノ~』あたりの初期作品に限定され、その後の「川シリーズ」に言及されることはあっても、後期作品については語られることがほとんどなかった。『八月の叫び』のエッセイでその名を知った半端な世代としては、それが気にかかっていた。
 2006年に日本映画専門チャンネル佐々木昭一郎のテレビドラマ全作品が放送され、待望の後期作品群もまとめて観ることができた。
 疑問が解けた。
『マザー』から『四季~ユートピアノ~』までの創造の魔術がぎっしりとつまった作品群と、その後のイメージが形骸と化した作品群の落差はあまりにも大きかったのだ。なるほど、これは「なかったこと」としたがるのも無理はない。しかし、待望の新作『ミンヨン 倍音の法則』を観る前に、改めて全作品を再見してみると、その後退期と見られる作品群からも新たな彩りが浮かび上がるのを感じた。作品としてはつまらなくても、その断片に表れる、一人の作家による切実なモチーフとその変調の過程を楽しめるようにさえなったのだ。

 そんな予習をしてから観た『ミンヨン 倍音の法則』。これはまさしく一作目からひと続きの私的な作品を作り続けて来た、テレビドラマ史上希有な「作家」しか撮ることのできない作品だった。代表作である『四季・ユートピアノ』を初期作品の集大成とするならば、こちらは第2の集大成とも言えるだろう。『ミンヨン 倍音の法則』の感想を語る前に、まずは佐々木昭一郎がテレビドラマの世界でたどってきた流れを、押さえ直してみたい。

1.

『マザー』(1969年/1971年・60分)
撮影:葛城哲郎、妹尾新 編集:青野伸司 効果:織田晃之祐、川崎清

 

『おはようぼくの町』というタイトルで構成・放送された番組から説明を排して再編集した作品。佐々木がラジオドラマ時代に確立した、想定したドラマを抽出するために市井の人を選択し、ドキュメンタリーの撮り方で素材を集めてゆく手法の映像版第一作。
 パレードでにぎわう神戸の街を「母を知らぬ少年」であるケン(横倉健児)が彷徨する。彼は出会う大人や外国人に問い続ける。「死ぬ時が来たら悲しい?」、「死んだらどこへ行くと思う?」などなど。それらの会話に「あなたは母をなんと呼びますか?」というインタヴューに答える街の人々の顔が、次々と挿入されてゆく。「母」と「質問」という基本モチーフに、佐々木がラジオドラマ時代に共作していた寺山修司の匂いを嗅ぎ取るのは容易だ。
 特筆すべきは葛城哲郎のカメラ。街の表情とケンの表情、そして繊細な光と影の変化が、撮ることの喜びに打ち震えているような手持ち撮影でとらえられる。ケンと外国人女性との会話はほとんど成立しないが、どこかで感情は通じ合う。一方、ケンを保護しようとする補導員の女性とは同じ言語を使いつつも感情がまったく通じ合わなくなる、という展開に顕著なように、中心軸となるのはコミュニケーションに伴う「心のふれあい」だ。
 映像のバックに流れる口笛のメロディも哀切で胸をかきむしられるが、これは音響効果の織田晃之祐が吹いたもの。

2.

『さすらい』(1971年・90分)
撮影:葛城哲郎、妹尾新 編集:青野伸司 効果:織田晃之祐

 

 教会の施設で育った15歳のひろしは上京し、看板屋、サーカス、路上劇団、氷屋と「居場所」を求めて彷徨する。その先々での出会いと別れがドキュメンタリー的な手法で描かれる。
 主人公ひろし(渋沢忠男)の造形は『マザー』の続編としか思えないが、どこへ行っても表情乏しく、やる気のなさそうな口調でぼそぼそとセリフを吐く。しかしシラけた少年ではない。彼が求めるのは「ここじゃない、ほかのところ。この人じゃない、ほかの人。今じゃない、ほかの時」……。「自分探し」という言葉が登場するはるか以前に描かれた青春の自己確認劇であり、まったく自己顕示欲の感じられないこの少年が見事にはまっている。
 主人公の看板屋の同僚としてデビュー前の友川かずきが登場。歌手志望の彼がしきりにギターを弾くが、途中でいなくなってしまう。本来はひろしと対比させて描くつもりだったのかもしれない。赤いワンピースの少女としてこれまたデビュー前の栗田ひろみが登場し、主人公がかつて「妹を背負って歩いた」記憶が語られる。
 真白いカンバスを持って喧噪の街を歩く姿、腕立て伏せにへばって寝そべるひろしの白い肌を這うアリ、冒頭の海の映像から不気味に響く反響音のリフレインなどなど、数々の夢幻的なイメージには不穏な官能性が満ちみちている。
 この作品で芸術祭大賞と芸術選奨新人賞を受賞した佐々木だが、新作に取りかかれるまで3年かかったという。

3.

夢の島少女』(1974年・75分)
撮影:葛城哲郎、妹尾新 編集:松本哲夫 効果:織田晃之祐、川崎清

 

 川に倒れている赤いワンピースの少女(中尾幸世)と、花屋で働く少年(横倉健児)の出会い。演じるのが『マザー』の少年だし、彼の友人としてまた友川かずきが登場するので、やはり『マザー』、『さすらい』とひと続きの物語に見える。出会いによって揺れる少年の恋心と、少女の「記憶」が巧みにモンタージュされてゆく映像の綴れ織りを、パッヘルベルの「カノン」のメロディが貫いてゆく。少女が後ろを振り返るショットが頻出するのは、自分の歩んで来た過去を再確認するふるまいだろうか。中尾の独特な発声による「どうすればいいの……」のリフレインはいつまでも耳腔にこだまする。
 ボーイ・ミーツ・ガールの定型物語に「傷を負った少女」の過去、性と暴力が露骨にあふれたイメージ、少女を傷つけた「悪役」としての中年男の存在など、改めて見ると俗っぽい装飾に満ちているのだが、「日曜日の朝に街が見た夢」として展開する幻想譚としか理解できない斬新なモンタージュの数々は、40年経つ今も底知れぬ謎をはらんでいる。そしてそれは中尾幸世という希有な存在感と美声を持つ少女の発見によって支えられている。少年と少女が回す長縄跳びに飛び込むカメラはやがて宙を舞い、少女を背負って砂漠のような埋立地を歩く少年を空から捉え続けるのだった。
 この時期の佐々木ドラマには、若い視聴者を「この感覚がわかるのは自分だけかもしれない……」と感情移入させる、太宰治やJ・D・サリンジャーの小説に通じる味が感じ取れるのだが、その共振性が最も強く出た作品が『夢の島少女』だろう。脚本の初稿には詩人で映像作家の鈴木志郎康(当時、NHKカメラマンだった)が参加しているが、佐々木とは合わず、すぐに降板してもらったそうだ。

4.

『紅い花』(1975年・70分)
原作:つげ義春 脚本:大野靖子 撮影:橋本和憲(フィルム部分) 効果:岩崎進

 

 佐々木ドラマで唯一の原作物。つげ義春の『紅い花』、『沼』、『古本と少女』の3編を、漫画家(草野大悟)の視点による「創作」と「記憶」が混ざりあった戦時中の物語として構成。ほかにも『ゲンセンカン主人』や『ねじ式』のイメージも挿入され、さながら『つげ義春全集・恐怖ノスタルジィ人間』の趣。
『紅い花』の少年マサジがかぶっていた軍帽から脱走兵の物語が創作してねじこまれ、『古本と少女』で『ハックルベリー・フィンの冒険』の原書を求める二人は思想犯として特高にひっぱられるなど、戦時中の暗い記憶に結びつけられる大胆な脚色。クライマックスでは漫画家の「空襲の中、妹を背負って逃げたがはぐれてしまった」思い出が語られる。
 つげ義春ファンが悲鳴を上げること必至な改変だが、原作をここまで個人的な「記憶」の世界に引き寄せる腕力に驚嘆した。ジョン・デンバーの「ロッキー・マウンテンハイ」の曲に乗せて、川を下る水面を映し続け、意識の流れと重ねてゆくイメージも強力だ。
 ほとんどがビデオ撮りのスタジオドラマとして撮られているため、前3作のようなアヴァンギャルド志向は薄い。佐々木はこの時期「銀河テレビ小説」のフロアディレクターを多く担当していたため、スタジオドラマでも堂に入った演出ができることを示した。
 佐々木はこの作品で芸術祭大賞を受賞したが、なんとその後アシスタント・ディレクターに格下げされ、3年を過ごす羽目になった。

5.

『四季~ユートピアノ~』(1980年・90分 国際版100分)
撮影:吉田秀夫 編集:松本哲夫 効果:織田晃之祐

 

 3年の沈黙期に蓄積したイメージが炸裂した初期作品の集大成。
 作品の主体が「赤いワンピースの少女」であり「背負われていた妹」でもあった人物・A子(中尾幸世)へと移り、彼女の「夢」と「記憶」をめぐるイメージの連鎖を、ピアノの調律というアクションで串刺しにしてみせる着想が素晴らしい。
 A子が東北の田舎で過ごす少女期を描く前半には、敵機識別レコードをはじめ戦時中のトラウマにおびえる父、川に消える母、火災の煙に姿を消す兄といった過剰に脚色されたイメージと、素朴にA子の学校生活を追う描写が混在し、イメージの多重奏を構築する(すべてA子の幻想かもしれない)。上京し、Aの音叉を持つピアノ調律師となってからのロードムービー的な後半では、さまざまな人々との交流と葛藤、そして「また音がひとつ消えた……」のひと言で表現される、濃厚な死の気配で観る側の緊張感を途切れさせない。
 物語だけ追えば、家族と離ればなれとなった孤独な少女が上京するも、修行した工場は倒産、調律の技術をもとに「居場所」を求めて彷徨する、という陰鬱なものだ。そこへ『マザー』の横倉健児のほか、『さすらい』のサーカス団員たちや『夢の島少女』の東北の人々が再登場してA子にからんでゆく。しかし、成長した中尾幸世の魅力的な笑顔、そして彼女がつける「音の日記」として展開する構成、マーラーの「交響曲第四番」を基調にバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」が加わってゆく流れは、前作までの切迫した閉塞感とは異なる、映像表現独特の解放感をもたらした。まぎれもなく佐々木昭一郎の到達点。

6.

『川の流れはバイオリンの音』(1981年・80分)
撮影:葛城哲郎 編集:松本哲夫 効果:織田晃之祐

 

「川シリーズ」第1作。ピアノ調律師のA子(中尾幸世)が、妹のバイオリンを修理するため、イタリアはポー川のほとりを旅する。そしてバイオリン職人を訪ねてクレモナへ。
 ドキュメンタリーを撮るのと同じスタッフ構成(たった4人)でドラマを撮るのが佐々木のスタイルだが、ついに海外ロケに挑戦。人々の生活に根ざした「川」と、土地に密接な「楽器」を軸に、職業俳優ではない人々が本物の生活感を見せながら、脚本に書かれた一瞬の夢を演じてくれるというシリーズである。
 イタリアの人々と出会いながら、さまざまな職業を経験してゆくA子。しかし『さすらい』のひろしと違ってその笑顔は誰からも愛され、行く先の家庭もまた常に明るく朗らかだ。鐘のひびき、飛翔する鳩の群れ、中尾幸世が自ら描く土地の人々の肖像画、ヴィヴァルディのメロディなど、光と音と芸術のコラージュで旅を見せる手法はより洗練され、輝かしい風景の影に、戦災の記憶や死のイメージを滑り込ませるのも忘れない。
 だが、旅の「質」がそれまでとは決定的に違っている。『マザー』から『四季~ユートピアノ~』で描かれたのは、居場所のないストレンジャーが「パラダイス」を求めてさまよう永遠の地獄巡りだった。しかし、この作品からは天使のようなストレンジャーが「パラダイス」を現地の善良な人々に歓迎されながら旅してゆくのだ。むろん、『さすらい』のひろしと同じく最後には去ってゆくのだが、国際親善に勤しむA子には、それまでの作品の主人公のような切迫した感情移入がしづらくなった。

7.

『アンダルシアの虹』(1983年・80分)
撮影:葛城哲郎 編集:松本哲夫 効果:後藤伸行

 

「川シリーズ」第2作。スペインのアンダルシア地方に現れたA子はグアダルキビール川のほとりに住むジプシーの家族と交流し、フラメンコギターの音色を聞きながら、彼らの営むさまざまな職業を体験する。
 シリーズの中ではもっともストーリーラインが弱いが、その分、作為を感じることなく土地の人々の表情や反応を受け止めることができる。赤い大地に青い空、そして白く塗られていく岩壁。現地の人々と中尾が本心で密接になってゆくのが色彩豊かな映像を通じてもよくわかる。シリーズ中もっとも幸福感にあふれた、佐々木昭一郎の「作家的成熟」を感じさせる一作。
 その後、NHK「世界わが心の旅」やTBS「世界ウルルン滞在記」など、「川シリーズ」を模倣した有名人旅番組がいくつも登場したが、それらドキュメンタリーもどきの番組よりも、フィクションであるこちらの方が、映像感覚と描写の凝縮力において、はるかに密度が濃い。その上、中尾幸世のプロモーションビデオとしても楽しめる。

8.

『春・音の光』1984年・80分)
撮影:中野英世 編集:松本哲夫 効果:織田晃之祐

 

「川シリーズ」第3作。スロヴァキアの田舎に現れたA子は、羊飼でフヤラ(楽器)の名人オンドレイに出会い、近所のレド少年とも交流する。そして、オンドレイが猛反対する娘とその恋人の青年との交際成就に一役買う。
 前二作よりもストーリーラインがはっきりしている分、やや舵の切り方が強引で描写の蓄積が少なく感じられる。細部の豊饒さに欠けるため、全体が作り物めいてしまった。おそらく共産圏の国での撮影はさまざまな制限が課せられたのだろう。目を悪くした調律師のセリフや、恋を成就させたとたんに兵役に就かなければならない青年などを通じて、当時のチェコスロバキアを覆う暗い空気に触れようとしているものの、ほのめかしに終ってしまっている(合作なので、これ以上突っ込んだ描写は無理だったろうが)。
 また、淡い光をとらえる色調で統一した映像のフレーミングが、いささかお行儀よすぎるというか、前作までの野蛮な詩情性が後退し、きれいに構図を作ろうとしておとなしい。シリーズ中、この作品だけ撮影が葛城哲郎ではないのだ。
 佐々木はこの次にミシシッピー川とトランペットに軸を置いたシリーズ4作目を構想していたそうだが、「川シリーズ」はいったんここで打ち止めとなり、A子はレド少年に音叉を与え、旅から二度と戻らなかった。

9.

『東京 オン・ザ・シティー(1986年・60分)
撮影:吉田秀夫 編集:松本哲夫 音楽・効果:織田晃之祐

 

 この作品から佐々木昭一郎のパートナーとなるのは、チェコ人の女性オルガ・ストラスコヴァと藤井草平少年である。物語は、ガラスの工芸デザイナーであるオルガさんが旧友のエリ子を訪ねて東京を再訪、花屋で働く草平少年の案内で東京を歩き回るが、エリ子は既に死んでいた……というもの。
 A子に代わり、チェコ人女性の視点で東京という都市を見返す試みであり、彼女が少年と並んで歩く姿は母子像のようでもある。水面に落ちてゆくピアノ、大地に屹立するチェロ、風鈴の音とガラスの鐘の音などなど、魅惑的なイメージが交錯するが、そこにはもはや『さすらい』のころの不穏な官能性はない。紡がれてゆくイメージが、オルガの呟く「勝っても負けても花をあげよう」の言葉に代表される「やさしさ」に埋没してしまうのはどうにも物足りなく感じる。
 サティの「ジムノペディ」、チェロで奏でられる「わが母の教えたまいし歌」が基調音となる音構成や、主人公を360度パンする手持ち撮影などの手法が佐々木の内部ですっかり様式になってしまい、語るべき内容を探しているようにも思える。

10.

『夏のアルバム』(1986年・80分)
撮影:吉田秀夫 編集:松本哲夫 効果:岩崎進

 

 フィンランドヘルシンキに住む日本人少年アキラ(藤井草平)は帰国する父と別れ、友人である少女キルシーが夏を過ごす田舎の村へと旅をする。キルシーの恋人であるハリーの手紙を持って……。
 草平少年を主役に据えた「川シリーズ」番外篇のような作品。佐々木ドラマはすべて「夢」を描くものなので、日本人の小学生がフィンランドの田舎を一人旅するという物語にリアリティがあるかどうかはどうでもよい。問題は旅の目的が手紙の配達という「親切」に支えられたもので、出会う人々もみな善人ばかりという展開にある。さらに、アキラが手紙を届けた次の瞬間、ハリーは村に到着してキルシーと再会、リア充っぷりを見せつけてくれるのだ。それをニコニコ見守る草平少年。なんとなくマルクス兄弟が初期のパラマウント作品では抜け目のない詐欺師の集団だったのに、後期のMGM作品になると若いカップルを見守るゆかいな道化たちという、すっかりヌルい存在になってしまったことを思い出す。
 後半、ハリーをライバル視するペッカという大男が登場、村祭でハリーと対決するもまったく歯が立たないコメディ風の一景はジョン・フォード的楽しさだが、少人数スタッフのドキュメンタリー風ドラマでそのような作為的場面を挿入されると、やはり違和感も強いのだった。
 ただ、吉田秀夫のカメラがとらえる草原の緑、青い空、白い鳩、回る自転車の車輪、夏至祭に燃える炎などの映像は素晴らしく、「フィンランドよいとこ一度はおいで」気分だけは満喫できる。

11.

『クーリバの木の下で』(1987年・90分)
撮影:吉田秀夫 編集:松本哲夫 効果:織田晃之祐

 

 恋人ヒロシから謎めいた葉書を受け取ったアキコ(木佐貫邦子)は、彼のいるオーストラリアに旅立つ。羊毛刈りの男アランとその家族たちと交流し、さらに金山掘りの老人や飛行機で移動するフライング・ドクターなどと出会い……。
 これもまた「ワルツィング・マチルダ」をテーマ曲に展開する「川シリーズ」番外篇。羊毛刈りの男たちの生活ぶりや、中心となるアランは魅力的だし、夕陽に向かって伸びる一本の線路、船上で歌うオペラ歌手を水面から回り込むカメラ、少年たちが砂を掘るとわき出す水など、新鮮なイメージが連なる。しかし、それらが自然と音楽と労働者への讃歌として簡単に収斂されてしまい、発見を与えてくれないのがきびしい。物語を牽引する不在の恋人ヒロシもまた行く先々で愛される好青年らしく物語に深味を与えてはくれないし、それゆえか女性の海外一人旅にしてはアキコはあまりにも不用心ではないか、などとA子の時は感じなかった心配が頭をよぎる。
 ヒロシは最後まで姿を見せず、なんといつのまにか帰国したらしい。アキコをひっぱり回した理由はいちおう明かされるのだが、「オーストラリアで会った人を君に会わせたかった。ぼくが見たもの聞いたものを君に会わせたかったのだよ」ってお前なぁ……。サブプロットにアランの娘と羊毛刈りの新人青年との恋愛が描かれ、反対していたアランも最後には折れるという『春・音の光』と同じ話が展開するため、「またかよ!」感も強い。
 主演は舞踊家木佐貫邦子で表現者らしい存在感は悪くないが、この物語には大人過ぎた。佐々木はこの時期、アメリカでダンサー志望の女性を主人公にした『ニューヨーク・セレナーデ』という企画を構想していたそうなので、その候補として選んだのかもしれない。

12.

『鐘のひびき~プラハからヒロシマへ~』(1988年・75分)
脚本:オルガ・ストラスコヴァ 撮影:吉田秀夫、ウラジミール・トゥーマ 編集:松本哲夫 効果:織田晃之祐、鈴木晶

 

 アキラ(藤井草平)の描いた鐘の絵がチェコのコンクールで入賞、審査員のオルガ(オルガ・ストラスコヴァ)の案内でプラハを旅する。オルガの祖父は原爆ドームを作った建築家ヤン・レツルの友人であった。レツルの構想「ドームの中央に鐘を吊るす」を完成させるため、オルガは来日して原爆ドームを訪れ、自作の小さなガラスのベルを吊るす……。
『東京 オン・ザ・シティー』の主役コンビが再登場。脚本のオルガ・ストラスコヴァが過去の佐々木ドラマを研究した成果なのか、それとも撮影用に潤色した佐々木の手によるものなのかわからないが、過去に使用したイメージの再利用が目立つ。おかげで妹を背負って浜辺を歩かされたりしているアキラだが、中学生になった彼はその幼さの残るセリフを吐くのがいかにも苦しそう。本当に望んで出演を引き受けたのか心配になるレベルだ。
 アキラのプラハの旅も、オルガとその娘が東京を歩く姿も、いわゆる観光ドキュメントの枠から逸脱しようとしてしきれず、佐々木作品でもっとも描写が痩せて見える一作。原爆ドームという、今では世界遺産にも登録された「聖地」を、まったく個人的な願望充足の場に転換してしまうクライマックスはなかなか大胆であるとは思う。しかしその脚色によって浮かび上がるのは「平和への祈念の鐘を鳴らす」という類型的な鎮魂・反戦のイメージであり、「鐘」をモチーフに展開したイメージが萎えてゆくのを感じる。かつての佐々木ドラマはそうした類型を食い破り、イメージを増幅させてゆく強度を持っていたのだが……。

13.

『七色村』(1989年・90分)
脚本:オルガ・ストラスコヴァ 撮影:小高文夫 編集:松本哲夫 効果:織田晃之祐

 

 自ら開発した手法に自縄自縛となりつつあった佐々木が、ふたたび個人的な「記憶」と向き合った作品。スタジオを使ったビデオ撮影が多くを占めるのも『紅い花』以来だ。
 舞台は佐々木が少年時代に疎開した先のひとつである紀州の村がモデルとなっている。母と離れ、親類が住む村に疎開した少年・一郎の体験をあえて西洋人であるオルガ・ストラスコヴァに脚本化させることで、イメージの増幅を狙ったのだろう。しかし、その共同作業はかえって窒息に向かったようだ。疎開先での体験を描くドラマに、成長して指揮者となった一郎(吉村俊作)がプラハを歩く場面が交錯するのだが、二つの場所をつなぐヒロイン・マリエ(マルタ・ヴァンテュロバ)の造形がうまくない。ユダヤ人である彼女は夫と離れて日本に逃亡、なぜか紀州の山奥にまでやってきて絵を描いている。同じくリベラルな環境で育ったためファシズムの時代になじめぬ一郎との友情が深まり、やがて一郎は彼女を「母」と慕うようになる……という構図なのだが、悪役をはじめ描かれる人物が図式的にすぎるので、少年の孤独感にも入ってゆけず、ドラマとして興ざめなことおびただしい。一郎がマリエに見出す「母性」にしても七色村の自然描写にしても、官能性が乏しい。
 獅子舞に偽装する脱走兵や、敵機識別レコード、水に沈む狂女など過去作でおなじみのイメージも再登場し、基調メロディはドボルザークの「ユーモレスク」。白服を着た父といっしょに汽車に乗っていると、桃をかじった父が喀血するエピソードが初めて描かれる。

14.

『ヤン・レツル物語~広島ドームを建てた男~』(1991年・100分)
脚本:オルガ・ストラスコヴァ 撮影:吉田秀夫 編集:松本哲夫 効果:石川恭男

 

 原爆ドーム(広島物産陳列館)を設計したことで歴史に名を残したチェコ人建築家ヤン・レツル(1880~1925)の伝記。佐々木ドラマとしては未曾有の大予算であり、オープンセットも多数使用される本格的なテレビ映画として撮影されている。
 1925年、脳梅毒を患いチェコの精神病院に担ぎ込まれたヤン・レツル(ビクトル・プライス)の最期の日々と、1907年に来日、日本で建築家として活躍してゆくレツルの姿が細かくカットバックする。異国に飛び込み、困難なコミュニケーションを乗り越えながら、アールデコ風の建築を次々とものにしてゆくレツル。しかし嫉妬や妨害を受けるようになり、第一次大戦の勃発で仕事激減。いつしか作品が消失し忘れられてゆくことに怯える。一面的な偉人伝ではなく、事故死した職人の未亡人(田中好子)と恋仲になる一方、5歳の時に知り合ったハーフの娘(一色紗英ヒロコ・グレース)を養女にし、20歳に成長した彼女にプロポーズするも一蹴される描写があったりもするのだが、レツルの「さすらい」を描くには的を絞りきれていない。
 次々と建築のデザインを描いてゆくレツル、ガラスの破片の輝きから展開するさまざまなイメージ、レツルをとらえた360度パンなど、佐々木の持ち味はそこかしこに確認できるが、佐々木ドラマの特色からはかけ離れた作品であり、野心作ではあっても全体に生真面目で堅苦しい印象が残った。

15.

『パラダイス・オブ・パラダイス~母の声~』(1993年・60分)
撮影:吉田秀夫 編集:松本哲夫 効果:石川恭男

 

 オルガ・ストラスコヴァ脚本の『スワン』という企画がバブル崩壊のあおりを受けて頓挫、かわって制作された作品でハイビジョンカメラによる撮影が行われている。
 新作の構想に行き詰まる作曲家・敏郎(池辺晋一郎)の内面心理と少年期の記憶が交錯する、フェリーニの『8 1/2』を彷彿とさせるスタイル。敏郎の家は地上げの被害に遭っているらしく、庭では老母(毬谷友子)が不動産屋から暴力を振るわれているが、敏郎は一人部屋にこもってばかり(これも幻想なのか?)。湾岸戦争や東欧紛争などのニュース映像の脅威が、彼の意識を戦時中の暗い時代に戻らせる。少年時代、敏郎は「パラダイス」である山を彷徨して不思議な人々に出会った……。
 少年期の「村」を舞台にしたパートは『七色村』の雪辱戦のような雰囲気で、はるかに凝った撮影が試みられ、滝に浮かぶ虹が美しい。毬谷友子は4役を演じ、つまり方々に現れる女たちはすべて「母」である、という図式を明確にする。さらに『七人の侍』から抜け出して来たような「野武士」、鈴木瑞穂がとんでもない大芝居で演じる「山林王」などのキャラクターも登場するが、すべて幻想のための幻想でしかなく、「夢」の力が膨らんでゆかないため周回遅れのアングラ演劇のようにも見えてしまう。
 佐々木はこの時期、母親を亡くしたそうで、この作品は一種の鎮魂曲だったようだ。しかし、そうした事情を知らずに観ると、敏郎が病床の母親の前でようやく新作の交響曲を完成させるお定まりのラストも、「この男、少年期から50代に至るまで母親とベッタリなのか……」という醒めた思いが先に立ってしまうのだ。

16.

『八月の叫び』(1995年・90分 HV版110分)
撮影:吉田秀夫 編集:松本哲夫 効果:岩崎進

 

 この作品もまた放送時にはほとんど評判にならなかったらしいが、私は『四季~ユートピアノ~』以後の後期作品群では、最も高く買うのである。むしろ「川シリーズ」からの試行錯誤と迷走はこの作品のためにあったのではとすら思う。
 音楽の師であり愛する譲二(武藤英明)に異変が生じたと聞き、洋子(大竹しのぶ)は彼のチェロを持ってチェコに向かう。譲二は記憶喪失となり、精神病院に入院していた。譲二の記憶喪失の原因には、1968年、留学中に体験した「プラハの春」でポーランド軍に追われ、恋人のチェリスト・マリエと離ればなれになった辛い記憶が影をさしているらしい。譲二の記憶を取り戻すため、洋子は今は亡きマリエを演じ始める……。
『クーリバの木の下で』や『ヤン・レツル物語』を思い出す設定、『七色村』と同じ名前のヒロインなど、佐々木の持ち味を各所にのぞかせつつも、失われた個人の記憶とチェコという国の悲劇の記憶が重なってゆく構成が巧みで、ファシズム時代の恐怖への表現も工夫がこらされ、一面的な「悪役」は登場しない。前作では空回りだった、記憶の中に渦巻く怨念や陰惨さが、ふたたび力を得た表現で起ち上がる。そもそも譲二は本当に記憶喪失なのか……?
 5度目となるプラハ・ロケはかなり大規模なものとなり、手持ちとクレーン撮影を使い分けてなお格調高いカメラが見事。そして全編に散りばめられたモーツァルトの名曲群やスメタナ「わが祖国」とのマッチングも素晴らしい。
 プラハで指揮者として活躍する武藤英明をはじめ、現地の俳優陣も魅力的だが、佐々木演出のスタイルに溶け込むだけでなく、無人のホールで「ドン・ジョヴァンニ」の一曲「手をとりあおう」を自ら歌いこなした大竹しのぶの力量に圧倒される。まぎれもなく彼女の代表作のひとつだろう。
 ラストの「生きるためには忘れなくてはならない」のセリフは記憶の作家・佐々木昭一郎の新たな出発点になったと思うのだが、彼はこの作品を完成させてNHKを退局、長い沈黙に入る。

 それから19年。
 90年代後半のテレビ界からは、佐々木昭一郎のような異端の制作者が生きる余地を失ってしまったかのように思われた。一方で、岩井俊二河瀬直美是枝裕和ら佐々木ドラマの影響を受けた世代が堂々と作品を発表するようにもなった。しかしその間、佐々木はかたくなに沈黙を守り続けて来た。そして、ついに『ミンヨン 倍音の法則』を撮った。

 これまでの作品歴を見ればわかるように、佐々木昭一郎にはふたつの側面が存在する。「母のイメージ」を追い求める耽美的なアヴァンギャルディストとしての面と、「ファシズムへの怒り」をむき出しにする教条的なモラリストとしての面と。『ミンヨン 倍音の法則』はその両者がせめぎあい、まざりあい、まさに倍音の効果を引き出そうとするものだった。
 黒い画面に響くピアノの音階。そして、モーツアルトの交響楽41番「ジュピター」が高らかに鳴り始め、青い空をバックに微笑むミンヨンのアップが映し出される。日本語・韓国語・英語を駆使してコミュニケーションのハーモニーを築いてゆくミンヨンは、まぎれもなく「A子」や「オルガさん」に次ぐ新たな旅人だ。
 ソウルは漢江のほとりで暮らすミンヨンは、親しかった少年の死と、祖母が残した一枚の写真を胸に秘めて来日する。渋谷のスクランブル交差点で主要登場人物全員が交錯する瞬間から先は、視点も統一されずシーンもつながらない定番の佐々木ワールドが展開する。ミンヨンの前に現れ、彼女を母と呼び始めるユウ少年(高原勇大)は藤井草平によく似ているし、フリージャーナリストの旦部青年(旦部辰徳)もまた、佐々木ドラマでおなじみの知的な好青年の系譜に連なる人物だ。彼らは『さすらい』から何度となく撮られてきた神泉駅周辺をはじめ、都内のさまざまな場所で交流する。
 ミンヨンが持つ写真には、祖母の友人「佐々木すえ子」の家族が映っていた。写真の背景に映る屋敷を発見したミンヨンは、そこから佐々木すえ子の記憶に潜りこみ、彼女を演じ始める。同時に丹部青年は夫に、ユウ少年は息子へとすり変わる。つまり作者の家族を描く戦時中のドラマへと転換するのだ。反戦ジャーナリストの父が汽車の中で桃をかじって昏倒する場面がふたたび映像化されるが、『七色村』では「父は結核で死んだ」と明言していたのに対し、こちらでははっきりと官憲による謀殺として描かれる。より衝撃的な脚色を狙ったのか、被害妄想が進行したのかはわからない。しかし似た内容の夢が、見るたびに細部が異なることはままあることだ。
 佐々木すえ子は英語の力を買われ、「謀略放送」における連合国向けのプロパガンダ放送アナウンサーの依頼を受ける(モデルはあきらかに「東京ローズ」だ)。しかし、すえ子ははっきりと拒絶する。そして疎開へと旅立つ息子に汽車の中で寄り添い、星を数える。息子は長じて、そのプロパガンダ放送を行っていたラジオ局に入局し、星をめぐるラジオドラマを制作、映像に転じてこの作品を撮ることになるのだろう。
 そして、現代に帰還したミンヨンは、冒頭のセリフ「夢の中でこそ、現実にさわることができる。夢の中でこそ過去と歴史に近づける」を思い返しているにちがいない。1930年代の家族の物語が、夢や記憶では片付けられない、まったくの地続きである可能性も、残されている。

『八月の叫び』で新たな方向性への旅立ちを予感させた佐々木昭一郎だったが、『ミンヨン 倍音の法則』は今一度自分のスタイルに向き合い直し、『紅い花』や『七色村』などで描いてきた私的記憶ドラマを総括する作品だった。「ステディカム? なにそれ」な吉田秀夫の手持ち撮影も健在だし(フィルム撮影でないのは残念だが)、豊かな音楽のほかに細かな効果音や現場音が繊細に構築する岩崎進の効果も楽しめる。その一方、放送時間の軛を外れたからかもしれないが、140分は長過ぎた。「川シリーズ」ではいつも膨大なフィルムを80分に凝縮していたそうだが、この作品では編集の潔さが後退し、戦時中のエピソードが説明じみてしまった。そこは弛みを感じさせる。
「母性への憧憬」と「自由を疎外する者への反発」の衝突、佐々木の可能性と限界が如実に表れた作品とも言えるし、失望を抱く観客もいるだろう。しかしスカウトしてきた韓国人女性に戦時中の自分の母を演じさせる大胆不敵さ、テーマを原爆問題まで広げる大風呂敷、基調音となるモーツァルトのほか、韓国の「アリラン」や滝廉太郎の「箱根八里」、並木路子の「リンゴの歌」、メロディが同じの「ジョージア・マーチ」と「東京節」などを紡ぎに紡いで母に捧げるプロモーションビデオに仕立てる力技は、佐々木がかつて作ったラジオドラマ『コメット・イケヤ』や『おはよう、インディア』のインパクトに劣らない。

「ジュピター」はモーツァルト最後の交響曲であるが、これは今年79歳の佐々木昭一郎最後の交響曲になるのだろうか? むしろ佐々木ドラマから受け取った「夢」を反復し、それを「癒し」だの「祈り」だのの感情で安易に消費せず、倍音を響かせてゆくのはこちらの役目なのかもしれない。そんなことを感じた待望の新作鑑賞だった。

 

 


 この文章を最後まで読めた猛者のために、You Tubeにアップされていた佐々木昭一郎のラジオドラマ『コメット・イケヤ』(1966)を紹介する。

 

 

 

19歳の池谷青年が新彗星を発見したというニュースを、盲目の少女が点字新聞で読んだことから始まる音響詩。構成は寺山修司で、1966年のイタリア賞(国際番組コンクール)を受賞している。
 タグを探れば最初期の代表作『都会の二つの顔』(1963)、『マザー』の横倉健児が初登場した『おはよう、インディア』(1966)もアップされているので、興味を持った方はチェックしてほしい。佐々木昭一郎による自作解説はこのサイトを参照

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