星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

放送ライブラリーで安部公房ドラマを楽しもう!<ラジオドラマ篇>



週刊ポスト 2012年3月2日号の特集。隣ページのグラビアは吉木りさ


前回に続き、横浜の放送ライブラリーで視聴可能な安部公房ドラマの解説です。今回はラジオドラマ篇。




『棒になった男』(1957年・30分)
 芸術祭奨励賞を受賞し、安部が放送劇の世界にのめりこんでゆくきっかけとなった、重要な里程標と言える作品である。
 原作は1955年発表の短編小説『棒』。デパートの屋上から棒となって墜落した男を描く変身譚だ。1969年には、安部自ら演出した舞台『棒になった男』第三景として戯曲化されている。 全編に渡っての朗読は、民藝の宇野重吉。そして棒に審判を下す「変な男(実は地獄の男)」は芥川比呂志、「助手(実は地獄の男)」が小池朝雄文学座コンビ(ちなみに芥川は舞台版『棒になった男』でも同じ役を演じている)。大筋は小説と同じだが、ラジオドラマ版では、「棒になった父を探す子供」を展開の中心に据えている。子供が「お父さん……お父さぁん……」と連呼する声を聞きながら、棒が「おれのせいじゃない!(びっくりしたように弁解がましく)いや、やっぱり、おれのせいかもしれんな……」と言い聞かせる悲痛さは、小説以上に迫るものがある。感傷的すぎると判断したのか、後年の戯曲からはオミットされてしまった要素でもある。
 加えて音響のコラージュがすばらしい出来映えだ。冒頭は音楽・佐藤勝によるトランペットの音色が鮮烈なモダンジャズ。そして道路を走る自動車の音、道行く人々のざわめき、声をかける靴磨きの一団の声……休日のデパート周辺のノイズが立体的に構築されることで、「棒」になった男、いや「棒」として生きて来た男が暮らす昭和30年代前半の現実がまざまざと浮かび上がる。そこへ響く、「棒」が路上に落ちる音。安部公房が、

「あの音を聞かされてから、私はやっと、ラジオの本当の面白さがわかりかけたようなものである」(全集17 p292)

 と書いたほど、「棒」のイメージを即物的に表現した音である(制作に参加した山口正道によると、作成に一晩かかったそうだ)。
 演出は文化放送の大坪都築。ラジオドラマを手がけてまだ数作目の安部は、大坪の演出技術から大きな刺激を受けた。大坪はその後、1963年に収録現場で倒れ、41歳の若さで急逝。安部は追悼文を書き、その早すぎる死を惜しんでいる。




こじきの歌』(1958年・30分)
 鮮やかなギター曲の調べから、『私は貝になりたい』でブレイクする直前のフランキー堺が陽気な声で、「なぜ人は犯罪物語を好むのか?」という話題を始め、やがて「ある犯罪物語」を語り出す。田舎で暮らす農家の夫婦(フランキー堺宮城まり子)の前に、ギターを持った渡り鳥ならぬ乞食風の男が現れ、意味不明な歌を歌う。居留守を決め込んだ夫婦だが、「クレー クレー バン バン」と執拗にくり返される歌声にすっかりウンザリして降参宣言、男に言い値で金を恵んで追い払うことにする。ついでにこの災難を隣の老人にお裾分けしてやろうと男を差し向けるが、男はすぐに帰ってきてしまう。いったいなぜ……。
 マクラから始まる展開、少ない登場人物、そして脱力のオチ、ときわめて落語的な物語だが、「田舎」が舞台であり、歌詞の魅力を生かす音楽劇でもあり、そして狭い空間からこわごわと外界を「のぞく人」の物語である点が、まさしく安部印のドラマだ。そして、安部が執着するモチーフが「幽霊」から「乞食」へと移ってゆく嚆矢となった作品でもある。自宅前に意味不明に現れた異者とのコミュニケーションをめぐる展開は、『箱男』のエピソード「たとえば、Aの場合」を彷彿とさせなくもない。
 男の歌うギター曲をはじめ、突然始まるフラメンコ調の曲など、大いに遊んでいる音楽は林光。聞き終わった後には、誰もが「クレー クレー バン バン」と口ずさみたくなるだろう。
 なお、この作品は3年後、合唱劇『乞食の歌』として改訂され、観世栄夫の演出で他人会により上演されている。物語はラジオ版と同じだが、夫婦が家の中に閉じこもったまま、疑心暗鬼に妄想をふくらませてゆく様子が合唱歌詞で表現され、よりショーアップされている。「記録芸術の会」だけでなくミュージカル研究会「ゼロの会」にも参加していた安部だが、彼のめざすミュージカルとは、決してレヴューショー主体の明るく華やかな「清く正しく美しい」エンタテインメントなどではなかった(なにしろ『乞食の歌』である!)。舞台という虚構の空間に、歌や音楽、踊りを総動員して、いかに現実を再構築するか。ミュージカル劇『可愛い女』やシュプレヒコール劇『石の語る日』など、オペラ嫌いのくせに歌劇の可能性を探る実験を行っていた安部の方法論を知る上で、『こじきの歌』はひとつの貴重なサンプルといえる。



『吼えろ!』(1962年・40分)
 経営に行きづまったサーカスの老座長が、飼っている三本足のライオンを、どこかのトラと戦わせようと「ライオンVSトラ」の猛獣デスマッチ興行をぶちあげる。試合当日、客席はひさびさの満員御礼。いざ檻を開けて二匹を対峙させるが、ライオンの取った行動は……という物語。
 サーカスという幻想空間を支配する老座長と、そのスターだった三本足のライオンが、最後の晴れ舞台で精神的な心中を遂げようとする。しかし、予想外の売上に目の色を変える座員、血まみれの刺激を求めて集まる観客たち、はたして「猛獣」はどちらなのか。この年、『砂の女』、『人魚伝』発表している安部公房、絶頂期の一作である。
 キャスティングは、サーカスの座長に宇野重吉、座員に井川比佐志、佐野浅夫山岡久乃。その他の役に、小沢栄太郎、矢野宣、市原悦子新劇オールスターズが揃って超豪華。特に宇野の声は老座長の寂寞たる心情を伝えて出色の出来。また、観客席が興奮し野次が飛び交う中、市原悦子のウグイス嬢が例のノンビリした調子でアナウンスを告げてゆく絶妙な可笑しさは、ぜひとも現物にあたっていただきたい。音楽は芥川也寸志で、くり返される「草原のテーマ」の地を這うような重厚なメロディは、聞く者を戦慄させる。
 入念なリハーサルがくり返されたらしく、俳優陣の演技がひときわ充実しているだけでなく、脚本と比較すると細かな台詞の修正・削除・入れ替えが行われ、より完成度を高めている。ロケーションによる新鮮でリアルな音をコラージュした音空間も贅沢そのもので、ライオンの咆哮、試合場の群衆処理なども繊細に構築されている。
 この緻密な演出を支えたのは、グループによる集団演出スタイルだった。『吼えろ!』は大熊邦也のほか、山内久司、中川隆博の計三人の名が「演出」にクレジットされており、このうち山内久司は後にテレビドラマ部に移り、伝説のドラマ『お荷物小荷物』などを制作するほか、藤田まこと主演の『必殺シリーズ』を起ち上げ「ドラマの神様」と呼ばれる人物である。なお、グループのまとめ役を担当したプロデューサー・阪田寛夫は後に作家に転身、1975年には芥川賞を受賞している。
『吼えろ』はこの年の芸術祭賞(現在の大賞)を受賞し、その後フランスでも放送された。まちがいなく安部のラジオドラマ作品を代表する傑作であり、現在聞いてもいささかも古さを感じさせないが、安部自身は放送台本を集めた『現代演劇の実験室 安部公房集』のあとがきで、こんな評価を下している。

『吼えろ!』はいささか異端児であり、メディアにこだわりすぎて窒息死した例であることを認めよう。(全集23 p103)

『吼えろ!』はラジオドラマのみで完結しており、その後、演劇や小説に展開されることはなかった。安部にとって、「完璧なラジオドラマ」を作ってしまったことは強い不満だったのだ。安部が創作によって描く「もうひとつの現実」とは、決してひとつのジャンルの中に安住してはならず、むしろジャンルの枠を飛躍してゆく柔軟性を持っていなければならなかった。それゆえ、安部公房が次に取り組んだ作品は、「ラジオドラマ」という規格そのものを解体・拡大してみせる実験作となったのである。




『チャンピオン』(1963年・25分)
「ドキュメンタリーポエム」とサブタイトルがつき、作・構成は「安部公房武満徹」のクレジット。当時後楽園スタジアムにあった田辺ボクシングジムで、安部と武満が録音機材片手に現場音収録やインタヴュー取材を行い、集まった音素材を編集しながら、武満が音楽を、安部が言葉を紡ぎ出して構成した一種の「音響詩」である。
 まず始まりはパンチングボールの響く音の連鎖。そして男のつぶやき声が「負けちゃいられねぇよなぁァ……勝つさ……勝つとも」、そして畳みかけるように、現場のトレーナーや練習生の若者たちのかけ声・会話が無造作につながって言葉の洪水を生み出す。その言葉をかき消すのは縄跳びの音。そしてまた男のつぶやきがかぶってゆく……。きょうび、ラジオをつけたところでこんな番組が流れてきたら、「ウチのラジオはついに怪しげな電波を受信し始めたのでは?」と誤解されるかもしれない。
 演出の武敬子は企画意図に「ボクサーを現代人の象徴であると考え、それを(言葉だけに頼らずに)音で表現しようとしました」と書いている(注3)。ちなみに、武もまた後年テレビドラマに転じ、安部公房の『目撃者』をプロデュース。後に『男女七人夏物語』などを制作した人物である。
 人生とはチャンピオンをめざす戦いの日々であり、多くの現代人は敗北してゆくのだ、という図式。象徴劇としてはわかりやすいコンセプトだが、安部にとっては、この実験は「音だけの表現」に収まらない狙いがあったようだ。
 まず影響を感じさせるのは、1950年代に若手の音楽家の間で流行した「ミュージック・コンクレート(現実のノイズと楽器の音を加工・構成して行う現代音楽の一ジャンル)」。共同制作者の武満徹は、その第一人者としてすでに『ヴォーカリズムA・I』や『木・空・鳥』などの作品を発表していた。そして文学技法における「意識の流れ(人間の主観的な感覚や意識の変化をそのまま延々と綴ってゆく技法)」ジョイスやフォークナー、ヴァージニア・ウルフなど外国文学が試みていた前衛テクニック。安部は、音楽における「ミュージック・コンクレート」と、文学における「意識の流れ」というふたつの技法を融合させることで、人間の感情を写実する新たな表現を生み出そうと考えたのだろう。
 そして『チャンピオン』の実験に手応えを感じた安部は、1964年には音の要素を排除し、『時の崖』のタイトルで小説化する。1969年には『棒になった男』の第二景として舞台化、さらに1971年には自身の監督で映画化も行った。ボクシングジムの取材経験は、ラジオ・文学・演劇・映画とあらゆるジャンルでアプローチしてゆくことが可能なモチーフへと発展・成長した。作品の中で話される言葉はどこまでも写実的でありながら、作品全体としてはきわめて抽象的な安部公房の世界。タイトルが『チャンピオン』から『時の崖』に変更されたのは象徴的だ。まさに一瞬一瞬、常に崖っぷちに立たされている人間の意識そのものを、数々のメディアからとらえ直す連作として、個々の作品がまたお互いを批評しあっているのだから。
 なお、『時の崖』は、舞台・映画ともに「男」を井川比佐志が演じているので、当然『チャンピオン』でも井川が男役を演じているのだろうと思いきや、聞こえてきた声が風車の弥七俳優座中谷一郎。ただし井川も別の声役で参加している)だったのには驚かされた。全集によると、1966年には露口茂が男役を演じた版も制作されているそうで、そちらも聞いてみたいものである。


 以上の7作品を観賞するだけでも、かつての安部公房が、当時の優秀な才能たちと共闘しながら、イマジネーションを彫琢していった過程をうかがうことができるだろう。そう、安部公房は「更新」の作家だった。作品発表の場を軽やかに移動し、他者の才能を貪欲に吸収しては、着想のバージョンアップをくり返した。

 創造とは、自分なりに試みる屑さらえだと考えれば、活字で作曲し、ピアノで絵を画き、ダンスで思考することだって可能なはずではないか。ぼくは自分の作品に、小説だとか、ドラマだとか、シナリオだとか、そんな区別は与えたくない。出来ることなら、単に「作品」とだけ呼ぶことにしたいと思うのだ。(全集23 p103)

 創造についてこのように語る安部は、自分自身をも常に更新していった。長編小説の執筆を軸に置きながら、詩人から短編作家、そして劇作家・放送作家、さらに演出家へと。現在、書店の文庫本コーナーで手に取ることのできる安部作品は、そんな多面体・安部公房のほんの一面にすぎない放送ライブラリーで現存する安部ドラマに触れることは、新たなる安部迷宮の入口発見の手がかりになることは確実だ。二一世紀の読者も、安部の飛ばした「ジャンルやメディアを超えて流動するイメージの核であり、羽のある種子のようなもの」(全集23 p103)を受け取ってみようではないか。


(注3)全集17巻作品ノートp5

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ここから先は、本日書き足した補足。

今秋(2014年)、俳優座で公演が予定されている『巨人伝説』だが、テキストのト書きにおいて、セットに紗幕を使い、映像を映写することを指示しているのが特徴だ。友田義行『戦後前衛映画と文学〜勅使河原宏×安部公房によると、1960年の初演時には巨大なワイドスクリーンが舞台奥に設置され、戦時中のニュースフィルムや脱走兵のシルエットなどのイメージ映像がテキストの指示通りに映写されたという。映像演出を担当したのは、後に安部公房の作品を次々と劇映画化することになる勅使河原宏だった。舞台に映像を使用するのは、かなり早い試みだったと思われる。
『日本の日蝕』と『巨人伝説』のテキストを読み比べるとわかりやすいが、肝心の「脱走兵」が不在の存在として描かれていたドラマ『日本の日蝕』と異なり、舞台『巨人伝説』では脱走兵が具体的なキャラクターとして登場、その上、物語が戦時中だけでなく現代(1960年)にまで発展する。映像の使用は、戦後15年経っても、地方及び日本全体にこびりく封建制・前近代性をより象徴的に浮かび上がらせるための試みと思われる。ただし、テーマを不在の脱走兵に集約できていた『日本の日蝕』にくらべ、『巨人伝説』は安保問題で揺れる現代までも諷刺しようとする野心が勝り過ぎ、テーマが拡散してしまった印象を受けた。
今年の上演では安部公房の演劇を総合芸術として捉え直そうとする意欲をどのように料理するのか期待したい。

2013年12月に発行された鳥羽耕史・編『安部公房 メディアの越境者』の中で、高橋信良(『安部公房の演劇』著者)が、「安部演劇の可能性と限界〜『未必の故意』の劇構造を中心に」という論考を寄せており、そこではドラマ『目撃者』と戯曲『未必の故意』の比較検討もなされている。
高橋は『目撃者』のシナリオ上のラスト、撮影隊に島民が襲いかかる場面について、これはいわゆる劇的効果を狙ったもので、「なぜ撮影隊も殺されなければならないのか、彼らがなにを知りすぎたのか、といった理由付けがまったくない」ため、「暗示を多用するばかりで、その結果の積み重ねを怠ったのだ」と批判、それゆえ実際のドラマでは結末が変更されたのだろうと解釈しているが、はたしてそうだろうか。
『目撃者』のテキストを読めば、ラスト直前、撮影隊が被害者であるヤクザの妻から、被害者の暴君としてのイメージが、よそ者を嫌う島民たちによって捏造されたものであり、島民の「知らないものはなんでも怖がる」性質が指摘される場面がある。この場面は、まさにそれまで幾度も暗示されてきた、「撮影隊もまたよそ者でしかない」ことを実感させるために描かれていることは明白だ。迷路に踏み込んだ撮影隊は、真実追求よりも無事に撮影を終えることを優先しようとするが、そんな彼らに対しても島民はやはり牙をむき出しにする。いや、カメラに向かって押し寄せる島民たちとは、現実に起こった暴力なのか、不安にかられた撮影隊が見た「妄想」なのかも判然としない。一見、安易な衝撃効果を狙ったように見えるが、安部公房にはそのような「ドキュメンタリーの映像すら現実・非現実の境界があいまいになる」という開かれた結末を描く意図があったはずだ。「暗示」の結果が描かれないため、『目撃者』脚本版の結末は映像よりも演劇的(観客の想像力に委ねるもの)と高橋は指摘するのだが、暗示に対して常に呼応する結果を描いていたら、それは「説明」以上のものにならないのではないか。ホラー映画でも、怪物が人を襲う理由が順序だてて説明されることで、怖さが倍増するなんてことがありうるだろうか。

安部公房 メディアの越境者』には、鳥羽耕史による論考「メディア実験と他者の声〜『チャンピオン』と『時の崖』」も収録されており、そちらでは『時の崖』のメディアミックス展開が詳細に検討され、企画の原点及び細部の演出において、勅使河原宏監督がプエルトリコ人ボクサーを追ったドキュメンタリー映画『ホゼー・トレス』(1959)、『同パート2』(1965)からの影響がうかがえる点を指摘している。『ホゼー・トレス』と『チャンピオン』、どちらも武満徹が参加している点が共通している。『ホゼー・トレス』は「勅使河原宏の世界 DVDコレクション」に収録されているので、視聴可能だ。興味を抱いた方は、比較してみても面白いだろう。
それにしても安部公房監督による短篇映画『時の崖』(1971)ももっと簡単に観られるようにならないものだろうか……。