星虹堂通信

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冒険と日和見〜アロッタファジャイナ公演『安部公房の冒険』




公式サイト http://alotf.com/stage/abekoubou/

 

 1985年、NHKのインタヴュー取材を受けた安部公房は、長年にわたって続けてきた演劇活動を休止させた理由に触れ、現在の心境を桜の園と語っている。過ぎ去りし栄華の象徴である桜の園に思いを馳せる、ラネーフスカヤに自身を重ねたのだろうか。そういえば、チェーホフ安部公房はどこか似た要素が多い気もする。共に医学を学んだ作家であり、過去への閉塞と未来への躍進、このふたつの感情の相克を描き続けた点においても。

 そんなことをふと思い出させる、アロッタファジャイナ公演『安部公房の冒険』(作・松枝佳紀、演出・荒戸源次郎だった。ここでは、小説家・劇作家として活躍を続けてきた安部公房が、演出家として新たな「冒険」に乗り出す姿、そしてその推進材となった女優との恋愛と、長年連れ添った夫人との三角関係が描かれる。
 熱っぽく芸術論を語る有名作家と、そのファンである若い女性の関係は、チェーホフの『かもめ』における、流行作家トリゴーリンと女優志望の娘ニーナの関係を彷彿とさせる構図になっている。この芝居における安部公房は、トリゴーリンと、演劇の革新をめざす作家志望の青年トレープレフ(ニーナの本来の恋人)が合体したような存在だ。ちなみに、『かもめ』もまたチェーホフの私的要素が色濃く反映された戯曲であり、トリゴーリンが雄弁に語る芸術論は、チェーホフその人の思想がこめられているという。

 さて、安部公房を素材にしての『かもめ』再解釈という試み、はたして成功しているだろうか?
 舞台『安部公房の冒険』に登場するエピソードは、その大半を山口果林の手記『安部公房とわたし』に拠っている。「原作」としてクレジットされていないのが奇異に映るほどの引用ぶりだが、そのあたりはどうなっているのだろう。ともあれ、舞台においては安部公房と真知夫人は本名で登場するが、愛人となる女子大生は「茜」と仮名になっている。

 1970年代はじめ、安部公房は新潮社からマイペースで書き下ろし長篇を執筆する一方、劇作の方では自作自演出の演劇グループの結成を模索していた。そして西武グループ堤清二辻井喬)の後援によって「安部公房スタジオ」の旗揚げが実現する。目標は、それまでコンビを組んできた巨匠・千田是也の演出を離れ「世界初の試み」と自称する独自の演技システムを構築し、自らのヴィジョンに忠実な舞台を完成させること。そして将来的には本格的な映画製作や作品のソフト販売まで視野に入れていたという。『安部公房の冒険』でも冒頭、未来の幻視者である安部公房が、熱っぽく「演劇の可能性」について語ってくれる。
 この時期の安部公房がライバルと目していたのは、演劇・ドラマの世界で前衛の極北を行くサミュエル・ベケット、「脅威の演劇」の発明者であるハロルド・ピンターヌーヴォー・ロマンの代表作家であるだけでなく、映画監督としても活躍するアラン・ロブ=グリエたちであった。
 しかし、世界と戦える前衛演劇をめざしてスタートした「安部公房スタジオ」だが、国内では批評面・興行面で満足のいく成果を得られなかった。安部公房の冒険』では、安部公房が劇評を読んで率直な苛立ちを妻・真知にぶつける場面が描かれる。真知は、作家として有名人である安部が大資本家・堤清二のバックアップを受けて演劇活動を行うこと自体がすでに憎まれる原因なのだ、と諭す。終戦直後の極貧生活を経て現在の地位を確立したという自負を持つ安部公房は愕然とする。このあたりは佐野史郎の好演もあり「芸術家の苦悩」が実感ある表現で描かれる。
 当時、唐十郎率いる状況劇場手弁当で中東に乗り込み、『ベンガルの虎』を現地語で上演したり、寺山修司率いる天井桟敷が阿佐ヶ谷で大規模な市街劇『ノック』をハプニング的に上演したことは熱狂的に報じられ、演劇人や若い観客の支持を集めていた。彼らにくらべると、安部公房スタジオの実験は、当時の観客にとって微温的かつ中途半端に思えたらしい。安部公房からすれば、いわゆる「アングラ劇団」のヒステリックで情念的な演技やモチーフの土着志向、観客との安易な同調を狙うあざとい演出なぞ、稚拙で泥臭い表現でしかなかったはずだ。それらが「現代の前衛」ともてはやされることに激しい憤りを感じたことは想像に難くない。
 そのような「創造のジレンマ」が、二人の女の間を行き来する作家の姿と有機的に交錯する構成が組み立てられていたら、『安部公房の冒険』は非常に興味深い作品になっていただろう。ところがこの芝居は肝心な「作家がどんな表現をめざしていたか」についてはいっさい触れてくれない。『安部公房とわたし』を読んで、「ほう、そんなことがあったのですか」とびっくりしたエピソードを再現して羅列するだけの不倫劇として終わってしまうので、観ているこちらがびっくりさせられてしまう。なにしろ安部公房独自の演技論についても、茜を相手にふざける場面でほんの一瞬語られるだけ。安部システムの基本用語である「ニュートラル」の一語すら登場しないのだ。
 主人公の「作家性」を掘り下げるよりも、作家の男と二人の女の恋愛という側面に重点を置き、より普遍的な不倫劇に展開させようとしたのだろうか(公演パンフレットによると、初稿は固有名詞も出さずにかなり自由に書かれていたそうだ)。それならば、なぜ「道化」が解説役としてくり返し現れては舞台の時間を中断するのだろう。数十年前のアングラ演劇から迷い込んできたような白塗りの「道化」が、冒頭から安部公房にまつわる、それもwikiから引用してきたような情報を生硬なパフォーマンスで語り続ける。そのため観客の理解は「この舞台は『安部公房という作家の評伝』の一部なのだな」と受け止めるしかなく、ファンタジーの方向へ飛翔することも、不条理劇の方向に逸脱することも許されない。例えば冒頭、安部公房の母がかつて『スフィンクスは笑う』という小説を出版した、などというやたら細かい情報まで語られるのだが、これがいったいなんの意味があるのかと思えばラストで唐突に『スフィンクスは笑う』が小道具として登場するのだ。セリフを聞く限りではどうもスフィンクスという存在になにやら象徴性を持たせようとしたようだが、なんの効果も加えられずに白けるばかり。削ぎ落した表現で演劇を行うための計算が最初から立っていないように思われる。

 この物語をまったくオーソドックスな恋愛劇としてとらえようとしても、真知と茜という二人の女性に色気も活気も与えられないのでやはり難しい。安部公房の「書く」姿が描かれないように、この二人にも「描く」及び「演じる」姿が描かれないのだから当然だ。安部作品に登場する女性像の原イメージになっている、という大雑把な説明しか語られないのでは、優秀な舞台美術家であり、終戦直後から極貧生活を支えながら生活を共にしてきた真知と、世界水準の前衛演劇に参加する意欲に燃え、テレビドラマの主役に抜擢されて女優として開花してゆく茜という二人のキャラクターの対比は掴めない。
 セックスに関するセリフを独自に織り込んではいるものの、それが作品にどう昇華されているのかの裏付けもないまま、陳腐な言葉だけが垂れ流されてゆくため、どうにもひっかかりようがない。せめて70年代における安部作品の性愛イメージの変化について鋭く切り込むことができていれば、セリフに艶も奥行きも与えられたのではないか。つまり全般に突っ込み不足。だから茜が真知から投げつけられた「あなたが先生の芸術に貢献できているとは思えない」という言葉に対し深刻に悩み、安部公房から離別しようとする展開も迫ってこないのである。
 茜と真知の対立は安部公房スタジオのアメリカ公演中に決定的となり、茜はスタジオからの脱退を決意、離別を切り出すが安部公房は拒否する。『安部公房の冒険』はこの場面をクライマックスとして設計されるべき物語だが、どういうわけかその後もダラダラと癌闘病の話が展開してしまう。安部公房スタジオのアメリカ公演は大変な好評で迎えられ、7年に渡って試行錯誤を続けてきた「世界水準の前衛演劇」がようやく満足のいく反応を得られた瞬間だった。それなのになぜ活動を休止させなければならなかったのか。「創作と恋愛」テーマできちんと構成できていれば、ここになんらかの仮説が建てられたはずだが、戯曲は茜も真知もとらえ損ねているので、凡庸な「男の身勝手」の側面しか見てとることができない。
 舞台セットは下手に教授室兼書斎の部屋と、上手に家庭内のリビングが設置され、赤と青の照明で明快に色分け、二人の女の居場所をシンプルに対比させて美しい。が、この明快な図式が舞台になにか貢献できたかというと、これも疑問である。荒戸源次郎の演出は、かつて鈴木清順監督『ツィゴイネルワイゼン』など意欲作を次々プロデュースした妖しい迫力も、監督作である『赤目四十八瀧心中未遂』などで見せた禍々しい官能性も今回はどこかに置き忘れてきたらしく平板そのもの、安部公房の演劇的「冒険」を取り上げながら、製作陣の冒険心がこのテーマを舞台にかけた時点で立ち消えてしまい、あとは日和見に終始しているのが強く不満だった。

 安部公房を演じる佐野史郎は、すでに映画・ドラマ・舞台・アニメにおいて、夏目漱石宮沢賢治井伏鱒二北杜夫など数々の文人を演じてきた。今回の安部公房役は特に本人に似せる役作りはしていないものの、状況劇場出身である彼が、70年代という時代に溶け込み、創造と官能のはざまに揺れる芸術家を楽しんで演じようとしていることが伝わってくる。真知役の辻しのぶは、なにかを感じさせる佇まいではあるのだが、役の描き込み不足が惜しまれる。茜役の縄田智子はまだまだセリフを運搬するだけでせいいっぱい。
 ただ、仲代達矢や井川比佐志ら新劇で鍛えた俳優と、経験の浅い若い俳優たちとの演技に齟齬が見られたと語られがちな、安部公房スタジオの初期公演(例えば、田中邦衛と二人の若手女優で演じられた『ガイドブック』)は、もしかしたらこれに近い印象のアンサンブルだったのではないか……、などとつい想像させられもした。

 改めて、演劇活動を『桜の園』と総括した晩年の安部公房を思い出そう。『桜の園』には、過去の楽園の崩壊と同時に、新たな世界への再出発も描かれている。安部公房も四半世紀にわたって続けて来た演劇活動を打ち止め、80年代には箱根の山荘に隠遁した。しかし、安部公房の「冒険」は、その後も続いたのである。長編小説の執筆の傍ら進められた、独自の言語論研究(クレオールへの興味やアメリカ論の構想もこれに含まれる)という形によって。この方針転換は、エリアス・カネッティガルシア・マルケスといった、新たにその存在を知った文人たちの活動に刺激を受けたものだろう。安部公房の冒険』には、安部公房エリアス・カネッティについて興奮気味に語る場面は唐突に出てくるが、やはり情報の域を出ない。むしろこの時期、安部公房は夫人とも愛人とも同居せず、基本的に独居という形を取っていたことに注目してほしかった。90分の尺でむりやり癌闘病のエピソードまでねじ込むのなら、こうした<老残>の日々を迎えた前衛作家の意地と女たちとの心理対立まで、例え残酷であってもドラマの形で直視しなければならなかった。
 チェーホフは『かもめ』に先立つこと7年前に老境の大学教授ニコライが、かつて可愛がっていた養女で、今は挫折した女優であるカーチャとの再会を小説として発表、行き詰まる人間の心理と、時間というもののもろさ・はかなさに普遍性を持たせて描ききった。この物語に『退屈な話』と題名をつけるのがチェーホフらしいところだが、そういう機知もなくただ「退屈な芝居」となってしまっては困るのである。

 映画や演劇で好んで採り上げられる文人と言えば、夏目漱石太宰治三島由紀夫などがまず挙げられるだろう。この分野では大きく遅れを取っている安部公房だが、今回の上演をきっかけに、より魅力的でより得体の知れない、贋・安部公房がさまざまなメディアに登場することを期待したい。


安部公房スタジオ最後の公演『イメージの展覧会Ⅲ/仔象は死んだ』(1979)パンフレット


デザイン・田中一光アメリカ巡業を終えての凱旋公演だった。