星虹堂通信

旧ブロマガ「スローリィ・スローステップの怠惰な冒険」の移転先です

キネ旬の「映画監督、キム・ギドクの死に寄せて」を読んで



個人的にもっとも好きなギドク作品『サマリア』(2004)

 1月20日の夜、アメリカのバイデン新大統領就任式を眺めながら、「キネマ旬報」2月上旬号を開いたら、追悼特集が3本も載っている。ひとつは岡田裕介東映社長、もうひとつは東宝出身の小谷承靖監督、そして最後に韓国のキム・ギドク監督だったのだが、キム・ギドクだけ「追悼」の二文字はなく、「映画監督、キム・ギドクの死に寄せて」という特集名になっている。
 2017年から2018年にかけて、複数のパワハラ・性暴力問題で告発され、国際映画祭の常連である鬼才監督から凶悪な鬼そのものへと評価が転落してしまったキム・ギドク。その存在を「なかったこと」とはせずに、あえて特集を組んだキネ旬紙面には、彼の顔写真すら載っていない。ギドクと個人的に交流が深かった杉野希妃のインタヴューと、成川彩の韓国映画界レポート、四方田犬彦の作家論が配置されている。
 記事の中では、杉野がキム・ギドク「常に自問していた人間」と回想するのが印象深い。

 キム・ギドクの作品は一時期、熱心に追いかけていたことがある。その後も日本未公開作の『Amen』(2011)以外はいちおうすべて観ていたのだが、近作は密度の低下が著しく、例の報道を知ったことも影響して、去年3月公開の『人間の時間』(2018)はパスしてしまった。
 ヤクザ、娼婦、泥棒、浮浪者、脱北者、死刑囚など韓国社会の底辺層に目を向け、暴力とセックスにあふれた物語を露悪的に、かつ色彩豊かに描き出すキム・ギドクの作風は、「痛み」を媒介とした社会とのコミュニケーションだとか、被虐者にこそ福音が訪れるというキリスト教感覚だとかいろいろ解釈する人がいたが、私から見ると往年のATG映画や『ガロ』掲載の漫画に通じるアングラ・カルチャーの更新版であり、根本敬蛭子能収山野一、ねこじる、山田花子らの漫画の同類として楽しんでいた。90年代悪趣味ブームの延長というべきか。
 ギドク作品には意外に女性ファンが多かったのだが、現実の残酷さをあえて誇張した作品に触れることで、逆に癒しの効果を得るという感覚は、今でも多くの人が持っているはずだと思う。
 しかし、キム・ギドク自身はサブカルチャーの教養などぜんぜんなく、むしろエゴン・シーレを敬愛する古典的な芸術家意識に固まった人だったらしい。むしろシーレのようにありたい、という願望ゆえに数々の暴虐に及んだのではないかとさえ思う。なにしろ韓国と北朝鮮の境界あたりのど田舎出身、工員から海兵隊に入って5年も鍛えられ、突然画家を志して30歳でパリへ行くまで、映画を観たことがなかったという。そんな彼が吐き出すように量産した作品には、確かに野人めいた荒々しさがみなぎっており、同じく露悪的な作風で知られるラース・フォン・トリアーミヒャエル・ハネケらの作品に比べても、キム・ギドクはもっとも「上出来」から遠く、「天然」の香りが濃厚だったし、後続世代のポン・ジュノパク・チャヌクといった教養豊かな映画人がハリウッドに進出しても、キム・ギドクは絶対そうはならないしなれないだろう、という妙な信頼感(?)があった。

 一方、キム・ギドクは早くに燃えつきてしまった作家でもあった。作品歴を振り返ればそのピークが『宛先人不明』(2001)と『悪い男』(2001)なのはあきらかだ。最も完成度の高い『春夏秋冬そして春』(2003)を最後に、その作品世界はより抽象化し図式的なものになり、じょじょに痩せていった(その辺りは日本の北野武にも通じる)。
 最後の佳作は『弓』(2005)だと思うが、以後の作品からは衝撃力のあるモチーフを無理矢理つむぎ出そうと苦心している様子がうかがえた。とりわけくだらなかったのは『アリラン』(2011)で、「撮影で女優に重傷を負わせたショックで山に籠もったキム・ギドクが、自問自答の様子をデジカメで撮り続ける」という体裁のこの作品、はっきり言って自己憐憫のたれ流しにしか見えなかったが、これでカンヌ映画祭「ある視点」部門最高賞の評価が得られるというのは、かつての自意識こじらせ系サブカル愛好者から見ても退嬰的な現象に思えたものだ。「これじゃギドクは“次”へは行けないな」と直感した。だいたい書けない作家の泣き言など文学の世界にいくらでもあったではないか。

 そして伝えられたパワハラ・性暴力問題。これがキム・ギドクの過去作品の評価にどう響くかは、観る側が映画のどこに評価軸を置くかによるだろう。ヒッチコックがティッピ・ヘドレンにセクハラをしていたから『鳥』はもう評価できない、と考える人もいるだろうし、撮影用に本物の猫を殺した『幕末太陽伝』は今や無価値だ、と考える人がいてもいい。ただし、映画やテレビ、舞台の現場というのは、大昔から現在に至るまでさまざまな暴力に満ちた野蛮な世界なので、後になってあきらかになった事実をもとに歴史的評価や個人の印象に修正を加えようとするのは無理がある。むしろそうした事実を周知することで、「これだけの人間の奉仕や常識外れの行為が行われたがゆえに芸術が完成したのだ」などと美談化する風潮を戒め、より平和で安全な制作環境を整えていく方が建設的だと思っている。そうでなくてはまたおかしな芸術家幻想に固まったギドクのような男が出現しかねない。

 さて、キネ旬の特集では、四方田犬彦の論考にキム・ギドクが最晩年に書いたメールが紹介されていた(翻訳が硬くて少しわかりにくいが)。裁判で敗訴してなお被害者への謝罪ひとつなく、ラトビアへ逃亡して映画製作を続けようとしていたギドクが何を語ったのかと思えば、そこに反省の弁はいっさいなく、韓国から遠く離れた地に漂流する自分を見据える達観した内容だった。四方田はキム・ギドクは苦い記憶しか残っていない韓国と韓国人にもはや何も期待しなくなっていた」と、その絶望の深さを指摘するが、ちょっと違うのではないか。
 私にはむしろ、「追放者」という境遇を得たことで、新たな芸術創造への期待を込めた不気味なメッセージにしか読めなかった。ある意味では芸術家の“業”なのかもしれない。しかし、キム・ギドクが飽くことなくくり返してきた「自問自答」とは常に他者が存在しない自己本位なもので、作品で描き続けてきた「痛み」も、独善的な自傷行為に過ぎなかったとすれば、作家としてたちまち行きづまったのも納得である。

 キム・ギドク、2020年12月11日、新型コロナウイルス感染症によりラトビアにて客死。享年59。彼が愛したエゴン・シーレもまた、スペイン風邪にかかって28歳で急逝したのだった。

 

2021年に振り返る、寺田ヒロオの世界@トキワ荘マンガミュージアム


公式サイト https://tezukaosamu.net/jp/mushi/entry/25467.html


 新年早々、2度目の緊急事態宣言が発出されることになったものの、こちらの日常にはたいした変化は起こらない。いちおうテレワーク推奨で出社を控えろ、という指令が出てはいるものの、仕事の納品スケジュールに影響が出ないのだから、あちこち駆けずり回る日々はあいかわらずだ。さて、まもなく2年目に突入するコロナ禍はどうなるのか。

 というわけで年明けから忙しいことになっているのだが、それでも豊島区のトキワ荘マンガミュージアムで開催されている、トキワ荘のアニキ 寺田ヒロオ展」には期間終了ギリギリに駆けつけることができた。


トキワ荘マンガミュージアム全景

 私は子供のころにNHKで放送された『わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝』を見て以来のトキワ荘ファン。昨年、豊島区にオープンしたばかりの「トキワ荘マンガミュージアム」のマニアックな再現ぶりは、同伴者がいたらうんちくが止まらなくなったことだろう。


赤塚不二夫石森章太郎が行水したことで知られる共同炊事場

 アパートの建物だけでなく、かの有名な「赤塚不二夫石森章太郎が流行水した共同炊事場」や、寺田ヒロオ水野英子よこたとくお、そして石森章太郎の隣の部屋(アシスタント用に借りていた)が細かく再現され、椎名町の移り変わりや、漫画の描き方についての解説も丁寧に配置されている。


再現された寺田ヒロオの部屋(ちゃぶ台の上にはチューダーのセットが)

 1階に降りると、資料室兼ミュージアム・ショップと展示室が並んでおり、こぢんまりした展示室で開かれているのが、おめあての「寺田ヒロオ展」。
 壁には、寺田ヒロオの生原稿がたくさん貼り出され、ショーケースには当時の掲載誌が展示されている。寺田ヒロオは枠線とよほど大きなコマ以外、すべてをフリーハンドで描いていたらしく、スッキリしたタッチに漂う温かみはそのせいだったのかと再確認。
 また、並べられた原稿や掲載誌が、まさに寺田ヒロオの作風と人柄を象徴する内容ばかりで、その的確な作品選択にスタッフの企画への熱の入りようを感じさせた。

 寺田ヒロオ(1931〜1992)、と言ってもその名前は今、ほぼ忘れ去られている。マンガ好きにとっては、藤子不二雄Aの自伝マンガ『まんが道』に登場する、面倒見のいい先輩・テラさんとして記憶していることだろう。
『背番号0』や『スポーツマン金太郎』など、昭和30年代に心温まる児童漫画を描き続けた寺田ヒロオだが、トキワ荘の仲間たちが大メジャー作家へと飛躍していった昭和40年代、週刊化・過激化する漫画界になじめず、作品数を減らし続け、ついに絶筆へと至ってしまった伝説の漫画家。
 藤子不二雄赤塚不二夫石森章太郎らは出発点が手塚治虫であり、変貌する漫画界に合わせて作風を広げてゆく意欲を持っていたのに対し、出発点が井上一雄の『バット君』だった寺田は、「明朗快活で道徳的な児童漫画」という枠から抜け出すことも、アシスタントを雇って作画作業のプロダクション化を行うこともできぬまま、窒息してしまったようだ。
 漫画が進歩するたびに「表現の自由」をめぐる議論が絶えない。しかし、業界が表現の幅を獲得することで、逆に排除されてしまう才能もいた。


寺田ヒロオの『パパニイ』と晩年作『七子の世界』(ポストカード)

 欲望充足を目的に描かれたマンガが氾濫する今、寺田ヒロオの良心的な作品群を読み返すと、その善良な世界に心が洗われる思いをするものの、やはり作品がよって立つ「良識」や「健全」の概念が、昭和30年代に閉じ込められたままなので、骨董品としての味わいしか感じられないのもつらいところだ。展示された作品の中に『パパニイ』という家庭漫画があり、これは父親が事故で生死不明になったため、たった一人の男手となった長男が、残された母親や姉妹たちを率いて家長を演ずるという内容らしいが、家父長制をなんの疑問もなく継続しようとするもので(形見らしきパイプを持ちパパ風に構えるのはカワイイが)、今の目で見るとかなりのズレを感じさせる。
「健全」や「良識」、そして「道徳」も、時代と共に変化する。しかし、寺田ヒロオは時代に合わせて作風を更新できない作家だった。

 しかし晩年にあたる1982年ごろ、トキワ荘ブームや『「漫画少年」史』の編纂者として名前が浮上したからか、寺田ヒロオは雑誌連載で一コマ漫画を描いたことがあったらしく、それらの原稿も展示されていた。詩的なものから諷刺的なものまで、タッチも内容も決して衰えを感じさせるものではない。こうした作品をマイペースで描き続けられればよかったのに、と思ってしまう。


トキワ荘の青春 デジタルリマスター版(公式サイト) http://tokiwasou2020.com/


 寺田ヒロオについては梶井純トキワ荘の時代 寺田ヒロオまんが道(現在はちくま文庫)という評伝が描かれているが、この本を原案とする市川準監督の映画トキワ荘の青春』(1996)が、今年の2月にデジタルリマスター版で再公開されるという。
 本木雅弘寺田ヒロオを演じた『トキワ荘の青春』、私は公開時に観ているが、寺田ヒロオの挫折を中心に、若手漫画家たちの過ぎ去りし青春を淡々と描く、静謐な「三丁目の夕日」とでもいうべき映画だったので落胆した。

「おいおい! なんでトキワ荘がこんなしみったれた純文学みたいな話になっちゃうの〜?」

 私にとってトキワ荘の魅力とは、「はちきれんばかりの想像力を胸に秘めた、それでいて貧乏な連中がくり広げる、若衆宿のバカ騒ぎ」そのものだった。昭和30年前後という時代だからこそ成立した、才能集団がつむぐ幸福な時間。しかし市川準監督は、その中で「取り残されてゆく男」を内省的に描くことを選んだ。「寺田ヒロオ展」を見た後で25年ぶりに再見したらどう思うか、改めて観に行くつもりではいる。

 そして帰り道には、『まんが道』でおなじみの中華食堂「松葉」(現存しているのだ!)でラーメンを食べるのであった。
「ンマーイ!」


まんが道』でおなじみ「松葉」のラーメン

NHK『わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝』 (1981)取り壊し直前のトキワ荘が映っている

 

2020年に観た映画から……


片岡一郎『活動写真弁史 映画に魂を吹き込む人びと』(共和国)

 「早いもので、2020年も本日で終了ということになりました。年末恒例のベスト・テンをうかがいたいのですが」

 「いやぁ〜、今年はコロナ禍で長い休業期間が挟まれるは、休業が明ければ怒涛のつめこみスケジュールに振り回されるわで、とても新作映画を観る時間が作れなかったんだよ」

 「それじゃ年々減りつつあった映画観賞本数が、今年はガクンと減ったわけですね?」

 「驚くなかれ、去年の半分以下ですよ。休業期間中はためこんでいた旧作ソフトや配信映画を観ることもできたんだが、下半期は新作のチェックがさっぱり……」

 「じゃあ、去年に続いて今年もベスト・テン選出は棄権ということで」

 「と、思ったんだが数少ない観賞数の中から、気に入った映画を並べたらちょうど10本になったのだ。2020年という特殊な年のメモリアルとして、いちおう公開しておこう」

1.パラサイト 半地下の家族(ポン・ジュノ

2.異端の鳥(イェジー・コシンスキ)

3.スパイの妻(黒沢清

4.Mank/マンク(デヴィッド・フィンチャー

5.ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー(オリヴィア・ワイルド

6.ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密(ライアン・ジョンソン

7.ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋(ジョナサン・レヴィン

8.テリー・ギリアムドン・キホーテテリー・ギリアム

9.魔女がいっぱい(ロバート・ゼメキス

10.ストーリー・オブ・マイライフ 私の若草物語(グレタ・ガーヴィグ)

 

 「ふーむ、ベスト3以外は全部、英語の映画ですね」

 「まぁ、単館公開や小さな上映会までのぞきに行く余裕がなかったのと、世評と自分の評価が大きく食い違う作品も多かったのでね。それから、日本映画は新作がほとんど観られなかった。『アルプススタンドのはしの方』や『れいこいるか』、『夏、至るころ』、『ミセス・ノイズィ』、『私をくいとめて』などの話題作はそのうち観るつもり」

 「それにしても副題のついたタイトルが多いですねぇ」

 「だろ? 私が子供のころは、最近の洋画はカタカナ題名ばかりで内容の見当がつきにくい、などとオールドファンが嘆いたものだが、今じゃ説明的な副題をつけるのが大流行だ。日本人は余白の美を愛する国民性、などとよく言われるが本当かね? 少なくとも広告の分野ではまったく逆で、しつこいぐらいに文字を使って『意味』を押し付けてくるじゃないか」

 「往年の名作映画も、再公開の際には改めて副題がつくかもしれませんね」

 「カサブランカ 君の瞳に乾杯』なんてのは勘弁してほしいよ」

 「『サイコ ベイツ・モーテルの恐怖』なんてのはどうでしょう?」

 「まったくヒネりがなくて逆にありそうだな。じゃ、『ライムライト 老いらくの恋』はどうだ?」

 「“老いらくの恋”って言葉じたいが古すぎて意味が通じるか不安ですが。では、タルコフスキー『ストーカー 禁止領域へようこそ』

 「むむ、確かに『ストーカー』って言葉は別の意味で定着してしまったので、今だと副題が必要だと考えるアホがいるかもしれん」

 「今年の映画だと『1917 命をかけた伝令』だとか『シチリアーノ 裏切りの美学』とかいろいろありましたね」

 「『シチリアーノ』なんて原題は“The Traitor”(裏切り者)だもんな。それを言ったら『ストーリー・オブ・マイライフ 私の若草物語』は原題が“Little Women”なんだから普通に『若草物語』でいいだろう。なんでこんなに長たらしくするんだ?」

 「たぶん、『若草物語』のままじゃクラシックな文芸映画のイメージを持たれてしまうので、どうにか今っぽさを出したかったのでは」

 「確かに、グレタ・ガーヴィグの新作は原作の『若草物語』が持つ現代的視点を巧みに抽出した佳作だったから、なんとかして今の観客に届けたいと思うのはわかるけど」

 「格差問題を大胆な構図で物語化した『パラサイト』にしろ、ラブコメ映画の図式を更新させた『ロング・ショット』にしろ、印象に残る映画はやはり“現代”と切り結んだ作品といえそうですね」

 「それだけじゃなくて『Mank/マンク』や『スパイの妻』のような作品でさえも、決して懐古調や趣味性に溺れぬ現代性を掴んでいたし、『魔女がいっぱい』もロアルド・ダール原作にBLM運動の盛り上がりを意識したとしか思えない脚色を加えている。今年随一のメガヒット作『鬼滅の刃 無限列車編』だって、実力主義による“強者の美学”を語る鬼たちが跋扈する状況に、必死の抵抗を見せる主人公たちを描いて、“よく働く者への挽歌”のパターンへ巧みに収斂させた作品と見ることも可能だ」

 「今後の映像作品は、劇場公開だけでなく配信公開もあるし、視聴形態もさまざま。“現代”を掴むことはもちろん、“受け手”をどう意識するのかというプロデュース戦略も求められそうですね」

 「そういえば先日、『活動写真弁史 映画に魂を吹き込む人びと』という分厚い本を読んだんだけどさ」

 「現役の活動写真弁士である片岡一郎さんが書いた、弁士の歴史をまとめた本ですね」

 「まさに労作、という言葉がふさわしい一冊でね。19世紀末に誕生した映画が、風景描写や日常スケッチから、ニュース報道や劇場での芸事の記録、歴史再現ショー、さらに“物語”を得て演出テクニックを磨いていった時代、これに並走する形で進化していった弁士の歴史を『ある生き物の記録』さながらに紹介した内容で、映画史としても芸人伝としてもじつに面白い。しかも、これまたノスタルジー一本槍な内容ではなかったんだよなぁ。今、アニメ大国となった日本では『声優』が大人気だが、声優ブームが発展する過程で起こる出来事は、だいたい弁士人気が盛り上がったころにも起こっていた、と言って過言ではなさそうだ」

 「そういえば、声優さんが特集されるテレビ番組では、その場でアフレコをやってみせるショーがつきものですよね。私なんか、ファンはあれの何を面白がっているのか、正直なところ不思議だったんですが……」

 「うん、日本人は琵琶法師の昔から、『語り芸』を尊ぶ歴史があり、それは義太夫浪曲、講談に落語へと受け継がれているわけだが、映像文化においても映し絵や覗きからくり、パノラマなど口上がつくことで完成する表現が多かった。平面で完結している映像に、『声』の要素を付け加えることで立体的なライブショーとして楽しみたい、という独特の感覚があるらしいんだな。もちろん、これを『邪魔』と考えるインテリたちも、当時からいた」

 「へぇ、洋画のタイトルやポスターに文字情報をたっぷり付け加えたがる感覚にも通じるんですかね」

 「近年では、チャップリンの無声短編に複数の声優がライブでアテレコする『声優口演』というステージショーがあったが、活動写真弁士の創成期には、まさにそのような『声色弁士』と呼ばれる一団がいて、生アフレコ形式で公演していたこともあったそうだ。ぜんぜん知らなかったよ」

 「昔の弁士たちは、ビデオがないから説明用の台本を作成するのが大変だったでしょうね」

 「著者が現役の弁士だから、そういう“語り芸”の中身にも注目しており、現存資料から当時の説明のスタイルをいろいろ紹介してくれているのも嬉しいところだよ。そうやって三十年あまりかけて発展した映画説明者の文化が、トーキーの到来によってたちまち大絶滅へと至る……。映像文化の周辺でメシを食ってる人間にとっては他人事に思えない内容です」

 「なるほど、本日も国内感染者数は4515人と劇的に増加中、社会的距離とマスク着用がマナーとみなされるようになった社会で、映像文化の世界もなんらかの変化が起こることは間違いない、と」

 「実際、リモート会議がこんなに普及するなんて一年前には想像もつかなかったわけだからさ。われわれ業界のはしくれにいる者も、絶滅しないよう常にリスク・シナリオ・プランニングを練っておく必要はあるだろう。このブログも、まとまった文章を書く時間が取りづらいこともあるが、もっと短いコラム的な内容にして、その代わり更新頻度を上げてゆくことを考えている。“現在”の記録になることを意識してね」

 「はいはい、新年に向けての決意らしく、三日坊主で終わらないようにしてくださいよ。それではみなさん、来年もどうぞよろしくお願いします」

活動写真弁士・澤登翠による説明付きのフリッツ・ラング監督『ニーベルンゲン クリームヒルトの復讐』

 

女が仮面を外す時〜黒沢清監督『スパイの妻』



 今、某局のレギュラー子供番組で、ドラマパートの演出に参加しているのだけど、ウチの制作スタッフにはドラマ現場未経験の新人女性しかいないため、撮影スケジュールを予定通りに回すのが難しいことが判明。そこで、前回の撮影では他の回で演出を担当している若手監督にチーフ助監督をお願いしたのだが、その監督さん、東京藝大の大学院で映画を学び、教授を務める黒沢清監督から大きな影響を受けたという。

「学生の時に『LOFT』と『叫』を観て、すげぇ、これこそ本物の映画だ、と感動しました」

 と、彼が藝大の門を叩いた動機を聞き、高校生のころに『ドレミファ娘の血は騒ぐ』をレンタルビデオで観て、伊丹十三製作総指揮の『スウィートホーム』の公開初日に駆けつけた世代の黒沢ファンとしては少し感慨深いものがありました。
 さらに、撮影期間中にヴェネチア映画祭黒沢清が銀獅子賞(監督賞)を受賞したというニュースが飛び込んできたので、現場で彼とその話題を口にしていたところ、

「あ、『スパイの妻』ならオレ、現場についてたよ」

 と技術スタッフの一人が声をあげたので驚いた。さっそく現場の様子を訊いてみると、

「1日にワンシーンかツーシーンのゆったりしたスケジュールでね、長いカットが多くてテイクも少ないから、16時には終了でラクな現場だったなぁ

 そこがいちばん印象深かったらしい。
 なるほど、日本の映画・ドラマ界はよほどの大作でない限り、昼の撮影が終わればそのまま夜間撮影に突入というスケジュールがしょっちゅう。ワンカット撮り終えたらキャメラマンは三脚抱えて次のポジションへすっ飛んでゆくのがあたりまえの日常からすると、黒沢組は別世界に映ったようだ。

「いい監督というのは、スタッフ・キャストに対する要求が高いものだ。さんざん大変な目に遭わせてなお、彼らから『もう一度仕事がしたい!』、と思われるのが一流だぞ。『あの監督はすぐ終わるし楽チンだから大好き!』なんて言われる奴は三流以下だ」

 と、かつて師匠から聞かされたものだが、確かに昔の映画を見れば、粘り屋の撮る映像の方が、早撮りの人にくらべて充実度が高く、時の風化に堪えている例は多い。とはいえ、酷使に見合う残業代をつけていた時代ならいざ知らず、薄給でパワハラつきの長時間労働に人が集まるわけがなく、その上できあがった作品が、配信で観られる海外作品にくらべてあまりにもショボいのでは、スタッフのモチベーションが上がるはずもない。
 これからの演出家は、「現場の熱は画面に映らない」という真理を肝に銘じつつ、時間と予算と安全性を見極めた上で、最善の効果をあげるマネージメント能力が求められるのは間違いないだろう。

 で、ベテランの技術スタッフが驚くほど効率的に演出をこなし、なおかつ海外の有名映画祭で受賞するという、誰にとっても理想的な結果を導き出した黒沢清の『スパイの妻』、先日やっと観賞しました。

「今さらヴェネチア監督賞なんて遅い遅い、『CURE』のころに受賞して、『アカルイミライ』のころにはカンヌでパルムドールぐらい獲ってなきゃオカシイでしょ!」

 長年の黒沢ファンとしてはこのように叫びたいところではあるが、正直な話、黒沢映画はストーリーに弱さのあるものが多く、国際映画祭で評価が浸透するのに時間がかかったのはやむを得ない。そういえば、かなり昔のトークショーで、黒沢監督が「実際にあった事件や出来事を題材にした作品に挑戦してみたい」と発言するのを聞いたことがあり、彼の魅力は、その非リアリズム性漂う描写がいつしか独特のファンタジー世界を形成するところにある(その意味で戦後の小津安二郎に近い)、と思っていた私には意外だった。イーストウッドスピルバーグをはじめ実話の映画化が大流行している昨今だが、作品内の「リアル」の基準をどんどんズラしてゆくのが特徴の黒沢演出が「実話」というリアリズムが担保された世界をきちんと描けるのか、少し疑問に思ったのだ。
 監督の発言は、当時企画中だった『一九〇五』(明治時代の横浜が舞台の時代劇だったが中止になった)を念頭に置いた上でのものだったろう。しかし、『スパイの妻』を見ると、改めて黒沢清がどのように「歴史」と触れ合おうとしていたかが垣間見え、そこが私にはひときわ興味深かった。

 濱口竜介と野原位によるオリジナル脚本『スパイの妻』は、かつて関東軍満洲で人体実験をはじめとする非道な研究を行っていた、という事実を前提とする架空の物語で、「禍々しいものが映ったフィルム」、「階段のある部屋」、「窓外が不自然な乗物」、「霧に消えゆく船」、「制服のファシスト集団」などなど、黒沢映画の定番モチーフを散りばめつつ、夫婦間の恋愛サスペンスとして巧みにまとめられている。
 鍵となる「関東軍の蛮行が記録されたフィルム」のディティールには過度に踏み込まず(マクガフィンという奴ですね)、そもそもなぜ一貿易商がそんな場面の撮影を許可されたのかもよくわからない。しかも登場する憲兵の制服は映画オリジナルのデザインとなると、これはいわゆる「歴史再現」とか「実録」とかいうものではなく、描かれるのは「映画の世界」として設計された1940年の神戸だということが見えてくる。多くの戦中サスペンス劇のように、凶悪な軍部と正義の民間人の諜報戦がリアリズムたっぷりに描かれるものと期待した人は、ここで乗り損ねてしまうかもしれない。
 しかし歴史を題材に、おなじみの映像遊戯に淫するのではなく、夫婦それぞれの思慕と、国家と個人のぶつかり合いが重なり合ってゆく古典的メロドラマを描きながら、憲兵東出昌大)、夫(高橋一生)、妻(蒼井優)の3人をめぐって「誰が『怪物』だったのか?」を観る側が探ってゆく特殊な怪奇映画として浮かび上がらせる手つき、このあたりに黒沢演出が新たな勝負に出ている様子が見てとれ、私は大いに興奮させられた。
 出演者では、出だしで無邪気な妻に見えた蒼井優が、夫の身辺に暴力の気配が感じられてくるや敏感に佇まいが変化するあたりと、作品中でもっとも「リアル」に撮られた劇中の自主映画で見せる表情がすばらしい。
 
 インターネットをのぞけば、ほんの数十年前の過去を積極的に忘却・払拭しようとする人々が多数いる現状、そんな「今の日本」を射程にとらえた諷刺劇としても観賞可能な『スパイの妻』は、テレビ用の小品なれど海外でロケを行ったりCGを駆使した近作よりも、いっそう懐の深いスケール感を獲得できていたと思う。
『岸辺の旅』、『散歩する侵略者』に並んで、近年もっとも見応えある黒沢作品。劇場には大人の観客がたくさん集まっていた。

 

「落語」を通して世界を見よう〜頭木弘樹『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』



 前回の更新から早くも2ヶ月半が経過してしまった。

 休業期間が明けてからというもの、仕事のスケジュールがすさまじい立て込みようで、映画を見たり記事を書いたりする余裕がまったく持てなくなったのですよ。休業期間中に貯めこんだ「ヒマ」が利子付きでかっさらわれてしまったような忙しさ。とはいえ、若いころのように2週間会社に泊まり込んで夜討ち朝駆け、といった泥臭い働きぶりにはならずにすんだのだから、「働き方改革」は地道に浸透しつつあるのかもしれぬ。

 そんな日々を送りながら、スキマ時間にできる息抜きといえば読書しかない。
 しかし長い小説や読みづらい評論に手を出す余裕はなく、何か軽いエッセイ的なものを……と、手を出したのが頭木弘樹『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』(ちくま文庫。全4章34節に分かれた落語入門書なので、連日ちびちびと読み進めるにはちょうどいい、と思って読み始めのが運の尽き。
 
 面白すぎるのだ。

 自宅に帰るや読みふけり、仕事そっちのけでたちまち読み終えてしまいました。
 著者は『絶望名人カフカの人生論』で知られるカフカ研究者であり、『絶望図書館』などのアンソロジーも編む文学紹介者。頭木氏の著作はすべて「初心者向け」に書かれているのが特徴で、この『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』も落語の魅力がわからない人、あるいは落語未経験者が素朴に浮かべる疑問、例えば、

「面白くない落ちがあるのはなぜ?」
「話の途中なのに終わるのはなぜ?」
「『毎度ばかばかしいお笑いを一席』と言うのはなぜ?」
「どうしていつも熊さん八つぁんが出てくるの?」
「なぜ落語は一人で演じるの?」

 などなど合計34問を設定し、これに次々と回答を与えてゆく形で進行する。

 思えば、私が漫才やコントなどの演芸番組をマメにチェックしたり、落語のレコードやカセットテープを聴くようになったのは高校生のころ。古今亭志ん生桂文楽三遊亭金馬といった往年の名人に熱中していた当時、ふと思った疑問に「落語には『古典落語』があるのに、漫才やコントに『古典』がないのはなんで?」というものがある。エンタツアチャコの「早慶戦」や、コント55号の「机」のような傑作は、文化遺産としてほかのコンビによって演じられ、受け継がれてもよいのではないか?
 当時の私は「著作権ってものがあるからなぁ」とつまんない答えをひねり出してそれ以上考えることをしなかったが、この本は違う。ちゃんと「漫才やコントと落語はどこが違うの?」という質問が用意されており、さらに古典落語なのに新しさも感じられるのはなぜ?」「語り継ぐとなぜ面白くなるの?」、「落語と一人芝居はどこが違うの?」という質問へと読み進んで落語の特性を理解すれば、若き日の私の疑問にもほぼ答えが与えられるのだ。

 この本がユニークなのは、「現代人に落語を面白がれない人が多いのはあたりまえ」という観点から始まることで、通人の観賞眼自慢とは真逆の視点から、落語という文化の魅力を以下のように掘り下げてゆく。

・落語は口承文学の生き残りであり、落語家は「むかし話」の語り部のようなもの
・落語はそもそも物語としては不完全なものである
・落語の「落ち」は面白さよりも物語を終わらせる機能が重要である
・落語は昔から変わらぬ人間のダメさを語りの芸で描いている
・「耳の物語」である落語には「目の物語」である小説や演劇とは違った魅力が備わっている

 まだまだ続くのだが、これらの説を補強するため、夏目漱石谷崎潤一郎志賀直哉カフカ、ガルシア=マルケスイタロ・カルヴィーノ、J.M.クッツェーといった文学をはじめ、手塚治虫の漫画、M・ナイト・シャマランの映画など、さまざまな作品が召喚され、その「落語的」な部分が解説されてゆく。この本は初心者向け落語案内に見えて、じつは「物語の魅力」や「語り口の芸」についてきちんと考察した文芸批評でもあったのだ。
 特に第四章「落語は世界遺産」で、古典落語の中には、元ネタが『千夜一夜物語』や『イソップ物語』、アフリカ・コモロ諸島の民話にまで遡れるものがあることを指摘しつつ、その国際的普遍性を秘めたお話が日本文化の中で独自に発展し、「江戸落語」と「上方落語」と二つの方向性に分かれたこともきっちり解説してくれる手つきのあざやかさはゾクゾクさせられる。落語の「くすぐり」を松竹梅の三段階にランク付けして解説してくれる演芸本なんて初めて読んだ。

 本書じたいがまるで長い芸談を聞かせてもらうような感覚で読める大傑作。
 読み終えて興奮おさまらず、古いCDや録画をひっぱり出してかつて愛聴した名人たちの落語を改めて聴いてみた。いささか額縁に入った感のあった古典落語の世界が、今ではなまなましく立体的になって迫ってくる。落語ファンや演芸愛好家だけでなく、世界の文学や映画・演劇に興味がある者が読んでもたくさんの発見を得られるだろう。

古今亭志ん生(五代目)の貴重な録画「風呂敷」。「千夜一夜物語」に同じ話があるとは知らなんだ。

 

“7日間ブックカバーチャレンジ”で紹介した本

 前回のブログから、はやくも2ヶ月あまりが経過しました。
 みなさんいかがお過ごしでしょうか。

 5月の終わりごろからぼちぼちと仕事を再開し、6月に入って2ヶ月ぶりに電車に乗って出勤、その後半から延期されていた仕事が本格的に再開決定となり、またたくまに目が回る忙しさとなっております。
 まぁ、この間も東京の感染状況変化や都知事選などいろいろあった。言いたいことはたくさんあるが、ともあれいちばんの心配事は梅雨前線の被害と今後、そして全国の新型コロナウイルス感染者数の増加についてですね。なにしろ今月下旬にはいよいよ撮影週間を迎える身、またその直前に「緊急事態宣言」に対応するため延期決定などということになったら、どう処理するかそのシミュレーションも考えねばならず、やるべき対応策が増えるばかり。

 そんな中、再開したブログの第1弾は、休業期間中に流行ったタグを使ってFacebookの方で紹介した記事をまとめたものをお送りします。
“7日間ブックカバーチャレンジ”とか“7days bookcover challenge”とかいう好きな本を紹介するアレ。普段はチェーンメール的な企画には乗ることはない、めんどうくさがりな私ですが、複数の人から誘われたのと、ヒマだったので書きました。
 それとこの数年、仕事で書籍の物撮りなんてまったくやらなくなってしまったので、データを貼り付けて編集でデザインという安易な制作手法に慣れきってしまった自分に喝を入れるべく、カメラを取り出してせっせと撮影しました。しかし、これをやりだすと照明器具が欲しくなって困りますなぁ。
 それでは7日間のブックガイド、始まります。


第1日



中原弓彦『喜劇の王様たち』(校倉書房・1963)
中原弓彦『笑殺の美学』(大光社・1971)
小林信彦『世界の喜劇人』(晶文社・1973)
小林信彦『世界の喜劇人』(新潮文庫・1983)

 これ、内容としては全部同じ本でバージョン違いですね。
 収録内容・構成にそれぞれ微妙な違いがあります。
 装丁は上2冊が小林泰彦、下2冊が平野甲賀
 中2の時に『世界の映画作家vol.26バスター・キートンと喜劇の黄金時代』を読んだのがきっかけで、「スラップスティック喜劇」という世界に興味を持ち、続けてこの『世界の喜劇人』新潮文庫版を読んだことで、その後の嗜好を決定づけられた気がします。
 この本を片手に、お昼のロードショーや深夜の映画枠に放送される、マルクス兄弟ジェリー・ルイスリチャード・レスターの映画をせっせとビデオ録画した日々を思い出します。


第2日



筒井康隆東海道戦争』(早川書房・1965)
筒井康隆ベトナム観光公社』(早川書房・1967)

 装丁はすべて真鍋博
 筒井康隆の最初期の短編集は、このハヤカワSFシリーズで発行された後、収録作品を削って再編集されたものがハヤカワ文庫に入り、その内容のまま中央公論社で改めて単行本化され、後に中公文庫に入るというややこしい過程をたどりました(当時の人気作家というのは何度も本が出せたのですなぁ!)。
 中央公論社版も装丁は真鍋博で、中学生の私はこの版で愛読したものですが、「あとがき」を読むと作者本人が、最初の本が出せて非常に嬉しかったこと、刊行順では第3短編集は『アフリカの爆弾』(文藝春秋)の方が少し早いのだけど、自分としては『アルファルファ作戦』が3冊目と思っていることなど、熱い思いを綴っていたので、筒井ファンとしてはSFシリーズ版も揃えなくてはと思ったのでした。
 ずいぶん時間がかかったけど、揃えられた時は感無量でしたよ。


第3日



横山隆一『百馬鹿』(奇想天外社・1979)

 小学生のころ、田舎の市民センターの図書館分室に本を借りに通っていたのですが、なぜかここには筑摩書房の「現代漫画」シリーズがどさっと置かれてあり、横山隆一馬場のぼる鈴木義司・冨永一朗・園山俊二東海林さだお福地泡介といった大人マンガのナンセンス性に夢中になったものです。「コロコロコミック」のギャグ漫画なんて読めなくなってしまったものね。マセた子供でした。
 折しも、テレビアニメ版の『フクちゃん』が放送されたいたころで、その原作者である横山隆一に『百馬鹿』(1968〜1970)という連載一コマ漫画があることを知って驚いた。単行本化はされず、奇想天外文庫や実業之日本社から選集が出ていたのだけど、こんな豪華愛蔵版が出版されていたのですね。数年前に手に入れました(この本のためにかなりの原稿が改稿されている)。
 50年代〜60年代の半ばまで全盛を誇った大人向けナンセンス漫画が、70年代に入るや急速に衰退した理由はいろいろ考えられます。

・漫画=ストーリー物が一般化した
・子供と大人の読者の差がなくなった
・男性作家ばかりでお色気ネタや家族像などに視点の偏りがあった

 時代は変われど横山隆一の『百馬鹿』と、この本にも収録された『人造首相』や『貧乏神』といったナンセンス短編の数々は、今読んでも鋭く人間の滑稽さをえぐっていると思います。


第4日



ミシェル・シマン『キューブリック』(白夜書房・1989)

 もともとの原書はフランス語で書かれたもので1981年発行。
 2年後に英訳版が出て、1987年に増補版が登場。この増補版の邦訳が、後列に並ぶ黒い本です(左の白いのは箱)。監訳は内山一樹
 本の中身は、前半が雑誌「ポジティフ」の批評家ミシェル・シマンの論文ですが、これはほとんど読んでない。目玉は後半、スタンリー・キューブリック本人への1972年、1976年、1980年、そして1987年(これは手紙で行った)の貴重なインタヴューが収録されているのです。そのほかに、美術監督ケン・アダムや撮影監督ジョン・オルコット、脚本担当マイケル・ハーなど、スタッフへのインタヴューも豊富。大判の美しいスチール写真も珍しいものが多く、食い入るように見たものです。
 キューブリックの死後、2001年に『アイズ・ワイド・シャット』まで収録したさらなる増補版が登場、アメリカ取材の際に書店で見つけて買ってきました。それが前列の本です。スタッフやキャストのインタヴュー記事が増えてますね。
表紙のディレクターズ・チェアはマシュー・モディーンが撮影したものだとか。
なんでも、この取材時にシマンが録音したインタヴューテープを素材としたドキュメンタリー『Kubrick by Kubrick』が制作され、日本ではNHK-BS17月13日の深夜キューブリックが語るキューブリック』というタイトルで放送とのことこれも楽しみです。



第5日



アルベール・カミュ『反抗的人間』(新潮社・1958)

 コロナ禍の中で『ペスト』がベストセラーになるなど、改めて注目されているカミュ
『反抗的人間』というとなんだか難しそうだけど、原題は「むかつきを覚える人」って感じの意味だそうです。
「不条理」をめぐる哲学的エッセイ『シーシュポスの神話』(原書・1942)は文庫化され、今も読み継がれているというのに、「革命」を論じたその続編的存在『反抗的人間』(原書・1951)は文庫化されず、日本では存在が忘れられています。しかし、この本に対してサルトルが行った批判に始まる「カミュサルトル論争」をまとめた『革命か反抗か』は文庫化され、現在も書店で流通中、という奇妙な状況になっているのですね。
 これは、60〜70年代における、サルトル信奉の時代の負の遺産が今も引き継がれている表れなのではないかと考えます。あの論争で、カミュサルトルにノックアウトされた、ということになっているので……。
 しかし21世紀の今、読むに値するのは「暴力革命」を否定したカミュの方なのは、多くの人々が認めるところ。私も若いころに背伸びして読んだ思想書の中で、最も内容に切実さを感じたのがコレでした。
『ペスト』が売れてる今こそ、新訳・復刊が望まれる一冊ですね。


第6日



斎藤守弘『ショック! 写真構成 人体の怪奇大百科』(学習研究社・1974)

 これは父の死後に書庫から発掘した本で、「水曜スペシャル」とか「UFO特集」とか「ユリ・ゲラー」とかのテレビ番組を絶対に見逃さないオカルト少年だった私は、むさぼり読んだものです。
「写真構成」を謳うだけあって、「毛だらけの多毛少女」とか「早老症で見た目90歳の少年」とか「顔が2つある双顔児」とか「頭が2つある双頭児」とか「頭の上に巨大な瘤ができた髄膜瘤の幼児」とかの写真が大量に掲載されています。もちろん目線・モザイクいっさいナシ。
「実際の病気に苦しむ人を“怪奇”などと紹介するのは許されるのだろうか?」という疑問を抱かないこともなかったですが、やはりこの見世物小屋感覚は刊行当時も問題とされたようで、抗議を受けて回収されることになった曰く付きの一冊だとか。

 さてこの本では、いくつかの症例が「実録劇画」の形で紹介されています。その中に「骨のない人間がいた!」と「人体から吹き出す五色の綿!」というエピソードがあり、劇画担当は『エコエコアザラク』の古賀新一





 後に、安部公房の『密会』(1977)を読んだ時、「溶骨症の少女」や、その母親の「綿吹き病の女」という奇病キャラクターが登場するので、すぐにこの本を思い出しました。おそらく、安部公房もここからネタを拾ってきたのだろう、というのが私の読み。
 後期の安部がテーマの投影体となるべきモチーフを探り当てるのに苦労していたことがうかがえます。
 


第7日



『MIND OVER MATTER:The Images of Pink Floyd』(1997)

 ロック音楽のアルバム・ジャケットを、「作品の一部」を構成する芸術へと価値を高めたデザイナー集団「ヒプノシス」と、そのリーダーであるストーム・ソーガソンの作品から、ピンク・フロイドのアートワークを集めた作品集です。邦訳は出ておらず、パルコ・スペースPART3でやった「ストーム・ソーガソン展」で買った記憶があります。
 表紙の「顔」はピンク・フロイド1994年のアルバム『対』(Division Bell)の一枚。

 原題の意味は「(困難を)精神力で乗り越える」みたいな意味だとか。ソーガソン、意外に精神主義なのね。
 箱に筆で書かれた文字「愚公移山」は中国故事で「根気よく努力を続ければ大願は成就する」という意味なので、これが原題の東洋版ということなのでしょう。というかよくそんな故事を知ってるなぁ。
 ルネ・マグリットシュルレアリスムや、マックス・エルンストのコラージュの感覚よりも、ヒプノシス作品の方が出会いが早かった私。これと「モンティ・パイソン」におけるテリー・ギリアムの切り抜きアニメに、反世界を好む「基礎」を作られたように思います。



告白的錯乱論〜吉田喜重『贖罪 ナチス副総統ルドルフ・ヘスの戦争』

 

吉田喜重『贖罪 ナチス副総統ルドルフ・ヘスの戦争』(文藝春秋
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163910994


 早いもので、休業期間に入って4週間が経過した。4月8日に緊急事態宣言が出て以来、突如中断された仕事は一人で勝手に進めることもできないし、空いた時間ができれるたびにのぞいていた映画館や古書店はもちろん、なじみの飲食店や銭湯までほぼ閉店という状況ではどうにも身動きが取れない。
 まぁ、私はワーカホリックとはまったく逆、時間を無為に過ごすことに関しては達人級な男なので、降って沸いた「休暇期間」もぜいたくに蕩尽している。ここを鍛錬の時期ととらえ、ネット配信の動画コンテンツの最新状況をチェックするとか、語学の勉強をするとか、志高き理想に邁進すれば大物になれるのだろうが、現実はチマチマした家事をこなすのと、長年「積読」となっている本やDVD、録画コンテンツを消化するのでせいいっぱい。

 が、先日は珍しく新刊小説を読み終えた。映画監督・吉田喜重、初めての小説作品となる『贖罪 ナチス副総統ルドルフ・ヘスの戦争』がそれである。
嵐が丘』(1988)の公開後、次の作品『鏡の女たち』(2002)まで14年も待たされたものだから、「次回作もまた14年待ちなのかねぇ」などと吉田ファンはみな不安を口にしたものだが、そのまさかをゆうに超え、18年も待たされて登場した「新作」は映画ではなく小説であった。それも主人公はナチス副総統ルドルフ・ヘス! 
 ルドルフ・ヘスといえば、アドルフ・ヒトラーの活動初期から個人的な信頼を得ていた秘書であり、『我が闘争』の口述筆記を担当した男でもある。ナチス副総統の地位まで上りつめながら、1941年に自ら戦闘機を操縦してイギリスに飛行、勝手な和平交渉を進めようとして逮捕されたという奇行の人としても知られ、当時は「精神錯乱」と伝えられた。
『エロス+虐殺』(1969)では大杉栄、『戒厳令』(1973)では北一輝という近代史の怪人を主人公に描いた吉田喜重が、ルドルフ・ヘスを主人公に据えたというのだから、どうしたって期待が高まる。いったいなぜ今、ヘスなのか?

ルドルフ・ヘス(1894〜1987)

 

 小説『贖罪 ナチス副総統ルドルフ・ヘスの戦争』は、4つのパートによって構成されている。いちばん最初の「何故わたしはルドルフ・ヘスに興味を持つようになったのか」は、著者の少年期の回想を私小説的に描く部分で、出征した従兄が残した古新聞の中から、1941年にナチス副総統のヘスがイギリスへの単独飛行を果たしたと報じる記事を見つける場面、そして空襲や敗戦の体験を経て、ニュルンベルク裁判を伝えるニュース映画で被告席に座るヘスと再会するまでを、繊細かつ映像的な文章で綴っている。
 次の「『わたし』という主語を欠落させたルドルフ・ヘス自身の手記」では、逮捕された晩年のヘスが、ベルリンの刑務所で行った回想を何者かが書き留めた手記、という体裁になっている。章題通り「主語」のない文章が語るのは、ヘス自身の視点による少年時代の回想から恩師カール・ハウスホーファーとの出会い、「H」という記号で表記されるカリスマ政治家への心酔、やがて始まる第二次世界大戦、その敗北を予期してイギリスへの単独飛行、と至る過程。囚人の手記らしからぬ正確さと、老人の回顧録らしい淡々とした描写で描かれる。
 続いて「アルブレヒトハウスホーファーによる宛名のない奇妙な、それでいて真摯な手記、あるいは遺書」という、カール・ハウスホーファーの息子アルブレヒトが、1945年にゲシュタポの捜索から潜伏中に書いた手記という「新発見資料」が続き、ここではアルブレヒトの視点から、ナチスにおけるヘスの行動が見返されてゆく。この二つの手記については、ひんぱんに「筆者による注」が挿入され、偽書の可能性に関する検討や、さまざまな情報の捕捉をしてくれるのだ。
 そして最終部にはルドルフ・ヘスによる最後の告白、あるいは遺言」という明白な「フィクション」が配置されるのだが……。


カール・ハウスホーファー(1869〜1946)とルドルフ・ヘス

 

 ナチス・ドイツをテーマに、フィクションなのかノンフィクションなのか曖昧な手法でまとめた小説としては、2010年にローラン・ビネの『HHhH プラハ、1942年』という傑作があった。1942年にチェコで起きた、ラインハルト・ハイドリヒ暗殺事件を題材に、「歴史的事実」とそれを調査する作者自身の視点が入り乱れながら展開、「歴史小説」を書くとはどういうことかについて、徹底的に意識的であろうとした一種のメタフィクションでもあった。
 しかし『HHhH』はその構造が、歴史的事実の魅力をいっそう増幅させ、読者にスリリングな読書体験を提供していた、という点ではきわめてマトモな小説だったと言える。ところが『贖罪』は最後まで読んでも、ルドルフ・ヘスの印象が刷新されたり奇天烈な仮説が展開することもなく、作者がこれを「書く」意図は明瞭にならない。ヘスによる自己弁明のような、あるいは「分断」が進む21世紀への批評のような手記(という設定の原稿)をながながと読まされた挙句、読者はきわめて居心地の悪い読後感に包まれる。作中、アルブレヒトヒトラーを映画『カリガリ博士』(1919)に例える場面がある。催眠術師カリガリ博士ナチス出現の予見とする解釈は、ジークフリート・クラカウワーの『カリガリからヒトラーへ』以降、かなり有名になったもので、著者もこれを引用して解説するのだが、著者=吉田喜重もまた、少年時代に薄暗い納戸の中で、新聞記事に書かれた「ルドルフ・ヘス」という名を目にした瞬間から、なにか催眠術にかけられてしまった男なのかもしれない。そして、眠り男チェザーレのように、70年余りの時を超えて妄執を維持させた結果、87歳になろうとする著者の「わたし」という人称が、93歳になったルドルフ・ヘスそのものへとスライドしてゆく「夢遊病者の夢」を、過剰に理知的な形で描いてゆく構造そのものに、往年の吉田演出の影を受け止めることができる。

 吉田喜重が書く文章の特徴について、

「言葉とともにある主体が、『著者』という身分の占めるべき空間上の一点をにわかに信じていそうにないことだけは、誰にも敏感に察知できるに違いあるまい」

 と指摘し、その映画作品においても、

「作品のすみずみまで支配権を行使するのが『作者』の特権であるなら、できればその特権的な『作者』の位置から思い切り遠くありたいというのが、吉田喜重の基本的な姿勢」

 と喝破したのは蓮實重彦だが、『贖罪 ナチス副総統ルドルフ・ヘスの戦争』での吉田喜重は、冷静な夢遊病者として抱えてきた妄執を、あるいはヘスの「精神錯乱」の根底にある深淵を、著者の特権的な立ち位置からできるだけ距離を取りながら、覗いてみたくなったのかもしれない。
『HHhH』を原作とする映画ナチス第三の男』(2017)は、ユニークな語りの構造を取っ払った凡庸な歴史劇になっていたが、吉田喜重が自ら『贖罪』を映画化したなら、どんな演出でこの構造を活かしながらナチスの内部で苦悩する男を映像化するのだろう。読了後はそんな想像の愉しみも待っている。

 緊急事態宣言下で「巣ごもり」を要請される今、47歳から93歳までを囚人として過ごしたルドルフ・ヘスの後半生は、著者の意図とは別に奇妙な実感を伴いながら迫ってくる。今、われわれがいる世界もまた、カリガリ博士の精神病院の中なのかもしれない。そんな疑いを抱きながら、今一度攻めの姿勢で読み返してみたい。